この道はいつか行く道
世界の人口は60億人。日本では2035年には2700万人の人たちが70歳を超える。実に全人口の25%が高齢者と言う社会となる。先進国はみな同じ問題のなかにいる。
そのなかで皆が考えたがらないことがある。それがいずれ誰もが経験する死とその葬祭に関する事柄についてである。
人間は誕生すると同時に死への旅路を歩む。旅立つものと残されるものの間に葬祭文化が生まれてきた。
死者をどう弔うのか。それは究極の人間の文化ともいっていいだろう。ピラミッド、古墳、王の廟などが建設されて今日までその文化の有様を伝えている。
今日世界の埋葬を見てみると、火葬率のトップは日本(99.8%)である。米国の32%と比較するとその高さに驚く。一方都会の墓地の不足と墓地の高騰、供養費や墓地の維持費用は多額なコストは益々多大となってきている。
このような時代背景にありながら、死者に対する配慮や亡くなったものの意志が反映されずに葬祭ビジネスと旧態寺社会のなかでセレモニービジネスが完結されてきたのが実態であろう。
益々家族形態が複雑なものとなり、少子化と老齢化が進んだ社会では、地域共同体のなかで安定した生活はどんどん崩れてきている。従来の檀家を中心とする共同体的埋葬の方法は大きく変化をとげつつある。
海外ではハワイ、地中海、アルプスなどの自然界に遺灰を撒いて弔う方法が一般的になってきている。しかるに日本ではこれまで法的な問題や宗教の規制から自然葬の考え方は遍く受け入れられるにはいたってなかった。
しかし、最近になって新しい考え方が1991年の墓埋法の解釈により管轄の厚生省は「墓埋法は遺灰を海や山に撒く葬法は想定しておらず法の対象外」という旨の見解を発表し法務省も刑法190条について「葬送のための祭巳として節度をもって行われるかぎり遺骨遺棄罪に該当しない」いう旨を示した。
フランスの社会心理学者のユージン・ペルーは「地球は生きるものと死者のものだ。自然とともに死者があるというのも考えてみなくてはならない」と言っている。
これをもって「節度をもった自然葬」が行われるにはどのようにしたらよいのかが判断のわかれるところとなっている。方法、場所、形式、配慮、宗教等の問題解決と亡くなった人の意思の確認の方法などの課題である。
自分の死後自分の骨を瀬戸内海やふるさとの海やなかには地中海に撒いて欲しいと願っている人たちは実際ますます増えているし、その意志にどう答えてゆくかは今後の新しいテーマとなりつつある。
ベルセーとはフランス語で静かに撒くという意味。ゆりかごという意味もある。
最近では島根県の隠岐諸島に浮かぶ面積1000平米のちいさな無人島が国内で初めて丸ごと散骨所に姿をかえた。都会にすみ「最後はふるさとに帰りたい」という人らの願いをうけて、戸田葬祭サービスが地元出身の有志と共同で島を買い取り、料金は地元出身者で11万2000円、地元以外で20万円前後で受け付けている。年間100人以上を見込んでいる。散骨所は管理運営会社が「国立公園内なので人の立ち入りも制限し散骨後は島全体を見渡せる対岸の慰霊所から供養するという。
また海外ではフランスの景勝地でありカトリックの聖地であるブルターニュのモン・サンミシェルが納骨所を解放しているし、コートダジュールの海にも遺灰を撒く習慣が定着してきている。故人の意志により様々なやり方が存在する一方、実施する業者の不足や海外での経験が不足している。
2006年には人間の遺灰から炭素を純粋に取り出してダイアモンドに合成する技術が開発されてスイスのアルゴールダンツァという会社がその営業に乗り出している。予算も0.2ctで40万円からあり永遠の光を保つメモリアルとなっている。
故人の意志により自然葬により弔う。意志は保険で担保する。自然葬保険が生保のなかに組み入れられる時代は近いでしょう。明確な意志があってはじめて確固たる葬送の方法が決まるのです。
まだまだ日本では自然葬に関する啓蒙が必要なのが現状。2009年初頭には自然葬の意志の確認を担保すると同時に実際の葬送の事業者との連携を受けたNPO「日本自然葬協会 JNFA」の発足が待たれている。
12 月 7, 2008 No Comments
フランスとフランス語の話し
