「民主」惨敗の意味するもの?
生まれて初めて、ある候補者の支援活動を試みた。一票の可能性(高い価値)に期待して・・・。
あえなくその候補者は惨敗となったのだが、今回の参院選の結果については、なぜか極めて納得できる明確な国民の意思とバランス感覚を感じるものと映ったので、だらだらと意味不明のぼやきを綴ってみよう・・・。
今国民が政治に求めているものは、この国と国民の将来についてはでは無く、今を良しとした上での、近未来の日本の姿を求めて政治を考えているところにあるのだろう。そして民主党という政治勢力も「管」総理もその範疇における政治選択しか出来ないところにおいて、惨敗したわけだから、それは当然の民意と受け止められ、彼らも納得の結果となるのであろう!
先の大敗戦において、日本の将来を憲法の形で受諾、選択し、日本の政治はスタートした。それを日米安保という形で、修正、承認してきたのが今日の政治であり、その政治的判断を日本は今日も選択している過程にある。
自民が民主に変わるともその判断の根底はいささかも崩れてはいないのだから、日本の将来を展望する時期としての政治選択とはいえないバランス感覚の上での勝敗がどちらに転ぼうが、あまり大きな変化が起こるべくもない。但し、日本経済と共に日本の国力は、益々停滞から後退への道をたどりつつあることに気付いていない。
戦後、日米安保を機軸とした日本の復権から60年、この政治選択をした「時の」政治家達の先見性に比べ、10年後ー20年後を読めずして、ただポピュリズムのみに奔走する政治家たいを同列に語る事はできないし、勿論その結果について一喜一憂するべきではない。むしろ明確な経済的敗戦が明確になるまで、日本の混乱はまだまだ続くであろう覚悟が必要だ?
政治家と金、消費税、沖縄基地の今日的課題等等が政治選択となるかぎり、日本の10年後以降の不幸は政治課題として、読めないままで進んでいくのだろう。
今日の真の政治的課題は、憲法であり、日米同盟であり、その意味での沖縄でなければならないし、財政(国債)であり、年金であり、少子高齢化の及ぼす将来予測が政治的ターゲットとならなければ、選挙の意味はないのだが・・・。
2大政党制という小沢政治体制だけは、確実に狙い通り進行しているというのが、前回、今回の選挙の成果である事は間違いなさそうだ。小沢氏のその先に見えるものが何であったのかは、判らないままに、日米機軸の日本経済体制内での選択を行うという事は、日本の将来を保障できなくなっている事態を見逃す事になりかねない。
社民、共産が消え、大きく右旋回しながらの憲法選択や体制選択が、如実に表れつつあり、「管」政権がその中に大きく組み込まれていく過程が垣間見えるのだが・・・。
そして団塊世代の時代が確実に消え去る状況認識を自覚せざる得ない危機感も包含されるかもしれない。
それが、「みんなの党」の躍進に見て取れるかもしれない。(無党派は「みんなの党」を選択したようだ!)・・・・続くかも?


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