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「田中角栄と安倍晋三」を読んで

作家の略歴を知らずしての読書はあまり経験がない。
後輩のI君のFBでの紹介が気になって本屋で偶然発見…

まずもって角栄さんと安倍晋三では格が違いすぎる。。。が、、、罪の大きさで競うならこれまた後の歴史が示してくれるであろう。。。(角さんの効、阿部さんの罪?)

しかし、これを昭和の政治家と平成の政治家として比べるとするならば、如何に平成政治が劣化しつつあるかという事だけは良く分かる。
「昭和史でわかる「劣化日本」の正体)」とする副題がメインの狙いの本である事が…
(最近の角栄ブームへの悪ノリの感無きにしも非ず…)

その内容については99%の同意と賛意を確認しながらも、ある面白い観点に気付かされたのでまず記しておきたい。
それは団塊世代の「罪と罰」を考えている今の自分に当てはめて考える時代考証にもヒントとなる。
これまでは自分(達)を昭和の代表選手と考え、その(昭和への)郷愁に強く感じ、反応もするというものが圧倒的であった。平成の時代にかわって以降は息子達以下の世代であり、まさに他人事の時代のように思って考えるたところがあるのだった。

しかし実際には我々のメインとすべき世代こそが「平成」有るのでは…
平成1-2-3の卒業生が入社する頃、団塊世代はやっと幹部社員として彼らの指導をする時代となっていた。良きにつけ悪しきにつけバブル入社と言われたこの世代を嘆いたものだった。しかし今、彼等こそが社会の中軸となって活躍しているとすれば、彼らの社会人としての影響(指導責任)は団塊世代に負うところが多いと言わざるを得ない。

同様に昭和という時代への団塊世代の責任はその範疇としては政治的にも経済的にも極めて小さな物でしかない。圧倒的に戦前戦中派世代が作ったのが「昭和」なのだ。

現代(平成)を政治的に劣化していると見ればその要因も団塊世代に追うものが多いことになる。一方昭和の時代の象徴は「戦争」(敗戦)であり、その後の「平和憲法」(戦争放棄)で有るがそのどちらにも団塊世代が直接関与する所はあり得ないのだ。
(有るとすればその憲法を是とし、維持、継承させる事に邁進していたことかもしれない)

今その成否が問われようとしている。
それが政治的劣化で有るかどうかは別にしても、平成という時代に対する責任は団塊世代に委ねられ、かつ今を迎えているのだからその責任は極めて重い事になる。
戦争できる国にしてくおくのか、戦争放棄を絶対的テーゼとする憲法を守り抜くのか、が問われていることだけは間違いない。
首相「安倍晋三」は何としても憲法を変える事を一義にしている。祖父の時代の妄想としてやはり先の戦争から引き継がれたものとなっているに違いない。即ち戦争できる普通の国という概念であり、その決意たるやその為なら何でもありという方針だ。

本題に戻ろう…
「昭和と平成」を天皇の在位で考える中で、それを田中角栄と安倍晋三に置き換えようとする著者の視点は極めて面白い…
…が果たして角栄さんをして「昭和」、安倍さんをして「平成」という風には当てはまるものかどうか??
むしろ角栄さんこそがこの平成の骨格を作った政治家であり、昭和という時代への政治的影響は少なかったのではなかろうか?
(安倍さんのやろうとしていることも「平成」以降の選択肢に違いない。故に今生天皇のご意向さえ無視できるのだろう)

政治とは自分たちの子や孫の時代をどうするのか、10年後、30年後を考えて行うもので有ると思う。
故に自らがその判断の責任を負えない 事を前提として考える事が肝要である。安倍さんは戦争できる国づくりを目指すが、自らは決して戦争に参加する事はないのだ。しかし本当に自らの子や孫が武器を持って殺し、殺されるような現実がありうる事を想定しているのであろうか?それともそんな場合にも勝ち組は戦争に参画しなくとも良いとでも考えているのだろうか?

確実に先の戦争での責任者は存在する。
その結果がたとえ勝利であったとしてもそこに犠牲者としての個人が生まれる限り…

この本が指摘する通り日本は劣化しつつある。(それは民主主義の劣化である)
しかし、それが昭和史の選択であるとする主張にはすこし違和感がある。平成を司るものとしてその責任は我が世代によって選択されたものとなる事はだけは間違いないし、故に避けたいものだ。

作品の個々の内容はより平易に描かれているので理解しやすいし、着眼点もきわめて面白いし、ほぼ賛同するものである。
その他の著作を存じ上げないが探してみたく思っている。。。

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