生保のからくり(2)
岩瀬氏は保険との出会いにおいて、自助、公助、共助と教えられ、これからの社会、益々「共助」の領域が大事になってくると思い、この事業の社会性と成長性を確信したと言う。
保険論の原典ではあるのだが、これはすでに、いささか古典的な生保論といわざるをえない。保険の原点が、助け合いの精神であった事はその通りであるが、現代の保険事業は、間違い無く金融業の分野に区分けされると共に,共助という考え方は成立しない仕組みとなっている。
リスクに対するコストを公平にする事を厳しく義務ずけられており,いわゆる保険の掛け金は,互いに助け合うべき不公平を排除するのである。すなわち自助はあっても共助は、否定されることになってしまう。
保険料率は年齢や性別をもそのリスクの相違から、不公平となる「共助」を認めないのだ。
その料率は純率と付加率に分かれ、当局の認可が必要であり、未だに護送船団
行政で守られている。金融事業であるから・・・・。
この純率を算出する為に、アクチャリー(保険経理人)という難しい資格制度がある。天才岩瀬氏をして、弁護士資格や会計士より難しいといわせるこの制度、実は保険を絶対に損掛け(いや得掛け?)になるべく、公的計算をする仕掛けが存在するからくりがとけていない。
従ってこのアクチュアリーは、保険事業には不可欠であり、当然金融庁にも多数のアクチュアリーが存在する。理系の天才キャリア技官という存在である。一時厚労省の技官が問題視されたが、保険業務においては、このアクチャリー
でなければ、高級官僚といえども太刀打ちできない世界が存在するのである。
岩瀬氏は勿論このアクチャリー資格にもチャレンジしているはずだが、その他の高級資格よりずっと手強いと書いている。しかしこのアクチャリーの存在に「生保のからくり」の視点が欠落しているのだ。
生保が金融業であることの所以は、本来預かり資産の運用益を持って、主たる事業とする事となるはずだが、保険事業にはこの他に死差(損差)益、費差益を三利源事業益として当然とされる事が問題提起されていない。
特に「損害差益、死差益」の分野は、既述したアクチャリーとの関係でそのからくりを検証しなければならない。
生保で言う「生命表」なるもののデータ根拠は一体いつのものであろうか?
かつ認められる独特の責任準備金の根拠など、公認会計士ですら、分解不能のはずである。
岩瀬氏は、自由化されたと言われる費差益にメスを入れたに留まるが、これとて、過去の護送船団基準による募集費のコストセーブに主な論拠としたにすぎない。
ライフネット生命は、膨大な資本金でシステム手当を余儀無くされたはずである。その償却が大きな経営負担となっているはずだが・・・。
共助の考え方を残すものとして、多数の共済制度が存在して来たのが日本的保険制度として、一方にあった。(つづく)


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