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我が半生(紀)の反省記

image(写真と本文は無関係)

(慌ただしく年末です。中途半端なブログに成ってしまいます。(文字通りの師走、事件やら事故やらで大変な1年でした。新年も元気であれば、我が半世紀?も続きますが、以下中途半端なまんまにて)

(2) 引き際の言い訳…

就職は本意ではなかったが、取り敢えず何処か取ってくれるところがあるものかどうか、、、と受験してみた。

(マジックインキの)内田洋行が募集している…多分2流の商社だろう程度で受けてみたら(マジックインキの商標を持っている一流会社とはつゆ知らず…)、結構受験者数は多くて3次試験くらいまでは残っているみたい。そうなると何とか合格してみたいと欲も出てくるものだ。

合格となったものの、結果的にはその年の暮れ(あっという間に)退職してしまっていた。

遠い昔の出来事だが、正直朝の早くから起こされて満員電車で通勤するか一生に我慢できるはずもなく…という退職理由の勝手な印象だけが残っている。
その年の年末に夜汽車に乗って、何も考えずにとんずらしてしまったのだから子供であった。特段の判断も熟考もあった訳ではなく、背広のままで信州白樺湖へ向かって一人正月を過ごし、帰って辞表を出したのであろう。其のあたりの記憶は全く無い。
(信州は学生時代の合宿地、宿の息子にスキーとやらを教えてもらって遊んでやった?ガキは確か幼稚園児…子守代とか言って超割引料金だったかも?)

もちろんその後しばらくは、そのまま「プー太郎」でも後悔などする暇も無く、親友と悪ノリしての会社設立(登記するという作業も知らぬまま…)
得体の知れない「物売り」のその日暮らしが始まった。
毎日彼(親友の営業力)におんぶに抱っこされてnカバン持ち、飛込み営業など我がプライドが許さなない??
「俺が良い仕事を考える役だから…」と嘯くも、そんな良いアイデアを持ち合わせているはずもなく、間も無く2年ほどして再就職…
(何を間違ったか結婚話しが進行し、プー太郎ではまずかろう。工場での工員(労働者をやってみたくて片田舎のタオル工場での見習い下宿で工員勤めは始まった)

流石のに給料は安い…のに結婚話だけは進行し、その流れはいつしか二人目の息子が誕生につながっていく…
(お前も働け…という時代ではなく専業主婦なら教育どころか食わしてさえ行けない現実がやっと見えてくる)

世の中の仕組みと人生の責任を初めて感じたのは30歳もまじかな27歳の終わりの頃だった。
喰えないから辞めると決めて辞表を出したが、次の仕事が決まっているわけでもない。とにかく金が目当ての再就職には、なりたくなかった「サラリーマン」の道しかなかった。

本当に今考えれば拾う神が居てくれた…という以外には無い。
給与がほぼ倍増の保険会社の募集がある。恐らくはあの何度も「いやいや」した営業職であろうが、それこそ覚悟するしか無い。
この時固く誓った事がある。「我、反省すれど後悔せず…」
好き勝手に歩んで来た人生は、30歳までを勝負と決めていたのだからあきれてしまう。ほぼ大半を終えたようにも感じ、それなりの余生という意識もすでにあった。

「君は家族をも捨てられるか?」
これは学生時代に流れ(学生運動)の中で「籠城」するか、しないかを問われた時の先輩のアドバイスであった。「捨てられないだろう!」と決めつけられ(お陰様で)籠城、逮捕(死)は免れた。「引き際であり、逃げであり、後悔でもあった」

サラリーマンに徹するという事の意味は理解してプロ(サラリーマン)としての道をひたすら歩む事に後悔しない事…これが課題であった。
本当に難事業となった。

サラリーマンのプロとして55歳までを全うする覚悟は結果として奏功したのだろう。
その年には、見事にサラリーマンを卒業し「役員」というシナリオの中には無かった世界に突入していた。反省の連続であったが、後悔は無かった。。。。

時はバブルへ…その勢いに乗れば仕事も展開次第で面白い。寝る間も惜しんで仕事となったのは、一に「時代」であったのかも知れない。。。

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