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バブル…(2)…何故20年過ぎても清算すら出来ない?

今時のバブル回顧に意味があるとすればそれはその後の対応と責任の有無を明確にするものでなければならない。

永野氏の「バブル」への掘り下げには強く賛同するものではあるのだが、果たしてその後20年の歴史的誤謬への指摘が弱いのが気になる。
むしろ、この一点に興味があるし、意義を感じる。
バブル総体はどれほどのものであったのか?、それを償却するための最善の策と時間軸はどうであったのか?

日本経済がバブルへの道に迷い込んで既に30年…
この間の政官財のトップ達の責任の取り方は等しく先送りの一手でしかなかった!!!

その後のアジア危機や今般の利益誘導問題への韓国の対応と比べるとなんとも悠長過ぎて恐ろしくなる。
特に過ちをしないはずの日本の頭脳集団のトップ(財務省)の2度にわたる過ちは前代未聞の事でもあり、かつ解決策が見出せないまま今日を迎えているに過ぎない。
軍備と軍事に頼るしかないとすれば民主主義はそれを選択する事になるのだ。
(そして確実にその方向へ舵取りが始まっている。
それでも万一が起こるとしても10年以上は経過するであろうから(孫かひ孫の時代であろうから)良しとする?
願わくばそれでも勝ち組に残ってくれている事を期待するしかない…)

「バブル」の著書の中で表れされている膨らんだ異常なる泡の質量とその後の国の借金額…(現代金融工学の泡)は国民に等しく付け回して、政官財から切り離された。
しかしバブルはそのままである事を意味してはいないか?
2度目の敗戦があったにも関わらず。

誰一人戦犯は現れず、「生き残る事でその責任を果たします」とした20年であった。
責任を取らずにひたすらリストラと合併での生き残り策に終始した。
結果として銀行は3つになり、生保も損保も3つになった。これでグローバル世界での戦いは可能になった。別段日本国民の債務なんぞは関係ない文字通り世界の中で生き残る体制構築ができたのだ。

少なくとも亡くなった数だけの銀行、生損保は潰れていなければおかしい。不良債権をひた隠しにし、20年という時間の経過で付け回しを終えた金融界、、、

そしてその真っ只中でひたすら戦い続けた団塊世代の「強者どもの夢の跡」
責任はあるのか。あったのか。あったとすれば何故解決策と出来なかったか?

老い先の短くなった今、、
今更の2作はレガシーというやつでしかないのか。それとも当時の責任者への矜持が働いた事でペン先が鈍り、中途半端な著作となってしまったか?

バブル真っ只中で、「坪辺り」1億を超える大東京のど真ん中を使って数奇に送ったサラリーマン人生を振り返るにつけ、それらの体験を不思議なすれ違いと偶然に驚かされる。

「よくもまあご無事であったものよ…」

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