団塊世代による「プレミアムエイジ (P・A)」宣言
・・・そして プレミアムエイジ として 進化 を続ける
1月 03 2007

団塊の軌跡(2)惚れた会社妥協せず—疾走、精根尽き果て(サラリーマン2007)

2007年01月03日 7:16 pm, プレミアムエイジ編集長

10年ぶりに年末年始を寝正月と決め込み、テレビと読書と睡眠で過ごした。
三日付けの日本経済新聞の朝刊を、正午過ぎに眠い目をこすりながら開けてびっくり、社会面のトップに大きな写真で載っている自分の、歳老いた顔写真が飛び込んできた。

nikkei20070103-01

もちろん、12月はじめから延べ4回、20時間余りに渡って取材を受けていたし、前日(2日)にも確認取材を受けていたので、この日に何がしかの記事が載ることは承知していたが,社会面ということで、その日のニュースの軽重によって、どの程度のものになるやらと半ば、たかを括っていた。あわてて記事の内容について目を通してみたが、中身について感想が浮かび出したのは、その日の夜中に再読してからであったということで、そのうろたえぶりを自白しておきたい。

取材を了解したにもかかわらず「この話は駄目、これはオフレコです」と注文だらけで、 I記者を悩ませてしまったことに対するお詫びとともに、無難にまとめていただいたことにまずは、お礼申し上げたい。

「プレミアムエイジのサイト」を自らの手で発見され、大阪から何度も取材に出向かれたにもかかわらず、取材対象者の自己主張があまりに強く、混乱を極めたことは想像に難くない。前置きが長くなったが、今回の記事の感想について述べておきたい。

まずは、記者と小生の世代間のギャップを埋め切れなかったのではと反省している。さすがに、日経の記者だけあって、事実確認と事案の背景についての調査は鋭く、正直感心させられたと同時に、積極的に取材に協力したい気持ちが強く働いていった。(かえって焦点をぼかしてしまったかもしれないが?)記者はあらかじめ、小生の「団塊世代が行く」の前半を読み終えて、取材に入ってくれていた。その後、書き終えたばかりの今回のテーマ部分である、猛烈サラリーマン時代以降も読んでもらい、後半の取材が始まった。テーマとしては、偶然発見した入社時に書いた「これからの目標」の紙切れ通りの出世物語になりそうなところから、流行の<勝ち組>に入れられるのを強く否定させてもらうことが取材を難航させたかもしれない。(やはりこのことが取材の中心部分に見えることに正直、大きな抵抗を感じることを指摘しておきたい。)

ただ、この取材という出来事で発見された紙切れの中に、気付かされたことがあった。無意識の内に目指していたものが<プロのサラリーマンであった自分について>である。見事に52歳でその目的を終え、その後は、無目的に役員として振舞うも、そのための努力はなんらなされぬまま、退職の日まで役員たらんとしてきた自分に気づかされたことは自らにとって、新たな発見であった。これこそ、未だに捜し求めていた最大の退職理由の結論であったかもしれない。プロのサラリーマンを目指した頃、少年時代にあこがれたプロ野球選手達が、人目を忍んで素振りに明け暮れる様を知っていた自分にとって、サラリーマンとして努力する素振りの数は、多分誰にも負けないくらいのものであったのだろう。(結果、能力以上の目標達成努力で団塊世代の大きな壁を乗り越えられたことは事実であろう。)

団塊世代のサラリーマンには、勝ち組もいれば、多くの負け組みも作られていったことは否めない。メモに残された目標は,決して勝ち組を意識していたわけではなく、負けない為だけの必死の努力であった。中途入社のハンデイキャップと、団塊世代という競争社会の中で、自然と「プロ」という言葉の中で、影での素振りが身についていったと思う。記事の中では、「プロのサラリーマン」という言葉をその意味で捉えてもらいたかったが、自らの説明不足の感は否めない。そして、団塊世代のサラリーマンは、多くの勝ち組とより多くの負け組みに別れて、その順番で今年から退職を迎えることになる。今回の取材を通じてもっとも主張したかったことは、「その世代に’ノーサイド’の笛が聞こえてくるのが<07年問題>であり、全ての団塊世代は第二の人生(60歳から?)において、改めて全員が勝ち組としての人生を歩むであろう」という予測であったのだが・・・。

当初から、(お互いに)暗黙の内に「取材の狙い」については話さなかった。おそらく狙いは、日経読者を意識して、団塊世代の悲喜交々な「アッパーサラリーマンドラマ」の連載であったのではないかと推測する。とするならばいまだ書けない(話せない)ことが多すぎたし、赤裸々な感情や恨みつらみが必要であったのでは、と申し訳なく思うのだが、果たして、記者の狙いと一般読者の感想は一致したのであろうか。もちろん今のところ、感想をメールしてくる(記事についての)評判は上々であるが、取材対象者を良く知るごく一部の方々の見解では心もとないにせよ、今後、多くのブログ読者の忌憚の無い感想を期待して止まない。

冒頭に「世代ギャップは埋まらない」との感想を記したが、記者の狙いと小生の我が儘な自己主張のギャップであって、本記事の意味するところは、全ての連載が終了した時点で再度コメントしてみたい。また(団塊世代の分析は団塊世代でしか成し得ない)との主張は「プレミアムエイジ・サイト」の趣旨であることも付け加えておきたい。

その上で、あくまでも記事を読んでの取材対象者の気付きを整理してみると、団塊世代サラリーマンは極めて多彩に存在し、能力不足を隠して人目をはばかりながら「素振り」を繰り返すことにより、負けない為の努力を重ねてきた多くの仲間がいた。自らの背伸びを認識するとともに、目標を見失うまま、結果として役員に上り詰めた後、そのための(経営者としての)素振りを怠ったことにも気付かず、退職を決意した事が、自らを(強く意識の中で)負け組みに置く理由にも繋がることになっているのだろう。この結論において、I記者との世代間ギャップが埋まらなかったとの想いへと至ったのだった。

最後に、気付きの中で役員以降の「素振り不足」の甚だしさは、退職への当然の理由であると確信するとともに、団塊世代役員として、財界に残る諸氏にも強く警鐘を鳴らしておきたい。サラリーマン時代の努力の延長線上では、決して役員(経営者)は成立せず、役員としての独特の「素振り」を怠ることのなきように。(もっとも、大手企業ほど、経営者向けコーチ不足であり、素振りの仕方がわからない面も多い。この事は日本企業のアキレス腱ともいえるだろう。多少知るところのトヨタ経営にはそのノウハウの強さが、今日の繁栄に繋がっているといえるのではなかろうか。)

そして生まれ変わったその時には、もう一度苦しい素振りの必要なサラリーマンにはなりたくないと、締めくくられた今回に記事に、改めて大きくうなずきつつ、その時には「プロの経営者」を目標に立ててみたくも思う〜自らの心の揺れについても告白しておきたい。

また、記事の中でブログ連載中の「団塊世代が行く」からの一部転載敵部分もあり、前後記載のフォロー不足で誤解を受けるかもしれない。出来ればこの機会に今回の取材のきっかけとなったウェッブサイト「プレミアムエイジ」の趣旨及び連載「団塊世代が行く」をお読みいただいた上で、ご批判をいただければ幸いである。