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Posts from — 10月 2009

編集長辞任の件

親愛なる(マニアック)な読者の皆様!

3年間続けてきた「プレミアムエイジ」の編集長を11月から神童さんにバトンタッチする事になりました。
同時に、P・Aは装いも新たに再出発し、メジャーデビューを目指します!!!!

謎の作家の「連載小説」が毎日?更新される予定です。ご期待ください!

勿論、僕も一編集員兼販売員としてブロガーを続けますが、ペンネームは「不齢宮(ふれみや)エージ」と改名し、「付加価値世代」の現役ラスト・ランを実践しながら、本音のレポートを続けていくつもりです。

ブロガーについては、年齢枠を超えて募集中ですが、主な執筆者の皆様は継続して頂けるはずです。
(多少の混乱はあると思いますが、ブロガーの皆様、ご協力よろしくお願いいたします。)

10月 25, 2009   No Comments

ある中小企業家(6-完)

 中小企業に「社長さん」は必要か?

経験的結論から言えば、不必要ということになる。最大コストを費消する社長業をカットすれば、何とか収支が成り立つのが現代的中小企業の実態であり、経験的実感でもあるる。

勿論、本来の社長業とは別に、第一線で最強の営業マンとして、または最高の技術者として活躍し、率先垂範利益を経営者として常に投入する事業形態は多い。

しかし、それでは常に日本の中小企業の安定や成長は無い事になるし、実態がそうなっていることに気付かない場合が多い。
当然そこで働く職員は常に(一生)中小企業の従業員であり、飛び出すか、負け組みとして甘んじるかの選択しか残らない。

時には、社長の給与を平気で追い越す社員が出てくる給与構成を取り、優秀な社員が紛れ込んだ場合には、抜擢し、育成する仕組みが必要である。

今、当社に一人優秀な女性マネージャーがいる。弱冠28歳だが、給与は「40万・月」となっている。
組織を彼女に任せているのだから、(正直実態すら良く解らないから)自分の給与を自分で査定して欲しいとお願いして決まった給与である。
勿論その活躍ぶりはもっと価値があるのだが、中小企業ではや已む無しと互いに?納得している???。
彼女のキャリア(履歴)は知らない。(本当は年齢も知らなかった)

中小企業の社長の存在価値とはいかなるものかを考えている。
現在までの結論は、社長業とは常のその企業リスクを一身に背負い、企業の未来に向けた先行投資と企業の発展を追い求める仕事でしかないのではと思いつつある。

実につらい、厳しいボランテイア事業者であるしか、その存在価値は無い。
さもなければ、その事業所に働く社員の夢や希望も常に現状維持でしかなく、いつしか大企業並の処遇とはならない事が見えてしまうのである。
(大企業サラリーマン経験者として、チャレンジしたい個人的テーマでもあるが・・)

今、経営者としての苦悩を処遇の中にリスクとして共有し、経営者(オーナー)はその上で、なおかつ資金リスクを一身に負いながら、常に事業の発展性を目指す事をその使命と心得るべきで有ると考えている。

安定化のみでは、社長としての自己否定に連なり、いつしかその存在は、社員ともども消えていく運命を意味するだろう。

特に創業社長は、苦労して安定化真で漕ぎ付けた時点で、守り重視の姿勢に埋没していくことが多い。
当然コスト負担の関係から、後継者は育たない。
身内をそのボランテイア事業に投入するか、できの悪い息子で代替し、終焉を覚悟するかの選択となっていく。

大きな発展を夢見て、または「IPO」を視野に入れて、社員ともどもストックオプションなどでの経営参画させるシナリオまで描いて、頑張り続ける以外に、中小企業経営者は、最大の営業マンとして率先垂範する事で、企業維持の為のコスト吸収を余儀なくされるのみではなかろうか・・・・。

これが親愛なる、ある中小企業家「POKO]へ伝えたいメッセージであり、わが仲間の中小企業家諸氏や、ついでに我がグループ社員諸氏への言い訳的メッセージでもあった。

中小企業経営者は、静かにその事業リスクを一身に背負い、ボランテイア精神で先行投資すべき、人、もの、それらによる事業変革にチャレンジし続けよう!

時代は、今それを可能にしつつあるのだから・・・・。
「外へ、前へ、早く」は全中小企業への永遠の社是であるはずだ。

10月 18, 2009   No Comments

ある中小企業家(5)

脱線ついでに、もう一人の中小企業家「古宮エイジ」を登場させる。
我田引水、手前味噌のそしりを十二分に意識しつつ・・・・

彼は、サラリーマンを突如(?)止め、退職金を(ローン返済に廻さず)元手として、一中小企業家を目指した。勿論ど素人経営者であり、一体何をやりたいのかすら、決まっていなかった。

やめる時、(同じ頃に)に社長を辞したS氏に、氏が社長就任時に作った我が儘スローガン「外へ、前へ、早く」を餞に頂戴したいと申し出た。
(正確には、「パくらせてもらいます」と通知だけした、が正しいかも)

勿論、このスローガンには古宮の強い想いがあった。
自らの仕事上のあらゆる行動指針として、このスローガンに照らしてS社長の意図を理解し、その後行動し、結果成功してきた(つもりであった)。

しかし、時代が変わり、自らの立場も使命も変わった頃、このスローガンの「外へ!」の視点が全く欠落する自分に気付く。

営業第一線に籍を置きながら、顧客を知らない。
販売店の特性を理解できていない。
部下の名前すら定かでないものがいる。
女子社員にいたっては口を利くことすらなくなっている。

ひたすら、会社の為との一念ではあったと思うが、経営者意識で内向きな行動ぶりばかりではないか?。
合併後の混乱期とはいえ、現場執行責任を放棄し、経営責任のみを追及する自らは、まさに「ドンキホーテ」か「浦島太郎」の存在であることに気付く。

しかし、いつしか会社も合併で大企業となり、顧客に最も身近な会社を目指すスローガンから大きく外れ、全てが内向きの会社となっていることにも気付かされたのだ。

このスローガン「外へ、前へ、早く」は自社を中小企業の心構えで動かそう!
大企業病を排除せよとの意味が大きかったのだと思う。

そしてスローガンは現在のわが社の社是となった。
というよりもワンマン一人親方の中小企業家「古宮」の行動指針としただけだが・・・。

それから6年が経過しようとしている。

結果、手がけた仕事は中小企業再生と称して「12社」を数える。
勿論、中小企業再生に成功などはおこりえなかった。
できたことは企業の延命であり、職場の維持でしかないが、少なくとも12社の社員の職場は維持できたと誇らしげに思っている。(職員数では100名を越えるか??)

そして、その(古宮との)出会い無くば、12社は全て突然死を余儀なくされていたと確信する。
残念なことに、その事業所の社員さんから感謝される事はない。
全ての社長さんには責任を取ってもらったので、勿論ありがたがられることもない。

やった事は社長コストをボランテイアコストに変える究極のリストラ策でしかなかった。
ボランテイアコストの社長を古宮はこの5年間で何社やった事になるだろう。

振り返って、中小企業では本来の社長給与は捻出できないというのが、現状の結論となる。
当然6年間で借金額は増えているのだから・・・。
でも今も喰えはているのだから、全く文句はないが!

この間、素人経営者として貫いた方針は一貫して「外へ、前へ、早く」でしかなかった。

もし中小企業が生き残る為には、この方針以外に手はないだろうと実感し、確信するのである。そしてその為には、一人でも多くの社員にも、この実践を強要していくことだ。

中小企業では、全員が経営者であるべきだと思う。
外で、早く決断し、前へ進めることで生き延びるしか手は無い。叉、1日も早く、社長コストをボランテイアコストに換えなければ、中小企業はやがて衰退していく。
(全員野球とは全員がリスクテークする事で、経営者足りうる)

中小企業社員には、仕事上の夢が無い場合が多い。
それは社長が中小企業の延命に汲々とする限りそうなるだろう。

今、古宮は実践の中でこう考えている。
「自ら事業の発展を描き、それを共有することで、中小企業の社員にも夢を持たせたいものだ。自ら、意思決定氏、リスクを恐れず外へ向かい行動するべきだ」

再生を手がけた沢山の中小企業の社員に、何とか延命装置はほどこせた、といささかの自負心はあるが、彼らに夢を与えることまではできなかった。
勿論彼らのほとんどは、職場を無くすと青テント村しか今の時代では残っていなかった!。

そして、残念ながら確実に叉その時期が来るかもしれないし、夢の無い職場の改善や成長路線への転換ができたわけでもない。

その意味では、古宮の現状までの中小企業再生事業としては、50点しか取れないだろう。

「外へ、前へ、早く」は中小企業にとって大きなリスクを伴うが、成長路線への転換が社員の夢であると仮定するならば、全員(または一人でも多くの社員にその実践を迫るべきであるし、中小企業の社員には、強制される前に自覚して欲しいと思う。

我々は、決して大企業への転職はできないのだから、まだまだ続く(避けられない)仕事において、自ら勝ち取るべく夢に賭ける事は、大企業よりよほど面白いし、可能性が高いのだから。

古宮は40年前、学歴(といえるほどのものでは無いが)を捨て、ある中小企業の工員に就職した経験がある。
いつしかその企業の営業を一身に任される立場になった。27歳の時である。
仕事は面白かった。しかし30年務めた(時の)専務さんの給与が、ある大手社の係長の給与と同じである事を知った。

やりがいや面白さだけでは、家族は養えない現実がある。
チャレンジしない中小企業は衰退する。その時古宮の給与を倍増する決断は、どの中小企業経営者にもできるはずもない。

100年の歴史あるその名門中小企業は、その後40年経過して、昨年民事再生法が適用されたらしい。

古宮は、学歴???を使い、ある(前述の)大手社を受験したのが28の歳だった。
これが、古宮の夢に繋がる物語の途中経過である。

あえて、号外で書いたPOKOとの会話で話したりなかった想いを「POKO」に記し、ついでに、わが中小企業で奮闘する仲間社員につげる個人的利用ともなったかも知れない。お許し願いたい。

10月 16, 2009   No Comments

ある中小企業家(号外)

昨夜、「小心もの」の僕はPOKOのご機嫌伺いに上尾まで走った。

それは、仕事の話にかこつけて、POKO について以外な発展をする自分の本心をもう一度伝えて置きたかったからだ。

2時間限定の予定が、3時間半となった。
(後を切らないと深夜に及ぶのが通例だから・・・)
あっという間に(なぜかいつもそう)タイムオーバーとなり、尻切れトンボの会談だった。(確認も了解も阿吽の呼吸でごまかした???)
終わりに「野村はやっぱり好きではない」と挑発だけしておいた。

彼が僕と出会う前に「野村考」と「かつら考」を談話室に書いていた事を知らなかった。

帰ってからそれを読んで、又多少のショックを感じている。
どこかで常に多少のすれ違いが発生しているのだが、その理由がわからないのだ。

互いにすれ違いを認め合いながらも、論議できるのがいいのかもしれない。
それにしても「かつら考」は、一読に値するので是非談話室を訪問してもらいたい。
人それぞれとはいえ、赤裸々にその使用価値観を書く勇気?(といえば又違うといわれるだろうが)は、きっと凡人には参考書となる。

大好きだった漫才氏の「大田光」が、あるキャスターの「かつら装着」を名指しでコミックに使った。その瞬間から彼のファンである事を何気無く放棄している。
彼のブラックジョークは、時に(往々にして)人を傷つけている。
そのキャスターを見る時、その事を知らなかった僕の彼を見る視線が変わった。
好きではなかった彼(キャスター)を好きになっていた。
このジョークを使う事の了解を本人から取っていてほしいと願うものだが、そして大半はその事を知っていたのかもしれないが・・・・。

僕の使ったPOKOの「かつら」もブラックジョークとなってしまったのかもしれない。
人知れず個人的に悩む人は、一般的には当たり前の許容範囲であって、極少数派であろう。
だからこそ、細心の注意が要る。影響は気付かぬところで発生しているのだ。
偏見や差別を超越できる人が、その少数派を傷つけることもあるだろう。

僕には、学生時代の愛する(尊敬する)先輩を失ってしまった苦い経験がある。
彼の偉大さは、自らのハンデをものともせ「偉大さ」で僕の前にそびえていた。
先輩は、30歳にして自ら命を絶った。
お互いに社会人になってから、年に一度も会う機会がなかったので、その原因は憶測でしかない・・・・。

10月 14, 2009   No Comments

ある中小企業家(4)

中小企業経営に必要不可欠な要素は「愛」である、と書いたが、勿論これは致命傷ともなり得る。中小企業は、「愛」の名の下、実は社長の活用コストを除くと成り立つ事が、体験上得た知恵でもある。

「POKO」は愛の届く範囲として、企業キャパを決めている節がある。
多分50人以下程度と置いているようだが、経営者としてのそのキャパ設定には僕は反対だ。。自分も成長する努力を続けるとともに、キャパを広げる努力なくして、中小企業には夢が生まれない。すなわちそこで働く社員達にも夢が生まれないと思うのだ。

「お前には、10、000人もの企業を維持できるか?」
自問自答した頃がある。答えは明らかに[NO]であった。
問題はどう考えても企業リスクがその能力不足を超えると考え、社長ポストレースから、自ら脱落させた遠い昔のほのかな記憶がある。
(その後、信じる社長探しの旅が始まったのだった。)

果たして、どこまでの自助努力を継続して、どこまでのキャパを限界と置くべきか?
又は、より大きなキャパの後継者を探し、育成が可能か?
日本の中小企業は、ほとんどが一代で成長を止める。経営者としての成長と育成の為のシステムが無い。
これが日本の最大資産(中小企業)の成長を阻む経済的弱点となっている。

「POKO」は保険会社の高級サラリーマンを捨て、保険販売店を軸に自立し、成功している。
今、保険業界を含めて、日本全体が革命的に変わる「維新」の時期である。
彼には未だ十分な時間がある。
彼の情熱は、彼の思想や信条の発露として、ブログ上でも充分に理解できる。その情熱を自らの企業成長の一点にリアルに結集すれば、大飛躍する能力を保持する。

彼は野望として、業界の革命児であるべきだと力説するが、彼は事業の安定と自らのキャパに蓋をしてしまう。
既に保険業界は、護送船団行政の下、明らかに崩壊しつつある。
(僕は、この業界(保険)には、真の営業の世界が無いとずっと毒付きながら主に保険営業の実績を引っさげて(見せかけて)、で生きながらえてきた。営業がいやで逃げ続けた。その範疇で負けないように努力も続けていたのだろう?)

こんな風に買う予定は全く無かった。ただ「POKO」の談話室を紹介したかっただけがブログとは不思議な発展を続けるものだ・・・。           続く。

10月 13, 2009   No Comments

ある抽象企業家(3)

「POKO」は、大阪のど真ん中?「泉佐野」の出身だ。べたべたの大阪人である。

彼は、独立後仕事に一段落できた事もあって、母校(高校)の同窓会を埼玉、「上尾」の地から、企画、演出した。25年ぶりの同窓会であった。

アドレス帳を作り、手紙を書き、メールで動員を呼びかけた。
25年ぶりの同窓会としては、奇跡的に70%の出席者を確保した。彼はその会の最後のイベントとして、ある企画を持っていた。

彼は、いつの間にか「アデランス」(いや「アートネーチャー」、いやもっと安物かもしれない?)の愛用者になっていた。
彼の頭はそんなに「はげ」が目立つほどではなかった(ように思っていた)。でもしばらく会わない日々が続いた後、彼と出会ったら、明らかにその風貌は変わっていた。

僕にはその件だけは、何でもいえるはずの彼にも触れられなかった。
そしてその後もしばらく、触れたくても、触れらない話題として(わだかまりとして)彼との間に出来てしまったように思う。

僕は、人の身体的コンプレックスに触れる事だけは、タブーとする心情が幼い頃から出来上がっていた。それは自分の中におけるある種のコンプレックスから生じたものだと思う。

彼の「かつら」着用は、当然仲間内で静かな話題となっていった。
そんな時、僕はその種の話を笑いながらするみんなの顔色を見ながら、漠然と恐れるものを感じていた。
それは「密かに「かつら着用」の仲間が、その中にいたとしたら、きっと傷つけてしまう事になる」という考えすぎの気遣いでしかない。

最近、当然「かつら」着用人口は急増している。
但し、多くは密かに着用する場合が多いと勝手に解釈している。
僕には、間違いなく、人の身体的欠陥の話題には無意識に異常反応が心の中に起こる。

彼の心血を注いだ同窓会のメーンイベントについて彼は話してくれた。
「古宮さん!最後の挨拶で一言、みんな、ありがとうと言いながら、僕は予定通り、頭から「かつら」を取って、みんなに投げ込んで、礼を言いましたよ!」

勿論、涙と笑いに包まれた大成功の同窓会であったことを理解した。
他人の僕ですら、その感動的シーンを見てみたかった。

僕は、彼に言った。「[POKO]さんよ、全く平気だったんだ。」
「POKO」曰く、「・・・・勿論」
「なら、言うけど、お前と俺の中でも、触れられない秘密が出来たと思って、決して触れられなかった。お前は納得づくでOKだ。でも、もし会場に密かに晴れの舞台に「かつら」を着用している人がいたら、どう感じたろう?」

人それぞれに、敏感な感性が存在する。

「POKO]は、その後我が主催勉強会に「かつら」無しで登場した。
僕はみんなの前で大声で言った。「[POKO]さん、今日の姿のほうがさっぱりしていて、ずっとと似合うと思うけど?」
「POKO」は照れ笑いで微笑み返した。
会場は大笑いして、なんとなくあった(であろう)わだかまりが解けたように思った。

彼は、イベントに対する究極の武器を手にしたのかもしれない。
しかし、それまでの長い道程はあったはずだと僕は思っている。心から悩みながらも、誰にも触れられないように「かつら」を着用している人もいる(のではないか)。

僕は、世間話をするときでも、いつもそんな注意を払いながら、会話をしている自らの弱さにも気付くのである。

中小企業には、いろいろな人種が入り混じって組織を構成している。」そこで必要なマネージメント力は、「愛」でなくてはならないと痛感している。

「POKO」のやさしさと強さは、紙一重のところに存在している。
そばで見ていて危なっかしくも感じる。彼は、自分のキャパを現状維持で律しているところがある。
僕は「もっと背伸びするべきだ!」と彼にアドバイスする。

彼は、サラリーマンで残っていたら、きっとそろそろ若手役員に成る頃であろう。
僕は沢山の駄目サラリーマンを見てきた。その眼に疑いは持たない。
もし、もう少し早く彼の上司として出会っていたとしたら、彼は、きっとサラリーマンを全うしていただろう・・・・。と彼も言う。

果たして、どちらが人生にとって幸せといえるのか・・・・?
勿論、かれの現状を知る限り、起業家がベストな選択となったと確信できる。
さすれば、すれ違いの出会いでよかった!

(脱線に脱線を重ねたが、中小企業家の話に戻ろう。   ・・・・続く?

10月 9, 2009   No Comments

ある中小企業家(2)

[POKO]は今、談話室に「楽天イーグルス」のクライマックスシリーズ出場を我が事のよう喜んで記す、その人である。

彼のことを書くことの了解は取れていない。
しかし、勝手気ままに彼のことを分析し、裸の彼の分析にチャレンジしてみよう。
彼は怒り心頭にして、反論するか、沈黙するか、新たなブロガーとして再登場するか?
もちろん、公式ブロガーへのいざないがその狙いであるが・・・・。

楽天・野村を崇拝する彼は、10年前まで熱狂的阪神ファンでその意味では我が友であった。(何時阪神を裏切ったのかは、ブログ楽天(その1)まで知らなかった)
野球への郷愁は、未だに少年のままだ。
そして、今日彼はマスコミ叩きを民族運動の中で、嘆きとして訴える。
少年の目の輝きで・・・・。

日本の左傾化を心から心配する。
もちろん民主党政権を危惧する政治的視点も心底のものであろう。
最近の日本の右傾化を心配し、何とか歯止めがかかった新政権に期待し、阪神のクライマックスシリーズ出場に片目だけ期待している「我が心」とは、「まはんたい」にいるように見える氏、価値観の違いは目を覆うばかりだ。

原点は共有すると常に願いつつも、互いに妥協する事は無く、熱く政治を語り、人生を語り続ける。

彼が、保険代理店として、一定の成功を収め、その顕彰式典に母親を同行した時、僕は既にその会社の役員を辞していた。
POKOは、「晴れがましい席で「古宮さん」を母親に紹介したかった」といってくれた。
彼は、我が退職を本気で、悲しんでくれた。
今も「間違いであった」という。
僕も彼と同じ中小企業家の道を選んだのに・・・・・。

POKOは今、埼玉で大手(といってもこの業界では知れているが・・)保険代理店を事業として展開している。
もう一つ決して儲からないだろう?自動車整備工場を同じ場所で経営している。
自整業は保険代理店のサービス業務として、最大のインセンテイブを持つ。
だから彼は、儲からなくても、何とかやっている。
理由はもう一つ、保険屋には向き、不向きがある。
根っから保険屋には向かない人達もこの世界には巻き込まれて、彼の元にも入社してくる。往々にして、そんな人たちにとって、車の整備の仕事は面白い。

そんなバランスで、彼は2社の中小企業経営を見事にこなしている稀有な経営者である。
中小企業経営の継続がどんなに大変な業務であるかは、彼も(僕だって)知らなかった。(今も気付いてなんかいない!)

彼も2度の経済バブルをかぶり、日本の現状を精一杯怒り、元会社(仕入れ元)の合併にも、心底憤りつつ、何食わぬ顔で安定経営を続けていることは、驚異に近いのだが、彼は全く気付いていない。

彼の会社の「従業員の顔が、みんな活きている」は、わが社の社員が同社を訪れた時の印象だった。
これこそが日本の中小企業の真の力である。
でも中小企業において、これを成し遂げ、継続していく力は誰にでも出来るものではない。

又脱線しつつある・・・。
書きたい事は彼の「ハチャメチャさ」を読者の皆様に暴露し、「笑い」とともに、日本の中小企業の厳しさを世に問いたいのだった。       (続く)

10月 8, 2009   No Comments

ある中小企業家(1)

今から20年ほど前、一人の企業家が誕生した。

彼は、エリートサラリーマンを捨て、大志と絶望の中から、ベンチャー企業を決意した。当時彼の所属した組織では、荒みきった状況の中、沢山の若手の有望社員が退職していった。
彼の名前は「POKO」、それまでのキャリアを生かして、保険代理店というマイナーな仕事に、故郷を捨ててチャレンジを始めたところであった。

そんな職場風土のまっただ中に、肩で風切る勢いで、新進の部長が着任する。
生意気部長の名は「古宮エイジ」
代理店研修生という職種に惚れ込み、命がけでその制度育成にチャレンジしてきて、只その論功のみで若くして、部長まで駆け上ってしまった。

なるほど、職場は荒れ放題であった。引継ぎは土曜と日曜。
ハードではあるがこちらも望むところ、
一廻り以上先輩である前任者は、いつも土曜、日曜ともに出社する猛烈社員の見本でもあり、殻もでかく顔も厳つい。(なぜか単身赴暦は15年を過ぎている!)
引継ぎのその日(土曜日)も、平気で某支店長を呼び出して、怒鳴り散らしていた。

夕方、無事その日の引継ぎを終えた頃、次の会場へと誘われた。単なるプライベートの飲み会であった。
当然のごとく誘われたが、当然のごとく即座にお断りした。

烈火のごとく喚きだした前任部長さん、「もうお前には引継ぎをしない」との賜った。一日お付き合いをして、何の意味も無い、勝手気ままな引継ぎに辟易としていた新米部長は、その場で開放されて(日曜日も自由を得て)内心喜んで、帰途に着いた。

そのまま、引継ぎは無く(前任部長との会話も無く)なり、翌月新米部長は不安いっぱいながらも平然を装い着任した。
こんな折、着任前に職場を去っていた「POKO」との出会いとなった。

彼にに詳しく、客観的に職場の状況を教えてもらった。
彼はそれ(直近)まで平のサラリーマンとして、こんな職場を見て来ていたはずだ。問題は我が前任部長にあるのではなかった。彼からみれば、「直族の上司(支店長)も、その上の部長も、その上の本部長も、同じむなしいばかりの悲しきサラリーマン族であった」という。

その底辺で大半の時間をすごす平社員にとって、「3重苦」は夢も希望も見えないだろう。
(彼にとっては当然の退職決意であったのだろう)
おそらく、その出発は大志を抱いたベンチャー起業等とは程遠い、苦渋の選択では無かったか?

新米部長の引継ぎは、POKOとの実践(実調)で始まった。
代理店さんの声、同じように退職した元社員の声・・・・。
どんな引継ぎよりも有効なな引継ぎとなったが、振り返ると極めて苦難の船出ともなっていったのかもしれない。(今振り返れば・・・・)

いけない、主役が違う!
ある中小企業家(底辺からの駆け出しベンチャー)の物語は、次回になってしまった。

10月 6, 2009   No Comments

亀井大臣とモラトリアムと金融行政

モラトリアム政策を否定したが、勿論実施されれば、わが社は一番に手を挙げるだろう。

大半の中小企業がその様な状況のはずであり、問題は該等企業の絞込みという行政指導の可能性にある。
金融行政は、一方(金融事業)を痛めたことは嘗てないのだ。
そこで起る事態は、中小企業への貸し渋りを超えて、「貸し止め」が必ず起る!!!

すでに中小企業への金融機関への貸し渋りは、相当な額に増加している事実がある。
現状は平均3%程度の貸し出し金利であろうが、中小企業への貸し出しリスクを勘案すれば、金融事業としての甘味は極めて少ないのだ。

0%金利を行政サイドで続行する中でも3%金利では、銀行の運用は国債購入に走る。
個人預金の金利を0にしていれば、国債で2%を確実に稼ぐことで、銀行経営者はリスクを全く取らずに、確定利益が取れる。

大量発行される国債はこうして消化される。
これが、これまでの財務金融行政の現実であった。

銀行には、公的資金が導入される。
その資金分相当の国債保有の増加が銀行に発生している。
中小企業融資への貸し渋りの実態は、中小企業への貸し出し減と国債の保有増はパラレルにあらわれ、行政は国債消化のために決して銀行を潰さない仕組みとなり、貸し渋りには目をつぶらざるを得ないのだ。

もし亀井大臣の行政指導が、真に中小企業という借り手サイドにあり、銀行救済や国際消化政策に無いのであれば、返済猶予と同時に、金融機関の貸し渋りや、「貸し止め」が絶対に起らない様、徹底して監視していく視点がセットにされなければならない。

中小企業に取って優先されるべきは、返済猶予以上に貸しはがしであり、貸し止めの根絶にあるのだから・・・・。

もし亀井先生の金融政策がパフォーマンスではなく、一時的にせよ、貸し手よりも借りて優先への転換であれば、日本の金融政策が革命的に変わる事を意味し、彼こそが改革の旗手の座を射止める英雄となるのかもしれない。

「日本の金融機関は痛んでいない」等は神話でしかない。
このトリックが民主党政権で暴けるかどうか?

銀行は潰せない財務政策(国債依存)とセットの金融行政の変革こそが、民主党の最大課題である。
国民新党が郵政改革と金融改革を国民レベルで理解し、実行するものなら、本当にすごい政党なのだが・・・

10月 4, 2009   No Comments