小説「ラストラン」の虚実
ヒロ高村作のフィクション小説が紙ベースとなって紹介されている。
言い訳がましくすると余計な誤解を生むかもしれないが、この小説は間違いなくその大部分がフィクションであるとあえていっておきたい。
御存じの通り、この作品は本ブログ(プレミアムエイジ)において既発表済みの物だが、なぜか紙ベースになった途端に妙な反応が身近かなところから出て来たようだ。
作家にとっては、当然、より面白い小説とする為にある題材に空想を加えて、読み手をひきつける様々な工夫をする。しかし作者の内なるものとしてその題材があると仮定すれば、その題材となった周辺にはある種の誤解を与えたり、時には御迷惑をおかけすることもあるかもしれない。
これまた、既発表であるがこのブログをスタートする時、私は三日坊主にならないように、恥を偲んで中途半端な自伝を書きつづっている。兎に角その時の記憶に正直に、且つ飾らずに、をモットーとして、、、。
掲載終了後も、じつは「ラストラン」の表題で思いを日記風に書き綴って来た。偶然にも今回の同名小説「ラストラン」が、高村氏の主要な題材となっているとしたら、(もちろんそれを承認したものであるのだが、)ややもすればその題材となった周辺の方にも御迷惑をかけるかもしれないことを失念している恐れがある、!!
(お詫びする以外にない)
考えすぎの取り越し苦労だとは思うのだが、そんな視点で今般の小説「ラストラン」をチェックした記憶もないので、ちょっと心配になった。
その理由は、作者である高村氏に、主人公と思われる人物のラストランを徹底してずたずたにし、そのことを今後の高齢化時代への暗示と警鐘するべきでは、とのリクエストがかなえられなかったことで,負け組の泣ごとをメッセージとしたかった「団塊世代が行く」(ノンフィクション自伝)と大きくその趣きが変わったことによる違和感を感じるのだが???
「事実は小説よりも奇なり」との慢心が自伝執筆の遠因でもあったのたが、「小説は事実より美なり」では気恥ずかしくて、作者の好意とは言え納得できないでいる。
格好良すぎる主人公を含めて、その大部分がフィクションであることは、事実のみを書いたこの本の題材となったかも知れない我が駄作が証明してくれるはずであり、誤解を生む可能生がある我が周辺の皆様があれば、お詫び申し上げたい!!!


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