7月に世田谷区の福祉課からの紹介で生涯大学という所で
ライブをやる事になって 世田谷では俺は凄いんだ
先生だから
多分その日は満員
俺が脳梗塞で入院してた頃 風呂入れてもらうのさえ大変で
アウシュビッツの囚人みたいに並ばされて裸で待たされた
順番が来て裸にしろと文句を言ったがその頃は口が廻らず
フンガフンガって言葉にならず看護婦達が集まって来て
「そんなに怒んないの!」って
「入れてもらってるんだから」って
怒ってるのは俺だけで後の老人達は笑顔で週何度かのお風呂を楽しみにしておられて
赤ちゃん扱いされるのも平気で介護されていた
こんな病院出るって出た
その頃はぜったい治るって信じてたから障害手帳ももらわなかった
1年半も経って自分が障害者だと受け入れた
介護施設に入るのは本人も大変だが廻りも姥捨て山に入れる気がして
いろんな葛藤があって入るんだよ
親父がさおばあちゃんの介護していてさ
お袋は癌になって東京で入院していて
お袋が家に帰るとき 親父が苦渋の選択でおばあちゃんを施設に入れた
半年後いろんなストレスがたまってか親父が1番最初にあの世に行ってしまったが
それぐらい母親を施設に入れるというのは葛藤があるんだと思う
その半年後にお婆ちゃんがあの世に
その半年後にお袋が
その半年後に師匠の三平を亡くしたのだが
俺も親父お袋の年を越えた
死ぬときは何とか楽しく死ねないものかと思うのである



