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Posts from — 12月 2009

PA読者に問う!「ある独り言」への是非

P・A読者の皆様へ

私は、ごく一般的中小企業の経営者です。年末も押し詰まったクリスマスイブの日、唯一つの取引銀行である「R銀行」の担当者から、突然電話が入りました。突然というのは、彼とお会いしたのは、たった一度、半年ほど前に、「担当が変わりましたので・・・」という事でご挨拶に伺い、一応近況報告をした時が、最初で、それ以降の初めての電話がその日のことでした。若手の利発そうなバンカーであり好感はもてたのですが、当社に対する前向きな対応は感じられないことも事実でした。(その際、静かに当分の間は当行での資金調達をあきらめてはおりました。)

彼は「ご無沙汰しております。実は当行は効率化を進めており、攻めの要員のみに徹することになりました。今後のご返済については、窓口として、当行子会社の「サービサー」に業務移管させていただきたく、よろしくお願いします」と切り出したのです。

私は、「それは当社は、今後貴行に融資依頼も相談もできないということ?これまで返済は約定どおりにしているよね!」

「そうですが、当社の社内分類では、今のところそのような位置づけになっています。」

「一応先日、当社の現状報告はしてあるよね・・・。借り入れができない現状を打破するために、増資で資本強化した後の当社の今の状況を知っているの?」

「いえ、少なくとも当行における貴社の現状は、そういう分類に入るという事です」

「サービサーは、常識的には銀行じゃないよね。貴行の不良債権管理と取り立て処理をする子会社でしょう?」

「主にそういう業務ですが、サービサーでは貸付返済等、銀行にとって、後ろ向きの業務委託も行っていますので、是非ご協力をお願いします。当行の事情もご理解ください!債権の移管はされませんので口座はそのままで結構ですから!」

私は、怒りを抑えて、とりあえず丁寧にその要請をお断りし、「一応貴君の個人的見解であったら困るので、もし方針間違いであったら、改めて電話ください。もし合法的であれば、強制的に移管されたらどうですか」と答えて電話を切りました。

私はその日一日、この件を不愉快に感じながら、この銀行の事をおもいだしていました。(その夜、彼(担当者)に個人的判断とせぬよう依頼し、念のため、事の重要性を長いメールにて、送信しておきました。彼からは、「説明に誤解があるようです。新年が明けましたら、もう一度お話させてください。」と28日に返信された。我がメールは、間違いなく行内にて一般クレームとして処理された上での返信がこれであったはずです。)

先月、R銀行会長の「Hさん」がカンブリア宮殿で「再生させたリテールバンクの素顔として登場された時から、「テレビでは、彼をこう捉えるのか」と観ておりました。彼は「リテールバンクとして、視線を全て顧客にあわせるサービス事業として、効率化を図り、見事に、R銀行を再生させました。」と自ら語っていた際の説明不能な違和感を思い出しました。

R銀行のIR上には、会長の言葉として、「中小における資金需要は、少なく・・・・」と堂々と書かれています。

この5年間のR銀行には、公的融資が大量に入った公的管理の銀行と想われる動きは、私には、全く感じられない、ひたすら、一企業として、わが身の生き残りの合理化推進であっただけではないかと感じておりました。

「H会長さん、あなたは効率化といって、どれだけの店を閉めましたか?あなたは、合理化といって中小企業へのサービス業務とその要員をどれほど切り捨てましたか?あなたは私(達)の預金でどれほどの国債を買い、外資等との見えない取引で鞘稼ぎをしましたか?あなたは、リーマンショックへの責任の一旦を担う事にはなりませんか?

どうして、あなたが銀行再生の英雄のようにテレビで自慢話ができるのでしょう?JRの再生と公的資金を大量に使用した銀行の再生は一緒ではありませんし、銀行は決してサービス業ではないのです。バンカーがバンカーとしての資金需要を無視するべく効率化してしまったら、銀行(家)としての使命を失います。テレビに登場するなら、まず公的資金を全額返済して、「リテールバンク」の看板を下ろすべきでしょう・・・・。(あなたをR銀行に推薦した人は誰なんですか?)

私は貴行がK銀行時代からの30年以上の取引です。住宅ローンを住活ローンに切り替えていただいて、サラリーマン時代は4000万もお貸しいただきました。やっと返済を終えて、企業経営を始めた頃、最大15000万もの大金をお借りしておりました。その後も一生懸命返済を続けて、現在提供する担保で改めて6000万お借りしました。今も、その担保をそのまま保有されて、残債は3800万となっています。この間(35年間)(貴行に追加融資を申し込んで、断られた瞬間に、1-2度返済が遅れたことがあったかもしれませんが、)確実にかつ最優先に返済を続けてきているはずです。兎に角銀行の信用回復が中小企業にとっては命綱と信じて励んできたのでした。)

現状の当社のバランスシートは、金融庁における中小企業マニュアルでは、優良でモラトリアム法の対象にはならないようです。しかし貴行では、返済不能事業者の分類に入れ、サービサーへの業務移管をして、そちらへ誘導しようとしているのでしょうか。

当社は、勿論貴行への全額返済の道を選択させていただきます。そして、明らかに貸しはがしを強行する銀行tとして、貴行を摘発、検査していただくよう当局に依頼することとします。(これは公開されている金融庁検査マニュアルに明確に示されております)

私は、金融庁の中小企業検査マニュアルと中小企業向け貸し出し方針マニュアルを信じて、あらゆる手段で訴えていくことが私にできる社会的正義と考えております。

なぜならば、貴行取引の数多くの中小企業が、当社と同じ状況におかれ、あるときは、それが死刑先行に等しいショックであったり、命取りとなる可能性をも危惧するからです。(叉、ことによれば、その他の銀行も同様の方針を内々取っているのかも知れません。)

現政権の方針は明らかに違います。今、日本にとって最も大事な事は中小企業金融の正常化であることは、仕事柄誰よりもよく理解できていると感じております史、金融当局の方針にも明確に記載されております。残念ながら現実は昨年来、銀行は中小企業への貸付をほぼ止めております。自己調達による資金繰り以外には中小企業には生きる道無く、力尽きる沢山の事業者が存在し、今拝む気持ちで「モラトリアム法」を研究しているのが実態のはずです。

しかし、銀行群は、すでにその先手を準備し、その際たるものが、貴行のサービサー業務移管であるならば、それこそ許せないコンプライアンス違反であり、その方向を正す為、戦う事を決意するものです。(銀行が貸し出し不能宣言を公にしては、成立するはずもありません。企業への「死刑宣告」に等しいのです。)

私のチャレンジは、餓鬼の喧嘩に見えるでしょう。犬の遠吠えに聞こえるかもしれません。中小企業家の多くは、泣き寝入りするか、法の精神に基づき、要求する権利など理解しえない弱者が多いはずです。

しかし代償に関わらず、法人格の社長と銀行の社長はあくまでも同格であり、法と権利に基づき、行政の責任者である金融大臣ですら、同格であるはずです。したがって、私は、我がR銀行の担当者と交渉する事は、ありえませんし、尻尾切りでごまかす事も許すべき事ではないと想っています。

少なくとも、こんな馬鹿げた方針をとるのは、R銀行だけであって欲しいのですが、「モラトリアム法」の銀行への影響から考えれば、他行においてもより綿密なからくりが、策謀されている可能性をも踏まえて、この戦いがその警鐘となれば、幸いです。

この顛末については、来年以降、事実のみに基づき、公開し、できれば、実名にて、読者の皆様にもご報告していきたいと思っております。但し、もし私の理解が大きな誤りであったと理解、納得した場合か、または全くのクレーマーのたわごとであると客観的判断がなされた場合には、その旨お詫びし、取り消しさせていただきたく思っております。

この際、是非一人でも多くの皆様の忌憚の無いご意見、ご批判を期待しております。                                                      

12月 31, 2009   2 Comments

同志、サラリーマン芸術家逝く

200912272143000我が家には数枚の絵が飾られている。ブロガー「山本冬彦」氏の薦めで、ある画廊のバーゲンで買った2枚のリトグラフであるが、その後一枚だけ本物の油絵を居間の一等席に飾る事となった。

偶然、I社のOB会主催の素人絵画展で発見した「ヴェニスのゴンドラ」を描いた同僚「S君」の絵だ。その数ヶ月前に訪れたイタリア・ヴェニスの風景を美しく描き出していた。

その感動をたまたま彼に伝えて、数ヵ月後、彼から個展を開く案内状をもらい、「是非あの絵を観にきて欲しい」とコメントがあった。

当然、「良ければ買って景気付けして欲しい」と読んだ。

軽く、(高々素人絵画と思い)勿論購入を前提に個展の初日におとづれたまでは、良かったのだが正直そこに書かれていた売価を舐めていた。(一桁、見誤った?)

すでに個展を開くという事は、彼はプロの画家であったのだ。(OB後趣味を卒業して本格的絵画の道に進み、才能を開花させていたのだ)

その彼から、「ある賞を頂いたので、貴君の絵もきっと値上がりするでしょう」と連絡を受けたのはほんの2ヶ月前。密かに、笑をこらえながら元気な彼の活躍ぶりを喜んでいたのに・・・。

金曜日に、仲間から商談中の電話に「S君の訃報」が、飛び込んできた。(信じられずにメールに切り替えてもらい帰ったら、残念にも事実であった。

先週の日曜日に続いての「大事な人」と永久の別れに出向くことになるなんて・・・。年末を前に、悲しすぎる休日が続く。

急を聞いて集まった同僚達と生きるべき人が「早く逝く」刹那について、どこか本気で嘆きつつ今、帰宅した・・・・。

「S君、あなたの絵は、十分に我が家においてその価値を放ち、輝いております。ありがとう! どうぞ安らかにお休みください。

この絵の価値は、僕に絵の価値観を芽生えさせてくれた最高の絵画として、永遠のものです。」   合掌

12月 27, 2009   No Comments

「坂の上の雲」と司馬史観・・・

クリスマス・イブの朝、ある銀行から極めて「遺憾」な電話が入った。

この件は故あって「後日」書くこととなるが、イブで浮かれる状況よりも、政権交代で「年越し派遣村」の年末は解消するかどうかを心配する今日を考えたい。

NHKの「坂の上の雲」を楽しみに見ているが、先週送られてきた「週間金曜日」(フライデーに有らず)に気になる特集があった。今なぜ「坂之上の雲」なのか・・・・。

サラリーマンの道にすすむ頃、進んで読み、はまり込んだ「司馬遼」」は学生時代の青白き「唯物史観」を否定し、生きる元気と働く喜びを運んでくれるに十分であった。

「竜馬が行く」に続く「坂之上の雲」の中に、企業戦士へのいざないがあったとは思わないが、果たしてそこにある「司馬史観」はどれほど歴史的真実を表現できていたのであろうか。

日本史を専攻はしたものの、明治以降の講義は全て省略の時代であった。(今でもそうであろうが、)江戸から戦後までは歴史の空白であったことは間違いない。そして、「東京裁判」記録を読み、先の大戦を考えつつ、その後は現実の歴史を歩んできた事になる。

幕末から日清・日露戦争を観たたのは「司馬遼」の中で創られているに過ぎない?

最近、半藤一利の「幕末史」・「昭和史」を読んだ時、どっぷりと浸かっている我が「司馬史観」に、ふと疑問を感じてもいたのだが、先の「週間金曜日」が歴史の事実と「坂の上の雲」に書く「秋山兄弟」や「正岡子規」の持つ背景のフィクション性を史実的に受け入れている自らに想い至るところがありはしないか?

日本の今日に至る歴史は、開国から、日清・日露と、2つの大戦を経て、我が戦争を知らない子供達へと続期、我が孫達へとつながっていく。

その(帝国主義的)歴史は、豊臣の世から、韓国・朝鮮侵略の歴史の中にリアルに存在し,常にその上にある「天皇制」の歴史を否定しないまま続いているし、全ての日本人の潜在性の中に生き続けているのかもしれない。

NHK大河ドラマは、おおむね良好に受け入れられ、決してその裏側から(被害者サイドの視点)で観るものはいないだろうし、楽しく受け入れている自分が事実存在するのである。

司馬遼太郎は、生前「坂の上の雲」の映像化を許可しなかったとも聞く。もし事実であれば、その理由はな変にあったのか?

なぜ今「坂の上の雲」か?に疑問を寄せる週刊誌も少ないだろうが、この種の刊行物が、確実に消えている無批判な世の中は、後何年後に「もと来た道」をたどる可能性を否定できるものではないだろう。

団塊世代の無益な抵抗の後、全てが他人事となり、無抵抗である。鳩山疑惑も年越し派遣村の抜本的解決策もみんな政治的他人事の劇場型(メデイア型)だ。

実は、今朝の電話も、なんらこの世が変わらない事の象徴として、腹立たしく感じるものであった。

虚しくも、楽しげなクリスマス・イブが終わろうとしている・・・・。

12月 25, 2009   No Comments

行政との(2度目の)バトル!?

、2つ目の保険会社の登録業務の認可を「ありがたく」いただいてきた。

「ありがたく」は本音である。不思議な事だが、わずか10秒程度のセレモニーを経て戴く、登録免許の交付式?を終えると「ありがたく」受け取る自分がそこにいる。

紆余曲折の末、ほぼ予定通り(実際にはたった?一ヶ月遅れ)の登録認定までの担当者の労苦を思うと「ありがたく」なるのであろうか。

少額短期保険業法に基づく関東財務局第55号認可であるが、偶然にも2回目のセレモニーという(おそらくなんびとも体験したことの無い)貴重な一日であった。

元々、法律に基づく権利の行使であるのだが、法解釈において、当局との微妙な違い存在したまま、手続きに入る事から、何度も調整(指導)が入った。(当局が金融庁から地域財務局へ業務の移管がなされている事で作業が止まることとなる。)関東財務局は埼玉(浦和)に存在するが、その窓口は東京事務所(湯島)となっている。

調整(指導)は、3箇所に別れて及ぶ事となる。これらは当然法解釈の違いがあることから発生するのだが、法的権利を得る為には、それぞれ事案によって、こちらが説明にお伺いする事になり、3重行政のような錯覚?を覚える。

登録事業の審査原則は、書面にて60日以内と法的解釈をしている側(こちら側)からすれば、常に審査上の不備を(こちらから)説明に伺う事と解釈しなければ、辻褄が合わなくなるのだ。

審査は綿密であり、おそらく「このブログ」にも何度かお見え頂いた様でもある。(したがって、うかつなことは書けないと勝手な想像をしたりもする。)

こうやって、法に基づく、事業認可を受けるのであるが、これからは、当然厳しい監督指針に基づいて、コンプライアンス義務が発生することになる。すなわち「ありがたく」その監督下に入りますと誓う為のセレモニーとなる次第である。

「官尊民卑」を受諾する気持ちが芽生える瞬間でもあるが、この構造にはどこかに間違いが有りはしないか・・・・。

行政は、法を正しく執行することで政治を行う公的機関であり、正しい法の解釈について等しく主張する権利はこちら側にも同等にあるはずだ。

その権利を(恐々ながらも)当然の如く行使することで、2つの保険会社の事業認可は、間違いなく、いずれも「最速」認可を得たのであろう。

主張した事は唯一つ、民間においては「時は金なり」

認可遅れが発生するとそのコスト付加が被害(損失)ともなり、法的には株主代表訴訟の対象となるかもしれず、さもなくば国家賠償責任となるかの「真剣勝負」なのです!

このような(変わり者)事業者の存在に戸惑う当局と、震えながらも、こんな経験を2度もする光栄を行動のエンジンとするまじめな事業者のバトルであったかもしれない。

いずれにせよ、事業認可は事業開始ではない。(なぜか供託金1000万を差し出して、次に・・・、ハードルはまだまだ高い!)

法的解釈に若干の相違があるまま、当局の監督下に入る事となる。

相手は誰もが認める「法のプロ達」である。しかし法の元に平等な権利、義務があり,こちらも小とはいえ法人の代表者である。

さすれば相手の代表者とも「平等な権利」を有するはず!。

問題はこの場合、相手の代表者は誰なのか?。総理大臣か、金融庁長官か、関東財務局長か・・・。

今日「有りがたく」別室にて、登録証を授与いただいた方は、関東財務局「次長殿」であったが、きっと代理人の代理人の代理人であろう?(すごい個室ではあったが・・・)

生死を賭ける(民間)法人の責任者の「貧者の一刀」で得た正当な権利を果たすべき義務が、次に株主に対して発生する。その緊張感が「ありがたさ」となり、武者ぶるいとなったのだろう。

(わずか10秒の為の今日の疲れは、一体なんだろう)

12月 22, 2009   No Comments

末娘「ありさ」

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末娘のシーズー「ありさ」は確か13歳!

兄姉3人のファーストネームの頭文字を頂いた「ARISA]は、唯一いつまでも家をでていく事はない。

たまに、兄姉達が帰る時は、その匂いで先に玄関へ迎えに出て待つが、毎日帰る父親だけは、なぜか最近無視されている。

だが、たまに一緒に散歩に出ると、どこへでも威張ってついてくる。普段なら女同士なら、いつもの同じ道しか歩かないくせに!

全く、愛想を振り撒かない「ありさ」の生き方の持つ「可愛さ」には、感動させられる・・・

(ブログへの最初写真添付チャレンジは、「こいつ」の写真と決めていたけど、果たして「美人」でデビューできるかどうか??)

12月 20, 2009   No Comments

リクルート事件の虚実

身近、発生したある経済事件をきっかけとして「リクルート・江副浩正の真実」をつまみ読みした。

ごく普通のぼんぼんエリートであった「江副浩正」が、地獄の「113日」を書きおろした新刊書に目が止まった。当たり前の話ではあるのだが、正直かなりのショックであったのは、身近な事件と重なったからかもしれない。

きっと彼には、政治家たちを収賄する気等無かったに違いないし、悪徳政治家たちも贈賄を受けた気など無かったはずだ。

それでも世論(マスコミ)は、検察(特捜)と一体となり、多くの犯罪者を(有罪として)輩出した。裁判所も同調したこの大事件は、結果として、日本のバブル退治には大きく貢献した皮肉な結果を生んだ。

ごく普通の人のいい「ぼんぼんおじさん」が多少の先見性によって大金を掴み、群がる政治家たちに有り余る金をもてあまし、バブル株券にして、プレゼントする事によって、多少の社会貢献(政治献金)になると勘違いしたあたりが、事件(事故)の実態であろう。

政治家たちもバブル景気の中で、当たり前の浄財(政治献金)として、気がるに受領したが、特捜は、密室の中で司法取引と脅しによって、贈収賄の自白調書を作り上げた。世論はマスコミに乗せられ、その偽造調書に正義を求める。裁判所は、自白以外に立証不可能な政治事件では、無条件に調書を採用し、有罪とするものらしい。(内容はリアルで迫力ある描写として綴られていく。)

密室における自白など、ごく普通の人間であれば、当たり前のように創作できるだろう。全く身に覚えのない殺人行為でさえ、自白させるのであるから、経済事件では当然の帰結となる。

この場合の真の被害者は、江副氏の収賄自白により有罪とされた、悪徳政治家達である。お互いに全く犯罪意識も、悪気も無く、ある日突然天国から地獄へ落ちていくさまには、裁判の公平性にも大きな疑問を抱かざるを得ないし、その過ち?を裁く手立ては存在しないのも不思議ではある。

最近、取調べの可視化が叫ばれ、実行に移りそうではあるが、一方のマスコミ裁判所の暴力は、益々繁盛するばかりである。

本来、マスコミの使命は反権力の視点で捉えるべきものであり、決して中立の視点などありえないのが民主主義時代の常識である。

マスコミが権力となり、政治を作り、時には裁判さえ行う現状は、最悪のマスコミ資本主義となり民主主義を貶め、大衆迎合の視聴率優先で挙句の果ては、政治までリードする。

(最近では二人の女性政治家(落選・マスコミ推薦)が読売「ナベツネ」に大臣推薦依頼をした実話も某政治家(当選)から聞いた。)

特捜の恐ろしさの立証性は、この本で摘発する検察(特捜)にさえ、個人的には、いい人たちだったと弁護して終わらざるを得ないところにある。一時は自らを死追い込むほど苦しめた悪魔のような主役達を、「いい人」と思えるとは、決して思えないことからして、この本の検事達の人格を擁護することで結末とする事こそ恐ろしい。

身近に起った経済事件に、はまり込まなかった自らのリスク判断を褒めるべきか、偶然巻き込まれずに済んだだけで、一つ間違えば、恐怖の100日間程度は、いつ起るか解らない時代である事を覚悟して生きることが必要であろう。

リクルートは数多くの犠牲者を出し、日本のバブル経済に警鐘を鳴らした。

サブプライムバブルでは、未だ独りの犠牲者も出てはいない。すなわちバブル崩壊は未だ成立していないのだろう。

真犯人が正しく摘発されて、その巨悪が裁かれる日が必ず来る事を期待する。

次世代に大借金を付回しとし、これだけの格差社会を実現させ、マスコミを完全堕落に追い込んだ犯人達は、総括を受けるべきであり、その犯罪の大きさは、後の世に世代的傷跡となり、立証されるのだろう。

その再建は、「先の大戦」以上の犠牲と荒廃の世からしか生まれない???。

12月 19, 2009   No Comments

我が同志静かに「逝く」

何と無く予感はあった。

それだけに会いに行けなかったことを悔やみ、後悔する。

彼との出会いは、初めて本社部長として赴任した時であった。「兎に角業務系に強いたたき上げの現場畑の人材が一人欲しい」と我が儘を言った。ある人の推薦がAさんであった。

彼は3年間、本当に地味ながら、期待通り(いや以上)の活躍をしてくれ、沢山の仕事を残してくれた。(その業績だけは、今も地味ながら厳然と生きている・・・)

最も大きな仕事をしたと自己評価できる時期でもあるが、一般受けはもう一つであったかもしれない。(表現が下手な上司でもあった)

彼との次ぎの出会いは、合併を控えて、再び本社に戻った時だった。

現場業務の部長とそれを管理する側の部長・・・。すでに合併スケジュール上にある極めて微妙な時期だった。

現場の声を聞く名目で、たまに(内緒で)サラリーマンには厳しすぎる麻雀卓を囲んだりしていた。

突然彼が「辞表」を出したことが伝わってきた。

あるコンプライアンス問題で、責任を取っての辞表提出であった。それを聞いた時、その足で彼の自宅へ訪問した。(・・・というよりも、気が付くと、彼の自宅前にいたが正しい。事情は何も理解していなかった)

彼は、その責任を自覚し、退職の意味を十分に認識もしていた。

言わば、確信犯であり、コンプライアンスを監視する立場を承知の上で、自らもその事案に加担していた。しかし、彼にはそれを行うことが正義であったのだ。

はっきりと彼は事態を理解し、十分にお世話になった会社に感謝しつつ、身を引くべき時と考えていた。

説得しながらも、提出され、発表されている辞表の重みに考えあぐね、当時の社長に直訴することとした。「会社の宝を失います」とその場から当時の社長に連絡し、快く彼との面談(説得)の応諾を頂いた。

その後の経過は知らない。が、彼は職場を変えて、復活してくれた。

一昨年、彼は大病をし,面会謝絶の危篤状態を味わっている。その後大好きな酒とタバコと麻雀を止めたと聞いて、安心するとともに、そろそろ「完全退職」を薦めたのが、この春だった。

彼は酒好きでアルコール依存症気味と人は言うかもしれない。それは違う。彼は本当は酒が飲めない体質だ。(僕と一緒なのだ)

それを社命として浴びるほど飲ませ続けた上司がいる。その時も彼は死ぬほどの悩みを抱えていた。仕事は人の2倍もできる。但し、酒とタバコと麻雀は彼から切り離せないものとなっていた。

後半戦は、ぼろぼろの体のまま、独り静かに、淡々と仕事をこなしてきた。彼の「職人はだし」の仕事振りは、万人が認めるところであろう。誰からも、尊敬され、愛される人でも有った。

私にとっては、人知れず「静かな同志」として互いに理解しあっていた関係と信じている。

「いつでも呼んでください。必要であれば手弁当で駆けつけます。」

・・・・独立後の何よりも強い心の支えとなる言葉であった。いつか再び仕事ができる日が来るかもとかすかに全快を願いはしていたが・・・・。

Aさん、

あなたは「大東京」が生んだ生粋の職人であり、決して消える事の無い仕事を「業界」に残した人でした。多くの人がその功績を静かにたたえているでしょう。本当にお疲れ様でした。

あの日、もうゆっくりしたいというあなたの希望をかなえるべきだったのでしょうか?それならば、本当にお許しください。(あなたはやさしく許してくれていましたよね。

「感謝は忘れません」と言ってくれました。

・・・・Aさん、その言葉に心から感謝しております。

遅すぎたのかもしれません。「やっと心配ばかりさせた「かみさん」さんと温泉にいけるようになりました。」といってからどれほどの時間が持てたのでしょうか・・・・

天国では、お酒は控えて、タバコと麻雀を思う存分お楽しみください。

そして、安らかにお休みください。                          合掌      

12月 18, 2009   2 Comments

郵政民営化を止めた男「城内みのる」講演会

小泉チルドレンの象徴「片山さつき」を無所属で倒した「城内みのる」の講演会(勉強会)に「数あわせ」で出席してきた。

勿論、郵政民営化をどう捉えるべきかが講演の第一テーマ・・・

彼は当初、郵政民営化に賛成だったと語りだした。

反対派のオルグにあい、地方の声を直接聞いて廻ったら、いつしか日本における郵政事業の特殊性と必要性について自らの頭で(信念として)理解したという。

しかし民営化反対の新の理由は、当時の竹中新自由主義に基づく、米国保険業界の圧力が「衣の下にある鎧」として見えたことが、徹底抗戦を決意させたのだと本音を語り、その本質(竹中路線)についても理解したようだ。

小泉=竹中路線とは、竹中「アメリカご都合主義」(彼は米国人?)であった。

米AIGの政治力は、それほど絶大であり、サブプライム不況の現況でもあると以前、ブログにも書いた。

実はもう一つ、竹中ーAIG路線で潰されたものがある。この件を、セミナー後、城内氏に質問してみた。

「郵貯、簡保と同様に潰されたものに、日本古来からある「共済」事業があることはご存知ですか?すでに「共済は保険である」との強弁を米圧力をベースに竹中金融担当大臣は、法律改定しているんですよ。簡保100兆に比べると、高々2兆円程度のマーケットでしか無いのですが!・・・」

城内氏は、「さも、あらん?」と頷きながらも、「いや知りませんでした」とメモを取った。

驚くことに、応援団があらわれた。偶然聴講に来ていた自民党のプリンス「加藤紘一」の政策秘書氏であった。加藤氏とは今月2度ほど、お目にかかっていたし、この人こそ自民党を唯一再生できる人であったのに・・・と密かに感じていた人の秘書さんだ。

秘書氏は、偶然にも元同業のあの「T社」から加藤さんの秘書へ転出したということだ。すでにこの問題で、加藤事務所では研究をしているとのことを講演後に聞かされた。

「おそらく問題の捉え方が小さいと思いますよ」と調子に乗って、我が持論を展開した。

だって、偶然にもその日、ある団体の依頼に基づいて、ロビー活動を民主党に提案したいという要望の為、纏めていたレターを手持ちしていたし、つい1時間前まで、熱弁を振るってきた所だったのだから・・・。

セミナー終了後、「自民(加藤)、民主仙石、国民新(亀井優)、無所属(城内)の超党派で議員立法化しませんか。「共済」は保険ではありえません。新たな「共済法」の制定が必要です。」・・・・。

わずか10分の会話であったが、この偶然は法律を作ってしまう可能性を秘めているかもしれない。(ついでに、土曜日は社民の阿部政調会長の講演会(富山からトンボ帰りの理由9、その前々日が、故あって自民の後藤田さんのお付き合いパーテイ・・・)

大きく「ラスト・ラン」がシャンクすることも懸念するが、人生なんてそんなものかもしれない。

だって、こんなに政治家と出会う機会が急激に増えたのは、筋書きなど全く無い偶然のお付き合いの産物なのだから!

(嘘じゃないよ、この偶然、勿論62年間で始めて!政治(家)ほど嫌いな職業は無し)

12月 16, 2009   No Comments

充実ブログに目眩の日々・・・

床に就けば、書きたい無駄話が湧き出て寝不足気味。

やっと眠れば、売れっ子作家の如く「締め切りですよ」と編集長の声・・・

別途メルマガ(4通済み)には、「長すぎる」と励ましのポーズに入れてブーイングが見え隠れ・・・

でも、これほどの充実ブログ(除くエイジにてマジそう思う!)がどこにあろう。内容抱負で追いつかない読者も多いだろうが、信に勿体無い。(新編集長の功績大!)

連載小説は中ほど(佳境)か??。

未だに作者と勘違いして、「励まし」や、「落ち期待」が内緒メールで届くが、作者でもなければ、カッコ良すぎる「田代さん」でも無いから、行く末など知るはずも無い。(勿論作者に一読者としてクレームはつけてはいるけど・・・)

どこまで、発展するか「新プレミアム・エイジ」 広告掲載依頼が来るのは10年後??

それまでは、皆さんボランテイアの自己満足と割り切って・・・

でも、きっと静かに誰かの役に立っていると信じて、、、、

ブロガー各位に深甚なる敬意を表しながら、リタイアを考えてしまう自らの「不徳」に恥じ入る日々でもあります。

12月 14, 2009   1 Comment

富山「高岡にて」

所用で訪れた「富山・高岡」は、いずれも生まれて初めての地であった。

古い友人は「高岡の「風の盆」は、日本の香が残る唯一の祭りだ」と話してくれた。彼は、この地をラストランの場所として、今年の春から老骨?に鞭打って単身赴任を始めていた。

大学にて一年後輩の彼は、今年からある上場会社の社長に抜擢され、その後直ぐに銀座の本社を高岡の地に実質移転を決定したのだ。

数年前、久々銀座で彼と飲んだとき、彼に社長の役割が廻るのでは・・・と感じながら、「この厳しい時代の社長業は、個人的には損な役回りだぞ・・・」と無責任なアドバイスをして別れたが、それから一年で現実の姿となっていた。

彼の持つヒューマニズムと実態経済の厳しさが、余りにもアンマッチでもあり、苦労の耐えない「ラストラン」になるだろう。

高岡について直ぐ、まず工場見学をさせてもらい、しばらくは質素な社長室で事業の現状を聞かせてもらった。

彼は、会社の実情を全社員にメール等で公開しながら、社長としての日々の感慨等を伝えているらしい。

何通かの「マル秘メール」を土産に所望して、高岡にて一箇所だけどこかに連れていってもらう事にした。(彼はその日の午後を休暇としてくれていた)

高岡山「瑞龍寺」、(写真が欲しい)

加賀二代藩主「前田利長」の菩提を弔う為に、三代「利常」が建立した江戸初期の禅宗寺院建築の代表的建造物ということだ。勿論その多くの建物は国宝であり、重文であるらしい。

あいにくの雨もその荘厳さに加味され、改めて日本美に包まれた周辺の庭などを含めた全体像のすばらしさに感動しながら、訪れるはずの無かった高岡の地にも、ひっそりと日本独特の建築芸術があることに妙に勇気付けられたものだ。

(デジカメと写真アップ技術の必要性を感じながらも、その感動は、常に現場と一体なものであり、その時々の個人的状況(感覚)でしかないであろうと言い訳しながら・・)

その夜、富山駅からタクシーで30分ほど北にある「岩瀬の浜」で磯料理をご馳走になった。(あの北前船で栄えた当時の面影を残す「「松月」という料亭だった。)

勿論、会社でよく使う所ではあろうが、あの硬い後輩が、今日を社用にするはずも無い。(「困ったものだ。そんなに持ち合わせもないし、俺に払わせるはずも無い・・・」)

大量の刺身の盛り合わせが出る。「いや、さすがに絶品!」

続いてでてくる珍品の数々、質量共にすごい。

心配する顔を見透かしたのか、後輩がささやいてくれた。「古宮さん、これで一人前、一万程度だから、ご心配なく・・・」

嘘ではなかろうかと帰りに「請求書」を確かめて、帰りのタクシーでの強気の会話・・・

「銀座なら3万以上、それにしても喰いきれない。もう少し、量を落とさせろよ・・・。それにしてもあの質量なら、富山までの飛行機代も高くないな!お客には、料金は内緒がいいぞ!」と威張って見せた先輩の情けなさ。

そのまま、後輩の単身先のマンションで泊まり、夜中まで飲み食い。

パジャマ、布団をそのままに、翌朝の仕事の為、全部放置して、早々に帰途についた。(大社長は、せっかくの休みの土曜日に、独りあれをかたずけてくれるのだろう。)

土産の「社長のメール」コピーを飛行機で広げ、彼の仕事にかける情熱と社員達を思う心に思わず、感激の涙を抑え、古い友(後輩)の大きな度量に大いに元気を頂いた。

彼は「河合継之介」にその想いを馳せ、創業者の言を引用し、社員とともに伝統の事業の維持、発展に向う意義をメールで訴えていた。

全国を駆け巡りながら、日本の歴史を尋ね、たまに横浜に帰ると借りものの小さな畑(菜園)いじりが楽しみだという。

物静かな、偉大な我が誇るべき「後輩」の中に、今の日本の経営者に必要な素養「河合継之介」の東北武将を重ねてみた・・・・。(司馬遼太郎「峠」より)

12月 13, 2009   2 Comments