≪高村比呂希 著≫
大変面倒なことながら、この方針転換は相手社の中島取締役と合意しないといけない。橘は早速中島と連絡を取り、相手社に乗り込み緊急の会談となった。
「そちらのシステムに当社側の最低必要機能を移植開発して来ましたが、このまま続けていても新会社開設までに間に合わないことが明確です。あと5ヶ月もないことを考えれば、両社のシステムを両方稼動させて、現場を混乱させないことと、新会社として1つにしないといけない最低限の統合だけを行なって間に合わせるしかないと我々は思っています。その了解を頂きに来ました」
「ちょっと待って下さい。今のやり方で間に合わないなんて報告、私のところには一切来ていませんよ。現場責任者も当社側の作業に何の遅れもないと言っています」
「それは、著しい認識誤りじゃないですか? お宅のコンピューターの中に当社機能を移植開発していますが、システム環境やデータ形式・持ち方など良く分からず、苦戦しています。喩え開発が予定通り終わっても、本番で正しく動く保証がないと言っていますよ。更に言えば、御社の現場の人達も、その新しいシステムが稼動した時、どこにどういう問題が波及するか想像も出来ないと不安を訴えているそうですよ」
「そんな大事なこと、わ、わ、私の一存で決められるものではありません。統合実行委員会に諮りそこで決めて貰うのが筋でしょう」
「形式的にはそうしますが、もう今日からでも新方針で全力で当たらないと、それこそシステムが理由で合併が延期になりますよ。そうなったら私も貴方も重い責任が問われますよ。私の方は覚悟が決ってますが」
「旨く行かなくなったのはそちらの開発遅延が原因でしょう? こちらの責任ではない」
「何言ってるんですか。合併の日にシステムが間に合わないのを知りながら何の手も打たなかったら、中島さん、あなた役員失格となりますよ」
「余計なお世話というものです。橘さんの一方的な話だけで同意しろというのが、どだい無理な話しだし、失礼な話です」
埒が明かないとはこのこと。自分の守備範囲を狭く狭くして、自分には落ち度が無いと言いたいとの態度が見え見えだ。中島は取締役として両社のシステム統合全体を成功させる役割と責任があるにも拘わらずだ。橘は自分も同じ立場だが、少なくとも当社側の作業にだけ責任を持てば良いなどという狭い料簡ではない。
切羽詰った崖っぷちの危機感を共有出来ない中島を相手にしていては、それこそ方針転換しても間に合わなくなる。橘は、中島を無視して勝手に動くことに決めた。
苦渋の決断だったが、そう腹を固めた直後、橘は社長室に直行した。このシステム統合方針の大転換について、河瀬社長には何としてもOKして貰わないといけない。方針変更するにもその期限ぎりぎりに来ているし、変更も出来ずにずるずる行ったら、システムが理由で会社合併が出来なくなる。そうなれば河瀬社長の責任問題になってしまう。
そんな必死な思いで社長室を訪れたのだが、生憎河瀬は不在だった。秘書室長に聞くと昨日から九州に出張しており、今日の夕方の便で東京に戻るとのことだった。帰りのフライトの時刻を尋ねると羽田には3時間後に到着予定だ。
新宿本社から羽田には車でも電車でも1時間もあれば充分だったが、橘は気が急いて居ても立ってもいられず、羽田に向かった。河瀬社長がまだ福岡市内から福岡空港に向かってもいない筈の時間にも拘わらず。
橘は羽田空港でどう2時間を過ごしたのかさえ覚えていない。どんなに叱られようと、どんなに罵られようと、この方針変更は何が何でもOKして貰わないといけない。橘は河瀬社長に「分かった」と言って貰うまでは絶対に引き下がらないし、河瀬を家に帰さない、そんな決意だった。
福岡発ANA278便が到着し、到着ロビーに乗客達が現れた。橘は必死に河瀬を目で探した。いない。ぞろぞろぞろぞろ、既に大勢が出て来ているのに、河瀬社長の姿が見えない。
じりじりして待った。ファーストクラスやビジネスクラスの乗客は優先的に通されるのだから、もう出て来ていないとおかしい。社長はこの飛行機に乗らなかったのか、と不安が募ったところで、やっとあのいつもの社長の顔を見付けた。
「社長! お待ちしていました」
「おう、橘君か。何故わざわざ出迎えに来たんだ?」
「今日中に是非とも社長にご了解頂きたい事項が生じまして」
「そうか。待たしてしまったようで悪かったな、預けといたバッグがなかなか出て来なくてな・・・。だが、その話明日じゃダメなのか」
「はい。明日緊急に事務・システム統合委員会を開催して、大きな方針変更を決定しないといけなせんので」
「今は、俺も少し休みたいところなんだよ」
「すいません、お疲れのところを。でも、緊急を要する問題ですので、どうか・・・」
「仕方ない。車の中で聞こう」
車の中で、案の定、河瀬社長は不快感を顕にした。
もう10月末だぞ、そんな方針に変えて間に合うのか、橘が付いていながらこんな遅い時期まで引っ張ったのはどういう訳だ、一層のこと、事務もシステムも店舗も何も今のまま触らないで、合併だけしてお互い営業で競い合うという手もあるぞと、河瀬はありとあらゆる罵詈雑言を橘譲二に浴びせた。
河瀬が腹立ちまぐれに言った最後の話など、最初の何年かは何の統合効果も生まないのだから合併の意味もない。河瀬が「責任を取る」と言っているように橘には聞こえた。
橘は新方針について必死に説明し、元々、片寄せ方針で旨く行かなかった時のコンティンジェンシー・プランを考えてあり、それがこのやり方であること、五ヶ月あれば充分間に合うことを訴えた。
「勝手にしろ!」
「ハッ、ありがとうございます。明日早速その方向で動きます。2~3日中に社長のお出ましを願う場面にさせてみせます」
河瀬の「勝手にしろ!」「好きにしろ!」は不本意ながらOKという意味であることは長い付き合いの中で橘は良く解かっている。橘が言う「社長のお出ましの場面」とは、全ての周旋を終え、両社の最終結論を出しておきます、という意味だ。
2日後、両社の副社長主催の「統合実行委員会」を緊急開催して貰い、方針変更を提案した。この「統合実行委員会」と言うのは、合併の日まであと半年となった時、それまでの、両社社長が主導した合同経営会議で決めた各分野の枠組みや基本方針を受けて、残り半年間、各作業工程を済々と進める最高統括会議である。
座長は東都損保側は星野副社長、中央損保側は金井副社長である。金井副社長は当初事務部門の担当役員として、事務・システム小委にも出席していたが、7月の体制変更で副社長に昇格し同時に担当部門が営業推進本部と変わっていた。
「以上、この段階での方針転換により皆様に大変ご迷惑をお掛け致しますことを深くお詫び申し上げます。しかしながらことは緊急を要しますので、是非ともこの新方針をお認め頂きますよう、ご審議、宜しくお願い致します」
橘は深々と頭を下げた。東都損保の星野副社長が、
「中島取締役からは何か付け加えることはありませんか?」
と水を向けた。
「特にありませんが、我々の認識とは必ずしも一致していないということだけお伝えしておきます」
「ええと、それは、方針変更の必要はないとお考えだという意味ですか?」
「これからの頑張り次第では充分間に合せることが可能だと認識しています」
出席者の間でざわつきが起きた。
星野副社長は同席している兵頭一樹東都損保システム部長を見た。
「兵頭君、君は30年のシステム経験から見て、どう判断したのかね?」
「はい。今の危機状況を橘さんにお伝えしたのは私であります。開発作業のスケジュールという意味では殆どの工程はオン・スケジュールで、遅れがある工程でも1~2週間ですから、これは中島取締役の言われるとおり、今後の頑張りで充分追い着き可能です。
問題は、東都側で開発しているシステムが、中央側のシステムの中で本当に旨く稼動するのかという点なんです。来年4月1日の合併を控えて、もう5ヶ月を切りましたが、両社システム部門の現場では、確信を持っている者が1人もいません。つまり、東都も中央もなく、最終システム全体が今の延長線上で旨く行くと確信を持てている者がいないということです」
「兵頭君。システムの門外漢には良く分からんのだが、両社でこうしましょうと一致した青写真で仕事を進めて来たんじゃないのかね? 君の話を聞いていると、最初から確信もなく突き進んだと、とんでもないことのように聞こえるぞ。一方の中島さんは行けると言うし、一体どうなってるんだ! 分かるように説明しなさい!」
「お言葉ですが副社長! 最初から相手社のシステムを合わせて全体が全て分かっている人間なんて1人もいません。全体の半分はブラック・ボックスというのがスタート時点の与えられた条件なんです。ただ、一般的に、作業をしながらブラック・ボックスに切り込んで行って少しずつ分かって行くものなのです。従って半年ほど開発を進めれば、お互いかなりの理解が進み、軌道修正含めて、これで良いんだという確信に至るのが経験則でした。
残念ながら、今回はそうはならなかった。こんな事態に陥らせておいて、とても言えた義理ではないですが、30年間の経験から言わせて貰えれば、この時点で誰も確信が持てていないことは、必ず失敗します。大混乱に陥ります」
「橘さん、兵頭さん! 随分酷い提案ですね」
中央損保の金井副社長が、遂に口を挟んだ。
「大体これまで何の前触れもなく、いきなり当委員会でやり方を大きく変えたい、なんて、経営軽視も甚だしいですよ。何故前もってサウンドしてくれなかったのです。そうしてくれれば、中央損保側のシステム現場にヒヤリングを掛けることも出来た」
これには星野副社長が不思議そうに答えた。
「私は一昨日、聞いていますよ。だから、そりゃ大変だと今日の緊急委員会開催を金井さんにお願いした訳でして・・・」
「中島君! 何故私に知らせないのだ! こんな重大なことを」
「副社長、申し訳ありません。先日、橘さんがお見えになって、この件をお話になったのですが、その時は東都側の作業が遅れていて間に合うかどうか危ぶまれるとのことでしたので、頑張って貰うしかありませんとお伝えただけのことでした。副社長にお伝えするまでもないと・・・」
橘は公式の席でなかったら、中島の胸ぐらをつかんで張り倒したい衝動に駆られた。だが、今日は何があっても、方針変更案を承認して貰うことだけを優先しようと、ぐっと堪えた。代わりに兵頭が言い切った。
「中島さん。危機に直面しても危機だとも思わない責任者なんてあり得ませんよ。部下の方に聞いてみて下さい。『大丈夫、旨く行きますから』という人がいたらそれはシステムのプロじゃありません。中島さんに悪い情報が入らないようになっているなら、もっと危ない。私は、御社の現場責任者の方々や、そちら側の作業に当たっている協力会社からも見解を頂いています。御社側も含めて誰一人、中島さんのような楽観論者はいません!」
紛糾に紛糾を重ねた結果、やっと方針変更を認めて貰った。しかし、この方針変更は、相手社に疑心暗鬼を生み、双方の経営者・本社部門にはシステム統合の失敗と受け止められ、大騒ぎとなった。
橘と兵頭は様々な会議に連日出頭して、事情説明に追われた。両社合同の本社部門長会議では、橘はあたかも吊し上げ同然の非難の的となった。正に針の莚の心境だった。そういう場には決して中島取締役は顔を出さなかった。
しかしながら、両社のシステム部門はこの騒動を目の当たりにして、これを境に強烈な危機意識を共有し、初めて両軍を挙げた一致協力体制が出来上がり、新方針に基づく短期集中の詳細検討と、2交代制の24時間システム開発体制に突入して行った。
2001年4月1日の新会社発足にどうにかシステムは間に合った。橘はこれを置き土産にこの日、関東営業本部の新会社初代本部長に就任。得意の営業分野に戻って行った。
同じ日、中島は新会社の営業推進部の取締役部長に、兵頭は新会社の執行役員システム部長に就任した
* * *
入れ替わるように、その後任として前島仁が事務・システム本部の本部長として異動して来た。前島は橘と同じ入社年次だ。
新会社がスタートして1週間もしない内に、全国あちこちで事務の混乱が起き始めた。物流ネックやタイムラグ、システム不備、現地対応の不慣れなど様々な要因により事務が滞り、月末を乗り切れない事態に直面した。
再び事務システム部門は社内の厳しい目に晒された。そういう事務システムにして合併を迎えた当該部門に非難の目が向くのは当然だが、その同じ目は、既に本社を離れている前責任者の橘にも向けられた。
前島は本社各部より人材を集め、「緊急対策本部」を立ち上げ、事務混乱解決の専任プロジェクト体制を敷いた。
前島の素晴らしさは、4月最初の締切を迎えるまでに打つ対策と、それを乗り越えた後打つ手とに明確に分けて、且つ、全国の営業部門にキメ細かく的確な指示をして、更にその結果を部下に現地確認させたことだ。全国1店舗の対策漏れも許さない徹底の仕方である。事務正常化を自分の責任で是が非でも成し遂げるという強い姿勢を貫いたのだ。
その甲斐あって、事務混乱は約2ヶ月で収束に向かった。これは前島が全くの専門外である事務システム部門に異動して来て、たった2ヶ月で挙げた大きな功績だった。
その後、前島を責任者とする事務一元化プロジェクトがスタートした。その中身は、システムの一本化ではなく、二本立てになっている現場事務だけを兎に角一本化するというもので、システム片寄せではなかった。システムの並存解消にはもっと多くの時間と費用が掛かることから見合わされたのだった。
合併前から河瀬社長や他の経営陣も期待し、橘もこの合併に大きな夢を膨らませていたのは、2社が一緒になれば1社分のシステム費用で済むので、浮いた1社分の費用で「新幹線システム」(大手他社を凌ぐ競争力のある新システム)を作れるようになるという合併効果だった。
しかし、実際には、より現実的な問題解決が優先されたのだ。合併当初の事務混乱を収拾させてもなお、それだけ現場の事務ロードが重くこれを低減させることが喫緊の課題だったということだろう。
「新幹線システム」は先送りされたのか、はたまた、経営課題から落とされたのかは定かでなかったが、もう経営陣の誰もが「新幹線システム」を口にしなくなった。
自然消滅と見るべき状況に至り、橘は、合併効果として期待した、システム統合による新幹線システム開発資金捻出作戦は失敗に帰したと認めざるを得なかった。
当初の河瀬社長の思惑通り、「3J」が順番にシステム部門を経験した。その中で、最も重く厳しい役割を担ったのが橘であり、見事に失敗したのも橘であった。反対に前島と須賀は初体験のシステムで成功を収め彼等の経歴の中で燦然と輝くキャリアとなったのだった。
前島が指揮した事務一元化プロジェクトが約1年半掛けて目的を達成し、更に1年が過ぎた頃、河瀬社長が退任を発表した。東都損保時代から通算で6年という、慣例上の社長任期満了に近付いていたのだ。彼は次期社長に前島仁を指名した。
因みに、「3J」はその前年までに、既に専務になっていた前島が社長に就任して半年後、橘譲二が退職し、須賀次郎は専務に昇格した。橘の最終役職は常務取締役だった。
だが、前島新社長の盟友とも片腕とも目され、前島自身もそれを期待し、誰もがいよいよ「3J」の時代の到来を確信していた中での予想外の橘の退職は、このシステム統合の失敗が要素の1つであったとしても、必ずしも、決定的理由ではなかった。
この橘の「我が儘退社」の経緯、乃至、真相については後段で触れる。







