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(3) 憲法9条と自衛隊

日本国憲法は敗戦国日本が、その後も独立国家として世界の承認を得て自律的宣言として世界に約束する宿命を有していました。
その約束の一つとしての「戦争放棄」と「戦争のない世界」を希求する事は絶対要件でもありました。そしてその役割は今なお変わるものでは無いはずです。事情はどうあれ「侵略戦争」を国の意志として行使した歴史的事実は曲げられませんし、その変更には戦後70年を経た今もなお、世界の了解と賛同が道義的にも必要なものだと思うのです。

戦力の保持は日本の歴史と民族的習性からも戒めるべきものと思うのは、自らに流れるDNAの中にも存在する事を認めざるを得ません。その血脈は右へ行こうが左へ向かおうが、または「人間の性」として存在するのかも知れません。
憲法において戦争権を放棄する事で唯一自制できるものであれば、率先してそれを行うしかないでしょう。(歴史的必然と理不尽とはいえ世界的要請でも有ったのでした)
日本が戦争のできる「普通の国」になれば、おそらくそれは核装備を含めた「最強の国」を目指す事に向かうはずです。日本国(民)が持つ「その英知」は戦後の驚くべき経済発展をみれば明らかです。

憲法9条は明らかに戦争権と共に軍備の保有を放棄する事をうたっています。
その上で国を守る術として、憲法は世界平和を希求し、日本はその為には外交努力のみでそれを達成する事を求めています。
平和外交と政治的中立をセットとして選択し、その意味での「永世中立国」を前提としたものです。しかし残念ながら日本はその発展の過程の中で、まずこの中立性を放棄してしまいました。
米国の占領政策と発展の為の経済優先方針から(止む無く)東西対立の中では西側に立つ事を選択したのです。明らかに1960年の日米安保条約の締結がはっきりした岐路であったと思います。

戦後の国民の政治的叫びが最大になったのもこの年でした。
「憲法違反である軍事同盟は許さない」と国会を取り囲んだ大衆の声は確かに国民の半数を超えていたでしょう。東大の学生であった「樺美智子さん」が国会前で圧死するという悲惨な事態を起こしながらも多くの国民が訴えたのでした。
岸内閣は確信犯として「憲法を無視して」条約締結をした後、退陣するという政治的選択をしたのです。(その孫である安倍首相が同様な執念を見せるのは偶然ではなく、祖父の違憲条約を合憲化する為の固い意志である事は明らかです)

この時、明らかな憲法違反が発生し日本は「中立性」を完全に失い「専守防衛権」の存在を憲法解釈で押し通し、結果として自衛隊の存在を軍備として承認、強化していったのです。その自衛隊は拡大の一途をたどり、日本は世界有数の軍事強国にもなっていますし、既に国際法条の権利として集団的自衛権の承認にまで踏み込んでしまいました。(違憲状態を修正せずして、自衛隊をなし崩し的に解釈改憲を繰り返し明確なる違憲の安保法制の改定にまで踏み込みました)

自衛隊は朝鮮戦争における米国の要請に基づき「警察予備隊」として発祥したものです。(米国が初めて自国の利益の為に最小軍備を承認してしまったのが「警察予備隊」という名称であり、意図としては順次の軍備拡大容認ではあったのですが…)それ故に今も自衛隊で有り、軍隊ではないし、当時は警察予備隊とせざるを得なかったのです。

警察予備隊を前提とした自衛隊を否定するものでは有りません。国内の治安維持及び大災害の救助には欠かせない存在でも有ります。
しかし憲法が戦争を放棄している以上戦争戦力である事は出来ないのです。それが憲法の原点である立憲主義というものであり、その立場で憲法論で言うなら筋としてはやはり憲法の改定以外にはあり得ない状況である事も事実ではあります。

憲法が専守防衛権を放棄しているものとはもちろん読めませんが、戦争を放棄している憲法である以上、その前提はどんな場合にも外交的中立性で戦争を抑止することが求められているのです。

日本は朝鮮戦争において、米国への兵站基地を沖縄(当時米国の占領下)と共に憲法に照らし合わすことなく提供する事になりました。そして警察予備隊は自衛隊に昇格し、日米安保条約の締結へと進んでいきます。同時に日本は戦争景気によって経済的復興を手にしていった事実と対米追随を明確にしてしまいました。

しかし、一連の日本の方針は明らかに軍事方針であり憲法違反です。
当時から日米安保条約は憲法違反であるのも関わらず軍事同盟ではないとの主張で条約は成立してしまったのです。朝鮮戦争における南北対立に加担し、その中立性は壊され日本は完全に西側に組み込まれていきます。今も日本は北朝鮮が仮想敵となり、ロシア、中国とも(軍事的)敵対的立場となっています。(仮想敵を置く事も明らかに憲法違反です)

北の脅威を国難と主張し、軍備拡張の具にしていますが、果たして一連の政治的選択が憲法違反でないと言えるでしょうか?
リスクは間違いなく高まっています。北が日本を攻める(侵略する)とは今もって思いませんが、リスクは米軍基地がある以上高くなっている事は認めざるを得ません。

朝鮮戦争は日本に莫大な経済的利益をもたらしました。
米国追随が日本経済の発展に大きく寄与した事も事実です。日本は発展を重ね、いつしか米国についでの経済大国になりました。(その恩恵を大きく受けた一人でも有ります)
しかし国民が経済、金が全ての価値尺度になる事を希望していたとはとても思えません。日本の歴史、文化でもなかった貨幣的価値観が生まれ、いつしか日本は米国の属国としてあらゆる要求に「NO」と言えなくなってしまっています。

何処でどう間違ったのでしょうか?
自衛隊を完全なる違憲状態にしたものは何だったのでしょうか?自衛隊の現状と今般の安保法制は明らかに違憲状態です。しかし、一方で憲法の許す範囲は何処まであり得るのでしょうか?
日本は立憲民主国であるという考え方は未だに民意を十分に得ていると思います。立憲民主とは唯一憲法に立脚してその方の中で主役は民(市民、生活者)であると思うのですがが…?

憲法を大前提にした法律を作るのが政治であり、政治家の絶対的使命だと思います。
一方で、日本が米国追随を明確にしたのは日米安保条約です。全ての国との平和条約の締結を憲法は希求しています。
明らかな憲法違反は、ここから始まりました。残念ながら現実の経済優先主義では日米同盟が大前提とする解釈がまかりとおていますが、既成事実の毒饅頭を食べてしまった「60年安保」が憲法違反への実質的スタートとなりました。そして日本の中に米国が誕生し、日米地位協定は日本国の裁判権さえない土地を作ってしまたのです。

そして自衛隊です。
自衛隊は自衛隊である以上は憲法違反であるとは思いません。順序が逆なのです。自衛隊の現状から違憲状態のものを先ずは改定する見直しの論議が先にあるべきです。
憲法の枠内での自衛隊に対して憲法違反になるような「自衛隊法」は制定されていないか?違憲装備は存在していないか?むしろ法解釈的絶対違憲状況を確認し、修正する事を優先するべきが立憲主義の基本ではないでしょうか。

(その点では日米同盟を基軸と考える枝野氏にも若干の危うさを感じるところです。今回の安保法制や共謀罪法を含めて改憲の外堀を埋めるための既成事実化は敵の術中に陥る気がしてしまいます。「北」の脅威を煽っての解散も、来るべき米国の軍事行使への加担承認を目論んだ安倍グループの戦略であったのでは、、、。「小池希望の党」さえ予定通りの改憲勢力作り戦略の一環であったと考えられないか…)

自衛隊の既成事実を踏まえて、明らかに超えてしまっている装備やその装備の裏側を告発していく政治的活動を求めるべきだと思います。その上であるべき自衛隊をしっかり法律で縛れば、自衛隊違憲論など出てこないように法整備する事は可能です。
(北朝鮮の状況は80年前の日本の状況とあまりにも似通い危険極まりない状況である事にも思いはいたすべきでしょう。是非とも拉致問題と共に日本が平和的解決の為に仲介できれば良いのですが…)
日米安保条約の違憲性をこの間の変遷から紐解き、安保の解消と日本国の独立、政治的中立性の保持も目指す事こそが立憲民主主義の原点であり、再論議がひつようです。

日本の防衛はどうするのか?と問われます。
憲法では日本の防衛はあくまで非武装中立の外交で敵を作らない事であり、事実日米安保が無ければ敵が現れるリスクは格段に下がります。
防衛をいうのは常に敵国を作り煽ることから始まり、やがてその戦力が侵略へと走ってしまうのが歴史です。
果たして事実中立国であるとしたなら「侵略」など今の世の中で実際に起こり得る(許される)はずもありません。
北朝鮮、中国、ロシア、韓国…を上げるのでしょう?これらの国が日本侵略を本当にする可能性などあり得ません。
日本がその経済力で「侵略」を企てない限り、そして世界世論が既にそれを許すような事はないのです。

残念ながら今の世界では、戦争の前提は核戦争となっています。抑止は地球規模(地球消滅)になってしまいます。(その意味では核が悲しいかな抑止力になっていることも認めざるを得ませんが…)
逆に戦力の保持イコール「核なし」ではあり得ないのが世界の情勢であり、核保有国が核拡散防止条約は必要だが全面核禁止条約には調印しない以上、その既得権と抑止力は核保有国の責務とせざるを得ない状況があります。

(唯一の被爆国である日本が全面核禁止条約に調印できないような状況で、核の傘を認める体たらくは目を覆いたくなる情け無い事態が現実になっています。
ならばせめて核保有を含めた軍備力と非核3原則の廃止を宣言する勇気はないのでしょうか?
軍備イコール核保有国が必須の世の中であること…しかし、日本には絶対に核保有を認めないというのが世界的判断が実存しています。
その中でこそ活きるのが平和憲法であり、今こそ日本国憲法の元での非武装中立國宣言への回帰が政治的最大課題であると確信します。

現実の尖閣問題と中国の脅威を言われます。
尖閣が日本の領土であるという主張には勿論同意しますが、果たして日本の領土を今以て占有する米国の地位協定を何故放置するのでしょう。領土的にも経済価値的にも尖閣の比では無い。米軍基地が、核の傘が日本を守ってくれているという馬鹿な話が有りますが、それは真逆に戦争への加担と戦争リスクを呼び込むものでしか有り得ない事が何故わからないのか本当に不思議です。(尖閣にしても竹島にしても少なくとも先方国にも領土とする言い分はありますが、米軍の基地は明らかに日本の領土であるにも関わらず、裁判権すらない占領地となっているのです。そして「核の持ち込みは無い」という詭弁を政府はわかりきった嘘をつかざるを得ない現実が存在しています。

「絶対に」戦争が起こらないとはもちろん言えません。
しかしもっともリスクの少ない、戦争に巻き込まれない選択を考えなければなりません。攻められるリスクよりも攻められない努力こそがよほど利口な選択です。リスク管理上の比較で言えばごく当たり前の数理的選択となります。その選択こそが現状においてすら「非武装中立憲法」というのが我が結論になります。
(それでも攻められたら…武器を手にして護る覚悟での「死」よりも攻められて殺される「憲法」を選択する覚悟の方が…戦争リスクを考えるならば合理的選択です)

今や巨大化してしまった軍事産業が日本には(米国にも)有ります。
いつの間にか武器輸出が解禁されてしまいました。全てが経済の要請です。そして国内軍事産業は日本の軍隊設置を切望しているはずです。(米国の武器商人が武器所有禁止をさせないが如く)
戦争は常に自国の経済利益を優先して始まるのが歴史が証明する所でも有ります。経済優先の国、即ち企業利益を優先する。それが米国の戦争への歴史であり、米国民の選択でもあるのです。そんな国との軍事同盟と基地提供が如何に馬鹿らしい判断であるのか???
国にも企業にも血の通いなど期待すべきではなく、どこまでも拡大と利益追求を辞めないものです。憲法の「主権在民」の行使以外にはこの怪物を抑止する術はないのです。故に憲法は基本的人権を謳うのです。(主権在民は戦争をしない、武器を持たない権利であり、徴兵を拒否する権利…すなわち「生存権」です。

もう一つ、軍隊は必ず徴兵がセットになります(世界的常識ですが…)。
現状の自衛隊は日本国憲法の戦争放棄の上に成立し、自衛隊員は戦地へ赴く義務は本質的にない中で成立しています。しかしひとたび軍隊となれば、「銃を持って人を殺す義務」を追います。もちろん殺される可能性も承認せざるを得ません。軍隊には必ずその必要人員をそろえなければ成立しません。即ち、徴兵と人権の一部剥奪と国際法上の軍法会議は必須アイテムになる事が理解されていないで論議されていないでしょうか?
(その抜け道にあるのが常に戦死は経済弱者にしわ寄せが行くというのも歴史が語っている真実です。格差社会の広がりで少数の勝ち組に比して圧倒的負け組が現実の姿になりつつあります。戦争への参画で生活費を稼がざるを得ないという悲惨な状況すら現実的に見えてくるように思います)

この項の終わりにそれでも日本を侵略してくる場合を想定しろ…
…理想論で日本を守れるか…との問いに答えておく必要があります。
「人を殺すのだけは嫌だ。それでも殺すというのであれば、殺される側を選ぶ」と開き直るしか有りません。
「憲法がそういうのであれば…そしてそれが殺されない最大の戦略(選択)であるから」
無防備である事の強さを私なりに多少は経験上知っています。無抵抗で死ぬリスクは戦って死ぬ(戦わず死ぬを含む)リスクより実は低いのです。
誰も銃を構える怖さを自らのものとして捉えない無責任…
「40」を超える兵役に耐えられなくなった人が「軍備力が必要だ…」などというべきではないのです。
戦争が無くってよかった世代が、将来の子供達に銃を強制する事などするべきではない。「お国のためなら」…は無責任な他人事にしかならないでしょう…

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