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Posts from — 7月 2010

廣島は「平和憲法」の私的原点

45年前の夏、大人への脱皮を目指して「ひろしま」を訪問した。

受験戦争に幸運にも勝ち残りながら、大学の自由さに絶望しかけた頃に訪れた夏休みの暑くて長い一日・・・

原爆記念公園は、あの日も今日を上回るほどの灼熱地獄であった。
独り原爆ドームにたたずみ、「ひろしま」で「戦争」の悲惨さを実感する。

大量の「戦争を知らない子供たち」の中にあって、「受験戦争」をほんとの戦争より辛い経験と錯覚する時代は、それが平和ボケの時代の始まりであった???

目標を失いつつある自己の埋没と、戦争の大義で散っていった多くの若者達を羨む自己との滑稽なる対比が確かに存在した。
やるべきことが確かにあった。

あの日の「ひろしま」が教えてくれた「大人への脱皮」は、幻想的平和主義?

「ひろしま」の犠牲で得た平和憲法(9条)の価値に気付きながら、何もせぬまま過ごして来た日々・・・。

「戦争を知らない子供たち」は知らないまま、一生を終える事ができる!

だが、「戦争を全く知らない」子供や孫達の世代まで、「ひろしま」とその「ドーム」で得た平和「憲法」が守れる保障は消えつつある。

「戦争を知らない子供達」に課せられた最後の宿題は「ひろしま」をいつまでも風化させない努力かもしれない。

その日から65年目の暑い夏」がやってくる・・・。

7月 28, 2010   No Comments

拝啓原爆ドーム様

廣島市猿楽町十五番地・・・
あの日、失われた住所に、平和のメッセージを送ろう。

ヒロシマに届け!”平和のコトバ”

原爆ドームあてに、「平和」の2文字とそれに込めたメッセージをハガキに書いてお送りください。

NHK広島放送局主催の被爆65年企画
「廣島から広島ドームが見つめ続けた街」展への投稿依頼が届いた。

ひろしまは、青春の想い出の一頁でもあり、投稿を決めた。ただし応募資格は、未発表のものに限るとか・・・。
ブログに先だしは、果たして未発表???

どなたか賛同する方あれば、投稿要領郵送します!ご連絡のほど・・・。

せっかく作った散文、、、、。
無効承知でアップしてしまおう。趣旨が変わるはずもなし!???

7月 27, 2010   No Comments

生保のからくり(4)保険と共済

生命保険(死亡保障)では、男女の区別が料率上明確にされる。年齢についても基本(契約時の年齢が)一歳刻みで保険料が違ってくる。
いつのデータかはしらねど保険数理(統計)上、リスクが違う事でそれを保険料に反映する事が義務付けられている。

一方、古い歴史を持つ共済といわれる世界では、その決め事が無いので、自由にリスク区分を設定できるので、男女格差は助け合いのバッファーに入る事が多い。年齢区分にしろ若い人が、お年寄りの負担を(結果として)軽減する料率が組まれている。

つまり共済では、十分に共助の考え方が成立しており、それでも長い歴史の中で安定した事業環境を整えているのが不思議である。

昨今信用不安を引き起こした業界は、保険業界(における金融不安をその原因としているもの)であった。いわば、保険数理(損差)を無視しても事業(経営)リスクを引き起こす事はないが、利差益を無視すれば、保険事業を危うくする事があるということを立証してしまった事になる。

この事は、常に損害差益のデータに大きな余裕をおく事から発生すると解釈できる。人の生命力は年々大きく伸びている。どの時点での統計データで保険数理が計算され、どれだけのバファーを置くかによって、料率の巾は男女の死差などを超越する可能性が高いといえるのだ。

現に共済分野においては、保険数理やアクチャリーの領域を超えてその安定性が立証されている。

ところが、この共済分野にも大きな規制が入ってきた。いわゆる無認可(自由競争)共済の放置は、「コンプライアンス上」よろしくないという理屈である。

まず、共済の放置は保険業界におけるイコールフィッテイングに反すると声を上げたのは、商品、市場を共有する外資系医療保険分野であった。世界のAIUは、金融バブルの根源といわれているが、日本におけるマーケット拡大を目指して、共済分野への拡販を目指して強い圧力(ロビー活動)をかけてきた。

(当然、日本における医療保険分野は、その損差益から十分な利益を上げていたが、金融分野での大失敗で、圧力に一方で破綻する皮肉な結果を起こしている。)

かくて保険法は大幅に改定され、無認可の共済は廃止、または少額短期保険事業への「移管」となったわけである。

実はこの移管業務には、保険業法との関係において様々な法的矛盾が発生する。共済業界には、勿論純率や付加率の考え方など存在しない。全掛け金と全支払いがバランスするかどうかの一点で成立し、存在してきたのであり、自由競争の中で自然淘汰はあったにしろ、経営責任と消費者責任の範疇に商法におけるコンプライアンスが、問題なければ維持できてきた世界といえる。このような商品を一括して移管する受け皿として少額短期保険業法は成立した。(少額短期保険においては、共済の受け皿として、保険法を準用しながらも、独自の保険料率体系を生み出す事となった。)

私はこれ(少短)を保険とはみなしていない。あえて言うならば共済保険であり、いわば適用除外とされた認可共済の分野と位置づけ、商品認可を得るべきであると法的解釈をした。

当局もこちらも、互いにおおきな戸惑いを隠せない中、この少額短期保険業法の持つ意味と解釈において、コンプライアンスを抜本的にみなおすこととなった。

共済を基本的に移管する受け皿とする保険であるからこそ、そこには一定の助け合いの精神を残す事が出来る。(共助の精神を残す保険事業!)

医療保険における男女格差など当然ながらそのバファーの範囲であるべきだ。

家財保険における建物構造や所在地など十分にバファーの範囲である。

要は経営責任の範疇で、助け合いの精神を活かした少額な保険金額ではあれ、助け合い保険を作れる道が開かれたと考えた。(この考え方を活かせば、様々な業界や顧客に貢献できることも工夫できるはず!)

この保険では、生損兼営も可能になる。(日本発の兼営保険会社!)

純率や付加率も経営実務ベースで、計算すればいい。付加率(経費削減)も独自に工夫して、徹底したコスト削減と事務システムのアウトソーシングも可能である。

かくて出来上がった営業保険料は、一般的には半減出来たかもしれない。

岩瀬氏の「ライフネット生命」による保険料効率化(価格破壊)論を破壊できる可能性を秘めていると自負するものである。

長く保険業界に生き、業界が大転換を向かえる時代背景の中、この業界にまだまだ存在する矛盾解決の為、しばらくはオルタナテイブな保険会社と共済をその機軸において自由気ままに実践していきたいと思っているのだが・・・(終わり)

7月 23, 2010   No Comments

生保のからくり(3)三利源詳細

面倒で自己満足極まりないブログを反省していたら、マニア(その筋の人)から面白いとくすぐられ、しばらく続ける事を御容赦いただきたい。

岩瀬氏は、三利源のうち利差益については見事論破した。いわゆる生保バブルの崩壊と生保危機の到来であった。生損保の再編はそこから始まったし、当然ながら全金融機関の危機到来を招いた。

本来、利差益追及が生保の根幹であり、保険が金融業のジャンルであるのだから、利差損(逆鞘)は当然致命傷となった。しかし費差益戦争では、合併再編で生き残りが可能となる。

費差とは、あらかじめ想定される費用との差額であり、横並び事業体の決別を意味するが、当然のごとく横並びイコール高値定着である。護送船団事業の場合には、最後尾に合わせるコストの優先を意味する訳で、十分に余裕のある競争が可能であった。

もう一つの費用は事務システムコストである。金融機関として、一円の違いも承認されないコンプライアンス体制下では、膨大な(コスト無視の)システム対応が要求される。同時に損差益の追及に通じる不払い問題などで、コンプライアンスコストが、飛躍的に加速せざるを得ない事態を呼んだわけだ。

費差益追及には、合併、統合が最短の常道である。かくして業界再編の生き残りをかけた合従連衡がはじまった。我が損保業界では、長く続いた15社態勢が、今般、実質三社体制に集約されるのだから、隔世の感有りである。

しかし、費差益追及は、合併の後にやってくるリストラの度合いが見落されがちだ。今般の合併で我が出身企業は日本最大の業界規模を誇る事となる。
かつての日本NO1は、御存じ東京海上(日動)だ。(カッコ付き会社に意味がある)
MS&ADと東海を同レベルで比べるなら、前社は一万人程度の効率化人員が、生まれた事になるはずだ。
これを余裕とみるか、非効率とみるかは、見解が分かれるところだが、まだまだ業界の余裕を感じるところでもある。

利差益を失った金融機関の向かう道は、費差と損差のまだ十分な余裕のある競争でしかない。残念ながら岩瀬氏の指摘するからくりには、この費差の大部分でもある固定人件費も事務システムコストにも、触れられていない。

特にその中でも純率の世界の中での価格破壊をいくら述べたところで、そのからくりを暴いたと言うには、あまりにも業界人としての常識の範囲での暴き方と言わざるを得ないのである。

自助、公助,共助に話を戻そう。
保険事業には、本来の助け合い制度としての保険の考え方は、すでに存在しなくなっている。もちろん同業界同士の助け合いも同様であるが、純率の計算システムとアクチュアリー制度がある以上、そのからくりが、未だに存在すると解くべきなのである。

果たして共助の世界は、完全に消滅したのであろうか・・・・
次回には、我田引水の謗りを受ける事を承知の上で、最終回で取りまとめをして、神童編集長の指摘にお答えしたいと思う。

7月 23, 2010   No Comments

生保のからくり(2)

岩瀬氏は保険との出会いにおいて、自助、公助、共助と教えられ、これからの社会、益々「共助」の領域が大事になってくると思い、この事業の社会性と成長性を確信したと言う。

保険論の原典ではあるのだが、これはすでに、いささか古典的な生保論といわざるをえない。保険の原点が、助け合いの精神であった事はその通りであるが、現代の保険事業は、間違い無く金融業の分野に区分けされると共に,共助という考え方は成立しない仕組みとなっている。

リスクに対するコストを公平にする事を厳しく義務ずけられており,いわゆる保険の掛け金は,互いに助け合うべき不公平を排除するのである。すなわち自助はあっても共助は、否定されることになってしまう。

保険料率は年齢や性別をもそのリスクの相違から、不公平となる「共助」を認めないのだ。

その料率は純率と付加率に分かれ、当局の認可が必要であり、未だに護送船団
行政で守られている。金融事業であるから・・・・。

この純率を算出する為に、アクチャリー(保険経理人)という難しい資格制度がある。天才岩瀬氏をして、弁護士資格や会計士より難しいといわせるこの制度、実は保険を絶対に損掛け(いや得掛け?)になるべく、公的計算をする仕掛けが存在するからくりがとけていない。

従ってこのアクチュアリーは、保険事業には不可欠であり、当然金融庁にも多数のアクチュアリーが存在する。理系の天才キャリア技官という存在である。一時厚労省の技官が問題視されたが、保険業務においては、このアクチャリー
でなければ、高級官僚といえども太刀打ちできない世界が存在するのである。

岩瀬氏は勿論このアクチャリー資格にもチャレンジしているはずだが、その他の高級資格よりずっと手強いと書いている。しかしこのアクチャリーの存在に「生保のからくり」の視点が欠落しているのだ。

生保が金融業であることの所以は、本来預かり資産の運用益を持って、主たる事業とする事となるはずだが、保険事業にはこの他に死差(損差)益、費差益を三利源事業益として当然とされる事が問題提起されていない。

特に「損害差益、死差益」の分野は、既述したアクチャリーとの関係でそのからくりを検証しなければならない。

生保で言う「生命表」なるもののデータ根拠は一体いつのものであろうか?
かつ認められる独特の責任準備金の根拠など、公認会計士ですら、分解不能のはずである。

岩瀬氏は、自由化されたと言われる費差益にメスを入れたに留まるが、これとて、過去の護送船団基準による募集費のコストセーブに主な論拠としたにすぎない。

ライフネット生命は、膨大な資本金でシステム手当を余儀無くされたはずである。その償却が大きな経営負担となっているはずだが・・・。

共助の考え方を残すものとして、多数の共済制度が存在して来たのが日本的保険制度として、一方にあった。(つづく)

7月 21, 2010   No Comments

岩瀬大輔著「生命保険のからくり」

I-PADの本棚に始めて届けられた本が、岩瀬大輔氏の「生命保険のからくり」であった。

岩瀬氏は、偶然ながら二人の息子の同級生ではあるが、彼は東大現役時代に司法試験に合格、その後ハーバードを首席?で卒業、外資系コンサル会社を経て3年前に「ライフネット生命」なる保険会社を設立してしまった。

実は次男坊からその話を聞かされた時,はっきりと「30過ぎの素人に保険会社など出来るものではない」と当然のごとく完全否定して大恥を晒してしまった。

彼は、なんとその後130億円もの大資本を集めて、戦後初の独立系生命保険会社の認可を得て、堂々と開業したのだからおどろきである。インターネット系本格的保険会社だ!元日生のキャリア氏が社長となっているが、岩瀬氏が実質のオーナーであることはこの本を読めば理解出来る。

この本が売れているらしい。
いわゆる岩瀬氏のカリスマ性を理解するファンが沢山いるのだろう。息子に言わせれば、100年に1人の日本の誇るべき天才らしい!???

彼はこの著書を出すにあたって、自分が素人の間の感性が保てる間に書いておきたいと思ったとしている。だが流石に天才経営者であり、すでに十分に彼は
生命保険のプロとなってしまっているのが残念に思える。

「素人」が書く初の「生保のカラクリ」としたかったようだが、彼の視点で書かれている生保批判は、すでに同様な主張で沢山出版されていることから、彼が極めて短期間において、通常は長い経験の末、やっと気付く様々な生保のカ
クリを独学した事に対して皮肉な敬意を払うこととしたい。

むしろこの著書が多少、ライフネット社にとって我田引水ぎみであることが気にかかるのは、同生命の経営計画に多少の狂いが生じていないかと余計な心配もしてしまう。

彼は、すでに十分にいわゆる保険事業者の範疇の中で、論理を展開している。残念ながら、彼の師匠が「世界の日生」エリートOBであるからなのかもしれない。

同じく我田引水気味と断りつつではあるが、偶然にも、我が「しんどう編集長」が、我が小さな保険会社について、本ブログにて書いてくれてもいるので、その保険会社の意図を含めて、天才カリスマに保険・共済理論についてあえて「異論反論」など加えて見たい。

ただし、この本(生保のカラクリ)の内容についての大部分については、全面的に賛意を送りつつ、次回以降ちょっと違った視点による展開を試みようと思う???

7月 20, 2010   1 Comment

IPADリコール???

「IPAD」チャレンジから一週間!

「子供からシニアまで」に優しいはずのIPADは裏切り続けている。アナログ世代には、やっとなれてきた「IT」の入り口を次々に閉鎖されていく思いにくじけそうになる。

数々の化け物の登場を紹介しよう?
まずは、文字通りの「文字化け」・・・。唯一使い勝手の良いと見つけたメールが、どうも文字化けして到着するらしい。誰のPCで化けてでているのか不明であるから「たち」が余計に悪い。

すでにメールは送信され、到着しているのだから!どうやら相手PCの環境をIPADが「好き嫌い」をするらしい。

次に、送られてきた添付ファイルによっては、開けないものがでる。そういえば添付ファイルで送信しようと思ったら、唯一使える「ワード」ソフトがどこにも無い。

「MAC」なんだから、当然だろうと息子に跳ねられたまま・・・。

ならば、これはどうだ!添付ファイルに「どこからか」張りついてきたなぞの物体は??

送信者に確認し、同時に送られた我がWINDOWSPCにはその姿は無いし、送信者の原稿にも存在しないなぞのデータファイル???

IPADにリコール申請したいが、素人の操作間違いと一蹴されるのが、怖くて今しばらく我慢しようか?

せっかく覚えたキーボード操作が違う。本を読めると思ったら、いける書店には英語の本しかない。おまけに息子が、ならばとばかり「ツイッター」登録をしてくれた!!!

おかげで、この連休はIPAD(合宿)研修で潰れそう・・・。

7月 16, 2010   No Comments

木村剛と振興銀行

木村剛が逮捕された。彼については以前にも記したが、金融機関役員の頃のコンプライアンス対応の先生であった。おそらくそのさいのご教授の内容を覚えている人など皆無なはずだ。金融庁のご推薦による先生には、泥縄を感じる胡散臭さしか残らなかった。。

彼は金融庁御用達を重ね、稼い泡銭と公的資金で振興銀行を設立した。ミドルリスクミドルリターンで中小企業をターゲットとしたところまではよかったが、彼のつかんだ泡銭には中小企業経営の何たるかの理解などある筈も無い。

新銀行東京もそうである。その経営自体が中小企業そのものであり、日本の中核企業である中身を理解でいている経営者が支配して居ない点が大きな落し穴となる。

中小企業には、ハイリスクハイリターンであっても金融機関は必要不可欠な存在でもある。商工ローンは必要悪として認めるものである。だが、ハイリターンを求めるならば必ずそれはハイリスクを加重して行く事から、いつしか逃げを打つ宿命を持つ金融事業となる。

すなわち、ハイリスクローリターンのビジネスモデルを経営出来る経営者が存在して初めて、金融機関たり得る訳で、その経験者は中小企業経営の創業者にしかできない技である。

零細企業の再生ビジネスの失敗を重ねて来たわが身にとって、この種の金融機関が無い厳しさを味わい続けて来た経験を感じるばかりだ。

かつて猪瀬東京都副知事に新銀行東京を任せませんか?と冗談をいった覚えがる。絶体に日本に必要な金融機関は中小企業向け専門金融機関であり、残念にも、信金、信組などもその任
をはたしているとはいいがたい。

これも経験値であり、中小企業再生において金融機関対策で成功した事は一度たりとてなかったと断言できる。全ての銀行はローリスクハイリターンを追及せざるを得ない指導を受けているのだ。

ハイリスクローリターンの経営は、中小企業B.S,PL
を十分に裏表から読めるその経験者でなければならない。
実質純資産を読み取る為には、その経験の中でしか生まれないだろう。

最近の中小企業再生コンサルでの経験でいえば、表面上10億の純資産B.S
を裏側からみれば純資産はマイナス10億,だがP.Lを凝視すれば純資産0が正しいと思える企業がある。この企業には、ミドルリスクミドルリターンでの融資が十分に可能であろうと考えられる。

要は十分につなぎ資金で再生が可能な企業である。しかし、あらゆる金融機関は追加資金を供給することは無い状況があるのだ。こんな場合には、ローリスクハイリターンをよしとするとする投資家を探す他無いことになる。

話が脱線したが、中小企業の現状は極めて厳しい実態は続くが、もし中小企業に完全モラトリアム(徳政令)が実施されれば、半数以上の企業は再生されるはずであり、逆にいえばこの種の金融が可能な銀行が有れば、半数以上の中小企業が潰れずに済むという理屈でもある。

日本の中核企業の半数が助かるか殺されるかの大事な帰路に、振興銀行や、新銀行が経営者不在や怠慢によって潰れて行くことが、木村剛の罪の大きさであるし、金融庁の怖さでもあるといえるだろう。

IPODの入力は疲れる!読み返すと消える!このまま駄文ついでにアップ!!

7月 15, 2010   No Comments

とにかくがんばれ!

月末から、元気を失ってしまっている!
現役引退宣言をしたから? No,多くの皆さんからげきれいをもらえた!
民主党が負けたから? いやほぼ予定どおりの結果!

無二の親友が先月末に倒れた。
長く病にあったが、原因は自宅前で転んで頭を打ち、そのまま昏睡状態に入ったという知らせが、夜中に飛び込んで来た。危篤状態という。
電車はもう無い。動けないまま朝を待つしかない。

朝になっても、なぜか連絡がつかない。
覚悟を固めつつあるころ、無事手術を終え、一命はとりとめたとの事。当面は推移を見守るしかない昏睡状態の為面会はできないらしい。

翌日、命に関わる状態を脱した都の連絡があり、一息ついたが、少なくとも4-5日は面会出来ないだろうとの事、、、、。

無理を承知で先週末、入院先の神戸へ向かった。絶対に失っては困る友であり、永遠のわが超えられないライバルでもある。

だれにもつげず、病院へ向かった。

会えない事も覚悟していたら、面会がかなった。まだ頭の傷の縫い合わせすら済んでいない状態で彼は、じっとこちらを向いている。

確実に誰が来たかに気づいている。会いたくなかったのかも知れない?

「がんばれ」,眼はあっているが表情は虚ろなまま、、、。
もう一度今度は耳元で「がんばれ!」

彼の表情は変わらず、目元からの一筋流れるものをを感じたまま何も言わず、眼を閉じてしまった。

寝息を聞いて、ほっと安心したが、そのまま外へ飛び出すしかなかった。
偶然とはいえ、病院の前は40年ぶりに訪れる事となった神戸、須磨海岸 ・・・・。

曇り空で土曜日なのに人が少なくて助かった。

勝手知ったる砂浜を頭を下げずに須磨駅まで、そのまま歩いたが、なぜかこぼれる涙は拭えなかった。いい歳の爺が1人革靴のまま、、、。

頑張れ、tosi!…とにかくがんばれ!、とにかく生き続けてくれ!、完全回復などしなくてもいいから・・・

お前の紹介したもう一人の大切な友をすでに失っているのだから、、、。

お前は俺の生き様を見届ける義務があるのだから、、、

ブログねたにするべきではない!

だが、このブログもお前が原因で始まった。必ずお前が、読む日がやってくる
はずだ。意地でもお前に論評させる日がやってくる!!

がんばれ、tosi! 風の盆は強行するぞ、、、。主役は居なくても。

7月 14, 2010   No Comments

「民主」惨敗の意味するもの?

生まれて初めて、ある候補者の支援活動を試みた。一票の可能性(高い価値)に期待して・・・。

あえなくその候補者は惨敗となったのだが、今回の参院選の結果については、なぜか極めて納得できる明確な国民の意思とバランス感覚を感じるものと映ったので、だらだらと意味不明のぼやきを綴ってみよう・・・。

今国民が政治に求めているものは、この国と国民の将来についてはでは無く、今を良しとした上での、近未来の日本の姿を求めて政治を考えているところにあるのだろう。そして民主党という政治勢力も「管」総理もその範疇における政治選択しか出来ないところにおいて、惨敗したわけだから、それは当然の民意と受け止められ、彼らも納得の結果となるのであろう!

先の大敗戦において、日本の将来を憲法の形で受諾、選択し、日本の政治はスタートした。それを日米安保という形で、修正、承認してきたのが今日の政治であり、その政治的判断を日本は今日も選択している過程にある。
自民が民主に変わるともその判断の根底はいささかも崩れてはいないのだから、日本の将来を展望する時期としての政治選択とはいえないバランス感覚の上での勝敗がどちらに転ぼうが、あまり大きな変化が起こるべくもない。但し、日本経済と共に日本の国力は、益々停滞から後退への道をたどりつつあることに気付いていない。

戦後、日米安保を機軸とした日本の復権から60年、この政治選択をした「時の」政治家達の先見性に比べ、10年後ー20年後を読めずして、ただポピュリズムのみに奔走する政治家たいを同列に語る事はできないし、勿論その結果について一喜一憂するべきではない。むしろ明確な経済的敗戦が明確になるまで、日本の混乱はまだまだ続くであろう覚悟が必要だ?

政治家と金、消費税、沖縄基地の今日的課題等等が政治選択となるかぎり、日本の10年後以降の不幸は政治課題として、読めないままで進んでいくのだろう。

今日の真の政治的課題は、憲法であり、日米同盟であり、その意味での沖縄でなければならないし、財政(国債)であり、年金であり、少子高齢化の及ぼす将来予測が政治的ターゲットとならなければ、選挙の意味はないのだが・・・。

2大政党制という小沢政治体制だけは、確実に狙い通り進行しているというのが、前回、今回の選挙の成果である事は間違いなさそうだ。小沢氏のその先に見えるものが何であったのかは、判らないままに、日米機軸の日本経済体制内での選択を行うという事は、日本の将来を保障できなくなっている事態を見逃す事になりかねない。

社民、共産が消え、大きく右旋回しながらの憲法選択や体制選択が、如実に表れつつあり、「管」政権がその中に大きく組み込まれていく過程が垣間見えるのだが・・・。

そして団塊世代の時代が確実に消え去る状況認識を自覚せざる得ない危機感も包含されるかもしれない。

それが、「みんなの党」の躍進に見て取れるかもしれない。(無党派は「みんなの党」を選択したようだ!)・・・・続くかも?

7月 12, 2010   No Comments