プレミアムエイジ ジョインブログ
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Category — 日記

<歴史に立ち会う> 幻想と現実のハザマにオバマ大統領

 一年前このサイトでオバマが大統領になることとサブプライム金融危機がいかに深刻かを言った。米国に黒人大統領が就任する。国家成立以来の歴史を考えればとんでもない歴史の一ページに生きているうちに立ち会えたことになる。折りしも米国が奴隷をアフリカからつれて来て200年がたつ。

 黒人大統領の誕生は、また米国内の低中所得層とカラードと呼ばれる層からの大いなる期待が込められている。とんでもない期待は歴史上、常にその後達成されなかった不満となって時代を逆行させてきた。革命の後の王政復古に見れば歴史はいつも進歩と反動のなかで揺れ動いてきたのだ。

 未曾有の経済危機を今年9月に表面化させたのは誰か。それが何故大統領戦後でなかったのか。ブッシュとゴールドマンサックスの番頭のポールでさえ止められなかった9月の危機の表面化はもうアメリカは変化しなければという民主党の津波に揉まれていた。

 が、あえてまたここに記す。

 オバマ大統領が指導するアメリカは確かに変化するだろう。弱体化するアメリカを救うにはブッシュがレバレッジをきかせてやった一国覇権主義から180度の政策転換即ち 欧州、アジアとの政治的、経済的連携を模索することを意味する。すなわち他国に依存する政策の推進である。そのとき欧州がアジアがアメリカに協力できる体力があるだろうか。

 世界経済危機を作ったのはアメリカであり、その責任を逃れ軟弱な話し合い国際協調を求めるとなると今は史上初の黒人大統領に対して涙をながして熱狂している黒人達の将来の失望と絶望につながらないとも限らない。絶望は期待を抱かせたものに対して狂気と凶器を産むからである。

 ブッシュを選んだのもアメリカ人であり、またオバマを誕生させたのもアメリカ人である。世界経済危機を生じさせたのもアメリカであり、アフガン、イラク戦争もアメリカによって惹き起こされた。希望も失望も絶望もアメリカとともにある。世界の片隅で暮らすものすべてにアメリカが影響を及ぼしている、そしてその米国で黒人が大統領となった。ユダヤでなく黒人がである。

 

 

11 月 5, 2008   No Comments

11月4日 祝い引越し

 新たな拠点新宿引越を祝います。今後の発展の基礎となりますように。

 

11 月 4, 2008   No Comments

老いにむちうつ  石灰沈着性腱板炎のその後

T整形外科の先生が肩深くに射った筋肉注射二本のお陰か(痛み止めとプレドニンの注射)夜は良く眠れて(デパスとマイスリーを飲む)起きると肩がまわるその上痛みが90パーセント消えている。

 昨日の激痛はなんだったのか。石灰も消えてない筈。奇跡か。
 
 とにかくびっくりしている。

 一時的な現象かも知れないので注意しなさいと家内に言われる。

 歳をとるとはいろいろなことが思いかけずにおきるものだ。養生すると同時に今できることをやることだが、あまり若いときのように精を出さずゆっくりゆっくりやらないとだめだと肝に銘じた。

 もちろん今週の御殿場裾野の月例は参加するのを止めた。

 医者に説明するのが楽しみだ。

 というわけでエイジさんご心配かけてすみません。今のところ大丈夫です。

11 月 3, 2008   No Comments

老いのひんかく  なんと痛みが突然90パーセント消えた。

 T整形外科の先生が肩深くに射った筋肉注射二本のお陰か(痛み止めとプレドニンの注射)夜は良く眠れて(デパスとマイスリーを飲む)起きると肩がまわるその上痛みが90パーセント消えている。

 昨日の激痛はなんだったのか。石灰も消えてない筈。奇跡か。
 
 とにかくびっくりしている。

 一時的な現象かも知れないので注意しなさいと家内に言われる。

 歳をとるとはいろいろなことが思いかけずにおきるものだ。養生すると同時に今できることをやることだが、あまり若いときのように精を出さずゆっくりゆっくりやらないとだめだと肝に銘じた。

 もちろん今週の御殿場裾野の月例は参加するのを止めた。

 医者に説明するのが楽しみだ。

 というわけでエイジさんご心配かけてすみません。今のところ大丈夫です。

11 月 2, 2008   No Comments

老いの品格  <楽しくゴルフプレーした後の激痛>

 今月28日箱根の仙石、快晴少し紅葉のなかエイジ氏、三浦氏、音楽プロデューサー青柳氏と白球を追った。私のゴルフ歴40年のなかでも思い出に残る素晴らしい日でありパートナーだった。
 
 しかし好事魔多し。次の日に右肩が動かない。その上夜間に激痛で寝れない。ありったけのロキソニンとデパスを飲んでみるがなかなかきかない。

そこで本日金曜日(明日から病院は連休)まず近くの慈恵第三病院の整形外科にかかる。すぐにレントゲンをとってくださいといわれてX線室へ。着ている者が痛くて脱げない。どうにかカーディガンを脱いで、首に巻いてあるネックレスをとってもらって撮影。

 できあがったフィルムを持って整形外科に戻って数十分すると、マツイさん一番にどうぞと呼ばれて30歳台の先生の診断。

先生「これは厄介ですね。右肩に石灰が沈着しているのがここに見えるでしょ。積年の石灰ですね。石灰沈着性腱板炎ですね。まあ2ヶ月から6ヶ月かかります。当院は総合病院ですから細かくていねいなリハビリと注射などの治療は出来ませんので近くの整形外科に行ってくださいと追い返された。」

 そこで近くにあるT整形外科にその足で痛い手を抱えてとぼとぼ向かう。T外科医に事情を話すと「そうでしょうな」と頷くように言う。X線をとりましょう。「どうも左も石灰症ですな。注射を二本打たれて湿布薬を処方されて「絶対安静ですよ」「また11月4日に来てください」といわれてもう頷くしかない。

 帰宅してネットで検索したのが下記のとうり。参りました。ということで当分ゴルフはご法度。まあ痛くてできません。

 
 石灰沈着性腱板炎とは腱板の周辺に石灰物が沈着し、腱板や滑液包が炎症を起こして肩関節に痛みと運動制限を引き起こす疾患です。腱板は大結節に付着している棘上筋・棘下筋・小円筋と、小結節に付着している肩甲下筋の四つの筋腱より構成されています。

 石灰沈着性腱板炎は外来で頻繁に見られる疾患です。40~50歳代の女性に多く、突然、誘因なく、激しい肩の痛みを訴えて受診されます。患者さんは痛みのために肩と腕を全く動かそうとはいたしません。腕を胸に固定した状態で苦悶顔で来られます。そのため一見して石灰沈着性腱板炎と予測診断されます。確定診断はレントゲン検査にて腱板周辺に石灰物が確認できれば容易です。慢性化した症例では肩関節の運動制限が現れ、肩関節周囲炎やインピンジメント症候群に似た症状を呈します。

 治療ですが、かなりの激痛を訴えられますから、まず痛みを取り除くことが先決です。痛みに対しては基本的な痛みの治療法に則り、非ステロイド系抗炎症剤を処方し、肩峰下滑液包内注射を試みます。痛みが軽減すればリハビリテーションとして温熱療法などで経過観察します。中には、痛みが完全に消失しても、依然として石灰物が存在する症例もあります。その様な症例では短期間に同様な症状が再燃することがありますので要注意です。又、長期に渡って肩の痛みが持続しますと、やがて、肩関節拘縮(関節が固まって肩が動かなくなる状態)を併発しますのでストレッチングや筋力強化訓練が必要となります。

11 月 1, 2008   No Comments

生存か死か?

160px-Etoile-Jaune-IMG_0942.jpgIs this end of the beginning or beginning of the end?これが始めの終わりか、それとも終わりの始めなのか? ハムレットは生存か死かと独白した。永遠のテーマが今眼前にある。

 余りにも酷くて減った株の額に悲壮な絶望はひきつった笑いとなってくる。失った額はもう判然としない。

 敷衍すると年金世代はとんでもないものを失ったことになる、しかし戦後の昭和30年までに少年期を過ごしたものにはたいしたことはない。まだ食っていけるし、医療にもどうにかかかれる。今はチフスも赤痢で死ぬものもごく少ない。

 昭和39年の東証日経平均株価は1200円だった。いまから44年前。大卒の初任給が八千円から一万円だった。バブルの時代を除いて初任給の約十分の一が日経平均の相場だった。

 そして今日2008年10月27日ついに7100円台と相成った。巷の経済評論家や銀行、証券会社の経済だけの専門家と称する連中は日経平均6500円、円為替は80円を予想している。

 企業の純資産倍率が0.86となり会社としての存在基盤自体が問われてきた。やめて資産を山分けしたほうがいいという状況では日本の資本主義自体が危ぶまれる。

 歴史を紐解くとフランスの絶対王政もロシアの革命も第一次、第二次世界大戦も逼迫して絶望的経済下で民衆のたまり溜まった不満と悲鳴から始まっている。

 誰かを何かをスケープゴートにしなければこの絶望からの脱却はなくなることを教えている。現在世界の覇権を握っているアメリカが絶望から脱却する際に生贄にするものそれは誰か、何なのか?

 未曾有の円高となっている。新聞では資本が比較的傷の浅い円へ逃避しているからだとなまな評論しかしていない。要するに真実を掴まずに評論しているだけで全くわかっていないことに唖然とする。

 考えてみればわかるのにだ。私の周りだけでもほとんどの人が外貨建て投資信託を解約している、外貨預金も皆円に戻している。個人でさえそうなのだ。ましてや銀行、年金、金融機関、ヘッジファンドが運用ドル、ユーロを円に換える即ち現金化する波は尋常じゃない。日本の1800兆円が円の現金に換わっているのだから、円が85円になるのは至極当然な話なのだ。生活や企業の保守のためのたんす預金化が円高の主要因であることは明白なのだから。

 欧米がこの円高を狙ってくる。すでに三菱UFJが9000億、野村がリーマンと投資をはじめさせられている。気がつけば松下のユニバーサルやソニーのコロンビアのような換骨奪胎に嵌ることになるだろう。アメリカの欧州のババを日本がひく、ジャパン・アズ・スケープゴ
ートとならないとも限らない。

 絶対的な景気解決策は国民挙げての公共事業だ。それは戦争である。米国が敵国として怨嗟を抱いているイラン、イラク、北朝鮮につづくのはどこか。戦火の火種がすでに発生している地域グルジア、カンボジア、スーダン、パキスタン、インドそして極東アジアである。切羽つまる極東の国はどこか、中国か日本かそれとも韓国か。米国と欧州は切羽詰るアジアの国に標的を絞ってくる。過去の歴史がそれを教えている。

10 月 27, 2008   No Comments

<老いの品格> W124と連れ添う

IMG_1314.JPG Werke124に連れ添ってもう15年にもなる。山あり谷ありの人生で何回も命を守ってくれた。一緒に走った距離はもう10万キロにもなる。

 W124は金食い虫でこの15年でとんでもない金額を掛けさせられた。常に苦情を言ったり、栄養を要求したり、すねてみたりして何回もドックにいれてメークアップさせられた。

 余りにも経済的でないので連れ添うのを止めて他を考えたが、こちらを向いてウインクされるとすぐその気が失せてしまう。

 W124はとてもコケティシュに迫ってくる。一緒に走ると弾力的で足にすいついてくる感覚と一方ギチッとした自信と確信に溢れている。

 W124とは一体なんだ。そう124とはコードネームで実は私の乗る旧々型のEクラスのメルセデスである。最も新しいEクラスはW211と呼ばれ、その前が丸目を採用したW210でその前即ち1984年から1995年までの10年間に生産され販売されたのがW124と呼ばれる。

 コードネームW124は最後のメルセデスの思想である堅牢でシンプルを体現した車である。このことは現在では輸入車に興味ある人なら誰でも知っている事実だが、保持するとなると大変手間と費用がかかるのでも有名である。

 なんの因果かW124に次第に入れ込んでしまったのは手間と金を入れ込んだ旦那のような気がしてしまっているからかもしれない。旦那になれるほどの金力も精力もないのにだ。

 この一年だけみてもリアウィンドウの交換、サイドミラーの交換、ベンチレーター、ファンの交換、ブレーキパッドの交換、ブレーキオイル、エンジンオイル、などなど枚挙がない。

 しかし交換したりするととんでもなく良くなる。寿命どうりに悪くなる部品を交換する。修理するにもマニュアル(人間の手仕事)に、決してどこかの国の車のようにパックになっていて入れ替えるだけの修理ではない。下にもぐりこむとこのなにが悪くどこを修理しどの部品を換えるのかよくわかる。

 部品は高価だが工賃はもっと高い。我慢我慢である。

 だんだんこの車と一緒にいると自分と同じような気がしてくる。ここで見放したりしたら自分を見放すようなものだ。命がもつか、金がもつか、それとも車がもつか、三つ巴の我慢比べが始まった。

10 月 16, 2008   No Comments

<老いの品格> 人生を癒す歌を歌う

IMG_0078.JPG 10月7日 4時間の昭和の歌の長い番組に張り付いた。

 番組には歌詞のインポーズがあって歌おうとすればカラオケになる。

 声を出して歌ってみた。御殿場の山荘で一人だったから歌おうと踊ろうと自由。

 歌ってみるとなんと歌詞の意味が伝わってくることに驚かされる。

 木綿のハンカチなど歌っていると涙がでてくる。

 都会に出て情を他の女に移した若人がふるさとに待つ恋人にうたう。

 <恋人よ ふるさとに帰れない。>

 女が歌う

 <恋人よ、せめて涙ふくハンカチーフを送ってください>

 1970年代から歌は時代を動かしてきた。時代の鏡じゃなく時代をむしろひっぱってきたんじゃなかろうか。

 刹那的な笑いを誘う今のお笑いものとは違う。なぜなら歌っていると思い出されて涙がでるほどだから。

 今の柳原や小島よしおや江戸はるみの芸で後ほど涙する人がいるだろうか。

 千の風は友人の新井満がつくったがなにかピンとこない。

 宮崎駿の作品のうち何作品かに関わったがこんなに日本人を捉えるとは思ってもみなかった。

 何か私のエンタテイメントの感覚が狂っているのか日本人の感覚がおかしくなったのか,敢えて自問自答する。

 言いたいのは本当に素晴らしい作品に脚光が当たらず時代に埋もれてしまいどうでもいい作品(宮崎駿には失礼だが)が謳歌する風潮が嫌いなのだ。

 私がプロデューサーで関わった黒澤監督の最後の作品は「まあだだよ}という。映画が楽しさだけでなく時代を映し、後世に何かを訴える何かが重要だとすれば、黒澤が晩年なにを言いたかったのかがこの作品に充満している。

 結果論でどのくらいのひとが見たかの数字を競うだけなら、人間の欲望を直接みせるのが良い。ほんのりともうやめるもうやめるといいながらアニメをつくりつづける偽りの宮崎を賛美すればいい。そうじゃないだろう。

 日本人は昔から個人に意見が希薄だ。もっと自身をもっていやなものやそうじゃないだろうという言葉をおおぴっらにしていかないといけないと思うが皆様はどうだろう?と思う。

10 月 8, 2008   No Comments

<老いの品格> アンキエチュード(inquietude)の時代

CIMG1779a.JPG 時代を映す言葉はボルテールの時代から仏語であった。革命とはフランス革命であり、自由(リベルテ)、平等(エガリテ)、博愛(フラテルニテ)がアメリカの独立につながる。19世紀には資本主義思想から共産主義(コミュニズム)がパリに逃げていたレーニンとマルクスに思想化されてロシア革命につながる。20世紀戦乱のなかで、存在と構造が叫ばれて、サルトルがカミュがでた。

 ちょうどその頃団塊より一寸前の世代がその思想に洗われていた。チョムスキーやソシュールが潮流にありその新しさにかぶれてもいた。

 60年代、70年代、80年代、90年代と時代のシンボルが数々のカレイドスコプのようにめぐるましく変転してゆくが経験すると<あーそうだったな>程度の感慨しかない。なぜなら若いエネルギーがその激しい変転をむしろ迎えにいったか、或るいは変転する激動を喜んでいた節さえあったからだ。

 そして我々の世代が60才を超えてきた今急速に帷をおろすようにたちこめてきている暗雲はなにか。いいしれぬ不安、正体の見えぬ不安だ。

 フランスの世論紙ルモンドは現実の暗雲をアンキエチュードと喩えている。
 
 世界は今アンキエチュード(いいしれぬ不安)の真っ只中に居る。飢餓に対する不安、死に対する不安、裏切りに対する不安、財産を失う不安などはっきりした不安はその根源がわかるからまだいい。しかし<いいしれぬ不安>アンキエチュードは不安の最上級にあって解決への出口がない。

 これからどうなるのかどうなってゆくのか?まったく見えない。

 最近なった日本の首相は三世の坊ちゃまだが、「今最大の問題は我々をとりまく不安だ」と記者会見で言ったそうだ。この坊ちゃまはこの点だけだが直観力がある。しかしどの程度この直観力をいかした政治ができるか御名御璽などと言っていることからすると買いかぶりにすぎないのだろう。

 保守とはコンサーバティヴのことで本当の意味は失うものをなくすことを言う。保守とはキープとプロテクトのことでなにもしないで失うものを極力排除することだ。だから保守は動こうとはしない。動く気配だけですます。

 現役を離れ、あるだけの金銭で暮らす世代となると動けば金がなくなる。だから動かないようになる。即ち自らのなかに保守の種をまき始める。頭と体の不一致が見えてくる。歳をとるとは自らの保守性を実感することなのか?

 保守性といいしれぬ不安。

 それが現在我々にのしかかる。

10 月 5, 2008   No Comments

<老いの品格> 仙人とは誰だ?

IMG_1271.JPG 古来人間は苦しみぬいて挙句に仙人となって山上に暮らすことを夢見た。しかしどうも人間は仙人にはなれないようだ。 古来中国では仙人とは天上から追放されて人間界に棲むもののことだそうだ。だからもともと仙人が並外れた才をもち感覚をもっていたのは当たり前のことだ。地上の人間が脱俗してなれるようなものじゃない。

 中国唐代に傑出した2大詩人がいる。李白と杜甫だ。

人生の半分近くを遊興と漂白にくれた李白、それに仕官をもとめながら自然のなかにいた杜甫だ。李白の詩を見てみよう

 花間 一壷の酒   独り酌みて 相い親しむもの無し   杯を挙げて 明月を迎え   影に対して三人と成る   月 既に 飲むを解せず   影 徒らに 我身に随(したが)う   暫く月と影とを伴って   行楽 須らく春に及ぶべし   我歌えば 月 徘徊し   我舞えば 影 凌乱す   醒むる時 同(とも)に交歓し   酔いて後(のち) 各々(おのおの)分散す   永く無情の遊(ゆう)を結び   相い期す 遥かなる雲漢に 

花が咲いたから酒を酌み交わしたいが、友がない。やむなく月に杯をあげれば、影と私の3人となった。しかし月は酒を飲まないし、影は私に添うばかり。 けれどもそれでいいではないか。しばらく月と影と私が交われば、私が歌えば月が徘徊して舞ってくれ、私が舞えば影が踊って凌乱するだろう。それで酔えれば、それでいい。こんな世間離れの交わりをこそ、もともと「遊」というのだから、あとは仙界にでも行って続きをするだけである。

 李白だから仙界にも行けそうだ。 我々凡人はじゃーどうすればいいのか?飲んで飲んで飲み散らかすとどこにいるのか判らなくなって恰も仙界にいる感じがするが醒めればもとの木阿弥となる。なにかに憑かれて正真を外れれば気が違ったともいわれてしまう。 だから精神を高みに置くなどとても難しい。うじうじと過去のことを思い出したり後悔したり突然いやーな夢をみたり、あの時こうすればよかったとかああすればこうなっていたのにとどうしようもないことを詮索してまた後悔する。周りからみると笑事千万なことだ。

 霊長類だけが苦しんでいろいろ悩む。3年地中にいて七日八日歌って終える蝉、や秋の夜長を鳴きとうす鈴虫に慙愧や後悔は全くない。

 天宝三載(744年)のおそらくは初夏、44歳の李白と33歳の杜甫が初めて洛陽で会いまみえた。 「中国四千年の文学史上、これほど重大で、これほど神聖で、これほど記念すべき邂逅はない」と、聞一多が感慨深く綴った一刻だ。 すでに李白は故郷を出て16年にわたる遊行(遊侠というべきか)ののち、やっと長安にのぼって玄宗皇帝の翰林供奉(かんりんぐぶ)となったのだが、わずか2年足らずで宮廷を追われ(李白を嵌めたのは宦官の高力士)、いささか傷心、黄河をくだって梁宋に向かっていたところである。 一方の杜甫は、やはり前後10年ほどの遊歴をへて(とはいえ李白と異なって、杜甫は知友を辿っての道義を重んじる旅だった)、洛陽付近の故郷に戻って仕官の道を求めていた。 この二人が出会った。すでに李白の名声は聞こえていて、杜甫は、「吐き出した言葉がそのまま平仄押韻を備えた名歌名詩になる」といわれている先輩詩人に、文字通りの敬愛を寄せ、餓虎のごとき個性個風を臆することなく発揮する放埒に、驚きもし、感嘆もした。

 共通して一回は仕官していたことだ。李白は宮廷を追われ、杜甫はその仕官を追い求めていた。いわゆる宮勤めをしたのである。

サラリーマンとは元来塩を贖うものという意味だ。塩がなくては生きては行けない。だから自由を犠牲にした。自由の対価が塩なのだ。 多くの塩を得ようとすると他のものの塩を得なければならない。だから相克が生まれる。官としてのポストとは他のものの塩を多く得ることだ。だから悩みはそれだけ多くなる。とにかくはやく辞めたほうがいい。碌なことはない。会社の役員、政治家のポスト、団体の役員しかりである。

 李白と杜甫は達越した詩人だが宮廷を追われて人生の大半を悠久な漂白とタオに求めた李白の詩ほどPA世代の精神性を癒すものはない。  

9 月 29, 2008   No Comments