<老いの品格> 人生を癒す歌を歌う
10月7日 4時間の昭和の歌の長い番組に張り付いた。
番組には歌詞のインポーズがあって歌おうとすればカラオケになる。
声を出して歌ってみた。御殿場の山荘で一人だったから歌おうと踊ろうと自由。
歌ってみるとなんと歌詞の意味が伝わってくることに驚かされる。
木綿のハンカチなど歌っていると涙がでてくる。
都会に出て情を他の女に移した若人がふるさとに待つ恋人にうたう。
<恋人よ ふるさとに帰れない。>
女が歌う
<恋人よ、せめて涙ふくハンカチーフを送ってください>
1970年代から歌は時代を動かしてきた。時代の鏡じゃなく時代をむしろひっぱってきたんじゃなかろうか。
刹那的な笑いを誘う今のお笑いものとは違う。なぜなら歌っていると思い出されて涙がでるほどだから。
今の柳原や小島よしおや江戸はるみの芸で後ほど涙する人がいるだろうか。
千の風は友人の新井満がつくったがなにかピンとこない。
宮崎駿の作品のうち何作品かに関わったがこんなに日本人を捉えるとは思ってもみなかった。
何か私のエンタテイメントの感覚が狂っているのか日本人の感覚がおかしくなったのか,敢えて自問自答する。
言いたいのは本当に素晴らしい作品に脚光が当たらず時代に埋もれてしまいどうでもいい作品(宮崎駿には失礼だが)が謳歌する風潮が嫌いなのだ。
私がプロデューサーで関わった黒澤監督の最後の作品は「まあだだよ}という。映画が楽しさだけでなく時代を映し、後世に何かを訴える何かが重要だとすれば、黒澤が晩年なにを言いたかったのかがこの作品に充満している。
結果論でどのくらいのひとが見たかの数字を競うだけなら、人間の欲望を直接みせるのが良い。ほんのりともうやめるもうやめるといいながらアニメをつくりつづける偽りの宮崎を賛美すればいい。そうじゃないだろう。
日本人は昔から個人に意見が希薄だ。もっと自身をもっていやなものやそうじゃないだろうという言葉をおおぴっらにしていかないといけないと思うが皆様はどうだろう?と思う。
フランスとフランス語の話し

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