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Posts from — 1月 2011

経営者の道義的責任

経営者にとって、責任を問われる場合は、勿論法的責任を負う事もあるが、むしろどの様に道義的責任を果たすかが問われることが多い。

しかしこの判断は、あくまでも主観的判断でしかない。
責任を全うして、後任を決定し、退任できる経営者など数える程しかいないだろうが、案外この様に見せて退任を決めることが多い。またその為に、後任者選択の判断を間違える事も、往々にして起こり、それがまた道義的責任を引きずる事にもなる。

経営責任は、基本的に株主に対して果たすものであるが、勿論社員、顧客などにも様々な責任が発生するし、道義的であっても大きな経済的責任を伴うことにもなる。
中小企業にとって経営責任を果すということは、当然自らのコスト(社長給与)は本人の経済的責任という意味で効率化できる大きな要素でもあることは、中小企業再生の経験の中で経験させていただいた実感でもあった。

しかし、経営における道義的責任の最大の問題は、後任者を間違えた場合に起こる。社長の器では無い人を後任者とした場合、その企業や株主に対してその事の道義的責任は絶対に果たせなくなってしまう。一定の条件付きであっても、その推薦責任や指名責任はすでにその立場にないものにとっては、如何ともし難い難しさを作ってしまう。

社長という肩書きと責任は、想定以上に重く、その重さを気付かずに、就任してしまえば、いくらでも立場の保身は可能であり、その道義的責任を主観的に判断が出来なければ、これまた如何ともし難い事態を呼び込んでしまう。

社長が保身と個人的、経済的利益を優先すれば、株主は社長の能力を確認することが極めて難しいし、後任の育成すら見えなくなってしまうからだ。株主として経営責任を追求する法的手続きは存在するが、中小企業にとっては、それは致命傷ともなりかねないから両刃の剣でもあるのだ。

こんな状況が現実に目の前に起こったらどうすればいいのか?

前社長は、道義的責任を認めつつ、現社長に辞任を進言し、株主にその旨具体的事例を上げて報告する以外には無い。しかし、株主にとってその推薦責任者の道義的責任を盾に、その報告すら受け付けないだろう。勿論、新任社長から、前任社長の経営責任に関する問題は、厳しく、過激に報告されているはずだから!

過去、社長責任を追求し、本人にそれを認めさせることによって、その後のボランテイア経営者を引き受けることで、中小企業再生を可能とした成功事例を数多く有するのだが、この場合には、それは当てはまらない。

形式的にも社長を引き受けて、それが軌道に乗る前に辞任し、後任を推薦した2重の道義的責任が残る場合、それはどんなに説明しても敵前逃亡にしか見えないかもしれない。
道義的責任を経済的にも一定割合において引き受け、かつその責任の一環としての申告(自首)が裏目となり、その企業経営すら暗礁に乗り上げ、かつ周辺への迷惑が拡大してしまうかもしれない事態???

解ったようで、解らない独り言が続きますが、解る人には解るでしょう。どんな会社においても、社長の責任は極めて重く、かつ退任のタイミングは難しいというみじかで沢山発生しているお話でした。

1月 31, 2011   No Comments

法令遵守と道義的責任

コンプライアンスについては、以前にも書いた。

法令遵守がコンプライアンスと言われ出した頃から、日本経済は間違いなく下り坂になった。それは、前職時代の役員研修において、木村剛氏の研修を受けた頃とも重なるが、その会社(失礼ながら本音)に関わらず、全ての日本社に共通していたのだろうか?

道義的責任とは、法的責任と区別され、企業モラルとして存在し、日本人の風土して、故に日本企業のモラルとしても存在していたはずだ。ある時は、法令遵守を超えて優先するべき道徳感さえあったが、ぶつかることも経済的には多く実在する。

コンプライアンスは、何時のまにやら企業モラルの王となり、その王権で持って企業人のリスクテークを否定するばかりか、将来を託すべき人の育成をも阻んでいったことが、今日の日本経済の体たらくにつながってはいまいか???

最近、実務的に道義的責任をコンプライアンスで無視する輩の多さに呆れ果てている現実に悩んでいる。
コンプライアンスを責任逃れの隠れ蓑として言い訳に使い、開き直って詫びさえしない風潮に絶句する事案に、年甲斐もなく切れまくっている。
(前項ブログの神戸弁まではいかないが、明らかに関西弁までは到達して、失笑を買っているようだ)

道義的責任の上に法令遵守があり、道義無きコンプライアンスなど単なるアメリカかぶれでしか無いのだが、世の中何時の間にか、コンプライアンス覇権主義を見過ごしたまま、生きる知恵と成り下がった事態を否定できないでいる(確実にこのままそれを放置すると日本沈没の日がくるぞ???)

この風潮に立ち向かうには、年甲斐を不安視せざるを得ないが、その前兆を作ったのは、間違いなくわが世代でもあり、最大の反省点とも言えなくもないのだから、その責任については自白しておきたいし、それが勝ち逃げ世代と言われる所以ともなっている陰口の認識も必要だろう。

もし、コンプライアンスと道義的責任をどちらかで選択せよ、と言われれば、私は法を無視しても道義を優先する道を選びたい。そしてそんな選択が日常的に発生している事実に気付く事から、反省する道を読者にも是非訴えたいと思う。

抽象的ではあるが、みじかにこんな問題が起こっていても気付かず、抽象的にしか理解出来ないとしたら、コンプライアンス病にかかっているかもしれないと忠告し、日本における現代病の最大の病巣はここにあり、その治療薬が、日本的道義的責任の遵守にあることを訴えたい!

1月 23, 2011   No Comments

関西弁のきび

「今、何してるの?」

東京では、男女変わることなく、電話ではこう呟くように思う。

はたして、出身地神戸では男なら「今、何しとんや?」であり、女なら「今、何しとんのん?」となる。

大阪なら、男は「今、何してるん?」、女なら「今、何してはるん?」
京都なら、「今、何してやる?」となるか・・・。

神戸弁に気付いたのは、大学時代!に経験した口喧嘩だった。大阪人の友人に圧倒的勝利を治めた時だ。
京都が、「宮言葉」の伝統を引くなら、大阪は「商売言葉」???

だったら、さしずめ神戸は「ヤクザ言葉」が伝統的に生きているのかもしれない。

その昔はやった東映「ヤクザ映画」を観て、その迫力が本物なのは、真の神戸弁か大阪弁かで直ぐに見分けが付いたものだ。
山口組本家は近かったし、神戸(本物)ヤクザは身近にも存在した。(勿論お付き合いはありませんでしたが?)

映画「浪速金融道」は、大阪弁が主流であり、やはり迫力不足と言う事になるし、その意味では健さんも鶴田浩二も迫力不足だったかな・・・。

「三つ子の魂、百まで」とはよく言ったもので,50年たった今でも,マジ切れすると「神戸弁」が復活し、その「切れ具合」を反省のバロメーターにはするのだが???

勿論、大人になって、めっきり減ったマジ切れの神戸弁なのだが、周辺では、理性を伴った計算切れでも、純粋神戸弁ととらえられ、あきれているらしい。

28年住んだ神戸を離れて、東京暮らしも35年、、、。
息子達や孫たちは純粋に江戸っ子?で、会話は勿論「標準語」!

でも、かみさんとは共通の関西弁となる。見事に使い分けできる唯一の「バイリンガル」が完成していると自負しています。

ちなみに、神戸も広く、わが使い慣れた神戸弁もあれば、高貴な芦屋弁も存在するのでくれぐれも誤解無きよう!!!

それが「神戸」の底知れない強さと魅力でもあるとご理解のほど・・。

1月 22, 2011   No Comments

総部放送局「KGB」

大学時代のクラブのミニOB会が、新宿であるとの事で出かけた。
出席は9名で、私が最年少の出席者!

クラブ名は、総部放送局「KGB」(昔、同名の怖い組織がありました)
少し遅れてしまったので、雰囲気が分からないし、昼食時のレストランは、結構こみあっていた。

座るなり、それでは黙祷で始まったのは、ミッションスクールだから??
一分間頭を下げている間に浮かぶのは不謹慎にも周りのお客さんの視線。あとで聞いてみると、今年になって我が4年先輩に当たる当時の局長さんが亡くなったので、との事で納得!

お名前は聞き覚えが有ったが存じ上げないが、人ごとではない。実は私は、その方の4代後の局長を仰せつかっているのだから・・・。

総部放送局という言い方は、独特だが、この大学では文化総部、総部体育会、応援団総部など6総部、7自治会で学内が自主管理されていた。
当時日本一と言われた吹奏楽部は、応援団総部に属している。きっと今では学部が増えて、自治会も増えてるだろう?いや自治会など、あの頃の混乱で無くなってているのかもしれない???

総部放送局の花形は、アナウンス部、プロのアナウンサーを目指して、美男美女が毎年たくさん入部した。(クラブ活動後、専門塾に通って就活していた?)

私が入部したのは、なぜか新聞部を敬遠して報道部という、マイナーな報道記者研究パートだったが、何故か局長さんはこのパートが出る事が多かった。
ちなみに関西では多くのプロアナウンサーを生み出している。競馬実況でメジャーになった元関西テレビの杉本さんは大先輩の一人!

局長は執行部を作り、総部の運営を執行する。
私はこの時作った執行部体制の組織力は、その後の人生においてすら最強であったと今も確信するのだが、実は中途崩壊で執行部を投げ出す事となった。あまり思い出したく無いほろ苦い経験だ!

当時、学生達の価値観の違いは、時代背景と合間って、とても組織を一方向に向ける事など不可能であると即決する独断であった。この体験は、自分にとって、オーバーだが当時においては、自己否定の生死を分けた決断でもあった。

クラブを潰すか、執行部を投げ出すか・・・。
今年が、創部60周年であり、母校で大イベントを行う準備が進んでいるらしい。

今風にWebサイトで、「KGB」を探してみるとなんと現役達の活動がそこにあった。今もアナウンス、ドラマ、技術、制作、報道の5部、放送コンクール出品に放送祭、なんら変わらず、あれから40年!。ラジオ放送からテレビへ移ったのだろうか?
潰さなくて、身を引く決断は正しかった。当時の退部者もOBとして復活している。いや、たくさんの後輩に迷惑をかけた事実は消えない歴史も忘れない。

後輩達よ!我が時代は放送祭と銘打って、ラジオ放送のみで、SABホールを満席にしたぞ!勿論、計画通りに放送コンクールで、優勝した番組を引っさげ
て・・・。
食堂に流れるのみで、全く聴こえなかった学内放送を学内銀座と中央芝生に拡声器を設置して、多少は聴かせる環境としたのもその時だぜ・・・。

でも、何も変わらないKGBが、今もある喜びに40年の時の流れを守り抜いた感謝があり、その頃のクラブと友人が人生の大部分を形作っている余りにも貴重な時間と空間であったのだと感じました。

今日お会いした先輩諸氏も、まさに青春を語っておいででしたね!!!

1月 20, 2011   1 Comment

ペリー来航から東京裁判迄

シンドウさんとの思わぬ「ギャップ」がいつもの昼間の会話で明確になった。

我が世代では、一年先輩は勿論、大先輩に違いない。たとえ3ヶ月の誤差であっても・・・。
「シンドウさん、習わなかった明治以降を去年から勉強しているんですよ!
小学校の教室に張ってあった日本史年表も、確かペリー浦賀に来るで終わってましたよね?」
「えつ、そんな事無いよ、しっかり明治以降も勉強したよ。入試も日本史を採って、むしろ明治以降に山張ったもん」
「えつ、僕も日本史だけど、入試でも出ないということで、省略でしたよ!」
「いや、山が当たって明治以降で大助かり・・・」

こんな会話に大きな世代の違いを感じてしまった。
「そういえば、シンドウさんは、本当の団塊世代じゃないんですよね?だって入試の倍率が違いすぎたもの・・。でも浪人組はなぜか純正団塊世代???」

田舎の学校はのんびりしてるから、明治以降も習ったんでしょう・・・は余計だった。だって入試に出たんなら、21年生まれは、みんな全国どこも日本史は現代迄やったんだ。

明治以降の歴史の教科書は、団塊世代の場合のほとんどが、司馬遼太郎先生のはず、、、?
龍馬が英雄で秋山兄弟が続く事で明治以降を理解してしまうところがあり、大事な歴史認識において、明確な事実において誤解のまま潜在意識として影響しているかもしれない。このことは、この世代の歴史的誤解となり、大きく日本の今日にも影響してしまっていないか?

大げさではあるが、最近ペリー以降を史実的に読みながら、感じている。
なんとか東京裁判までを事実で繋げば、自分史が現代まで繋がると思いながら、今伊藤博文で改めて明治を追いかけている所だが、随分と錯覚と意訳が出来上がっているものだと、自らの価値観に疑いさえ覚える最近でもある。

それにしても、明治以降を勉強したシンドウさんが、立派に思うのはまさか歴史認識から出ているのなら、教育ほど大事なものは無いことになる!

1月 8, 2011   1 Comment

賀正・2011

新年おめでとうございます!

ブログでの5度目の正月のボヤキ(独り言)となりましたが、今年は何故かかつて無い重圧を感じながらの書き始めです?

現役を終えてスタートしたはずの「プレミアムエイジ」の趣旨から、昨年末改めて現役復帰宣言を公言した事による緊張感が漂い、明らかに当初の趣旨から遠のく自分が見えてくるようです。ブログを始めた頃、思うままに旅に出て、ゴルフをエンジョイし、読書三昧の気ままな独り言を続け、拡大して行くはずが、昨年はめっきり海外もゴルフ場すら、現役時代に比してすら遠退きつつあるようです。

一昨年認可を受け、スタートした保険会社モデルがあまりにも突飛であり、かつ本格展開の様相を呈しており、そのコンサルテーションの立場からは逃げられない事態となってしまいました。

成り行きからの素人事業再生コンサルを気楽に始めて早や6年、この期に及んで純粋起業にチャレンジし、おまけにIPO宣言は無謀極まりない失言だったかもしれません。それも成り行きといえばそれまででしょうが、有言実行を生き様にしてきたその集大成とできるか、はたまた悲劇のラストランとなって、「プレミアムエイジ」を総括することになるのか、いずれにせよ勝負の一年として、これまでには無い緊張感漂うお正月となりました。

現役復帰型「プレミアムエイジ」などあり得るのかどうか、現役世代を支えるアドバイザーとしての現役復帰を目指してみようと思っています。

日本の現状が、世代交代の失敗であり、その責任の多くが団塊世代にあるとの自覚を十分に認識しながらも、どう自らを処していくべきかを考えつつも、今年のリスタートの正月として、かつて無い緊張感を覚えているところです。

多くの仲間の皆さんの今年の年賀状が、現役終了、健康第一の知らせであった事に嫉妬しながら、止む無く仕事こそ我が健康維持の源と強がり、とにかく一年やって行こうと思っています。

余裕と教養に満ちたブロガー諸氏に比べ、今年も嘆きと愚痴のブログを続ける不幸を噛み締めつつ・・・。(自らの真の「プレミアムエイジブログ」の書ける日を目標に・・・、年金生活への移行を確定させながら・・・)

1月 3, 2011   No Comments