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Posts from — 9月 2009

民主党政権

 やはり、一応書いておくべき出来事(大事件)に違いない。

民主党政権が、順調に動き出したようにも見えるが・・・・。
革命的政変劇として、歴史に残る政権になるのだろうか?
問題は経済と財政が中長期的に改善されていくかどうかが、そのメルクマールであり、官の活用方法に間違いが起らないかを含めて、憂慮するものである。

その上で、あえて経済ネタとして「亀井モラトリアム政策」の危険性に触れて置きたい。
国民新党のマニュフェストには書かれていたのか、急遽出現した中小企業向け「支払い猶予」政策。

確かに中小企業の疲弊度は、極限状態にある。
緊急融資制度はあるが、その実効性は全く担保されていないのは、中小企業経営者にとって最大の弱点がファイナンスに対する無知度について,政策側に現実的理解がない事である。

現実は、緊急融資の必要性の可否については、依然として金融機関が握っている事に尽きる点である。
彼らが、案件をどう扱うかが、入り口であり、実質的審査を行う仕組みが公的に存在していない事から、公的資金といいながらも資金出動のバランスが、狙いとは大きくずれてしまっている事が理解されていない。

必要なことは、冷静に資金使途を前向きに(発展的に)捉える判断システムが、官の側でセットされず、銀行等に下請けされている実態が、沢山の間違い融資を発生させ、一方で必要資金さえあれば、立ち直れる零細企業を殺してしまっている事実を是正すべきなのである。

「モラトリアム」は、一律であれば、大きなデフォルトを発生させるし、判定がはいるとすれば、これまた金融機関の都合優先主義が、下請けとなり、大きな無駄を生むだろう。
すなわちモラトリアムがもし成立するならば、政権にとって致命傷ともなりかねないほど、やたら怖い政策である。

すなわちもしこの政策が実用化される事にでもなれば「連立馴れ合い政権」の弱点が一機に露出し、再び政界再編へ動いていくと予想する。

勿論中小企業は、間違いなく日本経済の原点であり、経済対策の柱として取り組むべきである。

但しセーフテイネット融資の審査面を強化し、窓口相談機能を多様化することに最大限の注力を払いつつ、全ての企業にその機会を始動していくことこそが重要無二の政策である。

ファイナンスに素人の技術屋的経営者には,入り口の銀行対応はあまりにも敷居が高い。そこで、インチキブローカーやコンサルタントが横行する事になっている。

大事な公的資金が、大きな無駄と将来の公的借金を作ってしまうのだ。
モラトリアムは、デフォルトとセットであり、もっと危険な政策であるから、一政治家のパフォーマンスで炯々に実施されるべきではない。

民主党にとって、是々非々と現実政策への妥協が可能かどうか等、その試金石ともなる亀井金融担当大臣への扱いが、キーワード、勿論郵政民営化をどう見直すのかも同様であろう。
たった5人の国民新党への連立が、民主党崩壊への可能性を感じさせるのだが・・・・・。
少なくとも「社民」はすでに毒にも薬にもならない、いや多少の薬の役割は発揮するはずだが・・・。

果たして、4年間、国民の臥薪嘗胆が民主党と共に可能かどうか?
少なくとも、経済と財政の痛みは、短期解決は不可能なのだから!!!

切り捨てられた、弱者法人には全く救済の手は、届いていない事実に気付いて欲しいものだが、決して支払い猶予令は該当する政策ではないというのが、「プロ」中小企業家の見方である。

9月 25, 2009   No Comments

国の形(2)「地域主権」

国の形が大きく変わるとすれば、真の地域主権が確立された時であろう。

今、地域主権は、ブームのごとく異口同音に叫ばれだした。
果たしてそれが実現するとはとても思えない。
政治家とマスコミによるパフォーマンスに終わるであろう。

真の地域主権が確立されるとすれば、必要なものは何か?

まずは、政治的民意であろうが、その成熟にはそのような環境が生まれることであり、いわば市民革命が発生する土壌が必要った。
ヨーロッパにおける市民革命の歴史とその継続性は今も生きている点で、日本とは大きく相違する。(ヨーロッパ市民主義との歴史的相違が存在する)

次に、人と金である。
すなわち現状の税資本と産業(金融)資本に対して、市民資本の成立が必要である。
本来、「税資本イコール市民資本」であるべきものが、国家資本となり、官僚制度がそこを牛耳る構造について、本質的に変わることが取りざたはされているが、現実感は皆無である。
特に人の問題が、それに先んじて、資本の維持、発展、管理の仕組みが地域市民サイドに存在しない事も致命的である。

たとえば、市民資本として成立するべき組織体として、非営利事業である生協組織が、本来大きな市民資本として存在すしているはずだ。。生協は地域単位での経済活動を市民拠出による資金で運営されている。その資産規模も決して小さくは無いのだが、生協法等によって資本形成は完全に規制されている。

市民資本が成立しないように縦割り行政の中で、あらゆる角度から見事に虚勢されているのだ。

果たして今般の政変において、地域主権は成立するのであろうか。
もしその入り口に立つためには、以下のような大胆な発想転換を同時に行わなければ難しいだろう。

まずは、国家官僚の半数以上を地域に移管させる強制措置をとる。もちろんあらゆるノウハウを持つキャリアも半数は地域移管させる。
(彼らの巧みな保身技術と世界的管理能力の活用派絶対条件であるが・・・)

その上で、国税の50%を地域移管する。
現在国税と地方税の分担は6対4の割合と聞いている。(ならば国対地域は3対7の関係に大きくシフト換えされることになるから革命的転換といえる。)
地域主権をノウハウを持つ移管された地域官僚群が、税の本来持つべき市民資本として、形成運営される時、人、もの、金は地域に根付き、地域経済が定着し、地域主権の確立が可能となるのではなかろうか?

このような大胆な変革と発想なくして、地域主権を少しづつなどと考えていては、官僚群や国家的視野にしか立てない「にわか市民派」政治家など、確実に新たな利権と癒着の構造の中で、埋没させられてしまうだろう。
(中田首長連合事務局長など典型的政治屋が叫ぶ事を認めるマスコミがおかしい)

1000年続く官僚組織を解体するのに、国家戦略局や、行政刷新会議?などのみで可能なはずも無い。

確実に保守勢力による巻き返しによって、保守2大勢力の政権交代の成立で終焉していく事を予言しておきたい。
小沢民主党の狙いは、国家管理による政権浄化体制のみが、その狙いであり、地域主権への想い等選挙対策上のごまかし程度の位置づけと考えるべきである。

「菅さん」あたりにこの革命的発想の取り入れと断行のチャンスと進言する程度が、0,01%程度の現実的手法だろうか?

税資本に対峙する(回帰すべき)市民資本として、たとえば非営利認可共済の年間共済掛け金だけで、一兆円程度が存在する。
但し金融業務禁止の法制度の中で、この資金は当然のごとく金融(産業資本)に取り込まれている理不尽さには、良識的?市民陣営(組合員)すら気付いていない・・。

9月 16, 2009   No Comments

21世紀のビートルズ

神童さん!、
帰ったら、なんと自宅に21世紀のビートルズが再結成されて流れていましたよ!

なぜか、かみさんが3枚のリメイク版を近くの「ツタヤ」で買ってきたようです。
まずは、たった3枚というのがちょっとセコイ。
世代が違う(とはいっても2つ)から選曲も違う!もう一枚欲しかったとか・・・。
きっとその後からが、俺の欲しいアルバムでは???

「ABBEY ROAD」、「HELP]、「LET IT BE」の3枚!

神童さん、雑音排除のみでは、この音はでませんよ!
一つ一つの楽器が見えるように近づきました。
録音技術の進歩は、わが音痴の耳まで変えてしまうのか・・・・。
とにかくすごい!
慎重に一つ、一つの楽器を引っ張り出し、並べ替えて強弱を調整したのでしょうか?

たまたま、テレビを変えた時、息子に言われて音響に多少贅沢していたことも有るのかな?
この装置で「音」を聞いたのは初めてだったっけ・・・。

後3枚、日曜日に買いに行こう!
二つ違いでも選曲が違うビートルズの不思議。

プロの神童さんならビートルズの「ベスト3」アルバムをどう選定するのでしょう?

9月 10, 2009   No Comments

団塊世代の「罪と罰」

プレミアムエイジ(P・A)ブログは、団塊世代の実態を赤裸々に表現し、その世代の「罪と罰」を自己批判することにより、付加価値世代(プレミアム世代)への移行を図りたいとの想いからスタートした。

恥ずかしながら、自身に実体験を赤裸々に書き溜め、発表する事からはじめるべしと「団隗世代が行く」として纏めた。故に、隠さず、事実と本音のみと心がけた。
何人かの団塊世代が続く事を祈りつつ・・・・。

あれから4年?
2007年にいわゆる「07年問題」がマスコミに捉えられ、「P・A」と「団塊世代が行く」が日経の正月特集として記事になった。問題提起は直ぐにもマスコミからは消えた。

その頃、団塊世代の「罪と罰」は07年「問題」とはならないとブログに書いた。
それはずっと遅れて、気付かれぬまま現れるだろうと・・・・。
または、流れは大きく左傾化していくだろうとも?
(左傾化は古臭い、リベラル化であったかもしれない)

民主が大勝したのに、この影響がありはしないか?これは罪と罰の実体化か?
さもなくば、プレミアムエイジとしての進化と捉えるべきか?

今日、当時の日経の特集記事をじっくりと読み直して、大きな気付きに遭遇した。

この記事は、沢山の見えざる敵を作ってしまったのだ。味方さえ、敵にしたのだろう。
確かに事実のみの取材では有るのだが、記者による行間の表現によって、まるで違ってしまうのだ。
事実であっても自分の話したことと、その行間は大違いなのだ。
これがマスコミの善意であり、事実であっても、その狙いはおおいなる「怖さ」でもある。

行間は事実を如何様にも変化させるものだ。勿論、当時も大きな違和感を感じはしたが、行間にまで想いは至らず、読み飛ばし、まともに見向きもしていなかった。(気になりながらも、敢えてその反響に自然、耳をふさいでいたようだ。(気付くべき行間も見落としていた。)

今また、P・Aから一つの「私小説」が生まれようとしている。
勿論フィクションではあるが、その初稿を眼にして、主観的には確かに面白いと感じた。
しかしなぜか、絶対に読まれないで欲しいと思い、できれば発表しないでもらいたいと思う。世にでれば、確実に後悔するに決まっている。

完全なフィクションであり、今更、行間にある空想や誤解を恐れる歳でもない。
覚悟の上のP・Aだ!!。
主観でないすべての物(価値観)は、所詮フィクションでしかない。主観的事実など文章屋言葉でで表現できるものではないのだから???

「プレミアムエイジ」の狙いが定着する一助にもなれば・・・・。
団塊世代の犯した「罪と罰」の総括が、プレミアムエイジへのラスト・ランへと始動するべく、今一度努力したいと元気付けるのみ!

未だ、罪と罰を背負う状況の実証時点(進行形)でしかないとの自覚も、強く持ちつつ・・。

9月 9, 2009   No Comments

「私は貝に成りたい」

昨日の夜中に、先週借りてきていたDVD[私は貝に成りたい」を見た。

封切り時に「見たいような、見たくないような」妙な感覚にとらわれたのは、その昔、テレビで見た同名の芸術祭参加作品の印象が強烈で、未だにその残像が残っているからだ。

あれはいくつの頃だったのだろうか?
フランキー堺のつぶやいた最後の言葉「今度生まれ変わるとすれば、私は貝になりたい」とつぶやいたその演技に、こぼれ続けていた静かな涙が、人目をはばからず、声となって大泣きとなってしまった想い出は、今も消えない。

おそる、おそる内緒(一人)で真夜中に、中井某の「貝・・・」を見た。
残念?にも涙がこぼれなかったのは、映画が愚作であったからか?
主演者への抵抗間からか?
あの頃の純真さを歳と共に失い、批判力だけが年を重ねると共に成長しているとすれば、そら恐ろしい!事だ。

振り返れば、あのテレビの影響で、「戦争を憎む心」や「アメリカを許せない心」が確実に根付いたはずだ。政治的原点が芽生えた瞬間であったかもしれない。

あの時も、「罪は自分の一身にあり」として絞首刑にふされた上官(石坂)中将を主役は許しても、僕には許せなかったのはなぜ?。
これで助かるはずとの想像が見事に裏切られた時、決して許せない上官と変化した瞬間を明確に覚えている。

今回もやっぱり、許す事はできないと感じたのだが、その理由は明らかに違っていた・・・。

見るべきか、見ざるべきか、こんなに思案した映画は初めて!。
そして、見てしまった時、変わり果てた自分に気付くことは、果たしてやっぱり見てよかったとするべきか・・・・。

メッセージ性は、芸術性は?比べるべくもない。
人に対して、映像の与える影響は恐ろしい!

そういえば、最近「昔の「寅さん」テレビ版をDVDで何回も見て、傷ついた友が「元気になりつつある」とのうれしい便りがあったのだった。
あんなに好きなパチンコを途中で止めて、二人で「寅さん」を見るために下宿へ帰った頃・・。
喜劇を見て、いつも涙を流したあの頃・・・・。

9月 8, 2009   No Comments

国の形(1)

 政権交代が確定した。

但し、結果として2大政党制の予定が巨大一党制への大揺れとなり、日本の民主主義の幼稚さが露見したといえなくもない。
しばらくは不安定な政治状況と経済状況に日本は横揺れを繰り返す厳しい時代を迎えることになる覚悟が必要だ。

5年程度をかけて、この国の形を決め、新憲法の制定に向かうこととなるのであろう。
政治的には、少なくとも3極体制を経て、2大政党制へ向かう意外その道はないと予測する。

その為の政界再編が、遠からず(2年以内に)起るのではないか?
日本には、戦後民主主義の選択をアメリカより享受した時、憲法9条と天皇制の問題が、その歴史的過程の中で、大きな妥協軸として形成された。

その意味では、民主主義の民は「国民の民であり、市民の民ではない」事が案外理解できていない。
そんな中、地域主権が全党的に主張され、大きく動き出してく事も間違いない。

すでに全国の首長達の反乱の動きもある。
薩長連合がこの国の形を作ったことからも、ありえない動きではない。

国の形の基本をを国家に置くか、地域と市民に置くかの選択が優先し、その中での官僚機構の見直しであり、資本形成の基本も抜本的に考え直す必要がある。

資本は税資本、産業資本、金融資本の組み合わせで動き、これが国単位で資本主義を構成して、戦後日本は発展を極めてきた。
そしてこれらの全て(全資本)が崩壊しつつある中、市民資本という概念が規制されたまま、地域主権が語られてもそれは、実態が無いに等しいのでは、無いか・・・・。

この機会に、地域主権型「国の形」を選択する立場において、感情的概観を考えてみたいと思う。(果たして論理的にどこまで続くか????)

9月 5, 2009   No Comments

キャンペーン秘話(終)と総選挙

今日、無事わが社のキャンペーンが終了した。(但し残り香を続行・・・)

現役時代のこぼれ話をもう二つ、三つ書くつもりだったが、急遽止めにしたのは、この期に選挙結果をコメントせずして、何のブログかと考えるに至ったわけだ。

選挙は政治家たちによるキャンペーンと似ていまいかとふと考えついた。(こじつけ)
一定のシナリオライターがおり、マニュフェストはキャンペーンにおけるインセンテイブのごとく!

子供手当てに、高速道路無料化など、要は受益者への当然の回帰物をどう見せ掛けのプレゼンとして、目的を達成するか・・・。

それにしてもシナリオライターらしき小沢戦略があったとすれば、恐ろしい気もする。
偶然の産物であって欲しいものだ。
彼の主張は日本における2大政党制の実現であり、その意味では勝ちすぎ民主党はシナリオが狂ったと考えているのかも・・・・

だとすれ早い時期に政界再編が起る。
彼の主張はむしろ十分に現自民党にこそに近いはずだから。

それよりも怖いのは、マスコミや週刊誌による事前予測がそのまま、寸分狂わぬ結果となるこの世の中は何なのか?

わが友が、幸福実現党かマスコミ教かの選択で、前者を選択したともらしてくれた。

全てのマスコミは幸福実現党なる存在を無視した。そして勿論?完敗した世間の常識を逆に疑う気持ちは理解できなくもない。

果たして「大川りゅうほう」なる人物は何者か?
政治資金はどこで捻出され、立候補した多くの若者達はどこへ行こうとしているのか?
もしやかつての「浅原ショウコウ」の再現であればどうするのか?「池田ダイサク」であればOKか?

選挙が終わった今こそ、マスコミは判断を表明すべき対象である存在に違いない。

民主大勝は予測できたし、多少の期待もするが、早晩政界再編は必ず起ると予言しておきたい。
良し悪しは別にして、団塊世代の氾濫の第一幕が始まった。
すでに期限切れであることを忘れ、もてあます元気を政治的に賭けていく非常識のスタートを予見している。
「いい加減にしろ」の声も小さすぎる!

新聞が発表し,当時者は否定するが結果は新聞発表の通りとなる事態はどこか変であるに違いないのだが、それすら不思議でもなく、抵抗心も起らない世の中は平和かどうか????
身近すぎる話題でもあるが意味不明?

脱線しまくったので、無理やり結論に・・・

キャンペーンとはどこまでいっても負け組みの戦略でしかない!
現役時代は、常時一人キャンペーンで戦い続けた気がする。
そして遂に敗戦したのではなかったか?

はたまた片想いの悲恋物語であるかも知れない?
かくして、秘話は悲話となって終了するとしておこう。解りにくい典型的独り言でした。

9月 1, 2009   No Comments