賢鐘会(終)
会が終わっても、まだ時間は5時前だった。飲み放題でみんな結構まわっているようだ。
2次会は何とカラオケだというので一歩後退して、最大の後援者POKOさんを誘ってホテルのラウンジで相談事・・・
困った時には、彼の意見を参考にする。彼は、現役時代埼玉に赴任した際、既にD社を去って、代理店研修生として修行中だった。D社は既にバブル時代のツケがまわり、混迷の時代に入っていた。彼に加えて沢山の優秀な若手社員がD社を去っていく頃であった。
初の部長として着任した埼玉では、5つの支店と地域企業営業部長を兼務するあまりにも重責のポストだ。若干39歳の若造で各支店長は全員が先輩のベテラン社員だったのだから大変だった。(・・・と実は思わなかったのだから、若さという魔物が潜んでいたという以外にはない。一生懸命は全てに勝る?)
こんな中、一番客観的に会社を語れる立場にあるのがPOKOさんだった。
なぜやめたのか、なぜ研修生という立場を選んだのか、今の会社をどう見ているのか、はたまた取引先(代理店)のモラルはどういう状態か?元同僚である一般社員はどうか?など、連日、連夜に渡って彼に話を聞いて参考にマネージメントを考えたものだ。
あれから、実に25年・・・
彼は一歩づつ歩み、成長し今や埼玉でトップクラスの保険代理店として君臨する。D社を捨ててなお、D社と共に歩んでいる「D」そのものである。会社をやめた時にただ一人真剣に叱られもしたし、その後も常に辛口でのコメントをもらえる人物!
彼にもらったうれしい褒め言葉は、「エイジさんがもう一年早く着任していたら、会社をやめなかったでしょうね!」勲章となったこの言葉はその後の我がサラリーマン生活での目標となり、実はこの会の存在基盤でもあったのだ。(結果としてにリタイアーで怒られるのは当然かも?)
相談事は、実は「会」をどうするかではなく、「D」を完全に消すことができるかどうかを問うものであったのだが、その回答はここでは保留としておこう。
「D」は「ポコさん」の中にあり、仲間達の個々の心の中で生きている。
そして、賢鐘会は、我が思いのまま続けることと決めた。
大義名分は必要ないし、必要な時に個々に助け合う可能性を期待して、ゴルフも音楽も仕事も、人生すら包含して、一人ででも続けられればそれでいい。
連絡役ができる限り、向井事務局長共々頑張って行きたいと思っている。
POKOさんと共に二人の苦手な酒とカラオケの2次会場に向かった。
なんと皆さんお歌のうまい事、このタレント性こそが「D」の強みであり、あいおい音楽祭の成功に繋がっているのだ。賢鐘会は生きているし、確実に残った。
三次会では神道さんと「熊谷守一」支援プロジェクトを「ルノワール」で・・・
洋画の巨匠の末裔である熊谷君も仲間である事の幸せを感じながら帰途についたのは、10時を越えていた。
久々の熱い一日であった。
ただ一言「有難う」である。坂の上にまた坂があったら登るしかない!
POKOさん!ゆっくり下るには時間がありすぎるから、ぜひ一緒に登り続けよう・・・ちょっとスピードダウンを心がけて・・・
2012 年 2 月 5 日 No Comments
3S総研(終・市民金融事業の展開へ)
我が出身保険会社は、私が入社した頃には業界9位の位置にありました。
13位からのごぼう抜きであり、発展途上の勢いはその後もとどまらず、一時は業界4位まで躍進、財閥大手4社の一角を狙う状況の中、現場の第一線で伸び伸びと仕事が出来た本当にいい時代であったと思います。何と15社の損保が平和に共存共栄していたわけですから、今日の三社グループへの再編まで僅か15年の変化です。
並行して、今もなお保険業界への外資による自由化圧力は強まっており、国内各社はその防衛策を模索していたのです。金融全般の護送船団方式は、その波の中で対応不能となり、まず大銀行の破綻、再編、中小生保の外資化と進み、やがて損保へその波が押し寄せる事は必定となっていたのです。
米国の巨大金融資本の前では、日本の護送船団行政が崩れれば、一気に飲み込まれて行く可能性は必然であったのです。世界にごして戦える日本企業の数などたかがしれています。保険業界においても、日本生命、東京海上を除けばすべてがその波をかぶる可能性がある中、当時の全ての経営者の間で、業界再編は焦眉の急となっていました。
そんな中、我が出身会社の「独自性」は花嫁候補としては格好の会社であったのでしょう。
時の社長は、そんな中全社の動きを見ながらその独自性を維持し、発展を続ける道を選択するべく、合併の交渉相手を世界のトヨタに向けたのです。日本にどんな波が押し寄せようが、生きていける日本の会社は「トヨタ」である。業界の誰も発想できないものであったと思います。
既に、この大きなうねりの中、本社勤務で待機を命ぜられていた「我が身」にさえ、それは理解の外の戦略でした。自動車業界と損保の関係はその売り上げの過半が自動車保険となって行く中では、切っても切れないものではありましたが、出身会社は唯一トヨタとの取引が出来ない弱点があったのです。
(業界外にありながら、一生「トヨタ」に乗れないサラリーマンが我が社?)
そんな中、千代田火災との合併話が急浮上したのでした。社内幹部には大きな動揺が起こったのは当然です。時の社長は「そっと」耳打ちしてくれました。
「合併の相手はトヨタだよ!すでにトヨタトップのネゴは出来ている。当社の独自性を維持するエビデンスとして、日産、ホンダ、マツダとの取引継続も了解させている。千代田火災だって、既にトヨタの傘下とはいえ経営の独自性は維持できている。これからは世界をみて企業の維持を考える時代になる。国内損保の合従連衡では、当社の独自性など残るはずがないんだよ!」
あれから10年が過ぎました。
日本の混迷はこの護送船団行政の「緩やかな崩壊の選択」に要因があるでしょう。全ての金融行政が、あのプラザ合意以降、米国金融資本主義の延命策(追随策)で終始した事にあります。第一次バブル崩壊以降の大蔵行政の失敗(失政)が今日の日本の姿を形作ってしまっている・・・
銀行、郵政、年金、生保、損保・・・日本の未だ十二分に保持される膨大な個人資産を巡る闘いが、米国を中心にグローバルに標的とされている事に変わりはありません。
日本の金融市場は、隠れていても「TPP」の目玉であり、生損保業界もいまだにグローバルに生き残る為の再編途上と捉えるべきかもしれません。
日生対TOKIOマリンにMSグループが割って入り、生損保、郵政の法的壁が完全崩壊する前夜にあるはずです。
保険法の制定、生協法の改定、共済の保険化、簡保の保険化は全て金融事業としての保険化への加速であり、それは相互扶助精神の保険、共済事業の終末を意味するものです。
金融事業からリテールの保険分野を切り離し、国内リテールの為の保険、共済分野と市民資本セクターの醸成を可能にするか、金融事業の波に呑まれて、消え去る運命と諦めるかの境目にあるとも言えるのです。
少額短期保険事業や共済事業における生損保の垣根撤廃を既成事実化させ、少額で短期な金融事業を別枠として解禁させる事は、国民の金融資産を守り、外部流出させない為の大きな目標値であり、最大の研究課題でもあるはずです。
(もちろん、現在生協も少額保険事業も金融事業を兼営することは禁じられています。少額で短期な金融事業なら市民金融事業分野として十分に可能です)
生協陣営等の保有する非営利資産、簡保資産、年金資産、健保資産などは、新たな市民金融資本として再生されるべきものであり、これらの専門分野の学者、政治家の連携(育成)と関連法案策定、設立がこの研究所の究極の目的ともいえるでしょう。
因みに金融保険分野と共済保険分野の棲み分けは、EUにおいては主流の流れでもあります。
「共済は保険である」との一見(消費者保護のため?)の法律は保険事業分野を完全に世界の金融市場に投げ出すことに通じるものでありうる・・・
この際「共済法」の設立と限定的市民金融事業の解禁への運動は「生協」という市民金融セクターが、最も近い位置にいる現実的見地とみすえ、一歩づつ進めて行く事であろうと考えています。
なお、これまでの論は、生活クラブ生協の創設者の一人である「横田克己氏」の著作やご意見に加え、現在も進行形の諸施策を元に小職の経験を保険、金融業界の同行と実践を加味して纏めたもので有り、今後とも実業的、実務的行動に基づき検証、公開して行く予定です。
小理屈を長々述べてきました。個人的「纏め」の下地にブログを使わせてもらったのは、極めて不評であったことを読者の皆様にお詫び申し上げます。
2012 年 2 月 4 日 No Comments
ハムレット人生最後の決断!?
決断はいつも早かったと思う。悩む前に手が、口が、体が動いていた?
「筋を通せば道理は引っ込む」…はず!?
①高校時代、筋を通したら停学になった。
若気の至りで勉強を始めた…
② 教師から「K大も無理」と言われたが、「ダメなら就職」としてKG大を受けた。
奇跡の合格で学内騒然…
③ 大学では、筋を通すために、突然部長を投げ出した。
人前で初の男泣き…
④ 何とか上場企業に潜り込んだが、一年持たず、向いていないと退職した。
途端に結婚が決まり工員に…
⑤ 二人の子供は食わせられないと再び辞表で、我儘を捨てて再びサラリーマン。
社長から給与倍増で止められたが、筋が通りませんと拒否…
静かに30年が過ぎたら…常務になっていたら何かおかしいぞー
⑥ 57歳になって、大人の筋は、退職しかないと独り合点に家族は同意。
社長に先は、博士か大臣かと言われても、それでは筋はとおらない…
⑦ そしてこの歳になって始めて、始めてのハムレット!
君にはもう時間はない…
ハムレット曰く
「筋を通して、地獄を見るか、筋を曲げても天国を目指すか!それが問題だ!」
振り返れば、全て地獄を見る選択だったが、落ちないできた奇跡…がある。
何故迷うか?
これまでに決断に3日かかったことは無いのに…
皆さんなら、どう選択するのだろう?
2012 年 2 月 4 日 No Comments
賢鐘会(3)
今年の新年会を飛ばしてしまうと長く続いたこの会もゴルフコンペも開かれる事はなくなるだろう。最後になる(する)事を覚悟して、案内状をM君にお願いした。本来絶対禁じ手である仕事上のお願い文を同封して・・・
出身会社の変貌とOB会新年会を横目に見ながら、10人も集まらない事も覚悟して、当然禁じてを使った事で、勝手に我が儘解散宣言をさせてもらうつもりだった。新会長に仁義さえ切らず、常識はずれのけじめを自分流につけるつもりだった。
会場のワシントンホテルには、OBが10名、現役(含むすれすれ)が11名出席予定の全員が揃っていた。
いつものように、会長の乾杯だけで新年会が始まった。メンバーには、発足からの最古参の部下に部下の部下、同僚、同僚の友人達と多士済々ではあるが、さすがに最年少で今年50歳、最年長が65歳と高齢化はおびただしい限り・・・
実は、M君に一時間程度話したいのでマイクの用意を頼んでいた。この際嫌われても、様々な想いを話したうえで、会のかって解散を宣言してしまうつもりだった。「泣いてしまうのかもしれない」と似合わぬ感傷的心境であったのは、禁じ手のお願いごとをする為の経緯をしゃべるつもりだったからだが、当然昨年一年間の傷心の出来事の連続と背景を話さなければと想ったからである。
出身会社が無くなる寂しさについては、昨年の新年会で話してしまってオリ、その為にも会の名前を「賢鐘会」としたわけだが、その会の維持能力を保持できない理由にかこつけた「お願い事」となってしまう。
頭を下げて「お願いし、潔く解散宣言で締めよう」と想っていた。珍しくシナリオを考えたのがいけなかった。つらつらと言い訳がましい話しになってしまう。「言うべき事が言えないぞ・・・」
それでも40分もの長広舌となってしまった(らしい)。意味不明の長話を反省し、残された時間で「全員が一言づつ・・」
しまったみんな「良くしゃべる」いや話した思いは通じている。河田孝彌とこの「会」の意味を分かってくれている。それは「D」社の精神であり、その先頭を走りきり、その姿を見てくれていたのだとの身勝手な解釈に聞こえてきた。
K君は「「D」の率先垂範の精神はどんな企業になっても、恐れるものではない。必ず先頭を走っているし、戦いがあれば必ず勝利するものだ」と後輩の現役たちに話した。
S君は最も早く「D」を去りながら、彼に教えられた「D」の誇りと情熱を受け継ぐ人、彼はこう挨拶した。「坂の上を見定めたら、後はゆっくりと下り坂を転ばぬように下りるべき」と教えられたが、今、考え方は「坂の上には、叉坂が待っている。人生は坂を上り続ける以外にない」事を理解して、人生設計を見つめなおしている・・・と。
宴の終わりに、KU君が突然前に出て「皆さんご唱和を・・・」といって手を腰に回した。「自主独立の精神の元に、堅実経営を旨として、最優の会社である事を目標に左記の信条をもって社業を推進する!自己を律するには厳正責任、人と接するには誠実親切、仕事に臨んでは創意、積極」
期せずして、全参会者が未だに諳んじている社是、消えて10年が経つのに・・・
私は、「小さくても最優たれ」と「自己があって、人がいて、最後に仕事が来るこの社是が好きだ。そしてこの会に集まったみんなも間違いなく共有している「D]ではぐくまれた不滅の精神で結ばれている・・・と感じた。諳んじながらみんなの顔を見てそう確信した。
「我が儘ついでに勝手に会は継続していきます。坂が続いても上り続けますので・・・」と心の中でつぶやいた。
やがて宴が終わり、最も参加暦の少ない唯一の先輩Mさんがこういってささやいてくれた。「エイジさん、これが君の誇りであり、宝であり、歴史だよ!我が儘なままでも「会」は続けて行こう。みんなにとってもこれからもっと必要になる会なんだから、みんな心からそういっていたと思うよ・・・」
賢鐘会は誇りであり、勇気を蘇らせてくれた。「D」の精神を蘇らせて、今年も自ら臨んで、坂を上ろうと決意を新たにさせてくれた。
2012 年 2 月 2 日 No Comments
賢鍾会(2)
こんなコンペも昨年は、ついに一回も開催出来なかった。
理由は、大震災の為の自粛を大義にしているが、実は20年も続くと周囲の環境の変化も著しい。
まずは永久会長予定者の突然のサラリーマン我儘リタイアー、次に続いて辞めてしまってこの会の事務局を一手に引き受けてくれていたM君のゴルフ封印宣言、彼も大好きだったゴルフへの自信と情熱をある時のこのコンペで完全喪失したようだ?その引き金を造ったのは、常設のゴルフ会場であった「オリムピック足利」の池越えのショートホールにあると思っている。彼はそのショートホールでなんと「13」を叩いたことがある。実は池ポチャは、プレイングフォーのルールがあるかもかかわらず、彼は打ち直しを選択した。(罰金が恐ろしい?)いや正確にいえば、同じパーテイのK(小生)が、強行に打ち直しを強要したのであった。その一言が、彼の趣味を取り上げてしまう事態に至ったのだと反省しきりである。彼は体調不良としているが・・・彼がゴルフに封印した後遺症は最大のパートナーである小生のゴルフ熱が急激に冷やしていく。この伝統のゴルフコンペに終止符を打つ結果をもたらす結果を誘引しているとすれば、シャレの一言が人生を変えてしまうのだと言えなくもない?
オーバだが人生とはそんなもの・・外部環境として会社の名前が再び、三たび変わって行くことになり、当然メンバーの考え方も、所在も、もちろんその趣旨さえ全く見えなくなる。(コンペの準備も結構面倒なものだから)
確かにこのコンペ(会)には、暗黙ながら明確な趣旨があった。
それは当時吹き荒れつつあった会社環境の厳しさ、時には個々に襲われる「パワハラ」から逃れる憩いの時をゴルフ場で癒そう、ラインを離れてフラットで、フランクな愚痴をゴルフ終了後に吐き出そう・・・
こんな趣旨が暗黙のうちにあったのは、会員数が少なかった頃の郷愁であり、肥大化する会員数(70名)に加えて、ゴルフをやめた会員、ゴルフだけを目的にする会員、その秘密性?に様子見を決め込む会員、当然ながら様々なニーズが見えてくるものだ。(そして、このコンペ自体が一つのパワハラであったかもしれないと思うようにもなるし、会員にとっては、全く無意味な割高コンペとなってしまったかも・・・)
原点に帰れないか?
会社が様変わりする中で、集う我々の最も大事にするものは何だったのか?それは、既に主流では無くなってしまったが、当時の「D魂」であり、それが益々失われる状況の中でこそ、この会はより有効な「D」の会として存続して行く使命があるかもしれない。ましてその半数以上が、現役を終えようとしているのだから・・・
8年前から元部下という存在は、増える事はないし、元部下諸氏にとっても何年も部下扱いは迷惑千万かもしれなかった。
(おお)昔の「D」社という会社は良かった。頑張れば、それなりに認められる。頑張らなくても一芸があれば、それを大事に見てくれる。個性豊かな野武士軍団は、弱気を助け、強気を挫き、共存していく風土と余裕が確かにあったし、何よりも大方の社員誰もがその会社を好きであったし、誇りを持っていたと思う。(最大よりも最優たれ、自己があり、社会があり、会社があるのだ)
そんな会社に戻ることを夢見て厳しい合併も受け入れ、努力したつもりだったが、既に、環境はそれを許すほど甘いものではなかったのだろう。
自らの信念に敗れ去って7年、よくも未だにOB面をしているものだと反省しきりではあるが、この会がある以上、その郷愁はいつまでたっても拭い去れない。
昨年の新年会で、急遽「賢秀会」を「賢鐘会」と改組して会長を辞任、真の「D」を懐かしむ「郷愁」の親睦会への改組を提案し、無理矢理受け入れてもらった。
釣鐘マークとD社の社是をベースとし、D出身のOBとD出身の現役を結ぶ絆にして欲しいと大胆に提言したのは、あの会社に通っていた精神が「その社是にあり」と確信したからだった。
そして、また一年がたち、日本の環境も自らの境遇もより厳しく、激しく様変わりした。改組したまま一年間、会はついに開催できないまま、新年を迎えた。
2012 年 1 月 29 日 3 Comments
賢秀会から賢鍾会へ(1)
20年以上続いている秘密?の会がある。
始めて支店長を経験した新宿支店を離れる時、有志の元部下達と密かに作ったゴルフ親睦会・・・その後、職場を離れる度に元部下は増えていき、会員数もそれにつれた拡大して行った。現在名目(70人)
元部下たちには、当然新しい上司が着任するので会は暗黙の内緒話とする方が何かと都合がいい。因みに当時、無駄な?研修の多い会社だったから会の名前を社内電話にも耐えれるから「賢秀会」と洒落て、年に3回程度のゴルフコンペを開催してきたものだ。
直属の現役部下は加入できないとしたのは、当然ゴルフをやらない社員もいるし、いやいや参加や強制的参加を避ける為、現役親睦コンペは別にして、元部下となって始めて参加権があるが、もちろん任意加入である。
当初はみんなゴルフは「下手くそ」ばかりで、ゴルフ場にずいぶん迷惑をかけた。
ゴルフコンペの商品は全てゴルフの罰金と競馬の収益で賄う。罰金はウマイ、ヘタを公平にするため工夫して、まずは「オネストジョン」方式の当日の自己スコア申告、130から80までばらけるのは、オーバーは100円、アンダーは1000円となるので、誰もが実力以上の過少申告となる。
一般的罰金も過去データに基づく固定ハンデで30台なら100円、20台なら200円、10台なら300円、シングルになったら400円・・・ハンデは優勝すれば3割、準優勝は2割、3位でも一割がカットされ、取得ハンデは絶対に上がらない。
(ちなみにこのルールで優勝すれば多い時は商品が3万両を超えることもある)
こうしておくと、いつかは優勝ができるし、3回も優勝してしまうとたちまちハンデがシングルになってしまう。100回も続くと「にわかシングル」が続出し、やがて30台のハンデが無くなってしまう。(実は、大半が未だに30台が正しいハンデ?)
ゴルフ場に順位計算の依頼の為、事前にハンデを出すのが恥ずかしくなる。シングルがこんなに多いコンペ・・・勿論未だに上がってきて出て来る集計では、ゴルフ場にとっては迷惑コンペの部類に入る低調なスコアなのだから!
こうすると、優勝は順番にいつかは回ってくるものだが・・・
実は100回やってほぼ全てのコンペに出場するEさんに優勝経験が無い。勿論とっくに名実共にシングルの腕前、年間80回をこなすプロゴルファーのような人が、このコンペでは、なぜか優勝が出来ないばかりか、ブービで入賞する事を何度も体験する不思議な現象が起こる。ゴルフコンペの相性というか、ここまでくるとゴルフの奥深さというのか、魔物というべきか?
答えは、どうもこの民主的ルールにあるようだが、誰もルール変更は言い出せない。密かに伝統として君臨する不思議な秘密のゴルフ親睦会となっている。
2012 年 1 月 29 日 No Comments
C型肝炎考
「国内に約200万人の感染者がいるとみられるC型肝炎。慢性化すると肝硬変や肝臓がんに進むこともある恐ろしい病気だ。2011年11月に新しい薬がはつばいされ、従来の薬では効きにくかった患者でも治療効果が期待できるようになった。治療期間が短縮できるなどの利点もあるが、副作用に注意する必要があると専門家はしてきしている・・・
ある日の日経新聞夕刊の記事!
200万人の患者予測よりも既に肝臓ガンで年に3万人が亡くなっている事実があり、そのうちの何人がC型肝炎の感染者であったかは永遠に分からない。今も気付かない潜在患者も多い。
薬害エイズ、B型肝炎は注目されたが、今だに原因不明として放置されている。
当然、この新聞の新薬にすがり、モルモットとして試薬治療を受けるのは、これまでも苦しい副作用を体験して治癒しなかった患者にとっては、朗報ということになり、チャレンジせざるを得ない。
この歳?で6ヶ月の地獄を再び体験しても、もし肝硬変や肝臓がんへの日々の恐怖から抜け出せるなら当然の選択であるだろうか?
明日、その新薬による第一次入院治療を終えて帰宅するらしいが、当面(1年程度)臨戦体制で治癒に向けた祈りの日々となる、、、
ちなみに、前回は一ヶ月目で消えたウィルスが、治療終了後に復活してしまった苦い体験が残る。
この試薬が、全てのC型肝炎患者に有効であることを祈るのみ!
国の責任であっても立証できない事で、その大きなツケが残ったまま、歴史がそのツケを時効にしてしまうのだろう。有効な試薬であれば、「約200万人」にせめて、せめて、無料で治療を受けさせる程度の措置がなければ、、、。
立証などを待つ時間は無いし、元気だから、未発症だからなど、政治と国家予算など所詮その程度の他人事とあきらめてはいても、、、
大震災よりも被害者数は甚大であり、それは現実の死への恐怖との日々の重い、苦しい戦いなのだ!!!!!!
2012 年 1 月 25 日 1 Comment
3S総研号外 (号外ー4保険システム概要)
先のブログの添付ファイルで、秘蔵の新保険システム(FF保険システム)概要を公開してしまいました!(システム特許出願準備中)
これこそが当研究所の完成形の姿ですが、Webによる顧客入力と合わせて複雑極まりない保険、共済事務システムの完全自動化による価格破壊が目指す所、但し、金融事業としての保険業とは、一線を画するものであると理解して現実的解決策を視野にチャレンジ途上です・・・・
旧世代の巨大な荷物(コスト)を新世代の参入、検証の為、研究員も充実、そこに新たな歴史を担う保険オルタナテイブが見えて来ると信じています。
実践的に経済合理性をも加味する事で、世代を繋ぐ役割も意識して・・・
2012 年 1 月 12 日 No Comments
上記のファイルは、現在目指している保険システムの参考資料です。
2012 年 1 月 12 日 No Comments
橋下ー猪瀬対談(薩長同盟)成る!?
政治は、イメージの好き嫌いではない?
見事に政策論で一致する二人、そして実践家としての政治力。テレビ、Twitterを最大用して・・・大いなる賛意を評する!!!!
お二人の「薩長の密約」は、3年前には、出来上がっていたし、その現場を目の当たりにしてはいた。
その時は極めて政治的薩長同盟であったはずで、政策の一致はなかったと読んだのだが・・・
そういえば、かの薩長同盟も当初は、極めて政治的であったっけ?
だが、見方を変えれば、三成と家康の駆け引きである可能性も、まだなくはない。どちらがどちらか、と考える場合に、もちろん慎太郎さんの存在を含めて考えて見れば面白いかも・・・
猪瀬さんには、歳は喰っても是非「龍馬役」を期待していたのだけど、家康を考えているのかもしれないし、三成になってしまう可能性もある?
時代は、やはり確実に「橋下」平成維新の可能性と要請の声に向かうし、それを良しとする!
悔しいけど彼の主張、政治力、実行力は全て納得出来るし、パフォーマンスも良!大人には密室のTweetを別とすれば、、(これも意識した戦略なら凄い)
彼が平成の竜馬であれば、それは日本の未来が多少見えてくるのかも!
とにかく、年寄り連中がその(彼の)匂いだけで潰さないことが重要だ。橋下市長も絶対に擦り寄らず、徹底的に利用できるかどうか?利用されるだけで、潰されないことを祈る。これからが正念場、(猪瀬ブレーンに期待する!)
石原都知事が、猪瀬マジックで突然、支援に廻ったことは大きな要素であって、見逃せないし、そのことにも橋下が気付いてるとグッドだが・・・
ポスト石原の後任がもし猪瀬でなく、橋下となったなら猪瀬副知事は「竜馬」になれるのではと、勝手な期待もしてしまう!!
話は飛ぶが、鈴木三重県知事は最年少知事だが、人物であるらしい。(極めて近い筋の情報)彼も勿論天下取りを狙い、日本の原点「三重のお伊勢さん参り」で、力を貯めているという。(36歳は十分に魅力的年齢)
こんな夢が、少しは見えてくるのが「3,11」の最悪事態が生み出したものであるならば、天災を人災とした戦後政治の革命的変革に繋がる可能性として多少とも救われるのだが・・・
兎に角 、脱原発、脱東電、脱関電だけはやり切らねば・・・最低限の世代的責任!(忘れて、経済性という既得権益に誤魔化されないこと!若い官僚達もそろそろ気付くだろう。権益が続かない時代性を?)
「猪瀬ー橋本会談」を聞いて、このタッグ完成(薩長同盟)に熱烈歓迎を表明し、大きな期待を寄せることとしたい。
2012 年 1 月 8 日 No Comments

