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Posts from — 12月 2010

奇説一章 老人の迷宮

日の昇る国と言われた国があった。国の名前はじゃぱん。極東の小さな島国だったが、2015年にはいつの間にかアジア諸国の中の目立たない自閉症のような国になっていた。既に2010年には中国に国民総生産GDPの座を譲り渡し、一人当たりGDPでもシンガポールに300ドル近くも離された。シンガポール・チャンギ空港には年間4000万人の利用客があり、ジャカルタ、クアラルンプールの各空港が成田を抜く日が迫っていた。
 この国の人達は感覚は鈍くないのだが、行動に移すのがとても遅い。現実対応ができないのだ。だから問題は常に先送りされる。防衛、社会保障、国家予算、環境、外交という国の基本に対しても明確な指針がない。1946年以降の日本は自国で決定したものなどなかった。、
 それでも奇跡的な経済的発展を遂げ、米国についで世界第二位の経済大国となった。
 だから無為無策で米国に追随することが最善の策となった。敗戦後64年間で30人近くの首相が現れ消えていった。そのすべてが米国日本領管理人だった。そんな政治にも変革風が2009年吹き民主党による政権交代が起きた。
 期待された政策はやらないから実現できず、夢想家、鳩山、市民運動家 菅もそれぞれ365日も持たず首相の座をおりた。
2011年はそんな逼塞した状況とまったくの五里霧中のなかで年をあけたのだ。

 2015年春政治は中国に追随する中民党と米国に追随する米民党が存在する。結局自主的外交などできず、中国、米国からも尊敬されず唯々諾々の日本がある。その状況は東京、新宿、渋谷、銀座でなく、赤坂や、六本木、新大久保の街を訪れてしっかり目をあけて現実をみてみれば明確に把握できる。街はアジアの国々からきた人達であふれ中国、韓国、台湾、フィリピン、インドのエンタテインメントで埋まっている。ためしに新大久保の駅におりたってみればよいのだ。ソウルのミョンドン街がそこにある。韓国旅行に行く必要もないくらいにそこは韓国なのだ。国を分けるのはもうなにも必要ないかのようだ。唯一残されているのが言語の壁だが、幸いにもその壁があるおかげで文化がたもたれている。

 楽天という企業が社内言語を英語に統一するようなことを一時的には採用したりしたが、2011年やはりすぐ撤回したのは大正解だった。言語だけが祖先からのDNAをつなぐものとなる。

統計は正直なもので2015年には、65歳以上の人口が3000万人にせまる。人口の4人に一人が働かない世代となる。2010年には一円パチンコ店が出現した。時間をもてあました老人たちでいっぱいとなった。ウィークデイの病院にいってみるとよい。敗戦後の上野のガードしたに身を寄せていた人の群れががいまや立派な服そうで待合室を埋めている。その寂しさには何か共通に漂うなにものかがある。時代をこえて迷い込んでしまったラブリンス、老人の迷宮ともいえるものだ。

 

 

12月 31, 2010   No Comments

嵐の奇説 <2011~2015> 序章

嵐の奇説 <2011~2015>
 人間ははたして生きるために死すのか?死ぬために生きるのか?食するために生きるのか?生きるために食するのか?生きながら死んでいる状態もあるし、死んでも生きていることもある。虎は死んでも皮を残すし、人間は遺すと「あの人は立派に財産を遺した」と賞賛される。一方、死んで花見が咲くものかとも言うし、どうせ死なや何もかも零とも言う。人生長くなって「人生わずか50年流転のときにくらぶれば夢、幻のごとくなり」とも謡ってられない。古今東西このテーゼはすべての文人だけでなくありとあらゆる人の永遠のテーマとなった。だから「To be or not to be」とは「あるかあらぬか」でなく「死すか生きるか」が正しい。坪内逍遥は『存ふるか、存あらぬか、それが疑問ち”や」と訳した。

 2010年が明日終わる。21世紀の最初のdeca aniが終わる。2006年小生は「ラプソディジャポニカ」で2012年までの日本を占った。驚くべきことになんと2010年11月と予言したオバマ大統領の暗殺以外、ほとんどが該当ということになってしまった。<これは当たらなくて本当に良かった>いままでのところ。

 暗い事象があたらぬことを祈ったが暗いことほどあたるのは悲しいことだ。占ったように中国が未曾有の70兆円を中国ニューディールに投下、米国がバーナンキの指示でヘリコプターでグリーンペーパーを空から撒いた。結果2010年はこの資金がブラジルのコーヒー園に中国北京や上海のインフレにインド、ムンバイの、むしろ敷き貧民街が高層街に生まれ変わっている。挙句に少しはその恩恵にとの思惑は日本までには届かず置いてきぼりジャパンとの世界の論調だ。

 みんなが気になるのは言ってみてもせんのない政治やマクロ経済なんてもんじゃない。井上陽水に「かさがない」がある。「若者の自殺者が増えている、深刻な話をテレビでしている、だけど問題は今傘がない」、雨は降り続いているのだ。

 だから政治や経済などの詮索や占いはもう止めた。所詮なるようにしかならない。民主
党だ、自民党だ、みんなだまったく仕様がないし語るのも至極疲れてた。

ここで洞察するのは直感で理由などないが、100パーセント確かな我々の未来だ。だから逃れようもない。みながおぼろげながらも認識しているが認めようともしないこと、それが真実の現実となる。

何回に分けて書いてゆく。どう皆様が受け取ろうが構わないからコメントなど要らない。問題は必ずくる未来にどう絡めとられるのかだけだ。

 すべての憂いに備えるために金銭が役立つとしたらだが、用意するとしたら、2011年の2月か3月に一回だけみなに金銭的備えの機会が訪れる。コストをあらゆるところで削減し未曾有の金銭備蓄を果たし、中国のおかげでこれまた記録的利益を上げた日本の利己的リーディング企業の決算がようやく東証を動かして日経平均12000円が演出される。2割から3割株価があがるからこれが最後の機会となる。ここを逃すともうあとはないものと思うこと。

目次
Chapter 1
大人のウヲンダーランド 、若者のやけpatchランド

Chapter2
無縁社会

Chapter3
きずな

Chapter4
EE janaika 新たな狂い咲き宗教の出現

Chapter5
孤独とたたかう

以上2011年初頭から書いてゆきます。

12月 30, 2010   1 Comment

生き恥を晒さず

 人生65年も生きてくると色々なことがついてくる。今日は言葉だが、仕事の都合や興味もあり環境もあってそれこそ英国に、仏国に12年、人の生き様や考え方に出会うとそうかと驚くことが多かった。一昨年から中国に興味をもって、言葉から入ったのだがようやく検定2級をとり中国人と話すとまた違う。今年夏から韓国語を始めた。これがまた違う。

 まあ驚くのだが、最近では政治だの社会的事象だの日本人の生き方や考え方も異常になってきた。「昔生き恥を晒すな」なんて言う日本語があったのだが、そこで他国ではとしばらくじっくり思い出してみた。

 フランスでは確か「Libre c’est vivre」自由たれ、それが生きることだ。てな言い方があったな。縛られずに生きる。フランスのいいことはこの一点で明確なことだ。個人個人の地についた生き方が見えてくる。

中国語には「活結」という表現がある。いわゆる日本でいう花結びのことだが「一方をひくと解ける結び方」で決してがちがちには結ばないことを言う。「知に働けば角がたつ、情にさおさせば流される、意地ととうせば窮屈だ。」漱石さんは中国文化に通暁していましたからむしろ中国表現の生き方なのかもしれません。

 韓国には「犬のくそを食らっても生きるほうが死ぬよりまし」という表現があるそうだ。ハングルでここに表現したかったが、まだ無理。

 どこの国にいっても「生き恥をさらすより死んだほうがまし」らしいのはあるようだが、現代日本にはこの表現があまりきこえなくなったのは確かなようだ。

 

 

12月 21, 2010   1 Comment