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「オルタナテイブ(私)論」

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「オルタナテイブ(私)論」

今はあまり使われなくなりましたが、「オルタナテイブ」とは、「もう一つの」とか「対案」と訳すのが一般的でしょうか。

我が青春時代には結構、哲学的流行り言葉であったと思いますが、その時のニュアンスは「公権力に対する不服従」という意味で捉え、対峙する提案と行動がセットされて始めて成立すると解釈されていたと思います。

この理念に再び出会ったのは、S生協の発展の歴史を学ぶ中でした。妙に懐かしく、心地よく捉え直せたのは40年の経験値が影響したのでしょうか。
言葉の解釈も変わるものです。

幼少期の記憶で、自らの行動の原点としてその後大きく影響しただろうものを考えた時、ラジオからテレビ文化に属し切った自分の存在があります。

月光仮面であり、力道山の虚像と実像が、その後の成長に大きく影響していたな、と今更ながら単純な自分を恥じ入るのみです。
「弱気を助け、強気を挫く正義の味方!・・・」

やがて、関西人としての「タイガース」はまだ見ぬ東京ジャイアンツへの対比であり、政治の意味も全くわからない中でテレビから流れる選挙速報を胸ときめかし、ため息まじりに(自民党に対する社会党の負けぶりに)一喜一憂している自分がそこに政治への芽生えとなっていたようです・・・

「事件記者」に将来の夢を抱きながら、やがて大人の入り口に立つ頃、権力に対する反権力意識を興味本位で参加した「ベトナム戦争反対」デモの隊列での官憲に蹴り上げられる足の痛みを体感し、自らの「オルタナテイブ」が形成されていったのだと思っています。
(そこには、哲学も思想も(何の裏付けも)無い幼すぎる正義感の判官びいきしか存在しない・・・)

「対案を常に考え、それを実行、実践しなければ正義はない」・・・
サラリーマンになった後も、常にこんな可愛げの無い発想の起源は、当時の歴史的文明の「テレビっ子」の中にしか見出す根拠が見当たらないようです。

サラリーマンを投げ出し、自らの過去を振り返りその原点に及ぼす人、書物、先達さえ発見しえないとすれば、月光仮面と力道山に「血湧き肉躍る」潜在意識の刷り込みがその後の価値意識の背景となっていたと結論する以外にないでしょうか?

退職後まもなく、生協のYさんに出会い、氏の行動理念の中にある「オルタナテイブ」の現実的実践論の凄さに正直驚きと感動を覚えたのです。

(おん歳68歳と60歳の未熟で青臭い出会いに感動した事は驚き以外の何物でもありません。今更この歳で・・・)

自ら創業した生協の理事長を50台の若さでさっさと後任に譲り、かつその後も個人として、オルタナテイブを実践し続けるYさんのバイタリテイと、実践し、継続、継承される事業の数々・・・

(そのオルタナテイブの実践は、あるゆる権力への不服従、国家に対しては(国民ではなく)市民、公的福祉を施しの福祉と置き、参加型福祉、就労型労働をワーカーズ・コレクテイブ・・・・保険法に対する共済法の制定も、いつの日か必ず実現するべき課題であり、その理論武装と実践へのステップに向けて「一ワーカーズ・コレクテイブ」の立場でチャレンジしてみようと思っています???

「保険法の改定」という目にも止まらないほどの出来事での理屈を超えた感性としてのYさんとの意気投合???

大きな体制の中で、「ああ言えば、こう言う」、どの上司にも常に対案でぶつかり、実践で、渋々了承を取る最も可愛く無い(さらりーまん)部下を貫いた自負心への反省が芽生える頃でした。

実践での成果は世の中評価せざるを得ないはずです。
毎日が苦しい真剣勝負の連続での苦労は、(今思えば)幼い頃の「オルタナテブ思想」が、権力への不服従という刷り込みとなって、サラリーマンの組織内とは言え、生き抜く原動力となっていたようです。

順調すぎる昇進は、役員になった後も、あえて「この武器」(オルタナテイブ)は有効に行使していました。
一般的企業での役員会などは、その大半は社長の独壇場であり、議案は練りに練った上で社長の決済済みのものであることはいずこも似たりよったりでしょう。

「社長!お言葉ですが・・・。おっしゃる通りです?」
・・・は、サラリーマン役員の笑い話のような悲しい真実ですが、時の社長は、マジに対案を求めてきていた「変り種だ」と勝手に読んでいました?
それでも中々発言などできるものではありません。
(能力と準備量がちがいすぎるのですから・・・)

末席役員が、「ちょっとよろしいですか?」は最悪のダメ役員でしょう!
会議は長引きます。いつも後悔するのですが、気がつけば、手を上げている馬鹿な自分がそこにいたのでした。
鼻つまみ者を感じつつ、それでも繰り返し、食い下がる自分のさがの原因がテレビの影響であり、それがオルタナテイブであったのだと総括するのは、誠に寂しい限りですが???

組織人としては、やっぱり失格であると悟るしかありません。
私は「これで」会社をやめました???

それでも対案で残した実績は誰にも負けない自負心もありますし、中途入社から、役員までの階段を登る事ができた原動力も、常に「オルタナテイブ」であったのだと今になって気付き納得するところです。

「もう一つの考え方がある」は、社会や企業の発展に欠かせない「哲学」かもしれません。そして現代の社会で最も必要であるにもかかわらず、不足している「抵抗の精神」かもしれません。ずいぶん脱線してしまいました。

Yさんとの出会いは、新設される「保険法」における「共済は保険である」との定義に対する「不服従」という感性のみによる合意であったと思います。

すでにそれは生協陣営における合意としても形成され、それによる生協法の範疇における共済事業にも保険業法の準拠がしっかりと挿入されて改定となっていたのですが・・・
(保険業法におけるコンプライアンスを生協陣営はどれほど理解しての合意であろうか、共済事業の相互扶助精神と保険事業のイコールフッテイングが、いかにアイデンテテイの上で相反するものであるか???)

オルタナテブの感性は、そこから保険法、保険業法、生協法をつぶさに研究するという作業に入らざるを得ません。
保険屋であった私には、「共済の世界」は所詮「無認可、無法の世界」という程度の知識しせありませんでしたから・・・

おそらく大半の保険業界人においても、制度共済というおそるべきコンペテイターの真の中身を知る人はいないないでしょう。
(あえて言えば外資系を除いて)
Yさんもたくさんの共済を自らも創設しながら、「生協人で、真の保険、共済を語れる人はいないだろう」と正直かつ大胆に吐露してくれました。

保険法の成立経緯は別としても、共済が保険であるはずはありません。少し勉強すれば、そのアイデンテイテーの違いは明らかです。(別途レポート予定)

私は、「生協の原点は共済事業でしょう。間違いなく共済は保険の中に埋没させられますよ」と強弁し、YさんとS生協はこの改定に不服従の立場を明確に示していたのですが、、、、。
どう現実とマッチさせながらそのオルタナテイブを発揮して行くのかが、課題となります。

「保険法が、一般法として保険業法の上位にあり、それに準拠しつつも例外規定としてごまかし、生協法の共済事業が位置付けられるなら、現状の制度共済は近々間違いなく消滅せざるを得ないだろう」との直感は危機感として醸成されていきます。

ならば、どうするべきか?対案が必要です。
オルタナテブの行使しかありません。

「それは、共済法の設立以外にはないでしょう。実は、欧米では保険法と並んで、レッキとした共済法が存在するのが一般的なようです。(にわか勉強ですが・・)」

大変な課題ができてしまいました。政策の立案と政治的行動、研究課題も山積みにみえてきました。しかし、誰かがチャレンジし、その可能性を追求しなければなりません。

Yさんの実績は、S生協の創設、「ワーカーズ・コレクテイブ」という労働形態の構築、「参加型福祉」の定着、政治的ローカルパーテ「イNETの創設」他、全て現実の姿として社会に既成化され、実現し、実績を残しておいでです。

ならば、包括的解決の組織を実践的起業でチャレンジしてみましょう。

Y理論の「ワーカーズ・コレクテイブ」を社会企業営利法人の「一人起業」で、理念として再定義しながらチャレンジしてみましょう。
老骨に鞭打って・・・(Yさんより、「とう」も若いのだから・・・)

TPPの本質(考)・金融資本主義の現実的動きと共に (2013.4.22)

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TPPの本質は「保険・共済」??

保険と自動車を論外にして「終わらせた」後で形式的に進められるTPP論議、、、

参加11カ国の思惑など無視した日米巨大資本による優勝劣敗を明確にするエンジンとしてグローバル経済下における金融資本主義者たちの最終戦争と捉えてみなければその本質は見えてきません。

(長ーい積み上げの駆け引きがそこに存在します)

本来「経成済民」であるべき「経済」は、日本においてその歴史的過程を、バブル経済の構築、日本の失われた20年、リーマンショック等を経て、「金融至上主義」の最終戦となり、その結論として米国資本主権のTPPが現れていると考えなければ理屈が合いません。

(それは中国を相手にする為の米国の世界戦略でもあり、アメリカにとって既に中国は十分に経済的驚異でもある)

従って、日本の農業や医療の既得権益の問題で捉えるべき小さな領域ではなく、むしろ、郵政民営化、農協、医師会の既得権までも駆逐する米国巨大資本とそれに追随するしかない日本金融資本の生き残りゲームというのがその本質とみるべきでしょう。

(経済が、民を完全に支配してしまう金融条約と考えなければ、その本質が見えてきません)

米国巨大資本において狙うべき、日本における唯一最大、最後の資産は膨大な日本国民の保有する個人金融資産以外には有りません。
世界の富の集積は既に米国金融資本と日本の善良なる国民の貯蓄の二本建てになって、そのバランスを保っていると言っても過言では有りません。
(中国にもう一つの敵対的集積がありますが・・・)

日本国債はいうまでもなく、その担保が日本国民の保有する貯蓄と保険として成立し、かろうじてその信用を保っているのみです。
(世界最大の国の債務として存在しながらも優良債券である理由がそこにあります…)

一方米国においては、わずか1%の資産家の保有する富が、全体の25%という事態にまで富の集中は進み、当然の帰結として貧富の格差は増大しています。

既に米国ではその大半の「市民」が負け組にあえぐ状況が米国的民主主義の現実であり、その象徴が米国の貧困率(ジニ係数)となって現れています。
(そして、当然その「ジニ係数」は日本も米国に追随して急速に拡大しつつあります)

小泉改革の象徴であった竹中金融資本主義の復活とアベノミクス人気は、はっきりと勝ち負けの明確化による「経済のみ」の活性化による日本経済復活劇を示し、国民はその経過の中でTPPを指示してしまっています。

勝ち側経済人(界)並びに大資本は、当然TPP「ウェルカム」で生き残りと益々の発展を期す理屈は成り立ちます。(勝ち組とその側にいるとの勘違いによる選択です)

経済あっての国民所得である事は経済学(経成済民)の「イロハ」である事は承知しています。
しかし、経済学が新資本主義=金融資本主義に移ってしまっている事実を国民(市民)が見えなくなってしまっているのもまた事実です。
(年金が払えない個人または法人で、確実に将来は個人(老人)破綻する時代が見えているのですが…)

TPPの本質は、農業でも産業でもなく金融であり、デリバテイブ(保険)の復活でしかありません。
その最大のターゲットは「保険」であり、その決着は既につけられた(譲歩した)上でのTPP参入(おまけに互いの経済的象徴としての自動車を外す)となりました。
農業は金銭的に保護されてギブアップさせられるでしょう。

医療(健保)と保険(簡保、農協共済、制度共済)が、米国のTPP日本戦略の全てであり、この為の途方もない手続き(戦略、圧力)は、別途日米構造協議の中でずっと(30年以上に渡って)攻め続けられて、今日まできていました。

民間の保険業界は既に市場のグローバル化にともない、合従連衡によりその戦う為の資本を世界戦に向けて準備を完了させ、スタンバイを決め込んでいます。
(この間ちょうど20年の期間を要し、法改正も着実に行われてきました)

米国資本の象徴はその証としてリーマンショックという形の中でも保険のAIGは生き残り、日本社の最大の勝者である「アリコ」は(AIGグループから脱し)スヌーピーのメットライフとなり、アヒルの「アフラック」はその後も全く順調に業績を伸長させています。

(このアリコ・アフラックの素晴らしいPL、BSを分析して見てください。ただし、責任準備金や再保険の仕組みを理解した上での膨大な利益を読みとけるかどうか、日本の保険業法との絡みは少し難しいかもしれません。読み解きができさえすれば、どうやって日本におけるその利益が米国に移っていくかもわかるでしょう)

すでにアリコ、アフラックの日本における顧客数は3000万人を超えるでしょう。
一見飽和状態にも見えます。
しかし、まだこの利益市場には、強大な簡保、共済が存在し、やはり莫大な富を有していますし、日本の皆保険制度もその富の象徴として存在している事実を米国が見逃すはずは有りません。
(必ずアメリカはそれを狙い、結果として日本国債の担保が消滅せざるを得なくなるかもしれません)

私はその昔、保険会社において強大な欧米における巨大保険会社の資本力と我が社(当時)の赤子のごとき過小資本に愕然とした覚えがあります。
そして、やがてくるであろうその日に向けて世界のトヨタの傘下に入るという社長(当時)の先見性に感動した覚えさえあったことを自白しておきます。

(残念ながらその波は新たな再編を観て、3大保険会社にまで集約されてしまい、今日それでもなお喘ぐ状況を見聞きしています。
当時グローバル化する保険業界で生き残れる保険会社はあの「日本生命」一社である事、同時に米国AIGの資本力と政治力が、静かに日本への圧力を強めていた事を見てきました)

卒業後、偶然にももう一方における生保陣営における「医療共済」の存在を知りました。
生保における南北問題というカテゴリーでの外資系への第3分野の解放と国内における「共済」と簡保という国民資産の存在を改めて勉強していったのでした。

既に米国による政治的圧力は、その日本独特の「共済」制度を狙い撃ちにした法改正を行ってきていました。いわゆる「イコールフッテイング」という共済の保険化への強力な政治的動きです。
日本流コンプライアンス(保険業法)の強化と「簡保、共済」へのコンプライアンス適用のイコールフッテイング論…
その一方において外資系保険会社への適用除外圧力の矛盾…これらがTPPの裏側で動いていた日米構造協議の主要議題である事実を確認してきました。

TPP問題は、日米経済戦争の最終形として、リーマンショック以降の米国の勝者としての占領政策の継続であり、その影響度は10年後の日本に出てくるものでしかありません。既に勝負はついているともいwるものですが…)

(ISDN条項を戦える弁護士など米国にしか存在しない事実をTPPを推進する人達は知っているのでしょうか。勝ち組の知識人で有るからそれはそれで良しとするのでしょうか。米国の属国を自他ともに認めるに等しい事もよく知っているのでしょうか)

今更の感は否めませんが、昨今のTPP推進の世論とその本質を見ない近視眼的賛成論に対して、警告の記述を残しておきたく思いました。

高校時代にアメリカの自由にあこがれ、大学時代にあの原爆の悲惨さを「原爆資料館にて知らされ、一昨年の福島に続く無責任な核戦争の悲惨さを目の当たりにしたものです。
米国の経済政策の中から生まれた原爆技術の産業化、原発経済無くして日本経済無しの現実が作られて行き、その中で「再稼働止む無し」におもねく自分自身が存在してしまうのです。

原発なくして、電力会社無し、電力9社無くして日本経済の発展無しは、現在経済学における常識です。
(原発閉鎖は100%の確立で日本経済をどん底に落とします。しかしその付けを払い復興するしかない現実が福島の現実です。それを見ずして、再稼働止む無しとは決して言えない実情が「福島」であるのですが…。

アベノミクスによるインフレターゲット創造も近視眼的経済発展には不可欠と認めましょう。
しかし、少子化を絶対条件とした日本経済に経済成長を前提とした日本の将来について、増え続ける貧乏人(負け組)は、病院へも行けない日本になる将来を選択しているに等しい事実を本当に理解しているのでしょうか?

TPPも原発も経済(かね)優先の米国追随の一点において同根であり、それは敗戦、日米安保に続く、不平等または無知、無責任な不平等条約であり、少なくとも与えられた日本国憲法であっても日本人の良心として守り、定着した日本国憲法の改正へとつながる道とも同根であると考える理由です。

団塊世代が日本の戦後経済発展の主役であった事は事実です。
しかしその役割を終える今、しっかりと現実の日本を見つめ、悪役を演じた事実の可否は別にしても、その問題点への考え方を明確にしておく事は必要ではないか、またはゆっくりと考える時間と発言する勇気は必要ではないかと思っているのですが…

あるロートル爺の「29歳の社会起業家」支援プラン(2013.08.6)

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この半年、日本の農業技術(有機農法)支援を「消費者の立場」から推進し、事業化して行く構想を考えてきました。

(「農・商・工」連携ではなくて「社会経済連携」として考えよ…は「Yさん」の持論でもあるのですが、ちょっと難しすぎるかもしれません)

千葉で、障がい者と共に有機野菜栽培を目指す「E」君(29歳)との出会いに、シニアの余力を活用し、出来上がった農業製品を高額になる配送コストを最大セーブして、消費者に届ける構想が纏まりました。

NPOを組成し、地域(千葉)行政に横たわる農業政策と高齢化問題に資する方策の検討は、地元(千葉)農家としての課題でも有り、その連携事業を「経済化」させる試み…
産直と地産地消はセットの課題、(問題はその流通コストの省力化が大命題)です。
「非営利事業はその継続性を「公」(行政の助成)にのみ頼りがちで、発展性が担保されない… 故に若い社会事業家が育たない」は、長年NPOを見てきた「我が持論」でも有りました。

NPOが「市民資本」を形成し、経済合理性の中で発展して行く仕組み作りがなければ、ボランテイアの寄せ集めではやがて行き詰まりを迎える…

産業資本のCSRを活用し、公的資金も利用して、地域事業(農業)を発展させる事でその収益を特化させて行く。

(収益を株主還元せず、社会へ還流させる仕組み作り(市民資本形成)を「社会経済連携」として実践する…)
E君(29歳)の構想(大風呂敷)が纏まりました。

あとは経済合理性と一定の浄財、何よりも購買者の確定、そして優良な余力労働の有効活用(有償ボランティア)の組成・・・これらの具体的実践シナリオです。

沢山の地元農家、意欲的で優秀なるNPO活動家、経済任務を一応終了した優良シニア人材、そして不足する農業人口に有効活用できる障がい者の存在、そしてこれらを支援するべき地元行政と地域産業のCSR活動・・・

有償ボランテイアを自らも実践しながら、このコラボと経済合理性と長期安定(成長)をコーデイネートできれば・・・

ド素人が、半年がかりで調整してきた「社会経済連携事業」構想のスタートです…
就寝時間4:00を起床時間に変える事からはじめる決意、、、さてどこまで持つものやら…

サンバカ物語⑤ 「KOMAGATAチーズ(2)」

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「実は来月、テレビ東京に特集されるらしくて、忙しいんだよね…」

その後、「E君」と駒形さん宅を再訪したのは、どうしても「KOMAGATAチーズ」を継承するチャンスをこの若者の力と将来性」で説得したかったからでした。

自信はありました!

駒形さんのあの笑顔は、「きっとE君を連れて、再訪すれば我々にその販売権を託してくれるにちがいない」
(40歳以上離れた二人には、共通する何かが存在すると感じていたのでした)

KOMAGATAチーズのロゴ(チーズラベル)を作って、強行突破した日の駒形さんの第一声がテレビに先をこされた感のある事態でもあったのですが…

週一日のチーズ研修のお願いと共に、「唯一の販売店として「KMAGATAチーズ」を販売し、そのチーズをブランド化して残して行きたいのです」

チーズラベルには、「駒形さんの笑顔」をロゴの中央にすえてた仕掛けがしてありました。
「ロゴもネームも売り方も任せるよ…都合によっては面倒だから販売窓口を全部変わってやってもらえれば・・・」

秘伝の和製(千葉産)チーズの販売が可能となった瞬間でした。
我々はもちろん今月駒形さんがテレビで特集されるなんて知らなかったのです。テレ東のIR力は知りませんが、ところさんの「お宅拝見・・・」はテレビ東京の目玉番組であるとか…

(「2月14日」(金)のゴールデン帯で放映ということです。是非ご覧下さい!!)

さて、予定の3000坪の土地有効活用は、チーズ工房の増設も視野に入れながら、おそらく酪農家の駒形さんが考えたのは一等牛の放牧ではなかったかと勝手に夢を膨らませながら2度目(実際には4度の)訪問を終えたのでした。

ちなみにチーズの元である牛乳については、一山越えたところにある酪農家からしか供給はできないそうです…そしてそこから生まれる牛乳ももちろん日本一の牛乳であることは、その道のプロの「言」であり絶対のおもみをもつものでした。

かくして「チームKOMAGATA」と共に、5バカの果てしない夢が継承されて行くことになりました。

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サンバカ物語④ 「KOMAGATAチーズ(1)」

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3000坪の土地活用について「Yさん」から相談を受けたのは、「Yさん」の主催するゴルフコンペの帰り道だったと思います。
(そのゴルフコンペはYさんと共に安心な食を求めて研究を重ねてきた生産者の人達が、息抜きの場として長く続けているものです)

常連メンバーの一人でもある駒形さんは75歳にして、そのゴルフの腕前はシングルクラス…
60歳になってから、千葉(房総)の「大原」でひたすらチーズを作り続けている方です。(元はと言えば、牛乳屋さんであり酪農家ですから、そのキャリアは50年以上の乳製品のプロフェショナルでもあったのですが…)

駒形さんのチーズ工房の周りには、100ヤードのゴルフ練習場があります。しっかりとした芝付きは、もちろん駒形さんの丹精込めた手作りと手入れで出来上がっています。
75歳とはとても思えぬ正確無比のアプローチショットはここでの日々の鍛錬によって今日の腕前が維持されているのでした。

駒形さん地にお伺いして、ご自宅と工房に加えて拝見したゴルフ練習場と周辺を囲む山…合計3000坪がご自身の所有地であると知りました。

この土地を何か社会福祉に有効利用できないかというのが駒形さんが「Yさん」に話された相談だったのです。
(Yさんは、今も現役の社会福祉法人の理事長であり、かつては駒形さんの同僚でもあったのです)

到着してすぐに頂いたのはもちろん、「駒形チーズ」…
知り人ぞ知るこのチーズ、頂くのはもちろん始めてでした。これまでにも何気無くチーズは口にしてきましたが、高級チーズと雖もたかが「チーズ」という程度の知識しかありませんでした。

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一口、口にしてその味の違いに驚いたものです。
「本物のチーズ」とはこれのことか…何の説明も受けず、シニアの域で始められたチーズ造りに専念された駒形チーズのとろけるまろやかさは、これまでのどのチーズとも違う驚きが有りました。

その食感は間違いなかったのです。
確たる売り場もなく、ただ口づてだけで、作ったチーズは全て消えてしまうということです。中でも駒形さんの説明では、このチーズどこからともなく、「JALのファーストクラスに乗れば、食せるらしい」とおっしゃるのでした。

らしいというのは、ご本人もまだ現実にその場に出くわしていないそうです。(ファーストクラスといってもJALの海外線でのみとのことですから、当然かもしれません)

その名も「ジャポニカ 酒びたし」と書かれた「JALファーストクラス」メニューとやらを拝見して納得するやら驚くやら…

驚いたのはこのチーズ、駒形工房から直にでなければ手に入りません。
量に限りがあり、一般市販はされていないのです。ただ口コミだけで全国の有名シェフを通じて、静かに浸透して行きつつあるものだったのでした。

大きなご自宅は、チリひとつなく片付けられており、酒が苦手だと言えば、美味しいコーヒーを入れて頂けます。
昨年連れ添われた奥方に先立たれて、今は独り住まいであるとか…地域の方々がチーズを食しに訪れて酒盛りになるのが楽しみと言われる駒形さんの「笑顔」は、まさに日本の生んだ熟練技術者の余裕というものが現れて、引き込まれて行きます。

「思わず後継者は?」と聞いてしまいました。(失礼でした?)
「引き継ぐ気もないし、引き継ぐことも難しいから…」と駒形さんは淡々とはなされました。

小さな工房を拝見して、全てが手作りであり、こだわりであり、日本のチーズでありそれはどこの国のものでもない千葉の大原の駒形さんのチーズであることを理解したのです。
「チーズとは、人でありその一つ一つに命があり、同じチーズなどあり得ない。生まれた命は人に食されてそれで終わるものであり、日々その息吹(息遣い)が違うものだからチーズは面白い…」

Yさんとの帰り道…
「3000坪の有効利用もさることながら「駒形チーズ」の継承こそが、優先課題ではないでしょうか?
違うチーズであってもその技術の継承と「KOMAGATAチーズ」のブランドを残すことはできるのではないでしょうか?」

「甘いよ…」と一言言われても生来のバカさのチャレンジ精神が、二人に残存していることだけは感じられました。

「直接、当たってみてもいいですよね?」
「・・・」

サンバカ物語 ③ 「中国食事情」

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中国、黒竜江省「寧安市」・・・
古代より、中国の穀倉地帯として農業が盛んな地域として知られています。

寧安はその中でもロシアに近く、また朝鮮半島とも隣接し、かつては日本の満洲地区でもあったところで、その農法は日本技術も導入され、中国でも最も良質米の産地でもあると友人の「陳さん」(仮称Cさん)が教えてくれました。
日本で苦労して環境ビジネスを立ち上げたベンチャー起業、Cさんのふるさとでもあるところです。

Cさんの実家では、皇室御用達の米を昔から作ってきたのですが、それでもその米は、「とても「日本米」に及ばない、中国の大発展にも関わらず、現地では昔の日本農法のまま、広大な農地を化学肥料に頼って今も工作されている…」との事でした。

「サンバカ」トリオのスタートはなんと日本を飛び越えて、この中国穀倉地帯に向かう旅から始まってしまいました。

E君曰く、「日本の農業技術の発展は実はコンピューター技術の発展が最も目覚ましいのです。一度機械を持って、その地の土と水を調べて見てはどうでしょう?」

かくして、3バカプラス「Cさん」の4バカは、飛行機を乗り継いでかの地に向かいました。
大量の機械を運ぶのは大変と思いきや、その調査のための機械を持つ「E君」の出で立ちは、パソコン1台の軽装でした。
9月とはいえ、もはや黒竜江省は冬支度に入るとか、黒竜江省の稲刈りは短い秋を収穫期として終了するということで、その前にとるものもとりあえず、4人の珍道中が始まったのです。

「Yさん」はこれまでにも日本における沢山の農業視察の経験をお持ちですし、黒竜江省は、その昔山形、平田牧場の「豚さん達」の「飼料研究」に何度も訪れた場所との事です。
E君の軽装ぶりで本当に大丈夫かなと首を傾げつつ、素人の「役立たず」も通訳の通訳として同行させてもらいました。

「Cさん」の奥方から「トイレだけはご不便をおかけしますので…」と言われたのは、彼女も彼の地のご出身だったからです。(実はお二人とも朝鮮系中国人です)

韓国仁川経由「牡丹江」空港から車で1時間程度の寧安市は、ほとんどの街並みは古い朝鮮国のような感じです。(もちろんよく知りませんが、そんな感じの村でした)

流石に(トイレ問題もあり…)ご実家での宿泊はご遠慮し、その街最大のホテルに到着、、、、
部屋はだだっ広いのですが、やっぱり部屋には風呂はなく、シャワーもダメでした。
(ついでに言えばトイレも遠慮せざるを得ない程度の「高級ホテル」でしたが、今回の訪問には何ら関係ないことなので省略としましょう…)

翌朝、広大な農地に驚きもせず、どこからどこまでが今回の研究土地に当たるのかも検討がつかないまま、稲刈りの終わってすぐの田圃に踏み込みました。

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E研究員は、土を取り、水を組んで調査の時間はそんなに手間取るものではありません。(日本の農地と全く変わらない風景に見えました)

そのまま、「Cさん」のご実家に戻り、早速その土地の土と水の成分分析を行います。日本から持ち込んだパソコンと何やらリトマス試験紙のようなものとのにらめっこが1時間程度だったでしょうか?

答えが出たようです。

「水は全く農業に問題なく、稲作にはむしろ良質…土も既に農薬の影響はあるものの、多少のマンガン系が不足している程度でその補完を行えば、十分に日本と同じようないい米ができるでしょう」
という結論が出たようです???
但し、既に広大な土地には大量の化学肥料が散布される農法は中国でも変わらない所であり、その土地を今後とも守るための有機農法などできるものではないかもしれません??そう、我々は、中国の広大な土地を化学肥料から守り、本来の美味しい米を作る有機農法を持ち込みたいと考えたのです。

中国では、実は十分な有機肥料が大量にあり、農業人口もまだ十分に確保できるのですから、美味しい米を作る為には、農法変更は日本よりずっと恵まれている環境にあるのですが・・・。(トイレは昔の人糞の宝庫であり、家畜や麦わらも土には素晴らしい食べ物なのですから…)

あくまでも質よりも量であり、そのための広大な土地への簡易農法は中国農業にとって最大の優先順位となってしまっています。

中国の大発展の中で「食の安全」だけは全くなおざりにされたままのようです。いくら裕福になってお金を払っても食の安全は買えないのです。

(中国では、中国産の販売水でさえ、決して安全ではないときいていました。美味しい中国料理であっても、その安全性については、全く信頼感がないことを既に全ての中国人も理解しているというのです)

極めて少ないようですが、日本米の流通価格は、中国米の3倍以上だということです。ということは、もし日本米と同様な米が作れれば、もちろん作られた米は3倍以上で売れることも間違いない。(1キロ4元で流通している中国最高級のご当地米は12元にも跳ね上がり、飛ぶように売れるであろうという結論での事業的調査でもあったのでした。

かくして、サンバカトリオは4バカになり、かの地で日本米と同様の稲作作りのテスト耕作を行うことを決定したのでした。

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130604黒竜江省 予備調査を受けて

サンバカ物語 ② 「新入社員、T君へ」

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無事入社、おめでとう!!

決断を感謝し、今後の健闘を祈ります。沢山の「大学は出たけれど…」のニート、アルバイターがいることは承知していますが、一方でその大半の(元)学生は通常企業に採用されることは永遠に無いだろうと暗澹たる日本の将来を強く感じた次第です…。

社会に出る「心構えや決意」が、全く出来ていない中で世の流れの中で無目的に大人になってしまった。
そしてそれでも「今」は喰える時代背景の中、自らの食い扶持を就職という流れだけで受け取っている人達が大半なのではないでしょうか?
企業人事担当という視点で貴君を見れば、その常識は「採用不可」となること必定でした。

それではなぜ、採用となったか?

一言で言えば出会いです。貴君にとってはその相手が、「馬鹿な」会社即ち「サンバカファーム」であり、やむなくもその流れにのる決意をした事、企業側で言えば、「磨けば光る玉」であると見抜いたとする「馬鹿さ加減」の非常識、この二つの「出会い」でしかなかったでしょう。
(そしてこの非常識が、この物語の展開となって、リアルに描かれて行くことになります)

「サンバッカス物語」は、零細企業が精一杯できる事として、貴君のためだけの研修資料として書き下ろしされ、読み手としての対象は貴君一人のための「大作」になる予定です。
(早速ですが、研修と心得て、序章から読み直して下さい。理解不能のまま、読み飛ばして行きましょう)

明日からの研修は、極めてハードになり、体で覚える実践研修となります。零細企業では「3年分」の人材育成研修を「3ヶ月」で習熟し、後は一人で意思決定し、進む道を自ら切り開いて行くしかないのです。(それが唯一の楽しみであり、冒険でもあると解釈して)

チャレンジするテーマは「農商工連携によるベンチャー事業の確立」です。(難しすぎるテーマですが、貴君が飛び込んでしまった現実の世界です)

明日から農作業として「野菜」「米」の生産育成を行いつつ、それを運び、加工、商品化して、また運び、販売し、代金を回収するるという途轍もない原始的作業の全てを貴君に担ってもらう事になります。

きっと夜は企業経理と総務、雑務の宿題も全て実務として発生するでしょう。
今、唯一の社員として「E社長」が行っている実務の後を追いかけるだけの事ですから、大した事では有りません…。(この社長ちょい頭は飛び抜けていますが、一バカの筆頭です。まずは体力勝負)

それでは、一躍「サンバッカス物語」の主人公となるべく、この会社の進む過程と狙いについての研修資料を一緒に読んで行きましょう。
人の出会いの素晴らしさが、いかに貴重であり、今回の入社が如何にラッキーであったかを立証して行きたいと思います。
(百人、千人の優秀なる大手企業新入社員に研修したい「秘伝??」を、貴君ただ一人に伝授していく(貴君の)光栄を、貴君の落ちこぼれ仲間にも読ませて上げる可能性をせめてもの慰めとしながら…)

この物語の成功も挫折も全て貴君の責任の中にある…それが貴君の選択した社会人としての第一歩であり、その責任を共有し、指導する側の責任と自覚と自信の宣言として書いて行く予定ですが、いつ絶筆となるかもわかりません…

「サンバカ事業」の広がりの経過、と世の中の「馬鹿」達が、いかに素晴らしい力を持っているかを実践中継して行く予定です。。。
(序章に変えて、T君の入社への祝辞としして…)

サンバカ物語 ① 「サンバッカスファーム」

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ある社会起業家との出会いから始まった「余計なお世話」が、いよいよ走り出しました。

「サンバッカスファーム」とは、馬鹿げた3人(老、壮、青)が集まって、 「農商工の3つを一つの事業として完成させる事が、日本の将来を救う唯一の方法だ」 「トリプルB」から「トリプルA」の食を創る… そのキーワードは「土に帰る。土を変える(自然に戻す)」… 「無添加、無農薬の有機農業の追求こそががそれを実現できる、果てしない茨の道であってもそれが近道だ」との確信でした。

(まさに「夢物語」の馬鹿げた空想でしかないことを承知の上で…) 有機農業(法)こそが食の安全を担保する唯一の生産方法であっても、それは残念ながら事業としては簡単には成立しません。 大変なロードとコストを吸収できる価格形成(マーケット)はこのマスプロ時代には不可能なのです。 (事業ではなく、趣味と研究というジャンルではではあり得ても・・・)

これまでに「本物の」社会起業家が、次々に挫折して行く姿を数多くみてきました。 それは「非営利」(NPO)の甘えからいつしか時間を空費し、「悪意なく」ごまかしの人生に転落していて行く状況を作ってしまう…という認識(偏見)なのかもしれません。

そんな中で、出会ったのが若干29歳の(青年農業家)「遠藤尚志君」(仮称Eさんん)でした。 労の域に入る非営利実業家、横田克己さん(75歳仮称Y)さん)に彼の将来を見据えて、相談したところ、見事に「その発想」に同意を得て、E君の全面支援とご指導をお願いしたのです。 (横田さんのご活躍と周辺事業の成功を目の当たりにしてきました。理論と実践を見事に調和させたその現実のビジネスモデルの成功事例は「枚挙にいとまなし」と日頃から感服していた人です…) 夢のプロジェクトの成功には、少なくとも30年はかかるでしょう。

であれば、託す人は30歳以下で、農業の厳しさに耐え切れる人材たり得ないと考えたものです。 E君は我が憧れの大学「一橋大」を出て、何故か「NPO活動」とその周辺にある「農業」にはまりこんでいましたが、社会事業としての農業を非営利の視点から時の目指す彼の10年後…また非営利と言われる事業体の危うさ…(まさに余計なお世話であるのかも…) 通常であれば、この時点で反発するのが、今時の若者ですが、その他人の(素人)アドバイスに全面賛意を示し「よろしくお願いします」となってこの物語は始まります。

サンバッカスファームは、有機(的)農業の研究と実践(農)、その食物の加工、配送(工)、安心安全食品の販売(商)を川上から川下へ一気通貫に事業化する難事業であり、その連携事業の成功事例など、皆無と言わざるを得ないものです。

「Yさん」は、これまでに「商」から「工」を経て「農」を育てて行き、大成功を収めた実績を持つ唯一無二の人と思います。 そのキーワードは流通と加工の工夫であったと推察しているのですが…。消費者の声を「安心、安全」の一点の凝縮し、「工」の効率化でそのコストを「農」の手間につぎ込んで行く、、、一つの(農)製品の完成までには少なくとも「3年の研究年月」と「我慢」が必要であったと聞きます。

あの「三元豚」で有名な平田牧場にかつてYさんにお連れ頂きました。 今や「ヒラボク」は、豚肉の最優ブランドとなり、業界に君臨しておりますが、その牧場のオーナーである「新田さん」にお会いして聞いたことがあります。「人も豚も、何を食べ、何を栄養にして優秀な豚になるか具豚で終わるかが別れるものだ」… 酒田の外れに懐かしいあの「豚舎」の匂いが全くない広大な豚農場がそこに実現していたのでした。



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