≪高村比呂希 著≫
社長の河瀬明夫は、専務だった時に、システム部門を担当したことがある。
彼が東都損保に入社してコンピューター・システムに関わるのはその時が初めてであったが、勘の良い河瀬は、自分が推し進める業務改革は、システムを用いて会社の仕組みを変えることが最も現実的で早いことを悟り、河瀬主導で中間事務を無くす新しい事務システムを開発し稼動させた。
社長に就任してから河瀬が考えたのは、これからの損保経営者はシステム部門の技術者を使いこなし、コンピューター・システムを経営目標に有効に生かすことが必須の素養だということだった。自らの経験に基く教訓であった。
そんな思いから、河瀬は将来を嘱望されている「3J」に順番にシステムを経験させようと考えた。
最初に須賀次郎。須賀は「3J」の中では最も若い。橘・前島よりも2歳年下である。ある日、須賀は営業部長をしていた広島から本社に転勤になった。
須賀は着任早々、河瀬社長に呼ばれ、「損保初のロードサービス」という新サービス戦略の実現を指示された。「ロードサービス」とは、車の事故・故障時、レッカー車を出動させ救援することだ。
須賀はその日から全国を駆け巡り、レッカー車を保有する業者に説明会を行ない、東都損保のロードサービスのネットワーク入りを促し、地元の東都損保の支店長にはネットワーク構築に向けた協力要請を精力的に行なって歩いて、物凄い勢いで全国ネットを構築して行った。
その一方で、システム部門に対しては膝詰め談判を行い、新時代のサービス戦略の重要性を何度も説明し、現場の契約者から連絡を受付けて、その地域のレッカー業者を手配し現地に差し向けるためのコールセンター・システム構築を急がせた。
システム部門も総力戦で昼夜を問わない突貫工事を行ない、たった数ヶ月でコールセンターのカット・オーバーに漕ぎ着け、晴れて損保全社に先駆けて東都損保の「ロード・サービス」がスタートしたのだった。
* * *
ロード・サービスが実施に移されて間もなく、橘譲二が事務部門とシステム部門を統括する執行役員として、名古屋の営業部長から本社に栄転して来たのだった。
橘は、河瀬社長から「会社合併もあり得る。その時は、事務とシステムが最大の難問になる、その時に備えてお前を事務システム統括部門に配置するのだからそのつもりで」と言われたことが鮮明に耳に残っている。
橘は、事務システムの統合は数ある統合作業の中でも最も難しいことは承知の上で、最も合併効果が出るのは事務システム統合だと理解していた。2社合わせたシステム投資額をシステム統合で半減させることも可能だし、浮いた分で業界に冠たる最新システムを作ることも出来る。
橘は新システムのことを「新幹線」と呼んだ。社長からこの夢のある仕事を与えられたことを意気に感じていた。
数ヵ月後の2000年3月、東都損保は中央損保と合併することが正式発表された。即日、会社全体が合併に向けて走り出した。橘は直属の部下であるシステム部の部長兵頭一樹と、これからの進め方について、本音で突っ込んだ意見交換を行なった。
兵頭は橘に言う。
「合併まで1年しかないということは、橘さん、正直、システム統合をやり切るのは相当難しいと思わないといけないです」
「そうだろうな。相手の事務もシステムも全く分からないのだから」
「そう。それを把握するだけで半年やそこら直ぐに過ぎてしまいます。そこで、この短期間にシステム統合をやり切るには、どちらかに寄せるしかないと思うんですよ」
「うん。兵頭君はどちらに寄せるのが良いと思ってる?」
「相手社のシステムに寄せるのが早いと思います。と言うのは、中央損保は当社にない特別のマーケットを持っていて、それがまた途轍もなく大きい。同社はそのマーケット向けの数多くのシステムを長年手掛けて来ているので、逆に寄せると当社にはそのシステムが無いから大問題になります」
「なるほど。当社側で同じシステムを作って間に合わせるという訳には行かないんだな?」
「1年ではとてもとても・・・」
「分かった。私もそれしかないと思う。その方針で行こう。但し、当社側の反発が大きいのは覚悟して掛かるとしよう」
* * *
数日後、橘は社長室にいた。そこには河瀬社長と日本システム・ソリューション(通称NSS)の副社長の大下、それと橘の3人がいる。
NSSは東都損保の大株主の日商銀グループの会社であり、兵頭達は過去30年に亘ってこことパートナーシップを結び東都損保のシステムを共同開発して来た。日商銀は昭和40年代初めに、日本で最初に銀行のオンライン・システムを成功させた輝かしい歴史を有するのだが、その技術者達が集まって別会社を作り、日商銀グループ会社として立ち上げた会社だ。システムの力は日本有数である。
この日はNSSの大下福社長が河瀬社長に、NSSが過去に手掛けたシステム統合事例をレクチャーする日だったのだ。大下が二つの事例を縷々説明し終え、河瀬に向かって言った。
「河瀬社長が仰るとおり、会社合併ではシステム統合が最大の問題です。それが旨く行くかどうかで合併の成否が決まると言って間違いありません。弊社も沢山の事例を経験していますから、是非弊社に今回のシステム統合を任せて貰えないでしょうか?」
「いや、会社合併に当たっては、まず当事者同士が主体的にやるものでしょう。NSSさんに当事者になって頂くつもりは全くありません」
河瀬は大下の申し出をピシャッと断わった。が、大下も粘る。
「それは分かりますが、私共も御社とは30年もの間一緒にやらせて頂きましたので、当事者の一人と考えて頂いても良いのではないかと思います。それに、システム統合となれば、橘さん達にとっては初めてのこと。私共には多くの経験とノウハウがございます」
橘には口を挟む余地が全く無い。
河瀬が言った。
「そういうことも承知した上で、私はこの橘にやらせたいのです。システム統合が旨く行くも行かないも全てこいつ次第と決めておりますので」
会談は終わった。NSSの大下は提案を引っ込めて帰って行った。河瀬は橘にただ「そういうことだ」とだけ言った。橘は己に課せられたミッションの大きさに改めて胸が震えた。「社長は俺を買いかぶり過ぎではないか?」「本当に俺に出来るのか?」、橘の脳裏には様々な自問自答が去来した。そして決意した。「やるっきゃない!」。
* * *
橘と兵頭は相手社(中央損保)の事務・システム責任者との第一回目の会合を持った。これは事務・システム小委員会と言い、合併協議の正式機関として立ち上げたものである。
先方は事務部門とシステム部門を担当する金井専務とシステム部長の中島取締役が出席した。当方は事務統括部長であると同時にシステム部門も担当する執行役員の橘と、単なる部長の兵頭の2人だから、肩書き上は全くバランスしていないが、業界ランキング上は東都損保の方が上位なのだから、これで勘弁して貰おう。
第一回目の小委。責任者同士の顔合わせと今後の進め方を決めるのが今日の目的だ。両者挨拶自己紹介のあと、進め方の議論に移った。
だが、双方まだ社長調整もしていない段階では具体的に何も決めることは出来ないので、1年しかない中で事務・システムの統合をするには、お互い細部を擦り合わせて下から積み上げるやり方で方針を決めるのでは間に合わないという認識で一致し、ある程度トップダウンに決めるべきだということだけ合意して、後はお互いの部門の第一線責任者達の顔合わせを明日からでもどんどん進め、次回の小委(1週間後)で、方針並びに作業部隊の編成を議論することにした。
ただこの時、相手社の中島取締役の態度が橘には堪らなく気に入らなかった。言葉の端々に、「当方は特別大きな日本産業という大企業マーケットを持っている。東都さんのシステムで果たして日本産業向けのシステム対応が出来ますかねぇ?」と匂わすのだ。
それが単にシステムのことだけに止まらず、「私はそこの経営者と20年来の付き合いがあるし、信頼されてもいるが、果たしてあなた方にそれが出来ますか?」と勝ち誇った態度に見えるからだ。
小委が終わった後、橘は早速兵頭に、
「あの中島って奴は去年システム部門に来るまで長いこと日本産業担当の営業だったんだよ。ただそれだけのことで中央損保の中でも大手を振って歩いてるという噂だ。俺も長いこと営業やってるから分かるけど、ああいう手合いはね、日本産業にはぺこぺこしてだよ、社内に向けては日本産業を傘に着て、ごり押しするタイプなんだ。うちにもそういう輩はいるけど、とても当社では役員にはなれないけどね。自分では何も出来ないし、しないんだから」
と、憤りを口にした。そして、兵頭と確認した相手社システム片寄せ方針に対しても、
「兵頭君、片寄じゃなくて、中央損保システムを日本産業向け専用にして、それ以外を全部当社システムにするって訳にはいかないかねぇ?」
と言い出す始末。
「あの中島って取締役が気に入らないのは分かりますけど、それはつまり2社のシステムをそっくり残すことだから、何の統合効果も生み出せないですよ」
「中央損保のシステムは日本産業向けに特化しても、そっくり残すことになっちゃうの?」
「審査から契約計上、商品システム、料金請求、保険金支払いシステムと、現在のシステムは一応全部ないといけませんからね」
「・・・、そうだよな。でも何かシャクだよね、あの中島の思う通りになるのがさぁ」
「でもここは、中島のことは目を瞑って、河瀬社長の夢の実現、その一点で突っ走りましょうよ」
「だな?」
そんな遣り取りがあって、次回小委までの間に、橘は河瀬社長と2度に亘って議論し、相手社システムへの片寄せ方針の内諾を得て、小委に臨んだ。
中央損保の金井専務が基本方針について「東都側の見解を先にどうぞ」、と譲ってくれたので、橘が、「中央損保システムに片寄せで行きたい」と答えその理由も述べた。
その途端、前回の不遜な態度に輪を掛けて中島が勝ち誇ったような笑顔になった。
「私達もそうするのが一番良いと思っていましたが、良くご決断されました。橘さんや兵頭さんのご英断を多とします」
と中島が発言した途端、橘の顔付きが変わった。
「中島さん! その不遜な態度、やめてくれません? あなたは私の上司じゃないんですよ。まだ同じ会社じゃないんだから。一体何様のつもりですか!」
「何様のつもりって、私はただお2人を称えたかっただけですよ」
「『多とする』は目下に向かって言う言葉でしょうが! 況して、上位社が下位会社のシステムに片寄せするなんてことはまずあり得ないんだ。それを、やっと正しい選択をしましたね、みたいな人の心を逆なでするような言い方は今後一切止めて貰います」
と、方針とは別な所で揉めたが、小委としての方針は決定した。これを両社合同経営会議に諮って最終決定する。二回目の小委では、夫々の事務局が作成した作業組織体制案が、一部を修正して決定された。
中央損保システムへの片寄せ方針を合同経営会議に諮り了承を得て、事務システムの統合作業を進めたが、案の定、東都損保本社内の反発は大きかった。だが橘と兵頭の2人は既定方針で強引に推し進めた。この時の橘の腕力は如何なく発揮され、当初の反発は諦めに変わって行ったかに見えた。
が、しかし、本社各部門はこの方針には総論已む無しだが、各論になると、これだけは譲れないと、ある機能については東都損保側のシステムを活かすべきとする方針を掲げるようになって行った。
橘がそのことに対しても必死に説得に当たり苦戦している丁度その頃、橘の耳には、経営企画部の担当役員から次のような話が伝わって来た。
中央損保社の取締役会で、ある副社長が次のように発言したそうである。
「他の分野は悉く東都損保に主導権を握られてしまったが、唯一、事務・システム分野は中央損保が主導権を握った。これは金井専務・中島取締役の手腕による賜物であり、当社にとって大きな成果である。取締役会として2人に拍手を送るべきことではないでしょうか」
満座の拍手の中、2人はお互いを持ち上げた。
「中島取締役の丁寧で粘り強い説明が功を奏し、先方が我が社のシステムの良さを理解したことが決め手でした。その意味で今回の成果は、中島取締役の働きによるものと思っております」
「いえ、私の働きなど微々たるもので、相手社のトップを説得してくれた金井専務の働き掛けがあってこその結果です。金井専務、本当にありがとうございます」
とんだ茶番だ。あの2人が何をしたというのだ。中央損保システムへの片寄せ方針は端から兵頭と俺で決めたんじゃないか。中島達が東都システム寄せだったのを、説得して中央システム寄せに変えさせたとでも言うつもりか。橘は胸くそ悪くなった。
だが兵頭は、
「だけど、彼等も喜んでいる場合じゃないですよ。仮に、本社の主張が通っちゃうと、中央損保システムの中に、我が社のシステム機能を移植するか、新規開発せざるを得なくなりますからねぇ」
と、そのことが余程心配といった様子だ。
東都損保本社の自社システム機能復活の声に対して、橘と兵頭が必死に抵抗したが、幾つかは頑として変らない。その1つが経理システムだ。悪いことに、経理部門の統合小委に両社システム部長の出席を求められた時、東都側経理部長から中島取締役への質問に対して、中島取締役の返答が東都側に火に油を注ぐこととなってしまったのだ。
東都損保経理部長はこう質問した。
「我が社では、代理店さん側のロードが最も掛からない精算方式として、経理システムでこういうやり方をしていますが、それをそちらのシステムの中に組み込めませんか?」
これに対して、中島取締役が、
「それはおかしいんじゃないですか? 合同経営会議の中で両社社長がご承認された片寄せ方針ですから、当然、全ての会社運営は弊社システムに合わせるべきです。両社の違いを言い立てて、それを全てシステムで埋めろというなら、片寄せなんか出来ません!」
と言ったからもう大変。同席していた兵頭一樹まで槍玉に挙げられ、
「兵頭! システムの片寄せが、会社運営全体を中央損保のやり方に変えろという意味なら、そういう説明をちゃんと社長にしたのか? 社長はそういう理解をした上で片寄せを決めたと言うのか?」
それに対して兵頭が答えようとする前に中島が言う。
「少なくても当社側は社長を含めそういう理解です」
「中島さん! それじゃあんた、騙し討ちだ。まっいい、今、あんたに聞いてるんじゃない。どうなんだ、兵頭!」
「今、存在する決定は飽くまで基本方針ですから、不都合な部分があれば、時間の許す範囲内で、それを対応することまで排除していないと思います」
兵頭は中島の無神経な発言に腹わたが煮え繰り返る思いながら、事態収拾のためそう言わざるを得なかった。橘が最初の小委で中島の本質を見抜いていたことを改めて凄いと思った。それに比べて自分は今日この場でやっと同じことが分かったのだから余りにも遅過ぎる。
中島は基本方針決定までに何の苦労もしていないばかりか、その後起きている東都損保側の対システム・ブーイングを宥めすかし、時には強引な説得を含めて基本方針に沿った形になるよう努力を続けているのに、それを一気に水泡に帰す彼の発言は許し難い。そうも行かないのは分かっているが、中島を折衝窓口に引き摺り出して、東都損保本社と直接システム交渉させたいくらいだ。
このことに勢いを得た本社部門が、その一件で、両社合同経営会議の了解を取り付けるに及び、不本意ながらシステム部門はその同じ機能を中央損保システムの中に作り込むことを了承せざるを得なくなった。
だが、この小さな敗北が、大敗北に繋がって行く。完全片寄せに比べるべくもなく、大変な統合作業となって行ったからだ。
中央損保システムの中に、東都システムのある機能を移植することを東都側が請け負うしかなかったのだが、それは、相手社はその機能について全く知識が無いからだ。だがそれは、良く分からない相手社のシステム環境やデータ環境の中でシステムの開発を行うことになり困難を極めた。
開発当事者達は不安を払拭できず、確信を持てないまま半年が過ぎ、遂に、このままでは間に合わないという非常に危険な事態に陥った。
この状況に直面して橘譲二は、片寄せ方針をご破算にし、夫々のシステムを並存させて、必要な機能は既存システムのまま使えるようにするしかないと悟った。そして新会社として最低限必要な機能だけ、両社のシステム間を繋げて統合する形に方針転換する以外、システム統合を間に合わせることが出来ないことも解っていた。2社合併・新会社発足まで僅か5ヶ月に迫っていた。
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