プレミアムエイジ ジョインブログ
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Category — 日記

曲学阿世の輩の評論はもういい加減にすべし。

 昨今のマスコミと評論家たちのいい加減さ。
 最近の民主党政権に関する様々な論評に警告。
子供手当ての所得制限をいう輩、八ツ場ダムの住民が可愛そう論評、モラトリアムが云々かんぬん、財源が心配云々かんぬん。年金改革が民主党で出来るか云々かんぬん。もう愚かで心配神経症はやめることです。

 国民が圧倒的に民主党を選んだのです。党は政治路線を明確にしてあります。まずやらせることです。やるまえからこれが心配何が心配ではなにも出来ません。

 政権選択とはそれが平和的であれ暴力的であれ、政権をにぎるものが破れたものがじゃまなら消し去っても前進するのです。

 フランス革命では為政者はギロチンにかけられました。消し去らないともとの木阿弥になるからです。自由、平等、博愛は絶対王政を消し去って始めて実現したのです。

 だれでもできる心配は無用。やらせてできなければ変えればいいのです。

 大体高速料金を無料にするといっている政権に反対するなど革命を経験したフランスでは考えられません。

 国家がどうなろうと住民と個人の生活が重要なのです。それが市民社会(ブルジョアジー)の最低限の守るべき特質です。ブルジョアとは市民のことです。語源を紐解いてください。

 

9月 26, 2009   No Comments

ベランダの朝顔

IMG_1638IMG_1638.JPG 朝顔が鮮烈に咲く。大きな筒状な花を広がらせて夏の朝を彩る。2009年も、もう半年を過ぎた。齢ふるのは実に早い。
書き留めておいてもさらさらと消えてゆくだけだが、私のつたない日記(ブログ)も忘れずに見てくれていた人たちがいた。更新しないと言ってどうしたのか無事をきずかってくれた人たちのために筆をとる。

 身の回りに大きな変化がないことは良いことだ。毎月外来に通う病院はルーティーンとなった。やきものはすこしくやれてはいないが、富士の裾野の山荘には一人ででかけては富士の霊峰と相対しては、ぶるいを慰めている。

 趣味のゴルフは絶好調で所属しているコースで2回も優勝してしまった。距離ものびてドライバーの飛距離はのびている。腕の筋肉のはりは60台にはみえないと周りが言う。月に3回か4回のコースでのラウンドをこなしている。

 日中合作のアニメ「三国志」の世界販売を昔からの知己であるドイツの会社とやりはじめようとしている。むかしとった杵柄だ。もつべきはよき友である。

 雑誌の編集も進ませよう。内容をすこぶる変えて。

 秋はコスモスが良く似合う。

 

8月 24, 2009   No Comments

短歌行2

                 三国志賛歌  

             1.君は、満天の北斗にいのり、
               両手に勝利の御旗をあげる
               たたかいは、くりかえし、くりかえし
               寄せる潮騒のように
               やがては愛するひとのために
               灼熱の身上をささぐ

                    嗚呼 運命は一瞬に
                    きらきらと輝き、燦燦と散る
                    嗚呼 されど君は漆黒の闇の外で
                    岸辺に剣を遺す
                    

             2 見よ 星は山野のとりでとなり
               大河は自然の境界をつくる
               たたかいはくりかえし、くりかえし
               寄せる潮騒のように
               やがては愛する人のために
               灼熱の身上をささぐ
                    
                    嗚呼 時は永遠に
                    ゆうゆうと過ぎ夜空に止まる
                    嗚呼 されど君は燎原の火にむかい
                    馬脚の峻戟を残す
                    

                  

5月 19, 2009   No Comments

短歌行 2009

           

               対酒当歌

               人生幾何

               比如朝露

               去日無多

               概当以康

               憂思難忘

               何以解憂

               惟有杜康

               青々子矜

               悠々我心

               幼幼鹿鳴

               食野之秤

               我有嘉賓

               鼓斐吹笙

               皓皓明月

               何時可双

               憂従中来

               不可断絶

               超百度奸

               王用相存

               契活談燕

               心念旧恩

               月明星稀

               鳥昔南飛

               堯樹三市

               無枝可依

               山不厭高

               水不厭深

               周公吐哺

               天下帰心

               曹操
             何人可以理解曹操的宇宙?

5月 6, 2009   No Comments

歴史を物語る、ある写真

IMG_1445.JPGIMG_1446.JPG 今からもう30年も前ある写真を見つけた。パリ、19区クリニャンクールの蚤の市の一角に古本の束のなかに埋もれていた一枚の写真である。厚い紙に写し取られている写真には四人の武士がちょんまげスタイルで大小の脇差を抱えて紋付はかまの正式な礼装でおさまっている。

 帰国してもそれについて詳しく調べるでもなく保存しておいた。

 そしてある日、司馬遼太郎 飛ぶが如くを読み始めてあっと驚いた。

 「パリに日本の国使が最初に訪れたのは、1862年(文久2年)三月九日である。
幕府の遣欧使節団で正使は竹内下野守、副使は松平石見守、目付は京極能登守でほかに二十人ほどの吏僚、および三使の家来集が十人ばかり従っていた。
 傲然として大小を横たえ、

 と、パリでの一行のことを書いているのは通訳官として使節団に加わっていた福沢諭吉である。福沢は豊後中津藩士ながらこの時期幕臣待遇だったから、幕臣という高等官のシルシともいうべき黒漆定紋入り裏金の陣笠をかぶり、白緒であごを締め上げていた。

 それに白い鼻緒の草履をはき絹の紋服に羽織袴 福沢の言葉を借りれば我こそは日本の武士なれ という姿でパリじゅうを歩き回った。

 三人の使節団は狩衣に烏帽子をいただき腰には鞘巻きの大刀を佩いていた。随行員の長である外国奉行支配組頭柴田貞太郎は烏帽子でふとった腰を鞍の上にすえ、他は熨斗目上下姿で騎行した。」

 と司馬僚は「飛ぶが如く」を書き進めているではないか。

 なんと蚤の市で古本の束に隠れていた写真はその当時使節団がパリにあるナダールという高級写真館で撮影されていた写真である。

 文久元年の記述と四人の使節団の写真の上には名前が漢字で記されている。写真の上に重ねて現像したものであろう。

 今年の秋には司馬僚の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化されるそうだ。長編小説だが、四国松山出身の近代和歌と俳諧の師、正岡子規と日本騎兵の祖、秋山好古、太平洋艦隊参謀、真之兄弟を中心に書き連ねた壮大な叙事詩である。

 幕末から外国列強国にアジア諸国はその植民地化されるなかで、島国日本は大人と幼稚園ほども違う民度を乗り越えて、日清、日露の大戦で勝利をおさめるにいたった。薩長土肥という藩閥政治ではあったが、薩摩からは西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌、長州からは高杉晋作、吉田松陰、山形有朋、児玉源太郎、乃木希介、土佐からは坂本竜馬、備前からは大隈重信などの傑出した人間像を産出していった。

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」とは昭和の時代を目の前にして中村草田夫が歌った言葉だが、明治ほど日本人が一つの国民として意識されたことはなかったとは司馬遼太郎の言葉である。日露戦争の旅順の戦では10万人という兵隊が銃剣をぬいて白刃の死の突撃を敢行した。国のために死ぬことは誉れであると幾ら教育されてもいざと言うときには人間死ぬ恐怖はいかほどであったろう。

 それでも203高地にむけて声をかんざきながら突進していった当時の兵隊には始めて国家というものが意識され、戦に負ければ北海道、対馬がロシアのものとなり、長崎、博多港は外国租界となり、結果、日本国家が崩壊するというデスパレットまでの魂があったからだろう。

 その時代以来大正、昭和と第一次、二次の大戦に日本は突っ込んでゆく。
 司馬僚はその原因を陸軍軍人の官僚化と国家意識の劣化にあると喝破した。そして日本は1945年8月敗戦を迎えた。「国破れて山河あり」とは劣化し官僚化した国家意識が破れて山河ありと解するべきだろう。

 1945年の敗戦、そして1947年からの戦後のベビーブームの世代が団塊の世代であるが、とくにこの世代は戦後のどさくさの残りを経験し、安保闘争を経験し、その後の経済成長をみずからの肉体で味わい、バブルがはじけて還暦となっていった世代である。

 この世代が舞台から去ろうとしている今、日本は老朽化した官僚主義がはびこり、経済は低迷して危機のまっただなかにいる。

 巷では政治家が維新、維新という言葉を弄しているが、徳川末期から明治の時代を駆け抜けた維新の志士が時代という坂を後ろなどを見ずに駆け上がり坂の上にある青い空にかかる雲を見据えたような裂ぱくの意気がなければ維新など程遠い。

 30年前、パリ、クリニャンクールの蚤の市で見つけた遣欧使節団の古びた写真はそのことを問いかけているように思われる。

1月 18, 2009   No Comments

最近感じること

 自惚れて言っていない。
 最近いろいろ発言したり書いているいることに世がついてくるようになってきた。
ずっと前にジャポニカをサイトで書いた。いまのマスコミ(雑誌もテレビも)全体が同じ事を言っている。ただし散骨を除いて。

 本日女房の件で慈恵病院に行った。毎月一度の外来だが、受付から大きな張り紙が目立った。

 海外十数カ国での鳥インフルの出現で海外からの帰りや高熱38度のかたは申し出るようにの張り紙である。慈恵に張り紙がでたのははこれが始めてである。本日の日経には、北京での鳥インフル患者の死を伝えている。

 鳥インフルについてはジャポニカにその伝播について書いたが、雑誌プレミアムエイジ冬号(近日中発刊)ではこの予言は省いた。

 どうも鳥インフルは身近に迫っている。

 今のところあれほどさわいでいたテレビでは報道を差し控えている。これが危ないことのしるしではないかと疑う。

 私はどうもなにをやっても皆より半歩はやい。蒼い果実を食う習性がある。いつもそうだった。熟したときには他に食われたことが多い。

 鳥インフルについては私の習性がはずれていることを祈るのみだ。

 

1月 8, 2009   No Comments

無限と有限 しのびよる第三次世界大戦の恐怖

 2009年初頭に想う。

 「存在と時間」というハイデカーの名著がある。読んだのはもう40年前になる。当時は何が何だかさっぱり判らなかった。だが最近少しづつだが輪郭がわかるようになってきた。

 存在を理解するには時間がかかるし、時間を知るとは存在の有限性を把握することにほかならない。有限とは無限が存在しないことでなく、無限とは有限でないことではない。

 宇宙を考えてみればよい。

 太陽系があり、銀河系があるそうだが、驚くべきはその宇宙が今でも膨張しているという事実である。膨張するとは際限ない空間があるからである。空間はどれほどの無限性なのか。

 眼をミクロに転じればもっと理解しやすい。ミクロンやそのもっと極小な世界にいたっても際限はない。いわば極小な世界も無限である。即ちリミットがない。

 人間の世界は有限と無限という言葉をつくった。この言葉と概念は人間の世界だけである。ほかのいかなる地球上の生物は有限、無限などというこじんまりした概念からは遠い永遠性のなかで存在してきた。

 存在とは時間の永遠性のなかの一点での形象で、形象(phenomene)はそう見えるだけに過ぎない。

 すべてのことが単におぼろげに見えているだけで確実(certain)ではない。不確実なのだ。
不確実な構成の上に我々人類の歴史がある。不確実であるがゆえに確実なものを争った。それが戦争である。

 すなわち不確実性が高まれば高まるほど争う危険性が高まることになる。20世紀だけで2度の世界戦争を惹起した。19世紀には無限の戦いの歴史を経験した。そして21世紀の初頭の2009年を迎えている。

 100年に一度などという危機にある。北半球の開発国にさえ失業者が巷にあふれ、覇権国家の米国が炎のなかにある。南半球のアフリカの民や未開發国の民はその存在すら忘却されている。

 第二次世界大戦以来これほど不確実で不安が蓄積されている時代はない。

 今アイルランド、グルジア、スーダン、エチオピア、イスラエル、パレスチナ、イラン、イラク、パキスタン、アフガニスタン、ロシア、北朝鮮、ミャンマー、バングラデッシュ、インド、中国、キューバ、エクアドール、ブラジル、チリー、ペルー のどこに火の手が上がろうが不思議ではない。宗教的、民族的、歴史的、経済的な諸問題がよこたわるが、契機は常に憎悪である。憎悪とは不安と不確実なものの構成物である。

 人類が21世紀にあけようとしているパンドラの箱、戦争しか現代の不安を鎮める方法はないのだろうか。

 

 

1月 6, 2009   No Comments

裾野に遊ぶ

CIMG1103美しく雪化粧をほどこした富士の裾野でゴルフして遊んだ。
 どんなに調子がよくてもここではハーフ42以上のスコアは出たことがない。
 グリーンは難しいし、距離がある。ここに来るたびにゴルフの奥の深さを感じる。

 アウト3番、富士山に向かって打つ。
 右に曲がって木に当たってどこかに消えた。

 インの15番右のがけ下に落としてあげても上げても木の枝に当たってしまう。
 アイアンの当たりは決して悪くない。

 「富士山を見るゆとりさえなし裾野かな」

「裾野ではアレーというまにもう50」

 「ビジターにここはだめだと反面教師」

 

 

 こんなことではいけませんナ。

 来年こそ余裕をもって行きたいものです。

 

 

12月 26, 2008   No Comments

この道はいつか行く道

 世界の人口は60億人。日本では2035年には2700万人の人たちが70歳を超える。実に全人口の25%が高齢者と言う社会となる。先進国はみな同じ問題のなかにいる。
 そのなかで皆が考えたがらないことがある。それがいずれ誰もが経験する死とその葬祭に関する事柄についてである。
 人間は誕生すると同時に死への旅路を歩む。旅立つものと残されるものの間に葬祭文化が生まれてきた。
 死者をどう弔うのか。それは究極の人間の文化ともいっていいだろう。ピラミッド、古墳、王の廟などが建設されて今日までその文化の有様を伝えている。

 今日世界の埋葬を見てみると、火葬率のトップは日本(99.8%)である。米国の32%と比較するとその高さに驚く。一方都会の墓地の不足と墓地の高騰、供養費や墓地の維持費用は多額なコストは益々多大となってきている。

 このような時代背景にありながら、死者に対する配慮や亡くなったものの意志が反映されずに葬祭ビジネスと旧態寺社会のなかでセレモニービジネスが完結されてきたのが実態であろう。
 
 益々家族形態が複雑なものとなり、少子化と老齢化が進んだ社会では、地域共同体のなかで安定した生活はどんどん崩れてきている。従来の檀家を中心とする共同体的埋葬の方法は大きく変化をとげつつある。

 海外ではハワイ、地中海、アルプスなどの自然界に遺灰を撒いて弔う方法が一般的になってきている。しかるに日本ではこれまで法的な問題や宗教の規制から自然葬の考え方は遍く受け入れられるにはいたってなかった。

 しかし、最近になって新しい考え方が1991年の墓埋法の解釈により管轄の厚生省は「墓埋法は遺灰を海や山に撒く葬法は想定しておらず法の対象外」という旨の見解を発表し法務省も刑法190条について「葬送のための祭巳として節度をもって行われるかぎり遺骨遺棄罪に該当しない」いう旨を示した。

 フランスの社会心理学者のユージン・ペルーは「地球は生きるものと死者のものだ。自然とともに死者があるというのも考えてみなくてはならない」と言っている。
 これをもって「節度をもった自然葬」が行われるにはどのようにしたらよいのかが判断のわかれるところとなっている。方法、場所、形式、配慮、宗教等の問題解決と亡くなった人の意思の確認の方法などの課題である。

 自分の死後自分の骨を瀬戸内海やふるさとの海やなかには地中海に撒いて欲しいと願っている人たちは実際ますます増えているし、その意志にどう答えてゆくかは今後の新しいテーマとなりつつある。

 ベルセーとはフランス語で静かに撒くという意味。ゆりかごという意味もある。
 最近では島根県の隠岐諸島に浮かぶ面積1000平米のちいさな無人島が国内で初めて丸ごと散骨所に姿をかえた。都会にすみ「最後はふるさとに帰りたい」という人らの願いをうけて、戸田葬祭サービスが地元出身の有志と共同で島を買い取り、料金は地元出身者で11万2000円、地元以外で20万円前後で受け付けている。年間100人以上を見込んでいる。散骨所は管理運営会社が「国立公園内なので人の立ち入りも制限し散骨後は島全体を見渡せる対岸の慰霊所から供養するという。

 また海外ではフランスの景勝地でありカトリックの聖地であるブルターニュのモン・サンミシェルが納骨所を解放しているし、コートダジュールの海にも遺灰を撒く習慣が定着してきている。故人の意志により様々なやり方が存在する一方、実施する業者の不足や海外での経験が不足している。

 2006年には人間の遺灰から炭素を純粋に取り出してダイアモンドに合成する技術が開発されてスイスのアルゴールダンツァという会社がその営業に乗り出している。予算も0.2ctで40万円からあり永遠の光を保つメモリアルとなっている。

 故人の意志により自然葬により弔う。意志は保険で担保する。自然葬保険が生保のなかに組み入れられる時代は近いでしょう。明確な意志があってはじめて確固たる葬送の方法が決まるのです。

まだまだ日本では自然葬に関する啓蒙が必要なのが現状。2009年初頭には自然葬の意志の確認を担保すると同時に実際の葬送の事業者との連携を受けたNPO「日本自然葬協会 JNFA」の発足が待たれている。
 

12月 7, 2008   No Comments

Mind your love-Premium Age プレミアムエージの詩

   
  1 生まれることはたたかい
    そのままいつもストラグル
    struggle for existence

ばかなことなど考えちゃいない
    せんそうなどしらない、ウオリアーズなんていない
    いきることはいつもせんそう

    あいなんていうな
    たたかうのはあいのためじゃない
    うまれることはもうたたかい

    Never say never more need no love
butlove me more

2.
かぞくさえすてて、自分のために
    いきるためにたたかった 
    struggle for existence

かんしゃなどいらない
    ゆるみきったごむいとにように
    今はもうきみにコンフェッション

    あいなんていうな
    たたかうのはあいのためじゃない
    うまれることはもうたたかい

    never say never more need no love
but love me more

詩のことだけかんがえてつくりました
    曲にするにはことばの編詩が必要です。

題名のMind your love とは お節介などするな という英語の
    常用区 Mind your businessからとりました。
    

11月 25, 2008   No Comments