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Posts from — 5月 2009

ラスト・ラン(7) 「偶然」

もう一人、このドラマの大事な主役を忘れるところであった。

もう30年以上も昔、駆け出しの損保営業マンとして足しげく飛び込んで、取引依頼をお願いしていた中堅不動産会社の経理課長をしていたIさんだ。

無事、取引を承認してくれたその会社は、どんどん成長し、Iさんも出世を重ね、あっという間に財務担当常務に昇進していた。
発展した同社のグループ会社10社程度の経理、財務を魔法使いのように完全掌握していたのだが,バブル崩壊と社長の死去が重なり、あえなくその会社は姿を消してしまった。

彼との付き合いはその後も続き、彼が、その後タクシーの運転手をしながら、55歳にして自らを老後におけるゴルフのみの人生と決め込んでいることを知っていた。

「金」勘定は彼に任すのが、一番。
商学部では、8桁試算表を英語でマスターしたなど基論真っ赤なうそ!
経理などできるはずもないのに商売はできないことは解っていた。
彼にタクシーを降りて欲しいと懇請して、即決してもらうことで何とか会社都市手の格好がついたのだった。

ここから、信じられない偶然が重なっていく。

退職公開?と同時に様々なガセネタが、集中して入りだしたのは、きっと相当の資金力ありと周りからは見えたのだろうか? 
最初のビジネスチャンスは、60年以上続く社員食堂受託事業「Y社」の事業再生の話であった。

この件についてまでは、「団隗世代が行く」でブログ公開済みなので詳細は省略するが,とにかく「500万」という大金?の投資を決めて、開業翌日の10月2日にはなぜかヨーロッパからグアムに変わってしまった豪華卒業旅行に出かけてしまったその度胸はどこにあったのだろう。

その後「Y社」はなんとかもがきながらも、自立、独立して今も生き残っているが、実に多くのことを学んだ実践的教科書となる。

その後の苦悩とつながる皮肉な結果といえなくもない。
中小企業にとって倒産の責任は全て経営者にあるということ、中小企業倒産という現実の最大の悲劇はむしろその責任者よりも従業員に来るという事態である。
彼ら従業員にとって再就職の道などありえないという現実イコール青テント暮らしか、生活保護世帯の2者択一しかないのだ。
大企業にとっては、経営者も従業員もそのほとんどに再就職の道が開けていることと比べて、いかに悲惨な事であるのかが、世間ではまだまだその現実について理解されていない。

事業再生は当然ながらリストラによる再生計画であるとの哲学など通用しない。
全従業員にその現実を理解してもらう事から始めることになるのだが、往々にして従業員はそんな会社状況を知らされてもいないのだ。
経営陣の退陣によるコスト削減と彼らの給与カットを理解してもらう意外には再生の道は無い。そしてその為には、世間の厳しさを体験してもらうしかない。

彼らは、その厳しい現実を職安に出向いて確認した後、給与ダウンに不満を持ちながらも職場へ戻ってくる事になる。
かくして社員のリストラは皆無に等しくなってしまうが、一定のコストセーブは可能となるのだった。一方経営者の退陣によるコストカットは、中小企業にとって極めて大きいことも解った。
勿論次の経営陣に、ボランテイア精神がなけれ場、これは成立しないのだから、皮肉な結果となってしまうのだが・・・・。

経営陣の使うコストは、無駄なものを含めればきわめて大きいことが解ったのはまずかった。
要は、中小企業のリストライコール経営陣の完全退陣さえ可能であれば、難しいものではないという仮説が、その後の苦労に繋がってしまうことになる。

もう一つ企業再生に必要不可欠なものが、専門的法務、経理の知識である。いかにコンプライアンスの整合性を整えつつ、再生の道を薦めるかを組み立てなければ、単なる乗っ取り屋でしかないのだから・・・・。

かくして、弁護士と税理士が必要となってくる。これらを含めたコンサルタント業も世には多いのだが、決してそんな大きなコストをかけて再生できるほどの中小企業などないだろう。

ボランテイア弁護士、税理士を探す意外にない。これらを含めてボランテイアコンサル集団が経営を仕切っていくことになる。当然予定した資本が消えていくのみである。

事務所を借りた成功経営者に言われた言葉は「古宮さん、大企業にいた人には、事業経営における資金繰りの厳しさはわからない。甘いと思いますよ!」

未だこの頃には、その言葉の現実感は湧いてこなかった。

5月 24, 2009   No Comments

ラスト・ラン(5) リ・スタートの苦悩

 7月1日に提出した辞表は、2ヶ月間迷走する。

当然と言えば当然であって、タイミングとしては新体制が公式にスタートして未だ一ヶ月もたっていないし、一応一地域責任者である役員の辞任であるのだから、一般的には実に迷惑な話と言う事になる。

しかしこのタイミングが最善であると個人的には考えた結果だ。勿論、内々に本当に沢山の慰留、説得を戴いた。

3ヶ月間熟慮を重ねたの結論であり、決意は変わるものではなったが、一切公表することを禁じられ、現職に2ヶ月止まらざるを得ないし、勝手に次の仕事を探す事すらできなくなった。

辞表が認められたのは、それから2ヵ月後の8月末となり、9月末付けの退職が決定した。

今考えれば、驚くべきことにそれまで、その後の仕事についての準備は皆無であったのは、心のどこかで復活への希望があったのであろうか・・・・。
しかし、ごく一部の仲間達にはその旨、決意を告げつつあったのも事実であり、そのような事がありえることは100%有り得無かったのだ。

決めていたことは、多少の退職金が出るだろうから、それを元手に何か出来るだろうとの甘い思いのみである。

実は退職時には、未だ大きな住宅ローンが残っていたのだ。差し引きすると1000万程度の残高しか残らないのだから、結構多額の残債が残っていたのである。(バブル期を絶頂期で過した団塊世代にとって、住宅ローンは銃かつローンに変わっていた)普通はこの残債を整理して・・・と考えるのだろうが、大きな計算違いが有った。もう少しローン返済後の残高(退職金)を多く読んでいたのだ。

無計画にも退職金の総額さえ知らなかったし、事前に聞く準備すらしていなかったのだから、それほど無謀で無計画な「リ・スタート」であったということだ。

全ては完全退職の後、しばらく旅行でもして考えてみたい。しかし、ローン返済後の残高では何が出来るか・・・・。

已む無くローンを残したまま、退職金の全額を起業に使う事を決めた。
家族全員の了解を取る事としたのだが、本人も無計画なら家族も家族であリ、「好きにしたら」と同意してくれたのだから、今振り返れば信じられないが、それが真相であった。

上場企業の役員の道を投げ打ってまで、自立する男の事業資金として「1000万」では、みっともないのではと言う「古宮家」としてのプライドらしきものが共有されていたのかもしれない。

9月に入って、時間を見つけては知り合いの独立事業家達を訪ねて見ることから、事業計画を創る準備が始まった。(10月1ヶ月間を「かみさん」との最初で最後になるかもしれない海外旅行を決めて・・・・)

親しく話せる事業家群をリストアップすると結構な人数がいるものだ。
まずは、もっとも身近で小さな飲食事業をやっている甥っ子。
次に元部下で、その後独立して今や上場企業を2社も収経営している「Y君」。
早稲田の建築科を出ながら、保険代理事業に誘い込み、その後IT系企業へ転出した「K君」。その彼と開拓した中堅ゼネコンでバブル期に倒産も、その後見事に復活したM建設の社長「Mさん」。
元部下で当時の我がアドバイスを元に独立、成功したと噂で聞く介護事業ベンチャーの「T君」。
そして、保険代理店として一応成功している「S君」や「N君」達。

それぞれが、親身にアドバイスと起業に向けたヒントを与えてくれた。
誰もが、「我が無謀な冒険」を危ぶみながらも協力を約束してくれたことに自分のサラリーマン生活の総括としては、「その世界だけで生きてきたのではなかったのだ」とわれながら満足し、一方では、なんとしても独立して「生き抜きたい」と覚悟を新たにしたのだった

中でも、もっとも著名な成功者であり、その後刑事被告人となり、長い裁判を闘っている「Tさん」は、「古宮さん、あなたなら頑張れば成功する。でも金は10億以上はいらないよ!それがそうでなくなり、100億、1000億となっていくから、気をつけなさい!」
信じられないスケールのアドバイスをくれた「Tさん」は最高裁判決を目前に無くなってしまった。

彼を紹介してくれた「Y君」が、とりあえずの事務所を安く間借りさせてくれる事になった。同時に「無給」を条件に彼の会社の非常勤監査役を引き受ける事を決めたのが、10月1日だった。                              (続く)

5月 18, 2009   No Comments

クーペとSIFOとシンドバッド

初めて見る「オペラシテイーコンサートホール」

クーペ&Sifoと我らが「神童さん」の率いるおじさんバンドの大コンサートに行ってきた。
立派過ぎる会場に他人事ならず、演奏の出来が心配!
それもそのはず、10日ほど前の彼らの練習風景を見ていたものだから・・・・。

なんとその不安は、見事な会場の観衆と共に、開演と同時に吹き飛んだ。
最高の特別シートを奮発した甲斐もあって、ゆっくりと彼らのパフォーマンスに魅了されたひと時となった。
場所が良かったのか、演奏が良かったのか、彼らの自信に満ちた演奏には、さすがのクーペもタジタジの状況。

世界のオペラシテイーと我らが「プレミアムエイジバンドメンバー」達でした。
(特に神童さんのドラムスは歳を追うごとにその発展性は止まるところを知らない。)

ほめすぎもしゃくなので、一言!
せっかくの挨拶は演奏に比して、多少緊張感を感じましたが、やはり会場の偉大さに飲まれたのでしょうか???。

クーペさま、今回のプロヂュース、選曲、時間、間合いなどなどさすが!
一点だけ、あの偉大なパイプオルガンの音色を聞きたかったけど、だめだったのかな?

来年は東京ドームだとか?
むしろオペラシテーでの定例演奏会を定着させて欲しいものです。
Sifoちゃん、一度スタンダードナンバー中心に独演会をゆったりと聞きたいです。

舞台裏の皆様、お疲れ様でした。大成功のライブでした!!

5月 15, 2009   No Comments

ラスト・ラン(5) もう一つの責任 (1-4回あり!)

突然、テレビから聞こえてきた元当社の合併報道は、日頃使う事すらない「愛車」のテレビから偶然にも飛び込んできた。

それまでも、「ガセネタ」として入ってきた情報をことごとく、物知り顔で否定していた私にとって、言いようもない動揺が走った。
それからまた数ヶ月、来年には苦労して合併した(思いのこもった)会社が消えてなくなることだけは変わらぬ事実となった様だ。

勿論、心情的には大反対であったが、全くその埒外の人間でしかない。(残念ながら・・・)
しかし、この時点において、今更私の退職責任を問う人がでてきたのだ。

「古宮さんは今回の合併に賛成ですか?」
「いや賛成も反対もないよ。状況がわからないんだから・・・」と応じる。
「もしあの時あなたが退職していなかったら、今回の合併はなかったんでは? その責任は絶対にありますよ!」と責められたのには正直驚くほかなかった。

その意見には当然無理があるが、当時仲間(と言うより多くの部下)たちを放置したのでは・・・と言う責任の所在については、当然ながらその後も考えなくはなかったのだが、その余裕はなかったし、むしろ一人足りとも連座させない事を祈ったのだった。

そしてこの度の合併報道で改めて考えさせられた責任論があった。

すでに一部ブログでその経緯について触れているが、当時の合併の「事務システム統合」責任者としての結果責任の有無についてである。

もう一度、あの頃の事務システム統合の経緯について、詳しく思い出して、出来るだけ詳細なメモに纏めてみた。まだ全て公開する事はは出来ないが、少なくとも統合失敗の責任論に、自分なりの結論をだしておきたかったのだ。

あれから(システム併用決定から)9年の年月がたっている。
システム統合は完成を見ないまま、今回の合併においてまた事務システムの統合が、最大課題となるだろうと想像する。
「恐怖」を感じざるを得ない。

金融(保険)合併はシステム統合の効率化が最大の使命であることに違いない。システム統合が出来ていれば、果たして今回の際合併はあったのであろうか???

保険会社の合併とは、事務システムの合理化(一本化)であり、イコール販売商品の統一と言う事につきるのだが、これが簡単な結論ではない。
残念ながら、これが最大の難事業である事については、経営に理解されることはありえないだろう。
理解されて担当したはずの責任者が、そのことをもっとも理解できていなかった責任と責任に伴う権限を受け切れなかった責任・・・・。
すなわち、その「責任と権限」イコール「ザ・合併」ではなかろうかと結論づけておこう。

長い前置きが、言い訳じみてきたところで、いよいよ次回より「その後の5年間」に進めそうだ。

5月 12, 2009   No Comments

ラストラン(4) 責任とは?

(3)から続く!
一方から、誰ともなく「敵前逃亡」と言う影のつぶやきが聞こえてきた。

「敵とは誰のことだろう? 敵は内側にいるぞ・・・・」
一瞬のひらめきは、その後確信に変わっていく。
戦わず、「日和る」ばかりで合併の意味すら理解できない輩が何と多いことか・・・・。

合併から3年後の3月31日、責任を取るべき営業成績で3年間を終えることとなった日。
その責任を問う声が「敵陣?」から声鳴無き声として聞こえてくる。地域の経営責任者として営業予算を背負い、赴任した自分なりの区切りとしての月末であった。

営業予算か、地域経営収支か・・・。
勿論、増収増益が最大使命である。営業本部長と考えられてはいたが、支払い部門も担当する地域経営責任者が優先されるはずだ。過去の長い営業経験では、営業予算大幅未達の体験はなく、誰もが3ヵ年も続けて「古宮」に限って、予算未達など許せるものでないと考えていたかもしれない。(又は独りよがりのプライドであったか・・・。過去は営業支店長の立場であったのだ。)

担当地域において、過去、経営収支が黒字になった歴史はない場所だ。当然ながら、分析の結果、徹底的な店舗のリストラを実践した3年間でもあった。合併時のスローガンは当然経営合理化による収支の大幅改善ではなかったか・・・・。
(無理するなと言う天の声も確かにあったが、これこそが地域経営者として赴任した醍醐味だ)

勿論、収益改善は全国一で黒字化達成の結果がでているのだ。そして、営業予算未達の地域本部は他にあまたある。果たして責任は問われるべきなのだろうか・・・。

経営トップからは、「地域経営者として本年の営業予算には進退をかけてもらう」との御察しがでていたことも事実であったし、まっすぐ捉えてもいた。

新年度に入って、「責任」の取り方を迷い続けた。
本部にたいしても、その責任の有無と進退の一任を申し出たのであった。

6月27日、株主総会で新経営体制は承認され、一年間の留任が確定した。
4-6月についても月次予算は改善の兆しを見せていなかった。そして、3ヶ月たってもその責任について触れられることもなく過ぎ去り留任が確定してしまった。

「必ずや我が本部の業績改善は見直されるはずだ!今も自分は経営の主流派であり、そのプライドが独りよがりでない事を立証してくれるるはずだ。」

その祈りは、通じなかった。助け舟は遂に来なかった。主流派として終えるべく、責任を取るべき時がきたのだ。

「男のロマン???」によって、失った代償はあまりにも大きかった、とその後つくづく知らされた。
「敵前逃亡」の戦犯の汚名まで引き換えにして、「男のロマン」を選ぶはずもないのだ。

味方からの誤射だったのか?、それとも「敵は内にあり」であったのか・・・・。

その後の進路は、信じられないことだが、全く描けては居なかった。

「いくらもらえるかも確かめていない退職金で何とかなるだろう!」
この決断は治らぬ持病であったとしか、今もって考えられないのだが、勿論今も後悔は無い。
むしろ失った金銭や名誉?にも増して、自由と時間が手に入ったのだから・・・。

5月 9, 2009   No Comments

ラストラン(3)「男のロマン」

あれから5年が過ぎようとしている。

「要は、男のロマンに賭けるということね? そう理解して納得するわ!」
盟友の奥方に決めつけられた結論であった。
「男のロマンで飯は喰えないよ! 単なる我が儘だ!」
最も尊敬する先輩にも、期せずしてそう言われた。

重要ポスト?を投げ打って退職してしまったのは、単なる「投げ出し病」でしかなかった。
無論、退職準備も、深い考えも正直持たなかったのだ。
かすかに「責任を取る・・・」と言い続けた言葉への自己満足的成り行きであったと言うのが正しい。

ただ、これまでも何度か繰り返してきた「病歴」にも拘らず、後悔したことは無かった。それは反省をして、倍旧の努力はしてきた結果でもあるように思う。

5年たった今、やはり後悔はないが、反省する事は数多くある。
「後悔せず、反省は繰り返せ!」は確か学生時代の私的論文で書き止めた記憶があるのだが、これが最初の「投げ出し事件」の後の教訓めいた残像として残っている。
全く意識はなかったが・・・・。

ラストランに向けて、人生を「後悔」で終えるか、「男のロマン」の追及で納得するか、の最後のチャレンジが始まろうとしている。
勿論、答えは「神のみぞ知る」で有るが、何と無く「人生のつき」と「自己能力の開花」を予感している。
小さな賭けには常に敗れてきたが、大きな賭けには常に「つき」が見方してくれたのだ。
大学がそうであった。
前職への中途入社決定もそうであった。

「団塊世代が行く」後の5年間をさしさわりのない(過去となっていない現実も多いので・・)程度に書きなさいとある先輩から指示されている。
面白くはないが、「男のロマン」への挑戦を今、宣言する意味で中途半端な時期では有るが、書いていきたい。                        (続く)

5月 9, 2009   No Comments

ゴルフ三昧

ハーフ「36」が出たアー!!!。

いや、生涯二度目の快挙であるが20年も前の偶然以来だった。

4月から同じコース(函南スプリングス)で計5ラウンド半プレーする計画を作った。
2つのコンペに参加するために・・・・。

どちらのコンペにも前日から「先のり」して、練習ラウンドをこなした。
一つは、我が主催の「第58回賢秀会ゴルフコンペ」

ところが、練習ラウンドのスタートのロングで、9回もたたいてしまった。
いつもなら、ここで(スタートと同時に)このハーフは「ジ・エンド」のはずだが、同伴者の天敵「E君」が同じホールで13回も打ってくれた。
ゴルフと言うのは不思議なもので、相手が自分より多く打ってくれると相手への同情と何と無く安心感が生まれるものだ?

なんと、その後を「パープレー」で回ってきて、結果はそのハーフが40回と近年には無い好成績で上がってしまった。
「E君」も、その後頑張って48で上がったきたのだから、大したものなのだ。
それでもこちらが40だった事で後半線の彼は崩れてしまったのから面白い。

好調さは翌日の本番コンペでも持続され、久々の優勝が目前に迫っていた。

最終ホールのロング、一打目はミスショットながら、フェアウェイ・・・
距離を稼ごうとばかり力んだ2打目、ボールは右へスライス、OB方向へ・・・・
(やむ無く、暫定級を打ったらナイスショットでグリーン手前)
念のためOBボールを確認に行ったら、なんとぎりぎりセーフではないか・・・・

喜んだのもつかの間、そこからシャンクした球は予定されていたOBの藪の中・・・・
結局6オンの2パットで「トリプルボギー」 
勿論、優勝は消えていた。

そういえばコンペ当日、スタートが遅かったことから前日組みは「ずる」をして、ハーフの練習ラウンドを朝一で廻っていた。
なんと前日「E君」が13、小生が9を打ったロングホールで、ハンデ0の「K君」が14回打ち、我々はそこを「パー」。バーデイ」でこなしていた。

結局そのコンペの優勝は練習で14回打って平気でいた「K君」であったのもゴルフであろう。

この連休、同じコースで3ラウンド
「ハーフ36」は、やはり、前日練習ラウンドの最初のハーフで突然出現してしまった。
後半も42は勿論悪くない。
ラウンド「78」は生涯3度目のハイアベレージである。
(残念ながら、「36」はパープレイではなくワンオーバー!、ハーフ35がパープレイのコースであり、ハーフ「パープレー」もラウンド76も新記録にはならない!!!)

結局、2日間のコンペでは86,92で優勝はできなかったが、オネスト・ジョンを堂々と「85」と書いた「自信」は大した変貌ぶり・・・。
得意の「イップス病」も影を潜めていたのも不思議であった。

実は、突然素振りの段階でトップのグリップの位置を5ミリほど内側に倒して打ち出したのが、このゴルフ三昧での成功の秘訣なのだが・・・・。

問題は最後のハーフあたりから、この御利益が消えかけ、イップスの影も見え出してきたのが、気になっている。(スコアも悪化の一途・・・とはいえ日頃よりずっと向上!)

それにしても、平均「95」となっている我が家の「スコア記録集計機」が大幅改善したはずで楽しみだ。
(そういえば平均パット数も大幅改善しているはず!、ハーフ13パットは間違いなく新記録達成だろう???)

「100年に一度」の好記録(実際には40年で3度目?)は、一機に仕事の上でも景気好転に転換する予兆であってもらいたいものだ。

5月 5, 2009   No Comments