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Posts from — 8月 2010

小説「阪急電車」が到着

宅急便で「阪急電車」が無事到着、1700円いくらかを着払いで支払い!

やっぱり2冊入っていました??アマゾン経由で2冊買い物をしてしまったようです。とにかく3度目の買い物チャレンジで、成功したのだから納得!!!

阪急宝塚線の物語と思ってたら、今津線、そうずっと勘違いして、この線を4年間通ってました。いや、今津線と思いたくなかった。今津線ではいかにもダサいから、勝手に宝塚線と決めていたのでした。
今津に「梁山泊」を決め込む友人10人程度が転がり込む下宿があり、西へ東へたまにはそのまま甲東園まで、不思議な世界が広がる地域が、我が今津線だったのです。

今津線の西宮北口から宝塚までが、舞台の小説、一気に読み終えました。
久々にジャンルの違う新しい小説家に出会い、とまどいながらも、どんどん吸い込まれて行ったのは、40年前にこそこの線で起こりそうなリアリテイが、この小説にあったからでしょうか?

ほのぼのとした展開ながらハイペースで進む同時進行型青春小説、見事な関西弁が、この小説で生かされているのにも驚かされ ました。大阪弁を巧妙に生かすこの作家は、高知出身とか、ひょっとしたら4年間甲東園からの長い坂を歩いておなじ大学へ通った我が後輩では、とも考えましたが、どうやらそれは違いそうです。(吉本以外に関西弁は使いこなせない特殊言語ですから、、)

ここにある大学は、書かれているほどハイレベルな大学でもなかったから、同窓制には、とてもこのような表現はできないはず。でも、KG大学OBは全員がこの小説を大評価間違い無し。(なぜかプライドだけは高いのです。そこをくすぐるテクニックは、関係者OBは結構多いから、ベストセラー間違い無し?)
いやもちろん内容の素晴らしさで、すでに大ヒット中なのでしょうが、、、

でも、一組でも出演のカップルがこの大学のキャンパスを訪れてくれていれば、よりこの地域を表すデートスポットの実像が其処にある事に気づいてもらえただろうと残念にも思いました。

この沿線のこの大学、最近人気落ちが激しいとか、(同期で学長になった友人が東京まで来てぼやいていましたから)
でも大学としてのこの周辺の環境は、大学キャンパスとともに、未だに日本一の学舎が残っているはずなのですが?
一度訪れただけで、虜になってわけもなく入学を目指した学生は多いはずです!

とにかく、北口から、門戸厄神、甲東園、仁川から宝塚までに確実に起こっていたはずのリアルさを疑うことなくみごとなドラマ化して表現されています。

阪急宝塚線に住むジャジーさんにはわからないでしょう?
当時の今津線の2流意識は、なんだったんでしょうかね?

この小説が、宝塚から始まり、今津線なのに今津まで至らないことに関係ありますかね?
あの頃の阪神電車と阪急電車の乗客の見事な違い、今のジャジーさんにも感じるものなのでしょうか???

ところで、ジャジーさん、甲東園(または仁川)から関西学院まで散歩されたことありますか?
きっと東北大とは一味違うアカデミックさがあるとおもうのですが、、、。
学業は別にして、音楽や恋が生まれる環境が残っている希少な学舎があそこには未だ存在すると思うのですが、、、。

「じゃじーブログ」にいつも感じる「ほのぼのさ」と共有する「阪急電車」の
充実の読後感、、、。
かみさんには叱られましたが、間違いなく安い買い物でした。
音楽はもちろん、いい本の紹介も是非今後ともおもお続けください。有難うございました。。

8月 29, 2010   3 Comments

プチ保険はコンビニで(3) 自転車保険

コンビニの周辺には、必ず自転者がある気がする?
コンビニへの買い物に自転者を使うのがオシャレと勘違いしているかもしれないが・・・。

先日の新聞に、自転者事故で多額の賠償事故多発と各紙が報じていた。
自転車保険保険と言われた場合、皆さんどういう保険を想定されるであろうか。
昔、自動者保険の発売初期の頃、この保険は新種保険という範疇であり、主に高額な動産として、その車の破損棄損に対する修理費を填補するものであった。今や自動者保険という商品は、自動者所有に伴うあらゆるリスクをを想定してなんと100以上の特約をパッケージして販売されてる。
従って、購入した自動者保険を売った側も買った側も説明も理解もしていない(しようと努力してもできない)のが実情となっている。自動車に関して何か事故があったなら、コンピューターに問い合わせて、こんな事故ですが、支払いが可能ですかと聞くしか無いのが実情である。
今の保険はオールリスク担保が基本パターンとなり、一括売りが最も効果的であり、営業効率が高い事から、各社横並びで商品販売がなされている。しかし本来の保険の本質は違っていたはずだった。

保険領収証の事をカバーノートという。多少専門的であるがカバーは、もっとも重要な保険実務家の必需品、保険会社としても徹底した管理が今も行われている。カバーに書かれている保険領収金額とカバーされるリスク区分や支払い金額が書かれており、領収証でありながら、正規の保険証券が届くまでは、それに代替されるものと考えられるからである。つまり、100円の領収証が1000万に化ける可能性がある事になるからだ。保険をかけたい人は、欲しいリスクをカバーする為に何枚ものカバーノートを買うのが保険本来の姿であった。
この点は詳しく後述する。

自転車保険をコンビで買えるとしたら、どんな場合に必要となり、便利だと思われるだろう?
おそらく自転車に乗って、他人を傷付けた場合の賠償責任を担保してもらえれば、十分では無いだろうか?
万一の場合賠償しきれないほどの事故・・・。自動車保険の対人賠償保険に当たるものは、どうしても必要だ。自動車保険の場合には、強制保険としてこの対人賠償保険が、車検時に自動付保されているのに、自転者には、そう言った制度が存在しないし、ましてや自転保険などどこで売られているのだろう。この点が今回の新聞記事となった。要は事故と賠償保険の普及がアンマッチで、被害者が困っている事できじとなったのだ。自動者事故で日常的に起こる高額賠償事件など、今更記事にはならないのだから・・・。

実は、自転車保険の概念はあっても、絶対に必要な万一の際の対人賠償責任保険だけを保険会社は、販売していない。(自転車に自動付帯して売っている場合はあるかもしれないが、、、)
自転車の最大リスクはそれ自体の盗難事故であが、実はこれも単独ではなかなか売りにくい理由がある。事故が少なすぎる事から、支払いする金額より、あまりにもその商品の販売付帯コストが高いと当然商品化できないし、支払い事故が多すぎて、ほぼそのものの値段と同等の保険料を貰わなければ、販売できない場合にも商品化はできない。

自転車による万一の人身事故の際に限った賠償保険を限度額1000万つけたいとする。
たとえば、その為の年間保険料は100円かもしれない。保険会社ではとても100円では、保険の基礎コストが出ないから、販売できないのである。
しかしもし、コンビニでなら、100円で必要最低限の自転車対人賠償責任保険が売れるなら、これこそコンビニで販売するべき商品と言える。

果たして開発は可能か???

答えはYes、パンフレットにて説明が可能であり、かつ誰にでも理解できる購入商品内容が説明できるものであれば、募集人という説明要員(高額コストの)は不要であり、レジで、保険料の授受とサインをすれば契約は完了できる!!!

プチ保険ならコンビニで販売できる。次にもう少し詳しく保険の構成要件を考えて見たい。

8月 26, 2010   No Comments

おわら「風の盆」

「かぜの盆」が静かなブームとなっている。

正確には、このまちの小さな祭りはそのブームのおかげで、ある種の終末を迎えているのかもしれない。

この日曜日、富山県「越中八尾」まで電車を乗り継いで(6時間かけて)その「日本の心」を見学に行ってきた。(昨年、東京銀座から本社を富山高岡に移したある会社の社長に進められ、彼に半年前に予約を頼んでおいた。)

「おわら かぜの盆」は、本来9月1日から3日まで越中八尾にある「9つの町」(集落)で踊られる地域の小さな盆踊りであった。日本の小さな集落で引き継がれてきた「盆踊り」が静かなブームを越えて、大きな「町おこし」になってしまったことを地元はどう捉えているのだろうか?

あえて、本番の時期をはずすようアドバイスを受け、なおかつ予約は半年前でなければ宿が取れないという。本番の3日間はとても祭りの持つ、情緒は味わえないから、あえて予行演習の22日を選んでもらったのだが・・・。

小さな集落の集まりでは、受け入れらる宿の数は限られているので、止まった宿も即席で、客を迎え入れる体制など無い。年にたったの3日間のお祭りの為に、準備できる宿など、再三的に限られるのは当然だろう。(決して祭りの時以外におとづれる人など無いのだから・・・)

この日も当然(いや予行演習の日なのに?)ながら、予約した宿は満杯、それどころか町内会で主催する観光者向け「風の盆」説明会も超満員で立錐の余地無し!

(入場料1500円はいかにも高すぎる(内容だった)し、実は先に見ないほう良かったと思った。)

でも考えれば、踊りが見れない人がでる事への配慮なのかもしれない。案の定「練習会場」まで駆けつけたら、そこはすでに大群衆のカタマリと観光客の為にしつらえられた舞台であり、背伸びをして垣間見ることが精一杯・・・。(流して歩く「であろう」情緒は無く、都会の盆踊りのごとく丸くなって踊るのを大観衆が見守るしかないなんとも不釣合いな状況・・・)

実は、全く別のことを考えてしまった。この祭りの大ヒットはこの地域の「町おこし」に役立つものだったものかどうか?踊り手たちにとって、いやこの村にとって観光客など全く余計な「群集」でしかないのではないか?

大挙して都会からバスで来る観光客は、宿も駐車場も足りないから、遠くに止めて、遠目から見物して、食事も買い物もせず、嵐のように帰るしかないのだそうだ。本番では、踊りを見れない人も沢山出て、已む無くバスの時間になり、とんぼ返りする人も多いというのだから、本番の3日間はこの村は完全にパニック状態なのだろう。

観光会社のツアーとしては、大成功しているはずだが、きっと地元への経済効果は来場者数の10分の1程度???

とすれば、市民会館で「1500円」で見せる「ビデオと踊りの説明」での莫大な収益程度がせめてもの地域へ貢献できる経済効果ということなのだろうと後で納得した。

観光客を迎える町の姿勢を責めるより、実は余計なブームが早く消えることを地元は願っているのかもしれない。いや、そうあって欲しいものだ!

荘厳で、優雅で、優美な「おわら かぜの盆」は、地域の若い男女の愛の語らいの場であってかつ、うらびれたえもいえない独自の日本美をかもしだすものだろう。静かに流れていく風の如く、歩きながら、静かに立ち止まり感じるその風情の中にこそその真髄があるはず・・・。

予行演習までが観光化されて、この村では「町おこし」に利用したくはないし、「村だけの楽しみ」にかえりたいとのさけびにも聞こえてしまった。

ちなみに「おわら かぜの盆」が正しい呼称で「おわら」は稲のわらを指し、大豊作を祈念する古くからの収穫祭であり、そこにこそ日本独自の「うら盆」の由来を感じさせるものであると素直に感じながら、暑い東京の残暑も叉良しととんぼ返りしてきた。

静かに、残したい地域固有の祭りであるべきと考えながら、地域おこしの為にこのブームをどう活かすべきかと考えてしまう自分・・・。

果たして一緒にツアーした「10人のすばらしい仲間達」の本当の想いはどうであったのか・・・。

みんなで感動を共有してそれぞれ帰途に着きはしたが、その感動は、旧友との再開を喜ぶ場として「風の盆」が利用されたのだったかもしれない。

8月 23, 2010   No Comments

プチ保険はコンビニがお似合い(2)「コンビニ保険?」

「コンビニ」で「おむすび」を買うように保険も売れないか?

もし、コンビニで変えるなら、便利な保険も沢山ある。

例えば年に一度の旅行に出かける時、たまたまレンタカーを借りるような時、ボランテイア活動でちょっと危険が増大するような時、自転車での対人事故だけ保証が欲しい時・・・・

だが実は、これらはみんな保険会社からすでに発売済みだ。むしろすでに保険商品で開発されていないものなど無いほどに商品化は終わっている!

しかし、これらの姿(実態)は、見えなくなっている。

販売コストが商品コストを上回るからだ。その為にこれらの保険は、何らかの商品とセットされているか、余計(不要)な保証がついていることが多い。

経験上、今の保険会社が発行する保険証券の最低コストはどんなに保証が小さくても、2000円はかかるだろう。⑧実は現役時代、密かに最低コストを計算して驚いたことがあった)

果たして保険証券なるものは本当に必要なもの?その為の印紙税は誰が負担する?開発費、システム費は商品の大小、売り上げの如何に関わらず、発生する。最も高いコストは、当然販売コストであり、募集費が常にのしかかってくる。

果たして、消費者が求めている「リスクヘッジ」したいものと販売されている商品は一致しているかどうか?レンタカーや自転車に乗ることでのリスクなど、加入済みの保険でカバーできないものか・・・

保険は複雑怪奇であり、勢いプロの出番が必要となる。

その十分な説明を聞くか、全てを信じてプロの代理店にお任せする以外に現状では、手の打ち様が無い!

いや、本当はプロでも、保険会社の社員ですら、その全貌を掴み、説明できる域を超えてしまっているかもしれない。(答えはコンピューターの中???)

自動車保険は、皆さんが最もよくご存知な保険??、いや火災保険は十分に認識できている???

残念ながら業界で30年過した小生でも、自動車保険の説明を顧客に全て出来る自信など全くないと白状してしまおう。

これはおそらく保険会社及び保険代理店の全ての関係者ですら同様のはずと断言しておきたい。だって自動車保険と一口に言ってもその特約(契約)の数は100以上の部品?が組み合わさって出来ているのだから・・・。

保険会社には、その契約の説明責任があるが、その販売商品の内容全てを説明、理解を頂くためには、契約まで丸一日お付き合いいただくことになるだろう。

優秀な保険会社の社員が長年かけて、考えてきた保険約款を継ぎ足し、継ぎ足し造っては、金融庁に認可を頂いて初めて商品となりうるのだ。開発商品は廃棄される事無く、修正され、加筆されてきた。当局はその部品ごとに適正かどうかチェックし、認可を承認してきた。(承認した全てを商品として長めたことなど無いだろう?)

その結果、部分最適は計れても、総体の姿は説明不能な高額商品となって出来上がってきたのが、保険事業の歴史であり、今も続いている。その都度約款といわれる重要事項説明書の文字が小さくなっていき、コンプライアンス上の問題が発生しやすくなってきたのだ。

案外この大きな矛盾を気付く業界人は少ない。

「シンプルイズベスト」といわれる商品傾向があってもその特約数は50を切れないのだから・・・。

一方、アメリカンファミリーの「がん保険」が大ヒットしている。

その名の通り、「癌」による死亡の時だけ有効とした極めてシンプルなものだった。説明不要で通販で販売が出来た。(勿論一般に加入する死亡保険では癌による死亡も有効であるにも拘らず・・・。)

不治の病から治療すれば治ることからガン保険も進化を遂げ、様々な特約が付帯され、凌ぎを削る時代となったが、未だにアフラック社のガン保険は圧倒的シェアを保有する大会社となっている。少なくとも過去のガン保険なら、コンビニで売れる商品のはず・・・)

そろそろ御察しのいい読者には結論が見えてきた??。(いやはじめから読めていた?)

次回にはやっと本題に到達出来るかもしれない・・・。

8月 20, 2010   No Comments

プチ保険はコンビニがお似合い(1)同床異夢

実は、保険はコンビニで売れない!

その理由は、保険は金融商品であり、実に詳しい説明責任を果たさなければ、一般的に販売許可が下りない。コンビニの主役は主に24時間稼動できる「パートさん」である。入れ替わり3交代する「パートさん」には、手軽に消費者が見れば解る安価な商品が主力で、かつ大量販売が出来る事こそが、発展を続けるコンビニ事業の存在価値である。

保険は、小さな文字で書かれた難しい約款を理解してもらう説明責任が「命」であり、その為の販売資格が「募集人制度」として法制化されている。

ならば、共済という商品はどうだろう。これは保険と「同床異夢」なところがあり、従来は、保険事業とは別括りの自由市場で販売されており、目立たないが大きな市場を構成してきた。

いわゆる生協共済や全労災、県民共済の類である。これらの加入者はすでにに1億人を優にに突破している。これらは実は、制度共済といわれ、監督官庁の主管が存在するが、これまではこれ以外の無認可共済といわれる分野も、数多く市場には存在し、かつ一定の必要事業分野を構成していた。

(コンプライアンス論が喧しい保険業界が好むか否かは別問題として・・・)

しかし、3年前から今日まで続く保険法の改定は、共済は保険であり、一部例外規定を残して、法の網の中に全ての保険共済は包含される事となった。その例外規定が、制度共済等であり、いわゆる無認可共済については、少額短期保険事業として金融庁への販売認可が必要となった。(無認可共済は、いつしか消えてなくなった!)

要は、従来の保険も共済も保険法の対象範囲であり、それぞれが、厳しく主管庁の許認可事業となったわけだ。

いわば、この時点で保険も共済も全て「金融事業」という枠の中にはいったことになる。だが、金融事業である場合には、いわゆる事業破綻時のセーフテーネットが完備され、叉はその消費金額に一定の非課税措置が講じられたりするはずであるが、旧共済陣営には、たとえ少額短期事業者であってもその様な法的措置は講じられない。

少額短期保険事業においては、資本金は1千万以上という規定で設立が可能(保険事業では最低10億の資本金)であり、その代りに明確に消費者責任と経営責任を消費者に理解させる事となっている。これは当然ながら一般の小売事業における責任規定であり、商法上の自由市場に等しい措置である。

すなわち、保険と共済は、理論的に「同床異夢」な整理が必要であり、同一法論理で整理できるものではない事が、むしろ明確になったと理解すべきと筆者は考える。

保険事業とは、いわゆる金融事業と位置づけるものと日本古来から発生して来た助け合い(共済)事業に明確に分けて考えるべき法秩序が出来上がったと考えるとどうであろうか。

金融事業は、勿論経済に大事な「実業」であり、どんな社会においても「血液」としての大きな使命を有し、ときには世界を震撼させる大問題を巻き起こす。故に極めて詳細な法規制と一定の保護も必要なこの時代の最大産業であろう。(金融業や保険業が虚業のように言われる側に組するものではない。)

但し保険業の骨格を成す「共済事業」もまた実業であり、かつ自由に経済効率の中で市場を形成するべきものであり、それを単純化すれば、消費者の選択と経営責任の範疇で取捨選択されるものであって不思議は無い。むしろ昨今の金融事業の不祥事に比べて、共済事業の長い歴史の中に不祥事を耳にしたことは無い。

にも拘らず、無認可共済はいわゆる「オレンジ共済」事件や外資系企業によるイコールフィッテイングという別件逮捕のごとき圧力の中で、一定の法規制が掛けられたわけである。

私は、勿論「法は法」としてその寄って立つ精神と狙いを改めて検討し、保険事業や共済事業におけるコンプライアンスを考えて見る立場を与えられ、その歴史及び関連事業を検討しえ見ることになった。

この「コンビニ全盛時代」にも保険がコンビニで売られない事の根本原因は何か?。保険をコンビニで販売できるように工夫する事は出来ないか?・・・などなど

簡単で、安価な商品はコンビニで売れるし、売るべきだ。それが自由市場であり、保険共済業界を発展させる経済的原動力にもなりうると仮説してみた。勿論共済を販売して収益事業として成り立つかどうかが大前提であるが・・・   (続く)

8月 16, 2010   No Comments

プチ保険はコンビニがお似合い??(序)

保険会社を卒業して、いつしか保険会社に舞い戻り、その業界をいじくるのは禁じ手だろうが・・・。
言いたい事を言える立場が欲しくって引退宣言までしたのだから、まーいいか?

共済陣営からの要請を受けて、二つの保険会社設立に関わる事となった。
そのひとつは、行政認可のある制度共済、もうひとつはその中で生まれた問題意識が困じて設立した元無認可共済の分野だ。

保険業法の改訂が、偶然にも保険会社を卒業と同じ頃に重なった。
現役時代から持っていた昨今の金融関連で大騒ぎのコンプライアンス問題を通して、個人的興味を誘い、余計な伏魔殿に足を踏み込んでしまい、正直後悔もしている。

不思議に、ピンチとチャンスが交互に現れ、真実の姿が見えてくるものだ。
退職に伴うピンチと保険法改訂というチャンス。
それが、このブログのテーマであり、「プチ保険の売り場は、コンビニがお似合い」となる所以まで道程は遠いぞ!

多少ダブるだろうが、面白くも無い記述におつき合いいただきたい。
保険法、保険業法の改訂など世間では、とんと無頓着であるが、実は大問題でもあるかもしれない。
以前に、現在の世界的バブルの根源は米国の保険会社AIGグループの倒産危機にあるとまでは書いた(気がする)。そして、その余波は、我が出身会社にも及び、考えも出来ない大型合併が起こり、世界規模の「MSADグループ」なる会社が誕生したというのは論理飛躍であろうか?世間では全く関係の無い個人的大問題・・・。

さて、小さな保険会社に何とか潜り込み、無事勤め上げたOB達(含む私)にとって、新MSADグループなる大系列会社のOBになると言えるものかどうか???
きっと、もし 入れるはずも無い会社のOBになれるなら、この話は書け無いだろうと思う。(OBとして、威張ってあの素晴らしい厚生施設が利用出来る光栄に良くせるはずはない!)

脱線が過ぎたたが、保険業界の再編は、日本経済や我々にも大きな影響を及ぼすことであり、その根源は常に法律改正をともなうものなのだ。

金融事業は法の下に、厳しく規制を受け、また一方で大きな規制緩和対象企業でも有る訳だ。

さて、話が難しくなって来るが、金融事業の実態(虚実)について、次に常識的結論を承知の上と断った上で、、わかり易く私見を能書きして、果てしない表題の難しいテーマにチャレンジして行く事になる。

8月 12, 2010   No Comments

廣島、長崎、終戦・・・65年

猪瀬副知事の「昭和16年の敗戦」が見つからず、浅田次郎の「終わらざる夏」を買ってきた。
何故かいつもの夏より今年は暑いように思う。

終戦から65年に特別の感慨があるのでは無い。
むしろ安保50年の総括をうたい、普天間海外移設をうたった民主党政権の崩壊に思うところが大きいのだろうか。リアルに戦争を描ける最後の世代もやはり団塊までではなかろうか?

兎に角、65年間は戦争がなかった。
「戦争を知らない子供達」は戦争を身近に感じながら育った最後の世代でもあり、リアルな小説が書ける最後の世代、強いメッセージを残せる最後の世代という役割がある!
廣島、長崎を現実で感じ取れるのもこの世代までかもしれない。

団塊世代の大半が、一線から退くのもこの夏である。
「07年問題」と言われてから3年が過ぎたが、未だ問題らしいものは現れてこない。誰も意識はしなかったが、問題は必ずいつか健在化するだろう???

少なくとも65年間続いた平和な日本は、果たして日米安保と核抑止のおかげであっただろうか?

米軍の沖縄駐留海兵隊が、戦争の抑止力であるとの鳩山、管発言の試行回路をまじに疑いつつ、米国の落とした原爆記念日に平気で出席できる論理矛盾をむしできるのが政治家であるならば、この国の理性も、歴史も見失う時代が到来している「恐怖」を感じざるを得ない。

少なくとも憲法(9条)の平和貢献をいう方が、安保や核の傘をいうよりは、リアルで、正直であると確信する!

九条と安保の是非で、政治を二分しなければ、この国の形は定まらない。2大政党時代が到来している。
残念ながら、いつのまにか世論は真っ二つのところまできている。
このままでは、近い将来には三分の二を改憲派がしめる時代を予感する。

少なくとも「戦争を知らない子供達」は知らないままで一生を終えることができる。そのための平和憲法をあの戦争で得たのだとすれば、あまりにも大きな犠牲では無かろうか?

せめて孫子の世代までは、あの戦争で得た平和な日本を維持させ無ければ、命を賭した名も無き無数の英霊に申し訳無い。

原爆投下と日本を守るアメリカが、同じであるはずは無い。
アメリカにとって、真珠湾を忘れないのと同様に・・・・。

布告無き軍港爆破と無差別民間爆撃を比べる無意味と同様に・・・。

8月 10, 2010   No Comments

想いはあれど・・・

書きたいことは山ほどあるのにご無沙汰ばかり、でも読み手になるとやっぱりこのブログは、秀逸・・・。
神童編集長の「システム物語」!当事を想い出しつつ、あまりのリアルサにドキドキしてしまいますよ?
この調子で!事実は小説より面白いはず・・・。

実は社内向けに、OBとして残して置きたいと考え、「営業の原点」と銘打って
メルマガ発信を始めています。書き出すとこのテーマだけで既に10話、社員には迷惑だと知りつつ、引退宣言と現役の主張を実践しているのですが、矢張り団塊世代の極めて特殊な環境について、書き止めておくことの大事さを自己中的総括としています。

できれば、本ブログへの転載も考えますが、読み手に取っては、迷惑このうえないものでしょうか???

最近書きたくて、書いていない事、「辻元清美」の社民党離党の意味、(案外見落としがちながら、この影響は実に大きい)
「民主平成維新は崩壊か」などやっぱり政治ネタになり、文化度の高いこのブログでは、多少気が引けるものとなてしまいそうです。
本来政治経済を無責任に書いて行く狙いもこのブログにあったのでしょうが、あまりに格調高くなってしまいすぎかもしれませんね?

団塊世代は、負け組と位置づけしているのですが、後輩たちには、明らかに勝ち組と映るようです?
それは、鬱屈した時代背景に隠された素養の発芽をシニアになって感じさせるからでしょうか?
いずれにせよ、長寿社会の結果として、100歳以上の一人暮らしすら、見えなくなっている(見て見ぬ振りをしてしまう)社会を作った責任の一端をして、負け組総括するのは、無謀でしょうか?

8月 5, 2010   No Comments