大和路逍遥
大和路逍遥
「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」
「ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににおいけり」

今から43年も前、青春と500ドルを握り締めて横浜を片道切符でユーラシアに放浪の旅にでた。二年の欧州滞在を経てパリからカルカッタまでの2万キロをボロVWで踏破。「荒野を目ざせ」や「深夜特急」より数年も前の自分の行路をひもといて「わが追憶のシルクロード」を自主出版した。出版は自分で起こした団塊文庫からのものだ。出版会社に任せるなんてなんの意味もないからだ。
幸い白黒だが写真が残っていた。前年92歳で亡くなった母親がパスポートと一緒に箪笥にしまって置いてくれた。母が保管してくれていなければこの紀行はとても書き残すことは出来なかったろう。写真を見ると当時のことが眼前に現れてくる。母の想いは深い。
シルクロードの一方の先がフランス・リオンそしてもう一方は奈良平城京である。距離約2万キロ。私は1978年当時中国を走ることが物理的に不可能だったので敦煌や西域のシルクロードを経験してはいないが、現在では危険で不可能なアフガニスタン、イラン、パキスタン、トルコ北部を経由してシルクロードの一方の都リヨンからカルカッタまでを陸路旅した。
1969年帰国して翌年、大手広告代理店に入社。海外駐在も含めるとユーラシアのみならず地球上のほとんどの国を訪れ仕事をし、テレビ番組や映画をつくった。
そして2010年3月12日齢64歳を迎えている。そして今 私を動かすものがある。その衝動は20年前の突然の衝動に似ている。それは土への衝動であった。富士のふもとの陶芸工房の門を叩いて、大きな壺をただただ、ひもづくりに没頭した。できたものはこの世のものとはいえないようなグロテスクなものだったが工房の主人で加藤陶九郎登り窯の承継者は面白いと言った。それから20年陶芸は自分を表現する大切な手段となって富士のふもとに窯をもうけてせっせと続けている。今年7月には第6回の個展を深大寺で開く。
今私を急がせているもうひとつのものがある。それは大和路奈良の古寺と仏像との邂逅である。奈良は高校の修学旅行から一回も行くチャンスがなかった。シルクロードの一方のフランス・リオンには数十回と足を運びフルヴィエールの丘のノートルダム大聖堂のマリア像を拝顔しているのにだ。なんという精神的偏在であったことか。
大和古寺については、和辻哲郎「古寺巡礼」、亀井勝一郎「大和古寺風物誌」白州正子「私の古寺巡礼」が大和路の心の遍歴を著している。
また最近の日経では「かんのんの道」を特集している。やまと平城京遷都から今年が1300年にあたる。
しかしどうもいずれもしっくりこない。和辻哲郎「古寺巡礼」はあまりに教科書的で優等生すぎるし、亀井勝一郎「大和古寺風物詩」は戦前に大部分を書いたからか精神的にナショナリスティックに流れると思うと戦後の記述では価値観がとぶ箇所に迷ってしまう。白州正子「私の古寺巡礼」は平明でよいが、いいところの出の子女が文化的に耽溺したようなブルジョア好みにしらけてしまう。
そこで自らの眼と感覚を信じることにして、大和へのたびにでた。
旅に従い古寺逍遥の道を辿った。
プロムナード
一 平城京と法華寺「十一面観音」逍遥
二 唐招提寺「金堂三尊」逍遥
三 法隆寺 五重塔、「百済観音」 逍遥
四 聖林寺 「十一面観音」逍遥
五 吉野の桜 逍遥
六 長谷寺逍遥
七 興福寺「阿修羅像」
八 東大寺 大仏 法華堂 「不空けんさく観音」日光、月光菩薩 逍遥
次回から順繰りに書いてゆく。
4 月 9, 2010 No Comments
フランスとフランス語の話し
