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老いの品格  <李白 はるかなる時空のひろがり>

CIMG1467a.JPG 李白は漂白と流浪の詩人である。西暦701年、蜀に生まれ62歳に没した。任侠の士ともいわれるが、豪放と繊細、陶酔と覚醒、世俗性と超越性など、遺された詩の心象には、人智をこえたはるかなる時空のひろがりを感覚的に可能にする詩人であった。

 李白の詩と特性はまず、その多様性であり総合性である。天下国家の議論から、酒、女性、旅愁、風景、哀傷まで李白によって歌われないものはない。古詩、律詩、絶句、排律まで全てに得意であった。「奔放」と「飄逸」は李白を形容するものだが、その言葉の裏にある「絶望」と「悲哀」こそ李白の本質があろう。

 一生の大半を孤独な旅人として過ごした。孤独とは一人という意味で社会との断絶を意味しない。李白にとっての女性はいつも妖艶で美しい。酒は三百杯をささげ、風景には切り裂く猿の声が響き、哀愁は夢みて揚州に達した。

 棄我去者       我をすてて去るものは
 昨日之日不可留    昨日の日にして留むべからず
 乱我心者       我が心を乱すものは
 今日之日多煩憂    今日の日にして煩憂多し
 長風萬里送秋雁    長風万里 秋雁を送り
 蓬莱文章建安骨    蓬莱の文章 建安の骨
 中間小謝又清發    中間の小謝また清發
 人生在世不称意    人生世にありて意にかなわず
 明朝散発弄扁船    明朝 髪をさんじて扁舟を弄せん

 私を棄てて去り行くもの、それは昨日という日であり、どうしても留めることのできない過去の時間である。そしていま私の心を乱すものは、それはほかならぬ今日というこの日、苦悩に満ちた現在の時間である。人生はままならず、髪を切って気ままな身の上、自由な天地に身を解き放とう。

世路有屈曲       世路には屈曲あり
 三萬六千日       三万六千日
 夜夜當乗燭       夜夜当に燭をとるべし

 歳月のなんと過ぎ行くことか。人間の生きがたさはなんということか。そして、だからこそ現世的な歓楽にたいして積極的でなくてはならない。人生の達観でなく確認である。歓楽の充足による人生の確認である。三万六千日とは百年である。永遠の屈曲の中で毎晩燭をとり現世の確認をするという李白の心象は「生きたらしく生きる」と言う。「しかして、浮世は夢の如し。歓楽をなすこと幾何ぞ。古人は燭をとって夜遊ぶ。まことに以あるなり」と記している。

 行路難    
 行路難
 多岐路
 今安在
 長風破浪会有時
 直桂雲帆済青海

 歩みがたい人生の行路 選びがたい人生の岐路 心静かにいきてゆくことの喜びは、いまや、どこへいってしまったのか。

 李白は続けて詩う。

 しかし長く吹き渡る風にのって、人生の大浪を克服する。その時が必ずくる。その時一筋に雲のようにひろがる帆をはって、時空の大浪を渡ってゆこう。

 李白の品格は限りがあり行きがたい人生にひとすじの雲帆をかけて輝いている。

 

 

3 月 30, 2008   No Comments