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Posts from — 3月 2010

ツイッターとブログと世代の関係

鳩山さんも、猪瀬さんも「ツイッター」を始めたという。

ツイッターを「我が世代」が始める意味は、なんらかの「思惑」や違和感を感じてしまうのだが・・・。

最近、息子から、親父のメールやブログは長すぎて、意味不明だと強い指導を受けている。「チャット」や「ツイッター」と「ブログ」は同意語か・・・。

デジタル世代の専売特許がこれらであるとするなら、せめて「ブログ」は、アナログ世代が、奪還するべきであろうと密かに息子に反発を強くする。

最近のデジタル世代は、往々にして、文章の行間を読まない。

したがって、想定や予見等する機能が衰退してしまう傾向を感じる。全ての「オヤジブログ」を「言語明瞭意味不明」と斬って捨てる。

チャット世代は表現がストレートなものだけが、読まれ、理解される。

自らの主観で解釈を予見する力と発想力を大きく減じていると感じるのは、歳の所為、それとも歳の功?

確実に、日本文化と国語力の低下傾向が起っており、想像力や自己判断力、決断力を退化させると年寄りの説教を小声で訴えてみる。

一方で、短いブログへの憧れと努力を影で、チャレンジしようとも考えるだらしなさも歳の所為、はたまた経験的アドバイスの言分け?

3月 27, 2010   No Comments

姜尚中著「在日」

姜尚中氏の「在日」を読む。

彼のファンになったのは,テレビの「朝まで生テレビ」で淡々とかつ確信を突いて話すその画面を見てからだった。単なるミーハーであり、ごく最近になって何冊かの彼の著書も読んでみた程度のものであったが。

在日二世の「エリート」程度にしか認識していなかったが、この連休で買いだめの為立ち寄った「ツタヤ」にあった彼の著書「在日」のタイトルが気になった。

「在日」とは在日韓国朝鮮人の総称を彼らは、あえてそういう(らしい)。彼は在日2世としてのかつての苦悩をその著書の中で、赤裸々に綴っている。

実は、在日2世の人達との付き合いは、物心のついた頃から大学卒業に至るまで、近くに、遠くに存在しては消え、叉現れたりしていたのだが、その理由は実は、小学校時代の通学路にある。

なぜか小学校は越境させられ、5分も歩けばある小学校を越えて、30分も歩いて通わされたのだった。その通学路にある大きな川に沿って(100戸程度?の、)当時の在日朝鮮韓国人のみが住む集落があった。

越境した小学校と同じ校区であり、自然に学校では、彼らと無邪気に遊ぶ仲となる。

だが、帰り道で彼らは、その集落の手前で必ず離れていく。不思議に思い母親に尋ねたところ、その集落の中には絶対入ってはいけないと注意されたものだ。

その時「在日」という存在を子供心に意識させられたように思う。その後、中学、高校と進む中でも、少なからず彼らの存在はあった。しかしその頃には、いつの間にか出来上がった偏見が「差別的「に出来上がってしまっていたかも知れない。

大学に入り、一般的人種差別を学び、部落差別についても、自らの歴史的偏見から生まれた憎むべき存在として、認識はできるようになったものの、その幼い頃に無意識に出来上がった「偏見」はやはり「差別」の意識を超えて、消えないものであったと感じていた。

姜尚中氏の「在日」を読み、彼の在日二世としての苦悩を改めて読み、その2世達と長く同時代を過した者として、改めてその消えないで残る残像的「偏見」の罪深さを禁じえないと感じるのである。

団塊世代の多くは、その「在日2世」と戦後の日本をともに歩んできたはず!

「在日1世」の言葉に尽くせない苦労や、なぜそんな事実が発生したのかを考える時、決して3世の次代へは、引き継がれないようにする必要を痛感するが、果たしてどうだろうか?

ほとんどの1世の方々の苦労は、この世から消えてしまっているのだろうが、少なくとも、3世としてこの日本で、日本人と同様に豊な感性と偏見の無い世界で暮らせるようになっているのかどうか?

姜尚中氏の語るあの異常なな説得力を持つ「淡々さ」の奥には、昔の「吃音」癖の結果でもあるのだろう。きっと在日2世としてのプレッシャーからでてきた「吃音」癖に、今も一定の怯えを持ちながらしゃべるその語り口として、余計に説得力を持って聞こえてくるのかもしれない。

少なくとも、彼の「在日」を読み、これまで理屈ではなくしみこんでしまっていたある種の小児的「偏見」がこの歳になって、完全に払拭できたでだろう事を正直に告白しておきたいと思う。

そして、日韓、日朝の歴史をもう一度、忠実に遡って検証してみる必要性を感じてもいる・・・。その上で、外国人参政権問題も考えなくてはならないと思う。

3月 25, 2010   9 Comments

民主党を斬る(私が鳩山由紀夫だったら!)

民主党は、てんこ盛りのマニュフェストを掲げて政権交代を実現し、自らも平成革命と称しスタート、多くの国民がその大変革に期待した。現実の政治はその主要マニュフェストの悉くを潰し、革命の狼煙はをもろくも消えつつある。

まだ、今なら間に合う!

総理として即決できる国民に約した以下のマニュアルだけは実践(チャレンジ)する事だ。

① 普天間基地の移転先は、グアムと即時決定する!

この約束は、日本国民にとってはあまりにも重い。決して社民との形式的密約では有り得ない。戦って米国に敗れれば、その時こそ、一度下野して国民に改めて真を問えばいいのだ。

県外移設など、もとより有り得ないのだから・・。沖縄のどの地であっても、それが現実の日本外交の力であっても、この約束にチャレンジさえせずでは、民主党は崩壊する。

② 日米安保の今日的役割について根本から見直す!

①、②は当然共通するマニュフェストであり、①を頓挫して②等あるはずも無い。核密約問題を含めて、米国からの独立への挑戦無くして、(民主党への期待の多くは、日本の完全自立宣言とその外交方針にチャレンジもせず、)挫折する現実策など、国民が期待したものとは、あまりにも違いすぎる。

③ 地方分権こそが、事業仕分けの本丸である!

こまごまと仕分けを行う姿などパフォーマンスでしかなく、官僚を一括するだけで可能な成果である。

地方への「人、もの、金」(権限)をどう仕分けするかが、マニュフェストの約束の中身であり、国の形を根本から変える約束へのチャレンジである。行政改革と官僚機構の再編など同時に一機に解決する仕分けを行う姿を示せ。

④ 予算不足のため、子供手当てと高速道路無料化は延期とし、同時に環境・福祉目的税の導入を実施する!

高齢化、CO2削減のコスト負担は、今手当てせざるを得ない財政政策であり、優先順位が変わることは已む無し、現実の財政を掌る政治家として、国民にお詫びして、政策変更を行う。

先の公約へのチャレンジさえあれば、この公約を反故にしても国民は十分納得してくれるだろう。

⑤ 小沢幹事長の即時解任!

笑いながら?、バショクを斬る程度の事が政治には必要である。彼の役割は残念ながら終わった。その引き際のタイミングをうかがうのは2番宣旨であり、そのことに気付かないご本人なら、やはり賞味期限切れでもある。

①-④を影で操り実践させる可能性の唯一の人物も竜馬と比べるまでもなく、年老いすぎたと考えるしかないだろう。

これら五項目にチャレンジし、敗れてもその時、真を問えば民主党は必ずより強くなって復活を果たせると政治的計算すらできないものか。

政界は、叉逆回転の迷走をはじめ、アメリカの核の傘という卑怯極まりない戦略の中で,日本の「沖縄状態」を放置したままとなるのであろうか・・・・。

3月 20, 2010   No Comments

吉本隆明の「芸術言語論」

一昨日のNHKで吉本隆明の最後?の講演を聴いた人も多いはず!

氏は団塊世代にとって、そのカリスマにはまった人も多い。

「共同幻想論」なる難解な哲学書の著者だった。「資本論」を理解不能とほうり出して、これこそ日本の現状打破のバイブルとしながらも、これも十分に理解でき無いまま、しかし、今度は彼をその行動に向けたバイブルとした時代・・・・。

NHKでは、糸井重里氏のコーデイネートで実現したものだが、吉本氏が自らそれを希望したというその実現性の不思議さから、興味深く2時間の講演記録を楽しんだ。

難解だった彼の著書と比べて、解りやすく、親しみ深い彼の講演は、主に言語の持つ意味について哲学的(いや平易な言語として)に彼の最後の主張として、熱く、とつとつと語るものだった。

言語には沈黙から発する幹や根に属するものと、単なる花や葉として一時的表現と位置づけられるものがある。そして芸術的言語は常に自己表出される沈黙叉は独り言の中にあると「氏」は説明された。

沈黙する言語とは、内在する感情の表現であり、叫びであり、独り言として表現されるという事であれば、日記やブログでの表現こそその芸術性を帯びていると解釈すれば良いのだろう?。

いつも不安を感じつつ、自らの感情を真実の叫びとして「独り言」を書くわが身にとっては、ブロガー継続への救いの道にも似た説得力を持ち、ただうれしかった!

鴎外も漱石もドストエフスキーにしても、その伝える表現の奥にある沈黙にこそ、その芸術性があり、それは読み手の勝手な感性の中で初めて捕らえられるものであるとし、芭蕉の俳句においても、その芸術性は彼の独り言の自己表現にある沈黙の芸術性であると解説してくれた。

沈黙の叫びを言語にする「独り言」は、伝えるべき言語とならずとも良しと勝手解釈すれば、この「独り言」は、絵を書き、音楽を奏でる芸術と同等の意味があると理解出来る。

気ままに書く我がブログでさえも、芸術音痴と悩む孤独な心を大いにはげましてくれるものである。

吉本隆明の「共同幻想論」が、たった今理解出来たような気がする。

同時に読み終えル都同時に、記憶を失うその筋書きの奥にある「沈黙」こそが、静かに我が心の奥に沈殿を重ねていったのかもしれない。

「沈黙の叫びこそ言語芸術の根源である!」と理解して、大満足し、あえて自ら望んで語った「吉本講演」の中で本質的理解せよとの遺言でもあったように感じたのだが・・・・。

3月 17, 2010   No Comments

民主党を斬る(2)

 民主党への切り口や綻びはいくらでもあるだろうが、最大の問題点は彼らのマニュフェストがその想いや努力に反して、現実の姿では、全てパフォーマンスに終始していることを気付いていない事に尽きる。

どんな現象でもいいから、変化を求めるノンポリ市民の声が、現実の日常の中において、なんら変化が感じられないことに気付かないでいる。

こんなに頑張っているのにという民主党議員の声は聞こえるが、それを実践するべき行政官の抵抗がどれほど大きいものかを解ろうとする施策チェック力が不足している。

行政改革が、掛け声でしかなく、行政マンのだれ一人として、世の中を変えるべき姿勢になってはいないのには驚くばかり。

ある改革派官僚は、益々混迷化する行政の現場について、改革派を放棄して、権力奪取へ方向転換せざるを得ないと嘆く。混乱が加速し、目の前にある行政が滞留していく現場は悲劇であるという。

忙しさが倍増する。それで無くとも、働き盛りの官僚たちは寝る間も無いほど忙しかった。勿論、タクシー帰宅など昔の話・・・・。

当然、これでは官僚制度は保守化と崩壊の道をたどるだろう!

一方、民主が崩壊すれば、その支持勢力はどこへ向かうのか?

団塊世代は、基本ノンポリライト・レフトの塊で投票所までの距離が遠かった?またぞろ、確実に行き場を失い投票率を押し下げる。(団塊族の投票行動と最近の意見を聞いてみよ!)

次ぎの選挙では、きっと組織選挙の公明、共産が多少伸びるだろう?

ノンポリライトはみんなの党か、にわか新党にでも移るだろう。与党ボケした自民党のパフォーマンスでは回帰の兆しは皆無と見える???

公明、民主の連立で、政局は安定するだろうが、この構造は結果として自公連立への政治的回帰となり、日本の政治は叉十年遅れることとなる。

民主の先に見える「民主」を創る以外にない!

その為に必要な施策は、、、、。

今こそ市民臨調を本格展開させ、政策オンブズマンのチェック機構を作るべきであろう。いや野党時代から市民政調とのパイプは、地域に根ざして存在しているのだから、日々の政治的調整の忙しさから離れ、その声を聞き、市民や弱者の側から施策の浸透度をチェックすることである。

今なら、まだ間に合う!

「湯浅さん」を呼び戻し、同じような活動家を大量に動員して、市民政調を実行あるものにする事だ。

彼らが離れた時、民主党は確実に終焉する。(いやすでに確実に離れつつある)

民主批判の行き先を示せない状況が、基地の行き場を示せない民主党と同様に見える。

ノンポリ族は強い変化の道を示せない場合、殻にこもって無言になる習癖がある。

3月 13, 2010   No Comments

民主党を斬る!

勿論、民主党に一定の期待をした!

身近な知り合いとして、若手の議員や官僚にまじめな改革派が多く、その掲げたマニュフェストにも、同意できるものが沢山あった。

まず、新年度予算に期待はずれを感じた件については以前に提起した。

やはりこの時点で、彼らは、マニュフェスト実行を放棄する事でも、一定のパフォーマンスさえ出来れば、国民をだましきれると錯覚し、政権維持と自らの保身に邁進する事としたのであろう。事業仕分けのパフォーマンスで9兆円が3兆円となった時点で、赤字国債の増発で当面の景気回復の人気取りに走ったのだ。

予算はゼロベースで組めば、国債増発無しで組めるとマニュフェストでは約束したはずだ。

普天間問題では、国外叉は沖縄県外としたのは、社民でも、国民新党でもない。民主党そのものである。アメリカとの同盟関係は,対等外交が前提としたのも民主党である。

公務員改革は、民主党の「一丁目一番地」と今も掛け声は聞こえるが、とっくに官僚たちの術中にはまってしまった。官僚たちは、改革派までもが、すでに彼らを見切ってしまっている。

(最近、行政との調整が多いが、一人として行政改革に向けた国民の声を聞こうとはせず、族議員の意向のみを汲み取る体質は変わっていない。)

むしろ、族議員が増えたに過ぎないと割り切るのみであり、その意向(背景)の有無にしか興味が無いかのごとくである。キャリアは相変わらず、ノンキャりを盾にしつつ、その為にのみ、彼ら(ノンキャり)をも守ろうとする知恵は組織防衛そのものである。

「お上」の権力と権限で、「納税者」(国民)の権限と権利を蹂躙していることに気付かないでいる。

民主党の公務員改革に対するマニュフェストの実行は、全くノーチェックであり、そのこと(チェック)の重大性に気付いてすらいない。

民主党が最大の景気対策とした中小企業の一社が、今日その命を絶った。

目玉政策であるセーフテイネット融資さえ、実行力を持てば助かるはずの企業がこれでは、全くその実行力は無く、むしろ悪化しつつあるというべきか?。

この月末にも消えていく中小企業と(その家族)はいかほどの失業者を生むのであろうか?

「湯浅」氏が何を言いたかったのか、「菅さ」んには聞こえていないらしい!

セーフテイネットにつぎ込まれた税金がどこへ消えていくのか程度はチェックしなければ、官僚の手の内でその利権とともに泡と化すに決まっているではないか。

勿論。このブログの独り言が彼らに届くはずも無いが、これが民主党離れの実態である恐ろしさを民主党は気付いていない。

ならば、このブログの真実の声を「声」として「聞かせる」以外にないが、それでは民主党の国民と弱者の為の「民主党」は確実に消滅する。

1000万無党派リベラルの期待を裏切り、その支持を失いつつある事をが、この問題提起であることを民主党は気付かない。

鳩山首相も、菅財務大臣も、千石さんも・・・。

小沢さん!あなたには聞こえるでしょう?誰がこの「声」をあなた方に届けるべきでしょうか。それを真剣に聞く耳があなた方にあるでしょうか?

ごく身近にいるはずの「頑張る」優秀官僚諸氏よ!

自ら目覚めて、「僕」としての本分とこの国の将来に向けて初心に帰るときであろう。

政治(民主党)に期待できないならば、やはり貴君達が国民の声を真摯に受け止め、改革を自ら実践する以外にこの国の未来を救う事は出来ない。(勿論自民党がえりなどあるはずも無いのだから・・・)

国家の危機を唯一予見でき、改革できるのは、残念ながら、貴君達でしかないのかもしれない。

(少なくとも、貴君達の先輩諸氏が創った日本の形であるのだから・・・。10年後を考えるなら、その次代を共有する若き改革派官僚に期待する以外に無いのだろう!!)

3月 9, 2010   4 Comments

内閣府参与室訪問

昨日、所用?にて内閣府参与室とやらを訪問した。

先ごろ辞任を表明した年越し派遣村の「湯浅さん」がどぎまぎしながら、初出所した場所だ。ご本人の席を含めて、8席あったがアポイントを頂いた1席を除いて、全て(残念にも?)空席であった。

内閣府参与とは、新政権が期待する民間人の登用で大活躍を期待される席であるはずが、その日午前中までには、どなたも訪問者が無かったのはさびしい限りだが、湯浅さんを含めて、皆さん愛想を尽かしてしまったのではなかろうか?

訪問目的もその辺に理由があったのだが、全く政権交代が何の機能もしていないとすれば、おそらく「支払われるであろう手当ての為の」税金が無駄という事になる。

事業仕分けを「魁より始めよ」といわざるを得ないが・・・。

席や椅子があまりに質素であった事も驚いたが、果たしてその処遇にこそ、問題があるとも思えない?

湯浅さんは官僚の壁の厚さにあきれ返ったのだろうが、解らなくもない。

小沢さんか亀井さんに票を引っさげて、陳情に行くのが、一番の早道であれば、そうするしかない!

一応、その訪問目的は達したものの、割り切れない思いを残しつつ、次の階段へ進む。

この虚しさはきっと政治家をもあきらめさせ、官僚天国の世が続いていく事となるのだろうか?。

(過日、金融庁訪問時、駐車場にて30分待つように「お上」からいわれて、その場にいた警備員に切れ、反省したが、直接抗議しなかった自らも悔やむが・・・・。)

大半の頑張る官僚たちが、組織になることで、その「才」を失う人間の性に、彼らは気付かずにいるのだろうが・・・。

あなた方は、法と行政の意味するところにのみ忠実たる「僕」であり、その権限にしがみつく組織を破壊せずば、それを利権の保持として、法と行政の意志に基づいて知らしめるしかないのかもしれない。

(官僚によるコンプライアンス違反も立派な罪である事を知らしめるべきであろう・・・。その立場のゆえに、問われるべき違法性は民間人の比ではないほど厳しい!)

3月 3, 2010   No Comments