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「オルタナテイブ(私)論」

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「オルタナテイブ(私)論」

今はあまり使われなくなりましたが、「オルタナテイブ」とは、「もう一つの」とか「対案」と訳すのが一般的でしょうか。

我が青春時代には結構、哲学的流行り言葉であったと思いますが、その時のニュアンスは「公権力に対する不服従」という意味で捉え、対峙する提案と行動がセットされて始めて成立すると解釈されていたと思います。

この理念に再び出会ったのは、S生協の発展の歴史を学ぶ中でした。妙に懐かしく、心地よく捉え直せたのは40年の経験値が影響したのでしょうか。
言葉の解釈も変わるものです。

幼少期の記憶で、自らの行動の原点としてその後大きく影響しただろうものを考えた時、ラジオからテレビ文化に属し切った自分の存在があります。

月光仮面であり、力道山の虚像と実像が、その後の成長に大きく影響していたな、と今更ながら単純な自分を恥じ入るのみです。
「弱気を助け、強気を挫く正義の味方!・・・」

やがて、関西人としての「タイガース」はまだ見ぬ東京ジャイアンツへの対比であり、政治の意味も全くわからない中でテレビから流れる選挙速報を胸ときめかし、ため息まじりに(自民党に対する社会党の負けぶりに)一喜一憂している自分がそこに政治への芽生えとなっていたようです・・・

「事件記者」に将来の夢を抱きながら、やがて大人の入り口に立つ頃、権力に対する反権力意識を興味本位で参加した「ベトナム戦争反対」デモの隊列での官憲に蹴り上げられる足の痛みを体感し、自らの「オルタナテイブ」が形成されていったのだと思っています。
(そこには、哲学も思想も(何の裏付けも)無い幼すぎる正義感の判官びいきしか存在しない・・・)

「対案を常に考え、それを実行、実践しなければ正義はない」・・・
サラリーマンになった後も、常にこんな可愛げの無い発想の起源は、当時の歴史的文明の「テレビっ子」の中にしか見出す根拠が見当たらないようです。

サラリーマンを投げ出し、自らの過去を振り返りその原点に及ぼす人、書物、先達さえ発見しえないとすれば、月光仮面と力道山に「血湧き肉躍る」潜在意識の刷り込みがその後の価値意識の背景となっていたと結論する以外にないでしょうか?

退職後まもなく、生協のYさんに出会い、氏の行動理念の中にある「オルタナテイブ」の現実的実践論の凄さに正直驚きと感動を覚えたのです。

(おん歳68歳と60歳の未熟で青臭い出会いに感動した事は驚き以外の何物でもありません。今更この歳で・・・)

自ら創業した生協の理事長を50台の若さでさっさと後任に譲り、かつその後も個人として、オルタナテイブを実践し続けるYさんのバイタリテイと、実践し、継続、継承される事業の数々・・・

(そのオルタナテイブの実践は、あるゆる権力への不服従、国家に対しては(国民ではなく)市民、公的福祉を施しの福祉と置き、参加型福祉、就労型労働をワーカーズ・コレクテイブ・・・・保険法に対する共済法の制定も、いつの日か必ず実現するべき課題であり、その理論武装と実践へのステップに向けて「一ワーカーズ・コレクテイブ」の立場でチャレンジしてみようと思っています???

「保険法の改定」という目にも止まらないほどの出来事での理屈を超えた感性としてのYさんとの意気投合???

大きな体制の中で、「ああ言えば、こう言う」、どの上司にも常に対案でぶつかり、実践で、渋々了承を取る最も可愛く無い(さらりーまん)部下を貫いた自負心への反省が芽生える頃でした。

実践での成果は世の中評価せざるを得ないはずです。
毎日が苦しい真剣勝負の連続での苦労は、(今思えば)幼い頃の「オルタナテブ思想」が、権力への不服従という刷り込みとなって、サラリーマンの組織内とは言え、生き抜く原動力となっていたようです。

順調すぎる昇進は、役員になった後も、あえて「この武器」(オルタナテイブ)は有効に行使していました。
一般的企業での役員会などは、その大半は社長の独壇場であり、議案は練りに練った上で社長の決済済みのものであることはいずこも似たりよったりでしょう。

「社長!お言葉ですが・・・。おっしゃる通りです?」
・・・は、サラリーマン役員の笑い話のような悲しい真実ですが、時の社長は、マジに対案を求めてきていた「変り種だ」と勝手に読んでいました?
それでも中々発言などできるものではありません。
(能力と準備量がちがいすぎるのですから・・・)

末席役員が、「ちょっとよろしいですか?」は最悪のダメ役員でしょう!
会議は長引きます。いつも後悔するのですが、気がつけば、手を上げている馬鹿な自分がそこにいたのでした。
鼻つまみ者を感じつつ、それでも繰り返し、食い下がる自分のさがの原因がテレビの影響であり、それがオルタナテイブであったのだと総括するのは、誠に寂しい限りですが???

組織人としては、やっぱり失格であると悟るしかありません。
私は「これで」会社をやめました???

それでも対案で残した実績は誰にも負けない自負心もありますし、中途入社から、役員までの階段を登る事ができた原動力も、常に「オルタナテイブ」であったのだと今になって気付き納得するところです。

「もう一つの考え方がある」は、社会や企業の発展に欠かせない「哲学」かもしれません。そして現代の社会で最も必要であるにもかかわらず、不足している「抵抗の精神」かもしれません。ずいぶん脱線してしまいました。

Yさんとの出会いは、新設される「保険法」における「共済は保険である」との定義に対する「不服従」という感性のみによる合意であったと思います。

すでにそれは生協陣営における合意としても形成され、それによる生協法の範疇における共済事業にも保険業法の準拠がしっかりと挿入されて改定となっていたのですが・・・
(保険業法におけるコンプライアンスを生協陣営はどれほど理解しての合意であろうか、共済事業の相互扶助精神と保険事業のイコールフッテイングが、いかにアイデンテテイの上で相反するものであるか???)

オルタナテブの感性は、そこから保険法、保険業法、生協法をつぶさに研究するという作業に入らざるを得ません。
保険屋であった私には、「共済の世界」は所詮「無認可、無法の世界」という程度の知識しせありませんでしたから・・・

おそらく大半の保険業界人においても、制度共済というおそるべきコンペテイターの真の中身を知る人はいないないでしょう。
(あえて言えば外資系を除いて)
Yさんもたくさんの共済を自らも創設しながら、「生協人で、真の保険、共済を語れる人はいないだろう」と正直かつ大胆に吐露してくれました。

保険法の成立経緯は別としても、共済が保険であるはずはありません。少し勉強すれば、そのアイデンテイテーの違いは明らかです。(別途レポート予定)

私は、「生協の原点は共済事業でしょう。間違いなく共済は保険の中に埋没させられますよ」と強弁し、YさんとS生協はこの改定に不服従の立場を明確に示していたのですが、、、、。
どう現実とマッチさせながらそのオルタナテイブを発揮して行くのかが、課題となります。

「保険法が、一般法として保険業法の上位にあり、それに準拠しつつも例外規定としてごまかし、生協法の共済事業が位置付けられるなら、現状の制度共済は近々間違いなく消滅せざるを得ないだろう」との直感は危機感として醸成されていきます。

ならば、どうするべきか?対案が必要です。
オルタナテブの行使しかありません。

「それは、共済法の設立以外にはないでしょう。実は、欧米では保険法と並んで、レッキとした共済法が存在するのが一般的なようです。(にわか勉強ですが・・)」

大変な課題ができてしまいました。政策の立案と政治的行動、研究課題も山積みにみえてきました。しかし、誰かがチャレンジし、その可能性を追求しなければなりません。

Yさんの実績は、S生協の創設、「ワーカーズ・コレクテイブ」という労働形態の構築、「参加型福祉」の定着、政治的ローカルパーテ「イNETの創設」他、全て現実の姿として社会に既成化され、実現し、実績を残しておいでです。

ならば、包括的解決の組織を実践的起業でチャレンジしてみましょう。

Y理論の「ワーカーズ・コレクテイブ」を社会企業営利法人の「一人起業」で、理念として再定義しながらチャレンジしてみましょう。
老骨に鞭打って・・・(Yさんより、「とう」も若いのだから・・・)

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