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電通過労死問題に一言

電通OBとして一言申し上げたい。またそうする事はその場所で長く働き押し売り広告お断りの時代を引き継いだ者のつとめでもある。小生が入社したのが、1970年,46年前。築地の新社屋が立ってすぐの頃。1968年から世界武者修行の旅とユーラシアを横断して帰国して大学ICUの就職課に残されていたのが電通。広告代理店という事は分かったがどのような仕事か皆目判断できずにも確か10人同学から受けたが幸いというか入社した。それから34年国際広告、パリ支局創設、スポーツ文化事業局、映像事業局、デジタル事業と常にフロンティア事業をやってきた。前に何もないのだから何をやっても良いのだがなにをやって良いのかどうすれば仕事になるのか分からない中、嘘からでた誠とはよく言ったもので嘘も信じると本当に見えてくるから不思議。クライアントを情熱的に口説くとそうだそうだとなってくる。こうして映画製作、スポーツイベント企画、出版、と様々な事業をやってきた。新入社員ではないが他局からくる社員は何をやれば良いのかわからずいたので、自分で探せと言うしかなかった。実際何もころがってはいないのだから。
これらの経験から以下強く申し上げたい。
(((創業から押し売りと広告代理店はお断りの時代から現在までその屋台骨は変わっていないし変わるべきでない。特に代理店とは代理できるだけの特殊な才能と我慢がなければ本来なりたたない。手数料とはその対価です。クライアントは正直様々な無理難題を押し付けてきますが応えなければなりません。スポンサーは神様。普通に働らいては手数料は頂けません。東大卒の自尊心など入社した瞬間無用です。電通も何兆円企業になりました。敢えていいます。自殺した女子社員とそのご家族には悔恨しますが、広告代理店の仕事は並外れた我慢と辛抱と並外れた精神力が必要なのです。100時間残業が問題なのではありません。毎日毎時間毎秒どうすれば仕事になり自己実現出来るか考えていなければできないのが広告代理店です。確かにメディアスペースを売買してはいますが、それはものを作りそれを売っている企業とは初歩から違います。黒子企業故唇寒しですが今回の件につき一言、同社で新規事業を長く経験したものとしての感想申しあげました。)))

1 comment

1 エイジ { 10.20.16 at 11:04 am }

かいたさんご無沙汰しております。久々の投稿反応なしも寂しいものと思いあえて一言…

1970年万博の年でした。電通はおろか博報堂すら高嶺の花であったことでよく覚えています。4月1日、よど号乗っ取りがあり、その中の一人が我が高校の仲間であったこと、がサラリーマンの始まりの日でした。

以後、時の流れにうまく迎合しながら発展する「電通の奢り」を興味を持ってみてきたように思います。かいたさんは、その中でむしろ新規事業分野で電通の発展に寄与されてきたのでしょうが、果たしてもう一つの電通の歴史も揺るがずに継承してきたのでは…
今回の事件は、そんな一つの警鐘でもありやはりかいたさんの意見に同じるものではないと思います。鬼十訓などが生きているとすれば、電通の時代錯誤も甚だしく、むしろ先端企業の終焉を意味するしかないとおもいますが…
やはり犠牲者が出て、若い命が失われた事への痛みこそが原点でなければ…そして、現役電通マンが同じような価値観を抱いているとしたら最悪のブラック企業となってしまったのだと思います…

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