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古希を迎えて想う事(3「日本国憲法」を「党是」とした「オリーブの木」を…)

日本共産党が党是を変えさえすればいい。民主、社民は解体すればいい。「オリーブの木」より、立憲民主党の方がいい。
平和憲法で70年…平和と発展を共有した歴史こそ守るべき唯一最大の政治課題である。

現行憲法70年…と共に歩んできた世代としては憲法論に一つの結論が必要では無いか?
この間の日本の70年の歴史は人類史上または地球規模に於いてすらかつて見ない「平和と繁栄」の中に存在する歴史的史実である。そしてその礎はまさに「日本国憲法」にあったと結論づけるのだ。
(そんな憲法がその成立過程を重なる理由として改定されようとしている。人類史上で最上級であり、その実績においてさえそれが歴史的に立証されているのだから…)

日本史において、明治以降の「近・現代」が軽んじられて(放置されて)50年以上が経過する。明治維新から太平洋戦争と敗戦、その後の平和憲法制定と象徴天皇の関係性などが真理(史実)として語れなかったのは敗戦の悲しい歴史を引きづる事によって論理的整理がなされないまま今日まで来てしまったに違いない。

古事記、日本書紀から始まる我が国の歴史は、神話としての古代史を理論化した上で、史実として天皇の存在と日本の伝統文化を形作ってきた。その過程の中で現代における象徴としての重要性までが明らかにされるべきであろう。
(ここから100年も先になった頃の「日本史」をのぞいて見れれば、その存在と価値の重要性が証明されていると確信する)

日本国憲法は天皇の存在と日本の伝統と文化および象徴に至る過程で始まり、その故に日本国固有の価値と実存を有する事を示している。
明治維新と文明開化を経てさえ、その歴史(史実として)の本質はなんら変わらなかった。

日本史の中においては大半の農民、市民の生活や歴史は全く語られて来なかったし、その主な記述すら史実として残っていないが、それをして「日本史」と言い切っていいものかどうか?という問題も残ったままである。
歴史は支配者によって作られ、書かれ、語られて行く宿命にあるかもしれない。故に伝統、文化を含めて天皇と武士をその中心において歴史が語られて来たのはやむ無しとはいえ、それが日本の本当の文化、伝統を形作って来たとも思えない。しかし、敗戦と現行憲法がそういった独特の日本文化の中で構成されてきたものであり、米国の偽造と強制で出来上がったとするのはおおまちがいである。

「桜の散り際」に美を感じ、「花は櫻木、人は武士」とする我が価値観はいかにして形作られてしまったのであろう。
一方で「古事記、日本書紀」をして日本国天皇の存在を形作り、今日の象徴天皇への独自の崇拝の念は、誰しも禁じ得ないのが日本人のアイデンティティーでもあるのだ…
西洋における「聖書」とキリストの関係にも似て、むしろ宗教的崇拝であっても何ら不思議では無いし、日本史実の中における「古事記・日本書紀」と天皇を学問的に捉える事は出来るのでは?
(かつて「キリスト教概論」をなんの疑いもなく学問として学んだ事を思い出す。果たしてここから100年も経過すれば、明治以降平成に至る近代史は江戸期とのつながりの中で日本史実としてはどう記述されているのであろう)

敗戦と日本国憲法、天皇の存在とその承認、継承、象徴天皇としての絶対的存在と学問的位置付けなど、現状「平和憲法」の一丁目一番地がタブー視され、語られないままの憲法論は定着しないし、むしろそこに民主主義の分裂を呼んでしまう。

「9条」を代表にして語られる日本国憲法を「第一条」からしっかりとその必然性で理論武装する事は出来ないものか?
今生天皇や天皇家が、象徴天皇としての不断のご努力を見る度に現行憲法を愛しその忠実な守り手としての天皇家を想うのが素直な日本人でもある。

(現状憲法において唯一その基本的人権を有さない天皇が最も日本国憲法を愛し、護り、努力を重ねて居られる事実に鑑みる必要を強く感じるものである。この意識を有するまでに実に70年の年月を要した…)

その上であえて「日本国憲法」を唯一無二の恒久平和と人類の調和、発展を希求する存在としてその一字一句を「党是」とし、基本方針とする政党またはその範囲での結集を期待する。

唯一の護憲政党である日本社会党が消え、残るは現状承認としての日本共産党しか存在しない政治情勢の中では9条だけで憲法を語る事すら改憲論者として利用されつつあるのが昨今の政治状況と考えなければならない。

一連の政治的右傾化は、実に巧妙に仕組まれ育まれてきたものだ。
とにかく改憲できれる勢力作りとその力を利用する確信的「似非旧士族的勢力」の拮抗状況が現状であるならば、間違いなく「日本国憲法は米国押しつけ憲法である」という馬鹿げた論理が成立してしまいかねない。そして「30年」もすれば、再び派遣を狙った聖戦を建前として行う国になってしまうだろう。
「100年」は維持しできたとしても、平和は徴兵制の必然と共に「大日本帝国憲法」に復古して壊れてしまう。

金と経済至上主義で割り切れば、そして弱肉強食止む無しで割り切れば、それが当然の帰結なのだから…

2017 年 4 月 13 日   No Comments

古希を迎えて想うこと(シリーズ・2)

久々に先日長兄と「長話し」をした。
兄は喜寿を前にして少し弱気が出てきた。(確か…かの慎太郎先生と同窓程度?)
「次兄が(80にして)多少記憶がやばいようだが…」というような話から始まった。
(そういえば、我が家は親父は元郵船だから石原兄弟ンチと似てたはずだが、何故か親父は早くに脱サラして商売を始めてし、兄弟みんなそれなりに苦労してきたっけ?、いや兄達はその昔は「おぼっちゃま時代もあったはず…)

絶対的存在の兄貴達から、「お前だけは大成功すると思っってたけど…」といわれたりしたが、兄達のいうところの大成功とは??
中途入社サラリーマンにしては想定外の出世をしていたから最後までサラリーマン人生を全うすると思っていたらしい。何よりも出世と金儲けが人生の目標みたいに考える兄達の価値観は一体何なんだろう?戦前、戦中派の頑張りの目標であったのだろうか?
(いや戦後派、団塊世代にも結構いるよね。そんな価値観…)

長兄も良く知る「K君が、一番出世だったね。やっぱり彼は大したもんだ…」に我が(良)心はプッツンして「最悪の寂しい人生ではなかったかな??未だにポスト(と金)にしがみついてるのはみっともなさすぎるよ…」と絡んだけど、聞く耳は全く無く、只々「我が人生」をして「勿体無かった」(大失敗だったろう)と評論する。

馬鹿ぬかせ、60過ぎての断捨離は「用済みのポスト」や「名誉」に「余計な金」…

「子育てさえ無事済ませれば「三途の川」には不要なものは全て現世で始末していくのよ…見栄や世間体は「あの世」でイジメを受ける素にもなりかねない…」

「つよがりでないから実践しているまでだよ。(多少の矜持がなくもないが…) 、、、
「ヒトモノカネ」の全てを一旦捨ててみたらどうなんだ?
利害の友じゃ自己満足にもならんだろうし…」

兄曰く「その割には新たな起業は何故か」と??
今更「金目当て」でもなし、見事に「有り金」は使い切りました。
年寄りの起業はだから面白いし、社会事業になる。。。勘違いして今更大儲けを夢見る馬鹿もいないだろう?
「その割には「IPO」を狙うとか言ってたな!」
その昔20代で考えた「男のロマン」と言っただろ…60過ぎても好きにやるロマン…
「人生反省すれど後悔せず」が我が座右の銘だって…

そういえば、ここんとこちっちゃな「サラリーマン社長」ばっかりで、日本はロクなもんでなくなった。。。
昔のオーナー社長は人物だったし、だからこそ日本も作り得たんだなあ^_^^_^^_^

2017 年 4 月 5 日   2 Comments

古希を迎えて想う事(シリーズ・1)

70歳にもなると流石に大半の仲間がリタイアとなり、余生を考え無理矢理にもその実践(特にする事なし)に入られるようだ…
(果たして、納得しかつ先は見えての判断なのかどうか?疑わしい??)

57歳になった時(還暦を目前に考えて)「お前はこのままの人生でほんとに納得できるのか」と考えて「わがまま退職」をしてしまい、驚くなかれ13年が経過している。
ついに古希という事らしい。
しかし一体あの頃と比べて(体力・能力・精神年齢)何が変わったというのか??

ほんの少し体力は落ちたが、まだ軽作業なら十分にこなせる。
たまたま大病をしたが 一月もすれば、なんて事なく完治してしまった(ように思う)。
(タバコはやめたが、それは単に世間がうるさ過ぎるからにすぎないし、それこそ知らない世界(ニコチンのない体)を体験したいからでしかないから復活もありうる)

だが…
一方で間違いなく年齢(その時)を考えるようになったのは、は既に親父が死んだ歳を超えたからかもしれない。(親父は68にもなっていたのに、仕事帰りの新幹線の中で亡くなっている)
やっぱり明日はわからないから色々その日も考えながら準備をする意識だけはしっかり持ちつつも、できるだけ、出来ることは「現役」で続けて行こうと思っている。

現役とは何か?
「社会との関わりを能動的に持つこと」としておけば、まだ2-3年は現役を続けられるかもしれないし…

57でリタイアした時には、「自分のような自己中の人間は組織や後輩には、そろそろ迷惑極まりないはずだ」とも考えた。今もその価値判断(基準)は大事にしながらも、「出来ること」を考えて行きたい。(健康のためにも)

…と考えたら、想う事、思うこと、考える事、考えたこと、経験した事、これから経験すること、政治、経済、人生…を「呟く」だけなら邪魔にならないけど参考にはなるかもしれない。
(実は、時間も出来たので思いつく事言いたい事が山ほどあって…消化不良になるのは健康に良く無い???)

現役続行宣言として今年も「新年度」をしっかり感じながら、今年度(以降)の方針として決めたぞ。。。。。

2017 年 4 月 3 日   No Comments

しつこくも、神童様へ

少し脈絡はずれるかもしれませんが、続けますのでお付き合いのほど…
忖度論を云々するつもりでは有りませんが、ご指摘の通りまずは忖度は受ける側の問題であることは押さえておきたいと思います。

さて、安倍ご夫婦は紛れもなく総理大臣夫婦であり、昭恵夫人には5人もの付き人公務員がついているのが事実であります。
彼女は日々普通の主婦を装いながら(ご本人の主張)も、周りの忖度を肌で感じないはずはないでしょう。故にあちらこちらで講演もし、名誉校長も受けているのです。(普通の主婦ではあり得ない活動であり、その事の忖度は計算済みのこれまた事実です)

総理夫人としての忖度を利用しようとする勢力、忖度を許容するご自分、忖度して動く官僚や一般人が大半である事は十分に承知しているはずです。
普通の主婦であり、一般人であるというならそれこそ普通の主婦は怒るでしょうし、私も恥ずかしながらある種の忖度を持って彼女のFBを覗き、沖縄訪問も見てきました。
(忖度はどんな立場でも当然であり、それは総理夫人としての立場を考慮するものです)

一方でこの問題は安倍総理の「森友問題への一切の関与無し、あれば総理を即刻辞任する」との過剰反応を受けたものであったと思っています。

そしてその物証が出ないのでは?と思っていたところに、官房長官からして立証できる資料を出してしまったという事で関与の立証が成立してしまったのです。

(私は経験上からも官僚が対話、交渉資料をはいきすることなどないという確信を持っております。故に書類を処分したという公式見解が出た時点で、この問題に政治家の関与があった事も確信しておりますが…また、優秀で真面目な官僚がこの事で傷む事になら無いことを心より望みます)

この問題に注目するところはもう一つ、勿論、籠池側の「問題」に着目しております。
このような動きが政治的忖度によって実現されつつある政治状況への恐怖です。

(現状政権の大半が日本会議関与議員で固められ、勿論籠池さんと安倍氏の信頼関係もそこから派生したものである事、そして大阪では明らかに維新の会が忖度のなかにいるという現実です。私はこの問題で誰かが亡くなるなんて事が無いように祈りつつ、そのような怖さを感じております。神童さんの言われる「法的立証」をベースにするとその証拠は消されてしまう可能性があります)

大きな右側の改憲だけでは収まらない動きが社会運動として動いている現実が存在する一方で、見逃されている左側の社会運動の稚拙さ(無さ)に強い危惧を抱いているのは事実ですが…)

戦後70年、曲がりなりにも平和的発展を遂げてきたのは紛れもなく「平和憲法」のおかげであったと思います。憲法を9条だけをベースに論議する事すら改憲への加担につながるほど危険な状況が現状であると思います。
(一歩も譲らない憲法擁護論…少なくともこれだけの実績を有する憲法を一字一句変えないでもう70年は維持するべきだと考えます)

その為には、この瑣末な政治状況であっても利用し、発言していくくらいの役割は果たすべきでは無いか…というのが我が本音なんですが…
(できれば、もう一・二度あえて反論頂きお付き合いいただければ…)

2017 年 3 月 27 日   No Comments

返信(忖度…)

神童さん、お付き合いありがとう御座います。
神童さんらしい大人の感想ですね??

「この問題」をもう少し大きな流れで捉えています。
即ち現政権の危うさとそれにおもねく、または知らぬ間に流される、またはそれを利用しようとする勢力の存在についてです。
安倍政権の信念は改憲にあり、その危険極まりない方向性はすでに様々に実行されつつあります。

(この事件の裏で進む「テロ等特措法」もしかり…私は安倍首相そのものもトカゲでしかなく、その尻尾ではないかと考えたりしています。その裏でうごめく大物たち、即ち日本会議や十分な戦略で動き続けているインテリ右翼の存在です。もちろん一つの社会運動としての活動としての許容範囲として認めますが…)

そして森友事件…このような小学校が知らぬ間にできつつある事(大阪府知事の忖度で進んだのでしょうか?)、幼稚園は既に稼働しているのです。
間違いなく豊中の市会議員の摘発が無ければ小学校がは出来上がっていたでしょう。いわゆる土地の値引きへの忖度(単なる売買であり価格設定などの問題)ではないつもりです。

安倍総理の考え方とは別にある権力への「忖度」が異常なまでに発達し、政治として機動力を持ってしまっている事です。
大阪松井知事が本音で「政治には忖度があり、いいものも悪いものもある。安倍総理は忖度を認めるべきだ」と宣ってています。もちろん行政には「忖度」が有ってはいけません。難しい事ですが、行政の公平性は法にのみ忠実が大原則です。(大阪府知事の浅はかな判断でも政治は動かされています)

安倍さんは「ご夫婦でこの問題(土地の取引)に関わっている事が事実として証明出来た場合は総理大臣はおろか議員を辞めると公言してしまいました。自信があったのでしょう。(おそらく全ての把握はできないまま…又はなんとでも消し去れると慢心していたのかも…)

一方で「忖度」にしろ明確に昭恵夫人付きの谷さんはその関わりについてFAXとして認めてしまいました。私人又は個人では「正式職名」を使うことも、「当方」とはいう言葉もましてや「予算の動き」までも知ることも伝えることも出来ません。。。
(これが彼女の両親に基づく確信犯としての覚悟吐露であってくれればいいのですが…何れにせよ、一番許し難いのはその官僚の忠実な職務遂行までも尻尾切りしてしまおうとする政府の対応ですが…慌てすぎた官房長官が付け焼き刃で大袈裟に発表する事でよくわかる証拠性)

色々と述べてきましたが、私は一連の動きを一つの小さな社会運動と捉えています。
即ち安倍政権の危うさと退陣こそが今大事な政治的局面である事、そしてそのチャンスがこの問題の中に本質と共に存在すると考えています。

神童さんのような最も常識的インテリゲンチャーが、いつしか大きな政治の流れに飲み込まれていきあのような馬鹿な戦争に一億こぞって参加していったのでは…と強く思うのです。

そして、必死でそれに抵抗される現行憲法の元での天皇ご一家のご努力に答えるべき一市民たりたく思っているのですが…

「furemiyaさん、何か言わないといけないみたいなので、私見を少し。
連日の報道や、国会の証人喚問。何か違和感があり、まともに見ていません。違和感は、恰も角栄の時のロッキード事件や竹下の時のリクルート事件のような大騒ぎだけど、どうも首相を巡る贈収あい事件ではなさそう。で、忖度が問題らしい。だけど忖度は普通のこと。社長の意向、株主の意向、取引先の意向、いろいろ忖度があって世の中動いている。問題は、忖度が許容範囲を超えて国の資産を9割引き(8億円値引き)した奴。
籠池から100万円が首相夫人にわたり、財務省への働き掛けになったという事件なら、国会の大騒ぎの意味が分かるが。金は逆の流れ。それも証拠がない。分からない。今時点のファクトだけで、安倍首相は辞任すべきだとする「咎」が分からない。
一強の安倍を叩く千載一遇のチャンス、とばかり、野党が攻勢に出ていますが、政権から現場への隠れた指示(大幅値引き)でも暴かない限り、無理筋のような気がします。
この問題、近畿財務局と学校認可の大阪府の問題であって、国会が他の重要案件を放ってまで、大騒ぎする問題ではないのと思いますが。」

2017 年 3 月 26 日   1 Comment

「忖度」そんたく(でんでん)

「アッキード事件」は、その本質を見失い迷走を始めている。
これだけの物証があるにも関わらず、与野党共に攻めきれない理由は何なのか?
それは先ず両陣営共に何故か屁っ放り腰に引きながら状況好転を狙う他力本願であるからに過ぎない。

唯一、決死の覚悟を持つ篭池先生だけが目立つのである。
そして今や彼がその世論をとり切ろうとしているし、その為の?隠し球を温存している可能性もあり得るのだ。

自民は脇の甘さを顧みず、ぼろぼろの戦略で隙だらけ、、、
その最たるものは事態をよくわきまえないまま「夫婦共々アッキード問題への関与があれば、総理はおろか議員をも辞める」とのたまわった安倍総理、、、
しっかり落とし前をつけていただくしかない。

安倍夫人の本件関与は当初より明らかであり、その最たるものとして出てきたのが彼女のお付き官僚のFAXということになるで有ろう。
(官僚の尻尾飛ばしの島流しにならない事を切望する…)

本件の自民党の言い訳は安倍首相、官房長官、昭恵夫人共々で「記憶にない(ようだ)…」から始まる。
明確に否定と名誉毀損の怒りの声で始まるべき「ひぼう中傷の類」のはずであるが、事実が掴みきれず「相手の持ち球の様子を伺い」つつ対応するからである。
ファクトは勿論絶対的に当事者(昭恵夫人)であり、それを握っているにも関わらず、資料は恐々小出しにしていくのには必ずその理由が存在する。

一方、野党もよくわからない。
籠池氏の何に配慮するのか、自爆が怖いのか、これだけの物証があるにも関わらず、そして尻尾切りをおそれて敵陣から一人逃げ出してきたにも関わらず、取り込めも出来ないでウロウロするのみではないか?

現状知り得る範囲でのファクトによる詰めは以下の通りである。
請託の有無よりも「忖度」の有無を「一般常識」における判断で良い事は安倍首相の言質が取れているのだから…

土地の売買価格や認可に請託が有ったかどうかという第一目標より、極めて単純に安倍名誉校長の実在がどの程度の「忖度」を生むものかを考えればいいのだ。

果たしてもう一度この問題の原点に戻ろう。

① 明確に安倍昭恵夫人はインチキ小学校の認可と寄付金集めの為の名誉校長に就任した。(最大の落ち度であり、誰もが認める事実である!)
② ある日、昭恵夫人は名誉校長の了解のエビデンスとして講演を行い、その証拠金としての協力金100万円を学園へ寄付した。
(この3点は同日中に起こったセットのファクトであり、その名目や内容をどうしようが切り離しはできない、暗黙の了解事項として動いている)
・寄付であるか、講演料であるかは問わなくとも、名目としての100万円は森友学園に寄付金として入金されているのは事実である!
・おそらくここがこの点の味噌であり、隠れている真実で有ろうがファクトだけおさえればよい。
③ 総理夫人が名誉校長を受けた小学校にたいする「忖度」は如何程のものか?
決してこの100万円の比ではなく、自爆しても安い端金である事は明らかである。前後する寄付金やそのことで想定していた寄付金でこの小学校の設立の資金繰りさえ、成り立つほどの計算ができる。
(それを承知の承認であり、名誉校長受託はその確信犯と考えるのが常識的である)

・さて「忖度」の解釈であるが、忖度するのは常にその必要がある人であり、利害関係者であるから、極めて不特定であり、かつそれは主観的判断となるものである。
・一般的に言えば、日本国総理大臣夫人「ファーストレデイー」への「忖度」はほぼ全官僚に及び、または安倍シンパの財界、個人にまでおよぶで有ろう。(含む「日本会議」)

④ その上で出てきた総理夫人秘書の忖度依頼の回答ファックス…
「忖度」すべきと考える官僚は、名目否定を行いつつ、定借延長から超安値による購入という神風へと変わっていったことをやはり、しっかりとファクトとして表してしまった。
・総理夫人付きという肩書きのFAXが私人であったり、私人付き秘書であったりすることなどあり得ないし、少なくとも請託の一部は4月6日に実行されているのだから、籠池氏でなくとも神風が吹いたと感じるのは当然である。
(彼女が私人または個人であるなら、また「当方」へお知らせくださいというはずはない。当方とは「私」はなく、昭恵夫人を含む秘書陣営を指すというのが官僚言語で有ろう)

この事件は日本国総理大臣夫人が一瞬で有ろうとも、訳のわからない教育勅語を教育方針の柱に据えるという小学校の名誉校長を受任し、その広告塔となることを了解したことで起こった。そしてその事による「忖度」を期待して90%の設立寸前までこぎつけていたものを、財務省のチョンボで土地売買の開示請求を渋った事に寄って発覚した事件である。
(発覚しないで忖度される口利きで成功する例など枚挙にいとまはない)

情けないことに、安倍さんは「武士に二言無し」として議員辞職する以外に道なく、日本の政治が往々にしてこういった「忖度」で進んでいく事実を教訓にするしかないであろう。
(最後にトカゲの尻尾ぎりが自爆によるような事にならないように切望するものである)

2017 年 3 月 24 日   3 Comments

拝啓 「日本共産党」殿

自らのタブーを押して、あの大嫌いな「日共」にご提案申し上げます。
理由は護憲政党の存在が消え、いつしか憲法改定がもっともらしく(民主的に)差し迫ってきている危機感よりあえて申し上げる次第です。

今や、何故か護憲を謳う唯一の政党が日本共産党となってしまいました。
残念ながら、貴党の立党の精神と党是はそうで無い事を知りつつも、唯一の護憲政党と名乗る昨今のスタイルを見るにつけ、強く感じる所があります。

「日共」といえばある面では現状右翼より右にある裏切りの存在という過去のトラウマがいまだに残るリベラルや市民派も多いのに気付かれているでしょうか???

その理由は貴党の党是であり、党名にもあるようにおもいますが…
故に、それ(党名や党是)を変えられない以上、現行日本国憲法の存在は認め、護る事はあってもいつかはそれを都合よく変える自由を担保せざるを得ないという矛盾にぶつかるはずです。現状護憲でしかなく、いずれは一党独裁の官僚制度を狙っている可能性を残し、未だに革命をも是認する理屈を保有している事にもなるのではないでしょうか。
そして、既にそれ故に現状積み上げてきた党の既得権益を剥がす事はできないし、故に党名も党是も変更が出来ないのでしょう。

しかし、一方で貴党の昨今の選挙公約などでは、その大半が現行憲法の保持に集約されるものです。
おそらく本音では現行憲法の1条と9条は相容れないものが残るのでしょうか?
しかしそれらこそが日本国憲法の肝であり、誇るべき条項は(象徴)天皇制と戦争放棄の2項です。護憲政党という日本共産党に脱皮するならば、むしろこの2項目の完全承認と永久履行が必要ですがどうでしょうか?

その昔、唯一の護憲政党であった日本社会党において護憲学者であった土井たか子氏で、山が動きかけた事が有りましたね。
今、安倍政権は憲法改定の山を動かす事に全権力を行使しています。昨今の共謀罪などは、その先の日本共産党をターゲットにおいた準備であり、極めて民主的に憲法が変わってしまうような愚を起こしかね無い状況でもあります。

しかし、もし貴党が党名を変え、唯一の完全護憲政党として「そのまんま日本国憲法党」への脱皮を宣言すればどうでしょうか?
旧社会党や社民党に市民リベラルは自ずと結集して大きく逆に山が動く事は明らかです。

貴党の現状主張からすれば、心底現行憲法による恒久平和を日本国民と共に護り育てる事で、現行日本共産党の目指すものとしても、どこがどれほど違うのでしょうか?

今や日本国憲法を最大限死守しようとされているのはまさしく今生天皇であると思います。唯一の基本的人権を放棄させられつつ、日本という歴史と文化とステータスを保持する努力をされている象徴天皇と戦争遂行の為の軍備を持たない国…

そこで革命的変更をお勧めするものです。
「そのまんま憲法党」への党名変更で「日本共産党」という過去の栄光を歴史の中に昇華してしまう事を……………

夢にも実現不能なるご提案でした。。。

2017 年 3 月 22 日   No Comments

団塊世代の恐怖

imageかつて本ブログで「団塊世代」をして「プレミアムエイジ」としたいと皮肉ってみた。何かとうるさい世代である事は間違いない(頭数が多いのだから…)

団塊世代はまたの名として「全共闘世代」とも言われ、激しい政治的環境の中での学生生活を送る事になった。
良し悪しを別にそれから50年、、政治は再び、憲法と安保を真剣に問う時代になっている。

全共闘世代は、就職と生活と万博を目前にして一気に沈黙しさせられ、その後の日本経済をバブルの道へとエンジンを蒸す役割に取ってかわらされる。

その頃、同時的に発生した民族派による学生運動が少数ではあるが確かに存在した。。というよりも陰湿な極左と極右の暴力事件にも発展していく道筋を作ってしまった経緯がある。

潰され、消えていく学生運動の中で、生き残り、命を与えられていくもう一方の運動…それは脈々と半世紀を超えて今、日の目をみる寸前のところにあるのだろうか?

考えれば60年安保の岸首相の孫である「安倍政権」の登場はそれらの想いの象徴であり、知らぬ間に幼稚園児に教育勅語を暗唱させることを許す政治状況さえ見落とす状況にある。
明治憲法への回帰を唯一の目的とする「日本会議」勢力の恐怖…
(当時の日学同、生長の家、日本会議、安倍、麻生、稲田政権…)

最近、2週間ほどの病院暮らしを体験した。
そこには沢山の苦しみながらも現代医療のお陰で生き続ける老人達がたむろしている現実があった。
団塊世代が70歳を超えていく…

今や、ゴルフ場を占拠し、スポーツジムを占拠する団塊世代が文字通り「塊」となってまかり通る時代を迎えている。
公園も病院も占拠してなお「黙して語らず」の団塊世代時代への予感が当たらないことをひたすら祈るのみである。

2017 年 3 月 17 日   No Comments

我が半生(紀)「号外」謹賀新年…

我が半生(紀)の反省(記) 号外

昨年末の50年振りの同窓会…について少しだけ記したが、実は結構その結果としてのインパクトは大きかった。

この反省記もその一環ではあるのだが、実は我が反省記の(大人への)原点である高校生活に大きな「勘違い」があるかもしれない事を発見したのだった。

その内容を公開するわけにはいかないのだが、今更ながらその勘違いを反省してももちろん50年も経ており取り返しはつかないし、せめて後悔につながらない現実をして「幸い」としておこうとは思っているのだが、、、

その勘違いは、常に自分が主役であったり、悲喜劇の主人公として人生を解釈する処に発生してしまうように思いついた。(良くない癖だよなぁ…しかしおそらく誰にもこういう勘違いをしたままの人は多いのでは、、、自尊心が強い人!)

さて、この「勘違い」は本当のところはどうなんだろう???(勘違いではないのかもしれないし…)
今更事実などどうでも良いか?いや、もし確認出来るならば確認しておくべきなのか?

「後悔しない人生」(我れ、反省すれど後悔せず)を標榜する我が身にとっては大問題でもある。。。

果たして確認は可能か?(実は可能ではあるが、それは出来ない?)

50年前のミステリー、あり得ない「錯覚」が我が人生を大きく左右してしまった可能性があるのだけど…

ミステリーはミステリーのままで良かったのか?
それとも「解決せよ」との糸口が50年振りの同窓会であったのか??

正月早々、全く意味不明な「独り言」で申し訳ない(いつもの事です?との声も)

2017 年 1 月 6 日   1 Comment

「田中角栄と安倍晋三」を読んで

作家の略歴を知らずしての読書はあまり経験がない。
後輩のI君のFBでの紹介が気になって本屋で偶然発見…

まずもって角栄さんと安倍晋三では格が違いすぎる。。。が、、、罪の大きさで競うならこれまた後の歴史が示してくれるであろう。。。(角さんの効、阿部さんの罪?)

しかし、これを昭和の政治家と平成の政治家として比べるとするならば、如何に平成政治が劣化しつつあるかという事だけは良く分かる。
「昭和史でわかる「劣化日本」の正体)」とする副題がメインの狙いの本である事が…
(最近の角栄ブームへの悪ノリの感無きにしも非ず…)

その内容については99%の同意と賛意を確認しながらも、ある面白い観点に気付かされたのでまず記しておきたい。
それは団塊世代の「罪と罰」を考えている今の自分に当てはめて考える時代考証にもヒントとなる。
これまでは自分(達)を昭和の代表選手と考え、その(昭和への)郷愁に強く感じ、反応もするというものが圧倒的であった。平成の時代にかわって以降は息子達以下の世代であり、まさに他人事の時代のように思って考えるたところがあるのだった。

しかし実際には我々のメインとすべき世代こそが「平成」有るのでは…
平成1-2-3の卒業生が入社する頃、団塊世代はやっと幹部社員として彼らの指導をする時代となっていた。良きにつけ悪しきにつけバブル入社と言われたこの世代を嘆いたものだった。しかし今、彼等こそが社会の中軸となって活躍しているとすれば、彼らの社会人としての影響(指導責任)は団塊世代に負うところが多いと言わざるを得ない。

同様に昭和という時代への団塊世代の責任はその範疇としては政治的にも経済的にも極めて小さな物でしかない。圧倒的に戦前戦中派世代が作ったのが「昭和」なのだ。

現代(平成)を政治的に劣化していると見ればその要因も団塊世代に追うものが多いことになる。一方昭和の時代の象徴は「戦争」(敗戦)であり、その後の「平和憲法」(戦争放棄)で有るがそのどちらにも団塊世代が直接関与する所はあり得ないのだ。
(有るとすればその憲法を是とし、維持、継承させる事に邁進していたことかもしれない)

今その成否が問われようとしている。
それが政治的劣化で有るかどうかは別にしても、平成という時代に対する責任は団塊世代に委ねられ、かつ今を迎えているのだからその責任は極めて重い事になる。
戦争できる国にしてくおくのか、戦争放棄を絶対的テーゼとする憲法を守り抜くのか、が問われていることだけは間違いない。
首相「安倍晋三」は何としても憲法を変える事を一義にしている。祖父の時代の妄想としてやはり先の戦争から引き継がれたものとなっているに違いない。即ち戦争できる普通の国という概念であり、その決意たるやその為なら何でもありという方針だ。

本題に戻ろう…
「昭和と平成」を天皇の在位で考える中で、それを田中角栄と安倍晋三に置き換えようとする著者の視点は極めて面白い…
…が果たして角栄さんをして「昭和」、安倍さんをして「平成」という風には当てはまるものかどうか??
むしろ角栄さんこそがこの平成の骨格を作った政治家であり、昭和という時代への政治的影響は少なかったのではなかろうか?
(安倍さんのやろうとしていることも「平成」以降の選択肢に違いない。故に今生天皇のご意向さえ無視できるのだろう)

政治とは自分たちの子や孫の時代をどうするのか、10年後、30年後を考えて行うもので有ると思う。
故に自らがその判断の責任を負えない 事を前提として考える事が肝要である。安倍さんは戦争できる国づくりを目指すが、自らは決して戦争に参加する事はないのだ。しかし本当に自らの子や孫が武器を持って殺し、殺されるような現実がありうる事を想定しているのであろうか?それともそんな場合にも勝ち組は戦争に参画しなくとも良いとでも考えているのだろうか?

確実に先の戦争での責任者は存在する。
その結果がたとえ勝利であったとしてもそこに犠牲者としての個人が生まれる限り…

この本が指摘する通り日本は劣化しつつある。(それは民主主義の劣化である)
しかし、それが昭和史の選択であるとする主張にはすこし違和感がある。平成を司るものとしてその責任は我が世代によって選択されたものとなる事はだけは間違いないし、故に避けたいものだ。

作品の個々の内容はより平易に描かれているので理解しやすいし、着眼点もきわめて面白いし、ほぼ賛同するものである。
その他の著作を存じ上げないが探してみたく思っている。。。

2016 年 12 月 31 日   No Comments