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Posts from — 9月 2010

11賢人の紙ブログ「駄ジャレター」

月一程度、長兄からたいそうな封書であるコピーが送られてきます。

七賢人から何時のまにか11人に増えた大先輩達のミニコミ紙、
その知性とペーソスにエスプリを加えた駄洒落文は、兄から参考にせよとの激励でもあるのですが、「とても敵うものではない」と舌をまくばかりの恐怖の紙ブログです。恐々ながら(とても原文の味は伝えられませんが)少し紹介します。

今月のテーマは件の長編です。まずは25年前の桂枝雀の口演、
その夏の猛暑を例の「枝雀節」で無理やり文字にしながら、「今年の異常猛暑は、25年前にも同じ様に既に枝雀師匠に落語としてぼやかれていたのですよ」と皮肉っておいででした。
そういえばこの高座、遠い昔私もNHKで大笑いした記憶が蘇りました。

2つめの話題は、先月私も書いた「おわら 風の盆」、びっくりしたのは嬉しくもはずかしくも我が独り言が「エッセイ」といわれて紹介されながら、本物の「風の盆」の姿が見事に映し出されているのです。(そういえば、風の盆を見たくなったのも、先輩の紙ブログを見てパクったかも、、、)

「これがブログというものですよ」と大先輩は、たった11人に向けた紙ブログで見事に表現、騙されてもう一度訪れたくしてしまいます。恐れ入りました!!!

続いて、テレビの高校性クイズを皮肉ってこけにした末に、「ふれみやさん、ソルベンシーマージンとはなんでしょう?」振られて、またドッキリ、、、。考えれば振られた兄貴がどっきりしたのでしょうが、ちゃんと答えまで作ってくれていて「ソルベージソングでも歌ってろ」と叱られますね?
戸惑いを呼んで、皮肉でシメられていました。

そして紙ブログの最後を飾る三田村鳶魚の書評(なんと70年前の)を紹介、そこには驚くべき非常識?で文豪吉川英治「宮本武蔵」がこき下ろされているではないですか!
子供の頃「宮本武蔵」を手に汗にぎるように面白く読んだ、との大先輩の最終評に、「あー大先輩をして自分と変わらぬたんじゅんな感想だったとあり、大安心したものですが、75年前だから、吉川文学成立以前の酷評となったのかどうか、歴史物大好き人間としては興味ある視点ではありました

今回も13ページに及ぶ大作を、わずか11人にぜひ読んで、、と贈られているとしたら、恥ずかしくて、世界に開かれた我が稚拙なブログなどやめてしまいたくなるので困ります。
(でもきっとこの紙ブログは私がコピーして他のブロガーに贈る様に静かに読者は増殖しているのでしょう。)
そして、まだ見ぬ大先輩の目を汚しているブログによるご縁も十分に意識して、その域に到達できる様、励んで行こうと思います。きっと後15年程度の余裕を言い訳の糧として・・・。

最後に紙ブログのまま(ぱくり)シメてみます!
退屈なお話、お詫び申し上げます。
これらを triviarity(トリヴィアリテイ)といいます。
フレミヤ?訳は「採微有底」=つまらないこと。です。
本月はこれにて失礼いたします。

(高田様勝手掲載お許し下さい。)
「ラストラン」の書評ありがとうございました。作者は、大感激でした。
モデルの主人公は、結末が大不満、最後まで痴呆と介護にもがき、苦しむ現実をリアルな可能性で、描いて欲しかった様ですよ???ーー

9月 23, 2010   No Comments

新宿界隈を観て、日本沈没前夜を憂う

連休の前日の金曜日、新大久保での会合の帰りに新宿歌舞伎町から、西口を越えて都庁前までを歩いて見た。時間は夜の10時過ぎ・・・。

新大久保のコリアンタウンの活気は、完全に韓流パワーそのもの!
街ゆく人も、お店の人もそのほとんどの会話は韓国語、聞けばすでに街は、在日コリアンでは無く韓国若手経営者の進出で店舗経営がなされているんだとか? 知らなかった!

歌舞伎町には、かつての怖さや危うさが感じられない?
けど、無秩序な若者達が、無警戒に携帯を手に話し、座り込む姿ばかりが眼につき、何の警戒心も無く、「今」を過ごす無気力感は、確かにかつての歌舞伎町では無くなっている。

西口広場から都庁方向へ、
老若男女入り乱れて、やっぱりみんな携帯と睨めっこしながらぶつかり合う活況ぶり、連休でバス旅行がこんなに盛ん???至る所に観光バス・・・
年配者も元気なら、フリーター風の若者も一杯。中学生?、高校性?、パートさん? きっとこの傾向なら、羽田も成田も大盛況なんだろう、、、。
昔西口では、学生達のフォークとシンナーの若者でごった返してはいたけど、なんかずっと精神的には不健康に感じてしまう。
今の平和を堪能し、明日への不満など微塵も感じられない。
大人と若者が混在するこの携帯万能社会は、とても世の中不景気などとは見えないけど・・。

嫌、そんなはずは無い。この無秩序と無気力な平和主義は、必ず日本をダメにしてしまうはずだ。不景気は深刻な状況であるのに見て見ぬ振りがここにある状況こそ深刻だ。

新宿界隈の匂いを25年も見てきたが、活気と殺気が消えている。
そう言えば、かつての新宿の匂いは、上海、香港、ソウルには残っていたぞ?

若者達のにおいが違うし、そこに同居するおじさん、おばさん達も全く違う(無批判、無視の)異文化社会が出来上がりつつある気がする。

10年、20年・・・日本の沈没は無年金世代と同時に、確実にやってきてしまうだろう。

最近の若者はとよく言われた時代、その世代が大人になって作られた社会が今であれば、やはりあの頃言われた最近の若者(今の大人)に指摘通りの問題があっ
たのだろう。決して、今の若者に問題をすり替えるべきでは無い!!!

9月 20, 2010   No Comments

新総務大臣に期待!

今、国の形を変える為には、住民主権以外には、無いのでは、と密かに期待していた。民主党に政権交代しても全く進展がなかったこの問題!

市民主権への移行は、民主党の公約の一丁目一番地であったはずが、一歩も進まずがっかりしていた。道州制の検討と直接選挙による市民主権の行使が、国家主権と議会制民主主義を補完し、国の形を次世代へ移して行く為の革命前夜となる可能性を予感していたのだから?

「地域主権と言う方が一般的にあるが、これは大きな間違いを引き起こす」と我が師匠に教えられて久しい。「国家主権に対峙する言葉が、地域主権であり、民主主義の民とは、本来は市民の民であり、国民の民では無い・・・。」国家と国民が同義的に使用され、日本に民主主義が不在となっていると言う師の難しい理屈に同意するまでには、多少の時間がかかった。

日本の政治が未成熟であるのは、国民主権と言う国家主権が官僚主義で補完され、今日の日本を形作ってきたことにその理由がある。この国の形を変えて行き詰まりを打開する為には、市民主権、住民主権、生活者主権を推進する以外には、その解決策は無い!

ただし、地域主権では地域官僚に主権が移行する事につながる可能制があり、言葉の遊びと考えず、国民が第一では無く、「生活者が主役」とした民主党のマニフェストの意味を理解するべきだろう。

片山善博新総務大臣は、市民主権の本当の意味とその重要性を理解し、実践出来る唯一の政治家であるかも知れない。

多少年齢ギャップはあるものの、「平成の龍馬」を期待する意外に無い。多少
地味ではあっても、市民派の化けの皮が剥げてきた管新総理を乗り超えて、市
民主権へこの国のの形を変える旗手となってもらいたいものだ。その為には、郵政民営化などどちらへ行っても構わない問題だから、、、。

9月 18, 2010   No Comments

浅田次郎の「シェエラザード」

シンドウさんから、浅田次郎の「シェエラザード」を頂いた。

親父が戦時中「郵船」にいて、戦争体験を免れたらしいと言う話をしたら、「そんな話を浅田次郎が、書いているよ・・・」との事で、昔読み終えていた「中原の虹」と交換してもらった。シンドウさんは「蒼穹の昴」を読み終えた所だという。きっとこちらの方がおもしろい??

浅田次郎も団塊の世代作家だが、今一番の売れっ子なのだろう。蒼穹の昴、珍妃の井戸、中原の虹の三部作は、圧巻のスケールとその取材力、表現力に舌を巻いたものだ。三国志を超えるそのリアリズムは、現代の中国の発展を理解するに足る魅力を秘めている。

この夏、新刊の「終わらざる夏」を読み、先の戦争をよりリアルに書ける最後の世代も団塊世代でしかないだろうと考えながら「シェエラザード」も一夜にして、読み終えた。

浅田次郎との出会いは、「天切り松、闇がたり」だった。この小説の感性に、作家としての浅田次郎と言うよりも、その人の奥行きの深さに不思議な心の揺さぶりを感じたものだ。当然浅田次郎の代表作はこの一点であると今も信じて疑わない。

むしろ、「シェエラザード」や「終わらざる夏」は、別人の作家ではなかろうかと感じたりしてしまう。流行作家になって作品の質が落ちていかない事を願うのだが。

もちろん、2作とも面白かったし、テーマも良し!、村上春樹と比べれば、我が世代代表として、むしろこの作家を誇りたい。

それにしても、本屋にうず高く積まれている「1Q84」の続編、前編とはしらずに乗せられて読んだ事をなぜか後悔する。
どうしても、後編に手を出したくは無いものが、世界的ベストセラーであるということは、自らの感性を疑わざるを得ないのだろうか???

9月 5, 2010   No Comments

プチ保険はコンビニで(4)保険の組立

保険とは、保険者と被保険者の契約であり、保険者の提示に対して、被保険者が、イェスorノーで答えて行く契約の積み上げで成立する。

いわば、コンピューターと同じ論理回路の世界であり、その束ねが複雑に絡まってできている。契約はもちろん金銭が裏付けであり、商品はリスクを金銭化して、その確率で決定される。

博打でいえば、保険者が胴元であり、張り手は被保険者、競馬でいえば、宝くじでいえば、同じ発想で考えればいい。胴元の取り分が確定しているか、推定ではあるが、公的査定を経ているかの違いはあるにせよ、利益リスクが大きいものが保険、皆無な物が、宝くじであり、競馬である。経費を除いて何れも配当率も法的に定められている。その配当率が「純率」として認可が必要なものが保険だ。配当率などと比べると一般的に、張り手にとってその支払い率は極めて良く無い?

理由は一つ、販売流通コストが、高いからである。保険者はリスクがあるものの半ば公的判定を得た上で、経営手法によっては、予定配当、予定経費、予定利益の3つの利益の源泉がある。おまけに配当予定は預り金であり、運用益も想定できる。

金融機関としての位置づけを持つ保険会社は、本来その主たる利益の源泉は、運用益であるはずだが、最近の保険会社危機は、おしなべて運用損で発生している。支払い損や経費過多で経営が生きづまるはなしなど聞いた事は無い。

護送船団時代には、最小保険会社にそのスピードは合わされるし、それが赤字
が、想定されるや公的に料率修正の公的仲介が入る。最近は、効率化での利益確保で合併ばやりではあるが、完全市場自由化とは程遠い状況であり、高コスト体制もそのお陰で遠のく選択を可能にした。

保険は、契約の積み上げで0か1の関係、「10か100の対価が得られる」と言った計算式をアクチャリーという専門家が決定し、決して損の発生しない掛け率が決まる。問題は、契約件数が無数に束ねられスパゲテイ状態にあることであり、解きほぐして行けさえすれば、保険は最小化して、必要なニーズのものだけになり、誰でも一目で理解出来る保険商品の設計が可能なはずである。難しい説明は不要であり、チラシ一枚で誰でも理解が出来るし、ワンコインで購入、コンビニで決済も可能である。

前述した自転車保険を例に考えて見たい。この場合の保険ニーズは、概ね万一他人様を傷つけた場合であろう。それもサイクリングで明日遠乗りをする瞬間かもしれない。自転車そのものの破損など保険で填補するような代物では無いし、自転者で他人様の財物を壊しても保険準備までする必要があるかどうか?

保険は万一の場合に、とても準備をできないほどの出費に備える事が、本来の役割であり、火災保険の発展が原点の一つであった。建物はきわめて高額な価値を持ち、火災などで消失すれば、とても取り返しのつかないもの、しかし100年に一度の事故の可能性に備えるので重要であった。

自動車時代になり、この機械が平気で他人の命を奪う可能性がある事から、自賠責保険を強制的に付帯させ、皆保険社会を作って今日も完全機能している。

さすれば、自転者保険としての真のニーズは、手軽で安価にコンビニで買える万一の場合の人身事故に備えるもので有ればよい。

恐らく、それも必要な時だけという日にちまで契約で限定してしまえば、100円で、1000万程度の賠償事故に備える事が可能なはずだ。

必要なものだけを、必要な時に手軽に手に入れる場所はコンビニが一番である。コンビニは今や集金機能をも備えている。もちろん保険の収受もコンビニには認められている。

しかし残念にも今日まで、自賠責保険を除いて、民間の保険は発売されていない。専任の資格者と的確な説明が出来るプロを備えるほどの販売量が期待できないからである。説明が必要な難しい商品で保険を高額化してきた結果である。

だが、時代が変わり自由化対応の保険会社と商品開発が可能となった。未だ完全自由化とまでは言えないが、プチ保険に特化すれば、法的にコンビニの陳列棚に、タイムリーな商品をを並べる事が出来る。むしろ保険の原点である必要な時に必要リスクヘッジを選択するなら、効率的に保険を買う場所はコンビニ
が一番良いかもしれない。そしてコンビニの薄利多売方式を打ち破り、在庫保有しないで高利益商品ができる可能性も高い。

保険業法の改訂と言う地味な法律変更が生み出す、ニッチビジネスであるが、消費者サービスには確実につながると思うのだが、、、。

9月 3, 2010   No Comments