スエーデン美女の仲人の想い出
(ジャジーさんBlogに託けて…)
仲人は、原則引受禁止で通した。例外規定を設けて、、、。
例外規定は、訳ありの結婚式で納得できる場合に限る。(それでも10組程度の仲人経験があるかな?)
まだ見ぬ国の「スエーデン美女」・・・
いつかは直接かの国へ行って確かめて見たいものだが、何となく「日本男子」の憧れ?
現役時代の取引先のご子息の仲人を依頼され、勿論お断りをしたところ、まずは、お相手がスエーデン人との事、そしてその人のご両親が離婚しており、夫々が次のフィアンセを連れて出席されるとか…
例外規定では、十分に祝福される結婚であり対象外だが、ここで興味本位のスエーデン美人を見てみたくなったのは、果たして勝手な想像を「スエーデン」においていたからだろう。
因みに、ご本人は勿論、同じテーブルで談笑されるご両親のお相手女性も、みんなスエーデン美人(そこそこのご年齢であっても)であったのに驚き、そのあっけらかんとした「4人」の関係にも脱帽したものだ。
ジャジーさんの「スエーデン美人のJAZZ論」は、きっと「現地体験あり」だろうが、やはり「ボケる」前にぜひ一度行って見たい国!
いや、そんなにもう時間がない???
(そういえば、男性スエーデンJAZZマン、出てこないでしょう???)
因みにその他の仲人も世の中、こんな組合せがあるのかな?と面白い(失礼)…
(いつかまた書いてみよう???)
ということで、誰も聴いていない仲人挨拶(経験上)で、二人の経歴を喋った経験がない。キャリアを喋らないなら、覚えなくてもいいから楽!
常にアドリブのぶっつけ本番・・・(ごめんなさい晴れの門出なのに・・・)
きっとご両親からすれば、どうしゃべられるのか心配な場合が多い(はずの)中、必ず絶賛を受ける仲人挨拶の極意は仲人役の選択(生来のずぼら)に有りかも?
「お二人の過去はよく知りませんし、覚えるのも面倒です。これから二人の歩む人生こそ大事ではないでしょうか・・・」
あれ以来会っていない日本男児とスエーデン美人のカップル、多分別れてしまっているのでは・・・(いや、素晴らしいハーフの美人の子供が年頃かも。)
2012 年 5 月 15 日 6 Comments
地震、雷、火事、原発……(保険化出来ないもの?)
その昔、日本では手に負えないもの、怖いものの象徴とされた。
保険ではリスク転嫁できないものでもあった。
時が流れ、地震、雷、火事などが一定のリスクヘッジが可能となり、保険商品化され、親父はいつしかその権威を失墜し、今や最も弱い立場に追いやられると共に、そのリスクは濡れ落ち葉として相変わらず保険では担保出来ない存在として残っている。(介護保険の対称にはなるか?)
当時は「原子力」など世に存在しなかった。今なら原発、地震、津波、マスコミ当たりが怖いものになるのだろうか?
勿論、今も原子力災害は全ての保険において、絶対免責がうたわれているし、地震、洪水、高波も免責条項として保険事故対象外と小さく書かれている?(未確認)はずだ。
(地震保険という「中途半端」な商品が独立して成立してはいるが、やはり保険としての効力の無能さを今回の大震災で露呈してしまった)
果たして、原子力災害というものに保険が適用できるものかどうか?
(実は、原発の稼働に伴い、真面目に研究され、原子力保険は営々と積み上げられて、この大震災においても無傷に存在している。原発の開発、稼働と同時に「万一」の場合を想定して、当然そのリスクヘッジの手法として保険は、国をあげて考えられたのだった。)
そしてその結果として、出来上がった「日本原子力プール」という財団法人が密かに存在する。なぜか今日も存在するにもかかわらず、今回の損害賠償についてこの財団が機能したかどうかは、全く語られず、ひたすら東電の賠償責任が問われている。国すら賠償責任を東電のみに転嫁しているのは、何とも理不尽な話である。
電力会社は、この原子力プールに応分の保険料を支払い、そのコストは例によって、電気料金に上乗せされて転嫁されている。
(保険では、通常巨大災害の発生については、世界的規模の再保険網でカバーされる仕組みがあり、原発稼働についてはとても、一保険会社では終えないリスクであることから、国内の全保険会社による保険プールを立法化させ、設立したのだった)
勿論、国内全保険会社が集結しても、考えられるリスクは手に負えないから、世界の再保険市場に確認したら、地震大国「日本」の原発事故など再保険料の額以前の問題とされて引き受け拒否されたのだ。この時点で、国民に賠償が不可能なものを民間に委ね(転嫁)、民間経済の発展と利権集団を構築したのが国であり、賠償は国家がすべて負担せざるを得ないじょうきょうはできあがっていた。
(理由は明らかだ。被保険者と被保険利益が無限大であり、イコール保険にはならないもの!が世界の保険理論の常識だった)
それでも原発は強行開発されていった。安全神話を作り、原子力プールというまやかしと無能な天下り団体を組織し、全国民がその経済効果をひたすら、盲目的に信じて、、、
(こうして54機もの原発が稼働した。安全で、安価で、クリーンな最強の電力として、、、)
3月11日、保険の大敵自然災害の地震によって、安全神話はもろくも崩れさった。万一の場合の保険もなく、再保険も拒否されて、止む無く安全神話を保険にした結果である。
(もし、保険が受再されていれば、世界の保険会社が潰れていただろうから、保険業界は、懸命なリスク選択をしたことになる。9,11で消えた保険会社があったように、、、)
安価であったか?
役に立たない保険料を加味した電力料金は、もし賠償リスクを入れれば、その年間保険料は年/1兆円でも合わない世界経済破滅リスクを持っている事が明確であり、そのコスト(保険料は重要な生産コストであり)それが、安価なはずは無い。
クリーンか?
使用済み核燃料の処分先が地球上に未だ存在しない原子力が、クリーンなはずもないこともやっとはっきりした。(いやはっきりしていた)
受給バランスにおける最強性すら疑わしい経済発展依存型電力が、今現在完全停止している。
何となく空気が澄んで感じる錯覚にすら陥るのは、未来への裏切りがない環境が与えてくれているのかもしれない。(この夏を耐えれば、経済効果優先神話さえ覆されるので、無理矢理不足(不測)の事態を情宣し、脱原発で当面の誤魔化しに載せられる世論も醸成されつつある。
安全性の強化までの脱原発は、保険的リスクに置き換えれば永遠にその数理は出てこない。即ち金銭賠償が不可能なことで、無限大の可能性を有していることが、いかに経済効果を原発利権に捧げるものであるかを考えなければならない。
経済人として(元保険屋として、反省を込めて)原発には、経済合理性など存在せず、この際、反原発を明確にする事での経済効果を生み出す知恵を発揮する事が、日本と地球と将来の子供達にとって最善、唯一の道である事を宣言しておきたい。
(脱原発の裏にある短視眼的経済効果理論は、いつかきた道へ戻るものであり、世論誘導の誤魔化しに載る危険な選択にも繋がる…)
「2度と許すまじ、原爆を」と同様に、「2度と動かすまじ原発を」を世論にしなければ・・・
どんな安全基準と対策を講じても「保険引き受け会社」は、絶対に現れない事で、そのリスクは無限である事が立証されているのです。
2012 年 5 月 12 日 No Comments
プラザ合意からTPPまでを保険行政でみる?
(共済が消える日・訳ありダイジェスト版)
拙著「共済が消える日」は、「共済が消えた日」とするのが正しい!
そしてその日は、1985年9月22日(日米プラザ合意)であったはずだ・・・
このように、「生活クラブ生協・神奈川」横田名誉顧問に指摘を受けて、改めてTPPから日米経済摩擦までを遡って研究・精査する中で得た確信でもある。
金融王国「日本」の独り勝ちを見事にその後の金融戦争で仇討ちされた背景には、勿論あの「日米安保」があり、米国におけるその有効性がプラザ合意という形で第二の「日米安保」となり、今日のTPP承認へと繋がって行く歴史は、時間軸で見事に符合する動かし難い事実であろう。
この流れについては拙著で詳しく記しているが、その後、毎年度突きつけられて行く米国からの年次要望書は、「ノー」と言えない日本への要求書として実現されていく。(特に貿易、為替に隠れた形で)金融分野では、実行力を持って実現されてきた。
TPPでの交渉テーブル項目と控えめに置きながらも、日米トップ会談後の「オバマ談話」においては、「自動車」を象徴にしつつも、「保険分野」についての言及がなされていることでも、その意志は明確であろう。
金融を商品とし、資本主義の勝利の方程式として確立した米国の経済戦略は、常に軍事との2正面作戦で進んできた。リーマンショックで大きく傾きかけてはいるが、金融資本主義の方針は、オバマ政権とて、今や継承していかざるを得ない米国の骨格として存在するものである。
プラザ合意以降の米国における経済要求は、相手国の貿易自由化と国内における保護主義の使い分けを為替レートの操作で自由に調整しつつ、資本の自由化(グローバル化)で資金の米国への集中化を図った。
金融工学をIT技術によって商品化し、為替や関税をも超越出来るノウハウとしたのだが、「リーマンショック」でつまずきはしたものの、それをも確実にリカバリーする戦略をとっている。リーマンを捨ててもAIG(保険グループ)を国家管理に移し(温存し)、デリバテイブやCDSの技法は依然として生かされ続ける仕組みとして残され
ている。
AIGの子会社「アリコジャパン」は日本企業での購入には手が出せなかった。その高収益性から日本企業では買えなかったのだ。「メットライフアリコ」となったアリコジャパンは、その後も莫大な利益を生みつつも、日本経済への波及効果(納税効果)はなぜか薄い。アフラックもしかりである。テレビスポンサー効果でマスコミさえ抑えているがごとくである。莫大な米国への利益移転が可能であるからこそ、手放さないどころか、その権益拡大は簡保、共済にまで触手を伸ばすため、マーケット開放を要求しているのだが、一般にはその複雑怪奇な構造は理解し難く、理屈が分からないでいる。(アメリカ大統領は理解できているにもかかわらず・・・)
TPPは日本の農業を駄目にする、食糧受給率が大変な所まで貶めると反対の声は大きいが、果たして米国の狙いはそこにあるものかどうか?
むしろ農協が保有する農協共済や生協が保有する制度共済…勿論郵政が保有する簡保は狙われていないか。いや、これこそが彼らの狙う本命商品であるに違いない。
減ったとはいえ、300兆と言われるこれら日本国民の「預金」は、一網打尽の極にさらされていないか?
日本の医療保険は米国の専売特許として、プラザ合意以降解禁され、むしろ保護されてきた歴史がそこにある。
日本の医療行政では、国民皆保険制度という誇るべき制度があり、故に生保業界ではニッチな分野を米国に開放する戦略で妥結したのが日米保険協議であった。
日本における医療保険分野は、米国の保険業界にとっては、本国では考えられない利益貢献を生み出している。公的健康保険が存在しない事から、ガリバー的規模を誇る米国生保事業にとって、日本における医療保険分野のもたらす利益は本国の比では無いのだ。ましてや再保険市場というグローバルな自由マーケットでの資金移動(利益移動)が可能である保険の特徴を熟知して、資金は無税で国境を超えて行く。
日本における保険業界の閉鎖性を温存したままで、利益追求が可能な仕組み、、、それが、米国のいう簡保、共済の民間企業とのイコールフッテイング理論である。
理由は明らかであり、その下ごしらえも既に密かに出来てしまっている。より優良マーケットである簡保、共済を日本業法にイコールさせることで、コストアップを図り、市場にほりこみさえすれば、後は「向かう所敵無し」の米国流マーケテイング技術(テレビコマーシャル)が出来上がっているのだから…。
果たして簡保、共済陣営には、ことの本質が見えているであろうか?
各陣営の事業運営における「コンプライアンスマニュアル」を具に見直してみてもらいたい。その上で、その実効性において民間保険事業者のそのコスト比較において考えてみれば、一体どんな設備が要求され、そのコストは如何ほどのものか?
(マニュアル通りの実装がなされていない状況に有る実態を指摘するもの・・・)
民間保険事業者として、「コンプライアンス」にうなされる日々を体験したものにとって、また故に合併を重ねる保険業界の現実を目の当たりにして考えて見る時、何時の間にやら、金融庁監督指針や検査マニュアルのコピーが共済事業分野においても法制化されている事態で、イコールフッテイングを主張するということは、コンンプライアンスを額面どうりに守り、また厳しく監視せよというだけのことになっている。
即ち、共済は既に現行の経費率による掛金や利益還元は出来ませんよ?
コンプライアンス経費は少なくとも経費を倍増してもらわなければ、対応できないように監督指針には書かれていますよ。金融庁の現行指導ならかならずそうなるはずです。または金融庁同様の監督官庁を作りなさい・・・。
既に米国の主張は、共済は法律と指針を守ってください。守らせてください。ならば、掛金で勝負出来ます。それならば十分に勝算が見えますから・・・とごく真っ当な要求をしているがごとくに見えてしまいます。
「共済は保険ではない」この一点が、主張でなければなりません。共済は保険であると言い切ったのは実はアメリカであり、そういう風に既に法改定がされてしまっています。実は、米国及びヨーロッパにおいても共済という概念は保険と同一ではない見解があり、共済は共済として法的に成立しているのだから不思議な事態が起こっています。
郵政民営化もTPPの一貫であり、米国金融ロビーストの最終仕上げと捉えなければなりません。日本における郵政資金があまりにも膨大であり、自由化という名の米国勝手保守主義の最後のターゲットになっています。
共済はその一連で付帯されてしまっているとも言えるでしょう。
業界別監督指針を「コンプライアンス」というならば、「共済が終わる日」を待つまでもなく「共済が終わった日」は、あのプラザ合意による「第二安保」の締結日であり、日本はどこまで行っても失われた・・十年を続けていかざるを得ない金融経済学の中にいると言えるでしょう。
2012 年 5 月 9 日 No Comments
「反原発」と「脱原発」の大きな相違点!
(脱原発は、推進に加担するものである論)
どうやら予定通り?大飯原発の再稼働を民主党が決定したようだ。
党の方針は、脱原発で世論を交わしながら、経済優先と地域電力不足から理屈の通らない安全基準なるものを付け焼刃で作成し、そのシナリオとしたのだった。
勿論、消費税、TPP、原発再稼働で民主党の崩壊は決まったが、さりとて原発だけは再稼働止む無しを是とする訳にはいかない。これだけの大事故を起こし、日本だけでなく、世界を壊すほどの可能性があったその情報を隠蔽し、結果オーライであったから、日本経済のためには止む無しとするなら、今後脱原発に向かうなど、到底あり得ないのは、子供でもわかる誤魔化し戦略と断言しておく。
さらに、「経済がどれほど痛むか」というのなら、その痛みは「過ぎた損失」として、国民全てが既に蒙っているものであり、経済的にも二度と起こる可能性のないものにできることを立証する以外にはあり得ないのだ。
脱原発は、減原発であり、再稼働容認であり、安全基準と言うまやかしから、再利用研究になり、これまでの原発推進に逆戻りすることと同義である!
一つ展開が違っていれば、東京を含めた日本全体が福島の現状と同様であった事は、既にはっきりしている。偶然にもこの悲惨な状況が福島県内に収まったにすぎず、故に時間の経過と共にその悲惨さが、人ごとになって行く・・・。
「反原発」論は、経済を知らない者のたわごとかどうか?
それは、原発利権と電力独占による国家支配体質が消えるだけであり、日本の経済損失総体には全く関わりはないのであり、その利権を守るためだけの国民負担に貶める事を決して容認する訳にはいかない。
特権階級の利権を壊し、新たな経済枠組みに変える為の痛みは、既に全日本国民が負う羽目になってしまっているのだから、それを原発の無いインフラに変更する事で使う事によって、経済効果は必ず復元が可能だし、十分に試算もできるだろう。
果たして、この夏の電力は原発無しでどれほど不足するというのか、おそらく日本総体の電力の不足など起こり得ないのだが、仮に100歩譲って「起こる」想定が関西地域で2割あると最大想定したとしても、その時間軸での工夫と節電で超える知恵など、いくらでも考えられる。すなわち日本(全体)ベースで考えれば、英知を結集するまでもなく素人の常識ベースでも可能と判断出来る。
「経済の発展を阻害する」電力不足論が、原発止む無し派(と脱原発派)の経済理論であるが、これとて、自然エネルギーへの本格転換でスローダウンの経済成長路線しかなくなった日本には、十分すぎる経済上昇分の手当程度は可能であるはずだ。
問題は、全原発の廃炉は、間違いなく電力各社の倒産する一見厳しい現実が残るが、それは無論止む無しだ。
申し訳ないが、現状の全役員はその責任をとってもらうしかない。日常生活において彼らは全く困らないだろうし、彼らは次の職場も見つかるだろうキャリアエリートであるから、失職さえしないかもしれない?
電力各社の倒産は国家管理で、分社再編され、送配電の分離、新電力の拡大、そして何よりも廃炉に向けた長い公共事業の職場がまちうけるはずだ。故にその職員、下請け企業(の社員)の職場は確実に確保が可能だ。
倒産、国家管理となる電力各社の再建は、現行電力会社の部長以下の知恵でお願いするしかない。送、配電の分離は勿論、新たなクリーンエネルギーの開発、研究、稼働が、新しい仕事を生み出す。
幸いにも極めて優秀な管理職が山ほどいるのだから、半数程度の人は再建経営に携わってもらうのだろうし、半数程度の人は一段格下げの仕事についてもらうのかもしれない。分社化され関連会社に転籍も沢山出るだろう。
こうして新電力は、沢山の職場を生むのであり、幸か不幸かリストラは役員と周辺の利権企業以外には発生しない。直接原発稼働に関わっていた人たちと膨大な周辺事業者は?
すべての原発は廃炉しかないのだが、果たしてこの廃炉の為の工程表や技術には、膨大な人、もの、金と研究が必要になる。50年以上かかる難事業だが、これは公的資金の投入以外には無理である事は既に明確な答えが出ている。
公共事業であり、インフラ整備と割り切り、新たな財投の出番はいた仕方ない。これまでのハコモノ、道路、ダム、新原発などを考えれば、新たな仕事と大きな経済効果もを生み出すだろう。
原子力村の関係職員研究者には、この廃炉作業と処理の研究で、世界の未来に迷惑をかけない核処理技術を生み出してもらう壮大な無駄プロジェクトに参画してもらう事になる。
「日本核処理廃炉機構」?は、50年以上の大プロジェクトになるだろうが、この資金だけは、後向きであっても日本のインフラ再構築事業と考えて全国民が負担せざるを得ない。これまでの日本の経済反映の付けであり、あわよくば、日本が誇る特殊技術として将来に残せる事業にもなるかもしれないとポジテイブに割り切るしかない。
経済効果と要員、長期国家収支などは、優秀なる経産省官僚に任せれば、一月もせず試算できるだろうし、辻褄の数字合わせはいくらでもできるはずだ。
私は、東電の電力料金も過不足電力計算も原発コストも全て辻褄合わせであると思っている。電力料金の値上げなど全く必要なし、電力は十分に「原発無し」で、まかなえる(でなければ、ほぼ原発が止まった今、とっくに電力不足にならないはずがない)事が、ほぼ立証されてしまった。
「節電コール」を電力会社が必死にやるのは、使わないほど儲かる仕組みである(使わなくとも取れる)基本料金制度があるからだというカラクリをこれ迄も指摘してきた。
地熱発電、風力発電、火力、水力、いつまでにどれくらい作れるか、作ればいいかなどは、優秀官僚が余裕の計算済みではなかろうか。既に、(誰が損をし、だれが得をするのかなどについての)富の再配分にそれぞれの官僚利権が入り混じって、次の利権戦争が行われているのかも知れない。
しかし、それでも「強い」のは既存勢力であり、原子力村とその周辺に群がる大量の利権集団は、とりあえず、原発再稼働で元へ戻そうとし、平和な国民も「喉元過ぎれば、他人事」としてしまう可能性が高い実情が現実の政治(家)である。
悔しいことではあるが、「経済優先」が最も国民を利害と共に妥協させていく魔法の剣であることは、自戒を込めて宣言しておきたいと思う。
それが「脱原発」という理論のまやかしであり、「反原発」か「原発推進」かの2者択一以外に選択はできないし、脱原発は推進派に組みしてしまう事が、時間軸ではっきりしてくるだろう。
反原発はイデオロギーを超えた人間の生存の根源に関わり、未来を冒涜するものであることをこの大事故に対する反省と自戒を込めて学びたいと思うのだが・・・
「福島の現場幹部の独白」を今西憲之の取材記録として読んだが、まだすべての事実は明らかにされていない事が良く解るので、ぜひ参考にしてもらえればと思う。
菅さん、小沢さん、民主を壊して、原発再稼働を止めませんか・・・
しかし、橋下大阪市長氏のTweetを拝見していると、小泉郵政改革利用の危うさと脱原発の政治利用に見えてしまうのは、かれも決して「反原発」ではないところにあるように見えてくる。
残念ながら・・・その脱原発論も今必要な政治的世論操作であっても必要な風となってしまう???
2012 年 4 月 15 日 No Comments
共済が消える日 (17・終)
(共済法の制定と市民資本セクターの実現)
横田克己氏との出会いは、保険業界から足を洗ったはずの我が人生を大きく転換させることになりました。
氏の53歳における「引き際」の決断と、その後の現役の周辺における活動ぶりが、保険業界の「井の中」にどっぷりつかったままでありながら、それを避けようとしていた自分を覚醒させ、その周辺にも全く無知であった「蛙」であることを認めざるを得ませんでした。
営利と非営利の互いのキャリアを別にして、業界で50年以上費やしてきた人をして「私は共済は素人であり、保険業界でのキャリアを借りたい」と言われたその時、生意気にも「生協の本質は、共済にあり、その共済を放棄するかのごとくの生協法改定を認めてしまうというのは、あり得ない暴挙と言わざるを得ません」と答えた無謀さを悔やむしかありません。
(その後のほろ苦くも、厳しいチャレンジの始まりになりました)
手始めに、生協陣営のバランスシートを(もちろん始めて)目にして、「共済事業の収益ウェイトの高さと共済分離のファイアーウオールの意味になぜ気づかないのですか」と毒付いた無謀さを恥じ入るのみですが、(生協ー共済間の)資金の流動性をストップされ、果たして生協事業自体が維持できるものかを疑わざるを得ないと真面目に問題意識をもったのでした。
横田氏が、絶対的必要性を主張してやまない「市民資本セクター」の成立は、その入り口としての生協事業にあるのであろうと考えいます。しかし、生協法においての金融事業に対する強い規制は、それが全く機能せず、当然共済事業においても準用されるものであり、今般その共済すら「財務の完全分離」が法的措置となってしまっているのでした。
現状は、生活者に対する金融事業への門戸は全て閉ざされてしまっていると言ってもかごんではありません。
問題は山積しているとはいえども、必要悪でもあった(止む無くにしろニーズはあったという意味)はサラ金規制において、小口の生活者用金融は完全に使用不能状態になってしまっています。
これまでも、これからも生協(共済)の余裕資金は農協か、労金への定期預金ということするしか手はないのでしょうが、それとて決して生活者の必要性に間に合う金融の循環にはなりえません。(単なるグローバルマネーへの循環器の役割といえます)
生活クラブ他が、多重債務者支援基金を創設し、チャレンジしています。
金融事業会社のはしくれを経験したものからすれば、それはあまりにも無謀な事業であろうと当初は考えました。
「蛇の道は蛇」はよくない例えですが、この(非)常識こそ、民間金融マンの驕りでしかない事実も数字にしてはっきりと見せられました。非営利であるからこそできる金融、小口だからできる金融は現に事業として存在しますし、おそらく、一般の貸し倒れ率をはるかに凌駕するほどの事業的低リスクになっている現実があります。
勿論、多重債務者支援という面では「公」との連携が必要であるとはいえ、(現状ではきわめて少額にしろ)資金は有効に多重債務者の救済事業として成り立っています。
多重債務者の多くは、もちろんその自己責任をまぬがれるものではありませんが、かと言ってそれをそのままの成り行きで放置できるものではなく、更生が可能な手立てがなければ、結果として益々大きな社会損失にも膨らんで行きます。
私もこれまで、身近に随分沢山の多重債務者に出くわして来ました。
実は上手く更生できた人も沢山見ています。少し法律を工夫して利用すれば、そして少しの更生資金がうまく活用出来れば、立ち直れる人も多いのです。
そこに公的な支援だけではなく、非営利の市民金融支援制度などで支援できれば、それ(公的措置)がより有効にもなるはずです。
これは、零細企業においても同じでしょう。商工ローンが完全に止まり、零細企業では、ほぼ一般金融の道は閉ざされてしまいました。
たとえ相当の高利であっても一時的に資金が回れば、復活できる零細企業も沢山あったのです。現に商工ローンも必要悪としてニーズだけはあったことを証明しています。今は資金ショートをすれば、その時点で中小零細企業ほぼ全滅します。
(公的金融など、ほぼ利用できるスタンスにはありません。99%の確率で追加借り入れなど不可能なのが実情です)
生活者の少しの資金でも、生活者の中で流動性を持たせることができれば、それは極めて大きな経済効果を生み出すはずです。
弱者が救われる金融事業は絶対に必要不可欠ですが、残念ながら今の日本では存在し得ないというのが、業界常識なのです。
少額で短期でいいのです。限定的制限的でいいのです。金融を高収益事業にせず、コストを徹底的にセーブすれば市民金融事業は成り立つのです。
生協から資金の完全分離が行われた現在、共済事業に限定的、短期的、少額の金融事業を認めることが可能になれば、それは極めて経済的、社会的、福祉的効果を生むと確信します。金融のプロでなく、生活者の実態を知るプロフェショナルであれば、それが可能である事例があるのです・・・。
生活者が生活者同士の金融を合法的に営むことをあらたに「共済法」を分離させ、法制化すれば、これらの市民金融事業(多重債務者支援事業)を推進する道が見えてきます。
共済に金融業としての保険業と同程度の監督指針を課してしまった現状を考えれば、同様とまではいかずとも一定の金融事業を認可するべく、立法化を求めることは当然の権利であり、義務でもあろうと考えるのです。
生協法で共済をくくりつけながら、金融事業とほぼ同様の規制を行う事は全く矛盾する法の括り方です。
市民のための市民金融の門戸開放があって始めて、現状の厳しい「共済監督指針の意味があり、そこには一定の金融業務を認めなければ、生協と共済の経済分離の大義すらないと言わざるを得ないでしょう。
保険業界に始めて限定的「少額短期保険」を認めたごとく「共済事業」にも限定的「少額短期金融」を認め、市民資本セクターの構成を認めるべき時代が到来しているように思います。
現状の共済生協の設立には、出資金として10億円以上が必要とされています。
これは、民間保険会社の設立に必要な資本金10億円以上と同等な高額なものです。責任準備金他も民間保険会社とほぼ同様に規定されています。そして最大リスクの許容については、大きく制限されているのですから、リスク総体は逆に極めて低くなっており、かつ安定的損害率を示している事実が、何よりも共済リスクの健全性を歴史的に立証しています。
もし、年間共済掛金が、50億円ある共済事業があるとしましょう。
それ以外に出資金が10億円あります。この場合の運用可能資金は一体どの程度であり、それは現実にはどのように処理されているのでしょうか。平残ベースでこの預かり資産の50%程度が運用可能資産であり、定期預金と普通預金になっているはずです。
これらの資金は出資金を含めて全て、本来組合員の預かり資産であり、運用利益を還元しなければおかしいのです。運用リスクをヘッジする方法は山ほど存在しますし、規制することも出来ます。普通預金や定期預金においておくことは、むしろ組合員への背信行為となり、資金運用の要求は組合員の利益として当然勝つ必然といえます。
非営利事業であるから、金融事業で認められている(一般企業でももちろん認められている)利差益(金融利益)を取れないとする理由は、全く成り立ちません。それは本来組合員への還元利益への法によるものとはいえ、背反的禁止条項とも言えるのでしょう。
(「25億の運用可能資金」が、金融機関経由グローバルマネーとして金融市場での利益貢献に使われている実態は、生協活動にとって本末転倒ではないでしょうか?)
これまでも、生協陣営においては様々にチャレンジされてきた問題であろうとは思料するところですが、共済財務が完全分離、別事業化されてしまった今、この問題については、共済事業としての付帯金融事業として避けて通れない問題として再浮上させるべきでしょう。
(本提案については、「共済(業)法」の具体案共々、詳しく提起する機会を模索する今後の宿題とさせていただきます)
非営利共済(事業)法の制定と小規模市民金融事業の認可を同時に行わなければ、共済は、必ず消えてしまい、やがて保険(金融)事業へと収斂されるしかないでしょう。
関係者が今一度、現状の共済の意義を十分に認識し、その資金、資産の有効活用を市民金融の観点で捉え直し、運動展開を行う時であると言う主張を借り結論にして、長くて浅薄なる持論を終えたいと思います。
最後に、本論を進めるに当たって横田克己氏を含め、沢山の生活クラブ生協の皆様にご指導をいただきましたことを感謝申し上げます。
2012 年 4 月 10 日 No Comments
共済が消える日 16)
(共済募集人と保険募集人)
保険業法の最大の難関は、業法300条(保険募集人の取り締まり法ー通称「募取り」)であるといっても過言ではありません。分厚く、詳細に、厳しく書かれているこの条文で、保険事業者の大半の違反はこの条項がが対象となり、業界を悩ます最大のものともいえます。
さて「共済」においては、この分野の法律はどのようになっているでしょうか?
保険業法では、募集人と言われる人の資格制度が業界(各保険協会)規定で存在し、その公的資格に基づいて、内閣総理大臣に登録されて始めて保険を扱う事が可能になっています。資格は損保、生保でそれぞれ違いますが、各保険協会で認定される生涯資格でもあります。
共済においても「共済募集人」とう規定が存在し、保険業法300条が準用されることになっています。果たして共済の募集人とはどんな資格で、どのように登録され、管理されているのでしょうか?
保険業法では、生保において無登録で募集活動が可能な人は社長のみ、一方損保ではすべての社員身分のある人は募集が可能となっていますが、その扱いが全く法的に違うことなど、業界人でもあまり知られていない事実です。
(生保社では役員を含めて募集には資格取得が必要で、損保社では社員でさえあれば募集が可能です。ちなみに少額短期保険会社では準用規定に基づき、暫定的な?資格制度と登録制度が作られ、管理されています)
まず、「制度共済」において果たして、募集人という存在が必要でしょうか?
この問題も最近、急に共済陣営で出てきた悩ましい問題となっています。実は正しい答えがない(法整備ができていない)ままに、準用という規定でファジーに各団体においての個々の解釈で取り扱われているようです。
制度共済の特徴は、本来組合員規定を承認し、組合員というクローズ・マーケットにおける限定募集を承認する生活者の団体の共助の仕組みであるのですから、保険業法でいう募集人規定の準用は、本来は全く不要ではないでしょうか?
(保険業法300条に書かれる募集人の禁止行為の大半は、すでにクローズ・マーケットにおいては禁止されている、又は存在しない問題です)
現在、共済募集人については、様々な矛盾をはらんだまま、自主的に業界として規制、運用されているようですが、果たしてそれがどういう法的意味があり、どう解釈されているものかは、勉強不足でまだ十分に理解できていません。
基本的に、保険会社では直販(含む通販)方式、またはインターネット完結型契約であれば、募集人の関与なく契約ができる事になっています。
制度共済においては、原則この方式での販売に特化すべき(またはコンプライアンス上ではその方法しかない?)ではないかと考えて、私は「募集人不要」としてコンプライアンス上の理解、納得をしているのですが、果たしてどうでしょうか?
ここで、提案するものは、生協陣営において実施されている「FP制度」や「ライフプランナー制度」を本来丁寧に整理してみてはどうでしょうか。その上で、一括してこの共済募集人問題を凌駕する制度を構築することができないかという問題提起です。本来の家計上の「ライフプランナー制度」は、生協にはぜひよも準備しておきたい制度でもありますが、いずれも実態的には中途半端ではないでしょうか?
事業上必要なものを制度化し、運用出来れば、このファジーなコンプライアンス指導を先取りできるでしょうし、制度強化にも資する素晴らしいものだと思うのです。
民間においても、FP(フィナンシャルプランナー)制度からライフプランナー、リスクマネージャー、損保資格、生保資格と様々に名乗り、存在しています。しかし、実際に生活者の目線で総合的にライフプランを組める人はいないのが実情です。
(最近、特に生保分野におけるFP制度をベースとしたライフプランナーが活躍し、従来の付き合い型生命保険の見直しを行い、成功している事例があります。しかし、これとて(生保)分野内の見直しにすぎず、共済分野の(商品、特徴の)理解も教育も全くありません。一方、共済におけるライフプランナー又はFP資格者にもお会いしましたが、「生保、損保などは複雑すぎてとても理解できません」とアドバイスを求められたりしたものです)
生命保険という商品は、金融商品の位置付けが大きく、生活者の家計に占める割合は、極めて大きいのが実態なのですが、生協陣営においても生命保険の補完的共済を扱うのみで、この分野(貯蓄性死亡保険)の調査は全くできていないでしょう。
(家計消費における民間保険料の比率は、本来生協としての大事な指標であるはずです。ぜひ、一度実態調査を行いたいと思っています)
独自で、真の意味のライフプランナーを「共済募集人」のカテゴリーの中で育てる「ワーカーズ・コレクテイブ」を検討することはできないものでしょうか?
資格制度を任意に立てるだけの「ステータス」が生協には存在します。
ファジーなままの共済募集人を独自の「生活クラブ・ライフプランナー」として養成すれば、実態としての生活者に本当に役立つ資格が出来るのではないでしょうか。
(募集費という新たなコスト吸収をできるだけの経費的余裕も十分あり、何よりも組織内にその専門職種(必要不可欠な仕事)を作ることができます)
すでにFP資格を保有しているワーカーズも沢山おいでになるようです。独自に生保取り扱い資格、損保取り扱い資格、共済取り扱い資格を単位別に「認定資格」として創設する事はそんなに難しいものではありません。
(私は当時の少額短期保険資格があまりに杜撰であった事から、自前の取扱い資格制度を作り、勝手な独自(私的)募集人資格としました。勿論、当局のいう資格制度を包含して作ったものであり、問題はありませんが、当局の承認は取れませんでした)
生活クラブの組合員の保有する金融資産は実に多額なものであり、これらを守り、育て、有効活用する共助の為の共済と、その為に奉仕する「ワーカーズ・コレクテイブ」の拡大は、民間事業者との棲み分けをしっかりと行う中で、十分に共存共栄できるものと確信しているところであり、またその狭間にある共済事業の必要性を理解し、推進する「専門職」の必要性も痛感しています。
民間保険事業者は、グローバル世界経済における生き残りをかけて金融陣営としてより大型化し、戦う以外には生きる道がありません。
しかしその分、第三分野と言われる生活者レベルの医療、福祉共済にも中小、外資が攻め込んできます。共済事業は、組合員に対する直販制度である「建前」に加えて、しっかりとした真の「ライフプランナー」を養成し、その資格制度を確固たるものにしなければならないと思うのです。
独自の「共済募集人・ライフプランナー制度」の創設を先行し、共済募集人にたいするファジーさを、自ら払拭するべきでしょう。
2012 年 4 月 8 日 No Comments
共済が消える日(15)
(生活クラブ神奈川のステップ共済)
厚生労働省が所管する生活協同組合法の中に、「制度共済」といわれる認可共済があります。
既に改正生協法において制度共済の規定も大幅改定となり、保険業法の準用をベースにして、適用除外とも規定されたのは、「共済も保険である」との保険法が適用できることにしたものでした。
ここで取り上げる生活クラブ生協事業連合の単協組織である「生活クラブ神奈川」の「ステップ共済」は、この生協法における制度共済では適用除外共済であるものの、神奈川県による認可を受けた「地域共済」として、全国の生協共済「コープ共済」とも一線を画するものとして、長く「生活クラブ神奈川」の組合員によって、作り育てられた独自の貴重な「共済」です。
以下、まずその独自性を見て見ましょう。
◆生活クラブのステップ共済とは?
1.生活クラブ独自の共済制度です。
2.既存の保険や共済では不明だった掛金の使い方が明確です。
3.対象を女性や子どもを抱える家族を想定し、組合員本人の保障が厚くなるように設計しています。
4.組合員の日常生活を支えるために死亡保障金を抑え、入院・手術給付を手厚くしています。
5.たすけあいのしくみである「ステップケア」を独自に設定しています。
◆月々1000円の掛金で豊かな保障
病気入院・事故(ケガ)入院 (1日目から45日分) 日額 3,000 円
手術 (所定の手術を受けた場合) 2.5 ・ 5・10 万円
(種類に応じて)
事故(ケガ)通院 (事故日から90日以内、2日目から10日分) 日額 1,000 円
病気死亡(重度障害) 50 万円
事故死亡(重度障害) 100 万円
退院後ケア給付 1 万円
産後ケア給付 1万円
出産祝金 5,000円
◆加入審査をなくし、持病のある方も加入できるようになりました。
1.持病がある人でも、その持病とは関係ないケガや病気の保障ができるようにするために、「加入審査による加入不可」をなくすことで、すべての組合員が参加(加入)できるようにしました。(改定後も引続き規約上、年齢の他、危険な職業の方に対しては「加入制限」をしています)
2.ただし、これまでどおり持病のある方には加入時に「質問表」に既往歴を記載していただき、「質問表」に記載(告知)している「既往症及び既往症に関連する疾病の給付事項については給付しない」という「加入条件」を設けています。
3.申請に対して告知された既往症を原因とする関連疾病とするかの判断は、既往症の履歴や既往症のデータ(診断書、通院状況書、検査データ)をもとにステップ共済審査会で行います。診断書は、これまで通り1年未満の給付申請(災害を除く)と入院給付金3万円以上,手術給付の申請に対して要請します。
前述のワーカーズ共済と同様、一律月額1000円の掛け金で、主に医療保険分野(生命保険)を中心に、割安な掛金で様々な特徴を有した(相互扶助)共済であることがよく分かります。
種々のケア給付に加えて出産見舞金制度と独自のステップケアサービスが付加されているのが、主な特徴です。このステップケアサービスとは、前述の神奈川発のワーカーズ・コレクテイブ制度を活用し、日常生活のケアを必要とする場合に、入会費や年会費を免除してサービスが受けられる地域独自共済ならではのものとなっています。一律掛金で0歳から64歳まで加入でき、男性は67歳まで、女性は70歳まで保障が受けられます。
生活クラブ生協は生協法と制度共済の改定を受けて、連合会として独自の生協共済事業連合を設立しました。
これは、日本生協事業連合が生協法の改定に伴い、共済事業においてファイアウォールが適用されることをうけ、独立する選択を決めた事に伴い、生協共済の独自性の担保に不安を感じる生活クラブ他(パルシステム、グリーンコープ各事業連合)も、それとは別に独自の共済事業連合を設立を選択したものです。
特に生活クラブ陣営においては、そのオルタナテブな生協活動を特徴として、これまでも事業活動を展開し、単協ごとにステップ共済やワーカーズ・コレクテイブ共済が存在していた経緯もあり、早くから独自の問題意識に基づき、これからの共済事業の在り方につき、研究を重ねてきておりました。
こんな中「愚かな国のしなやか市民」でそのような生協運動を知り、共に研究を続ける中、既に「共済は消えてしまっているのでは・・・」と大胆な問題提起をさせて頂いたのでした。
保険業法の改定内容を見直し、保険法の成立経緯を辿り、少額短期保険事業の実情を研究して、その線上から生協法にチャレンジする事になったのですが、最も大きな問題意識として出来上がったものは、この「ステップ共済」という素晴らしい共済の行く末についての不安であったと言っても過言ではありません。
生活クラブが独自共済事業連を立ち上げたとしても、独自の共済(商品)を保有しなければ、その独自性は担保されません。既に生協法の改定においては保険業法の準用規定と共に、厳しい独自の共済事業監督指針が出来上がっており、検査マニュアルが公表されております。その監督指針については、私が現役時代に最も苦心したコンプライアンスの大半が挿入済みで法制化され、運用されていることになっています。
(実態的に全ての検査マニュアルが適用されていないようですが、これは当局の検査体制の問題でしかありません。飴が見当たらず、鞭は準備されている、又は飴は生協法改定に隠れて、鞭だけが残った?)
実務上において、このコンプライアンスのもつ意味の重要性が、膨大かつ多岐に渡る事による管理コストは、専門的理解を陣営として享受しているものとはとても考えられません。その「コストの膨大さ」は各大手保険会社をして、2度3度に及ぶ合従連衡に導くものである事など理解できないでしょうが、これまた紛れもない事実です。
一方において、「ステップ共済」の持つこれまでの安定的、継続的事業ノウハウとそのデータは、極めて貴重なものであり、共済としての唯一の生き残りのためのツールであり、実績でもあると考えられます。
既に「コープ共済」における新商品(共済)は、年齢別、性別掛金(料率)を採用し、新たに終身共済という金融保険商品(共済)に向っております。
ステップ共済が生活クラブという共同事業体で生まれ、育ち、存在する以上この共済を神奈川から全国へ広げる事こそ、独自共済事業設立の意図であり、唯一のチャンスであるかもしれません。
「共済が消える日」は、本音において「共済が消えた日」とするべき問題意識からスタートし、その復活のためには、独自の共済(事業)法の制定を主張する結論に至るのですが、その前に、このステップ共済の厚労省への認可申請と承認というハードルを超える必要があります。
時あたかも、苦労を重ねて生活クラブ内に存在した「ワーカーズ・コレクテイブ共済」の金融庁認可を得て、少額短期保険事業への移行を終え、次に向う厚労省の申請に初のチャレンジが試みられています。既に全ての法的書類の準備とその提出を終えた所で当局の正しい解釈と理解による認可、承認を待つところです。
最後に横田克己氏に教えられた「市民資本セクター」と市民金融事業の必要性に共感し、共済と少額短期保険事業の在り方を「保険金融論」の立場で(極めて浅薄な知識を承知の上で発想、提案しておきたいと思います。
(その前に共済にも挿入された「共済募集人」についての考え方にも、言及しておきます)
2012 年 4 月 8 日 No Comments
共済が消える日(14)
(ワーカーズ・コレクテイブ共済の分析)
保険論においても、保険業法上のファイアウォールの存在から「生損保の解釈」についての見解が別れるものと承知しておりますが、共済を含めた大きな「壁」の存在を説明する文献は全く見当たりません。
従ってこの見解は、極めて私的なものであり、当局への説明を経て、生み出された実践的、方法論的、現実的解釈でしかありませんが、多少参考にはなるとおもいますが・・・。(我田引水に過ぎると学者の皆さんには叱られるでしょうか)
もう一度「保険法」という新しい法律を振り返ってみましょう。
ここでは、「共済」という言語が法的に否定され、実は「第3分野」という概念も何となく消えてしまっています。
共済とは、むしろ第3分野という概念で大括りにして一般的に共有できるところが多かったのですが、従来からファジーでニッチな分野として(特に外資への門戸開放の為の保険業界として)の放置(切り捨てやむなし)分野でもあったことは前述しました。
保険法による第3分野解釈は、何故か定額医療保険分野と医療損害保険分野の二つにくくられて整理されております。
すなわち一分野とニ分野に大別されたのです。そもそも、第3分野など存在しないというのが本来の保険業法の前提であり、学説的にも大方がその二つに大別されたものであったので修正解釈とも言えるのです。(いわゆる第3分野も2分野で大別できるという意味において)
第一分野と第二分野は明確に別けることができるという説が私の考え方の前提であり、共済を含めて第3分野の存在は便宜的(政治的)なものと考えています。
保険(共済)には、その保険の目的が必ず存在します。
その保険の目的に「被保険利益」が存在し、その滅失(損害)を補填するものとして成立する保険が損害保険であると考えるのです。一方で保険の目的の価値に関わらず、定額で保険金額を設定するもので、それが人の身体生命に関わるものであれば生命保険と考えるのです。(生命保険では被保険利益の存在を前提としない説です。
損害保険においては、保険の目的価値を超過することはありませんが、生命保険では、価値を超えた利益が生じる可能性を秘めます。
(もし超過して掛けても、それは無効となってしまう考え方が損保でした。)
第3分野は、従来から「人保険」と言われる範疇において、生損保が相互乗り入れしている分野と解釈されてきたのですが、病気と怪我という偶然性の有無で仕分けられた考え方でした。
損害保険の3要件(偶然性、急激性、外来性)は人保険分野の損保での絶対要件とされ、人保険における「生命保険分野」への侵入を閉ざすものとされて、第3分野を便宜的に仕分けされてきました。
(第3分野と言われるものは、歴史的に明確に仕分けができるものを法解釈上において運用上で、ファジーにしてしまったところがあると思います。)
既に保険と共済の本質的違いについては、詳しく前述してきたところです。
そこで改めて、ワーカーズ共済の内容を見てみましょう。
これらのすべての要素が入り混じり、(故に共済として存在し)少額短期保険への移行に難渋した経緯が読み取れるはずです。
ワーカーズ共済は、ワーカーズ会員の就業不能を前提に構成されていますから、一見して損害保険の範疇での「所得補償保険」がそのベースになっています。
その上に就業中の事故に対する見舞金が、定額で支払われるようになっていますが、損保でいう「労災総合保険」の形をとりながらも、こちらは定額支払いですから生命保険の範疇とも言えます。
さらにその上に、(厄介なものとして)配偶者が介護を必要とした場合の本人の休業補償も填補できるものとなっており、おまけに本人の出産時の見舞金が出る事で分野調整が極めて複雑な仕組みです。
ワーカーズ・コレクテブならではの手作りの共済であり、どの項目もワーカーズ共済として必要不可欠な特徴を持った内容の「優れもの共済」と言わざるを得ません。しかし、掛け金算出のためにはこれらの担保種目ごとに、損保か生保か第3分野か、共済かを分析、整理する必要があるのです。
(ワーカーズ共済の最大特徴は、その事務を掌るワーカーズメンバーがあり、大きな事務コスト削減を実現して出来上がったものです。またその働き方において、一切のモラルリスクの発生もありません。即ち掛金と支払いの実績関係において、いわゆる保険計理上の純率、付加率共に最大限の圧縮が「掛け金としての絶対的安さ」を形作っている事も、見逃せない大事な事実でした。)
幸いにも、何とか理論付けと整理は可能でした。
問題は損保であり、生保でもあり、第三分野でもあり、共済でもあるこのような商品の認可事例が存在しないことです。
事例がない以上、全て解釈は極めて慎重になるのが、「官僚」の常であることは先刻承知していましたが、専門的分析と経験では正直、彼らの一歩先を歩いていなければそこで中断してしまい、それ以上前に進めないのも事実(実態)です。
小さな事例を積み上げながら、理論武装して「奥の院」(金融庁)にいる専門家との目に見えない戦いが長く続くことになりました。
少額短期保険事業の認可業務は財務局ですが、その承認と専門性は金融庁にしか存在しませんし、その専門性においても奥の院は全く見えないのです。
(もちろん皆さん大変な努力をしてくれてはいるのでしょうが、現実の民間組織では「タイム イズ マネー」であり、もし開業が遅れることにでもなれば、設立母体の特徴からして、それこそ筵旗が立ち兼ねません。)
法と権利と解釈に基づき、前例なき承認を勝ち取らなければならなかったわけです。一定の妥協はあっても、既存の契約者が少額短期保険への変更を継続してくれることが大前提の認可申請ですから、約款の大きな変更は出来ません。
こうして、この「理論」が実践的に完成し、新たな「ワーカーズ・コレクテイブ共済」という少額短期保険がスタートできることになりました。
この(少額短期)保険は、共済の本来の意味を有しながらも、無認可、違法共済の淵から「新たな共済」の道を開拓する先兵としての役割を有し、出発することになります。
そして、その過程における様々な現実的矛盾が、次の「制度共済」分野へと波及し、その理論構築の端緒にもなるはずと考え、この拙文が次に進んで行くことになりました。
2012 年 4 月 7 日 No Comments
共済が消える日 (13)
(ワーカーズ・コレクテイブ共済少額短期保険会社の設立)
少額短期保険会社は、法律上1000万円以上の資本金で登録業務事業として可能な簡易行政法の位置付けの中で施行されたものです 。
従来の保険事業が資本金10億円以上の認可事業であるものと比べ、如何に簡単明瞭であるかを想定できるものではあるのですが、保険事業における大きな壁ともいえる生、損の兼営が可能であり、それゆえに生損保混合の商品も開発、販売が可能とされており、極めて複雑怪奇な法律ともいえるかもしれません。
実態はこれらの一つ一つが、大きな法的関門となり、およそ2ヶ月とされる登録業務事業は、一年を経過して何とか無事開業にこぎつける難事業にもなってしまいました。
2つの 少額短期保険の認可実績を踏まえた上ではあったものの、難産の過程を掻い摘んでご紹介しておきます。(そのことでこの纏めを記す趣旨がお分かりいただけるかもしれません。)
ワーカーズ・コレクテイブ共済とは、その「働き方」において全く独自の考え方から生まれたものであり、共済もその中で必然的に生まれたものであったわけで、そのゆえに独自性の極めて高い共済となっています。
掛け金が「月当たり1000円」で、老若男女を問わず一律であること、ワーカーズ業務に従事できなくなった時に、その事業利益の損失の範囲内で支払われる民間損害保険会社でいう「所得補償保険」のようなものであり、「労災保険」のようなものでもあるのですが、その労働形態からして、いずれにも加入が難しいものであることは、この働き方が極めてオルタナテイブ(共済的)なものであるともいえます。
設立に躊躇したのは、このワーカーズ・コレクテイブという組織、働き方の理解に苦しんだからでもありましたが、理解すればするほど、この種の共済の必要性を認めざるを得ないことが解ってくるのでした。しかし、既に「法は法」としてこの共済の違法性(3つの共済分離での便法済みとはいえ)をクリアーするためには、共済を少額短期保険事業化して、株式会社設立以外には手があり得ません。
二つの保険会社の設立に関わる中で感じていた「少額短期保険事業」は、保険業ではなく「共済事業」の民営化ではないかとの我が「思考回路」が渦巻く途上でもありました。
少額短期保険は、そもそも無数で種々雑多な無認可の「共済、保険」を法の網の中に閉じ込めて、一定のルールの中で健全化していくものであったのですから、保険業法の範疇といえども、それまでに存在した多くの「共済」がその主流といえるでしょう。
保険業法では保険業とは命名できないので、「共済事業」という新たなジャンルが出来上がったのですが、実は保険事業から派生した「保険的共済」と各種協同組合事業から派生した「制度共済」は、その過程は全く別物であるにもかかわらず、混在して市場に存在していたのです。
この問題は「保険」と「共済」を明確に分離して考え、「保険的共済」の受け皿としてのみで「少額短期保険事業」を捉えるわけにはいかないことが理解できます。既に詳しく述べてきた通り、この矛盾を法は「共済は保険である」と定義し、「矛盾」をある明確な意図の元に乗り越えようとしたのです。
ここで私は、これまでの保険業界からの立場と経験からして、「少額短期保険は、共済である」との見解に至り、その矛盾の解決を試みる事にしてみました。むしろそうすれば、様々な矛盾が論理的にも溶けて行くのでした。
(一点、「共済は共済であり、保険では無いならば、共済のための立法措置がどうしても必要である」との立場と主張が不可欠になりましたが・・・)
「ワーカーズ・コレクテイブ共済」は、まさにこの「矛盾の殆ど」を網羅しており、その登録認可は難航に難航を重ねていきます。
「ワーカーズ共済」は、「労災総合保険」であり、「所得補償保険」であり、「介護費用保険」であり、「見舞金共済」でもあるのでした。保険業法でいうところの第一分野(生命保険)であり、第二分野(損害保険)であり、第3分野(医療保険)であり、純共済分野でもあるわけです。
原理原則を保険業法の準用で構成する少額短期保険業法では、その一字一句の解釈を改めて、法に照らして行く膨大な作業になってしまいます。
保険料(掛け金)は、基本的にこの保険業法上の分野別に構成されることになっています。しかし、一方で共済の実績に基づく保険計理の分析と承認で少額短期保険の認可は「OK」であるとも記されています。
私達は、これまでの「ワーカーズ共済」の掛金と事故率の整合性について、綿密に精査し、その妥当性につき、十分に立証可能と判断しておりました。
しかしその料率は、すべての保障内容と加入者相互の助け合い(共助)の総額において計算する以外にその根拠はありません。
そこには、もちろん年齢、性別、仕事の中身などを問われない共済(共助)の精神があるのは当然です。
この商品(共済)は、損保か、生保か、第三分野か・・・
これが当局の法に基づく、分析と過去事例の検証でした。しかし、それらの解釈はワーカーズ共済の登録申請を阻むものではないはずです。どう検証し、どう該当させるかについては、当局の裁量の範疇と考え、ひたすら少額短期保険保険業(法)を説明する以外には手はないのです。法に基づく権利と義務の主張に対する官による「裁量権」の粘り強い交渉過程がどんどん時間を浪費していきます。
(登録業務とは、認可業務とは、保険業法とは、保険法とは、官の持つ裁量権の範囲とは・・・
登録書類の受理印は、それでも多少の余裕を持っていただきました。それまでに(約半年に及び、十分に調整(指導ではない)を行い、この共済を新年度の4月から始めなければならない理由も十分に説明していたつもりでした。
一件書類の受領印は12月になりましたが、遅くとも2月中には承認が得られるものと考えたのは原則「60日以内に」許可が出るとの裏付け(法)があったからです。)
2月が過ぎても、中々承認がおりません。申請の決意からほぼ一年が経過していました。
その理由は、当然この共済の共済たる所以でもあり、当然といえば当然であるのですが、当局窓口担当者にも随分ご苦労をかけてしまい、僅か開業の10日前の承認という滑り込みの事態となってしまったのです。
(それぞれの現場の皆様には、随分ご迷惑とご心配をかけてしまいましたが、通常の事態では(この共済の骨格では)、やはり承認は難しかったかもしれません。)
法的には、十分に承認できる商品であるとしても、法が想定していない中味についての解釈は、前例などもちろんあるはずもなく、認可の根拠と法の解釈が往々にして、その裁量権を超えてしまうのです。おまけに極めて専門的な分野である保険業法とのすり合わせですから、正直、法が予定するものを超えた共済がこの「ワーカーズ共済」ではなかったかと思っています。
次に、ワーカーズ・コレクテイブ共済を使ってもう一度、私的にに保険、共済、損保、生保、第3分野の概念整理をしておきます。
(単純な「共済」がいかに法的に難しくなるかを理解できるかもしれません。)
2012 年 4 月 5 日 No Comments
共済が消える日 (12)
(ワーカーズ・コレクテイブ共済と少額短期保険)
生活クラブ生協神奈川(創業者・横田克己氏)には、3つの独自共済があります。
「エッコロ共済」・「ワーカーズ・コレクテイブ共済」・「ステップ共済」がそれです。もう一つこれらを補完する日本生協連の「コープ共済」を含めると生協事業には4つの共済がその必要性の中で生まれ、育ち現存しているということになります。
保険法の制定、保険業法の改定、生協法の改定はなぜか「時を一にして」行われ、今もなぜか「暫定過渡期的状況」におかれているようにおもいます。
これらの影響を受け、それぞれの共済がどう変遷を余儀なくされているかを、その歴史的必然性と共に考え、生活クラブ生協の「オルタナテイブ」が、組織的にどう発揮され、対応していこうとしているのかを次に考えてみます。
① エッコロ共済
この共済こそが、生活クラブ生協における共済の原点と言えるものです。
「エッコロ」とはイタリア語で「はい、どうぞ」という意味だそうですが、組合員が暮らしの中で、ちょっと助けを借りたいときに、手をさしのべ合う仕組みが「エッコロ共済」…です。
毎月の僅かな掛け金で、生活クラブの活動中のケガや、盗難被害に対する「活動保障」や、託児や入院時などのサポートを行う「生活保障」などのケアを受けることができます。
掛け金は、わずか100円/月程度、保障内容が地域の事情によって少しづつ違うのも特徴です。
この共済は、今回の無認可共済の禁止及び、生協法による共済規定からも少額を事由にした適用除外となっており、今のところ法の網にかからない共済として、その原点の歴史を保って今も有効に機能しています。しかし明日はわからないというのが、適用除外であるとも言えなくもありません。
エッコロ共済で「困ったときはお互いさま!」と言い合える関係をつくろう
◆生活クラブのエッコロ共済って?
エッコロ共済は、生活クラブで活動していく上で、組合員みんなに必要なたすけあいの制度です。
生活クラブの組合員がつくったオリジナル共済制度です。
「エッコロ共済」に加入するということは、毎月100円の掛け金で、生活クラブ組合員相互のたすけあいのしくみづくりに参加するということです。
◆では、どんなところで使われているのでしょう?
1.活動保障
エッコロ共済は、組合員活動を支えています。生活クラブの組合員であれば、誰もが組合員活動をしています。そんな活動中の「もしも」のとき(ケガをしてしまったとき、物を壊してしまったときなど)の保障や、生活クラブ行事に参加するときに託児をしてもらうなどのしくみが「活動保障」です。
生活クラブの消費材は、組合員活動があってこそ成り立っています。みんながエッコロ共済に加入することで、安心して組合員活動を行うことができるのです。
2.共同購入保障・・・
消費材の盗難・破損などを保障します。
3.生活保障・・・
自分や家族が病気などのときに、日常のちょっとした家事や共同購入品の受取・デポーでの買い物をお願いすると、お手伝いしてくれた人にケア金が支払われるしくみです。
同じ地域に住む生活クラブ組合員と顔見知りになり、普段からコミュニケーションを取っていくことが、何かあった時に「ちょっとお願い」と言える関係をつくっていくことにつながります。最初はハードルが少し高いかもしれませんが、一歩踏み出して、「困ったときはお互いさま」の関係を築いていきましょう。
そのしくみは組合員ひとりひとりが、まずは自分が困ったとき、住んでいる近くで「ちょっとお願い」「はい、どうぞ」と言い合える関係を、いろいろな場面で、たくさんの組合員とつくっていくところから始まります。
② ワーカーズ・コレクテイブ共済
ワーカーズ・コレクテイブとは、生活クラブが生み出した新しい労働価値形態です(前述)が、生協活動におけるボランテイア就労(アンペイドワーク)から、就労による価値創造部分について、収奪されることのない参加型就労形態として、独自に形成、発展してきた全く新しい就労の仕組みです。
ワーカーズ・コレクテイブで働く人達には、労災の適用の仕組みが未整備のままです。既に全国で20000人もの人達が、このワーカーズ・コレクテイブ就労を行っているのですから、当然その団体には、それぞれの就労リスクへのニーズが発生してきます。こうして「生活クラブ神奈川」では「ワーカーズ・コレクテイブ共済」を設立、ワーカーズで働く皆さんの就労不能状態の際の見舞金制度を作ってきたのです。
任意のワーカーズ連合会組織が、この共済を安定的、民主的に運営し、神奈川では約2400人のワーカーズ会員の方が加入利用しています。
(掛け金は、年齢、男女差なく一律に1000円/月)
しかし、この共済はまことに一方的な保険業法の改定により、無認可共済として違法な状態になる事が決まってしまいました。新保険業法によれば、1000名以上の加入者がある共済は、全て金融庁による事業認可が必要であり、その為の受け皿としての少額短期保険事業会社を新たな保険業法の元、設立できるものとした明治以来の保険業法の大改訂が実施されたのです。
幸いにも、このワーカーズ共済は、事業別、地域別に3つの部門に別れていたことから、緊急避難をして、この(少数による)適用除外の道を選ぶ事にしました。しかし、これでは共済の発展性や、より多数での助け合いによるメリットが阻害される事になります。
そこで、一年以上の組織内での研究を重ね、(止む無く)任意団体を主要株主とする少額短期保険の株式会社の設立にチャレンジする事にしたのです。まさにそれは、苦渋の決断であったと思います。発展性を制限される共済組織はやがて衰退を余儀なくされる上、労災保険の適用を受けられない組織にとっては、必要不可欠な共済であるとの認識で一致したのでした。そんな時に偶然出会ったのが、この組織の生みの親である横田さんと保険会社を辞めて、何か良い社会福祉事業へのコミットメントができるばしょはないかと考えて、ウロウロしていた私との出会いであったと思います。
横田さんの輝かしい経歴と生協の理事長の職を早期に後身にゆずり、なお活躍される姿を「愚かな国のしなやか市民」の著書の中ににみた頃でした。
偶然は重なるもので、金融庁のある「キャリア」と会食する機会があり、その人こそが、少額短期保険業法の改定素案の作成者でありました。彼からその「法」の狙いを聞き、また多少なりともアドバイスをする機会を得たのです。おまけにそのこともあって、その後二つの少額短期保険事業会社を設立する偶然が重なりました。
ただし、それでも「ワーカーズ・コレクテイブ共済」の保険事業化は、当初難しいであろうと躊躇したのも事実でしたが、状況と商品をつぶさに検討し、3つ目の保険会社設立にチャレンジする決断をしたのが、一年前のことです。
一年に及ぶワーカーズ・コレクテイブ共済少額短期保険設立までの過程を振り返り、実務と法律の狭間にある問題点を考えてみます。
2012 年 4 月 3 日 No Comments

