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Posts from — 2月 2012

「あんぽん・孫正義伝」を読んで!

ソフトバンク「孫正義氏」は、Twitterのバーチャルでよく知っているつもりでした。それも大震災に対する彼の呟きを通して…

佐野眞一の徹底した取材に基づく「あんぽん」については、そのリアルさを含めて、どうしても伝えておきたい日本の現実として、我が世代が独白して置くべき課題として、突きつけられた気がする。

彼はTwitterにおいて、徹底した在日差別の勝手なつぶやきにも、常に冷静に丁寧に答えていく。超多忙(彼は大震災に対して本業に加えて、ボランテイアにおいても超多忙であったはず)なこの時期に無視すれば済む中傷に対しても果敢に応答していく。これは、現実の彼の立場からして考えられない「愚行」であり、時間の損失であると思いつつ、その理由を探し続けていてこの本にであったように思う。

彼が大人になるまで「安本正義」であったことなどこの本を読むまで全く知らなかった。
あんぽんが「あんぽんたん」からきているのか、単なる愛称であったのかはこの本では語られていないが、彼のおかれた過去の現実とそれが今も強く残って存在する現実を語っておく義務があるだろうとおもう。
今では、あまりにも現実離れした彼の幼少期については、しっかりとした取材に基づいて厳しく、正確に分析表現されているが、今の世代には、フィクション的に見えてしまうかもしれない。

今も紛れもなく続く「在日差別」と、彼の純粋な帰化日本人としての対応はTwitterの中でだけでなく、彼のライフワークとして染み込んだごく自然な動作なのだろう。

我が家から5分程度歩いた川沿いに、倒れかけて乱立するバラック建ての「部落」があった。
小学校に通う際に毎日その入り口を通っていくのだが、母親から唯一注意されたのが、「この道には絶対に入らないように」という注意であった。学校にいけば、当然そこから通う小学生はいる。もちろん学校では友達にもなる。結構親しくもなるが、かれもその部落の入り口で「じゃーな」で入って行くだけだ。彼もまた、学校が終わればまっすぐ家に帰るように言われているのだろう。

当然のごとく、意味がわからない小学生は母親にその辺の理由を聞いたのだろう?
何となく、理由もなくそこに在日差別の発想がインプットされて行く。母親に差別意識があったとは思わない。単に事実を事実として伝えられたのだろう。

「あそこは、朝鮮人部落で、悪いことばかりするこわいところだから…」多分そんな話が、自然に聞かされたのだろうし、恐らく我が家だけでなく、すべての家庭がそんな話をしていたのだろう。そして、確かに、きっと悪いことはしていたのだろうと思う…とにかく厳しすぎる差別の中で生きるために・・・

この実態が、あんぽんの中に赤裸々に書かれているのだが、わが小学校時代は、もちろん日本人であっても、(我が家でも)まだやっと食えるような時代であったことからすれば、孫正義が過ごした時代よりもずっと状況は厳しかったのだろう。

小学校も高学年になれば、興味本位で怖いもの観たさ(当時の素直な感覚で表現)も手伝って、友を訪ねるふりでその部落の入り口から出口までを歩いてみる。(小学校では話せる友でも遂に日常の遊びはなかった。すでにしっかりと潜在意識の中に「在日」の差別感がインプットされてしまっているのだ。

少なくとも小学校の6年間は、その街の環境は変わらなかった。

私達は、在日韓国朝鮮人の人達の存在の歴史は全く学ばず、現実に隣り合わせで学んだ最後の世代であったかもしれない。
その潜在意識に潜む差別の心には何の根拠もないし、万一彼らが無法であったとしても、それは日本人の中にも当時大半が生きるためにそうであったはずだ。一世代前はみんな闇市場で生活を繋いだのだから。生きるために・・・

中高と進む中にももちろん在日の仲間はいた。彼らは100%日本名で生活をしていた。大学に入って始めて「朝鮮名」の友人ができた。彼は苦労を話し、「実名を名乗る事で日本人になれる」といったのを覚えている。

部落差別と在日差別は同根にあり、我が世代には、それが歴史上の総括なくして、現実の生活の中に刷り込まれてしまっている世代であるかもしれない。
あの川沿いの街はいつ無くなったのだろうか?確か神戸を離れる頃には存在していたが、阪神大震災の後は綺麗になくなっていた。

いまの「韓流ブーム」は、この在日差別を完全に払拭してくれるだろう。しかし、まだ日本名のまま、在日差別を意識して生きる人がいるとすれば、それは我が世代の問題であり、歴史と事実を正確に伝えて行く事であり、我々はアジアの同胞であり、日本の歴史の起源が韓国、朝鮮にある事も含めてこの島で共に暮らす「人」世代になることを希望するのだが・・・。

日本に帰化し、日本の将来を心から憂い、事業に、震災に活躍する日本の若手経営者「孫正義」氏に心から期待し、彼にまだ被せる「中傷」に理由の無いものについては、我々自身徹底的に排斥する責任はあるだろう。

彼が、あえてプライベートを含めて公開し、闘う必要性など全く無い時代は、やっぱり彼のライフワークと彼自身の成功にかかってしまうかもしれない。

佐野眞一氏の迫真の取材に敬意を表し、この本が間違ったベストセラーにならない事を望む。
最後に自らの中にまだ残る潜在的差別の存在を認めさせてもらった事で、自らも反省と謝罪を表明したいと考える。そして同世代が未だに持つその潜在意識を明確に根拠の無いものである事を見聞してきた事実のみで語っておく必要があるのではないだろうか・・・

2月 27, 2012   7 Comments

日経「交遊抄」素直に有難う!

騒がしい一日が、終わりました。

騒がせたのは実は自分です。呟き効果でしょうが、ちょっと(いや、すごく)嬉しがったのは、実は書く側より書かれる側になりたいものだ・・・と毎日読んでるコラムだったからです。

沢山の「読んだよ」メールにお礼のブログとさせていただきます。

それにしても持ち上げ過ぎの提灯記事、いやお手盛り記事?これも違うな、でも本当にいい社長になったなと心から思っている後輩に煽てられて、多少舞い上がってしまいました。多少弱気の反省期にあって、おかげで元気をもらえました。

この記事になった「風の盆」とそれを招請してくれた後輩の原田君(中越パルプ社長)については、前にブログで書かせてもらいました。実はここに集まった8人の仲間とその目的は、そこに来れなかった「一人の仲間」を招待して、応援しようという企画だったのです。

残念にも企画は失敗、主役が来(れ)なかったのでした。
後輩が上場会社の社長になったことを一番喜ぶだろうから、全ての下働きをこの大社長に要請したら、何の苦もなく、彼はその役をこなしてくれましたが…

実は、その友が昨年無くなりました。(この事も以前ブログにかきましたが)本当に書かれるべきこの「交遊抄」の対象は、今は無き「高野俊博」であるべきだったと確信しているのです。
「風の盆」に集まった8人は、偶然にもその後彼の葬儀に集まり、そしてこの3月に一周忌で、また集まる事になっています。
たった4年足らずの短い付き合い、あれから40年・・・
なんと濃い大学生活と恵まれた交遊があったものだとつくづくと思います。

この記事の見出しになった「変わらぬ風貌」こそが、皮肉にも弱みを見抜かれているのかもと恐ろしくもあるのですが、風貌がそう見える高慢さこそ欠点だったのではと思うのは、書き手となったこの社長には、全くそんなパフォーマンスのない自然体の人間だったからです。そんな彼の実力を見抜いて社長にした「中越パルプ」という会社(の社員)は素晴らしい(はず!)ですね。
(でも彼の人格、器を見抜けていた自分の眼力も捨てたものではないでしょう?)

富山の中越パルプ本社(本社を銀座から富山へ移したのがこの社長の最初の仕事)へ行った時、「おい、タバコまだ吸ってるか」と問えば、「もちろん、煙草ルームに行きましょう」と答え「よう!」と社員の中に入れる社長、「後輩はどこまで行っても後輩です」と下働きを平気で出来る社長、言うは安しで中々出来ないものですよね。

そんな素晴らしい後輩の「交遊抄」に選ばれただけでも感謝です。
「この喜びは本当はお前だ」ともう一人の我が「交遊抄」に記すべき「亡き友」と喜びを共有させてもらえる一周忌がきます。
そしてこれが私が「独り言」に書くお返しの「交遊抄」です。
素直に有難う!お手盛り記事に追いつくよう、なお精進します。

2月 25, 2012   4 Comments

拝復団塊太様

拝復、団塊太様

ながーい投稿したらやっぱり消えましたので敢えて!本文にて…
(二度目ですから打ちっ放しの乱筆お許しのほど!)

貴重なご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。
さて、保険商品の開発運営には、およそ一億一円程度の資金が必要になります。信じられないでしょうが、これが金融庁の認可基準をクリアする為の最低コストとお考えください。最低コストとは、極めて高コストのプロ達がボランテイアでプロジェクト参戦してやっと収まるコストです。FISは2000万の資本金でスタート、今や売り上げも無いのに22000万の資本金となっています(^-^)/

開発商品は二つしせありません。因みに生協さんが直近で作った終身保険は15億円、ライフネットさんはインターネット医療保険専門で130億の資本金をあつめましたが、、、

少額短期保険事業は資本金1000万でスタート出来るとされていますが、もちろん不可能です。供託金だけで1000万ひつようなのですから・・・

保険事業の監督指針と検査マニュアルが公開されていますが、気が遠くなるような管理規定が存在します。つまり、現状の少額短期保険事業者は早晩必ず、ギブアップするでしょう。結果として大手事業者が買い取ることになるでしょうか?
当社もその類ですが、幸いにして奇跡的に生き延びるはずですが、青息吐息の実情です。

さて、散骨プランについては発想は素晴らしいのですが、売り上げの目処をどう読むか、ペイラインには、やはり一億円程度が最低ラインとなりますので、そこへ到達する目処とインフラ維持が大問題です。生協等とのJVが考えられます。彼らは自前のマーケットを持っています。それでも年間売り上げ見込みはどうでしょうか?

などなど、ネガテイブな話しとなってしまいます。動物保険も早晩厳しいでしょう?長期的視野が不足しています。葬儀保険は葬儀屋さんが保険という名で見込み会員を集めて成功していますが、果たして保険としてはどうでしょうか?

最も一番の課題は、当局の承認の壁は、二度と登りたくない山のごとしです。今無いものは認めないで、今も戦争を続けています。法に書いてある権利行使のみですが、彼らの解釈の裁量権は自衛隊を合憲に出来るはずです。

というわけで、今いろいろ論文をまとめているところです。
政治にしなければ、解決できない護送船団業界(その恩恵で食ってきたし、食えたのですが…)と2重、3重の行政組織、コンプライアンスコストは行政コストまでいれれば、超莫大な無駄を発生させているのですが、、、。

脱線して愚痴になりました。新医療保険の発展計として、散骨プランはぜひ実現したいものです。しかし、今はその為の商標登録コストがありません(泣)
お許しのほど、、、(えいじ)

2月 21, 2012   2 Comments

新医療保険「プレミアムエイジ」の狙い(結)

昨年の3月、あの大震災の直後でした。

真夜中の電話は書き物を終えて少しまどろんだ直後だったと思います。我が、かけがいのない親友の危篤を告げる彼の奥方からの電話でした。

そのまま、始発の新幹線を調べながら間に合わないだろうことを覚悟したのは、状況をある程度理解いたからでからでしょうか?一昨年の年末に意識不明の彼に、静かに別れを告げるため入院先に見舞いに行き、その後一人泣きしながら無力な自分を納得させながら、帰京して3ヶ月がたっていましたが…

彼はこの十年、重度の糖尿病に加え、鬱症状がひどく、長い療養生活を余儀なくされていたのです。最後は命綱のインシュリンを止めても酒はやめないという、覚悟の生活を決め込み、その結果やせ細った身体を引きずりながら、コンビニで酒を買っての帰り、転倒して頭を打って、意識不明状態での一年だったのです。

家族は当然ですが、私達仲間にとっても厳しい10年でした。
学生時代の3人の理屈を超えた仲間で多少なりとも支え合い、支援をしてきたのですが・・・

喪服の用意を終えた頃、再び電話がなりました。覚悟はしていましたので、その電話では、「兎に角遺体を自宅へ運んであげて欲しい。後は全て到着してから相談させて・・・」と悔やみも言えずにそう指示していたのにはそれなりの理由があります。

「先立つもの」の心配は、その前から相談を受けており、当然初めの電話をもらった時からそのことの方が気懸りだったのです、不謹慎を通り越して・・・。
しかし、私の手元にも金が無い・・・。彼の葬儀代くらいはいくらかかっても、惜しくも無い気持ちはあっても…私にとっての彼の存在は勿論、それ位の価値があるものでしたし、彼が元気なら無条件に彼に相談し、彼は利害を超えて支援をしてくれていたでしょう。そんな奴でしたし、本当はそうなるべき序列が正しかった!

100万はかかるだろう?いや、病院を含めて全て片付ける為には150万程度はいるかもしれない・・・
二人の友人(彼らも勿論思いは同じのはず)に電話をして、「先に行く、全てを取り仕切るつもりなのでよろしく…」即決でOKを取れる友がいるのが嬉しいし、それが彼の人格の証明でもあったと思います。

自宅に到着したら、葬儀屋さんが段取りを「かみさん」に説明中でした。(かみさんも大学の同級生で、この10年なれないパートを2交代しながら、彼の世話をしてくれていました)
厚かましくも割って入り、「実は葬儀については、彼は僕に遺言を残していました。静かに友人葬でおくって欲しい…が彼の希望でしたので!」
始発の新幹線の中で、彼との別れをした時を思い出し、彼がきっと言いたかったことだろうと勝手に確信し、喪主にさえ断らずに言い切ったのでした。

葬儀がどれくらいかかるものかについては知っていました。悔しいかな、その端金すら、今の自分には持ち合わせが無いのが悔しくもありましたが現実はいかんともし難いものです。

葬儀を「一切」仕切ったのは、もちろん始めてでした。それも独断で…。
その後到着した二人に、改めて事情を説明し、葬儀費用の概算の3等分の按分と坊さん無しでの葬儀という事で了解を取り付けました。

「そんなに会葬者はこないだろう。いや、その方がいい…彼を心から見送れる仲間だけで骨上げまで付き合わせたい」これは違っていたかもしれませんが、選択の余地はありませんでした。沢山の事情が人にはあるものなのですから…

友人葬として、その日のうちの通夜(土曜日)、翌日(日曜日)の葬儀の場所だけは借りる事にして、原則葬儀参列者は「焼場」まで付き合う事…坊さんは無し・・・
これでも一切で100万弱になってしまいます。香典は全てこれまでの病院代に回すことにさせてもらいました。(後日談ですが、何とか清算はできたとのこと…)

あえて、参会者には一切の事情を説明せず、「本人の生前希望により、こうさせてもらいました。彼の田舎は島根県の大田市、立派な菩提寺もあり、ご両親も妹さんも眠っているお墓があります」挨拶でそんな説明で「坊さん替わり」をして、献花と合掌をお願いし、レンタカーを奮発して「焼場」へ参会者を連れていきましたが、ほぼ全員がお付き合いしてくれたのは本当に有難かった。

3人の仲間にとっても彼の田舎は第二の故郷であり、実家には何度もお世話になっていました。少し元気になった一昨年、みんなで訪問もした場所、彼が戻る場所はやっぱりそこがいい。その時「戒名」がつけばいい・・・こんな苦い決断が正しかったのかどうか、一周忌を前にして今も判断に迷っているところです。

長い脱線をしてしまいました。
昨年、実はこの他にもたくさんのみおくりを経験しました。
葬儀を一体どうするのか、語らないまま誰にも、必ずその日はくるものです。
時代は様変わりしていますが、葬儀の形は全く変わりません。そしてその費用は決して軽いものではなく、それを拒否する余裕など遺族にはないのが実情です。

尊敬する福祉事業をライフワークとする「Yさん」には、散骨を希望する人が多いので現物給付の葬儀保険を作れないかと頼まれたりもしていました。核家族化を推進し、わがままな個人主義を作ったのは、団塊世代かもしれません。

今回の医療保険は、一定のシニアにも入れる保険とし、多少割高でも葬儀費用と葬儀の希望についてくらいは「遺言」出来ないかと考えて、商品化したものです

無言電話に終末における希望をいつでも録音しておけるサービス、やがては、散骨や葬儀の現物給付サービスにも発展出来るような形を作れないか?
「そろそろヤバそうだが、葬儀に坊主はいらない…」
「保険屋から伝言が来るが、100万は葬儀の足しに…」
「墓の改修をこの金で…」

万一の場合にのみ、この伝言版を聞かせてもらって遺族に通知するサービス…
その伝言を遺族が聴くかどうかまでは責任は持てなくとも、きっとそんな終末準備が、必要な時代であろうと思っています。

今は100万円の死亡保険特約でしかありませんが、サービスが完成したら必ず、全ての契約者にお知らせします。
「プレミアムエイジ」の葬儀費用保険付帯医療保険は・・・そんな考え方で、手作り中のものです。
長すぎる自己満足のコマーシャルブログを終わります。ご検討のほど、またご意見頂ければかならず参考にします。(原則インターネット加入が、最大の問題点?)

http://www.flex-ins.jp/medical/Medical_index.php

(ブログのフレックス少額短期保険-FISをクリックすれば入れます…

2月 19, 2012   No Comments

新医療保険「プレミアムエイジ」の宣伝です⑵

素人なりに大数の法則をベースとした認可取得の為に(実は算数的)感性を理論化してみました。

この保険料計算では支払い純率というのが、35%になりました。そして諸準備金を15%程度積み上げてあります。すると残りは付加率と利益見込みですが50%という結果になります。
これで当局の承認を得て販売することが可能です。経費は営業努力で削減は可能ですから10%で治めるとすれば、後は(40%が)利益になるという計算…実はこれが大数の法則による保険計理というものでした。

では、実支払いと実経費は一体いくらになるでしょうか?
インターネットで販売し、完全に事務を自動化できればと考えてやってみたらその答えは実経費は丁度10%となりました。あとは販促費ですが、もし自分で知り合いに売ったら販促費はかかりません…

実支払いは実績値で35%とすれば、経費計が10%、ならば諸準備金と利益計で55%が残る計算です。しかも日本一安いを豪語する医療保険・・・

これが「プレミアムエイジ」の作品結果です!
因みに支払い率も経費率が低ければなぜか、実数において、大きく下がってしまうので、全体保険料も安くなる、、、理由はおわかりでしょうか?算数です!

但しこの保険は少額短期保険ということから、沢山のウィークポイントがあるのも事実です。
終身契約ができないこと、五歳刻みの保険料であることから、入る年齢によって有利、不利が発生すること、女性が男性に比べて割高となる大数の法則が存在すること、高額な支払い保険金には出来ないこと、、、などなどです。

それらのウィークポイントの時点をべーすにして、全て一般の医療保険と比べて見ました。女性は割高になるか,最悪の年齢時に加入すれば一般より不利になるか、終身保険の通算保険料と毎年かけて行く事による保険料計ではどうか?

どんな場合にも全てを凌駕する結果に、実は我ながら驚いているのです。それで自画自賛し、かつ自信を持って知合いに押し売り気味になっているかもしれません。

かつ、少額な保険というデメリットは保険としての必要な最小限の支払いがくとなりますが、そのことが返って最大の効率を生み出しているという実態に突き当たったことです。入院日数が60日しか取れません。しかし、現実の入院日数の統計では90%以上の確率で60日以内に退院となっている実態はあまり知られていないでしょう。

180日の入院日数限度が現在の医療保険の主流のようですが、果たして今の医療の実情からしてはたして本当に意味のある保険料負担でしょうか?
確実に保険料はプラスされているのですから…。

高度先進医療付きが今の医療保険の流行りのようです。1000万までついているとか?
果たしてどの病院で1000万の高度先進医療が受けられでしょうか?
私の知る限りでは、この医療設備を利用できて、治療ができる人には医療保険など全く不要ではないかと思います。
我が「プレミアムエイジ」では確か先進医療を利用した場合には「35万」までの保障となったでしょうか?
それが利用の可能性の範囲であって、保険料は高額にすればするほど当然高くなるのです。たとえ使わない、使えないものであっても・・・

解決できない問題がもう一つ、万一の場合の死亡保障が100万であることです。しかしよく考えて見てください。借金がある人は別ですが、すでに子育てが終了し、住宅ローンも完済の人にとって万一の場合に心配なのは、葬式費用程度のはずです。

逆に葬儀費用は、どうしても「別途に」自分で用意しておきたいものだと、最近つくづく思っているところです。死亡保険金ではなく「葬儀費用見舞金」のオプション付きが「プレミアムエイジ」の狙いなのですが、、、実はこの分の保険料程度が一般の保険より安いはずです!?

ちょっと、脱線してプライベートなお話を続けさせてください・・・(つづく)

2月 18, 2012   No Comments

「プレミアムエイジ」新医療保険の販促(反則)です!

「独り言」で営業をする事は「禁じ手」だと思っています。

ブログ「プレミアムエイジ」は既に4年以上が経過し、この間に寝食を惜しんで作ってきた保険会社と二つのオルタナテイブ保険商品・・・その一つの商品名として「プレミアムエイジ」を採用したのは、当初よりブログが「禁じ手」への発展に繋がるかもしれないとの予感があったのでしょうか?

勿論NO!ですが、
三日坊主にならないために先書きした「団塊世代が行く」は、当時「07年問題」と言われ、多少注目もされました。日経、NHKと続いて取材を受け、多少舞い上がったりもしましたが、それが問題になるのは恐らく10年後(17年問題)くらいでしょう…その頃に団塊世代が真に「プレミアムエイジ」になっていたらいいのですが、最悪の世代となるかもしれませんね・・・とマスコミに答えていました。

先日、読まれもしない独り言生活総合システム研究所」を既に「10話」以上掲載してしまいました。そして今般、アドレスのある友人、知人に当ててその後の「河田孝彌」の生の姿をクドクドと書いてDM送付し、託けて販売協力依頼までしてしまいました。
信念に基づいて本音と実態を報告したつもりですが、当然誤解、同情、嘲笑等様々な反応があることも承知です(笑) 。何故カッコつけてきた人生に今頃泣き言を・・・と思われているかもしれません。格好悪い自分をずっと表現してきたつもりですが、やっぱり本音が出ていないのではと気付きました。「助けてくれー、頑張っているんだから・・・」が本音なのかもしれないのですね?

ならば、ブログにおいても、二つの素晴らしい商品開発のコンセプトの本音を説明しよう、本音で未だに見えない読者の皆様にも協力依頼をしておこうと考えました。前置きと言い訳で嫌になるでしょうが、ぜひ最後までおつきあいの程(^-^)/

その一つ、生活総合保険はおかげ様でプロの業界人に大きな価値を見出していただいたので省略しますが、そのベンチャーコンセプトは、二つの商品とも「コンプラ対応逆張り保険」でした。そして、新医療保険「プレミアムエイジ」もベンチャー精神で大手や外資にチャレンジし、かつ大手では絶対に真似のできない意欲的なものと自負しているのです。

しかし、残念ながらきっと売れないのです!
保険で最も大事な継続的信頼性が不足しているからです。たとえ2億円を超える資本金を積んだとしても、その通りであり、その事実を直視して開発後、発売を一年以上躊躇してきました。

今般、何故、にも関わらず販売に踏み切ったかをご説明すれば、きっとこのブログにおいてもご紹介する意味が分かりやすいかもしれません(我田引水と言います)。

この保険(いや、実際には保険ではなく法の範囲内におけるぎりぎりの相互扶助共済?)は、比べ方は中々難しい(保険は基本比べにくいように作られる)のですが、軸を明確にして比べれば、日本最安値に構成されている事が解るはずです。

その理由は後で詳述させて頂きますが、まずこれが自信を持って家族、親戚、知人に先行販売を行うこととした大事な言い訳でもあります。
さて心配は、果たして引受を続けられるかどうか?でした。
この保険を自分一人で「100件」売れればその心配は消えてしまう、というのが結論であり、このブログのキーワードとお考えください。(そして、これを書いている今日現在(2月1日発売)で既に70件のご契約をいただいております)

保険とは大数の法則が大原則で、料率が作られます。しかしそれはその保険の最大リスクが膨大に膨らむ可能性に基づいて決まる原則であり、最大リスクが大数のぶんぼとなります。(100は1に対して十分に大数です?)

友達100人に我が「プレミアムエイジ」を売ったら一体この保険の最大リスクはどうなるでしょう?これならたいした大数でもないので、経験値で推定が可能です。残念ながら、実はこの保険の支払いは、一人に最大180万が限度となってしまいます。

しかし、万一の場合に必要な金額は本当はその程度であり、実際にはそれ以上の収入は、不労所得であったり、焼け太りのモラルが発生してしまうかもしれません。保険とは、必要最低限であり、かつ万一の場合に必要不可欠な金額であるべきでしょう。

さて、友達100人にこの保険を売った場合、保険料は大小取り混ぜても年間500万程度になります。つまり、一年間にこの保険料をすべて支払っても最大支払いで、3人分の支払いが可能ということですね?
勿論保険会社は赤字ですが支払いは出来ますし優先されます。しかし、実際にはこの180万×3の支払いが起こる可能性は0に近いのですが、皆さんの身近な感覚においていかがでしょうか …

この保険の目玉は、入院時の出費であり日額1万円です。
実は今、50日を超える入院は全く珍しい事態です。平均で10日程度、長くて一ヶ月で追い出されてしまうのでしょうか。もしくは残念ながら・・・となってしまう場合も多いのでしょうか?

ならば15万程度が入院時の支払い平均としましょう。(されど15万は貴重です)実はこの保険のニーズのモデルは自分自身の中にあります。
できれば個室にして欲しい。何とか二人部屋なら辛抱するが・・・それでも家族の状況によっては、そんな我がままを許してくれないかもしれません。
死んで家族に美田を残す気など全くありませんが、それどころか、葬式代すら不安な寂しい実態が現実にはあります。せめて100万あれば静かな葬式は出来るだろうし、できればそうしてもらいたい。

ならば、500万(100人)で入院支払い限度は、年間30人、死亡なら5人まで・・・
(この歳になると悔しいですが、5年に一度程度の訃報が入ってきてしまうのです。
訃報が届くだろう友人の数(分母)は、300人程度でしょうか…)

この辺りは、昨年までの体験で後述させてもらいます。
さて、500万の保険料の最大支払いと最小支払いの誤差が保険会社の利益となりますが、皆さんにも100名の知人に対する医療(入院)支払いの可能性なら想定がつくのではないでしょうか?

当社のこの保険はすでに開発済みでそのコストはほとんどがボランテイアコスト、しかも投下資本よって多少にしても償却済みです。
売っても、売らなくても運営費は10%もかかりませんから、支払いに回せる損益分岐点は500万円×90%=450万という事になります。100人の契約者があれば間違いなく利益を生んでしまいます。

そして、もう一つそれでも世の中「想定外」が生まれるものです。幸か不幸かこの保険は掛け捨ての一年契約です。
私は万万一の場合を想定して、保険会社の責任を考えるべきだと考えてきました。契約がある以上は絶対にその約束に基づく支払いができる事が最低のモラルです。

あらゆる場合を想定し、保険会社が継続できなくなる場合のリスクは、最大一年間であり、新たな契約をできないことがあるという事を説明していれば、その支払い資産の維持と責任の範疇と考えておけば契約に対する最低責任はしっかりと見えてきます。それは資本金や名声ではなく保険事業者のモラルであると思っています。

これが、100人の顧客の確保を自らの営業で達成すれば継続的販売が可能であり、その後はー必ず大きな利益向上に繋がると考えた我が算数保険学なのです。

支払い率90%など、業界の常識では考えられません。通常は支払い率は最大でも60%が、損益分岐点と言われています。
しかし、業界人としてはタブーですが、その保険開発、販売、維持コストが先に決定している結果としての支払い率だからそうなるのではないでしょうか。

アリコ、アフラック等の会社決算をご覧になったことはあるでしょうか。あれだけのテレビによる販促をしてなお、医療保険が大きな利益を上げられるのはなぜでしょう。実態の支払い(リスク)に万一リスク率が倍増されて、認可されているからではないでしょうか。(それでもアリコの親会社AIGは潰れましたが・・・アリコの売却額g純資産額)をご存知でしょうか)

最低のコストで最大リスクを取る場合の保険事業の損益分岐点はどんなに見積もっても70%の支払い率でなければ本来おかしいでしょう。
(競馬、宝くじの配当率からしても…でも問題にはならないのは?)

しかし、現状での保険会社経営において、70%の支払い率では大赤字になるのが現実です。大手各社の今年度の決算状況でもそれは明らかですよね!

では、この新医療保険「プレミアムエイジ」は大赤字になるでしょうか???
日本一安い?と豪語して、かつ最もリーズナブルな保障内容と豪語してしまうのは、間違いでしょうか?  ・・・・
ここまでがナガーイ前説で、次からが本音です!!( 続く)

2月 17, 2012   No Comments

賢鐘会(終)

会が終わっても、まだ時間は5時前だった。飲み放題でみんな結構まわっているようだ。

2次会は何とカラオケだというので一歩後退して、最大の後援者POKOさんを誘ってホテルのラウンジで相談事・・・

困った時には、彼の意見を参考にする。彼は、現役時代埼玉に赴任した際、既にD社を去って、代理店研修生として修行中だった。D社は既にバブル時代のツケがまわり、混迷の時代に入っていた。彼に加えて沢山の優秀な若手社員がD社を去っていく頃であった。

初の部長として着任した埼玉では、5つの支店と地域企業営業部長を兼務するあまりにも重責のポストだ。若干39歳の若造で各支店長は全員が先輩のベテラン社員だったのだから大変だった。(・・・と実は思わなかったのだから、若さという魔物が潜んでいたという以外にはない。一生懸命は全てに勝る?)

こんな中、一番客観的に会社を語れる立場にあるのがPOKOさんだった。
なぜやめたのか、なぜ研修生という立場を選んだのか、今の会社をどう見ているのか、はたまた取引先(代理店)のモラルはどういう状態か?元同僚である一般社員はどうか?など、連日、連夜に渡って彼に話を聞いて参考にマネージメントを考えたものだ。

あれから、実に25年・・・
彼は一歩づつ歩み、成長し今や埼玉でトップクラスの保険代理店として君臨する。D社を捨ててなお、D社と共に歩んでいる「D」そのものである。会社をやめた時にただ一人真剣に叱られもしたし、その後も常に辛口でのコメントをもらえる人物!

彼にもらったうれしい褒め言葉は、「エイジさんがもう一年早く着任していたら、会社をやめなかったでしょうね!」勲章となったこの言葉はその後の我がサラリーマン生活での目標となり、実はこの会の存在基盤でもあったのだ。(結果としてにリタイアーで怒られるのは当然かも?)

相談事は、実は「会」をどうするかではなく、「D」を完全に消すことができるかどうかを問うものであったのだが、その回答はここでは保留としておこう。

「D」は「ポコさん」の中にあり、仲間達の個々の心の中で生きている。

そして、賢鐘会は、我が思いのまま続けることと決めた。
大義名分は必要ないし、必要な時に個々に助け合う可能性を期待して、ゴルフも音楽も仕事も、人生すら包含して、一人ででも続けられればそれでいい。
連絡役ができる限り、向井事務局長共々頑張って行きたいと思っている。

POKOさんと共に二人の苦手な酒とカラオケの2次会場に向かった。
なんと皆さんお歌のうまい事、このタレント性こそが「D」の強みであり、あいおい音楽祭の成功に繋がっているのだ。賢鐘会は生きているし、確実に残った。

三次会では神道さんと「熊谷守一」支援プロジェクトを「ルノワール」で・・・
洋画の巨匠の末裔である熊谷君も仲間である事の幸せを感じながら帰途についたのは、10時を越えていた。
久々の熱い一日であった。
ただ一言「有難う」である。坂の上にまた坂があったら登るしかない!
POKOさん!ゆっくり下るには時間がありすぎるから、ぜひ一緒に登り続けよう・・・ちょっとスピードダウンを心がけて・・・

2月 5, 2012   No Comments

3S総研(終・市民金融事業の展開へ)

我が出身保険会社は、私が入社した頃には業界9位の位置にありました。

13位からのごぼう抜きであり、発展途上の勢いはその後もとどまらず、一時は業界4位まで躍進、財閥大手4社の一角を狙う状況の中、現場の第一線で伸び伸びと仕事が出来た本当にいい時代であったと思います。何と15社の損保が平和に共存共栄していたわけですから、今日の三社グループへの再編まで僅か15年の変化です。

並行して、今もなお保険業界への外資による自由化圧力は強まっており、国内各社はその防衛策を模索していたのです。金融全般の護送船団方式は、その波の中で対応不能となり、まず大銀行の破綻、再編、中小生保の外資化と進み、やがて損保へその波が押し寄せる事は必定となっていたのです。

米国の巨大金融資本の前では、日本の護送船団行政が崩れれば、一気に飲み込まれて行く可能性は必然であったのです。世界にごして戦える日本企業の数などたかがしれています。保険業界においても、日本生命、東京海上を除けばすべてがその波をかぶる可能性がある中、当時の全ての経営者の間で、業界再編は焦眉の急となっていました。
そんな中、我が出身会社の「独自性」は花嫁候補としては格好の会社であったのでしょう。

時の社長は、そんな中全社の動きを見ながらその独自性を維持し、発展を続ける道を選択するべく、合併の交渉相手を世界のトヨタに向けたのです。日本にどんな波が押し寄せようが、生きていける日本の会社は「トヨタ」である。業界の誰も発想できないものであったと思います。

既に、この大きなうねりの中、本社勤務で待機を命ぜられていた「我が身」にさえ、それは理解の外の戦略でした。自動車業界と損保の関係はその売り上げの過半が自動車保険となって行く中では、切っても切れないものではありましたが、出身会社は唯一トヨタとの取引が出来ない弱点があったのです。
(業界外にありながら、一生「トヨタ」に乗れないサラリーマンが我が社?)

そんな中、千代田火災との合併話が急浮上したのでした。社内幹部には大きな動揺が起こったのは当然です。時の社長は「そっと」耳打ちしてくれました。

「合併の相手はトヨタだよ!すでにトヨタトップのネゴは出来ている。当社の独自性を維持するエビデンスとして、日産、ホンダ、マツダとの取引継続も了解させている。千代田火災だって、既にトヨタの傘下とはいえ経営の独自性は維持できている。これからは世界をみて企業の維持を考える時代になる。国内損保の合従連衡では、当社の独自性など残るはずがないんだよ!」

あれから10年が過ぎました。

日本の混迷はこの護送船団行政の「緩やかな崩壊の選択」に要因があるでしょう。全ての金融行政が、あのプラザ合意以降、米国金融資本主義の延命策(追随策)で終始した事にあります。第一次バブル崩壊以降の大蔵行政の失敗(失政)が今日の日本の姿を形作ってしまっている・・・
銀行、郵政、年金、生保、損保・・・日本の未だ十二分に保持される膨大な個人資産を巡る闘いが、米国を中心にグローバルに標的とされている事に変わりはありません。

日本の金融市場は、隠れていても「TPP」の目玉であり、生損保業界もいまだにグローバルに生き残る為の再編途上と捉えるべきかもしれません。

日生対TOKIOマリンにMSグループが割って入り、生損保、郵政の法的壁が完全崩壊する前夜にあるはずです。

保険法の制定、生協法の改定、共済の保険化、簡保の保険化は全て金融事業としての保険化への加速であり、それは相互扶助精神の保険、共済事業の終末を意味するものです。

金融事業からリテールの保険分野を切り離し、国内リテールの為の保険、共済分野と市民資本セクターの醸成を可能にするか、金融事業の波に呑まれて、消え去る運命と諦めるかの境目にあるとも言えるのです。

少額短期保険事業や共済事業における生損保の垣根撤廃を既成事実化させ、少額で短期な金融事業を別枠として解禁させる事は、国民の金融資産を守り、外部流出させない為の大きな目標値であり、最大の研究課題でもあるはずです。
(もちろん、現在生協も少額保険事業も金融事業を兼営することは禁じられています。少額で短期な金融事業なら市民金融事業分野として十分に可能です)

生協陣営等の保有する非営利資産、簡保資産、年金資産、健保資産などは、新たな市民金融資本として再生されるべきものであり、これらの専門分野の学者、政治家の連携(育成)と関連法案策定、設立がこの研究所の究極の目的ともいえるでしょう。

因みに金融保険分野と共済保険分野の棲み分けは、EUにおいては主流の流れでもあります。

「共済は保険である」との一見(消費者保護のため?)の法律は保険事業分野を完全に世界の金融市場に投げ出すことに通じるものでありうる・・・
この際「共済法」の設立と限定的市民金融事業の解禁への運動は「生協」という市民金融セクターが、最も近い位置にいる現実的見地とみすえ、一歩づつ進めて行く事であろうと考えています。

なお、これまでの論は、生活クラブ生協の創設者の一人である「横田克己氏」の著作やご意見に加え、現在も進行形の諸施策を元に小職の経験を保険、金融業界の同行と実践を加味して纏めたもので有り、今後とも実業的、実務的行動に基づき検証、公開して行く予定です。

小理屈を長々述べてきました。個人的「纏め」の下地にブログを使わせてもらったのは、極めて不評であったことを読者の皆様にお詫び申し上げます。

2月 4, 2012   No Comments

ハムレット人生最後の決断!?

決断はいつも早かったと思う。悩む前に手が、口が、体が動いていた?

「筋を通せば道理は引っ込む」…はず!?

①高校時代、筋を通したら停学になった。
若気の至りで勉強を始めた…

② 教師から「K大も無理」と言われたが、「ダメなら就職」としてKG大を受けた。
奇跡の合格で学内騒然…

③ 大学では、筋を通すために、突然部長を投げ出した。
人前で初の男泣き…

④ 何とか上場企業に潜り込んだが、一年持たず、向いていないと退職した。
途端に結婚が決まり工員に…

⑤ 二人の子供は食わせられないと再び辞表で、我儘を捨てて再びサラリーマン。
社長から給与倍増で止められたが、筋が通りませんと拒否…

静かに30年が過ぎたら…常務になっていたら何かおかしいぞー

⑥ 57歳になって、大人の筋は、退職しかないと独り合点に家族は同意。
社長に先は、博士か大臣かと言われても、それでは筋はとおらない…

⑦ そしてこの歳になって始めて、始めてのハムレット!
君にはもう時間はない…

ハムレット曰く
「筋を通して、地獄を見るか、筋を曲げても天国を目指すか!それが問題だ!」

振り返れば、全て地獄を見る選択だったが、落ちないできた奇跡…がある。
何故迷うか?
これまでに決断に3日かかったことは無いのに…

皆さんなら、どう選択するのだろう?

2月 4, 2012   No Comments

賢鐘会(3)

今年の新年会を飛ばしてしまうと長く続いたこの会もゴルフコンペも開かれる事はなくなるだろう。最後になる(する)事を覚悟して、案内状をM君にお願いした。本来絶対禁じ手である仕事上のお願い文を同封して・・・

出身会社の変貌とOB会新年会を横目に見ながら、10人も集まらない事も覚悟して、当然禁じてを使った事で、勝手に我が儘解散宣言をさせてもらうつもりだった。新会長に仁義さえ切らず、常識はずれのけじめを自分流につけるつもりだった。

会場のワシントンホテルには、OBが10名、現役(含むすれすれ)が11名出席予定の全員が揃っていた。

いつものように、会長の乾杯だけで新年会が始まった。メンバーには、発足からの最古参の部下に部下の部下、同僚、同僚の友人達と多士済々ではあるが、さすがに最年少で今年50歳、最年長が65歳と高齢化はおびただしい限り・・・

実は、M君に一時間程度話したいのでマイクの用意を頼んでいた。この際嫌われても、様々な想いを話したうえで、会のかって解散を宣言してしまうつもりだった。「泣いてしまうのかもしれない」と似合わぬ感傷的心境であったのは、禁じ手のお願いごとをする為の経緯をしゃべるつもりだったからだが、当然昨年一年間の傷心の出来事の連続と背景を話さなければと想ったからである。

出身会社が無くなる寂しさについては、昨年の新年会で話してしまってオリ、その為にも会の名前を「賢鐘会」としたわけだが、その会の維持能力を保持できない理由にかこつけた「お願い事」となってしまう。

頭を下げて「お願いし、潔く解散宣言で締めよう」と想っていた。珍しくシナリオを考えたのがいけなかった。つらつらと言い訳がましい話しになってしまう。「言うべき事が言えないぞ・・・」

それでも40分もの長広舌となってしまった(らしい)。意味不明の長話を反省し、残された時間で「全員が一言づつ・・」

しまったみんな「良くしゃべる」いや話した思いは通じている。河田孝彌とこの「会」の意味を分かってくれている。それは「D」社の精神であり、その先頭を走りきり、その姿を見てくれていたのだとの身勝手な解釈に聞こえてきた。

K君は「「D」の率先垂範の精神はどんな企業になっても、恐れるものではない。必ず先頭を走っているし、戦いがあれば必ず勝利するものだ」と後輩の現役たちに話した。

S君は最も早く「D」を去りながら、彼に教えられた「D」の誇りと情熱を受け継ぐ人、彼はこう挨拶した。「坂の上を見定めたら、後はゆっくりと下り坂を転ばぬように下りるべき」と教えられたが、今、考え方は「坂の上には、叉坂が待っている。人生は坂を上り続ける以外にない」事を理解して、人生設計を見つめなおしている・・・と。

宴の終わりに、KU君が突然前に出て「皆さんご唱和を・・・」といって手を腰に回した。「自主独立の精神の元に、堅実経営を旨として、最優の会社である事を目標に左記の信条をもって社業を推進する!自己を律するには厳正責任、人と接するには誠実親切、仕事に臨んでは創意、積極」

期せずして、全参会者が未だに諳んじている社是、消えて10年が経つのに・・・

私は、「小さくても最優たれ」と「自己があって、人がいて、最後に仕事が来るこの社是が好きだ。そしてこの会に集まったみんなも間違いなく共有している「D]ではぐくまれた不滅の精神で結ばれている・・・と感じた。諳んじながらみんなの顔を見てそう確信した。

「我が儘ついでに勝手に会は継続していきます。坂が続いても上り続けますので・・・」と心の中でつぶやいた。

やがて宴が終わり、最も参加暦の少ない唯一の先輩Mさんがこういってささやいてくれた。「エイジさん、これが君の誇りであり、宝であり、歴史だよ!我が儘なままでも「会」は続けて行こう。みんなにとってもこれからもっと必要になる会なんだから、みんな心からそういっていたと思うよ・・・」

賢鐘会は誇りであり、勇気を蘇らせてくれた。「D」の精神を蘇らせて、今年も自ら臨んで、坂を上ろうと決意を新たにさせてくれた。

2月 2, 2012   No Comments