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Posts from — 9月 2011

退職記念日!

今日で、7年!実に一瞬の感あり「光陰矢のの如し」・・・

60歳までの元気なうちの3年間は、誰はばからず自由に仕事がしたいと考えての退職であった。既に64歳の今は全く想像できない境地であった。

10年前の合併劇の大混乱、3年後の退職、昨年の再合併劇・・・

そして今、再び保険業界の真っ只中で現役まがいの悪戦苦闘はまさに想定外!

不思議と体力、知力の衰えが感じられない大きな誤算、我が儘は我が儘を許さぬ事態を導く誤算、そして何よりもサラリーマン時代を引きづり、退職美を計算してしまう誤算・・・

あと3年程度は、完全リタイアが出来ない皮肉な環境を喜ぶべきか、悲しむべきか・・・選択の余地を失う現実の厳しさ!!

それにしても、元気な老人達の引き起こすだろう「後遺症」は、どう後の世に総括されるだろうか?はたまた世に活かすべきパワー発揮の手法は無しや???

9月 29, 2011   No Comments

「今こそ脱原発宣言を・・・(2)

ずいぶん前置きが長くなってしまいました。

「今こそ脱原発宣言を・・・主張するべき」についてでした。
いつ書くべきか、ずっと悩みながら考えてきました。まず自らの現在の心境と現実の姿を書くべきかもしれません。今も私がおかれている立場は、多数決の原理において、原発推進派に属するという現実があります。

民主主義という世界は多数決の原理を容認し、責任を共有する事である、とこの歳になってつくづく気付かされているのです。
政治の選択する方向が・減原発にある事は明らかであり、それが結果として推進の原動力になるものであっても、民主主義的にはその多数の政治的意思で、決定していき、その結果においての責任は共有せざるを得ないものでした。

学生時代から反原発を掲げつつも、何時の間にか民主主義原理の中で原発推進に組み入れられ、その中にどっぷりと身をおく以上、それはもちろん原発推進を是認するものとなり、その結果責任は当然問われるべきものなのです。

今日まで、一貫して反原発を唱え行動してきたたくさんの人たちがいます。
しかしその運動は多数を取らないまま、今回の事故を誘発し、その責任は共有せざるを得ませんでした。いくら反対を叫ぼうと被害者への責任はまぬがれません。政治的多数を世論の中で完遂しない限り、現在の民主主義社会ではその意味をなさないのです。

政治的行動とは世論喚起であり、自己主張のみでは体制順応のマスタベーションであり、自己満足、自己弁護にしかなりません。

故に世論動向を利用した政治的多数の獲得こそが、全員参加の民主主義となってしまうのです。明らかに現実の自らの状況判断では、減原発というまやかしの中で、今後も原発推進を続ける日本の意思の中にいる立場を明確にし、それは、福島原発事故の前においては、完全に推進派であった事実を容認するものでもあります。

まわりくどい言い回しですが、私は原発容認派に所属していた事を認めることが、脱原発宣言の原点にあるべきなのです。

今、世論は経済原則にひきづられ、明確に脱原発の意思を放棄してしまいました。脱原発は一瞬の感傷的心情であり、個人の経済利己の中に消化され、存在する原発を容認し、やむなしとして原発電力を当面活用する事となりそうです。

本当は世論が脱原発こそ正しいと気付き、それが将来の日本の為であり、子や孫たちの為である事を認識する世論にしなければならない事に気づくべきなのですが・・・

菅前総理は、核再処理施設の論理破綻にも気付いたようです。
永遠に地球上に処理されないまま残る核物質も止む無しとの経済優先の理由で、当面は認めるという論理と自然エネルギーの推進で代替できるまでと置く、減原発再生エネルギー推進派は、同根の原発推進派に属することになりはしないでしょうか?

今の世界経済は、原発無しでは絶対に動きません。
経済を取るか、地球と自然の保護を取るかの二者択一問題なのです。東電を温存する理屈は、経済原則からは本来選択の余地など無い(即刻倒産)のですが、東電イコール経済界である以上やっぱり東電という巨悪は残存し、原発は確実に発展の道へ進むでしょう。

再処理が出来ない核物質を当面は止む無しとして認めることは、国の借金を子供達に付け回すものとは全く訳が違うものです。
いつかは再処理が可能と嘘をついて、その嘘を莫大な原発開発資金に変えてしまう経済的えごは、遠からず日本を、地球を破壊するものでしかありません。

今すぐに始めるべき原発処理は、既に生産してしまった地球上にある核廃棄物をどうするのかであり、その答えがないものを止む無くもうしばらくは作り続けるという政治選択を許す罪とその責任は、既に明確な容認の意思として示されてしまっています。

とにかく、世論と政治的意思をもう一度「脱原発」に変える努力をするしかありません。
減原発の選択などあり得ないのです。原発推進か脱原発かの2択において、どちらかを宣言しなければ、それは結果として間違いなく原発推進派の側に立ち、その責任は共有せざるを得ない(絶対に取り得ない無責任)のが、民主主義における多数決の原理と意思決定責任が発生することを思い知らされます。

あのにっくき原爆の元凶を知る日本人として、産んだが最後決して処理出来ない核物質からの脱出を今宣言せずして、沈黙する責任は決して言い訳できるものではない・・・
それが、目の前の福島の惨状を垣間見る私達の最低限の責任であり、進んで自らも被害者の側に立つ「脱原発」を主張する権利を行使するべきでしょう。

未来に付け回す以外に無い核物質の生産を容認し、今の経済利益を貪る減原発政策を認める行為は人間として、許されるものでは絶対にありません。一刻一秒を争い、脱原発に向かう姿勢以外に過去の責任を償う道は生まれてこないのです!!!

9月 19, 2011   No Comments

今こそ脱原発宣言の勇気を・・・⑴

野田新政府もそろそろ、メッキがはげ出す状況・・・
とはいっても今の政治状況では、誰がやっても同じ事でしょうね?
前よりまし、その前より、その前の前より、自公時代よりはずっとましと考えるしかないでしょう。

現政権は、明確に減原発路線で、点検済み原発再稼働路線を打ち出しています。果たして、その意味するものと菅政権における「脱原発宣言」の政治的、外交的継続性の重みは全く論議されなくなりました。

少なくとも菅さんは政権の最高責任者として、事実を知り、過去の反省に立って脱原発宣言を発したものであり、その判断の根拠を語らなければなりません。

民主党は、福島以前は明確に原発推進路線でしたし、菅政権でも勿論それは踏襲されていたのです。

政権トップにあり、ある日突然豹変するべき事故と事実が彼に理解されて、その政治的良心に基づき、豹変したはずですから、勿論理由を明確にしてもらわなければなりません。

知り得た事実を、一政治家になったからこそ発言するのは当然のことであり、それは民主主義の原則です。総理だから大臣だから話せない事はあっても、今だから話せる事は、無数にあるはずです。そして慎重に話出しましたが、一部勢力はそれを躍起に止めようとしています。

減原発派を装った原発推進派の勢力です。

3・11以降事態を全く掌握できていない中、東電は社長であった清水氏が、現場からの全員撤退を公式に打診した事は、既に明らかになっています。この時のアラ菅の激怒と現場直行については、その短慮を責める向きが大半でした。

しかし、東電のトップが現場放棄をいう事態は、最悪の状況が想定されるものであり、もしその判断を止む無しとした場合を想定するならば、福島が捨てられるだけではなく、東京を含めた日本のパニック状態は間違いなく想定できるし、またその可能性は十分にあったわけです。

東電のトップ判断に頼り、日本のトップとしてその現場退避判断を是とする事は有り得た事実で有り、その場合には、水素爆発の連鎖で死の灰は世界中に届いてしまったかもしれないのです。

清水社長は、その後雲隠れしてしまいました。菅総理の逆鱗に慄いたのか、最悪の事態を憂慮して、一人逃げ出したのかはわかりませんが、少なくともこの時の日本のトップの人間としての当然の激怒と現場への直行判断は、その後の事態を冷静に判断する為の、最善の行動と怒りであったと認めざるを得ません。

アメリカ及び中国は、明確に日本撤退を準備していた事態であった事も事実でした。事態の展開は、その後の適切冷静な判断があって、不幸中の幸いの中、現状があり、その対応が今も計られていると考えるべきではないでしょうか。

事態を完全掌握できる立場の東電の社長の進言は、そんなに軽いものではありませんし、100歩譲って考えれば、現場の役職員の命を護る為のその職場の責任者としてのぎりぎりの事態判断でもあったかもしれず、その事態把握は事実あった一人の責任者判断として存在していた事実でした。

事態はどう転ぶか全く解らなかったのです。福島地域にとっては、最悪の事態に違いありませんが、もし東電の社長が日本のトップであったなら(そんな人材が総理になる事もあるのが日本国の現状です?)その被害は地球規模に至る事態を引き起こす可能性すらあった訳であり、(残念ではあっても)当時の緊急事態におけるトップ判断は最善のものであったのかもしれないのです。

菅さんは唐突に脱原発を宣言し、事態の安定までを恥を忍んで総理の座に居座り続けたのかもしれません。きっと彼は近々そう発言するでしょうし、又必ずそうするべきだと思います。

すなわち、原発の脅威は間違いなく地球規模の問題であり、現実に再び明日にも同じ事態が発生する事を否定出来ないのです。

火山国、地震国、全ての国土を海に囲まれている日本の原発は、絶対にその損害賠償を引き受ける国も保険会社もありません。
世界の損害保険業界では、あらゆる急激、偶然、外来の事故を引き受ける機構として世界経済の下支えとして存在していますが、どんなに高額な保険料を示してもそれ(日本の原発賠償引き受け)だけは成立しないのです。

それは、統計的に偶然性にかける事故であり、必然性があるからです。勿論その賠償額は、貨幣価値で置き換えられるものではない規模でもあるのですが、こんぱんの原発事故は皮肉にもそれを証明してしまいました。

日本には国内全保険会社と国で日本原子力保険プールを構成しています。全保険会社で長年積み立てて来た額が、わずか2500億円です。これで原発事故の賠償は安全だと国が原発推進の為に業界に与えた飴玉天下り団体でした。もちろん今回の事故においては・なんの機能も果たせませんでしたし、話題にすらなりませんね。

9月 19, 2011   No Comments

ふと漏らした「働く仲間」への独り言

昔から、ゲームに夢中になるタイプでした。学生時代はパチンコと麻雀に入れ込みました。今思えば、博打では無くゲームとして・・・???

パチンコ屋で一夏、バイトをして稼いだ事がありました。ゲームを仕事に変えてみたら、パチプロになれたのでした。開店前に並んで、蛍の光まで打ち続けたあの頃の快感は、立ちっ放しの疲れよりも時間の早さに驚いたものでした。

サラリーマン駆け出し時代にインベーダーゲームにはまりました。激務の間隙をぬって、インベーダー喫茶に通ったころ、会社でストライキ、5時集合で止む無く職場放棄、勿論集会も放棄して、自分だけの至福のひとときを過ごせました。楽しかった哀しい想い出です。

入社6年目の32歳で思いもかけない支社長ポストが転がり込んできました。
その頃、心酔するヤクザサラリーマン課長のSさんにこう言いのけたのです。
「仕事は楽しい戦略ゲームです。社長の椅子を取りに行きましょうよ!」

「俺を舐めるな!ポスト狙いで、真面目に仕事なんかできるか!」と大目玉を喰らいましたが、考えればSさんはまだ38歳だった?
それから15年、Sさんは大社長になっていました。
その後のいつか、きっと計算(戦略)が出来上がったのでは、と密かに思っているのですが・・・(彼の場合は、博才であったかも・・・)

決して「しゅっせ」が目標ではなかったはずですが、結果はポストも付いて来た??
戦略通りに事が運べば、これほど面白いものはない。仕事をゲームに出来れば、日々の苦しみが、楽しみに変わる??

この考えで、仕事が出来れば、戦略ゲームの目標をどのように設定し、どんな努力をしなければならないか・・・

趣味を仕事にするプロフェショナル達は、全てこの感覚で前向きにたゆまぬ努力をしているのでしょう。

戦略ゲームの目標が金かポストか名誉かは別にして、自分の立てたプランで仕事(ゲーム)にチャレンジすれば、苦労が楽しみに変わり、その達成感を感じながら収入も味わえるなら、収入は付加価値に変質するかもしれませんね。

目標は、金でもポストでもなかったと思っていますが、それこそが間違いだったかもしれません???

戦略ゲームで、正しい戦略であっても実行できない戦略では、ストレスだけが残りますね。
経営者でも無いのに経営者と勘違いをして経営戦略を考えても実践は出来ない事で、我がサラリーマンゲーム人生は、ジ・エンドとなりました!

でも、仕事をゲームとおいて戦略を立て、必至で努力すれば、結果はついてくる事は間違いなかったように思います。

自ら実践可能な戦略ゲームでなければ、評論家又は空想に終わりますが、大方の戦略とその為の努力がマッチングさえすれば、テレビゲームに嵌まるより、
ずっと面白いかも・・・。難点はゲーム時間が長い事、これはバーチャルで無い現実だからやむなしでしょう。

「仕事は遊びだ」と豪語じた生意気なあの頃、目一杯どやされた先輩が、自らの能力に気付き、長い椅子取りゲームに参戦したのではなかったか?と思いました。

今日、ふとつまらなさそうにタバコルームで一服していた進入女子社員に思わず呟いてしまった独り言でした!!!

9月 8, 2011   No Comments