プレミアムエイジ ジョインブログ
Random header image... Refresh for more!

Posts from — 1月 2009

歴史を物語る、ある写真

IMG_1445.JPGIMG_1446.JPG 今からもう30年も前ある写真を見つけた。パリ、19区クリニャンクールの蚤の市の一角に古本の束のなかに埋もれていた一枚の写真である。厚い紙に写し取られている写真には四人の武士がちょんまげスタイルで大小の脇差を抱えて紋付はかまの正式な礼装でおさまっている。

 帰国してもそれについて詳しく調べるでもなく保存しておいた。

 そしてある日、司馬遼太郎 飛ぶが如くを読み始めてあっと驚いた。

 「パリに日本の国使が最初に訪れたのは、1862年(文久2年)三月九日である。
幕府の遣欧使節団で正使は竹内下野守、副使は松平石見守、目付は京極能登守でほかに二十人ほどの吏僚、および三使の家来集が十人ばかり従っていた。
 傲然として大小を横たえ、

 と、パリでの一行のことを書いているのは通訳官として使節団に加わっていた福沢諭吉である。福沢は豊後中津藩士ながらこの時期幕臣待遇だったから、幕臣という高等官のシルシともいうべき黒漆定紋入り裏金の陣笠をかぶり、白緒であごを締め上げていた。

 それに白い鼻緒の草履をはき絹の紋服に羽織袴 福沢の言葉を借りれば我こそは日本の武士なれ という姿でパリじゅうを歩き回った。

 三人の使節団は狩衣に烏帽子をいただき腰には鞘巻きの大刀を佩いていた。随行員の長である外国奉行支配組頭柴田貞太郎は烏帽子でふとった腰を鞍の上にすえ、他は熨斗目上下姿で騎行した。」

 と司馬僚は「飛ぶが如く」を書き進めているではないか。

 なんと蚤の市で古本の束に隠れていた写真はその当時使節団がパリにあるナダールという高級写真館で撮影されていた写真である。

 文久元年の記述と四人の使節団の写真の上には名前が漢字で記されている。写真の上に重ねて現像したものであろう。

 今年の秋には司馬僚の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化されるそうだ。長編小説だが、四国松山出身の近代和歌と俳諧の師、正岡子規と日本騎兵の祖、秋山好古、太平洋艦隊参謀、真之兄弟を中心に書き連ねた壮大な叙事詩である。

 幕末から外国列強国にアジア諸国はその植民地化されるなかで、島国日本は大人と幼稚園ほども違う民度を乗り越えて、日清、日露の大戦で勝利をおさめるにいたった。薩長土肥という藩閥政治ではあったが、薩摩からは西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌、長州からは高杉晋作、吉田松陰、山形有朋、児玉源太郎、乃木希介、土佐からは坂本竜馬、備前からは大隈重信などの傑出した人間像を産出していった。

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」とは昭和の時代を目の前にして中村草田夫が歌った言葉だが、明治ほど日本人が一つの国民として意識されたことはなかったとは司馬遼太郎の言葉である。日露戦争の旅順の戦では10万人という兵隊が銃剣をぬいて白刃の死の突撃を敢行した。国のために死ぬことは誉れであると幾ら教育されてもいざと言うときには人間死ぬ恐怖はいかほどであったろう。

 それでも203高地にむけて声をかんざきながら突進していった当時の兵隊には始めて国家というものが意識され、戦に負ければ北海道、対馬がロシアのものとなり、長崎、博多港は外国租界となり、結果、日本国家が崩壊するというデスパレットまでの魂があったからだろう。

 その時代以来大正、昭和と第一次、二次の大戦に日本は突っ込んでゆく。
 司馬僚はその原因を陸軍軍人の官僚化と国家意識の劣化にあると喝破した。そして日本は1945年8月敗戦を迎えた。「国破れて山河あり」とは劣化し官僚化した国家意識が破れて山河ありと解するべきだろう。

 1945年の敗戦、そして1947年からの戦後のベビーブームの世代が団塊の世代であるが、とくにこの世代は戦後のどさくさの残りを経験し、安保闘争を経験し、その後の経済成長をみずからの肉体で味わい、バブルがはじけて還暦となっていった世代である。

 この世代が舞台から去ろうとしている今、日本は老朽化した官僚主義がはびこり、経済は低迷して危機のまっただなかにいる。

 巷では政治家が維新、維新という言葉を弄しているが、徳川末期から明治の時代を駆け抜けた維新の志士が時代という坂を後ろなどを見ずに駆け上がり坂の上にある青い空にかかる雲を見据えたような裂ぱくの意気がなければ維新など程遠い。

 30年前、パリ、クリニャンクールの蚤の市で見つけた遣欧使節団の古びた写真はそのことを問いかけているように思われる。

1月 18, 2009   No Comments

最近感じること

 自惚れて言っていない。
 最近いろいろ発言したり書いているいることに世がついてくるようになってきた。
ずっと前にジャポニカをサイトで書いた。いまのマスコミ(雑誌もテレビも)全体が同じ事を言っている。ただし散骨を除いて。

 本日女房の件で慈恵病院に行った。毎月一度の外来だが、受付から大きな張り紙が目立った。

 海外十数カ国での鳥インフルの出現で海外からの帰りや高熱38度のかたは申し出るようにの張り紙である。慈恵に張り紙がでたのははこれが始めてである。本日の日経には、北京での鳥インフル患者の死を伝えている。

 鳥インフルについてはジャポニカにその伝播について書いたが、雑誌プレミアムエイジ冬号(近日中発刊)ではこの予言は省いた。

 どうも鳥インフルは身近に迫っている。

 今のところあれほどさわいでいたテレビでは報道を差し控えている。これが危ないことのしるしではないかと疑う。

 私はどうもなにをやっても皆より半歩はやい。蒼い果実を食う習性がある。いつもそうだった。熟したときには他に食われたことが多い。

 鳥インフルについては私の習性がはずれていることを祈るのみだ。

 

1月 8, 2009   No Comments

無限と有限 しのびよる第三次世界大戦の恐怖

 2009年初頭に想う。

 「存在と時間」というハイデカーの名著がある。読んだのはもう40年前になる。当時は何が何だかさっぱり判らなかった。だが最近少しづつだが輪郭がわかるようになってきた。

 存在を理解するには時間がかかるし、時間を知るとは存在の有限性を把握することにほかならない。有限とは無限が存在しないことでなく、無限とは有限でないことではない。

 宇宙を考えてみればよい。

 太陽系があり、銀河系があるそうだが、驚くべきはその宇宙が今でも膨張しているという事実である。膨張するとは際限ない空間があるからである。空間はどれほどの無限性なのか。

 眼をミクロに転じればもっと理解しやすい。ミクロンやそのもっと極小な世界にいたっても際限はない。いわば極小な世界も無限である。即ちリミットがない。

 人間の世界は有限と無限という言葉をつくった。この言葉と概念は人間の世界だけである。ほかのいかなる地球上の生物は有限、無限などというこじんまりした概念からは遠い永遠性のなかで存在してきた。

 存在とは時間の永遠性のなかの一点での形象で、形象(phenomene)はそう見えるだけに過ぎない。

 すべてのことが単におぼろげに見えているだけで確実(certain)ではない。不確実なのだ。
不確実な構成の上に我々人類の歴史がある。不確実であるがゆえに確実なものを争った。それが戦争である。

 すなわち不確実性が高まれば高まるほど争う危険性が高まることになる。20世紀だけで2度の世界戦争を惹起した。19世紀には無限の戦いの歴史を経験した。そして21世紀の初頭の2009年を迎えている。

 100年に一度などという危機にある。北半球の開発国にさえ失業者が巷にあふれ、覇権国家の米国が炎のなかにある。南半球のアフリカの民や未開發国の民はその存在すら忘却されている。

 第二次世界大戦以来これほど不確実で不安が蓄積されている時代はない。

 今アイルランド、グルジア、スーダン、エチオピア、イスラエル、パレスチナ、イラン、イラク、パキスタン、アフガニスタン、ロシア、北朝鮮、ミャンマー、バングラデッシュ、インド、中国、キューバ、エクアドール、ブラジル、チリー、ペルー のどこに火の手が上がろうが不思議ではない。宗教的、民族的、歴史的、経済的な諸問題がよこたわるが、契機は常に憎悪である。憎悪とは不安と不確実なものの構成物である。

 人類が21世紀にあけようとしているパンドラの箱、戦争しか現代の不安を鎮める方法はないのだろうか。

 

 

1月 6, 2009   No Comments