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信西自ら生き埋めを命ず 小説<王城の秋>

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by dankaita
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 放免の源蔵が息せき切って姉小路の我が屋敷に飛び込んできた。口から泡をふいてことの重大さを告げていた。
「お館殿」
 源蔵は普段から拙僧を昔の日向守の名前で呼んでいた。信西はもともと鳥羽院治世の進士蔵人実兼の子であった。のち
 長門守高階経俊の養子となり日向守通憲と名乗ってめぐまれずに階前の御用奉仕に明け暮れていた時代があった。源蔵は清水の社寺で法主妙信と結託して没落公卿や武士に金貸しを生業に生きていた。
 その時代信西は妻朝子が雅仁親王(のち後白河天皇)の乳母となり、その人脈でのし上がってゆく。のし上がる信西に金を融通したのが源蔵だった。
源蔵はその後清水の法主妙信の賄賂事件で連座して牢につながれるが、信西がその罪をゆるして今では京の放免として名をなしていた。
 「重大事でござる。藤原信頼が大軍でここ姉小路に押し寄せ火をかけようとしております。お逃げなされませ。」 頼みの清盛はもう七日も前の十二月四日に熊野参詣に向けて出立してしまっていた。
 「そうか、女、童に先に逃げよと申せ。わしは秘蔵の月毛の馬と舎人成澤をつれてひそかに南都方向に逃げる。妻朝子二位の局は後白河の君に従え。信頼も上皇の乳母にまで手をだすまい」
 右衛門督信頼と信西とは後白河の寵愛を同時に受けていたが、信頼が大将の位を院にねだったことから、信西との仲がこじれていった。いまや信頼は信西一門を滅ぼそうと左馬頭義朝と陰謀を語らっていた。
 信西は月毛の馬にまたがり密かに夜の闇にかくれて姉小路の屋敷をでた。遠く東山連峰に上弦の月がでていたが、三日月では漆黒の闇を照らすほどではない。
 「宇治をめざせ」舎人成澤に信西はそう告げた。
 東山をよじのぼり、山科から奈良街道を南に下って行く。醍醐の地を経て宇治路にかかり田原の奥大道寺に至るのだ。
 その時であった。東の空を彗星が赤く尾をひいて流れてゆく。木星が亥の方向にあった。天変の相であった。信西は天文を推察するにたけていた。
 「忠臣が君にかわる相とでた。この信西君に代わるなどおもうべくもない。とすれば忠臣とは誰のことか」 と黙々と歩みを進めていた。振り返ると鴨川の東、三条殿と姉小路あたりが火につつまれているのか明るくなっていた。
 「信頼め、御所の上皇にまでせまったのか」信西がうなった。
 三条殿の様子はそのときいいようもないくらいだった。各門を武士たちが固めていたが、各所に火をつけられて猛火が虚空に満ち暴風が煙雲をあげる。御所の階前を公卿があたふたと黒い歯をみせて逃げ惑う、女御たちは尻をはしょって庭の池泉に飛び込んでしまう、それを信西の一門と見間違えたが信頼の軍勢が切り捨てる。地獄の様相を呈していた。人間はかくまでも陰惨なものか。火にやけまいと外に出れば矢にあたり、矢にあたるまいと帰れば火に焼け、矢をおそれ、火を避けようとするものは御所の井戸に飛び込んだ。最初に飛び込んだものが溺死し、その上に飛び込んだものは、さらに上に重なって落ちてくるものの下で圧死した。
 上皇は御所のなかで信西の息子の俊憲と貞憲と一緒にいた。立ち煙る業火が世上にも迫ってきていた。
「御出座あそばしませ」
「紙燭をもて 紙燭だ」
「なにごとぞ、なに信頼だと。公卿の分際で朕になにをするぞ」
その君の影にむかってゆく姿があった。
「--年来、君のおいとしみをこうむりましたが、我慢できぬのが入道信西の讒言。ついに清盛とはかって我藤原信頼を責め滅ぼす
との報が届きましてござる。ここはその前に東国に下ることに決めもうした。ついては上皇の君を入道から保護奉り、入道の血筋を殲滅するのみにござりまする。」
「なに、誰がそのような讒言をしたというのか。朕にむかってその言葉は許せぬぞ信頼」
「世上の君、もう遅すぎまする。賽の目は振られたのでございまする。皆のもの上皇を牛車に御相乗もうせ」
「あ なにを命ずるのだ 信頼」
そこへどやどやと下足の武者輩が飛び出してきた。東国の武者輩にとっては上皇もなにもない。むんずと上皇の体を担ぎ上げると、すでにまちかまえていた
御車に押し込んでしまった。
源氏の領袖が集まっていた。左馬頭 義朝、、源中納言師仲,をはじめ勿論、軍の中心に中納言信頼、検非違使別当惟方、三位経宗もいる。
「上皇ほんのしばらくでござる。決してご憂慮には及びませぬ。」
「御車をすすめよ」と信頼の声がひびいた。
十二月の凍てついた道を御車を何十騎の武者が取り巻いて、その速度を増してゆく。瞬く間に朱雀大路を越えて、御所の南建礼門院につきあたる。
「北だ。 北にまわれ」 一本御書所に進むのだ」
こうして信頼と義朝は上皇の身をクーデター宜しく寂しく立つ御書所に幽閉してしまった。
「信西はいかかがした。信西につたえよ」 上皇の声がむなしくひびいた。
 そのころ信西は石室山のうしろ、信楽峰をすぎてはるばるとわけいっていた。そこに京の情勢を探らせていた成影が帰ってきてことの趨勢を伝えてきた。
「院の御所はすべて焼き払われ、姉小路の館も焼き払われてございます。敵は右衛門督藤原信頼、と左馬頭源義朝。上皇様はどこかに幽閉されました」
「そうか 忠臣が君に成り代わるというは 信頼のことよ。拙僧ではない。だがここは信西むざむざとこの首をさしあげるわけにはいかぬ。われのいうとおりにせよ。
この信西が忠臣がどのようなものかを後世にまで見せてしんぜよう」
「皆のもの、そこの祠のうらに穴をうがて。四方に板を立て並べ わしが入る。そのあとで大きな竹の節をとおして口にあてて、堀り埋めるのだ。」
「なぜ竹の櫛をとおすかのか、それは生きている間の寸刻に仏のみ名を唱え申すのが所存。埋め終わったら即刻皆はこの地を去れ。さすればこの首は誰の手にもわたさぬ。よいか」と厳命した。
 追随していた四名の武士はそのようにして今や墓ともなった土盛を平らにして草をかぶせて泣く泣く都へ戻っていったのである。
人間の妬み、恨みとはなんとおそろしいものだろうか。
 その後この墓は泣く泣く京に帰った武士の舎人成澤が捉えられて拷問にかけられてついにはあばかれて首を切られて鴨の河原にさらされた。五十四歳の生涯であった。
平安の時代に新荘園制度を創設し、内裏を改修し、宋貿易の基礎をつくり、遣宋使と大船の製造までの夢を清盛と果たさんとした男の最期であった。

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