おわら「風の盆」
「かぜの盆」が静かなブームとなっている。
正確には、このまちの小さな祭りはそのブームのおかげで、ある種の終末を迎えているのかもしれない。
この日曜日、富山県「越中八尾」まで電車を乗り継いで(6時間かけて)その「日本の心」を見学に行ってきた。(昨年、東京銀座から本社を富山高岡に移したある会社の社長に進められ、彼に半年前に予約を頼んでおいた。)
「おわら かぜの盆」は、本来9月1日から3日まで越中八尾にある「9つの町」(集落)で踊られる地域の小さな盆踊りであった。日本の小さな集落で引き継がれてきた「盆踊り」が静かなブームを越えて、大きな「町おこし」になってしまったことを地元はどう捉えているのだろうか?
あえて、本番の時期をはずすようアドバイスを受け、なおかつ予約は半年前でなければ宿が取れないという。本番の3日間はとても祭りの持つ、情緒は味わえないから、あえて予行演習の22日を選んでもらったのだが・・・。
小さな集落の集まりでは、受け入れらる宿の数は限られているので、止まった宿も即席で、客を迎え入れる体制など無い。年にたったの3日間のお祭りの為に、準備できる宿など、再三的に限られるのは当然だろう。(決して祭りの時以外におとづれる人など無いのだから・・・)
この日も当然(いや予行演習の日なのに?)ながら、予約した宿は満杯、それどころか町内会で主催する観光者向け「風の盆」説明会も超満員で立錐の余地無し!
(入場料1500円はいかにも高すぎる(内容だった)し、実は先に見ないほう良かったと思った。)
でも考えれば、踊りが見れない人がでる事への配慮なのかもしれない。案の定「練習会場」まで駆けつけたら、そこはすでに大群衆のカタマリと観光客の為にしつらえられた舞台であり、背伸びをして垣間見ることが精一杯・・・。(流して歩く「であろう」情緒は無く、都会の盆踊りのごとく丸くなって踊るのを大観衆が見守るしかないなんとも不釣合いな状況・・・)
実は、全く別のことを考えてしまった。この祭りの大ヒットはこの地域の「町おこし」に役立つものだったものかどうか?踊り手たちにとって、いやこの村にとって観光客など全く余計な「群集」でしかないのではないか?
大挙して都会からバスで来る観光客は、宿も駐車場も足りないから、遠くに止めて、遠目から見物して、食事も買い物もせず、嵐のように帰るしかないのだそうだ。本番では、踊りを見れない人も沢山出て、已む無くバスの時間になり、とんぼ返りする人も多いというのだから、本番の3日間はこの村は完全にパニック状態なのだろう。
観光会社のツアーとしては、大成功しているはずだが、きっと地元への経済効果は来場者数の10分の1程度???
とすれば、市民会館で「1500円」で見せる「ビデオと踊りの説明」での莫大な収益程度がせめてもの地域へ貢献できる経済効果ということなのだろうと後で納得した。
観光客を迎える町の姿勢を責めるより、実は余計なブームが早く消えることを地元は願っているのかもしれない。いや、そうあって欲しいものだ!
荘厳で、優雅で、優美な「おわら かぜの盆」は、地域の若い男女の愛の語らいの場であってかつ、うらびれたえもいえない独自の日本美をかもしだすものだろう。静かに流れていく風の如く、歩きながら、静かに立ち止まり感じるその風情の中にこそその真髄があるはず・・・。
予行演習までが観光化されて、この村では「町おこし」に利用したくはないし、「村だけの楽しみ」にかえりたいとのさけびにも聞こえてしまった。
ちなみに「おわら かぜの盆」が正しい呼称で「おわら」は稲のわらを指し、大豊作を祈念する古くからの収穫祭であり、そこにこそ日本独自の「うら盆」の由来を感じさせるものであると素直に感じながら、暑い東京の残暑も叉良しととんぼ返りしてきた。
静かに、残したい地域固有の祭りであるべきと考えながら、地域おこしの為にこのブームをどう活かすべきかと考えてしまう自分・・・。
果たして一緒にツアーした「10人のすばらしい仲間達」の本当の想いはどうであったのか・・・。
みんなで感動を共有してそれぞれ帰途に着きはしたが、その感動は、旧友との再開を喜ぶ場として「風の盆」が利用されたのだったかもしれない。


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