Random header image... Refresh for more!

Posts from — 8月 2011

夏休みの宿題(結)

保険会社の認可申請書類は28種類、なんとかその提出目処がたった。

これこそが、会社の所有するソフトの成果であり、目に見えない価値の活用の成果である。ゆうに半年はかかるであろう、いや、半年が一年でも難しいかもしれない膨大な資料・・・。一ヶ月で制覇した!

さて、問題はこれからだ。
宿題の採点は優秀なる官僚の手によって、一字一句がチェックされ、その結論を導き出してもらわなければならない。

行政実践論はこれからが本番となる。実は、この行政手続きは、改定保険法に基づく登録業務という位置づけになる。正確に言えば認可申請業務ではなく、登録業務という行政手続である。

登録業務に必要な書類が、26項目500頁にもなるだろうか?

この作業をプロの?人月でコスト計算すれば、、、1000万の資本金で法的には設立可能事業が、その申請手続きのみで資本は食いつぶすだろう。おまけに事業開始には、供託金が必要だ。この額がこれまた1000万!!!

これが、法律の不思議であり、面白いところ。経済が消え失せる瞬間だ。

ところで経済的実践では、法律の解釈について、優秀なプロに負けないよう自ら積極的にチャレンジできなければ、実践とは言えない。

間違った法的解釈は、互いにコンプライアンス違反となる。

法に無い指導を行う事は、当然行政手続き上許されないのが行政マンのコンプライアンスであるはずだ。

広義の法律のプロと実践的で極めてニッチな保険法のプロの戦いが、この秋の陣として続いていく!!!

8月 27, 2011   2 Comments

夏休みの宿題(行政実践論・2)

「政・官・財」の関係に「民」の立場でその権利・義務を行使する機会など一般的にはそんなに体験出来るものではない。

それが、一旦、まがりなりにも「財」の立場を離れた時に訪れた。

そのキーワードが「オルタナティブ」の実践であったのは、自らのうちに潜む生来のひねくれ根性だったかもしれないし、これが人生を成功にも失敗にも導く、総括のキーワードでもあった?

行政とは、文字通り「民に向けて政治を行う」ものであり、政治とは「民を治める為の政(まつりごと)として、法律を策定するものである。当然の事ながら、その為にそれを業として、人が介在する。
主役はあくまでも「民」であり、そこに民主主義の所以がある???

人には、国民、市民、法人、個人と、それぞれの立場でその法の元に平等な権利と義務を有するのだが、法は必ずしも人が業として行うことからして、完璧ではないし、解釈によって相違し、その狭間を完全に埋められるものではない。

法は、人に解釈され、官に政令、指針(時には監督指針)を示すが、その狭間は、確実に残るものでもある。

規制と自由化の狭間で、保険法が静かに、大幅に改定されたが、優秀なる専門家でなければ、その解釈など出来るものではないし、解釈は常に自己に有利に導こうと人がうごめいていく。

政・官・財のエリート達がそれぞれの立場で、ある種の癒着と合理性と妥協が生まれ、既成事実化されていくものだ。

既成事実という歴史は、法律においても極めて重いものとなり、どんどん解釈を変えていく。(既に自衛隊は憲法の元では、軍隊ではないかのごとし)

民からスタートし、利害の側から法の権利を読み、法の隙間を解釈していくと様々な法の盲点が見えてくるものだ。現実社会の中で解釈と政令、指針が発令されて整備されていくものだが、既成事実との軋轢は常に妥協となって法は、実務化していく。

この間の官僚的能力は流石であり、勿論プロとして官僚が機能して、法は整備、活用されていくのだが、結果厳しい規制ともなってしまう。

取り組んだ少額短期保険事業法は、無数にある無認可といわれる共済事業に法の網をかけるものであった。しかし、私は無認可の保険事業を「共済」という名称をかぶせ、規制してしまう事に大きな疑問を持っていた。(オルタナテイブの発露が、その立場の自由度から出てしまった偶然であった)

オルタナテイブの精神はそこから生まれてもいるのだが、本来保険と日本の古来から発する「共済」の概念には極めて「似て非なるもの」があるのではないか?

保険事業にいわれるところの「相互扶助」の精神は、あくまでもIR上のものであり、むしろリスクに対してより平等に保険料を算出する事からすれば、助け合いの精神を阻害するものとも言える。故に一般論的国語力では保険は共済ではない。(共済を助け合いの互助と解釈した場合ではあるが・・・)

たとえば、男女の平均寿命は生保分野での料率では大きな格差を生むものであり、年齢別にもしかりである。子供が大人を、女性が男性を助けることは保険料的にはあり得ない)
即ち料率上の公平さは、助け合いにはならず、リスクに対する平等でしかないのだから・・・

共済という概念は法的には存在しなかった(はずだ!)
認可の不要な世界で発展をとげ、大きな混乱もなく発展してきたのだが、わずかにそこに詐欺商法が紛れ込み、共済は保険の概念でくくられるという規制的法律が成立したのだ。

保険事業は金融庁の認可範疇であり、いわば金融事業部門であるのだが、あえていえば、業界の底辺が大きく広がり、その省権の拡大となったともいえる。一方実は、共済事業とは、生協法にうたわれ、発展の歴史があり、省益としては、厚生労働省の範疇に「制度共済」という法的制限が存在する。

故に保険法の改定は、当然生協法にも大きな影響を及ぼした。

「共済は保険である」との法的概念から、制度共済は当面の例外措置として法規定が変わり、大きな規制と監督が保険法の範疇に組み込まれて修正されていった・・・(厚労省の領域に金融庁が入り込まざるを得ない矛盾が発生する)

8月 18, 2011   No Comments

夏休みの宿題(行政実践論・1)

8月から、毎日が夏休みと決め込んでいたら、とんでもない宿題が残っていた。連日連夜、パソコンと睨めっこしながら、とりあえず書き終えたのは、三作目の保険会社設立概要!

これまでの2作は、実は概要の概要を組み立てれば良かった。優秀なる手足が、パソコンを駆使して作成してくれたのだが、その手足はいつしか頭脳と化し、気がつけば、夏休みの宿題の締め切りが間近・・・

という訳で、ワード知識のみでエクセルにチャレンジは、流石にこたえたが、それでもパソコンとは凄い機械であると改めて納得して概要を本日無事校了できた。この間実に一ヶ月・・・。

半年分程度の工程であるはずだから、脅威のスピードと自画自賛も周辺関係者に感謝!

さて、テーマの実践はこの宿題を終えて始めて本番となるので、これからゆっくりと概要を眺め、実践に向けて「てにおは」を見直す事が大切だ。

保険業法が大幅に変更になったのは、丁度現役を引退して間もなくの頃、料亭「ひさご」でのキャリア官僚との出会いであった。(詳しくブログで、フィクションとして紹介したっけ?)

法律の骨格が出来上がり、それが社会へ影響して行く様をみながら、いつしかその法の行使に紛れ込んで行ったのだが、まさかあの複雑怪奇な保険会社を3つも創る事になるとは夢想だにしなかった。

この間、保険業界は歴史的転換期となり、合従連衡を繰り返し、損保ではメガ3社体制となる皮肉な事態を誰が想定できただろう。

しかし、一方で戦後初の本格生保会社が、130億の資本金を集めて発足した。この度素人のチャレンジの情報を鼻であしらっていたのが、現役最後の時代であったのだから、保険会社を3つ創るなんて、業界人なら信じられないだろうし、気付かれる事もないほど業界はまだ平和なのだ。(若干33歳の天才キャリアの挑戦は今も進んでいる)

合併戦略での保身がなされている本質が見えないでいる業界だから、注目さえされていないが、法律は確かに確実に動いているのだ。

法律では、既に生損保の兼営を認め、販売店までも兼業できるように改定された。おまけに共済は、保険であるとの付録までつけて、業界保身を先行させてくれているのだが・・・。

8月 17, 2011   No Comments

合併会社と社史(結)

事務システムの並存は、合併効率化の狙いを半減させるものである。

いわば合併を頓挫させるにも等しい選択で有り、その効率化によって新会社の新システムコストを生み出す事も放棄せざるを得ない。

一方、当初方針である事務の片寄が難しい事態となっては、合併解消の大混乱をも視野に入れなければならない。
コンテンジェンシー(非常事態緊急)プランは、そんな事態の場合のものでもあった。

誰かが決断せざるを得ないし、それは「出張帰り」の社長の今日、この日以外には出来ない。事態の見えない社長に決断を願い出るには、その緊急性を場外にて直訴する以外には理解が得られないだろう。

立場を逸脱したプライベートでの羽田急襲を決行し、「無理矢理、しぶしぶ、怒りを込めて」内諾を得たものだ。

事務システム部体は、突貫工事で並存事務への舵取りにやっとの事一体となり、なんとか合併の日を迎える事ができた。

本当に良くやったと思うが、社内世論は、システム部体の失敗による混乱として、その後は当然幹部達は、針の筵状態となる。

意に介さず、やるべき事をやるしかない。合併解消こそ最悪の事態であるのだlから・・・。

合併のその日がやってきた。
期せずして、「営業現場」でいわゆる大混乱を体験する事になった。

しかし、私にとっての大混乱とは、合併による新会社設立の大混乱の想定からすれば、事務並存による混乱は、むしろ当初想定した片寄事務の混乱と比べれば、当たり前の合併による混乱でしかなかった。勿論当然の大混乱に違いない。

問題は、AはB事務を、BはA事務を互いに解らないと罵り合い、本部批判をするだけのことで有り、混乱率は互いに五分五分の当てこすりの合併後遺症にすぎないのだ。(本部において、一年間、やりあった状況が、現場に現実となって起ったにすぎない)

では、当初の片寄せ事務が完成していた場合には、どうであったか?

システムはそれを成功として評価されていただろうか?
私は決してそうは思わないし、むしろその混乱ぶりは並存の選択の比ではなかっただろうと思っている。

その事務は、当時はるかに遅れているとされたB事務であり、かつAサイドにおける事務の効率化効果を計算すれば、明らかにAサイドの現場では、耐えられない程の混乱が起ったであろう想像は、誰にも解らない。
(その後退する事務プランを創っていた張本人以外・・・)

圧倒的に質、量共にA有利の中での対等合併の推進、にもかかわらずB事務中心の体制構築をその基本戦略としていたのだ。

しかし、この基本戦略は、合併効果を最大化する為には必達すべき戦略であった。即ち並存事務は、あくまでも緊急対策であり合併効果を半減させる・・・

その後、今日に至るまでコンテンジェンシープランがそのまま、合併会社の事務となり、効率化効果の取れないまま、合併には不可欠の「新幹線事務」は頓挫したままとなってしまった。

「新幹線システムを構築し、そのヘゲモニーをA社で握る!」

これが、本合併におけるA社の戦略であり・自分に与えられたミッションであった、と今も思っている。

神童さんの想いもそこにあったと思う。

その意味では、残念ながらシステム統合は完全に失敗であったと総括せざるを得ない。(勿論、その責任者の一人である事を自覚した上で)
その後どんなに、この並存プランが、整備されようとそれは、緊急対策でしかなく、この間に着々と新幹線構築が出来ない限り、この合併は次の合併を呼ぶ失敗作となる運命であった。

社史に描かれる無責任極まりない俗人的事務システム混乱を歴史化する情けない問題意識が、この会社の現状であれば、この先は明確であろうし、社史がいかに無意味なマスタベーションであるかをものがたる以外にはない。

少なくとも、自己利害をかなぐり捨てて、事に当たった人たちにとっては、この社史の内容の薄さは捨て置けないのだ。

合併後、NYテロで、1000億、リーマンで1000億・・・。
5年の歳月と2000億があれば、新幹線は完成していたのでは・・・。

神童さんに、もし責任の一端があるとしたら・・・

新幹線無しでは、この会社の合併効果はいつしか、破綻するだろうことを進言出来なかった事、又はその後実行出来なかった事に尽きる。当時の事務システム部隊は、最高のパフォーマンスを発揮したと断言できる。

(合併後3年で我儘退社を決行し、敵前逃亡と言われた私にもその責任の一端はあるのでしょう。しかし、その後のシステム統合を放置せざるを得なかった経営判断とその中にいたはず?の神童さんの責任は、明らかに存在するかもしれません!)

肥大化したシステムとその効率性を無視した事務体制を反省する社史ができるとは思わないまでも、プラザ合意が招いた日本損保業界の混乱とし、当時の合併戦略の本質を理解出来ないまま、事務混乱までもシステム統合の混乱に矮小化してしまうシナリオとした立派な社史!

今回の、この合併は会社の終焉を暗示するものとして、未だ沢山残る愛すべき後輩諸氏に向けて、二人して独り言を続けていきましょう!!!
少なくとも、二度に渡る合併戦略の失敗をシステム戦略の重要性とそれ故の責任の中で、密かに考えつつ・・・・不本意かもしれませんが???

(創られるべき新幹線の夢は、永遠(でない事を祈りつつ)に追いかけつつ・・・)

8月 13, 2011   2 Comments

合併と社史(3)

(ここからが、合併の裏側であり面白いかも・・相変わらず脱線傾向も?)

大型合併とは、その大部分が肥大化する事務・システムの効率化がその大きな狙いである事は、案外知られていない。
合併効果を経営が発表する際には、必ずシステム統合効果をそのトップコメントとして大く謳う!

(前回も、今回も,きっと次回も・・・)

故にシステム部門は、合併の花形なのだが、これが目立たない縁の下にあり、経営は、その肥大化した自らの土台をコストでは見えてもその本質的実態は理解できていない事が多い。

合併会社を総括する社史(必要か否かは別にして)には、正確な分析が要求されるし、それは必ず次の「その時」に繋がるものとして意味を持つ!

システム統合には、片寄せ、並存、いいとこ取り、新システム構築の4つの手法があるが、一般的には、合併側システムが吸収側を片寄せすれば、一定の効率効果を出せる選択になるので、案外簡単な選択かもしれない。

所が、この社史に見る所の合併は複雑な要素を抱えていた。

AはBではなくその株主である世界の自動車メーカーTを意識した戦略合併である。そして、片寄はBへの片寄せであり、自分がそのプロジェクトに参画する事になったのだ。即ちAで暴れず、納得させBへの片寄せを成功させるミッションが、既に出来上がっていた。

Bのシステム部門は歓喜と勝利宣言を自社の経営会議の議案に歌いあげ、そのコピーがAに出回るというお粗末かつAにとっては屈辱的世論操作が、発せられていた。
(敵陣へ本心を隠して投降したら、そのまま銃殺刑にあったような鮮烈な想いは、今でも忘れられない。

Aのシステム部門だけではなく、本部、営業部門に至るまでこのセレモニー的発表に激震が走る。

当然ながら、システムのB化は事務、商品、営業スタイルに及ぶ吸収合併の形態に見て取れる。それでも和えて強行する役割は、針のむしろ状態となるのは自明の理であるが、割り切れない心情は残る。

これが、神道さんと私にしか理解出来ない秘密のミッションであり、合併戦略の根幹であったのだから、やり切るしかない!

因みに、その頃にはAの体力は十分にBを凌駕するものであることは、Aにおいて分析がなされていた・・・。

ここからが、素人の浅知恵であったと反省せざるを得ない所へ進む???

「片寄せによる効率化によって、新たなシステム投資を可能にし、そのコストから並行して新幹線を敷設する」

この新幹線こそが、合併の真の狙いである。片寄せの努力の大半はBのシステム陣営が担うのだから、新幹線プロジェクトをAが握れば自ずとこの会社は、名実ともに新会社になり、その主勢力は・・・
(もう一つの極秘ミッションと理解していたし、これこそが真の役割と信じていた)

ところがであった。これを受けたはずのBサイドにおいて、片寄が全く進展を見せない。それでも白旗を降ろさないB陣営!

もちろん、A側のユーザーサイドからの片寄せによる弊害への強い修正抗議が続いていたし、一部Aシステムのいいとこ取りが入り込んだ事もあった。

こうして、片寄がいつしか、実質いいとこ取りに変更され、事務システムプロジェクトは暗礁に乗り上げていく・・・。

プロジェクトとしては、まずはシステム統合であり、新幹線どころではなくなる。このままでは合併そのものが頓挫する。
(この時点において、新幹線プランはコスト面からも雲散霧消し、私の描いた?合併戦略は、失敗が決定づけられたのだった。)

万一のコンテンジェンシープランスケジュールを密かにひもといてみた。
合併のその日まで、既に6ヶ月を切っていた時期である。

一刻の猶予も許されない。システム音痴を自認する私は辞表を胸に、単身(いや、腹心の部下を従えて)羽田へと向かった・・・。(続く)

8月 9, 2011   No Comments

合併会社の社史(2)

(思い余って、思いっきり脱線します、所詮独り言・・・)

合併は次の合併へと引き継がれた。
世界マーケットを視野に入れた巨大グループの誕生となるが、果たしてその戦略的意図は今般の社史編集において十分に理解された上でのものであったかどうか?(本番は既に始まっている・・・)

この社史の中では、その理解がおぼつかないままの記述が散見される所も危惧される。

この合併により損保6社の呉越同舟になる可能性だってあるのだが、少なくとも、この社史から読み取れるものが、その弊害を最小にするほどの合併戦略ではなく、消えゆく会社の自己満足的要素がみて取れなくもない記述があるが、果たして如何に・・・

新たな合併の決定後に、2分冊に分けられた社史の意図は、明らかに前合併会社への郷愁と総括として作成されたものであろうが、さすればこの時期に分冊されることで、この2社(計4社)の合併の歴史は抹殺される事を予感できるものとも考えられる。

さて、合併と事務システムの問題に戻るが、当時いわれた事務システムの混乱とはいかなるものであったか?

これは、あくまでも内向きの事務混乱であり、システムトラブルやその混乱で、顧客に迷惑をかけるものでは決してなかった事をまず強調しておきたい。いわゆる内向きの合併事務混乱であり、その事務の一方の責任者が「自分」であった事も明確に「指摘」強調しておきたい。

システム部隊は、ほぼ一年不眠不休で頑張った。そして、なんとか、並存方式での合併開業へこぎつけたいわば功労者であった。

ならば事務部門の責任はどうだったか?
(より効率的事務を作るのがシステム部門ではあるが、その事は後ほど)

事務の並存が決まる事が遅れ、確かに現場事務を大混乱に陥れた事実は存在する。当時その一定の責任を背負って私は現場責任者の本部長として、合併と同時にその混乱の場に赴任した。(不安と現場に戻る嬉しさを胸にしまいながら・・・)

又、私は期中にもかかわらず、システム並存での合併やむなしを経営トップに進言した張本人でもあった。

ギリギリの選択は合併解消との2者択一の究極のタイミングであったし、事務システムの並存は合併効果を半減させる事も十分に承知の上で、私なりに一世一代の体を張った進言でもあった。(団塊世代が行くに詳しく記述済み)

未だにその判断とタイミングは正しかったと確信している。

その遅すぎる決定に基づき、当然ながら事務本部部門も不眠不休で事務マニュアルの作り直しに奔走してくれた。

その結果出来上がったものが、決定した新会社の新事務であり、全社員が一つになってその新会社の事務マニュアルを理解し、実践すればいいだけである。
(なぜか、諸悪の根源の事務が今も主力事務である事の皮肉も後述したい)

即ち、新会社の新事務が2本走るだけのことであり、Aを知らないから、Bを知らないからというだけの混乱であったと今でも思っている。(もちろん弊害は大きいが・・)

現場においても、事務問題を超えた合併による角の突っつきあいは当然のごとく丁々発止行われていた。そこに並存事務が火に油を注いだものが、現場事務の大混乱でしかない。

本社では、老若男女の社員が、丸一年不眠不休で合併対応してきたのだ。そしてその代表格は合併においては事務システム部門となる事も自明ではあった。

混乱を云々するなら、合併そのものを非難し、経営トップを非難してもらいたい。
まさしく、事務システム部門にとっては互いに最悪の合併相手を選択した事は、十分に承知の上だったのだから、、、。(それでも戦略上において、この合併は正しかった!

(そしてその為に、事務システム部門のど素人の自分が、混乱を読み込んだ上で、営業から本部へ放り込まれたらしいのだから・・・。責任はある見込み違いにしろ)

私は、現場へ出て合併初日に、全社員を集めて次の様に演説をぶった。

「最悪の事務を選択した張本人です。しかし新会社の新事務として決定し、それが我々の企業の生き残る道であったのだから、皆さんにも創業の苦しみを一緒に超えていただくしかない。
合併なくして再生なし、会社を潰さない為の合併です。
本社の諸君の大半は、一年間苦労してここまで作ってくれました。
Aの皆さんは Bの事務を、Bの皆さんはAの事務を覚えればいいだけです。皆さんは現場事務のプロとして、一ヶ月もあれば新しい事務はそんなに難しいものではありませんから・・・。その能力を信じますし、皆さんはそれだけの処遇を得ているのですから!
全員が一ヶ月だけ徹夜覚悟でお願いします。」

生涯の名演説だったと今なお熱く残っている!?

もちろん我が本部も事務混乱は発生した。しかし、私の立場からしてクレームをつける場所はなかったのです。

全国の営業現場の不満の嵐が、本社事務システム部門に殺到している事が聞こえてきました。条件はどこも同じ、果たして我が本部の混乱はどこで吸収されたのだろうか?

要は考え方と仕事への姿勢で、物事は変わる。

システムの並存方針への転換は経営決定であり、出来上がった事務を清々とこなすのは、現場の責任と考えれば・・・。

「本社が悪い、事務システム部門の怠慢だ」は、職場としての最悪の責任放棄であり、取引先や顧客に迷惑をかけないよう、自らのスキルを磨くべきであったと思っている。

次にそれでは、全く事務システム部門に責任がなかったか?を次回に自戒をこめて書いて見ます。合併と社史への総括として・・・。

8月 8, 2011   No Comments

合併会社の社史(1)

あまり合併会社の社史に興味はないが、それが次の合併への総括の意味が込められているとすれば、一言言っておきたい。(残念ながら我が家へは到着せず!)

日頃温厚な神道さんの事務システム混乱への(珍しい)怒りの意味の補足になるかどうか・・・

合併から10年、時代は大きく変わるのが世の常にしろ、その合併に命を燃やした一人としては、次なるステージへの移行はさみしい限りでもあり、嫌味の一つくらいはつぶやいておきたい。

まずは、この社史の狙いはどこにあるか?全く明確でないが、合併会社が元の4社に別れて勝手に作成し、それをなんらかの編集意図をもって一つの会社の「意思」として発行したものと捉えるしかないので、1OBとしての会社への抗議となる独り言だ。

とすれば、なんともお粗末な、トピックとしての客観情勢が目を引くが、会社の意思と考えれば、いささかはずかしい情勢分析でなかろうか?

業界が大きく合併に動く環境が、プラザ合意とその裏に存在する外資の横暴によるものと総括しているが、あまりにも短絡的かつ乱暴極まりない個人的発言の様なコメントが、なぜ公式な社史に掲載されているのだろう。
(ついでに言えば、今次の合併についてのコメントもおそれいるが、、、)

合併は、当然大きな事情と戦略があるし、少なくとも当時、自立的な戦略の下に生死をかけた合併に踏み込んだのだ。

即ち、一社では10年後は読めても、20年後が見えなければ、企業の継続性の為合併を選択するべきであるとの経営の強い意思があり、プラザ合意の間違いが、業界合併を引き起こしたものではないし、むしろあの当時の風雲児として、能動的仕掛けにんとして業界を動かしたと捉えるべきである。

その意味で、10年で次のステージを選択する今次の合併には、悔しさとその責任の存在は明らかに自分にも有ると言えよう。(そんなに大それた役割でもなかったが???)

そして、合併とは規模の拡大による効率化が第一義にあり、その大半は事務システムの効率化に負うと言っても過言ではないのだが、大半はそう捉えられないし、いわばシステムの失敗が、次の合併を誘発するほどのものとも考えられてはいない。

特に金融機関の場合には膨れ上がる事務システムコストとIT化の波は、いかんともし難く、その先行投資コストの「高」が、明日の金融機関を左右しかねない状況になっている。
一つは、自由化対応であり、もう一つはコンプライアンス対応であった。

効率化イコール事務の効率化であり、それを司るシステムの効率化が、合併の肝である事を見逃しがちだが、一方システムとは事務の効率化の為のツールでしかないという事実もなかなか理解されていない。

合併時における混乱とは、いつに事務混乱であり、システム混乱が発生した場合には、金融機関の事務は破綻を意味する事になる。

この社史において、当時の事務混乱をしてシステム混乱と総括し、システム統合方針の混乱をして、事務混乱が起こったかのような記述は明らかに間違いである。あの混乱の中、システムは合併時に予定通り稼働したのだから、私は本当に2社のシステム部隊の現場は頑張ったのだと思う。

さて、次にもう一度企業としての合併の意味を捉え直しておきたい。
合併とは、互いの事業会社が一つになるいわば、一大起業のセレモニーであるのだから、当然過去の事務部隊や営業部隊は、大混乱する事など自明の出来事と考えなければならないし、混乱を声高にいう社員は基本的に旧会社に固執する前時代社員と捉えるべきであった。(続く)

8月 7, 2011   No Comments