Le Yuuki à Le Yuuki ユウキ・ア・ル・ユウキ

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サンバカ物語(26) スマートグリッド農業物流のすすめ

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 全然更新しないで、久々に突然の更新ですが、そういう気分だということで・・・なんとか起業3年目!店舗2年目。ぎりぎりのところで、首の皮一枚いやあ潰れずににすんだ!「有機農業を支えるんだ」という青臭い意気込みではじめた本事業ですが、「むしろ農家さんに支えられている!?」という感覚になることが大変多い今日この頃です。感謝。

 一日に3回は「しんどい・・・やめたい・・・」となる事業立ち上げですが、(誤解していただきたくないのはそれと同じくらい素敵なこともちょびっとはあります。)頭の中を鬱屈した想念が取り巻いてしまいますので・・・少し吐き出しておこうと筆をとった次第です。

 先日ある某生産者団体の代表の方がご自身のフェイスブックで次のような記事を紹介されておりました。(以下、固有名詞部分の記述を変更しております。)

 「某生協でサニーレタスをたのんだら、Aさん(仲間の生産者)のレタスが届きました。
 (自分の生産者団体)から東京経由で我が家に来ました。
  長旅をしていたにもかかわらず、鮮度も良くてとてもいい感じです。」

(初めに断っておきたいのですが、実はこの方大変尊敬している方です・・・たまたまブログの話のきっかけに使わせていただいたと考えていただければ・・・いやほんとこの方の著作全部読んでるんです!(笑))

 私としてはこの記事「あれつ!?」と思ったのですが、こちらの記事は非常に評判もよさそうで「いいね!」の数も多く200を超えており、あんまり私のように「あれっ!?」と思っている方がいないのでは!?と思い本ブログを執筆している次第です。・・・

 もちろん代表の方はもちろんあまり他意はなく、1)自らの団体の生産物の品質の良さを実感した、2)それを支える(コールドチェーンの)物流のすばらしさといった趣旨で記事をあげられたのだと思います。

 私の違和感の正体は単純で、「地元の農産物が、地元の家に届くのに、何故いったん東京(恐らく実際は、物流センターのある埼玉の間違いと思われますが・・・)を経由する必要があるのか!?。直でこないの?」ということです。まあ実を言うと答えを知っておりまして、「今のシステムが、そうなっている。」「東京経由のほうが効率がよい。」からそうなっております。

 あんまり物流の細かいところは説明が面倒くさいのですが、こういったことは、ああ、よくあることで千葉県野田市の枝豆がいったん築地を経由して、野田の料亭に帰ってくる・・・千葉県柏市の家に届いたキャベツは、元を辿ってみれば千葉県旭市→(千葉県柏市)通過→埼玉県の物流センター→千葉県柏市の配送センター→家とまわってきたなんてことはほんとによくあることです。

 しかし、天邪鬼な私は「どう考えてもそれっていろいろ無駄も多いのでは?」と考えてしまいます。実際電気の世界では、「スマートグリッド」などという仕組みも考案されております。(スマートグリッドについては各自がんばって調べてください。)

 確かに80年代以降のコールドチェーン物流の発達は、(世界でもおそらく有数の)ある「豊かさ」をもたらしました。その辺のスーパーで、寿司屋でしか食べられなかったような刺身をひゅっと買うことができるようになりました。(盟友の吉田君(福島の牛飼い・ジェフサポ)とフジロックなどの野外フェスティバル会場でこそシャンパンとあわせて「新鮮な刺身や馬刺しを食べるのだ!」をよくやってました。あれ!?あんまり関係ないですね(笑))

またまあ合わせて言えば四季にあわせた日本全国の産地リレーにより、一年中「好みの」野菜を買えるようにしてくれました。フィリピン産の終わった後の宮崎産や鹿児島産のオクラなんかはわかりやすいですね。関東の玉ねぎが出てくる前の今の時期の長崎や佐賀の「新玉ねぎ」。などなど例示に暇がありません。

(その仕組みによる有機農産物の「悲劇」は、日々目の当りにしていいるので、いづれ・・・時間があれば!!怒りとともに。)

 現在の流通の仕組みはほんとにすごい仕組みだと思います。が・そろそろ次の(オルタナティブな)「豊かさ」をもたらす仕組みがあってもよいのでは・・・と考えております。具体的に言うと「畑で採れた野菜が・・・3時間後にご自宅に!」みたいなことです。それを可能にするIT技術は、(たぶん)もう十分出揃っているでしょう。

(本来の「産直運動」とはそういったことだったのでは!?)

(因みに「原発」についても同じ論点が成り立つと考えております。原発は、一基当たりの発電量が巨大すぎてスマートグリッドに向いてません。「集中」と「分散」どっちがいいの?みたいな。ああ、これじゃあ、はしょりすぎて全く伝わりませんね(笑))

<16日(土) 22日(金)12:00~14:00>
生活協同組合生活クラブさんと共催で、ランチパーティーやります。12時~。平田牧場三元豚のハンバーグと有機野菜サラダバイキングで300円!?いろいろおしゃべりしながらごはん食べようかと思います。

<新商品「有機サラダ」先週から販売中>
オリジナル有機野菜「食べる」ドレッシングを沿えて。旬の有機野菜の美味しさをシンプルに味わうには・・・サラダ!でしょう!
入っているお野菜は、その日の野菜の具合により・・・日替わりです。
(今日は、サニーレタス、キャベツ、ズッキーニ、すっぴんトマトでした!)

<他・・・いろいろお声掛け感謝!いろいろスタート予定またご案内いたします!!>

農商工連携事業「サンバッカスファーム」

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「オムス ビオ」は「サンバッカスファーム」という名の一農業者のアンテナショップの店名です。
(おむすび屋さんではありません?有機農業を支援する仲間達を表す造語です…)

日々の情報は、こちらのブログにて発信しております。
http://hommesbio.tumblr.com/

精一杯の愛情を込めて作った「技術品」をできるだけ早く、できるだけ安く、できるだけ美味しく、生活者にお届けし、できるだけ生の声をお聞きする…

5年後の夢は500トンの米と200トンの野菜を無添加無農薬でお食べいただく事、、、

その為のネックが加工と流通です。そこで考えたのがシニアパワーの有償ボランティアとしての「ワーカーズコレクテイブ」という働き方です。

有機野菜は高くなるという伝説にチャレンジし、野菜の姿形を選ばず、厚化粧を排する事で「g辺り1円のお惣菜を提供できるはず…」

そして、この一連の循環でそれぞれ事業として成立させなければ成功とは言えません!

農商工連携社会企業を起業したサンバッカス社の主張です!
(現実はまだまだ、厳しい実情ですが、なんとか著に着いたところ、引き続きご支援のほど…

サンバッカスの主張!

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「3・11」から3年…
阪神淡路大震災の時もそうでした…

2度とも被災後すぐに被災地に赴き、そのショックを目の当たりにしながらも、「人」の記憶は時の流れの中で風化していくものだと他人事のように白状せざるを得ません。。。

「3.11」は特に原発問題が今も深く傷後を引きづりながら、既に何もなかったかの如く「経済優先の日本」でその復興の掛け声にすり替えるのみの状況です。
(いや、それよりも加速して右傾化の傾向は顕著かもしれません)

都知事選を境に反原発や脱原発は、世論の声としては免責とされてしまったのでしょうか?

「いいえ…」市民の心の奥底にある声は決してそうではないはずです。
強い怒りとともに、次世代への付け回しを許すことなどなど通常の市民感覚では出来る事ではありません。
「アベノミクス」とやらのしたたかな戦略の中でそれに抗するだけの「知恵」が出てきていないのです。

(都知事選における小泉、細川連合と宇都宮連合が出来なかったことに象徴される)日本の政治状況は暗澹たるもので、そこにも大きな政治戦略を感じてしまうのですが…)

一市民として、3年目の自らの中の「3.11の風化」に反省を込めつつ、この国の歴史的舵取りの間違いを正すべく解決方法の無策を嘆くのみなのですが…

そして、自然体のノリで消費税は上がり、社会福祉目的税などとっくに消えてしまています。
原発は「必要悪」ではなく、人類にとっての諸悪の根源であり、その象徴として「反原発」でなければならないのです。すなわち「脱原発というまやかし」こそが作られた政治的戦略だと思うのですが……

「有機ソムリエ」としての勇気ある「ゆうき」

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006「有機ソムリエ」としての勇気ある「ゆうき」

有機農法と「認定有機マーク」には、実に大きな誤差が発生しています…

「LE YUUKI A LE YUUKI」での主張の根源の理論は「オルタナテイブ」にあります。

「ゆうき」の勇気はその気骨をして成立し、そのことが「遠藤ゆうき」を「有機ソムリエ」として公言する所以と考えています。

食の安心、安全の尺度は国やその利害団体によって決められるものではなく、常にその個々の主観でしかありません。

政府公認の「有機マーク」は、利権でありそのためのコストを有する存在でしかありません。
すなわちそれは一つの「ブランド」でしかなく、そのブランド料を払って有機を説明するか、それ以外の説明を信頼するかの違いでしかないものと考えています。

我が「有機ソムリエ」が認定する有機農法も、古来から存在する日本語としての「有機」を否定出来るものではありませんし、明確な理論と実践における「有機食」と言えるものだと自負するところなのです。

昨今の「有機」マークの取得とそのためのコストを消費者へ転化するやり方に明確に「オルタナテイブ」の主張で異議申し立てをするものこそが「YUUKI有るYUUKI」と考えています…

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ワーカーズ・コレクテイブとは?

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一般的には雇用と被雇用の関係には、利益の分配において雇用者が有利(投資還元)になります。(資本と労働価値と生産利益の関係)

雇用関係を伴わない労働とその付加価値を自らに還元する働き方は、自らが資本(または労働を)を供出し、その利益も得る仕組みができなければなりません。(しかし、小資本(の一人親方)ではその成立は極めて難しい)
そこで、同業種の仲間が集まって組合を組成し、その収支をガラス張りにすることで利益の蓄積、還元まで管理する手法として生まれたのがワーカーズコレクテイブという働き方です。
(生まれた労働価値はすべて働く側に還元され又は自らの意思による社会事業に還元される …即ち資本または金融の利益に害されない働き方と言えます)
その前提条件としては双務契約の(業務委託、受託)成立が無ければなりません。
業務を委託する側と受託する個人及びその所属組合と受託者それぞれが、それぞれの責任の範囲で、権利、義務を理解分担し双務契約とする考え方です。
(一般的に契約における甲、乙の考え方には委託者、受託者の権利、義務において片務的条項が存在するものです
本来は両者が互いの権利、義務、リスクを認め合い契約するのですが、一般的には契約は常に契約弱者が存在し、片務的業務委託受託契約になっております。
契約書における甲と乙を入れ替えてみればそのことがよくわかります。
一般的に委託者が有利またはリスク小に作られてしまうものです)
双務契約としての「両者の了解と理解」を協同組合の事務方がしっかりチェックし、そのコーデイネーター役を果たす事で「ワーカーズコレクテイブ」は成立するのです。
それゆえに、事務局は公平な業務委託者を抱えなければ、受託者の仕事を十分に手当できません。
即ち事務方の存在と能力、労働ニーズ、労働価値査定までを考える必要があります。
そしてその事務方の労働もまたワーカーズコレクテイブがこれを行い、共有資産能力(職の提供とローテーション)として存在する事でこの働き方は成り立ちます。
現代の業務(労働)の大半が、パート、アルバイト、契約社員、または人材派遣事業で成り立つ今日的実情の中、「ワーカーズコレクテイブ」の意義は極めて大きいのです。
(業務委託者にとって人材派遣の効率性メリットと労働生産性における格差はその40%程度が、委託者側と人材派遣会社に収奪されている実情があります)
農商工連携(社会経済連携)事業に欠かせない働き方を「ワーカーズ・コレクテイブ」として成功させている生活クラブ生協では、全国で2万人のワーカーズがこの仕組みで様々な社会事業を支えています。
「この2万人の労災保険(所得保障保険)が、ワーカーズ・コレクテイブ共済(少額短期保険)株式会社です。残念ながら今の所この働き方に労災適用も所得保障保険も成立しません」

「オルタナテイブ(私)論」

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「オルタナテイブ(私)論」

今はあまり使われなくなりましたが、「オルタナテイブ」とは、「もう一つの」とか「対案」と訳すのが一般的でしょうか。

我が青春時代には結構、哲学的流行り言葉であったと思いますが、その時のニュアンスは「公権力に対する不服従」という意味で捉え、対峙する提案と行動がセットされて始めて成立すると解釈されていたと思います。

この理念に再び出会ったのは、S生協の発展の歴史を学ぶ中でした。妙に懐かしく、心地よく捉え直せたのは40年の経験値が影響したのでしょうか。
言葉の解釈も変わるものです。

幼少期の記憶で、自らの行動の原点としてその後大きく影響しただろうものを考えた時、ラジオからテレビ文化に属し切った自分の存在があります。

月光仮面であり、力道山の虚像と実像が、その後の成長に大きく影響していたな、と今更ながら単純な自分を恥じ入るのみです。
「弱気を助け、強気を挫く正義の味方!・・・」

やがて、関西人としての「タイガース」はまだ見ぬ東京ジャイアンツへの対比であり、政治の意味も全くわからない中でテレビから流れる選挙速報を胸ときめかし、ため息まじりに(自民党に対する社会党の負けぶりに)一喜一憂している自分がそこに政治への芽生えとなっていたようです・・・

「事件記者」に将来の夢を抱きながら、やがて大人の入り口に立つ頃、権力に対する反権力意識を興味本位で参加した「ベトナム戦争反対」デモの隊列での官憲に蹴り上げられる足の痛みを体感し、自らの「オルタナテイブ」が形成されていったのだと思っています。
(そこには、哲学も思想も(何の裏付けも)無い幼すぎる正義感の判官びいきしか存在しない・・・)

「対案を常に考え、それを実行、実践しなければ正義はない」・・・
サラリーマンになった後も、常にこんな可愛げの無い発想の起源は、当時の歴史的文明の「テレビっ子」の中にしか見出す根拠が見当たらないようです。

サラリーマンを投げ出し、自らの過去を振り返りその原点に及ぼす人、書物、先達さえ発見しえないとすれば、月光仮面と力道山に「血湧き肉躍る」潜在意識の刷り込みがその後の価値意識の背景となっていたと結論する以外にないでしょうか?

退職後まもなく、生協のYさんに出会い、氏の行動理念の中にある「オルタナテイブ」の現実的実践論の凄さに正直驚きと感動を覚えたのです。

(おん歳68歳と60歳の未熟で青臭い出会いに感動した事は驚き以外の何物でもありません。今更この歳で・・・)

自ら創業した生協の理事長を50台の若さでさっさと後任に譲り、かつその後も個人として、オルタナテイブを実践し続けるYさんのバイタリテイと、実践し、継続、継承される事業の数々・・・

(そのオルタナテイブの実践は、あるゆる権力への不服従、国家に対しては(国民ではなく)市民、公的福祉を施しの福祉と置き、参加型福祉、就労型労働をワーカーズ・コレクテイブ・・・・保険法に対する共済法の制定も、いつの日か必ず実現するべき課題であり、その理論武装と実践へのステップに向けて「一ワーカーズ・コレクテイブ」の立場でチャレンジしてみようと思っています???

「保険法の改定」という目にも止まらないほどの出来事での理屈を超えた感性としてのYさんとの意気投合???

大きな体制の中で、「ああ言えば、こう言う」、どの上司にも常に対案でぶつかり、実践で、渋々了承を取る最も可愛く無い(さらりーまん)部下を貫いた自負心への反省が芽生える頃でした。

実践での成果は世の中評価せざるを得ないはずです。
毎日が苦しい真剣勝負の連続での苦労は、(今思えば)幼い頃の「オルタナテブ思想」が、権力への不服従という刷り込みとなって、サラリーマンの組織内とは言え、生き抜く原動力となっていたようです。

順調すぎる昇進は、役員になった後も、あえて「この武器」(オルタナテイブ)は有効に行使していました。
一般的企業での役員会などは、その大半は社長の独壇場であり、議案は練りに練った上で社長の決済済みのものであることはいずこも似たりよったりでしょう。

「社長!お言葉ですが・・・。おっしゃる通りです?」
・・・は、サラリーマン役員の笑い話のような悲しい真実ですが、時の社長は、マジに対案を求めてきていた「変り種だ」と勝手に読んでいました?
それでも中々発言などできるものではありません。
(能力と準備量がちがいすぎるのですから・・・)

末席役員が、「ちょっとよろしいですか?」は最悪のダメ役員でしょう!
会議は長引きます。いつも後悔するのですが、気がつけば、手を上げている馬鹿な自分がそこにいたのでした。
鼻つまみ者を感じつつ、それでも繰り返し、食い下がる自分のさがの原因がテレビの影響であり、それがオルタナテイブであったのだと総括するのは、誠に寂しい限りですが???

組織人としては、やっぱり失格であると悟るしかありません。
私は「これで」会社をやめました???

それでも対案で残した実績は誰にも負けない自負心もありますし、中途入社から、役員までの階段を登る事ができた原動力も、常に「オルタナテイブ」であったのだと今になって気付き納得するところです。

「もう一つの考え方がある」は、社会や企業の発展に欠かせない「哲学」かもしれません。そして現代の社会で最も必要であるにもかかわらず、不足している「抵抗の精神」かもしれません。ずいぶん脱線してしまいました。

Yさんとの出会いは、新設される「保険法」における「共済は保険である」との定義に対する「不服従」という感性のみによる合意であったと思います。

すでにそれは生協陣営における合意としても形成され、それによる生協法の範疇における共済事業にも保険業法の準拠がしっかりと挿入されて改定となっていたのですが・・・
(保険業法におけるコンプライアンスを生協陣営はどれほど理解しての合意であろうか、共済事業の相互扶助精神と保険事業のイコールフッテイングが、いかにアイデンテテイの上で相反するものであるか???)

オルタナテブの感性は、そこから保険法、保険業法、生協法をつぶさに研究するという作業に入らざるを得ません。
保険屋であった私には、「共済の世界」は所詮「無認可、無法の世界」という程度の知識しせありませんでしたから・・・

おそらく大半の保険業界人においても、制度共済というおそるべきコンペテイターの真の中身を知る人はいないないでしょう。
(あえて言えば外資系を除いて)
Yさんもたくさんの共済を自らも創設しながら、「生協人で、真の保険、共済を語れる人はいないだろう」と正直かつ大胆に吐露してくれました。

保険法の成立経緯は別としても、共済が保険であるはずはありません。少し勉強すれば、そのアイデンテイテーの違いは明らかです。(別途レポート予定)

私は、「生協の原点は共済事業でしょう。間違いなく共済は保険の中に埋没させられますよ」と強弁し、YさんとS生協はこの改定に不服従の立場を明確に示していたのですが、、、、。
どう現実とマッチさせながらそのオルタナテイブを発揮して行くのかが、課題となります。

「保険法が、一般法として保険業法の上位にあり、それに準拠しつつも例外規定としてごまかし、生協法の共済事業が位置付けられるなら、現状の制度共済は近々間違いなく消滅せざるを得ないだろう」との直感は危機感として醸成されていきます。

ならば、どうするべきか?対案が必要です。
オルタナテブの行使しかありません。

「それは、共済法の設立以外にはないでしょう。実は、欧米では保険法と並んで、レッキとした共済法が存在するのが一般的なようです。(にわか勉強ですが・・)」

大変な課題ができてしまいました。政策の立案と政治的行動、研究課題も山積みにみえてきました。しかし、誰かがチャレンジし、その可能性を追求しなければなりません。

Yさんの実績は、S生協の創設、「ワーカーズ・コレクテイブ」という労働形態の構築、「参加型福祉」の定着、政治的ローカルパーテ「イNETの創設」他、全て現実の姿として社会に既成化され、実現し、実績を残しておいでです。

ならば、包括的解決の組織を実践的起業でチャレンジしてみましょう。

Y理論の「ワーカーズ・コレクテイブ」を社会企業営利法人の「一人起業」で、理念として再定義しながらチャレンジしてみましょう。
老骨に鞭打って・・・(Yさんより、「とう」も若いのだから・・・)

TPPの本質(考)・金融資本主義の現実的動きと共に (2013.4.22)

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TPPの本質は「保険・共済」??

保険と自動車を論外にして「終わらせた」後で形式的に進められるTPP論議、、、

参加11カ国の思惑など無視した日米巨大資本による優勝劣敗を明確にするエンジンとしてグローバル経済下における金融資本主義者たちの最終戦争と捉えてみなければその本質は見えてきません。

(長ーい積み上げの駆け引きがそこに存在します)

本来「経成済民」であるべき「経済」は、日本においてその歴史的過程を、バブル経済の構築、日本の失われた20年、リーマンショック等を経て、「金融至上主義」の最終戦となり、その結論として米国資本主権のTPPが現れていると考えなければ理屈が合いません。

(それは中国を相手にする為の米国の世界戦略でもあり、アメリカにとって既に中国は十分に経済的驚異でもある)

従って、日本の農業や医療の既得権益の問題で捉えるべき小さな領域ではなく、むしろ、郵政民営化、農協、医師会の既得権までも駆逐する米国巨大資本とそれに追随するしかない日本金融資本の生き残りゲームというのがその本質とみるべきでしょう。

(経済が、民を完全に支配してしまう金融条約と考えなければ、その本質が見えてきません)

米国巨大資本において狙うべき、日本における唯一最大、最後の資産は膨大な日本国民の保有する個人金融資産以外には有りません。
世界の富の集積は既に米国金融資本と日本の善良なる国民の貯蓄の二本建てになって、そのバランスを保っていると言っても過言では有りません。
(中国にもう一つの敵対的集積がありますが・・・)

日本国債はいうまでもなく、その担保が日本国民の保有する貯蓄と保険として成立し、かろうじてその信用を保っているのみです。
(世界最大の国の債務として存在しながらも優良債券である理由がそこにあります…)

一方米国においては、わずか1%の資産家の保有する富が、全体の25%という事態にまで富の集中は進み、当然の帰結として貧富の格差は増大しています。

既に米国ではその大半の「市民」が負け組にあえぐ状況が米国的民主主義の現実であり、その象徴が米国の貧困率(ジニ係数)となって現れています。
(そして、当然その「ジニ係数」は日本も米国に追随して急速に拡大しつつあります)

小泉改革の象徴であった竹中金融資本主義の復活とアベノミクス人気は、はっきりと勝ち負けの明確化による「経済のみ」の活性化による日本経済復活劇を示し、国民はその経過の中でTPPを指示してしまっています。

勝ち側経済人(界)並びに大資本は、当然TPP「ウェルカム」で生き残りと益々の発展を期す理屈は成り立ちます。(勝ち組とその側にいるとの勘違いによる選択です)

経済あっての国民所得である事は経済学(経成済民)の「イロハ」である事は承知しています。
しかし、経済学が新資本主義=金融資本主義に移ってしまっている事実を国民(市民)が見えなくなってしまっているのもまた事実です。
(年金が払えない個人または法人で、確実に将来は個人(老人)破綻する時代が見えているのですが…)

TPPの本質は、農業でも産業でもなく金融であり、デリバテイブ(保険)の復活でしかありません。
その最大のターゲットは「保険」であり、その決着は既につけられた(譲歩した)上でのTPP参入(おまけに互いの経済的象徴としての自動車を外す)となりました。
農業は金銭的に保護されてギブアップさせられるでしょう。

医療(健保)と保険(簡保、農協共済、制度共済)が、米国のTPP日本戦略の全てであり、この為の途方もない手続き(戦略、圧力)は、別途日米構造協議の中でずっと(30年以上に渡って)攻め続けられて、今日まできていました。

民間の保険業界は既に市場のグローバル化にともない、合従連衡によりその戦う為の資本を世界戦に向けて準備を完了させ、スタンバイを決め込んでいます。
(この間ちょうど20年の期間を要し、法改正も着実に行われてきました)

米国資本の象徴はその証としてリーマンショックという形の中でも保険のAIGは生き残り、日本社の最大の勝者である「アリコ」は(AIGグループから脱し)スヌーピーのメットライフとなり、アヒルの「アフラック」はその後も全く順調に業績を伸長させています。

(このアリコ・アフラックの素晴らしいPL、BSを分析して見てください。ただし、責任準備金や再保険の仕組みを理解した上での膨大な利益を読みとけるかどうか、日本の保険業法との絡みは少し難しいかもしれません。読み解きができさえすれば、どうやって日本におけるその利益が米国に移っていくかもわかるでしょう)

すでにアリコ、アフラックの日本における顧客数は3000万人を超えるでしょう。
一見飽和状態にも見えます。
しかし、まだこの利益市場には、強大な簡保、共済が存在し、やはり莫大な富を有していますし、日本の皆保険制度もその富の象徴として存在している事実を米国が見逃すはずは有りません。
(必ずアメリカはそれを狙い、結果として日本国債の担保が消滅せざるを得なくなるかもしれません)

私はその昔、保険会社において強大な欧米における巨大保険会社の資本力と我が社(当時)の赤子のごとき過小資本に愕然とした覚えがあります。
そして、やがてくるであろうその日に向けて世界のトヨタの傘下に入るという社長(当時)の先見性に感動した覚えさえあったことを自白しておきます。

(残念ながらその波は新たな再編を観て、3大保険会社にまで集約されてしまい、今日それでもなお喘ぐ状況を見聞きしています。
当時グローバル化する保険業界で生き残れる保険会社はあの「日本生命」一社である事、同時に米国AIGの資本力と政治力が、静かに日本への圧力を強めていた事を見てきました)

卒業後、偶然にももう一方における生保陣営における「医療共済」の存在を知りました。
生保における南北問題というカテゴリーでの外資系への第3分野の解放と国内における「共済」と簡保という国民資産の存在を改めて勉強していったのでした。

既に米国による政治的圧力は、その日本独特の「共済」制度を狙い撃ちにした法改正を行ってきていました。いわゆる「イコールフッテイング」という共済の保険化への強力な政治的動きです。
日本流コンプライアンス(保険業法)の強化と「簡保、共済」へのコンプライアンス適用のイコールフッテイング論…
その一方において外資系保険会社への適用除外圧力の矛盾…これらがTPPの裏側で動いていた日米構造協議の主要議題である事実を確認してきました。

TPP問題は、日米経済戦争の最終形として、リーマンショック以降の米国の勝者としての占領政策の継続であり、その影響度は10年後の日本に出てくるものでしかありません。既に勝負はついているともいwるものですが…)

(ISDN条項を戦える弁護士など米国にしか存在しない事実をTPPを推進する人達は知っているのでしょうか。勝ち組の知識人で有るからそれはそれで良しとするのでしょうか。米国の属国を自他ともに認めるに等しい事もよく知っているのでしょうか)

今更の感は否めませんが、昨今のTPP推進の世論とその本質を見ない近視眼的賛成論に対して、警告の記述を残しておきたく思いました。

高校時代にアメリカの自由にあこがれ、大学時代にあの原爆の悲惨さを「原爆資料館にて知らされ、一昨年の福島に続く無責任な核戦争の悲惨さを目の当たりにしたものです。
米国の経済政策の中から生まれた原爆技術の産業化、原発経済無くして日本経済無しの現実が作られて行き、その中で「再稼働止む無し」におもねく自分自身が存在してしまうのです。

原発なくして、電力会社無し、電力9社無くして日本経済の発展無しは、現在経済学における常識です。
(原発閉鎖は100%の確立で日本経済をどん底に落とします。しかしその付けを払い復興するしかない現実が福島の現実です。それを見ずして、再稼働止む無しとは決して言えない実情が「福島」であるのですが…。

アベノミクスによるインフレターゲット創造も近視眼的経済発展には不可欠と認めましょう。
しかし、少子化を絶対条件とした日本経済に経済成長を前提とした日本の将来について、増え続ける貧乏人(負け組)は、病院へも行けない日本になる将来を選択しているに等しい事実を本当に理解しているのでしょうか?

TPPも原発も経済(かね)優先の米国追随の一点において同根であり、それは敗戦、日米安保に続く、不平等または無知、無責任な不平等条約であり、少なくとも与えられた日本国憲法であっても日本人の良心として守り、定着した日本国憲法の改正へとつながる道とも同根であると考える理由です。

団塊世代が日本の戦後経済発展の主役であった事は事実です。
しかしその役割を終える今、しっかりと現実の日本を見つめ、悪役を演じた事実の可否は別にしても、その問題点への考え方を明確にしておく事は必要ではないか、またはゆっくりと考える時間と発言する勇気は必要ではないかと思っているのですが…

あるロートル爺の「29歳の社会起業家」支援プラン(2013.08.6)

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この半年、日本の農業技術(有機農法)支援を「消費者の立場」から推進し、事業化して行く構想を考えてきました。

(「農・商・工」連携ではなくて「社会経済連携」として考えよ…は「Yさん」の持論でもあるのですが、ちょっと難しすぎるかもしれません)

千葉で、障がい者と共に有機野菜栽培を目指す「E」君(29歳)との出会いに、シニアの余力を活用し、出来上がった農業製品を高額になる配送コストを最大セーブして、消費者に届ける構想が纏まりました。

NPOを組成し、地域(千葉)行政に横たわる農業政策と高齢化問題に資する方策の検討は、地元(千葉)農家としての課題でも有り、その連携事業を「経済化」させる試み…
産直と地産地消はセットの課題、(問題はその流通コストの省力化が大命題)です。
「非営利事業はその継続性を「公」(行政の助成)にのみ頼りがちで、発展性が担保されない… 故に若い社会事業家が育たない」は、長年NPOを見てきた「我が持論」でも有りました。

NPOが「市民資本」を形成し、経済合理性の中で発展して行く仕組み作りがなければ、ボランテイアの寄せ集めではやがて行き詰まりを迎える…

産業資本のCSRを活用し、公的資金も利用して、地域事業(農業)を発展させる事でその収益を特化させて行く。

(収益を株主還元せず、社会へ還流させる仕組み作り(市民資本形成)を「社会経済連携」として実践する…)
E君(29歳)の構想(大風呂敷)が纏まりました。

あとは経済合理性と一定の浄財、何よりも購買者の確定、そして優良な余力労働の有効活用(有償ボランティア)の組成・・・これらの具体的実践シナリオです。

沢山の地元農家、意欲的で優秀なるNPO活動家、経済任務を一応終了した優良シニア人材、そして不足する農業人口に有効活用できる障がい者の存在、そしてこれらを支援するべき地元行政と地域産業のCSR活動・・・

有償ボランテイアを自らも実践しながら、このコラボと経済合理性と長期安定(成長)をコーデイネートできれば・・・

ド素人が、半年がかりで調整してきた「社会経済連携事業」構想のスタートです…
就寝時間4:00を起床時間に変える事からはじめる決意、、、さてどこまで持つものやら…



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