<老いの品格> アンキエチュード(inquietude)の時代
時代を映す言葉はボルテールの時代から仏語であった。革命とはフランス革命であり、自由(リベルテ)、平等(エガリテ)、博愛(フラテルニテ)がアメリカの独立につながる。19世紀には資本主義思想から共産主義(コミュニズム)がパリに逃げていたレーニンとマルクスに思想化されてロシア革命につながる。20世紀戦乱のなかで、存在と構造が叫ばれて、サルトルがカミュがでた。
ちょうどその頃団塊より一寸前の世代がその思想に洗われていた。チョムスキーやソシュールが潮流にありその新しさにかぶれてもいた。
60年代、70年代、80年代、90年代と時代のシンボルが数々のカレイドスコプのようにめぐるましく変転してゆくが経験すると<あーそうだったな>程度の感慨しかない。なぜなら若いエネルギーがその激しい変転をむしろ迎えにいったか、或るいは変転する激動を喜んでいた節さえあったからだ。
そして我々の世代が60才を超えてきた今急速に帷をおろすようにたちこめてきている暗雲はなにか。いいしれぬ不安、正体の見えぬ不安だ。
フランスの世論紙ルモンドは現実の暗雲をアンキエチュードと喩えている。
世界は今アンキエチュード(いいしれぬ不安)の真っ只中に居る。飢餓に対する不安、死に対する不安、裏切りに対する不安、財産を失う不安などはっきりした不安はその根源がわかるからまだいい。しかし<いいしれぬ不安>アンキエチュードは不安の最上級にあって解決への出口がない。
これからどうなるのかどうなってゆくのか?まったく見えない。
最近なった日本の首相は三世の坊ちゃまだが、「今最大の問題は我々をとりまく不安だ」と記者会見で言ったそうだ。この坊ちゃまはこの点だけだが直観力がある。しかしどの程度この直観力をいかした政治ができるか御名御璽などと言っていることからすると買いかぶりにすぎないのだろう。
保守とはコンサーバティヴのことで本当の意味は失うものをなくすことを言う。保守とはキープとプロテクトのことでなにもしないで失うものを極力排除することだ。だから保守は動こうとはしない。動く気配だけですます。
現役を離れ、あるだけの金銭で暮らす世代となると動けば金がなくなる。だから動かないようになる。即ち自らのなかに保守の種をまき始める。頭と体の不一致が見えてくる。歳をとるとは自らの保守性を実感することなのか?
保守性といいしれぬ不安。
それが現在我々にのしかかる。
フランスとフランス語の話し

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