Posts from — 2 月 2010
「花嫁の父」体験!
「話が違う」と叱られそうだ!
昨日、無事長女の結婚式を終えた。ブログでは大した感慨など無いとうそぶいては見たものの、初の?実体験は随分違ってた。
「花嫁の父」とは、「花嫁」とともに人生最後の「主役」を演じることであった???
「バージン・ロード」を娘とゆっくり歩いて行く。
ご丁寧にリハーサルをやらされる。「ハイ、ハイ」と係員に適当に合ずち・・・長年の経験は全てアドリブの世界で十分!
いざ、本番においてその入り口にたった途端、参列者の大部分の人達からフラッシュの嵐、戸惑いを隠せない。
(こんな体験は初めてでは・・・・、まるで自分も晴れの主役の一人と戸惑うほど)
突然、腕を組む娘の足が急に止まって、進まない。
そっと教えてやる。「左足からと決めただろう・・・」
娘が耳元で、囁き返す。「お父さん、お辞儀、お辞儀・・・・」
照れ笑いは、参列者に「ばれてしまった」だろうか?、
二人で深々と頭を下げて、まっすぐに前へ進んだ時には、当初の余裕は失せていた。わづか10メートル、10秒ほどの出来事が,長い物語の一ページへの「移り変り」となってしまっていた。
二人の手作りの披露宴のシナリオは、手が込んでいた。
来たぞ、泣かせるシーン・・・新婦の両親への謝辞!
決して、泣くはずも無い、すでにそんな覚悟は「10年も前」に終えているのだから・・・。
母親には、沢山のありがとうがあるはずだ。
父親にはどうお世辞にしろ表現すすのだろう。興味深々で聞き入りながら、思い出していた。
「娘にさえ、父親の「働く後姿」しか見せてこなかったかも知れないなあ・・・・」と短く反省が頭をよぎる。
娘は図星に言い当てた。
「そんな父親の影響を受けて育った自分が今ここにいることを感謝する」とまとめてきたもんだ!
負けである。 涙が心の中でどっと流れる悔しさとうれしさの困惑!
振り返れば、花嫁の父は、確実に晴れのその日の「もう一人の主役」となっている。
最後のご挨拶を新郎側にお願いして、全てのおいしいところを持っていく。
本当は、「新婦側はあくまでも脇役であるべきだ」との思いが果たせず、新郎側のご両親に申し訳なさが残る。だがその役割はすでに2回の経験済み?
「花嫁の父」が、晴れがましい主役になる「魔法」のような経験を受けた娘に感謝して、訂正と正直な実感のご報告でした。
最後に、その日の朝まで新たな門出を自ら演出したプロデイレクターの「新郎」に感謝!
テーマは「結婚とは家族の創造」であったと解しましたが・・・・。
2 月 28, 2010 2 Comments
高村弘樹の「ラスト・ラン」が気にかかる!
「ラストラン」はマラソンの如く・・・・
小説「ラスト・ラン」は怒涛の全速力となり、サドンデスで幕切れとなった。最近公私に渡って超多忙な日々が続く・・・(ブログやメルマガもおろそかになる「言分け」?)
その最中、明日「娘が嫁ぐ」日となった。
世間で言うほどの特段の感慨は起らない。
その日の父親の心境を謳う歌詞に涙するかっての思いが嘘のように・・・
元々「血縁感」が薄いのか?
そういえば、息子達の時も、近い親戚の結婚式に出向く程度の感慨であったかもしれない。
次男坊の時、父親の挨拶を途中乱入によって、アドリブでこなした名演説は数少ない我が逸品とする程度の馬鹿げた印象が残る。
精一杯格好つけたかった長男の結婚式が、全く何の相談も無く終わった事の後遺症か?
明日を待たずして、先に娘の同棲を了解した時から、その日の感慨を失ったのか・・。
兎に角、式場を「娘と歩く」役割は御免被りたいと想うのが、本音とは何たる心境か!
これで、全員が片付く事に違いないのだが、思えば、それぞれを「大人」の存在と認めた時、親子の情は「べつもの」に変わっていた・・・。
どこか、異常?
娘とのたまの会話が、社会人として、仕事に対する心構え・・・。
娘が社会に出た頃、「いやなところがオヤジに似ているみたい・・・。」とのつぶやきを喜ぶべきか、悲しむべきか・・・。
別に嫁に行こうが、行くまいが好きにしたら・・・も、おかしい考え方だった・・・。
兎に角ラストランをマラソンペースに戻さなくては・・・。
似て非なる小説の「サドンデス」が気にかかる日々の「脱出」を目指そう!
2 月 26, 2010 No Comments
超長編小説掲載お疲れ様でした!
「団塊世代が行く」(ラストラン)が72回の掲載で完結した。
高村さん、お疲れ様でした。長編の為、掲載スピードに着いて行けなかった読者も多かったようですが、急がなければ、終わらなかったほどの大作となりましたね!
その大作に批判的感想など、とてもかけませんが、エピローグにおいてこの著作が、作者の強い政治的主張でもあったのだろうと感じました。日本をより政治的に発展させる為には、議会制民主主義から直接選挙制と大統領制に変えるべきだとの意が伝わってきたように感じましたが・・・。
主人公の「ラスト・ラン」が突然の非業の最期で終幕を迎える結果は、それまでの順調すぎる彼の人生を突然の「死」でクロージングさせたところは、きっとその全般の長さの故、結びをあせりだした結果であったゆえではなかろうかと推測するのですが・・・・。
そこで、ラストランをもう少し引っ張る為に(但し前半、中盤を大幅カットを前提に)こんなシナリオはいかがでしょう?。
まず、主人公の立つ選挙は直接公選の次ぎの東京都知事選、相手はあの現東京都副知事「猪瀬直樹」ではどうでしょうか?
大統領制への移行には、憲法改定他様々な法改定手続きが必要ですし、何よりも選挙民の政治的能力の向上を目指す事も必要です。その為には、首長公選をその前哨戦として、互いに地方主権へのステップを同軸年ながらも、議会制と大統領制で戦う事で、よりリアリテイがでてくるのではないでしょうか。
結果、主人公は惜敗し、同時に脳溢血か何かで、その後寝たきり状態となるが、その意志を看病しながら息子が引き継ぎ、次ぎの京都市長選に出馬、ライバルであった猪瀬氏(都知事)もその後主人公の意志に共鳴し、地域主権と首相公選制への移行という「薩長連合」が出来上がる。大阪、横浜、神戸、埼玉が共闘し、革命的政治転換で完全に政治体制は地域主権(道州制)国家と変貌し、再び日本の栄光が蘇る。(同時に国家官僚体制持ち息分散で崩壊)
この間、主人公は、痴呆性が発展し、現実が全く見えなくなるが、その掲げた理想は確実に現実化していく。
地域主権と首相公選で市民の政治意識と議員の政治力も大きく発展し、今後必ずおとづれる高齢化時代への警鐘にも繋がるかもしれません。主人公の持つ悲喜劇願望?を満足させる「ラスト・ラン」はマラソンの如く、長く、苦い老後をも予感させる厳しいものであっても致しかた無いでしょう。
団塊世代の驕りに警鐘を鳴らし、現実的未来の厳しさを想定させる事も大事かもしれません。
以上、生意気な感想を記しましたが、この長編ブログ小説へのチャレンジの快挙を心から祝福する意味で、(エイジであるから言える?)個人趣味を書かせて頂きました。
それにしても、最近、なぜか団塊世代の「居座り」が、最悪の社会現象となりそうな、いやな予感がしております。(自らへの戒めも含めて・・・)
2 月 20, 2010 1 Comment
石川好美著「中国という難問」
以前、石川氏の講演について触れたが、あえてその内容を書かず、脱線させたまま終えた。彼の講演の基礎となる著書が「隣の大国が崩壊する・・・はずがない・中国という難問」であり、昨日読み終えた。
中国は、海外訪問数においては最大(10回程度?)であっても、不思議な事に観光旅行の体験がない。60過ぎて一人旅の絶好の地域として、その(観光)チャンスを狙ってはいるが、実現の目途が立たないでいる。
そんな中国の持つ難問を石川氏は、中国奥深くまで入り込み、言わばマニアックにまで、切り込んでいる。
まずはこの国の持つハード面における難問として、世界一長い国境に加えて、その接点を持つ隣国の多さを挙げている。地続きで実に14カ国と国境を接する国は、中国を置いて他に無く、その境界防衛の為の軍備は、考え方によれば、まだ手薄なのかもしれない。
侵略の歴史を加味するなら、中国の軍拡はまだ無限に拡大する事を考慮しておく必要があるのかもしれないし、それが経済発展の礎となるだろうことは、アメリカ経済発展の歴史からも想像できるものだろう。(エイジの感想)
次ぎの難問は他民族国家と少数民族自治区における自治区統治問題であろう。
中国は世界で唯一の少数民族保護を憲法に規定している国であるとのことだ。これこそが、中華人民共和国憲法の真髄であり、毛沢東の考え方の根源がここにあるのだという。しかし、毛沢東の意思は別として、民族自決の紛争は多発している。国際世論においては、これらの弾圧に対して厳しい視線で批判されるところでは有るが、中国共産党にとっては、ごく自然な国内問題として、当然の取り締まりであるらしい。お互いに憲法で保障される権利の行使であり、そこに自治区としての存在圏を認める理由でもあるという、理解しがたい理屈が当局側としてあるらしい。
56の多民族を抱える「国民国家」の建設は「毛沢東」による国家建設の理想であり、漢民族支配で統一仕切れなかった民族覇権主義の終焉を狙う「独自共産党思想」こそ「毛沢東」の存在感であるという。
その後登場する「と・しょうへい」のコンビはコピーライターとしての二人の能力の結集体の傑作であると石川氏は言う。
最後に、あの広大な土地をただ一人(共産党)で支配する国家「中国」の経済的発展は、資本主義の盲点に目覚めた結果、永遠の発展を遂げる可能性が高く、決して崩壊するはずがない・・・。と氏は括るのである。
私も中国を訪れるにつれ、その偉大さと奥深さは、この国を無視する形での日本はありえないと遠い将来を危惧するところではあった。すでにアメリカ中心経済(防衛)では、日本は必ず行き詰るであろうし、日中の歴史の真実を明確に理解しないまま、日本がこれ以上、村山談話や細川談話で茶を濁すべき時期ではないだろうと想うのである。
中国との関係をどう作っていくのかについて、「左右」の区別無く現実的事実の視点に立って、歴史を総括する事が大事であり、その上で方針を決めなければ、情緒的判断やその場しのぎの決定ではこの国の歴史に大きな、取り返しのつかない禍根を残すのでは無いか?と考えてしまう。
石川氏のいう「中国という難問」は日本にとっての難問では無く、中国固有の難問である事から日中関係を理解するべき事柄なのであろう・・・。
2 月 10, 2010 No Comments
高城剛の「オーガニック革命」
映像作家「高城剛」をご存知の読者は少ないであろう。
映像作家すらよく理解できる職業ではないが、彼はこの業界を「ハイパーメデイアクリエーター」と命名して、メデイアデビューし、その面でも大成功・・・。
女優「沢尻エリカ」の夫としても有名な新世代勝ち組みの典型でもある。
彼の著書は、2冊目であるが、いずれも息子からのプレゼントであり、正直、難解すぎて読みこなせているとはいえない。一冊目が「エコ」{グリーン)がテーマ、今度は「オーガニック」である事から、「何かを嗅ぎ取れ」との息子のサゼスチョンだろうが、中々難しいのだ。
高城剛は時代の成功者として、「エコとオーガニック」を自ら実践し、すでに次世代人として、世界へ飛び出しているらしい。
IT時代の旗手であり、現代若者のオピニオンリーダーであろうが、いわゆる市民運動的エコや無農薬食品とはほど遠いはずなのだが、一人その実践者として、読者に訴える書物は、「家を捨て、荷物を捨て、海外へ飛び出そう・・・」、は理解を越える。
「オーガニック革命」の先達は、わがスポンサー企業である「大地を守る会」の30年前から続く専売特許のスローガンである。
大地を守る会は「オーガニック」を唯一の企業テーマとして、首都圏を中心に約10万人利用者(会員)を保有している。絶対安心食品を会員に提供し、且つその味の魅力も相まって、益々組織を拡大している。
我が家も、実は40年に渡るオーガニック主義家族である(事を最近知った)。かみさんの生協活動暦は40年、どこへ行っても生協が、我が家の主食を賄ってきた。(おかげかどうか、家族は全員元気に育ったことは間違いない様だ)
生協にもいろいろあり、どこを選択するかで、例の「毒入り?餃子事件」や「ミートボール事件」にも巻き込まれるようだが、これはどこまで「オーガニック」へのこだわりが強いかという生協の選択によるらしい(生協にもいろいろあるのだ)。
安全なオーガニック食品にこだわる「大地」の食品が我が家の食費シェアを拡大しつつあるのは、コストと味の微妙なバランスが影響しているが事実である。
「大地を守る会」では、エコ活動として「フード・マイレージ」運動を提唱している。いわゆる「地産地消」の推奨によるエコポイントを設定し、国内農業奨励と食糧自給率向上を狙う「一石三鳥」の運動だ。
話を「高城剛」を戻そう!
彼はあの美人女優を連れ「書を捨てて、(パソコン一つ持ち)町を出て」ヘルシンキにて「オーガニック革命」を書き上げたらしい。
なのになぜか、ロンドンに起る「オーガニック革命」の現状をレポートしている。
サッチャーからブレアを経て、イギリスは再生し、いまやスローライフに戻り、次の時代へ移行している現実をレポートしたものだ。自らも「オーガニック」こそ次代の経済の基本であろうと、生き方を変え、マジに予言するのである。
金融資本主義の次に来る時代が、イギリス、ヨーロッパに起る「オーガニック革命」として捉え、優雅な生活を謳歌しているらしい。
「オーガニック」とは、より人間的本質を意味し、ライフスタイルそのものを指すのだとの彼の主張が、飛び越えて聞こえてしまうのは、世代の違いによるものだけなのかどうか??。
勿論、彼のクリエーターとしての作品を見たことは無い(いや、コマーシャルビデオか何かで沢山お目にかかっているのかも・・・)
2 月 7, 2010 No Comments
金融行政の「実」は?
ある筋から、「非公式」に問い合わせが入った。
「ふれみやさんの主催する会社は大丈夫ですか?ブログを拝見しておりまして・・・」
「勿論、大丈夫ですよ!だから立場を明確にして、書いていますし、その理由も書いているつもりですが・・・」
あわてて、もう一度その趣旨を理解していただく為に説明し、その意味と主張は十分にご理解をいただけたものと思うが?。
エイジが何者であり、その実態がいかなるものかは、ほぼオープンである事から、一連の事実指摘を実名で行ったのだから、別段驚くことでもないのだが、某氏が確認するべき事実が違いすぎはしないだろうか。
実は、驚くことに、指摘を受けた事実が、「全く正常な状態の事業者の窓口がサービサーに移るはずは有りません。実態は不良債権者であり、すでに大きな延滞事故を起こしているのではありませんか?」と「非公式」に確認されたのだ。この問題の本質が理解されると思うのだが・・・・。
「よく読んでください。そうじゃないと書いてあるでしょう。もし、そうであれば、ありえる処置なくらい多少金融機関を齧ったものとして、理解できますよ」
実業家にとって、金融機関の血流が切れる事は、勿論命取りとなる可能性を秘めていることは、承知した上で、ほぼ実名で一連の指摘をしてきた訳だが、いくらその自信があっても、今日受けた質問はショックであり、正直恐怖感が走った。
ありえない事実が現実の中で起っているからこそ、金融行政の「実」を信じて、行動しているつもりであるが、きっと今日のご指摘について、残念ながら誤解が解けたとは、思えない。
「確認すべきは、銀行サイドの実態でしょう!」との指摘に付き、ご理解いただけた(と信じる)が、「銀行がそんな仕分けをするはずはない」との解釈がなされているままなのかもしれない。(当社をどうぞお調べください。いや全てを提出済みですよ!)
すなわち、「引くに引けない」危険なブログとなってしまった。止めると圧力に屈するパワハラが成立し、問い合わせは「公式」の意味を持つことになる。しかし続ける事で、「非公式」なアドバイスがひょうたんから駒となり、某銀行の実態の可否が浮かび上がることとなるかも知れない。
「当社の現状に十分なる自信があるからこそ、ほぼ実名で投稿しているのであり、ほとんどの中小企業は泣き寝入りして、金融支援法などいくら行政が準備してくれても、救われない典型的指摘が、この「非公式」な確認事項なんですよ。モラトリアムを相談に行った途端に不良債権企業群に入れられる恐怖(決して貸出先とはならない)を理解して、行政は中小企業金融支援法の「虚実」を監視すべきです!」
政治も行政も「弱い中小企業を今こそ支援します。何なりとご相談を・・・。その為にこんなに資金(国民の税金)を準備しています。」と高らかに公開してくれている。
きっと「誤解」は解けてはいない。
「金融行政の「実」を信じています。その為の行政をお願いします!政治が変わったことを実感したいのです!」
「ふれみやさんの主張はよくわかりました。ありえない金融機関の実態があることも・・・」
これが「非公式」なやり取りの最後の会話であったが、高々塵のような中小企業家の「独り言」が、最も大切な「血液」の道を絶つ「暴挙」となりはしないか・・・・。
孤独(独りよがり)な戦いは、ボランテイア活動にすらならないとの「冷笑」の声ばかり聞こえるのも事実!!!
関係者の皆様!生きる為のリーガルチェックと心強い指導に基づく、「貧者の一刀」と是非ご理解、ご安心のほど・・・・
2 月 2, 2010 No Comments

