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Posts from — 3月 2008

チベット問題??

一ファンさんから、チベット問題への「独り言」リクエストがあった。

この問題を書けるほどの知識は、勿論持ちえていないので、リクエストには程遠いが、一般的感想を述べてみたい。

先月初めて、沖縄の地を訪れたことは前に書いたが、その真実の感想はあえて省略してしまった。先輩たち皆さんが「ひめゆりの塔」訪問は固辞された。理由は異口同音に「暗すぎる!」で行きそびれたのであった。

沖縄の歴史について、資料館で粒さに読んでみた。
琉球王国は明らかに独立国であったが、江戸時代の薩摩藩によって、武力を背景として日本の属国となってしまう。そして明治維新とその主役でもある薩摩の意向のまま、日本国としての新時代へつながっていくことになる。終戦直前の日本最前線として、1億玉砕の尖兵としての沖縄の歴史は、今へとつながり、なぜか敵国?米軍とともに歩むしか道はなかった。今後も歩見続けざるを得ないのだろう。

もし、薩摩が賊軍であったなら、沖縄の歴史は変わっていたかもしれない!そして沖縄県民にとっては、果たしてどのような歴史がかの地での幸せといえたのだろうか?

チベット問題を含めて、問題の発生は人種的独立というよりも、宗教、文化(イデオロギー)の相違から発生して、その結果、痛ましい混乱となっているように思う。
チベット仏教が、この地における大数支配宗教であるならば、当然中国からの独立がのぞましい。

多くの住民の総意は知らない。
かの地の歴史も分からないが、少なくとも少数民族への尊厳と尊重と保護の精神は統治国の最低の政治的モラルであるべきだ。

チベット騒乱がそのモラルの欠如によるものとの判断は容易に出来るし、このことが中国の新たな派遣主義につながる可能性を秘める以上、チベット問題は世界的問題として国際的世論としていくべきである。

全ての人種的独立が理想とは考えないが、日本においても沖縄人やアイヌ人への尊敬と文化の理解の前提に立って、日本国の統治でいいのか、はたまた独立支援が正しいのかが、判断されるべきだと思うのだが・・・・。

小学校の頃、我が家が北海道から移り住んだと聞き、又大きなアイヌ人の彫り物が床に会ったことから、「祖先はもしやアイヌ人では」と想像をたくましくした時期がある。
中学になって、祖先の墓が大津にあると知ってそのミステリーは解けてしまったが、わが日本人とて、その祖先は大陸にあることは論を待たない。

世界の戦争の歴史は、文化とそこに育つ宗教の違いから発生し、今も各地で戦闘と飢餓に苦しむたくさんの子供たちを作っている。

そして地球環境問題は、100年後の地球人と現代人との世代間戦争として、捕らえるなら自分も間違いなく加害者の一人であろう。

政治家という仕事の崇高さは、今読む「ローマ人の歴史」が教えてくれるのだが・・・・・。

3月 31, 2008   No Comments

「住は江戸、野球は阪神、知事は宮崎???」

「山は富士、花は桜に、人は武士」

多少、ナショナリズムの匂いも感じなくもないが、日本美を表現するにぴったりの歌だと思っていた。
プロ野球が開幕した。(パはすでに開幕も、やはりセの開幕がシーズンイン)久々に開幕戦に金本の活躍で阪神が勝利した(らしい)。今年は新井が補強された。シーツが残れば、広島を買い取ったようなもので巨人化する一方で、広島ファンに変わりたくもあるのだが・・・。

東京からは、まだ至る所から晴れた日には、富士山が望める。
桜並木も、少し歩けば必ず出会える。関西よりは数倍多い気がする。
そういえば武士も東京を象徴する言葉かもしれない。
空気さえ良ければ、東京はさすが日本の首都といえるかもしれない。

だがふと立ち止まると、やはりどこかに「首都東京」の驕りを感じざるをえない。
日本の象徴が、東京に摩り替えられていないか?
首都移転が閣議決定?されたのは何時だったっけ?
不思議な国だ。

3年前から、家族で花見が出来る心の余裕が出来た。今年も井の頭公園へ家族全員が集まる計画らしい。(いつの間にか正月と花見くらいの核家族状態だ)

世間では年度末である。
何とか懸案事項を片付けて、いい春を迎えたいとあせる心を見てか見ないで可、桜はいつの間にか満開らしい。

矛盾だらけの日本の将来は不安一杯だが、とにかく花見で一服して、春を待とう!
沢山のPAが登場して活躍することを楽しみにしながら・・・・・。

3月 29, 2008   No Comments

神童さんの入学式

昨日は久々に深酒(ウーロン茶)をしてしまい深夜(2時)の帰宅となってしまった。

理由は、神童さんのサラリーマン卒業式(送る会)に出席しての美酒のおすそ分けを頂いていたからだ。

氏曰く「卒業式を晴れがましく終え、第二幕へのすがすがしいスタートが切れそうだ」とのコメントを頂いたが、私にはやっと(39年の年月をかけ)サラリーマン大学修士課程(大学院)までを全てストレートで終え、(イコール40年にあらず)これからP・A社会人小学校へ入学される喜びの日と映った。
(小学校入学だから、きっと又長い学生生活ですよ???)

これからが社会人としての神童さんの(一味も二味も違う)真骨頂があらわれるのだろうと、密かに一人納得していたのだ。

集まった約100名の同窓や後輩の方々がこぞって、笑顔で祝福している場面を目の当たりにして、私のような大学中退のP。A入学者にとっては、正直多少羨ましくもみえたものだ。

P・Aの先輩風を吹かして、挨拶をさせてもらったが、久々の大舞台に3分スピーチとの注文もあり、大事なオチを言い忘れた。
仕事での出会いの時のエピソードを披露したのだが、「神童さん、職務がら、後輩ながらもシステム部門を統括させてください!」との極めて生意気極まりない申し出に、「当然の役割分担です。遠慮なくどうぞ!」と軽くかわされた「その神童さんの度量の広さにひとめ惚れしたのでした」の最後の部分が抜け落ちました。

場違いながらお詫びして、付加させてください。

P・Aとしては神童さんの益々の活躍が期待でき、読者にとってもうれしい限りです。
4月に入ったら、しばらくはPAを休まれるとか、読者は新スタートを心待ちにしていますよ!

3月 28, 2008   No Comments

「未来は緑」(2)

 一冊の本について長々書くのは、行間つぶしの自己満足・・・。
当初の方針を変更して完結編としたい。(興味のある方は緑風出版へ2500円の投資を!)

序章が全てである。
「人間の価値の不可侵性を原点として、自己決定及びもっとも弱い立場にある人々の支援が緑の党の核心部分であるからスタートする」というところから共感を覚える。そしてその目標は、「全てのレベルで公正が実現し、その為の民主主義を強化する事」としている。

又その基本姿勢は、「エコロジー、自己決定、公正の拡大、活気ある民主主義を統合する全ての独立した政治的・社会的観点を併せ持った一つのイデオロギーではなく一まとまりの基本価値によって統一・統合されている」と謳われる点でP・A世代の長年の課題を解決してくれる「綱領」ではと感じるものとなっていく。

続いて価値指向の表現として、「人件と非暴力を謳いこみ、グローバリゼーションの中での寛容と連帯によって、エコロジー対策の社会的変遷への対応を可能にする」という論にも大賛成だ。

誰も否定できないグローバル社会の進展の中で、エコロジーに対する基本的概念はほぼ共有できるテーマである。そこを原点に創られる「緑の党」の新綱領にこそ価値がある。そしてその中での「公正な市場経済基本指針」も多く世界的に合意出来るものであろう。

非暴力についても、国連への武力の集中化の方向で、現実的テロ、暴力の存在を認め、今日的武力の存在を肯定するリアリテイについても承認できるだろう。

P・A世代にとって、もっとも大きな積み残し案件は、男女の公正な社会に向けて、ジェンダー政策の自己矛盾の解決ではないかと密かに考えているのだが、さてどうだろう。しかしこの問題の論理的解決なくして、民主主義は存在しない事は頭では解っているのだ。
この一考については「理解すれどもほど遠い現実」が、ごく近くに存在する。

エコロジー政策もそうである。しかし喫煙は病の一つであると書かれていて安心する。現実の姿を肯定しつつ、改善の方向性を共有することで開かれた政党として協働し、グローバル化へと発展を遂げようとする政党が今の日本にも必要ではなかろうか。

この綱領を否定する理屈を考えてもらいたいと思った。
そして「少なくとも半数以上の「市民」は、この綱領なら同意、共感できる」のではなかろうか・・・・・。
自民の半数、民主の6割、社民の9割が纏まるはずである。唯一「共産」が市場主義の現実を肯定するのかどうかは不明としておきたい。

もう一点、全ての視点がヨーロッパの歴史である市民思想から発想されている点が気がかりではある。日本とヨーロッパの歴史認識の違いを学ぶ中で、一機に平和的に(または敗戦で?)民主化された共通の単一民族である日本人にとって民主主義の原点が違うのかも知れない。
又それらを残す最後の世代がP・A世代であるのかも知れない。
だとするならば、われわれが作るべき政党論がこの「ドイツ緑の党」の日本での連携が答えになるのではないか?・・・・。

大それた空想が頭をもたげる。

最近あった政治家、江田五月、菅直人、阿部知子、浅尾慶一郎、浅野史郎、昔知っていた自民党の大先生方、そして息子や娘達、団塊ジュニア諸氏、みんなにこの党是で議論してみたいという想いに駆られる。

この本を不用意に贈呈してくれたY先輩、これがあなたの読みであったとするならば、すごいけど買いかぶりでしか無いでしょう。
そして監訳の今本さん、「未来の為の政策集としての辞書代わりに活用できる」というよりも、第一人者としての行動に期待したいものです。いつか会える期待を込めて、賛辞を送りたいと思います。

3月 26, 2008   No Comments

「未来は緑」緑の党新綱領(1)

ドイツ「緑の党」新綱領を読み終えた。序章を読んだ後、読後感を書くと約束したのだったが、その時感じた予感は、読後でもそう変わったものにはならなかった。

という事は、序章においてほぼ理解できるという事かもしれない。せめて序章だけでも皆さんにも読んでもらいたいとも思う。

「ドイツ緑の党」はその名の通り地域の環境保護政党であったものが、ベルリンの壁崩壊と共に、一般政党として変貌を遂げ、2年前まではドイツ連立政党の与党でもあったということは案外知られていない野ではなかろうか。
その経験から出来た新綱領が「未来は緑」という表題であり。実に政党綱領としては読みやすくできあがっている。

まずは、日本のどの政党の綱領を読みたいと思うであろう?。にも拘らず、なぜドイツの一弱小政党のしかも翻訳本を読むことになったのであろうか?
その第一は、環境問題という世界的的今日的課題への提言はどういう理屈に基づくのか、二つ目は「未来は緑」という題名であったように思う。

この綱領は、一般政党の綱領であるだけに環境問題への政策が冒頭には来るが、2章以下に経済、社会政策、民主主義への考え方等が7章に渡って、極めて平易に書かれている。
統一ドイツの混乱の中で、現実的政策論として一定のドイツ国民の民意(英知)の結集が感じられるのだ。

何よりも、誰がどこから見ても否定しがたい政策となって纏まっているように感じるのだが・・・・。
この2年ほどの間、環境問題に触れる機会が増え、左右両派の様々な市民活動家、政治家(自民から共産まで)と話す機会に恵まれた気がするが、こと環境問題については、ほぼ大きな意見の違いは見られない気がしていた。現状をどう捉えるか、どう環境配慮の時代へ移行していくべきかの相違はあるが、進むべき姿は一致しているのだ。

この綱領の指し示すその他の問題についても、進むべき方向性については真理であるように思えるのだが、果たして独りよがりな危険思想であろうか?
多くの人(P・A)が、この綱領に触れ、そして統一された「日本緑の党」でグローバルに連携していく事は出来ないものかと考えるのである。

ベルリンの壁が崩れ、ソヴィエトが崩壊し、イデオロギーが消えた今、政治的価値観の機軸を左右からマルチに変えていく事が大事だ。

次回は、綱領の主張のポイントにも触れて置きたいと思う。     (続く)

3月 25, 2008   No Comments

ヤン・リーピンのシャングリラ

弊社グループの共催する「ヤン・リーピンのシャングリラ」が渋谷のオーチャードホールで開催中だ。

切符はすでに完売で、ヤフーオークションでは3倍ものプレミアムがついているらしい。
何人かの知人が鑑賞しての感想もすこぶる好評であった。特にヤン・リーピンのラストの「孔雀の舞」が圧巻で、それだけでも十分に鑑賞の価値があるるとの評であり、この種の舞台では珍しく、アンコールの拍手が鳴り止まないとか・・・・。

実は、日本公演を私はまだ見ていない。
3年前、この舞台を是非日本で、という話で中国の雲南省まで出かけて、現地で鑑賞の上、素顔のヤン・リーピンと会食していただいているのだ。

その時、勿論彼女の芸術的舞台のすばらしさは堪能させてもらったのだが、2時間の舞台全体を通して、果たして日本での興行が成り立つかな?との正直な感想を持って、日本へ帰ってきたのだった。(結果的には、ど素人の評論であったのだろう)
その後TBSのデイレクターの目を経て、日本初公演となったわけだが、エンタテイメントを理解するある友人の感想を聞き、ふと気付いたことがある。

「ヤン・リーピンの舞は秀逸だが、それを除いても十分にエンタテイメントたりうるし、むしろ彼女の舞がかえってその他の舞台の価値を貶めているのかもしれない」と・・・

そう考えると、辻褄が合ってくるように思えるのだ。
私は「元保険屋」として、彼女に万一のことある場合のこの舞台を心配して、日本公演に一人反対したのだった。(イベント保険はとても受けられない)
すでに彼女に代わる舞姫が3人もいるそうだ。

「日本公演が彼女の最後の舞台かも知れない」とは、TBSさんのうまいデモだとは思うが、少なくとも日本での舞台だけは、無事「舞」い終えてもらいたいものだ。

私は、彼女の素顔と年齢を知っている・・・・・。

3月 23, 2008   No Comments

愚痴、ひがみ「老いの品格」

「団塊太」氏の格調高い「老いの品格」を読んで、最近P・Aブロガー各氏の品格と小生の書く拙文とのギャップに多少の愚痴とひがみを感じつつ・・・・。

現役リ・スタートが、やたら忙しくなっていく身の愚痴とはいえ、P・Aにとって「老いの品格」はいささか早すぎる気もする。還暦過ぎて初めて「大人の品格」が出てくると言い換えてはどうだろう?

最近、特に70代の現役活動家との交流が多く、そのバイタリテイに恐れ入ることも多く、自らの現役性に納得もしているのだが、まさにその先輩達に「老いの品格」を感じつつ憧れていたところなのだ。
そこにきて、まさに「老いの品格」を団氏に表現されては抵抗すら出来なくなる想いで、ギブアップせざるを得ない??・・・・。

P・A世代を基本「負け組」として現役時代を総括し、勝ち組への転換をテーマにチャレンジするP・Aコンセプト。(もうしばらくは歯を食い絞っての「リ・スタート組」も多いはず。

実はブロガー各位が勝ち組ばかりとの読者からの非難の声も無くはない。そこにはP・Aの理想像があると理解しつつも、「負け組」からの脱出にもがく姿も又重要だ。

そんな想いで、ブログにチャレンジする道化師(キャップ)としては、質より量でと納得しつつ、「老いの品格」はもう少し後でもいいのでは、とは負け惜しみの愚痴でしかない!

少なくとも、この格調高い各ブロガーに感動する(第二現役組)ファンが数多いのも事実。その余裕と「P・Aの品格」こそキャップの誇りでもある。
納得して、忙しくとも、今しばらくがんばるのみ・・・。

3月 22, 2008   No Comments

リタイア続出

3月半ばとなり、遂に団塊リタイアの知らせがたて続けに届きだした。

田舎へ帰って、悠々自適を決め込む知らせ、大阪へ帰って再就職、東京で職探しなど種々雑多ではあるが、寂しくもあり、又妙に羨ましくもある。

学生時代の同窓が大阪へ変えるというので、急遽ミニ送別会をやろうとの案内メールがきた。「ドタキャン有りの参加予定」と返信しておいたら、案の定重要商談が入ってしまった。
だが、この機会無くば、一生あえないかもと商談を延期してもらい、八重洲南口とやらへ出向いたまでは良かったが、待てど暮らせど誰も来ない。連絡方法すら持ち合わせがない。

已む無く、商談キャンセルの連絡を入れておいた、わが社の事務員にこわごわ電話してみる。
多分、「ぼけ」の始まりで、日時の見間違いを予期したのだ。(実は最近この種のチョんボがやたら多い)

「悪いけど、最近のメールでS君からの着信メールをあけてみてくれ!」と横柄な依頼をなぜか、いばってしたものだ。
電話の向こうからは含み笑いの声で「直近のメールを読み上げますので・・・」と長々と読まれたものを要約すれば「残念ながら幹事、昨日より急な腹痛の為、中止」とのこと。
「その前も要りますか?」の問いに「直ぐに帰社するので・・・」と答えるや「がちゃん」ではなく「プチ」ときってやった!。

PA諸氏に警告!   にわかパソコン通信など危険極まりないですぞ・・・・。

翌日に延ばした商談は勿論不成立に、、、、。

腹痛のS君にはお見舞い申し上げますとともに、次ぎ会う時は「高くつく」ことを慣れないメールで厭味もつけて、告げておいた。

3月 20, 2008   No Comments

ドイツ緑の党

 還暦以降の生き方の師匠である「Y」さんから、またまた、難しい本を渡された。

ドイツ「緑の党」綱領の要約本らしい。「古宮さん、ちょっと読みにくいから、日本版にリライトでもしてみたら?」と簡単におっしゃる。
その日の夜、目次だけ見てその辺に積んでおくつもりで、ぱらぱら目次読みから序章まで読んでみた。

これが、思いのほか読みやすくて、面白い。そのまま一章まで読み進んだところで、次の休みの楽しみに・・と置いてあるのだが、翌日「Y」さんに出会ったので「なかなか面白そうですよ!」というと「Y]さん曰く「アーそう?僕も目次しか見てないんだけど・・・」には参った。

「緑の党=ドイツ環境左派ミニ政党」くらいの知識しかなかったのだが、「立派な21世紀型政党としての完成形ではないか?団塊世代の生きる道しるべ(バイブル)にもなりそうだ?」
似非環境派としては、この世界的環境ブームを本物にするための理論武装と政治的位置づけこそが重要(優先)と考えていた。

言行不一致の自らを励ます意味でも、多少のアローアンスを稼げる気がしてきた。
但し、完全読破する前の予感であり、「Y」さんの予感的推奨よりは真実味があるはずだが、週末の読後感を是非お楽しみに・・・・。

3月 19, 2008   No Comments

新銀行ネタに悪乗り!

 一昨年の11月頃、グループ会社の一つから年末資金として、「新銀行東京が融資をしてくれそうだ」と相談があった。

再生途上(2年目)の会社であり、常識的には銀行の資金付けは難しいだろうが、「2年返済で2000万」の検討を依頼してみた。時あたかも年明けには都知事選という時期・・・。
石原氏の楽勝予想から、一転思わぬ対立候補がでてきた。この頃、すでに同行には経営不振のうわさは出ていたのだが、果たしてこの融資話は選挙とともに、その是非が不明になっていく。

選挙が無事終わるや、融資はなぜか1年短期の1000万で春になって、無事?実行された。勿論、金利は普通銀行より1%程度高かったけど、新興中小企業には助け舟であったことには違いない。(勿論2年2000万が1年1000万になったのは、一年後の継続融資が暗黙の了解事項???・・・・)

そしてこの春、無事返済を終えるが、なぜか継続は難しいときたもんだ。(常識的に?読み込み済みでは有るのだが)
全くもって(多くの焦げ付き債権と比べるなら)優良顧客であろうはずが、どういうことか?

「新銀行東京」はすでに金融機関足り得ないことを証明している。
支店がたった一つの銀行が、リテールバンクのはずもない。

この銀行の社長がぼんくらだといえるのは、「自らがオーナー」との自負心から言える業であり、その認識は、行員の隅々にも浸透している。そして400億の税金がそのオーナーの保身の為にのみ、投入されようとしている。

オーナーの上に存在するはずの気のいい都民(真のオーナー)は、小ばかにされるのみ・・・・。
絵画問題の息子が、氏にとっては、もっとも「かわいい」のには、それなりの訳ありなんだ、との噂も真実味を帯びて、聞こえてきてしまう。

3月 17, 2008   No Comments