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Posts from — 3月 2012

ある片田舎の企業倒産に想う

130年の歴史を誇るある中堅繊維工場が、先週倒産していました。

35年前、保険会社にお世話になる前の4年程度、その会社で工員として働いていました。
明治の頃、日本に手拭いから「タオル」をもたらしたそのパイオニア工場は、兵庫県の印南郡という片田舎に生まれ、日本のタオル市場の価格相場を形成するほどの老舗であったのですが…

厳しい労働環境の中でも、繊維産業の賃金は厳しく、二人目の子供を抱えて飛び出してしまったのでしたが、考えれば本当にいい経験を積ませてもらった大恩のある会社です。

偶然にも10年ほど前に大きな罹災があり、出身会社に工場の保険がついていたことから、支払いのお世話をさせて頂いたのでしたが、その際訪問した頃には、中国の攻勢で既に青息吐息の状態との事で心配はしていたのですが・・・

約1億に上る大きな災害であり、お世話出来る事といえば、一刻も早い支払いをすることくらいでしたが、果たしてお役に立てたのでしょうか?
「再建に使わなくても大丈夫なのですよ 」と言い残してはきましたが、田舎の名士の工場ですから、きっとそうもいかなかったでしょう。

どう考えても、合理化では生き残れないギリギリのコストパフォーマンスで支える宿命の伝統工場では、業種転換など不可能な高価な専門設備(機織り機他)を抱えて、きっとやりようがなかったのでしょう。

まだ沢山の中卒者の後輩達も残っているはずです。
あれから35年、、、彼らは、きっと毎日あの単純作業をこなして「今日」を迎えているのでしょうか?

もし、あの会社に残って、、、もし社長にでもなっていたら?
やっぱり、どうすることもできず「今日」を迎えていたかもしれません。流れを止めることなど出来ない伝統工業は、まだ沢山あるのでしょうが、万一の場合に彼らには次の職場など有り得ない現実を感じるのみです。

35年、きっとあの頃と同じ作業を毎日毎日して・・・
定年を間近にしての倒産劇、決して他人事ではないのですが、人生の厳しさ、運不運、都会に飛び出して、金融業界に紛れ込んで今をむかえる自分・・・

あの時、息子が生まれていなければ・・・
都会の喧騒もサラリーマンの人間模様も全く違ったかもしれません。

「人間万事塞翁が馬」
何にもできないけど、何とか連絡してみよう。
「お袋さん」を歌わせれば、日本一の彼に・・・

3月 17, 2012   No Comments

共済が消えた日 (4)

(無認可共済が消えた日)

2005年3月11日、金融庁は保険業法の一部を改訂する法律案を国会に提示しました。
保険業法の改定は1939年の業法制定以来、初の大幅業法改定であり、当然様々な観点から金融審議会等での論議があり、背景についてはこれまで述べてきた周辺事情が大きく潜在していたはずです。
この改定では「根拠法のない共済」は、2006年以降規制され、2008年4月1日には、存在させない(存在する場合にはすべて違法である)とする内容が主なものとなっています。同時に少額短期保険事業社という新たな保険会社の登録、設置を認め、根拠法のない共済群の受け皿として、金融庁監督の事業者とすることにしました。
(しかし、つぶさに確認してみれば、その「周辺事情」を十分に注意深く考慮された改定が発見されるのです)
かくして、根拠法の無い、従ってどれほど存在していたかすら分からない根拠法のない共済(無認可共済)は、日本から消えた事になってしまいました。
但し、未だにこの法律さえ知らず、又は知らぬ振りを決め込んで存在する「違法な」共済はあるかもしれません。
(1000名以下の共済についてはこの法の適用除外とされており、適用除外であれば、自動的に法に触れる機会は有りませんが…)
同時にこれまで根拠法を持たなかった共済は、廃業、特定保険事業者として時限的に残存、少額短期保険事業者として、新たに金融庁へ登録という3択をしたことになります。
保険業法としては、極めて異例な形で出来上がった少額短期保険事業者が、むしろ共済事業分野において、金融庁所管で出来上がり、現在約70社が登録を完了しています。
(その後特定保険事業者についてはその時限が既にきれた事により消滅しています)
この少額短期保険事業者については、これまでの経緯によって、主に三つの分野から構成されていますが、いずれも保険事業者との関連性において、その枠外の事業として(無認可事業共済として、民法、商法上の成立基盤を持って)出来上がったものであり、比較的歴史の短い事業者といえます。
その一つは、従来は損害保険事業者の代理店として本業を補完する為の損害保険を扱っていた賃貸管理、不動産事業者が、その後保険会社の代理店コンプライアンス規制強化などの動きに抗して、自主的に関連共済事業会社を構成していたものが移行したものです。
(彼らは損害保険業界におけるコンプライアンス強化方針から、代理店事業を締め出された為に自営的に自主共同共済組織を作り、その後安定した収益を得て事業運営していた共済会社です)

二つ目は、主に昨今のペットブームに着目し、保険事業者がそのリスク判定を躊躇している間に、ベンチャー的に共済会社を設立し、保険的に事業化したものです。

三つ目は、認可共済事業者と同様の特定マーケットにおいて、多少規模の小さい団体、企業を対象に医療共済を販売してきたいわば無認可の共済事業者です。

それぞれ、損保系、新種系、生保系の3分野に別れ、比較的安定した経営実態で経営がなされ、大きな問題も発生しない事業運営であったのです。
しかし、彼らには、全く法的指導根拠と監督官庁が無いことから、潜在的経営リスクの有無については全く計り様がありません。
故に法的根拠のある共済陣営との比較において、同じ共済を名乗る同業者としての消費者クレームなどの存在はありえたのかもしれません。
(この出来上がった共済事業者群からは、大きな社会問題を起こす様な事案は聞こえていないことも事実です)

一方、保険事業者サイドでは、残念ながら極めて大量の不祥事故が起こってしまいました。
コンプライアンス強化が叫ばれれば、叫ばれるほど問題は生、損両事業者で競うように発生してしまいました。
(というよりも、経験上で推測するならば、コンプライアンス強化が、以前においては見過ごされていたような事案であったものを是正、修正する過程において発生して行ったとも考えられます)

共済陣営では、まことに不本意な事件である「オレンジ共済」の大問題が唯一発生しており、これが無認可共済事業の規制の最大の事件といわれています。しかし、これは明らかに「共済」という名を使った金融詐欺事件であり、共済陣営にとっては、全く被害者的事案でしかないはずですが、共済という冠を放置する限りは、今後とも起こり得るものと言わざるを得ないことも認めざるを得ません。

かくして、一方の根拠法を有する共済は外資を含めた民間保険会社からの圧力で、他方別件的オレンジ共済事件による無認可共済の放置は出来ないとの大義でもって、日本の伝統的共済事業の「自由の壁」は「保険業法的」法的規制で完全包囲されて行くことになりました。

(この拙文の成立については、偶然にも民間保険会社から身を引く時間の流れの中で、これらの法改定の動きが何らかの一連の政治的気配を感じるに至り、特に保険業法の大幅改定とその影響があまりにも多岐にわたることから、問題意識が徐々に、派生的に拡大し、今日にいたっております。
特に少額短期保険事業については、極めて近しい関係でもあり、興味ある事業領域であった事から、元民間保険事業経験者からの保険事情と保険業法解釈を演繹する形で、共済事業の現状とその存在意義を理解し、業法の分析、解釈を実践する意味で事業化をめざし、チャレンジ中であります。
その経過の中で「共済は共済としての法」の必要性を展開するべきと判断するにいたったものですが、根拠法のある共済事業の法解釈については、極めて拙速な解釈であり、分析不足の感は残っております。)

3月 15, 2012   No Comments

ご協力に深謝「PREMIUMAGE」

新医療保険にご支援ご協力、心より感謝申し上げます。

新医療保険「premium age」の一人キャンペーンを始めて一ヶ月・・・
おかげさまで、本日現在76件の契約を確認させて頂きました。
よく分からないままに加入いただいた方も多く、心苦しく思っています。
また個別のお礼もできないまま、今日に至っておりお詫び申し上げます。

さて、難しい勝手な持論「共済が消える日」をアップしてご批評もいただいておりますので、まとめて何を言いたいのかを少しご説明させていただきます。

保険業界にどっぷり浸かって早や40年、この間のほとんどが営業の一線であったわけですが、おそらく、親戚、知人を含めて保険の紹介をお願いしたことはなかったと思っています。自分なりの公私のラインがあったからでしょうか?
そうではなくて、どこの保険もそんなに変わらないものであり、社員割引すらできない商品特性であったからかもしれません。

何故、一人キャンペーンを張ったのでしょう。よく特徴が解らないとプロのマーケテイングコンサルからお叱りを頂きました。「日本一安いというけど、パンフではよく分からない。それで売れる入れる訳がない・・・」ごもっともです。(それでもご加入、深謝)
保険比較サイトでも、説明を読んでも解らないのが保険です。比較広告が禁止されていますので!

保険のプロとして手作りで作った保険です。自信を持ってまず身内に無理にでも売りつける「自信作」なら、必ず「そうするはず」と強がりながら、本当はモルモットでテストしてみたかったし、何よりも基礎売上が欲しかったのです。

プロの友人にもう一度この商品の特徴を説明してみましょう。
保険料は認可料率であり、支払い率と経費率で構成され、合計保険料を算出して認可申請するのですが、その二つの率を平均値で30%カットして認可を得たことが、その理由の根源です。(基本的に3割安い!?)

次に徹底的に無駄を排除したことですが、これが逆にこの保険の比較をより難しくしています。きっと保険のプロでも解らない独特の商品となっているはずです。

この保険は医療保険ですが、万一の死亡時に備えて100万円の保障をつけたことです。基本的に貯蓄でない「保険」ニーズで考えれば、万一の場合には、自分の葬儀費だけは自分で用意しておきたいし、それ以上は不要だと考えたものです。特に高齢者にとっても入れるための保険料負担にしたかったからです。
(外すこともできますが、是非ご加入を(^-^)/)

入院時に保険手当が必要な金額は、保険外にかかる費用や差額ベッド代です。ちょっと贅沢な個室にしたいと考える場合には、「1万円」準備していたら大丈夫?
問題は最大入院日数です。通常の医療保険では180日でしょうか?
この保険では60日にしましたが・・・
入院という事態の起こる可能性はそう高くはないのですが、60日を超える入院の可能性など皆無に近いかもしれません。統計上ではもちろん0ではないのですが、その保険料負担は無駄(または、保険会社の利益貢献に寄与するもの)になるのです。即ち、万一の場合の「死」が待つ可能性には準備が入りますが、60日とした自信は、61日~180日の無駄を排除したのですがどうでしょうか?
(ちなみに平均入院日数は17日程度)

もう一つは、流行りの先進医療特約!
たった35万を追加払いとして特約しました。皆さんは1000万もつけていませんか?
私は1000万の先進医療を受けられる人の入院先に入れるなら、またはそんな治療を受ける人には、医療保険など不要であると考えました。
ぜひ1000万もの先進医療が受けられる病院を探して見てください。
(現状では、有名な3つか4つの病院のはずです?)

通院治療もカットしました。緊急費用が必要な事態ではないと思ったからです。そしてこの通院治療の可能性は高い為、当然保険料は跳ね上がります。
(保険で対応、準備するほどのものではないでしょう?)

かくして、比較が出来ない独特の職人が作った医療保険が出来上がったのですが、困ったとがあります。
営業(販促)コストが入れられませんでした。(安すぎて、売り手が手数料を稼げません。故に保険は高いものなるのも問題ですね!)
比較的高齢者を狙ったものですが、説明が簡単でもあり、インターネットでの拡販を狙ったのですが、はたして高齢者のインターネット買い物普及は、全く進んでいませんでした???

どうするか、親戚、知人からの口コミで200件売れれば、とりあえずは保険として維持出来ると計算したわけです。
(1000件売れれば、万々歳の大儲け)

この保険(実は一般で言われるところの保険と思っていません)には、比較対象の商品がない事にお気づきいただけたでしょうか?(いっぱい付いてる特約を外せば比較は可能ですが?)

それで、売れれば儲かるの?・・・不思議な事に、これでも十分儲かるのですよ!
・・・ならもっと安くできないの?・・・
いやこれ以上安い認可は取れないのですよ、不思議ですね?
そして、きっと今後ともこれ以上の安い保険はきっと創れないでしょう?
天才ペテン師の手作り商品だから・・・

(こんな自信がどこからくるのか、ちょっと難しいですが、ぜひ「共済がなくなる日」を引き続きお読みください。面倒ですね、面白くもないし・・・)

3つ目の手作り保険会社の認可が内定しました。
(苦労したのですが、誰もそれをみとめてくれませんが…?)
多分「ギネスものだ」と新道さんが褒めてくれています。(時代と出会いがそうさせたのでしょうが、何でこんな割の合わない・・・)
実践を並行してコンサルタントへの「ラストラン」をまとめていますが、私の理想は「悲劇」の結末でやっとドラマになるのですが・・・

最後にキャンペーン目標まで後「24件」、皆さん、いかがでしょうか???

多分、右にあるアイコンをクリックすれば入れます!

お礼のつもりが営業になってしまいました。(失礼します)

3月 15, 2012   No Comments

共済が消える日 (3)

(米国保険事情と日本の保険システム)

米国の日本に対するTPPの本質的狙いが、一貫して金融資産の自由移転にあり、この問題が、向かうところ敵無しの状況である事情をご理解頂けたでしょうか。日本におけるその影響の甚大さが、リーマンショックと言われる保険金融工学の行き止まりでありました。しかし、その後も米国の真の目的に向けてTPPという隠れ蓑をかぶりながら金融(保険)戦略は再び歩み始めました。
「共済」への網掛けを終えて、いよいよ国民資産の牙城「簡保」の落とし込みです。国家管理から民間規制へのイコールフッテイング(コンプライアンス規制)という一見まっとうに見える戦略です。
今一度、その構造と歴史を振り返って見ます。

米国における金融資本主義の崩壊は、リーマンショックと捉えられているが、その裏側に潜む住宅ローン債務問題及び金融工学商品としてのデリバテイブ取引(金融派生商品、ジャックボンド等)で、絶対に壊れないとされた米国の世界市場戦略が底辺に存在していました。詳述はしょうりゃくしますが、その親分として世界に君臨していたのがAIG保険グループであったわけです。米国はリーマンはつぶしましたが、その元凶であるはずのAIGは、国家管理として救済しました。

この理由はただ一つ、CDS商品(デリバテイブの元請け)は、世界市場を席巻しており、その倒産はイコール米国の信用失墜そのものであり、自由主義陣営又は資本主義世界そのものが崩壊する可能性を秘めたものでした。即ちCDSという商品は保険商品であり、保証保険(ボンド)の集積であったからです。世界の保険商品が組み合わせられ、再保険に包まれ、リスクの良いもの、悪いものをスパゲテイ状態にして販売し、また世界の保証が世界市場にばらまかれていたのです。従ってだれも、その損害の発生する可能性が読めない状況で疑心暗鬼になり、世界経済を震撼させました。

我が出身保険会社ですら、その保有リスクは1000億に上るとされ、つぎの業界再編劇を生んだわけですから、もし、AIGが破綻する事態を起こせば、その影響度は全く計算不能な事態であったわけです。リーマン他も米国の主要国家産業にあることに違いありませんが、保険会社としてのAIGの役割は、プラザ合意以降の国家戦略そのものであり、金融工学を核に次ぐ武器として、米国の英知を結集したものであったはずです。(想定外の事態は、案外簡単に日本においても発生しました)

AIGの破綻は金融事業としての保険事業拡大の危機をはっきりとさせました。「共済が保険である」ならば、保険は金融事業であり、金融事業は金融庁の厳しい許認可と保護行政の範疇に入ることに至ります。
「飴と鞭」が存在し、国家管理で守られる「飴」としてのセーフテイネット、保険料構成上の独禁法除外規定、「鞭」としての厳しすぎる監督指針によるコンプライアンス体制は当然であるかもしれません。しかし全体としては様々な特典と利権が存在する事も事実です。

先述した「アリコ社」社は、第3分野の解放後、AIGが送り込んだ100%子会社であり、AIG社の最大の利益貢献会社でした。その利益率は日本法人ではありますが、実態は明確では有りません。勿論決算は公開されており、極めて優良企業であったのですが、保険には必ず再保険市場という最もグローバルな世界の自由市場が後ろに控えています。この再保険市場を使えば、日本における利益の米国への還流は、合法的かつ合理的にいくらでも調整が可能です。どの程度の額をどの程度出再し、そのコストは自由に調整が可能です。
アリコ社の日本で売上は、利益として米国へ還流し、再びCDS(金融)商品として、日本市場へ販売される仕組みについては、全く語られていません。AIGの破綻において、そのアリコ社を買える日本社はありませんでした。私はこの会社(日本法人)の純資産額は2兆円を超えるだろうと想像していました。結果としてアリコ社はメットライフ社(ニューヨーク本社)が、1兆4000億円で購入したことになっていますが、果たして、米国の威信がかかったない売買金額が実態でどうなっているかは、再保険の仕組み同様によく分かりません。

要は、米国金融資本と保険資本は、日本における第3分野市場が、莫大な資金還流を可能にするでありあることを知っているのです。そして、まだ最も大きな市場であり、超優良な市場の制覇は著についたところです。投げ出すことなどあり得ないでしょう。守る側に既に誰も存在しない状況が出来上がっている以上、コンプライアンス体制とイコールフッテイング論で市場開放を求めればいいのですから…

残念ながら米国保険事情に詳しくはありませんが、米国にも沢山の共済事業が存在しています。各州法によって、優遇税制もしています。その米国がイコールフッテイングを理由にして、簡保、共済の保険業法下での公平性をいうのには、日本の共済分野における収益性の高さに着目(気付いている)しているからに他なりません。
米国の保険販売方式は、企業、団体をベースとした直販方式であるからでしょう。テレビでコマーシャルをうち続け、ユーザーにその信用性を訴求する一方で、高いインセンテイブで、企業、団体の優良マーケットを侵食できれば、高い募集費をベースとした日本固有の販売方式と比べればずっと効率的です。

この事は残念ながら生協各団体が、アリコ、アフラックの商品を取扱い、多少の収益確保をしている皮肉な現実を直視すればよくわかります。生協組合員であっても、孫にアヒルやスヌーピーのぬいぐるみを買ってやりたいものです。

本当にイコールフッテイングを望むなら、保険業法の完全撤廃を言わなければなりません。日本の保険業法における料率規制(純率規制)は維持させることで、その損害差益までを読み込んだ強かな米国保険事業利己は、自由化要求とは全く別の次元の米国資本利益主義に他なりません。

もし、純粋に保険料に占める純率(支払率)と付加率(経費率)で、国内共済と比較、競争するならばこと医療保険に関していえば、民間保険会社の半分程度の保険料(掛け金)で勝負することになるでしょう。勿論それでは米国企業は経営を維持できず撤退するでしょう。

保険業法は厳しく箸の上げ下げまで、規制しながらも業界を守り切る為の法律です。厳しいコンプライアンスは、膨大なコストを要求してしまいます。全ては金融機能を保有する事によるリスクを考える故のものでしょう。共済事業には現状において、金融機能は全く関わるものではない逆規制があります。それを保険業法に準拠する独自法を認めたり、適用除外で納得する事は、間違い無く的の術中にはまる、いや既にはまっていると言っても過言ではまいでしょう。
(ここでの純率問題は、保険と共済の相違として、後ほど詳述することにします)

ここでは、米国アリコ、アフラックが日本の医療保険分野を独占的に手中に収め、かつ莫大な利益の源泉マーケットの簡保、共済分野を保険事業分野に入れる事で参入を容易にする当然の手法であり、保険であることから可能となる再保険手法を駆使して、日本資金を海外移管させる最重要戦略である点をご理解ください。
現状では、郵政民営化の美名の元にも、簡保だけが、唯一業法の枠外にありますが、これも時間の問題でしょう。
(簡保資産は目減りを始め、やがて共済資産も海外移転するかもしれません)

3月 13, 2012   No Comments

あれから1年 ②

三々三五々、16人の若者が、全国から神戸の地に集まった。

45年前の若者達は、姿形は変われども、一気に気持ちは学生時代…
大会社の社長もいれば、2度の脳溢血から生き返ったもと若者も、離婚者も、うつ病を克服したものも、そして大不況にあえぐ中小企業起業家も…

わけの分からぬ呼びかけに応じて、よく分からぬ集合場所のうらぶれた「イタ飯屋」に、みんな何度も道を聞きながら…
(中には、30m先で止む無くタクシーに乗ったら、目の前でウロウロしている僕が見えたらしい。拾ってあげようと思ったら勿論そこが会場だ。「馬鹿!寒空を外で待ってたんだぞ、見えただろうが」「先輩すいません!」などなど…)

みんな大人だから、文句も言わず集合時間の2時にはそろってしまう。
ノーガキは無し、兎に角「乾杯ではなく、献杯だ…」
それから4時間、2次会で2時間、元の場所で3次会、ホテルが取れずに後輩のうちまでタクシーで到着が翌日の2時頃で4次会…

明るくなりかけて、気がつけば一人しらふで、布団に潜り込んだら、足元にコタツの用意???
確か、この家についたのは??タバコの買い置きはと聞いたのはぼく!
奥方は、コンビニまで…何と無神経な奴(先輩と後輩の妻!)

結婚式であっただけのそのカミさんに、翌日近くの関空まで、車で送って頂いた(心からの笑顔で…)、
非常識の二乗の振る舞いができてしまうのは、「ひと時」の若者の特権だ。

明けて3月11日、大震災から一周年、20000人の人命を奪った日、
その10日後に我が友が逝ったのだ!

本当に申し訳ないが、自分にとっては、この一人のいない一年が何よりり重たかった。みんなもそうであって欲しかった。我儘放題の一周忌は、彼ならこうするはずと言い訳もしたり・・・

黙祷もしなかった。飲んで騒いだ。未亡人を3次会まで連れ回した。
一周忌で忘れてしまうそんな自分が怖いだけ・・・

できること、やりたいこと、できない理由をいっぱい考えた一年だった。

やりたいことと、できない理由は山ほど浮かんでしまう。
結果としてできる事が何もなくなってしまう。
やりたいことが「いい訳」でしかないことがわかる。

一周年が、言い訳の為の免責日にならないように…
阪神大震災がそうだった(ように思う)。
いや、沢山の直向きな支援者は沢山いたのだけど…

これからこそが大事だ、366日目の今日、または約一年が過ぎた頃・・・
3・11よりも3・12の方がずっと大事な日なのだと思いたい。

この頃にまた会いたいこの仲間達、きっと日々元気になっている奥方とその仲間達を見たいと思う。
すこしづつでも、やれることを出来るように、
できない理由がなくなるように・・

あれから一年より、あれから約一年位、、がいいのではと思って、、、
昨日の盛り上がりが、消えないようにつぶやきつづけることはできる…

震災は天災でまたいつか来るだろう。
原発は、人災で止められるもの・・・
「脱原発」の声は消してはならない。
世論になるまで、過半数の世論に・・・

一人のつぶやきが、一人を説得できるかも・・・
少なくとも一人の推進派を生むことはない。
そんな事から始めることなら出来るだろう・・・。

今日まで生き延びた素晴らしい仲間達へのお礼と友情と連帯のメッセージ(独り言)でした!?

3月 13, 2012   2 Comments

共済が消える日(2)

共済が消える日⑴-②

共済はTPPの核心 ②
(米国年次要望書、郵政民営化、共済)

国論を2分して、郵政民営化が決定した裏側には明らかにその後提出される米国年次要望書という強い要求の中に簡保の国家管理切り離し策がありましたが、殆どその点の論議はなされまいまま、進んでしまいました。

簡保もいわば郵政省所管の共済です。即ち諸官庁が分断されたまま、年次教書にある保険事業に包含されてしまった回答は、金融庁と民間保険業界が検討する次元に捨象されてしまいます。これらは全て保険事業第3分野の問題であり、主に生命保険事業者の問題になります。

既に第3分野については、国内保険業法の範囲において完全開放されたマーケットです。米国サイドは後は、業際におけるイコールフッテイングを要求し、共済陣営の独自コンプライアンスの問題、各共済における税法上の問題などを盾に共済の保険化を攻め立てればいいわけです。

実はなぜ、この分野に米国が大きく拘泥しているのでしょうか。5つの今日的事情が考えられます。

一つ目は、保険上の第3分野(医療保険)の利益率が極めて良好であること、
二つ目はなかんづく、共済マーケットの損害率が極めて優良に推移していること、
三つ目は日本国内保険業法において,その保険料率が護られていること、
四つ目はその事業利益を自由に母国へ持ち帰ることが可能なこと、そして
五つ目は国策であった保険事業がCDS商品戦略の失敗で破綻し、国家事業そのものとして再構築する使命を帯びたことと考えられます。
特に、この四つ目と五つ目の問題意識が、全く日本に、業界に、ましてや共済業界に理解できていないのではないでしょうか。
(この問題意識は、全く語られていないシークレット分野であり、後ほど詳細に説明します。)

TPPの隠れた主要課題を米国はTPPの裏側に隠して、しっかりと要求してくるのです。いや既にその外堀は殆ど埋められてしまっています。私は「共済の危機」というテーマから「共済の消える日」と主題を変更しました。今、各団体が真剣にこの共済の意義、意味、現状、対策を理解しとして戦わない限り、「共済」は保険となり、いやすでに保険陣営として独自に自立するべく立法化されていると考えています。

「共済は保険である」を承認したその日に「共済」は、その歴史的意義を放棄し,保険事業として準用、適用除外で逃げるしかなくなっています。

「共済」は明確に保険事業と似て非なるものです。保険法の成立において「共済は保険である」と立法化されている以上、「共済は共済である」との共済法を成立させなければ、決して復活することはないというのが、この問題提起の結論であり、TPP論議の裏側にある保険共済交渉こそが、金融立国である米国においては、絶対的成果物であり、意図もたやすく持ち出せる金融資産なのです。そこには、関税障壁すら有りません。グローバル完全自由化保険市場であり、米国の独壇場です。

TPP論議を契機にして、共済問題を母体組織の財務、金融を含めた主要課題として捉えなおすべきだと提言し、次に保険法、保険業法の改定の側面から見て行きたいと思います。

3月 9, 2012   No Comments

共済が消える日

ある団体から頼まれているレポート執筆の為、ブログが書けそうにありません。お叱りを承知の上で、そのレポートの初稿をアップしていきますので、当面、読み飛ばしをお勧めします?
なお、本レポートに関係するごく一部の方のご批判、ご意見は期待しております。???さんよろしく、貴方だけに書くレポートですから・・・

(20章程度のボリューム予定で、6章書き上げていますが、途中でギブアップかも、焦点を絞って私見をまとめ直したものです。面白いものではありません)

共済が消える日⑴-①

共済はTPP(環太平洋経済連携協定)の核心①

(プラザ合意から日米保険協議まで)

認可共済陣営はおしなべて、TPP参加に反対の態度を表明しているようです。しかし共済事業の持つ意味と主流事業とされる各母団体の立場の強弱において、その重要性の理解不足を強く感じております。
果たして、米国によるTPPの真の狙いがどこにあり、その上での相互の経済的利益はどうバランスしていくのでしょうか?
この観点無くしては(TPPの持つ歴史的意味と位置付けにおいて)賛成、反対の態度表明の根拠が見えず、よって強い運動にはならないのではないかと思います。
まず、共済・保険分野の自由化という「縛り」について振り返ってみましょう。

保険分野においては、第3分野と言われる領域が古くから存在しました。
第一分野が生命保険、第二分野が損害保険と総称され、この二つの事業体には、大きな法的壁が存在していました。法的解釈において仕切りにくい分野が第三分野と言われる商品事業領域としての保険事業領域であったわけです。(一般的には医療保険、生存医療保険と言われる領域ですが、法的にファジーであるという意味では結構複雑怪奇なものでもありました)

第一分野と第二分野を法的解釈から分析し、単純に解説すれば「保険の目的に、被保険利益が存在するものとしないものとで分けられる」という学説が解りやすいかもしれません。
被保険利益とは滅失するものの損害額が算定できるものと考えてみましょう。人の死亡事故が発生した場合に生命保険においてはその価値を自ら定額(損害額ではない)で算定しておく事は可能ですが、被保険利益は存在せず、損害保険においては、逸失利益や遺族への慰謝料の発生等で被保険利益を算定することが可能として、被保険利益が存在するという考え方です。
すなわち、人、ものの価値の喪失を損害額として金銭換算出来るものは、全て損害保険分野であり、人そのものを自由に定額で算定するものが生命保険であると考えてみれば、全ての保険はこの両分野で分けることが出来るでしょう。ただし、学説はいろいろであり、自然成り行き的に第3分野と言われる領域が生まれ、通常人保険と言われる分野として成長して行きます。
そしてこの分野には両陣営が相互に参入出来るという規定が生まれます。やがて規定は法になり、独立した分野構成が出来上がっていくのですが、当初は生損保両陣営にとってのこの分野のマーケットサイズは極めてニッチなものであった訳です。
実際には法解釈においては矛盾もはらんできます。本来明確に分ける事ができるものを放置し、相互乗り入れで切磋琢磨、業界同士の競争原理が働く分野ともなっていきます。

前振りが随分長くなりましたが、この分野解釈は実は共済事業分野にも大きく影響してくる事になります。
保険事業は、長い期間において保護政策の鎖国状態にありました。
独禁法適用除外の認可保険料で国内的にも強い規制と保護が必要であったのは、業界が欧米に比していかにも脆弱であったからです。一方おおきな金融事業として銀行業務共々育てていかなければ、既に巨大な機関投資家でもある欧米列強の保険事業者の前にはひとたまりもありません。
潰れない、潰さない護送船団行政(最も遅い船の速度に合わせて保険料率を認可していく)は、当然「大」こそ利益の源泉であり、生保の日生、損保の東京海上が出来上がって行き、世界にごして戦え、国内機関投資家としての国債引き受け事業体にも成長して行きます。(もちろんその他事業体も必然的に十分に育って行きます。)

他方、郵政事業という領域で大きく育った保険事業体があります。国家企業として金融事業領域を超えて、簡易保険という生命保険領域を着実に独占して、国家的大機関投資家となりました。

そして、もう一つの領域が自由に各所官庁の庇護の元、静かに自由に成長させてきた分野が、共済分野でした。最も業界的縛りは、後追いの形で何時の間にか保険業界同様に作られていくことになりますが、本来は全く自由かつ先行的に存在していたものが協同組合事業共済の分野です。

簡保も共済も比較的簡易な分野に特化し、その生産、管理コストも少なくて済む特徴が存在し、生損保にとってもマーケットサイズとしては、一定の無視が可能であった(その他の事業領域の伸長が著しい故に)マーケットであったのでしょう。

この保険共済事業領域にターゲットを絞って、黒船がやってきたのは今から30年以上も前のことです。包括的日米貿易構造の不均衡是正という(スーパー301法を盾にした一方的な)話し合いは1985年、「プラザ合意」としてスタートをきっていきます。その中心は繊維、農業の基幹産業に見えていましたが、既にそのロビーストたちの中心人物は、AIGの社長(記憶が正しければジョンデニング氏)の存在はありました。後述しますが、その後AIGはその金融資産で世界制覇を試みて失敗、倒産したことは周知の事実です。
しかし、逆にその後は何時の間にやら「米国国家事業体」として再び現れているのです。黒船で持ち帰った利益子会社が、テレビで有名な「アリコ社」である事、そして親が潰れても悠々と今日も日本に君臨しています。(この理由がTPPを解く鍵になりますので、これも後述する事にします。

この黒船は、その後1990年の「日米構造協議」における200項目改善要求、1993年の「日米包括経済協議」、1994年からは毎年の「年次改革要望書」と繋がって行きました。
保険共済問題については、1993年には「日米保険協議」として特に分離開催が始まり、米国通商代表部(USTR)と在日米国商工会議所(ACCJ)はその強大なロビーストである保険事業者(AIG)の圧力に屈していきます。

米国では健康保険分野が民間保険会社による医療保険による構造であることからその企業規模は極めて大きく、一方の日本では国民皆保険制度とそれを補完する民間医療保険(第三分野)、諸官庁がバラバラの簡保、共済陣営が対応の布陣です。当初からこの第3分野を開放のターゲットとしていた米国側からすれば、その市場開放は極めて容易であったのでした。

主たる窓口は当然金融庁と生保業界(日本生命)です。もとより大手生保としては当時は、ニッチな開放マーケットとして第3分野として簡保、共済、損保に開放したマーケットであった訳です。
2001年には、保険業界としてこの「第3分野」完全開放で日米保険協議を妥結します。(国内保険業法の遵守が当然、かつ唯一の義務として・・・そしてこれはもう一つのキーワード?)

さて、この協議の埒外に存在した簡保、共済への影響はないでしょうか?むしろ米国の真の狙いは、日本の誇る簡保、共済への市場参入であり、この事がその後の毎年の米国年次要望書に明確に現れています。

3月 9, 2012   2 Comments

あれから一年・・・

親友の1周忌と共に日本の「あの日」がきます。

「あの日」の戸惑いが整理出来ないまま、友の葬儀に帰神して一年がたとうとしているのです。
まるで昨日の事のようで有り、いつしか「我が事」の中で遠く彼方の出来事にもなってしまいそうで、、、悲しいことです。

あの日、埼玉の菜種油工場に大連からの要人を案内した帰りでした。
無事役割を終えて、一人、首都高速道路を新宿の会社に急ぐ車中でした。遅れを取り戻す為に相当のスピードで、埼玉から東京に入った頃だったでしょうか。

愛車は、緊急地震情報を伝えて(車からなのか電話の警報だったのか?)、間も無く大きく横揺れして、自動停止の状態になりました。おそらくブレーキを踏んでスピードを落とす余裕すらなかったでしょう。余震(小さな揺れはあったのかもしれませんが)、は気付かなかったのでしょう。

一気に横揺れで停車させられて(猛スピードを緩めた意識はありません)、まずは車体と車輪が外れるのではと心配したのが最初でした。
地震と気付いたのは、むしろその後でした。(緊急通報の意味が解ってなかったのです)スリップして左に車が振られた場所は、なんと緊急時の退避場所だったでしょうか。(正直よく覚えていないのですが、凄くラッキーだったのかもしれません)

前に軽自動車がいて、運転者が飛び出し、そのままフロントバンバーにぶつかり、ガード壁まで吹っ飛び、気がつくと止まっている車のブレーキを力一杯踏み込むしか能の無い自分がいました。

次に浮かんだのが、阪神大震災で目の当たりにした高速道路の崩壊です。
不思議に一瞬で、死の覚悟はできるものです。神戸で見たあの光景が覚悟をさせたのだと思います。車外で落ちるか、車と共に崩れるかの判断を選択する案外冷静な自分の置かれている状況を振り返り、いや恐怖のどん底だったとも思うのですが・・・

今一人であること、間違いなく仕事の帰りである事など・・・考えれば情け無い事ばかりが、頭をよぎっていたのです。
前の人は車に必死で戻ろうとしているのがみえました。「車ごとで運命を託そう・・・」

揺れの度合いは、車ごとガード壁を飛び越える可能性を示しているようでした。
その場合に、一瞬で車を飛び出せるかとドアノブをさがしたりしていたように思います。
目の前の高速道路の揺れの光景は、横に2mと計算したりもしましたが、冷静であればそんなはずもないはずです。でも、今でも2m揺れている高速道路が、リアルに思い出されるのがふしぎです。
車ごと飛び出すか、車が横滑りして側壁に衝突するかの2択を覚悟したように思ったような気がしますが・・・(現実はどの程度の揺れであったのでしょうか?)

3分程度であったのでしょうか?
死との対面時間は10分程度に感じました。その間に考えたもう一つの不思議な感情・・・
確か昔一度こんな瞬間があった。確か小学校の4年の夏、須磨の海で溺れかけた時のあの感覚。泳げない弟(の自分)が、ボートから突き落とされ、海中深く沈んで行く時の一瞬です。勿論兄貴達(悪友が2人位いた?)は、余裕の救助体制にあったのでしょうが、「溺れるものは藁をも掴む」で、誰かの足を掴んだように記憶に残ってはいましたが・・・

瞬間の「死」への覚悟、果たして生死の境は「運命」でしょうか?
自然には抗し切れるものではないとはいえ・・・

今日のNスペで「あの日」の映像を観ながら、もう一度自らの「あの日」を思い出してみました。
どこかで風化して行く人間の性もありますが、間違いなく自分の問題でもあるのです。

そして、原発はやっぱり絶対に駄目!人間が制御出来ない事を立証してしまった(孫正義のツイート)以上、自然に抗することは不可能です。

我が友は、静かに「あの日」の3日後に先立ちました。

1周忌を彼を心から偲ぶ仲間と「あの日」から一年の10日に企画しました。
「お前と「今」を話したい。原発問題も、俺のことも・・・お前の事など俺は知らない。俺の事を考えるのが、お前の役割のはずだった・・・」
14人の仲間が集まり、1周忌を騒ぎ飛ばす事でしょう。彼も加わって!

3月 5, 2012   3 Comments