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Posts from — 9月 2016

余力はまだ有る!?

57歳にして多少の余力を温存して自由に生きたくサラリーマンを辞めた。
(時あたかも同僚の社長就任の株主総会時と重なった期中退任が誤解を生んだかも?)

新社長とは夫婦でのお付き合いを頂いていたので、4人で別れの食事(説得)をしていただき、ありがたい限りであった。
彼からは「ここで梯子を外すのか」と言われ、奥方からは「わがままな男のロマンという事ね?」と言われつつ納得してもらった(つもりでいる)。

自らは「男のロマン」とは思わなかったが、単なる「我儘」という意外に理由はない。
「もはや不要であるとの確信」と共に、あと4〜5年の余力があるとするならば、組織に縛られること無く自分の足で自由に生きてみたいと思ったに過ぎない。

同僚役員や多くの部下からは「敵前逃亡」と手厳しい指摘も甘んじてうけたものだ。

そして(あっという間に)5年が過ぎ10年が過ぎた今、思うのはまだまだ余力があるうちはと「自由人としての現役」を続けているのは不思議でならない…

少しの余力とは「金」であったり、「体力」であったり、「気力」であったりする。
金は3年ですっかり無くなったが、気力と体力は未だに多少の余力を残して来年は70歳を迎えようとしている…
(60(還暦)にして多少なりとも社会貢献を残る余力で…と厚かましくも考えたのが嘘の様に感じる余力)

65にして、これまでにも使ったことのない体力仕事に移り、今も続けている。
あくまでも余力としてであり、体力維持をその目標と置いて(既にジム通いの金の余裕もないのでせめてポジテイブに気力があるうちは…(引き際には自信がると信じつつ邪魔をしない程度に?)

最近、高校卒業50周年同窓会に出席した。
サラリーマンとして神戸を離れてから40年が経過している。
(なんと仲間達もお元気な事…本当に70歳の同窓会?と会場のホテルさえびっくりする程の盛況ぶりだった)

もちろん半数以上が既にリタイアし、趣味の世界に入っており出し物も豊富である。しかし、それぞれが通ってきた道の多くは棘の様な世界(道)ではなかったか?
団塊世代と言われ、すし詰めのプレハブ教室と様々な生き残り競争を経てこの日を迎えているに違いない。
(同窓数は500人、確かクラスは8組だったから一クラスに60人もいた時代・鬼籍に入った人が50人もいると聞き、それなりに少し驚いたり…)

みんな多少の余力は残っているぞ…
多少の金があるなら使えばいいと思う。(小さくとも事業投資はどうだろう…)
何よりも経験という付加価値があるはずだから、それを使える仕事は沢山ある?
そして健康であればまだ多少の体力も使えるのだから、ジム通いよりもそれなりの労働を考えればどうだろう?

「濡れ落ち葉」にだけはなりたくないし、それを「社会貢献」という観点で考えてみるなら自己満足の領域で十分ではないかな?

とにかく元気な団塊世代が世に溢れてきていることは間違いない。
(痛み、疲れでリハビリや病院通いが止むなしでないのなら)

70歳が老ける歳であるとする常識は既に間違いであると確信する?
(「余力」は見えない(見えなかった)が少なくとも還暦や57からの「5年」ではなかった。。。)
余力が無くなるのは明日かもしれないし、あと5年あるのかも知れない。
この10年間で走った距離は現役サラリーマン時代の30年を遥かに超えて自由に走り回れる「時間」であった様に思うし、中退への後悔など微塵もないぞ…

(その昔「07年問題」(団塊世代が総リタイアする年)と言われて正月の特集としてマスコミに取り上げられた事があった。全く問題など起こらなかった。
しかしこれから元気な70代が町、村を席巻する時代になるのだろう?
世話になったり、世話をしたり…で問題児世代にだけはなりたくないものだと思う。
そして、まだ世に役立つ「余力はある事」を自覚し、自己満足の社会貢献という精神を失わない事が大事だと思う。
若い人の邪魔にならない、邪魔をしないの強い自覚を持って…)

9月 2, 2016   3 Comments