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Posts from — 1月 2009

(続)大津絵節

 久々に、「大津絵節」のブログに好反響が出たので、もう一乗り!

アナログ世代(何とかブログを読めるが、書き込む勇気までは無いPA読者)だけに、メールや口頭での「お褒めの言葉」なのが、残念!

大津絵節よりも「冬の夜に」の歌詞に対しての反応とみた。
不滅の落語家「志ん生」師匠にも興味あり・・・・。
「大津絵」まではみんな(半分以上の人)が、良く知っているが、「大津絵節」については知らなかった。等等・・・・。

「大津絵」なんて知らないよ!見たことも聞いた事すらなかった!
ネタ元の長兄曰く「大津出身のお前が知らないはずが無い!」と叱られたり・・・・

「大津なんて、ただ、我が家の墓がある所でしかないよ」
これが我が世代で末弟の率直な意見です。

驚く事に、兄は大津に住む大津絵コレクターを探し出していた。
「コピーして贈っててやるよ」とありがたいアドバイスもありました。

最後に長いアナログ系ブログの新年挨拶分の冒頭の一説を、そのまま無断転載しておきます。駄洒落が連続するユーモアの中の風刺に舌を巻きました・・・・只ただ脱帽!

孟春おめでとうございます。
牛年だからモウ春というわけではなく、「孟」は「初め」という意味である、といったか酔ったか去ったか知ったかぶりをするわけでもなく、そんなこた字引に「デテール」が出ている、というわけです。・・・・・

以下省略しながら「麻生氏の一連の誤読事件の中で、「未曾有」については「みぞゆう」は誤読ではなく、只「慣用通りに読まなかった」に過ぎない。理屈的には「みぞゆう」と読んでも一考に差し支えない。ワザと「みぞゆう」といったらタイシタモンダ、と思いますけれども,ホントに知らなかったのでしょうね?」と切って捨てておいででした。

「いや私はきっとそれを知ってて、読みきったと思います????」。いやそうあって欲しい。日本国総理大臣だもの・・・・。PA世代「フルミヤ」の(感想)願いでした。

1月 29, 2009   No Comments

「大津絵」節

 長兄が「ブログの参考資料にでも、・・・と様々な「大津絵」に対する「曰く」資料を送付してくれた。

兄といっても16歳も年長で昔から、親のような存在だった。
昨年「喜寿」を迎える時、「喜寿は祝わないほうがいいらしいよ!」とごまかして、大津の「古宮家」の墓参りでごまかした。

その「大津」がインテリ・アナログ世代の中で盛り上がっているらしい。パクリのパクリと断わった上で、少し我がブログに紹介してみたい。

「大津絵」は江戸・元禄の頃に近江の国「追分・三井寺」あたりから売り出された民衆絵画だという。
(ちなみに私は大津に住んだことすらないので、「大津絵」なるものの存在すら知らなかった)

その絵にも興味をそそるのだが、その絵から生み出される逸話が詩となり、「大津絵節」といわれ、謳われていたらしいという話についてである。
あの不生出の落語家「古今亭志ん生」が謳う「大津絵節」に慶應塾長も務めた故「小泉信三」氏がこれを聞くたびに「泣いた」という話である。

その大津絵節の中の一曲「冬の夜に」の詩が書かれていた。

冬の夜に風が吹くー
しらせの半鐘がじゃんと鳴れア
これさ女房 わらじ出せ 刺っ子 襦袢 火事頭巾
四十八組追々と お掛り衆の下知を受けー
出て行きゃ女房は そのあとでエ
うがい 手水(ちょうず)にその身を清めー
今宵うちのひとになア 怪我の無いようにイ
南無妙法蓮華経なア
もしも生まれるこの子が男の子なら
お前さんのような 鳶にはさせやしないつみだものオ・・・

と志ん生が謳ったら、あの「天皇の皇太子時代の教育係り」まで務められた「小泉信三」がいつも「声を出して泣いた」というのだ。
氏は戦争でご長男を失い、学徒出陣で多くの慶應生を見送った経験などが、この詩と交錯していったのだろう。

「桂文楽」も「三遊亭円生」も呼ばれた年に一度開かれる「小泉寄席」での話であるそうな・・・(円生の「冬の夜に・・」ものこっているようだ)

そういえば、団塊世代のころまでは、落語を趣味にする輩も実に多かった。
今や「ラジオ」から流れる落語の「魔力」をわかるべくもない。

必死でブログに齧りつこうと努力する我が長兄に感謝し、その仲間達のパワーとインテリジェンスに脱帽しながら、盗作(一部転載)させていただきました。

1月 25, 2009   No Comments

談話室の「POKOさん」

 「POKOさん」は、一世代後輩の年齢だが、実は職場を同じくした事は無い。
なぜか気が合う親友、いや戦友というほうが正しいかも・・・、本人はこちらをどう考えているか聞いた事も無い。

熱烈な「PAブログ」の読者であり、「談話室」他で孤軍奮闘してくれている!
ことごとく、議論がすれ違うが、顔を付き合わせている時はそんなことは無いと思っていた。

彼はブログでしか、いいたいことは言えないと書く。単なる先輩以外に利害関係は全く無いのに、そんな感じ(先輩風?)を抱かせていたとしたら、それこそ「我が世代」の共通した思い上がりがあるのかもしれない。

ところで、彼が「談話室」で、当時の東大全共闘の「島さん」への意見を書いたコメントを読んで、納得の部分と誤解を生んでいるかもしれないと反省している。

団塊世代とは、全共闘世代であっても「全共闘運動」の主体者では無い。私も含めてほとんどが当時言われた「ノンポリ学生」であったはずだ。
(当時ノンポリは「ノンポリシー」。ひよるは「日和見主義」を決め込むの意)

良かれ、悪しかれ彼らの思想と行動に影響を受けた世代ではあるが、大半は彼らと決別又は無視したことについて、世代的主張と言い訳をしているのだ。
全共闘シンパといわれるメンバーでも、その後ほとんどが彼らの「暴力闘争」を完全否定し、決別していったはずだ。

ただ、時代は「安保」「ベトナム」などを通して、日本の独立や米国追随の是非を問う問題に突き当たって悩んだ世代であることに間違いはない。

経済原理の中で、アメリカ追随しか進む道は無かった当時の日本にあって、ほとんどがその先兵として,就職していった。
「島さん」の云うまでも無く、互いの主張があり、意見を戦わせる「民主主義教育」?で育った初の世代が「暴力」(体制側、非体制側両方から)突きつけられて、いずれの側も日常の中に逃避していったのではないか・・・。と考えるのだが?。

その後、四部五列しながら暴力的新左翼側の罪とかたずけ、主張には「付和雷同」したのみで、「暴力集団」として切り捨てていった罪の両方が団塊世代には有りはしないか??。

そして、その後の飛躍的経済発展の挙句、政治的無関心層が大半を占め、無党派層を輩出していってしまった。
左・右の自由な言論も消え、民主主義が政治の「三流化」のみをを促進していった。

「ポコさん」の世代で、そこまで熱く語れる人がどこまでいるか・・・。
大半が政治話題には無視、無関心となる。ぜひとも今後とも孤軍奮闘の登場を期待したい。

ところで、最後の右翼といわれる大先輩{古賀先生」から可愛がられて、たまに話を聞く。御歳90歳になろうかという最後の右翼でかつ戦後の右翼史において、ずっと裏方を通してこられた方だ。

彼は、「左右の別れは、国を憂える左右の志において、源流は同じだった」と説く。
偶然、支持した師匠(教授)たちの「イデオロギー」で分かれていったのだと・・・・。
そして両者とも極めて優秀な学生(書生)達だったと言われる。

当時の全共闘活動そのものを肯定するつもりは無い。但し確かに「義」は彼らにもあったし、「ノンポリ」を決め込んだ我々にも「理」はある。
問題はその世代が作っていった日本への影響とその責任について、それぞれが認め、かつ発言していかなくては、「オバマ」アメリカに追随するのみの民族になってしまいはしまいか・・・。
政治に想い悩んだ最後の「大衆世代」が団塊世代であり、経済からの束縛が解ける今こそ(政治、文化、芸術、教育など)熱く語る責任がある。

1月 25, 2009   No Comments

談話室での論議??

「この世代のおっさん」の一人と正直に認めた上で、POKOさんに敢えて、恐々反論しましょう。

試験が無く、レポートで卒業したラッキーな学生は勿論、少なくありません。洒落を含めて「エイジ」も間違いなくその部類に入ります。

その上で「60年安保反対」を訴えた故樺美智子氏を同列に扱うのには、怒りを禁じえない暴論と言うべきは無いでしょうか???。

彼女は無抵抗の姿勢で、市民権として憲法で認められている「デモ」に危険を顧みず、参加していたのです。
死因は「圧死」であったはずです。基論当時のデモ行進に武器など存在していませんでした。そこに登場する機動隊と言う権力は「完全武装」と装甲車でした。
(その後のデモ行進は、しばらく無抵抗な学生にも平気で隠れながら、蹴りつける武装警官の足と棍棒でした。馬鹿になって、怖くて逃げ出さざるを得ません。非合法な武器を持つ勇気など出ないのが普通です????。暴力集団として切り離しに成功したのです!)

そう、あなたが言うように「天安門」で市民に武器を向けた中国政府と酷似していたのです。中国は市民に銃を向けたあの日から、資本主義国家の道を明確にしたのでしたね?

安田講堂陥落以降、市民権としてのデモは成立しなくなり、大学は自治権を放棄し、市民はデモという合法的抵抗権を放棄していきました。一部は「極左暴力集団」との烙印を押され、当然市民も見放す事になりました。(勿論その後の過激派集団も市民を巻き添えにした許せぬ犯罪者ですが)

誰が命と引き換えにまでして、「安保反対、日本はアメリカと手を切れ」と言えるでしょうか?

馬鹿な学生に成り下がりました。
そのおろかな多くの学生たちは、その後も続きます。その「おっさん」たちはポコさんのころにも大勢いたでしょう。
何の疑問も無く、ただ馬鹿な学生は若さの特権として成立しました。

但し当時は、大小を別にして悩み抜いた末の馬鹿さも少なからずあったはずです。
その世代が作った世界を総括する必要があります。その悩みが世の中にどう悪影響を及ぼしたか・・・。
まず、誤るべきでは無いのか・・・・その後を馬鹿さのみで追いかけた若者たちに・・・・。

とにかく「数」を勝負に様々な影響を及ぼした世代であることだけは違いなく、「誤った」後に「戦う」ことで生きるしかなかった世代をどう、自らも含めて総括すべきかを問うているわけでしょう。

樺美智子さんの死は事故ではありません。
圧死させられた事件です。犯人は仲間たちか?国家権力かのどちらかでしょう。

「神童ブログ」をまっすぐ読めばその意は十分理解できますが・・・。
彼が返信できないとするならば、POKOさんの解釈に多少たりとも「恐怖」を感じるからではないでしょうか?

ポコさんの「ブログ」を読んで、なぜか眠れぬ夜となりました。ブログやメールはやはり凶器に変わる怖さを感じています。

顔を見ての会話では起りえない正直さが、他人をも傷つける可能性を秘めるのですね。
少なくとも「樺さん」の関係者が、警官の痛みと同程度もしくはそれ以下に彼女の死を捉えられたことを知ったら、その怒りは理屈を超えるのでは、とも感じたのでした。

「三島由紀夫」氏の死に100万の影響があるように、樺さんの死にもそれ以上の人に意味を持っているのでしょう。

親愛なるPOKO さんに「友情」の反論が「ブログ」でも伝わりますように・・・・。

1月 21, 2009   No Comments

新年会

元の職場仲間との「新年会」に30数名が集まってくれた。

時節柄?とはいえ、「うれしかった」の一言。(歳の所為??)

前後、1時から11時まで4次会の付き合いに、いつもながらしゃべりすぎを猛省するのみ!

1月 19, 2009   No Comments

もう一つの安田講堂

40年前のあの日、初めて黒いヘルメットを被り、ゲバ棒と言うものを手にした。

当時、全国の大半の大学は、全学ストと称してバリケード封鎖中であった。
我が母校関西学院にも、遂に官憲導入によって、バリケード封鎖が解除される通告が学院側から発表されていた。

当時の大学には、学生自治権が確立されており、学生自治会が学部ごとに存在していた。
その執行部にはセクト別にプロ的活動家たちは存在し、我が母校では全学執行委員会、社会、分学部が「フロント」、法学部が「社青同解放派」、商学部が「第4インター」、経済学部が「民青」と「革マル」これらに加えて、各学部混合による小数の「社学同・ブント」・・・・

関学はさも、セクトのデパートであった。

あの日、被ったヘルメットの色はは「黒に白地」でNSL.[ノンセクトラジカル]とした。セクトに属さない「シンパ・一般学生」の意思表示であり、自らの発案であった。

確かに、スト権投票も全学封鎖も当時の学生たちの60%以上が合法的(形式的)に指支持していた。
前日、夜から学内に機動隊が入る事に反対して、多くのノンポリ一般学生も駆けつけて、前代未問の数の学生で、機動隊導入反対デモが学内を練り歩いていた。
スト権投票には賛成したが、その後バイトや麻雀に走っていた一般学生であっただろう。
勿論、見物学生や封鎖反対学生も多くいただろう。

セクトには属さない、文化総部他、サークル闘争委員会(勝手連)には様々なヘルメットがすでに作られて、一般学生とセクト活動家たちの中間に存在していた。

全学闘争委員会は、第5別館籠城、徹底抗戦の方針を決定したようだ。

籠城は、大学生を捨て、犯罪者となり、刑務所行きが確定することを意味する。

覚悟せざるを得ない。
機動隊導入にはたしかに自らの意志で反対なのだから・・・。

彼らの云う「最大の敵は、自らの家族帝国主義の中にある」の論理に反駁できないでここまできてしまったのだ。

ゲバ棒が配られた。初めて武器を持つ手は当然、大きく震えた。

その時、闘争委員会の一人がこう云ってきた。

「君たちは、機動隊の学内進入を確認したら、座り込んでくれている一般学生を誘導して、仁川駅へ逃げてくれ!、体育会系学生が阻止行動に出てくるかもしれないが、絶対に気合棒(ゲバ棒)を使わずに強行突破して欲しい。

日頃、常に意味不明のにらみ合意を続けるセクト活動家たちは見事にそれぞれの役割で組織化、戦略化されていた.

100名程度の一般学生と共に、体育会系の阻止線を難なく突破して、阪急仁川駅へ無事ついた。後ろから飛んでくる石礫を避けながら・・・・

駅について、被ったヘルメットとゲバ棒を静かに改札前に置き捨て、一般学生に戻り、電車に飛び乗った。友人の下宿までついて、そのまま布団にもぐりこみ、悲しいかな止まらぬ震えと流れくる涙をぬぐって、そのまま一日眠り込んだ。

(この下宿の友人たちは、そうとは知らず、その日の夜、西宮警察に身柄引き受けに言ってくれていたらしいが当然発見できず!)

関学第5別館籠城は、同時進行形で戦われ、「安田講堂落城」の影に隠れたが、安田講堂陥落より1時間以上長く、激しい攻防であった(らしい)。
そして籠城した学生たちは、全員逮捕されたはずだ。
その後、彼らがどうしたのか、どうなったのか全く知らない。

我が戦いは、阪急「仁川駅」において、自らのうちのみで敗北し、孤独に収束した。

「初恋」を捨ててまで、勝ち取った大学を捨て切れなかったということか・・・。

東大・安田講堂はその後も「東大」であり、元東大生として今も生きている。

関学や関学生を捨てたあの時の仲間たちは、その後どうしてこの40年を過したのだろうか。
彼らは東大生ではない。一地方の私大生だ。

確かにみんな、自分のことよりもより良き社会を考え、立ち往生していたすばらしい人間であった。

あの頃、スト権投票に賛成した半数を越える全国に存在した一般学生たちもみんな40年経って、還暦を越えている。
あの「異常な時代体験」もそれぞれの立場で、表現し、伝えおくことが今の日本にとても必要なことだと想う。

それが「団塊世代」の絶対的特徴であり、今日の日本を作った要因の一つであることも間違いない事実だ。

1月 18, 2009   No Comments

合併の表裏

年末も近い28日、PM6時、突然IOI社合併のニュースが耳から入ってきた.
偶然、車のテレビのスイッチを入れた途端であった。勿論普段は、車でテレビなど見ないのに・・・・。

サラリーマンの最後は、合併成功に向けて、燃え尽きるほど傾注した。(燃え尽きたと思ってもいたほどに・・・)

願っても適わぬ貴重な体験であったと思っている。
しかし2度と体験したくも無い、苦い思い出でもある。
まさにシナリオの無い未知の世界を切り開く戦いの日々であった。
(誰の為でもない、ただ新しい組織のために・・・)

多くの仲間が必死で戦い、疲労困憊してもなおかつ正直、全てが成功したとはいいがたいのが心残りでもあった。(経験不足はいかんともしがたい!)

この経験は貴重なノウハウであろうが、2度と生かすチャンスは無い「想い出」としてのみ残っている。

そうして出来上がった会社を去って4年(合併して8年?)その会社が再び合併の報道を聞いて、動揺しないはずも無い。
(勿論、あの経験を生かせるべくも無い。)

ただ、わずかに存在していた残り香が、これで完全に消え去り、全てが「いい想い出」となって消化されていく事だろう。

それにしてもあの貴重な経験をした仲間はどの程度残っていて、そのノウハウを活かしきれるのだろうか?・・・・     余計な事が、また頭をよぎる!!!

1月 16, 2009   No Comments

初恋の頃・・・

書きたい事は山ほど浮かぶが、なぜか、どうにも筆が重い。

「シンドバッド」の17歳の頃を読んで、時を越えて、強い共感が生まれた。
あの頃の悩み・・・・。

17歳の初恋は、修学旅行中の喧嘩(刃傷沙汰)で始まった。(詳しくは団塊世代が行くにて)
謹慎中の我が家を訪れてくれた「Y子」とは、初めての異性との接点であった「6人によるグループ交際」の仲間でしかなかった。
二人以外はすでに個別の付き合いが始まっていた。
残る彼女はミス「Y高」と言われる美人!

高値の花である彼女が、謹慎(接触不可)中の自宅に単独で見舞いにきたのだから、片想い承知でも、恋に落ちるのは当然であった。

その頃近づく大学受験は、勿論受かる可能性は皆無と担任の教師も太鼓判を押す。

停学経験者(不良学生)としての名誉挽回は、志望校入学しかありえない。数学が必要だが算数もままならない事は誰に指摘されなくても一番良く知っている。

互いの受験が終わるまでとの約束で、幸いにも実った初恋を絶つしか思いつかなかった。本気で人生を恨み、受験制度を心底憎んだが見得の大学を捨てる勇気も無かった。
17歳の終わりは真っ暗のどん底の青春であった。

甲斐あって、二人ともに受験は成功したが、その長い?「時」は埋まらず、彼女は名古屋へ旅立ってしまう。
理由は解らないが、面子の受験を選んだのは自分であったはずだ。ほろ苦い失恋であった。

大学は「ベトナム戦争反対」と「学費値上げ阻止」で目一杯の状況だ。
意味不明の叫びにも、焦り、もがきながら麻雀とバイトと部活でごまかしていた18歳の秋・・・。

「立川基地闘争」の取材と言う部活命令が先輩から出た。

部費で「東京旅行」の気分で乗り込んだ新幹線の車中で、半年ぶりに{Y子」に出会う。
彼女は「赤ヘル片手に乗車券は持たず」のいでたちで多くの仲間に囲まれて(守られて?)いた。

立川基地は全国から集まった学生たちの熱気に満ちていた。
これが賢い学生たちの真の姿かもしれない。
ダスターコートを翻しながら、アジるリーダーの格好良さ・・・
関西全学連(ブント)の勇、故「藤本敏夫」さんであった。(Y子の彼氏とだぶって見える!)

(彼は、その後、あの加藤登紀子と獄中結婚しその後設立した「大地を守る会」と今新たなビジネスにチャレンジしている不思議)

その後の悩みは70年安保が近づくと共に、深く、深く心を揺らす。
あの彼女を奪った(と勘違いした)マルクスに正義が無いはずは無い。しかし、自分には難解すぎる。「資本論」読破は、全く進まない。

「家族帝国主義」の打破が原点だと言う。
インテリとプチブルが当面の敵、「わたくしを捨てて、公に立て・・・」理論は解るが、「わたくし」など捨てられるはずも無い。

悩み、苦しんだ頃には、「戦前の学生は信じる道のみで命を賭けられて幸せであった」などとただ独り本気で思ったりもしたものだ。

わたくしに「ひより」を決め、就職したその日に「17歳の頃、我がもう一人の勇の存在であった「A君」が「北朝鮮」へ出兵した。
彼の義は一人「ラグビーに励む高校時代」、となりの部室で良く承知していた。

サラリーマンは一年も持たず、その歳の年末、何のあても無く退職した。
すでに次の恋「結婚相手」は決まっていたのに・・・

昨日、40年前のマルクス主義本物の闘士と現状認識について語り合う機会があった。
彼は「マルクス」経済学の間違いは「わたくし」の否定に尽きると言い切った。(「資本論」の否定に挑戦中であるとか??)

PA達にとって、亡霊「マルクス」は無関係そうにしながらも、ずっと今日まで、生きているのだ。

1月 14, 2009   No Comments

始まりの始まり??

世の中、暗い・・・・。

「終わりの始まり」は「始まりの始まり」と同時に生まれてくるはずだ。過去、自然も歴史もそれを証明してきたのだから・・・。

本当の不安点をもう一度だけ整理して、「始まりの始まり」の後に来るだろう社会を希望的、かつ個人的観測を中心に開陳してみたい。
もちろん、明るい世の中になる(べきだ)!

不安の先にはなぜか、あまり語られていない紙くず同様になっている「米国債」とその虎の衣がばれることを恐れて暴発する危険が存在している。もちろん核戦争と地球壊滅のシナリオも想定できなくはない。

歴史は、知恵の限りの戦争を繰り返して、発展してきたことも事実である。
その意味では日本国(民)には申し訳ないが、中国にだけはうまく米国債」からの脱出(売り抜け)を期待せざるを得ないという皮肉なシナリオを想定して進みたい。

その上で「始まりの終わり」にみえて来る社会は一言で言うならば「高福祉・中負担」の世界であり、いわばスウェーデン型社会の修正版(高負担ではなく)になっていくだろうと考えている。

人類の社会的選択は「自然との共生」であり、「相互扶助の社会的仕組み創り」に進まなければ存立不可能を気づくはずだ。金融資本主義の崩壊はその道へ進む為の生みの苦しみであって、すでにその始まりが、残念ながら?アメリカから見えてくる・・・。

オバマ氏の登場は結果的にそれほどのインパクトを持っている(べきである)。

税とは相互扶助の為の「強制保険」であり、保険とは「相互扶助の為の税」であると思っている。
ならば、民間の保険会社は(悲しいかな)不要の世界が理想である。
中負担への提言の根拠として、法人税(産業資本)と血液としての金融資本がバランスする。そして個人税が市民資本として確立する社会制度に向かうだろう。

「官から民へ」と同時に「民から官へ」のシャッフルが始まる。そして「国から地方へ」が人的資源とともに確実に移っていく。

古代ヨーロッパ型市民社会への回帰が始まる。

塩野七生の「終わりの始まり」の世界(ローマ人の物語)に凝縮されたメッセージは、人類の歴史的輪廻を暗示しているのだと解釈したい。

「ピンチこそチャンス」は苦し紛れの我が年頭所感だったが、「トラブルこそ真のビジネスチャンス」は実践による唯一の成功体験でもある。

小説上とはいえ、「竜馬」(の時代)が好きだった。
日本の最大の危機であった時、「小さな巨人」が生まれた・・・・。

1月 9, 2009   No Comments

「終わりの始まり」の次には・・・

新年おめでとうございます。

 年末に金融経済書を中心に10冊ほどの新書を購入して、正月休みに入った。
半分読破した頃、なぜ今頃この当たり前の金融崩壊の理屈を書いた、同じような本が売れるのか?と不思議になると同時に総じて「終わりの始まり」を主張はするものの、「始まりの始まり」が書かれていないのかを考えざるを得なくなった。

同じようにブログで「終わりの始まり」を今更、いくら主張しても意味が無い。
「始まりの始まり」は何時ごろどのように起るのかを想定してみたい。

 終わりの終わりがすでに見えて来ている。
ゆっくりと「始まりの始まり」もスタートしている。いや概念的には「小泉構造改革」こそ、その始まりであり、掛け声としての「官から民へ」、「国から地方へ」として大きな支持を受けていたのではなかったか?

ところが、その答えが「アメリカ市場原理主義」に追従することでしかなく、日本も大きくその余波を受ける羽目に陥ったのだ。

官から民へ確実に移った業務は何だったか。
目玉としての「郵政民営化」は成功したか?
政治的には大成功し、竹中大教授は政治を触りながらも、今頃改革を止めるから不況が来たなどと政治家を放棄して嘯く、その開き直りは許せない。

「金融資本主義」の横暴が破綻の原因だが、「産業資本主義」はすでに通過点としてやり過ごしたはずなのにそこへの回帰を言う学者が多いのにも驚く。

未だ到来していない「市民資本主義時代」が「始まりの始まり」となるはずである。
但しこれら3つのセクターバランスが調和するポイントの選択が今世紀の人類の経済的課題だとごまかし論で逃げておくのは歳の所為?。

「市民金融」とは税金資本の国家権力から、市民権への奪取であり、これが「官から民」への究極の姿であり、その過渡期として「国から地方へ」がスタートする。
概念ではなく実態として道州制の成立と共に実現への工程が見えてくるはずだ。

すでに市民金融セクターは存在する。
非営利セクターとして生協のネットワークがその芽として発芽を待つ。
公益法人改革で、NPO法人にも非営利的経営力がついてくるだろう。

「新銀行東京」もその発芽であったかもしれない。これらは全てマネージメントと政治の先見性の失敗ではなかったか。(頭取に立候補してみたくもあるのだが???)

市民資本主義をリードするのは、団塊世代のリーダーシップの発揮にかかるだろう。
消費か?、ボランテイ貢献か?経験豊富なマネージメント力か?

彼らが、その豊富な資金力と貴重な経験をどう使うかに「始まりの始まり」として始まるキーワードが隠れている。

さもなくば、「終わりの始まり」の解決策は、「戦争」と言う過去の暗い歴史と同じ道も選択視に入ってくるだろう。
「第3次世界大戦」は間違いなく、米・中巨大国の経済戦争が「米国債」の扱い方によっては想定される。

日本は紙くずになっても米国債を売れない。核の傘の対価として・・・・。果たして傘は米中戦争にも有効かどうか???? 

年末年始の読後感・・・。
経済は学問(科学)足りえず・・・・。
実践と感性の人間そのものとして捉え、体力を維持するための血液とどう助け合うべきかと言う人間性のバランスの選択だ!!!                  続くかも・・・・

1月 5, 2009   No Comments