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平安王城の秋

御所紫宸殿に立つとみえてくる。平安の時代の魂ともいえるものがである。
 紫宸殿の前庭に植され冬にも青々と枝を天にもたげる右近の橘と春この世の美しさを謳歌しながら、まさにその絶頂に散る左近の桜,平安は全くそのような時代であった。
 西暦794年、時の天皇、桓武は新王朝の創始を強く意識し、自らの主導による諸改革を進め平安京への遷都(794年)を断行した。それから天皇33代、時代は公家から社会の末端にようやく生きることが許されている白拍子から傀儡子まで堂々と時代を彩った。
 「 歌は世につれ、世は歌につれ」、とは江戸時代のことばだが、歌は際限ない時代を映してきた。
大内裏の正面を横切り二条大路を東に京極を越え鴨川をわたり、まっすぐ東山にいきつくところに水石風流の地とうたわれた白河殿が営まれていた。院の御所と定められたところである。そこから鳥羽つくり道を南下すると鳥羽殿がある。そこが平安の魂というべき院政が敷かれたところとなる。
 平安をうかがうには後白河天皇がのこした梁塵秘抄がある。今様といわれる五七調四句歌である。
此の頃京に流行るもの 肩当、腰当、烏帽子止め、襟の立つ型、錆び烏帽子、布打ちの下の袴、四幅の指貫
また京に流行るもの、柳黛髪似非鬘、しほゆき、近江女、女冠者 長刀もたぬ尼ぞなき
 後世南北朝後醍醐天皇の時代二条川原の落書は平安の梁塵秘抄今様歌を変えて
 「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨 召人 早馬 虚騒動 生頸 還俗 自由出家 俄大名 迷 者 安堵 恩賞 虚軍 本領ハナル、訴訟人 文書入タル細葛、追従 讒人 禅律僧 下克上 スル成出者・・・・. このごろ都にはやるもの。夜討ち、強盗、にせの天皇の命令書。」と諂っている。
 平安の世は400年、この時代ほど人が天国と地獄の図を描いて見せた時代はない。
京中が鄭都いらい初めて市街が戦場となって保元,平治の乱が戦われ、一瞬にして京は灰燼にまみれた。治承・承久の乱、白河、鳥羽の葛藤、後白河と平氏、源氏との対立、は一貫して鎌倉につながるまで雅の貴族文化は凋落の一途をたどってゆく。まさに王城の秋であった。
 奈良の時代に荘厳と建立された仏法と東大寺、興福寺などの南都の威厳がくずれ、京洛北比叡と三井寺も長刀大刀を携えた僧徒であふれた。
清盛が叔父を斬首し、義朝は実父為義を斬った。白河法皇が鳥羽の中宮に子供をつくらせ、崇徳天皇にまでした。
そして義仲が兵をあげ、義経が平家を討ち、頼朝が鎌倉幕府をひらく。まさに幕府が開かれたまさに1192年、平安の魂を具現していた後白河法皇が崩御した。
日本の中世の明暗を眼前に彷彿させる王城の秋をシリーズで描いてゆきたい。
余の春ーー 白河天皇、上皇、法王
保元 平治の乱
余の秋ーー 後白河天皇、上皇、法王
木曽義仲
源義経
源頼朝
後鳥羽天皇

1月 31, 2012   2 Comments