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Posts from — 8月 2012

陳腐化した知性

いつ頃から怒りと言う感覚を麻痺させてしまったのか?狂人李明博が撃ち出す
これでもかという愚弄行為になんの策もなく、挙句に大人の対応と日本外交の品位
を、ときた。今回の李大統領の言動は単に喧嘩を売られたなんてもんじゃない。天皇
を日王と呼んで暴力覇権の印象を強めた上、原語では、手を縛って土下座させて謝らない限り
韓国に入れないときた。憲法に云はく天皇は日本国民統合の象徴。言ってみれば日本人全員に手を縛って土下座しろと言っているのと同義。
これでもなんの行動も起こさないのは、もう国家ではない。
具体的行動を!
1.韓国大使
召喚
2ビザ発給停止
3韓国からの輸入品検査徹底
4スワップ完全停止
5国内ハングル表示消去
せめて以上の事行動起こすべし。

8月 26, 2012   1 Comment

韓国に宣戦布告せよ

 小生今回ばかりは、イミンバクの日本人に対する侮辱に耐えられません。多少なりともこんなもの忍耐かと思っていましたし、イミンバクの馬鹿たれと思ってましたが、主客転倒発言、韓国デモの対馬も韓国、中国デモ隊の琉球も中国発言、ロシア首相の北方領土訪問ときては、もう浅野匠じゃないが、もう我慢できません。
即刻韓国へ宣戦布告すべきです。日本もやる時はやるという姿勢を見せる必要があります。
 誰が闘うか。とご質問ありや。
まず我々中高年が闘うのです。
 
 
この老体で何言ってるのと自分自身呆れますが。 どうにかしないと日本崩壊です。韓国アイドルだ、韓流だはもう即刻やめましょう。恥の上塗りです。
 
 
 分からない真実もあります。イミンバクは韓国の経済発展で中国と行き過ぎた対応を米国にたいしてやりすぎました。
田中角栄のあの状況と瓜二つです。米国CIAがもう動いてイミンバク失脚に動いていました。
追い詰められたミンバクは賭けに出たのですが。すでに遅しでした。中国と相談してとにかく8月15日に盲挙にでたのです。中国は、日本と韓国を対立させて米国に対峙する戦略。解って
いますがあまりに韓国の言動がひど過ぎる。

8月 16, 2012   2 Comments

白拍子 仏という女 小説<王城の秋>

熊谷草

by dankaita
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 平安の性は闇の中の出来事であった。時には漆黒の闇であったから、相手を感じるのは匂い、感触、味、音声などが性の重要な要素となる。性戯に長けるには、とくに女には、男を悦ばす匂い、味、行為に耽るときのよがり声などに熟達しなくてはならない。このために様々な工夫がなされたにちがいない。

  舞を業とする白拍子の女達は篝火や燭のもとで舞ったのでその姿をさらしている。男たちは舞う姿と水干の体にまつわる皺からその裸体を想像して刺激されていた。舞とは既に性戯の真髄であることを地球に存在する腰を振る舞踊が教えている。

 平安の白拍子舞踊も天の岩戸の常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、アメノウズメノミコトが岩戸の前で、足を踏み鳴らし胸をはだけ袴まで押し下げて舞い踊ったというその舞の伝統に根ざしている。だから客の注文とあれば、平安衣服剥ぎ取り劇(ストリップ)までが含まれていたに違いない。妖艶な面立ちでゆらめいて燃える篝火に映る裸体ほどたけりくる武士の性欲をかきたてるものはない。
 
 平安時代に女の局部はほと(陰戸)といったり、つびといったり、ひなといったりした。ひなのひ とは火で、な、とは穴で、と、とは戸であって局部の割れをいう。またひなさきとは雛先で女性外陰部の上方にある小突起。陰核。陰梃をいう。
出典は*十巻本和名抄(934頃)二「吉舌 揚氏漢語抄云吉舌〈比奈佐岐〉」
*臂喩尽(1786)八「吉舌(ヒナサキ)〈吉舌 雛先也。女根の嬪頭を云り〉」
近世の烏帽子(えぼし)の正面の部分の名。まねきの舌のくぼみ中央の小さく突き出ている部分。〔箋注和名抄(1827)二〕

 白拍子が着る水干の下着は下袴という白色の布衣装であったから、着脱は帯紐をゆるめれば簡単至極。これほど生殖行為に適したものはない。その白拍子が舞うのである。刺激は時代とともに変化し、その程度を増しているようにも思われるが、実際は違う。人間が感じる刺激の受容はそんな単純なものではない。

 西八条の清盛の面前で白拍子の仏が舞い終わった。
「仏よ、もう帰さぬ。この西八条に留め置くがいいな」
仏が祇王を仰いだ。祇王もまた仏を見た。仏はまだ十六の乙女であった。
「・・・・帰してください。あなたさまには祇王さまがおいでです」
「祇王よ、もうそちには女の幸をつくしてやった。刀自にもこの世の幸と金銭を渡してきた。行く末どうなと安楽にくらせよ。」といいふくめてしまった。
面前でわしは仏をとるといわれては、祇王、二の句がでない。その夜じゅう衾を被いてなきぬれた。
 泣きぬれれば女は強い。翌日には祇王は西八条の唐紙に形見ぞと一首の和歌を書き残した。

      萌え出づるも
      枯るるも同じ野辺の草
      いずれか秋に
      あはで果つべき

男と女のえにしとは、不思議なものである。千年万年と契れどもやがてはなるる仲もあり。世にさだめなきことおとこ女のならいなり。(平家物語)

 ある日八条の仏から祇王に使者がきた。清盛からの使者である。
「仏御前、つれづれに祇王に会いたし、遊びにきてたもれ」
祇王は考えた。どうして今頃と。同じ白拍子の女。仏御前の気持ちは如何と。

 仏御前はどうしても祇王に会いたかったのである。自分の存在が祇王を追い出してしまったことを今でも悔いていた。いやむしろ虐げられていた白拍子の女どうしの複雑な感傷からだったのかもしれない。

 祇王も清盛の面前でしばらくぶりに舞ってみせた。

      仏も昔は凡夫なり
      われらも終には仏なり
      いずれも仏性、具せる身を
      隔つるのみこそかなしけれ
 祇王の舞に聞き入る公卿や諸臣の目に涙が光っていた。

 その年の春、小倉山のふもと、桂川の西に草の庵を結んだ親子がいた。祇王とその母刀自であった。庵は寺となった。現在の祇王寺である

8月 12, 2012   No Comments

祇王と仏    小説<王城の秋>

妓王寺

奥嵯峨a
 
by dankaita
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京の奥、小倉山のふもとにいまもなにか不思議な静寂をかくすように祇王寺がある。平安の時代はまことに不安が支配する時代だった。この闇のような不安に包まれた時間は永遠につながる時間だった。

 平安に託された平氏と源氏武士の台頭は闇をつんざく花火のようなもので、花火を際立たせた鵺のような気味悪さをかもしだしたのは常に魔界の性、女たちであった。
 
 女の体は青磁器の壷のようなものだと吉川英治は言った。壷のなかには炎のように泡立ちながら赤い色の血がたぎっていて、燃えては沈み、沈んではまた、たゆたう大蛇の肌のうろこのようで、理性ではなく、体のうずきが生きる方向を指していた。
 
 そのころ白拍子とよばれる歌舞を舞って生活する遊女がいた。そのもとは鳥羽院の時代に和歌の舞からの起源だという。水干と烏帽子、白ざやまきをさいて舞ったことから白拍子という。白拍子がどんなものか歴史を研究するものはいろいろというが、ようするに遊女である。権力をにぎるものに青磁の肌をくねらせて迫る存在以上のものではない。
 
 そのなかに、刀自という遊女の娘に祇王というものがいた。生まれつきの玉のような肌をもち、抱くと青磁のように冷たい肌から蛇籃胎が飛び出してくるような女だった。うわさを聞きつけたのが時の大納言清盛、すぐに呼び出して舞わせた。

 「そなた祇王というか。そなたの肌をみせたもう。もそっと寄ってこいというに。」といらいらと言う。
祇王はもうその時勝負に勝ったと直感した。清盛といえば天下の大権をにぎり平氏にあらざればひとにあらずといわせしめた平氏の棟梁、いや国をしろしめす王者だった。だが単なる卑しき白拍子に誇りも投げ捨て、不器用にその体をもとめる卑屈さはもう祇王に負けているといってもよい。男とはこんなにもどうしようもないものか。

 「祇王、なにが欲しい。そなたの舞にかなうものならば何なりと申せ。」

 「祇王はなにも所望するものはございませぬ。ただひとつ欲しいものは清盛さまの前で舞えることひとつそれだけにございまする」女の本性とはうらはらに言ってみせた。

 そばに仕えていた忠度に清盛が言う。

 「忠度、刀自というものに金100貫をあたえよ。今宵から祇王はここから帰らぬ。そう刀自に伝えよ。」 忠度は扉をしめて部屋を出て行った。

 部屋からはもう女の泣くような甘美なため息がもう漏れてきていた。天女が着ている水干もひきはがされればもう板敷きを覆う布にすぎないし、天下の舞も所作をうしなえば閨房の技と代わりがない。いやむしろ閨戯こそが舞の本質かもしれない。

 刀自の棲む白拍子街には、六波羅の目に留まった祇王は玉の輿と賞賛されて、金100貫を与えられた刀自は、こんな夢みたいなことと家中のものに喜びをふれまわった。街には祇王にあやかって祇一とか、祇福、祇徳、祇扇などいう名がやたらに流行りだしたという。

 こうして祇王は薔薇園の金殿に住む身になって、丸三年がすぎた。舞の世界でも世の理は必定。白拍子街にこれも絶世の美女、百花の研を競う仏とよばれる可憐な白拍子が現れた。加賀の国の生まれで諸芸才能にも恵まれ宮中の官女にもひけをとらぬとうわさされていた。
 
 仏の祇亭の主は
「あの祇王にも仏はひけをとらぬ。どうしても六波羅に見参させねば」とある日思いついた。
「のう仏よ。お前の舞ほ評判は京中に広まっている。この上は西八条の清盛公にお伺いしてみることだ。あの祇王でさえ清盛公に直接招かれたのだから、お前にできない筈はない。」

 恐ろしきは無知の知というもの。仏はおじずに西八条を直接尋ねてしまう。
「待て待てその牛車。どこへゆくぞ。どこのものぞ」
「わたしは仏という白拍子。かなしき白拍子の性。どうしても白拍子の舞を殿様にお見せしなくては死んでもしにきれますぬ。失礼のほどは先刻覚悟。命をかけて参りました。どうぞ御取次ぎ給わりませ。」
その声と折れるほどにみをかがめて頼む仏の覚悟が巌も通したのかなんと清盛に取次ぎがなされた。
清盛はその時徒然に時を過ごしていた。
「なに、仏というか。白拍子が仏とは面白き名。逢うてみたいが、祇王がなんというか。」祇王の意を聞いてみよ。と推参させた。
「遊び者の推参は常のならい。御門を軽んじてのものではありません。仏といえば京中で噂されている白拍子。わらわも逢いとうございます。」と祇王がいう。

こうして清盛と祇王の面前で仏が舞う。

        君を初めて見る折は
        千代も経ぬべし姫小松
        お前の池なる亀岡に
        鶴こそ群れいて遊ぶめれ

仏は舞いに舞った。祇王が目を丸くしていた。清盛はうなっていた。

 「このような白拍子がおったとは」 薔薇園に舞い降りた天女の舞であった。気品にあふれてこの世の舞とも思われぬほどだった。
 「仏と申すか、おそれいったぞ。杯をやろう。目の前で杯をもってもう一度舞うのだ」 清盛はそばの祇王の存在さえ忘れて言った。

8月 9, 2012   No Comments