プレミアムエイジ ジョインブログ

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共済が消える日 (11)

(「愚かな国のしなやか市民」終章 ・略)

バブル経済が破綻してから日本の病は、瀕死の状態にあると言えます。その原因はあれこれ考えられますが、政治がまともに機能しなかったからであり、それを許してきた国民・市民の主権行使がそれらに追随し、改革を強制できなかったことによります。このせめぎ合うべき二つの政治主体が、抜き差しならない事態にはまってしまっているのは、かって、千九百八十年時代に国際化、情報化、高齢化などが日本の不可避の予見として指摘されながら、硬直した構造とその環境変化にたいして戦略的に見て無策・無力であったことを意味しました。

政治とは、生きた現実の諸問題をとらえ、近未来への解決プログラムを提示する人間固有の観念活動であり、社会の自治を目的とする制御システムです。その政治手法が避けて通れない国家、憲法、民族、宗教などの枠組みは、政治に対して、一定の制御はしますが、それらを超えて政治権力の個性が際立ち社会に、外交に作用します。しかし私たちは、その前提となるよりどころを「参加・分権・自治・公開」の民主主義に置き、個性の源を市民主権に依拠します。

私の着地点としての目安の一つは、「モノづくりシステム」万能社会が生み出す処々のストレスが、社会的弱者を量産しがちであり、そのための「ヒューマンサポートシステム」を鏡として、バランスのとれたノーマライゼーションが実現する社会なのです。

弱者の発生を「金食い虫」的に位置づけ、政策化しようとする日本的政治的貧困の極みは、「経済合理性」に対置する「福祉合理性」が無視されているからです。従って、ヒューマンライツ(人権)を際立たせるヒューマンサポート領域を拡充するには、市民社会の実際からワークシェアリングを拓き、その実績と構造を造成しながら政治的世界に反映し、克服しなければなりません。

そこで、参加型民主主義を踏まえた「参加型政治」「生活者政治」の概念や戦略から近未来をスケッチして見ることは、現実政治の遠隔に多少ともお役に立つかと思い、また、本書の意図を読者の皆様がより深めていただく一助になればと考え、その期待される近未来風景を、順不同ですが列挙して見ます。

20年先の近未来スケッチ27項目(略)・・・

横田氏が、この書に記した「27項目」の近未来に向けた政策提言から10年が経過しています。この間に政権は「自民」から「民主」に交代し、氏の提言の多少ともが有効になるかのごとき幻想も垣間見得たのですが、横田氏の指摘する「経済合理性」の呪縛を解くことはできないまま、今日の大震災、原発事故が発生してしまいました。
特に氏の活動の根源にある「自然」への脅威に対峙する反原発への想いが、現実のものとなる事態に、その無力感と同時にこの「27項目の提言」を重ね合わせ、残り十年を考えてみる必要性を強く感じるものです。氏は最後に世界の先端と比較して、当時において20年遅れと指摘されています。特にその先端のヨーロッパの動き、なかんずく「オランダモデル」を本文にて分析されています。
(オランダは、その後「ワークシェアリング」を中心的政治変革目標に据え、今やGDPにおいて世界第二の生産性を誇る国家に変貌を遂げている事実は、見逃せません。)

30年遅れではあっても、日本の未曾有の危機を脱出する好機でもある政治状況にあります。横田氏の実践はその後も生活クラブ運動を通じて、40年を超える実践モデルにチャレンジし、今を変革してきています。
政治が「市民の政府」に転換するその日の為の実証済み「参加型システム」モデルとその中で独自に育まれた「生活クラブ型共済」を氏の著書「愚かな国のしなやか市民」を横に置きながら、次に見つめていきます。
そして、その実証済みの生きたモデルが、ことごとく危機に瀕している日本の実態が、明らかにTPPにかくれた金融立国「アメリカ」主義にあるとの推論を深めて行きたいとおもいます。

その想いは、横田氏のいう「参加型市民政治」と「市民資本セクター」の構成こそが近未来戦略の鍵であり、「共済」の消滅はその大事なキーワードであると考えた所が出発点であり、生協という「非営利セクター」の根源でもある「共済資産」の上にのしかかる「ファイアーウオール」の重石の重要性に対しての陣営内の気付きと専門性の欠如への支援要請に依拠するものであるからでした。

非営利という限界点と共済としての事業性、金融事業と市民金融事業の相互補完性、ファイアウオールによるその切り離しダメージなどを共済事業の本体事業における一体性において捉えるべきであろうという推論構築が、この拙文の結論になるはずですがとんだ飛躍があるかもしれません。

2012 年 4 月 2 日   No Comments

共済が消える日 (10)

(愚かな国のしなやか市民 ②)

序章に書かれた氏の主張における先見性に、若輩者がコメントできるものではありませんが、これが10年前に贈られた氏のシグナル(警鐘)であるとするならば、失われた10年の大きさ(重さ)は、筆舌に尽くし難い想いになります。
それまでの氏の実践に基づく理論構成とグローバルな視点からの提言は、本文において十分に読み取れるものであり、氏はその後も自らの責任と行動の範囲において継続的に実践を行われたのであり、その後の10年の実働ぶりについても、是非まとめて頂きたいものと期待するものです。
10以上の非営利協働組織に関わりながら、常に政治的ポリシーを明確にし、現実も見据えて行動され続けてきたはずです。

この間の政治的変革は、自民から民主への政権交代をもたらしたわけですが、氏は民主党の設立についても当然ながら、深く関与されていたわけで、社会、社民、民主への節目における現実的役割(裏方)を果たされてきました。
残念ながら、民主政権の成立の中でこの方向性をおおいに期待し、氏の主張が現実味を帯びてくる可能性に大きな希望を込められていましたが、その「歴史的利害関係」の壁は突破出来ない現実もはっきりと見えてきてしまいました。
本編は、横田氏の「生活クラブ生協」を中心に展開されてきた「実活動」を助け合い(相互扶助)と共済事業実務の面で辿りつつ、現状の共済事業の実態に警鐘をならす事をその狙いとしたものですが、氏の具体的活動については是非とも、もう一度「愚かな国のしなやか市民」の復刻を期待して省略させていただきます。
氏の主張は、一貫して公的(税金)資本と民間(金融)資本にバランスする市民資本の充実を訴えてこられたことが、この序章において十分に理解が得られると思います。
「生活クラブ」における生協活動は現在もその原点に位置するべき存在として脈々と発展しつつ、その周辺における市民組織(政治、経済、福祉、文化)も構成され、市民(女性を中心とした)によるしなやかさが、小さな政府(国)を形づくって存在しているのです。
そして、その結果として自然発生的に生まれてきた「共済事業」が数多く発見されると同時に、この分野の崩壊が危惧される事態に遭遇しているという危機感を氏と共有するものであります。
共済が「保険」であるはずがないことは、この横田氏の活動の中にはっきりと見て取れるものですが、そこには残念ながらそれが派生的に生まれた「必需品」であったことから、多少見落とされている(過小評価)かもしれません。
生協法においても、共済事業においても金融事業への事業参入は明確に規制されており、それが横田氏のいう「市民資本セクター」の構成と発展を大きく阻んでいるものと考えられなくもありません。
一般的に言われる保険事業はグローバルな巨大金融事業であり、それ故に厳しい行政の監督下におかれていますし、その一方で一定の保護政策の恩恵も受けているものです。
「共済が保険である」ならば、共済事業にも「金融事業」を解禁する公平性がなければなりません。
共済を保険とイコールフッテイングさせる名目で、共済に金融監督庁のマニュアル、指針のコピーを定義づけられている現状は、保険事業(法)の「適用除外」では済ますような問題ではないのです。いつでも使える「ムチ」は、すでにしっかりと法制化されてしまっているのですから・・・。
横田氏の「市民資本セクター」成立過程の中にこの問題提起を投げ込んで見ます。
即ち、逆転の発想で「共済における金融機能」の取り込みで、市民資本の強化実践を図る政治的試みを目論んでチャレンジしてみることです。共済が保険でないことは明らかではありますが、そのためには「共済事業の為の独自法」の成立とその中に限定的にしろ「金融事業の解禁」を目指す必要が絶対条件となります。
(保険業法に少額短期保険事業が成立したのと同様に、共済事業法に少額短期金融事業を盛り込む試みです)
保険法、保険業法からの脱出と「新たな共済法」の設立は、共済陣営、生協陣営、協同組合陣営の絶対的政治課題であり、それが今「焦眉の急」であり、ピンチをチャンスに変える発想への挑戦です。
そしてそれこそが、横田氏の究極の目的である「市民資本セクター」と「市民の政府」、「市民主権」への突破口となるはずとポジテイブに考えて見ましょう。

横田氏は10年前の著書の終章の中で20年後を大胆に予測されています。
あえて、その「終章」を抜粋し、現在で捉え直し、検証してみることで「失われた30年」への危惧と警鐘にできればと思い、再び以下転載しておきます。

2012 年 3 月 31 日   No Comments

坂の上に「春の兆し」?

年度末を終えると世間では、自動的に春が来るようです。

しかし、昨年の大震災以来、日本の中小企業ではその影響を大きく受け、いずこも四苦八苦の年度末を迎えているはずです。

我がグループも多くの難題を抱え、背水の陣を敷き、社員と共にやがて来るはずの春を信じて頑張ってきました。
「壇ノ浦」「関ヶ原」天王山」の3つの戦いを終え、その坂の上の雲間から僅かな春の日差しが見えてきました。
果たして、「坂の上には、また長い坂が待っている」との事でしたが、泡沫の春を観るまでの「3重苦」に止む無く敷いた背水の陣は有効であったでしょうか?

その一(壇ノ浦)
一年の時間軸でお引き受けした3つ目の保険会社認可コンサルティング業務は、昨日無事承認となりました。まさに危機一髪、開業予定までわずか一週間 …4月1日にはそれまで共済で契約されていた2500人ものお客様のリスクがヘッジできなくなるのです。
官僚との時間の戦いは、法解釈でありその裁量権において弄した時間と空間の違いでした。法律上は必要書類受理後60日で原則認可となっているのですが、余裕を持って準備したにもかかわらず、この4月がデッドラインであることも半年以上前に告げてあったにもかかわらず・・・
「泣く子と地頭には勝てず」というべきか、お上の裁量はこんなものというべきか?不思議な事に窓口担当官も頑張ってくれたのです。世でいうコンプライアンスとは何か?コンプライアンスを盾に頑張っていたら、その解釈においてコンプライアンス違反となりそうになったり・・・
まずは、背水の陣を敷かなければ、試合には勝っても勝負には負けていたかもしれません。
新法に基づく解釈と権利の主張は、慣例に基づく裁量権の狭間で空間を生じるのです。民間の時間コストからすれば、余計な国家コストを消耗させてしまったということになるのでしょうか。担当された係官には心よりお礼申し上げます。結果オーライでまず第一戦を抜けましたが、この保険会社の長い坂はこれからが、本番です。

その二(関ヶ原)
我がグループの再編と新経営体制への移行をかけて、社員の総意で始めた「年末キャンペーン」もあと二日でお終いです。厳しい一年であったことを総括し、全員で「背水の陣」で望んだ初のキャンペーン、「失敗は致命傷」と知ってか知らずか?
4チームに別れて部門別目標は自己申告とはいえ、それぞれ結構ハードルが高いものでした。
なんと、あと二日を残す今日の時点で、まだ3日あると土曜日を自主的にカウントしてくれる美女軍団(2チーム)、既に全チームが目標の80%を超えてくれたこのキャンペーンは、長いキャンペーン経験を有する小生からすれば、すでに大成功!
これも、実は社員全員が、背水の陣を自覚して取り組んでくれたお陰ですが、経営側にとっては、如何にもお恥ずかしいのが背水の布陣ということでもあります。

勿論、一人キャンペーンと銘打って、参戦した我が目標の新医療保険100件達成まで、あと8件・・・どうやらあと4日の日曜日を使わなければ、ゴール出来ないかも? 読者の皆様、Webでの自動加入なら4月一日(日)は、まだ年内扱いです。電話でのお願いにご用心ください(笑)

その三(天王山)
実は密かに天下分け目の戦いが、密かにいや(相当おおっぴらに?)始まっていました。背水の陣を敷かざるを得ない予兆は、大震災から始まっていたのです。震災の影響は、東京にも大きな影を落とすと書きましたが、震災の余波による売上減少が、グループ企業を直撃していました。保険会社にまさかの検査が年末に入りました。そのさなかに起こるはずのないと豪語していた火災の全焼事故が発生し、これらは全て10年に一度も経験しないはずの予定外の事件が重なった訳です。
困った時に傘を貸すはずの銀行が当てにならない事は知っていましたし、保険会社は金融機関であるとかで、政府の不況対策資金すら対象外です。
おまけに検査では、創業費として積んでいた純資産を否認されてしまいます。(しかし、検査では「いい会社になりますよ!頑張って下さい」とのお墨付きはいただけたのですが・・・
そして、年度末、保険会社の決算ではソルベンシーマージン比率(支払い余力)という当然の指標が有ります。何やら難しい計算なのですが、小たりとは言え保険会社、その比率が200%を切ると業務停止命令が出てしまいます。資本を積み上げない限り年度末が越えられない事態かも・・・

これが、我が3重苦の正体でした。持つべきものは「人」と「運」と「度胸」でしょうか?有難くも本日3000万の出資が確定し、保険会社でいうソルベンシーマージンとやらが一機に1000%程度に上がることになりました。鬼のような検査が当社のビジネスモデル価値を証明してくれたのです。

全てがやむなく敷いた背水の陣でしたが、3戦3勝に僅かな春の木漏れ日が見えてきました。幸いにも自分の巻いた種の苦労は、健康を害する事もなく元気(でもなかったか?)なようです。
ゴルフも旅行も車も捨てて、また長い坂を登らなければなりません。本当に多くの素晴らしい仲間に支えられて、そのご恩に報いるためには、坂の上がまたそれ以上の急坂であることを覚悟して・・・。

今日、認可を頂いた保険会社から3年はコンサルを保証してくださいとサインを迫られました。
大震災に苦しむ多くの方には、春はまだ遠いかもしれません。「坂の上の雲」から晴れ間を探す想いで、次の坂を登るつもりです。「ゆっくり下り坂を夢見たらそこは絶壁であった」のですから・・・

2012 年 3 月 29 日   1 Comment

共済が消える日 (9)

(「愚かな国のしなやか市民」(序 )・2002年略有り)

この30年間、内外の事件はウナギ登りに多くなって、途方もない過飽和情報の氾濫とかのスピードに、人々の脳髄が押しつぶされるようになってきました。

1973年に勃発した第4次中東戦争によって、石油価格が暴騰したことによるオイルショックを克服する10年は1970年を支配した田中角栄流のいわゆる金権政治が定着して、それらがすっかり現代日本の体質になりました。そして日々発生する諸問題を制御する立場がますます多様化するとともに専門化して「他者に考えさせ、他者にやらせる」という、おまかせの態度や、生き方がその体質を支えてきました。

こうして創立30周年となった生活クラブ運動の歴史は、政、官、財による管理型産業社会の強まりに対するチャレンジャーとして生まれ、試行錯誤しながら築いてきた自己決定・自主管理システムの前途に孤立感を深めることになりました。その営みは、常識_非常識_良識へ、という実践的運動循環の持続が困難な状況へと広がることを意味し、改めて生活者・市民による参加型システムの可能性が問われているのだといえます。
特に、政治社会と市民社会の有効な相互浸透の関係を阻んでいる日本社会では、「国本位制」が構造に根づきやすく、オルタナテイブ(もう一つの)とはいえ、体質に対する小判ザメ的立場は決して格好良く近未来を約束しているとは言えません。(略)

しかし一方、国レベルで、空前の人気を誇ってきた小泉首相の方法は、危機を背景に、国民の改革期待を根こそぎにするかのように大衆操作が成功しているかに見えます。戦後一貫して科学・技術と生産システムの近代化を政策執行して、税の再配分操作に成功してきた自由民主党(この自由・民主という党名操作による擬制も含めて)の唯一評価できる政策実現は、日本社会の分裂を和らげ、所得や生活レベルの平準化にむけて制御をしてきたことです。しかし、この期に及んで、「痛みを伴う例外なき構造改革」を最後の頼みにしようと、その政策を凝視しながら支持する多数の人々は、この自民党が変質して「弱者切り捨て」が避けられない「国本位制」のセーフティネットを押し売りしようとしているなどの、自民党の戦略転換に気づいていません。

止まることなく進歩する科学・技術や社会と政治のミスマッチは、人々に知り様もない部分がどんどん拡大されてきています。都市社会をよりどころとする人間の存在は、自らの生み出した現実社会との認識ギャップが拡大の一途になってしまい、よそよそしい社会関係を余儀なくされています。その集大成は、宇宙船地球号を危機に陥れている地球温暖化などの環境破壊、微量化学物質の複合汚染による人体被害、人口爆発、食糧・資源配分の不公平、そして戦争と難民、政治と軍事の不整合などとなって現れてから久しいのです。

このエスカレートして悪循環する諸現象は、グローバリゼーションとクロスして、選ばれた国々の、選ばれた支配者たちによる世界システムと戦略の操作にたいして、多様なストレスを発散させざるをえない市民生活の現実と不断に衝突を繰り返しています。利己の為の世界戦略テーマを操作する人々は、世界化したといえる市民生活の共生、共存、安定などを本気で望んでなどいません。従って、支配者たちの危機管理感覚では、市民による「反乱」という支配者自身の存在を否定しようとするパワーに対して強力に反応しこそすれ、優勝劣敗のシステム原理や歪んだ処々の構造を真に改革しようもないのです。

その裏付けともいえる七百兆円もの国、地方の財政赤字を有して瀕死にあえぐ日本政府のもとでは、百五十万人もの多重債務者や年間三万人以上の自殺者がいて、千四百兆円といわれる個人金融資産の帳尻も、実質半減しようとしています。そして、この克服を最優先課題にしているとは思えないデフレ経済が高じれば、銀行、企業の連鎖倒産と大量失業という世界恐慌へと、日本が引き金に手をかけることになりかねません。この最も不幸な選択となる原因の内実には、人々の不買による「消費者の叛乱」があり、そのパワーが現実化した分だけ割に合わない新陳代謝をしているともいえるのです。

私たちが気になるのは、土地神話でバブル経済を演出し、破綻させた中枢にあった人々が、バブル崩壊の瞬間、何を考え、どのような対策を立てようとしていたのか、ということへの事実関係なのです。この十年間、トップリーダーたちの責任回避や遅々として効果をあげていない対策の原因は、おそらく、バブル崩壊の実勢は、早期に地価も下がり、信用の失墜が避けられないと考え、そのしゅう落過程を引き延ばして時間稼ぎをする魂胆ではなかったのかと推測できます。(略)

産業構造転換政策の苦悩を避けて「自然淘汰」の道を選んだ日本は、ヨーロッパ社会より約二十年遅れた政策体系にあるといえます。その際立った点の一つは、行き詰まりの打開をはかるために総資本と総労働がテーブルにつき、分析と総合の手法をその政策意図にクロスさせ、市民社会に開陳して、同意を獲得するという社会的責任を回避することに終始していることです。この社会的責任から一歩退いたクセは、時々の国、政府が示してきた問題解決手法を請け負うポーズに依存しているとともに、マスコミが資本と労働の当事者能力とその解決責任をクローズアップしようとしない見当違いから発しています。(略)

これからの十年、ヨーロッパ社会のレベルに追いつくための当面主要な実践課題を三つあげるとすれば、以下のようになります。

(一) 政治的諸力は、生活者・市民の政治生活を支援し、政治参加用具としての「ローカルパーテイ」が多様に「市民の陣地」づくりで競い合い、「市民の政府」を開くことです。市民主権を行使する「参加型政治」が際立つことによって、心ある市民は近隣社会のストレスに対して「市民がパブリックをつくる」諸制度を成熟させ、自主管理型のローカル・セーフティネットを無数に構築することを政策的に推進することがその一つです。

(ニ) 生活者・市民の多くが自らの個人資源を持ち寄って、パブリック作りに貢献するシステムは、国連ミネニアム宣言での、市民社会組織(CSO)の役割の重要性に関する指摘を待つまでもなく、「市民の政府」とNGO、NPO、W・COなどの中間組織が、双務契約を交わし、社会的諸問題の解決について役割分担することが肝要です。市民社会組織の実践力がたかまることは、諸問題の発見と課題の把握についてリアリテイが育まれ、その対策と方法について、ていねいでかつ持続力を持ち、コストを低減します。財政の貧国化が避けられ、今日では、税による公共事業のコストと比べて圧倒的に安上がりであると評価され、何と言っても仕上がりやメンテナンスが良好となります。これが二つ目です。

(三) 三つ目は、こうして「市民資本セクター」が社会の構造の内部で有効に実体化することが証明されるにつれて、伝統的な税金資本と産業資本の請負・統合型のセクターが持つ諸処の欠陥=経済合理性への偏重を牽制することが可能となります。この、三つのセクターによる社会制御バランスを生み出し、ノーマライゼーションに不可欠なヒューマンサポートシステムへの偏重こそ発明の畑を生み出すことになり、その結果「複利合理性」を追求できるようになります。そのために必要かつ不可欠なのは、日本ではいまだまずしい個人資源拠出の方法や市民原理に基づくモラルの向上をはかるほか、市民資本形成のダイナミズムを造成することが必要であり、社会貢献活動や市民事業に投じられる私的・個人的寄付金や助成金などが急増することなどです。(略)

横田氏の著書「愚かな国のしなやか市民」では、それまでの氏が関わる11の具体的活動と共に、その苦労の歴史と実践の現状が書かれています。
拙著では、この活動の背景で出来上がった「生活クラブ生協」における共済事業の分析と今日的課題に言及し、あえて中心的活動については氏の「本文」に譲る事とします。

2012 年 3 月 26 日   No Comments

共済が消える日 (8)

(生活クラブ神奈川と横田克己氏と共済)

冒頭にご紹介した横田さんとの出会いが、この「テーマ」に取り組むきっかけであった事は説明済みですが、民間保険会社出身の若輩者の私に、「共済が危ない、何か手立てのないものか?」とご相談いただいて、早くも4年が経過しようとしています。
沢山の共済の設立に関わり、実践し、成長をご覧になった横田さんから、実は「業界に共済のプロがいないのだ」と衝撃的な本音をお聞きしたのが、動機であったと思います。保険業界に長く席を置きながらも共済分野には、全く素人にあった自分にとって、共済を実践してきた人の口をして「時代が変わりつつある」と改めて教えられ、もう一度保険と似て非なる共済という世界を比較、検証してみたいとの思いにいたったのでした。

氏がこれまでに参画、創業されてきた共済は「エッコロ共済」、「ステップ共済」、「ワーカーズ・コレクテイブ共済」そして今や全国の生協で扱われている「コープ共済」と続いて行きます。そして勿論今もそのすべての共済は、成長、進化を遂げている事に驚くのですが、そんな方から相談を受けて果たしてどれほどのお役に立つものか、正直戸惑うばかりではありました。

しかし、実態があり、その歴史があり、約款があり、根拠法があれば何とかなるだろう。特にあらゆる共済が保険業法に準拠しているとすれば、案外お役に立てるかもしれないと厚かましくも生意気に考え、4年が経過してしまいました。

上記の「共済群」の現状と将来を分析する前に、まずは横田克己氏の「驚くべき」実践の歴史を振り返って見ておきたいと思います。

氏の著書「愚かな国のしなやか市民」は、10年前に発刊され、韓国において、翻訳され、市民運動のバイブルとなった事はあまり知られておりません。むしろ、今この国の現実の中で読み返すなら、この書が警鐘している事実がはっきりとその先見性の中で見えてきます。韓国では、その翻訳出版を手掛けた「 パクウオンスン(朴元淳)」氏が昨年からソウル市長となっている事実にも、その一端が現れているかもしれません。
韓国が日本を超える瞬間にすら私にはおもえてしまうのです。

少し、この著書から出版元の「本の木社」及び著者のご了解を得て原文を引用させて頂き、横田氏の横顔と主張活動の歴史を振り返らせて頂き、共済の共済たる所以を考えてみたく、多少の寄道を余儀なくさせていただきます。

副題として「女性たちが拓いた多様な挑戦」・・・帯にはこう書かれています。

「お金を貯めなくても、誰もが安心して暮らせる社会をつくるために・・・
卓越した企画・構想力と時代の先端を見抜く感覚。生活クラブ運動が歩んだ30年、この愚かな国に「まった」をかけた大勢のしなやかな女性たちが繰り広げる、新しい市民の社会とは?」
これこそが、「横田共済論」の真髄であろうと理解しています。

著者略歴は以下のごときですが、10年前のものであり若干修正してご紹介しておきます。

「1939年茨城県土浦市生まれ。1971年、東急電鉄社員のまま、みどり生協(のちの生活クラブ・神奈川)を創り、初代理事長に就任。以後1992年、53歳で退任までの21年間に石けん運動や資源再利用運動などの社会運動をはじめ、ワーカーズ・コレクテイブ運動、神奈川ネットワーク運動、参加型福祉といった参加型システムによる運動・事業を行い、これらの実体化を主導した。著書に「オルタナテイブ市民社会宣言」「参加型市民社会論」(ともに現代の理論社)など多数。」

その序文が、氏の考える根底的実践論が最も良く理解できるものと思い、勝手に抜粋のうえ、以下転載させていただきます。

2012 年 3 月 25 日   No Comments

共済が消える日 (7)

(関係法の変化)

共済が保険であるためには、保険業法の一項目を取り除く必要が有りました。
たったた一項目ですが、極めて大事な業法改定であるにもかかわらず、その意味について見逃されてしまっているのが実態です。
2005年の保険業法改定において、その2条1項にあった「不特定のものを相手方として」保障を提供するという項目の「不特定」が消えてしまいました。
釈迦に説法かもしれませんが、共済は原則「特定のもの」を相手方にすることによって、保険事業との棲み分けがなされていたもので有り、この改定は従来保険事業者がその保険料率の計算根拠として、「金科玉条」に守ってきた「大数の法則」と 「保険数理」(アクチュアリー制度)の概念をも根底から覆すものでもあります。
特定の団体(マーケット)にたいして、過去の実データに基づき、自主的に積み上げられて構成してきた共済事業における「掛金」(料率)は、保険会社においても準用が可能という事になります。
その数理をアクチュアリーが検証して妥当であると判断すれば、適用が可能ということであり、逆にアクチュアリーが妥当性がないと判断すれば、その数理は使えないという不合理生が出てくる可能性を秘めると考えなければなりません。
(保険数理において共済数理という考え方は、従来は存在しなかったものであり、数理が数学に変わり拡大し、保険数理が、共済数理に拡大されていく事になったと理解するべきでしょう。アクチュアリーの領域拡大でもあります)
ちなみに生協法における共済事業規約においては、既に「共済計理人」という存在の必要性が挿入されています。共済計理人として認められるものは、現在アクチュアリー資格を有するものしか存在しませんから、保険業界の料率根拠計算と全く同様の土俵の中に共済は存在してしまっていることになります。
保険業務における「大数の法則」が変化し、特定マーケットへの「少数の法則」であっても、その妥当性がアクチュアリーによって認められれば、保険事業者はその特定マーケットへ参入することが可能になっています。
この法律改定があるまでは不可能であった「特定料率」が適用できるという激変が起こってしまっており、共済陣営においては、その重要な変化を見逃してしまっていないでしょうか。
保険と共済の最大の本質的違いをもう一度考えておきましょう。
保険事業とは、本来不特定多数のリスクを共有する顧客へ、平等な保険料を過去のあらゆるデータを駆使して詳細に計算し(そのための料率算出公的団体を保持して)、社会的(公的)事業として行い、その預かり金を運用する事で利益を得る「金融事業」でした。従ってその絶対公平性において、顧客の「自助」にのみ資する意味での商品でなければなりません。
一方(制度)共済とは、原則非営利事業として相互扶助(共助)が認められ、一定の目的に対する合意形成の上、その組織、団体全体のリスク計算をベースとして構成される掛金を自主的、合理的に判断し、相互に助け合う為の「共済」であるはずです。
保険事業は「自助」目的の金融事業「商品」であり、共済事業は「共助」目的の非営利「共済」(運動)です。
全くその歴史も概念も料率根拠も違う二つの事業が、米国の経済利益と民間保険事業者、金融庁の合意によって、イコールフッテイングという美名(汚名)の元に競合関係に晒されているのです。
この事は、既に既成事実として施行されています。
この事実を2008年に改正された生協法の中で確認しておきましょう。
(手元に「事例で学ぶ改正生協法」というダイジェスト板がありますが、このなかでは共済事業に関するものが、発見できませんでした。2010年9月改定の11訂版生協関係法令集及び2011年2月改定版生協法令ハンドブックで確認します)
消費生活協同組合法は、1948年の制定ですが、この時点にきて一機に2008年施行令、2009年施行規則、2010年厚労省告示と矢継ぎばやの改定になっています。
第一条においては、主に貸付事業に対する規制強化がその主なものです。しかしその 中身は、従来の「共済を図る事業」の一つとして運用してきたものを明確に棲み分け(ファイアーウオール)する為の改正です。
続いて2条、3条に施行令を付して、共済事業の定義変更(10条2項)、兼業規制(10条3項)、共済契約について(12条2項、3項)、共済事業に関する規制の整備について(50条~54条、96条・・・
となり、その大半が共済事業規約への規制が主要なものであることがわかります。
これらの一連の法改定は、保険業法と保険法にたいする整合性を持たせる為に、生協法からの共済事業の実質的切離しが完了した事を意味するものであり、その改定は保険業法との整合性において、何ら変わりの無い共済事業規定に変貌していることがわかります。
米国の一方的な要求である金融庁の規制、監督基準とほぼ同様の規制の整備が法的に厚労省他でも遂行され、もはやその保険的土俵についてはイコールフッテイングの状態におかれている実態は明らかです。
後は、厚労省においてその「鞭」を行使する体制をとるか、「餅は餅屋」(金融行政)に任せるかの選択しかありません。
無認可共済は、ある日突然消えてしまいました。
あえて、本文の表題を「共済が消える日」としましたが、これらの一連の改定を「保険業法」の側から見る限り、やはり「共済は保険である」は、法的に完了し、「共済が消えた日」 と認識するべきであると言わざるを得ません。
2012年の一部改定による保険業法適用除外規定や、保険業法準用規定で補完された共済事業規定は、明確に共済法と共済事業法(協同組合法)の制定に向かう道以外にないと断言するものです。
現状の生協法の範疇での部分的修正や保険業法適用除外での闘いで、お茶を濁している前に、保険事業者の金融機能の中で共済を位置付けるべきか、現行の共済事業規約を完全に否定する中で、共済のあるべき姿をその成立過程と共に再構築するべきかを大きな政治運動として考える時であろうと思料するものです。

(各協同組合における共済「監督指針」、及び「検査マニュアル」を参考資料として添付する予定でしたが、余りにも膨大であり、見送らざるを得ません。この二つは、各監督官庁別に公開されているものです。ぜひ閲覧の上、いかに大変なものであるかを実感いただきたいとおもいます。同時に金融庁における保険監督指針、検査マニュアルとの整合性において比較されることをお勧めします。)

保険事業者が、このコンプライアンスにどれほどの「人、もの、時間(金)をかけているか、そしてすでに共済陣営においても、法的にはイコールフッテイングは完成していることを考え合わせる必要がありそうです。
「金融庁」は大蔵省から自立し、「金融監督庁」を経て、現在に至る「法監督」の専任官庁です。「保険庁」に自立するか、各省庁での検査庁を作るか、法的平等生の観点で問われれば、同様のコンプライアンスを求められれば、自ずとその方向は明らかです。

今こそ、共済の原点に帰り、「共済法」に基づく「共済事業法」の整備を事業者一丸となって行うラストチャンスであろうと考え提起しておきます。

次章にて、共済を手作りし、組織と共に育んできた「生活クラブ神奈川」とその創業者でもある「横田克己氏」の足跡を辿りながら、保険事業経験者と共済事業をオルタナテイブ実践の出会いと主張し、チャレンジされてきた経過を眺めながら、論を進めて行きます。


2012 年 3 月 21 日   No Comments

共済が消える日 (6)

(号外)

先日、ある共済研究会のセミナーに出席させてもらいました。
主に二つの点で、共済陣営におけるこれまでの長い議論の過程に疑問符を感じ、あえて問題提起をして見ます。

その一つは、やはり既に共済の外堀が既に保険化されてしまっている事実に対する陣営内の認識形態についてです。共済が保険化してしまっている法的事実は、各諸官庁に見られる監督指針と保険業法、保険法の関連性についての分析不足にあるのではないかという点です。

保険業法の適用除外や準用規定などを、自らの業法の内に内蔵され、独自の共済業法が、すでにセットされてしまっている中で「共済は保険ではない」との論議がなされているように思えるのですがどうでしょう。「共済」は一般法(契約法)としての保険法において既に「共済は保険である」とされ、その指針上(法的遵守項目)にはすでに厳しい制限が加えられています。
金融庁のような検査があるかどうかは別にして、常にそのコンプライアンス上に自らの存在根拠法において認めてしまっている状況認識が不足していると考えられます。

勿論歴史的にも、論理的にも「共済は保険ではありません」し、あくまでも独自の解釈と論拠による「共済法」の設立によって、現状の呪縛を解く以外には、「保険・共済論」の延長線上における議論が今後とも続くのでしょうが、これは、「敵」の術中にはまる以外に出口の無い不毛の論議と言わざるを得ないかもしれません。

保険と共済の違いを一言でいえば、「保険はあくまでも金融業務であり、共済は相互扶助の運動である」ということではないでしょうか。即ち、保険事業には「相互扶助」というIR上の社是的定義はあっても、あくまでも「リスク細分化による公平性の原則」が貫かれており、同一リスク、同一掛金が大原則であり、そこには「相互扶助との対立軸」しか存在しないのです。

共済の保険化は、既に急進展しており、制度共済におけるこの傾向は、共済の保険化以外の何物でもありません。生活クラブ生協においては、この一点をして独自の共済事業への道を模索するオルタナテイブの発揮が、使命であろうと考えますがどうでしょう。現状の行法の中で、現実的に勝ち取れるものについては、大きな障壁が既に山積しているはずですが、先進的にチャレンジするしかないと思うのです。

もう一点について「共済は運動である」との指摘を前述しましたが、これも共済と保険の本質的相違点であり、制度共済陣営における共済の根源であると考えますがどうでしょう。これが、事業体として機能する中で保険との混同を起こしてしまっていないかという点を危惧するものです。
例えば生協は一定の組合員の合意(事前了解と規定)に基づいた相互扶助(共助)事業であると理解しています。運動とは、働きかけるものであり、共済はそのツールの一つであるかもしれません。しかし、一方の事業体としての機能は非営利共働体としての厳しい組合員の選択機能に晒されるのであり、一般的に云われる顧客選択の自由を奪うものであってはならないはずです。その意味では事業体としての競合が当然発生する(べき)でしょう。選択の自由を奪うことは出来ません。

組合員が民間商品を選ぶか、コープ共済を選ぶか、独自共済を選択するかはあくまでも組合員の選択に委ねるべきであろうと考えます。従って運動論としての独自共済を展開する意味からも、組合員の選択の幅はむしろ公平に開かれたものでなけれなりません。それが相互に補完的意味合いを有することも含めて、最適共済(保険)を選択できる権利を提供するべきであると考えるのですが…。そのことでがより運動を高め、相互研鑽とオルタナテイブの追求になるぁもしれません。

問題は、運動力の弱さによる事業体としての現状と過去の推進形態が存在することでしょう。共済陣営における喰い合いを心配する声をよく耳にします。
これは、民間における新保険商品の投入論議においても散々論議されるものですが、基本的に新商品によるマーケットの相対的拡大で、実質の大きな食い合いが起こらないとの定説もあります。即ち運動の高まりが、事業体として強化され、結果マーケット拡大によるWinーWinの関係が成立してしまうという説です。

故に生協陣営においての外資系生保が売れるのであり、それを否定するべきではないことは、相互にニーズの相違点を補完し合う存在でもあるからです。
この問題意識は、事業体における現場推進者の声として強く発生します。現状安定の抵抗勢力として、当然の声ではありますが、運動論的には突破していかなければ、それはむしろ自己矛盾を起こしかねないものと思うのです。

共済研究会とセミナーに参加して、これまでの繰り返しの拙文とはなりますが、あえて素人の感想を提起したのは、この共済問題が極めて政治的なものでありながらも、現実的アクテイブ、ラジカルな問題意識の上でその結論へ結びつけて行く為に、挑戦的オルタナテイブの実践と位置付ける故のものであります。

互いに論理の弱点を整理していく意味において、当日の質問等を踏まえた勝手回答と感想でしかありませんが、あえて挿入しておくことにしました。

2012 年 3 月 20 日   No Comments

共済が消える日(5)

(保険法(保険契約法)制定の決定的意味)

もう一度、保険、共済事業の政治的流れを振り返っておきます。
1985年、日米プラザ合意
1990年、日米構造協議(200項目要求)
1993年、日米保険協議
1994年以降、年次改革要望書
2005年、保険業法抜本改定
2010年、保険法制定
2011年、TPP参加表明と繋がっていきます。

1990年に明らかになった米国の保険、共済自由化要望は、1994年以降の年次改革要望書から、2001年の保険業界におけるいわゆる「第3分野」全面開放を獲得することになります。
常に保険共済分野(第3分野・主に医療保険分野)はその主要な要望として、今般のTPPに繋がる主要分野と読むべきであるし、一方残念にもこの分野に歯止めを行う政治勢力が全く無い実情を理解しなければならないでしょう。(実は大きな国民の金融資産が米国へ流れて行く重大なテーマであるにもかかわらず、見過ごされています。

米国の飽くなき要求は、保険ではなく明らかに共済、簡保の保険化であり、その最終段階が米国におけるTPPの個別的主要テーマです。
その理由は唯一残された日本国民の個人資産の米国移転であり、日本における超優良(高収益)保険マーケットの確保です。この事を十分に理解している米国保険ロビースト達に比べ、明らかに日本における保険共済スキムに対する政治的プアーさを指摘せざるを得ません。
(共済陣営においてもその莫大な経済的効果の側面を「非営利・共助」という共済事業の実態から、その視点を後順位に貶めている現実(事実)も強く警鐘を鳴らしておきたく思います)

保険法という契約法が、突然2010年に制定されました。
建前は保険契約者の保護をその制定目的とされていますが、これは明らかに「共済を保険としたこと」に派生する様々な矛盾点をブリッジしていく為には、必要不可欠な法律です。
「保険事業」が各省庁にまたがる現実を受けて、金融庁における調整機能を保持しながら、内閣府所管となるこの法律には、保険業法との関連性においては多少の矛盾が発生しています。しかしパブリックコメントとして、「保険業法他との多少の矛盾はあるが、事業の遂行に問題は発生しない」とされていますが、果たしてそうでしょうか?(別項にて説明します)

先に、米国の年次要望書の保険・共済部門への「要求」について分析を加えておくことにします。
(この年次要望書は、その後今日まで毎年同様なものが提出されていますが、在日米国商工会議所の意見書「制度共済と金融庁規制下の保険業者の間に平等な競争の確立を」が端的でわかりやすいでしょう)

①金融庁規制下の米国企業を含む民間保険会社と共済の間に平等な競争環境を確立せよ。
②同様に共済が日本の法制下で平等な扱いになるまで、共済による新商品や既存商品の改訂、事業拡大策を一切禁止せよ。
③平等性の確立に向けた第一歩として共済にたいして行われている監督・検査が金融庁の監督基準と適合しているか、すべての共済について見直せ。

そして2010年の「外国貿易障壁報告書」において 、「金融庁以外の省庁による共済の規制で、日本の保険市場において拡大し続けることを憂慮しており、これらの共済を金融庁監督下に置くことを、日本政府に強く要望する」という主張です。

この信じられない米国の「要求」が、保険法の制定、保険業法の改定に見事に符合し、実にこの方向性は既に各種協同組合法、生協法の中にも埋め尽くされている事です。保健法はもちろん全ての共催事業に適用されています。

保険業法適用除外項目や準用項目で納得する事態ではありません。
各諸官庁には、金融庁のプロフェショナルが配備され、その監督基準、検査マニュアルは、金融庁の保険事業者監督指針と何ら変わらない状況を呈しています。適用除外や準用でなくとも、既にほぼ金融庁所管と同様のコンプライアンス体制になってしまっております。
(厚労省、検査マニュアル等の膨大な資料の実態をしっかり、見つめるべきでしょう。これも既に法律同様の強制力を持っている事実認識が必要です)

全ては、「共済は保険である」の論理の承認から始まっています。
「保険は金融であり、金融は徹底したコンプライアンス体制が世界基準である。」従って必要な保険検査は専門の検査庁である金融庁に十分な検査要員を配置済みです。当面は検査時の支援に回ることになるし、既に支援にまわっているところでもあるのです。
(各諸官庁が、個別の検査体制をその権益と事業領域確保の為にせっちするか、金融庁に依存して、金融庁権益として領域拡大を図るかは、想定がつきます)
米国要求のすべて金融庁所管の監督体制は完了しており、後は、完全分離のファイアーウオールで財務分離を行えば、所管も間違い無く金融庁に移行されるでしょう。

2012 年 3 月 18 日   No Comments

ある片田舎の企業倒産に想う

130年の歴史を誇るある中堅繊維工場が、先週倒産していました。

35年前、保険会社にお世話になる前の4年程度、その会社で工員として働いていました。
明治の頃、日本に手拭いから「タオル」をもたらしたそのパイオニア工場は、兵庫県の印南郡という片田舎に生まれ、日本のタオル市場の価格相場を形成するほどの老舗であったのですが…

厳しい労働環境の中でも、繊維産業の賃金は厳しく、二人目の子供を抱えて飛び出してしまったのでしたが、考えれば本当にいい経験を積ませてもらった大恩のある会社です。

偶然にも10年ほど前に大きな罹災があり、出身会社に工場の保険がついていたことから、支払いのお世話をさせて頂いたのでしたが、その際訪問した頃には、中国の攻勢で既に青息吐息の状態との事で心配はしていたのですが・・・

約1億に上る大きな災害であり、お世話出来る事といえば、一刻も早い支払いをすることくらいでしたが、果たしてお役に立てたのでしょうか?
「再建に使わなくても大丈夫なのですよ 」と言い残してはきましたが、田舎の名士の工場ですから、きっとそうもいかなかったでしょう。

どう考えても、合理化では生き残れないギリギリのコストパフォーマンスで支える宿命の伝統工場では、業種転換など不可能な高価な専門設備(機織り機他)を抱えて、きっとやりようがなかったのでしょう。

まだ沢山の中卒者の後輩達も残っているはずです。
あれから35年、、、彼らは、きっと毎日あの単純作業をこなして「今日」を迎えているのでしょうか?

もし、あの会社に残って、、、もし社長にでもなっていたら?
やっぱり、どうすることもできず「今日」を迎えていたかもしれません。流れを止めることなど出来ない伝統工業は、まだ沢山あるのでしょうが、万一の場合に彼らには次の職場など有り得ない現実を感じるのみです。

35年、きっとあの頃と同じ作業を毎日毎日して・・・
定年を間近にしての倒産劇、決して他人事ではないのですが、人生の厳しさ、運不運、都会に飛び出して、金融業界に紛れ込んで今をむかえる自分・・・

あの時、息子が生まれていなければ・・・
都会の喧騒もサラリーマンの人間模様も全く違ったかもしれません。

「人間万事塞翁が馬」
何にもできないけど、何とか連絡してみよう。
「お袋さん」を歌わせれば、日本一の彼に・・・

2012 年 3 月 17 日   No Comments

共済が消えた日 (4)

(無認可共済が消えた日)

2005年3月11日、金融庁は保険業法の一部を改訂する法律案を国会に提示しました。
保険業法の改定は1939年の業法制定以来、初の大幅業法改定であり、当然様々な観点から金融審議会等での論議があり、背景についてはこれまで述べてきた周辺事情が大きく潜在していたはずです。
この改定では「根拠法のない共済」は、2006年以降規制され、2008年4月1日には、存在させない(存在する場合にはすべて違法である)とする内容が主なものとなっています。同時に少額短期保険事業社という新たな保険会社の登録、設置を認め、根拠法のない共済群の受け皿として、金融庁監督の事業者とすることにしました。
(しかし、つぶさに確認してみれば、その「周辺事情」を十分に注意深く考慮された改定が発見されるのです)
かくして、根拠法の無い、従ってどれほど存在していたかすら分からない根拠法のない共済(無認可共済)は、日本から消えた事になってしまいました。
但し、未だにこの法律さえ知らず、又は知らぬ振りを決め込んで存在する「違法な」共済はあるかもしれません。
(1000名以下の共済についてはこの法の適用除外とされており、適用除外であれば、自動的に法に触れる機会は有りませんが…)
同時にこれまで根拠法を持たなかった共済は、廃業、特定保険事業者として時限的に残存、少額短期保険事業者として、新たに金融庁へ登録という3択をしたことになります。
保険業法としては、極めて異例な形で出来上がった少額短期保険事業者が、むしろ共済事業分野において、金融庁所管で出来上がり、現在約70社が登録を完了しています。
(その後特定保険事業者についてはその時限が既にきれた事により消滅しています)
この少額短期保険事業者については、これまでの経緯によって、主に三つの分野から構成されていますが、いずれも保険事業者との関連性において、その枠外の事業として(無認可事業共済として、民法、商法上の成立基盤を持って)出来上がったものであり、比較的歴史の短い事業者といえます。
その一つは、従来は損害保険事業者の代理店として本業を補完する為の損害保険を扱っていた賃貸管理、不動産事業者が、その後保険会社の代理店コンプライアンス規制強化などの動きに抗して、自主的に関連共済事業会社を構成していたものが移行したものです。
(彼らは損害保険業界におけるコンプライアンス強化方針から、代理店事業を締め出された為に自営的に自主共同共済組織を作り、その後安定した収益を得て事業運営していた共済会社です)

二つ目は、主に昨今のペットブームに着目し、保険事業者がそのリスク判定を躊躇している間に、ベンチャー的に共済会社を設立し、保険的に事業化したものです。

三つ目は、認可共済事業者と同様の特定マーケットにおいて、多少規模の小さい団体、企業を対象に医療共済を販売してきたいわば無認可の共済事業者です。

それぞれ、損保系、新種系、生保系の3分野に別れ、比較的安定した経営実態で経営がなされ、大きな問題も発生しない事業運営であったのです。
しかし、彼らには、全く法的指導根拠と監督官庁が無いことから、潜在的経営リスクの有無については全く計り様がありません。
故に法的根拠のある共済陣営との比較において、同じ共済を名乗る同業者としての消費者クレームなどの存在はありえたのかもしれません。
(この出来上がった共済事業者群からは、大きな社会問題を起こす様な事案は聞こえていないことも事実です)

一方、保険事業者サイドでは、残念ながら極めて大量の不祥事故が起こってしまいました。
コンプライアンス強化が叫ばれれば、叫ばれるほど問題は生、損両事業者で競うように発生してしまいました。
(というよりも、経験上で推測するならば、コンプライアンス強化が、以前においては見過ごされていたような事案であったものを是正、修正する過程において発生して行ったとも考えられます)

共済陣営では、まことに不本意な事件である「オレンジ共済」の大問題が唯一発生しており、これが無認可共済事業の規制の最大の事件といわれています。しかし、これは明らかに「共済」という名を使った金融詐欺事件であり、共済陣営にとっては、全く被害者的事案でしかないはずですが、共済という冠を放置する限りは、今後とも起こり得るものと言わざるを得ないことも認めざるを得ません。

かくして、一方の根拠法を有する共済は外資を含めた民間保険会社からの圧力で、他方別件的オレンジ共済事件による無認可共済の放置は出来ないとの大義でもって、日本の伝統的共済事業の「自由の壁」は「保険業法的」法的規制で完全包囲されて行くことになりました。

(この拙文の成立については、偶然にも民間保険会社から身を引く時間の流れの中で、これらの法改定の動きが何らかの一連の政治的気配を感じるに至り、特に保険業法の大幅改定とその影響があまりにも多岐にわたることから、問題意識が徐々に、派生的に拡大し、今日にいたっております。
特に少額短期保険事業については、極めて近しい関係でもあり、興味ある事業領域であった事から、元民間保険事業経験者からの保険事情と保険業法解釈を演繹する形で、共済事業の現状とその存在意義を理解し、業法の分析、解釈を実践する意味で事業化をめざし、チャレンジ中であります。
その経過の中で「共済は共済としての法」の必要性を展開するべきと判断するにいたったものですが、根拠法のある共済事業の法解釈については、極めて拙速な解釈であり、分析不足の感は残っております。)

2012 年 3 月 15 日   No Comments