≪高村比呂希 著≫
  
  

    (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部)
   
   
   
 橘譲二、通称JTは1947年(昭和22年)7月、神戸市長田区に生を受けた。父親は日本郵船のエリート・サラリーマンだった。男兄弟の次男坊として生まれた譲二は、長兄とは8歳も離れていたから、幼い頃は兄からとても可愛がられて育った。

 戦後間もない、世間一般が、貧しく食べること生きることに精一杯の時代。隣近所の子供達の身なりも食生活も似たり寄ったりで、特に不満を感じることなく遊びに夢中になっていた。

 ある日、小学校に入学することになり、母親に連れられて行った学校は、家から歩いて30分以上も掛かる遠くの学校だった。今で言う越境入学だ。どうもこの学校は、自分達が育った下町の長田区とは別の世界の人種が多く通う所だった。

 彼等は橘譲二の全く知らない「幼稚園」という学校を卒園しているらしく、団体生活にもいたって慣れていて、先生との会話も洗練されているのを幼な心に感じ取っていた。

 長田区に「幼稚園」なんてあったんだろうか? 小学校入学の前の日まで毎日、朝から日が沈むまで泥だらけになって遊びまわっていた仲間は誰も「幼稚園」などに行っていないし、小学校に入るまでその存在すら知らなかった。

 そこは、神戸ではレベルの高さで有名な川井小学校で、良いとこの子女が多く通っていたのだった。

 そんな小学校時代の前半は、テキパキとそつなくこなすクラスメートに比べ、団体生活に慣れず勉強嫌いな橘は、気遅れもあって目立たない子と言える存在だった。

 転機は小学校3年生の頃。時は若乃花・朝潮の時代。小学校でも大変な大相撲人気だった。若乃花に憧れる少年達は。少しの休み時間も惜しんで、校庭に丸い円を描いては相撲を取った。腕っ節だけは人一倍強かった橘少年は、相手が誰であろうとやっつけてしまう。1年上の上級生にも負けることがなかった。

 そうなると世の中が違って見えてくる。彼の強さがクラス中で注目され、敬意が払われるようになったのだ。

 それが彼の自信に繋がり、弱虫で喧嘩などしたこともなかった自分に、子分のような取り巻きが何人も集って来るのだった。小学校卒業の頃には、いわゆる「番を張る」存在になっていた。

 彼は小学校五年生の頃から、草野球に夢中になり、土地柄から当然、熱狂的阪神ファンになって行く。野球チームのみんなが憧れるのは「牛若丸・ショート吉田」だ。橘は持ち前の腕力にものを言わせて、「1番・ショート」の定位置を奪い取る。

 丸岡中学では3年間野球部の選手として、野球付けの毎日を送り、将来は本気でプロ野球選手になりたいと願っていた。

 橘は高校受験勉強なるものを一切やらなかったため、志望校に行かせて貰えず、担任教諭の指導で、元女子高で何年か前に共学となったばかりの県立夢ヶ丘高校に入学させられたのだった。男子よりも女子の人数の方が圧倒的に多い高校だ。

 中学では硬派の代表格の野球部で鉄拳制裁も含め徹底的に鍛えられた橘は、自分の気質は質実剛健、或いは、バンカラが最も合うと思っているのに、男子が肩身の狭い元女子高。彼はそれが嫌で、校外では絶対に母校の帽子を被らなかったと言う。

 さて、高校に入学してからの橘はどんな若者であったのか。高校野球部と言えば甲子園。だが、この元女子高に野球部はあるにはあるが、甲子園を目指す学校とはまるで別の次元だ。同好会と言う方が相応しい。野球を楽しみたい人集れ、と言った感じ。

 毎年、甲子園大会の地方予選にはエントリーするものの、緒戦で万一勝ったりしたら選手自身が大騒ぎという校風なのだ。橘は、他にやりたいスポーツもないので、「仕方ない軟弱な野球部にでも入ることにするか」と渋々入部した。

 3年間厳しい中学野球部で特訓させられた橘は、2・3年生を差し置いて直ぐにホットコーナー(3塁手、長嶋茂雄の影響で3塁手の希望者多く激戦区)のレギュラーを獲得する。そして、その年に地方予選ベスト16まで勝ち抜くという奇跡を演じてしまった。

 初戦・2回戦まではスタンドにも応援らしい応援も無く人影疎ら。だが兵庫県大会だけは2回戦を勝つと試合会場が甲子園になる。憧れの甲子園。選手もそうだが、母校の生徒も、まさか野球部が甲子園まで行くなどとは思ってもみなかったから、この快挙に3回戦からは大挙して在校生や関係者が詰め掛けたのだった。

 随分後のことであるが、橘の息子が野球をはじめた頃、彼は息子に

「お父さんは甲子園に出たことがあるんだ」と言ったことがある。それを聞いた息子は「うちのパパは甲子園の選手だったんだぞ」

と、友達に威張っているのが耳に入って、さあお父さん大慌て。

 本当は「甲子園で野球をやったことがある」の間違いだと子供に詫びて訂正したが、東京育ちの息子は、父の言う意味の違いがサッパリ分からない。仕方ないから

「もうお父さんの甲子園の話はほかでするな」

とだけ息子に命じた。息子は目を白黒させながらも黙って頷いた。

 甲子園で2勝したあと優勝候補の一つと言われた神港高に敗れて、この年の兵庫県大会は終わってしまった。この相手高にはさすがに歯が立たなかった。

 ナインの中には後の阪急ブレーブスの宮本投手と巨人の正捕手になる吉田がいたのだから、大敗を喫したのは仕方なかった。橘は宮本の投げるボールに一度もバットが当たらなかった。掠りさえしなかった。この時、橘は初めて上には上がいるもんだと心底思った。

 プロ野球選手になるという夢が急速に遠のいて行くのを感じざるを得ない出来事だった。

 だが、それでも、選手達は学校内ではヒーローとして迎えられた。元々が県下の優秀で可愛い女子高生が通う高校だ。彼女達により自然発生的にファンクラブのようなものが出来て行った。

 同じ1年生でレギュラー選手だった仲間達にもいつの間にか彼女が出来ていた。

 ご他聞に洩れず橘の前にもある女性が現れた。ファンクラブの1人で同学年の早乙女恭子だった。小柄ながら、大勢の女子生徒の中でも抜きん出たその美貌は、学内で大評判になっていた。

            *   *   *

 その日の練習を終えて橘は1人自転車で家路を急いでいた。既に日は落ちていて、商店街も店じまいしている店が多く薄暗い。人通りも少ない。いつものようにある角を左折しようとした時だった。路地から出てくる自転車と接触しそうになった。

「あっ!」

という女性の声を聞いたような気がするがそれどころでない。橘は咄嗟の判断で左折をやめて右にハンドルを切り、対向の自転車を避けるように大回りして左折しようとした。

 そこでタイヤがスリップし、橘は自転車もろとも横倒しになってしまった。したたか左肘を地面にぶつけた。

「大丈夫ですか?」

 若い女性がそういいながら、急いで橘に駆け寄って来たようだ。多分、相手の自転車に乗っていた人だろう。橘は、左肘の痛さと、自転車の下敷きになった左足くるぶしの痛さに顔をしかめながらも、

「はい大丈夫です。どうってことないですよ」

 と答えながら、ゆっくりと立ち上がった。

「あらっ、橘君」
「え? あぁ、早乙女さんか」

 その人は、クラスこそ違うが学年が一緒で、入学早々、「ミス夢が丘高」と噂されるほどの美貌の人、早乙女恭子だった。野球部ファンクラブのメンバーだし、野球部の先輩達が何かに付け噂する人なので、当然橘も知っていた。と言うより、正確に言えば、橘が秘かに憧れていた人だ。

「ごめんなさい。私、停止もしないで表通りに出ようとしちゃって」
「それはこっちも同じ。君に怪我がなくて良かった」
「あっ、血が出てる!」

 彼女はそう言いながら、自分のハンカチーフを取り出して、彼の左肘を包帯状に巻いてくれたのだった。嬉しい筈なのに、その時の橘は心臓が高鳴り、息苦しい程だった。

「私の家は直ぐそこだから一緒に来て。ちゃんと手当てしなくちゃいけないから」

 彼女は自分の自転車に戻り、そう言ってから、ハンドルを握って歩き出そうとした。でも、彼はこれ以上彼女と一緒にいると、それこそ窒息しそうで、早くこの場から逃げ出したかった。

「いや、大丈夫だよ。俺んちもそんなに遠くないから。じゃぁ、これで」

と誘いを断わり、そそくさと自分の自転車を引き起こした。

「ホントに? 酷くなる前に必ずお医者さんに診せてね」
「あぁ、そうするよ」

 橘は遠ざかりながら、振り向くと彼女はまだずっとこちらを見ている。現金なもので、憧れの女性と初めて口を利いたからか、痛さなど何処かに吹き飛んでしまったかのようだ。

「早乙女さ~ん! ありがとう!」

 彼は心の中で叫んだ。彼女が巻いてくれた左肘のハンカチに、そこはかとなく彼女の優しさを感じていた。

 そして、彼女が視界から見えなくなった所で自転車を止め、前輪を股で挟み、転んだ弾みで斜めになってしまったハンドルを元通りに戻したのだった。

 結局医者に行くことなく、怪我は治ってしまったのだが、あれから50年近く経った今も、橘の左肘にはこの時の怪我の痕が残っている。

 数日後、橘は、ハンカチを返すという名目で早乙女恭子を初デートに誘った。彼女は断わるどころか、寧ろ、「橘君と港を見に行きたい」などと嬉しい逆提案をしてくれる程だった。

 早速2人は神戸港の中突堤に向かって歩いたのだった。今日は2人とも自転車を家に置いて来ていた。2人が近付くキッカケを作ってくれた自転車ではあったけれど。

 その後、練習の合間を縫って、2人は度々デートを重ねた。話をしていて楽しいのである。心が弾むのである。野球部のこと、クラスのこと、先輩のこと、勉強のこと、プロ野球のこと、映画のこと、話題なんか何でも良かった。話をする、ただそれだけで橘は幸せだった。まだ一度も手すら触ったことがない。

 これが初恋と言うものか、初恋は片思いが多いと物の本には書いてあるが、自分達は幸せだね、相思相愛だから、などと言い合っていると楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。

 時には王子動物園や須磨水族館などに行って乗り物に乗ったり、2人でソフトクリームを食べながら散歩することはあっても、2人はまだ16歳、高校1年生なのだ。学校の食堂で一緒に食事したり、休みの日には大倉山図書館で一緒に勉強するといった可愛いデートが専らだった。

 高2になり、再び夏の高校野球県予選。昨年まで1回戦などには誰も応援に来なかったが、今年は違う。大勢の女子生徒が押し掛けてくれていた。だが、それにも拘らず、この年は、以前と同じように1回戦で敗れ去ってしまったのだ。

 こうなると、期待させて期待を裏切ったツケは大きく、活発だったファンクラブも潮が引くように自然解散となって行った。

 橘はこの敗戦をもって野球部を退団することにした。最早、プロ野球選手になることを夢見る野球少年ではなかったし、橘自身、野球に対する情熱が急速に消え失せて行くのをどうすることも出来なかった。勿論、野球を辞めることについては、早乙女恭子にも相談している。

「私は、3塁手の橘君が大好きだったのよ。でも、弱いチームでもう1年続けるだけの目的とか理由が無くなってしまったのよね、きっと」

というのが彼女の理解だった。当たらずとも遠からず。勝てない野球なんて面白くない。

 一方で、当時世界を席巻していたビートルズやストーンズに憧れを持ち始めていた。静かに流行り始めたカレッジ・フォークなどにも興味があった。家には兄のギターが置いてあったので、いたずらしたことはある。

 残りの高校時代は、運動部とは対極のそういう音楽なんぞをやり、青春を謳歌したいというのがその時の本音だったのだが、さすがに恥ずかしくてそこまでは彼女に言えなかった。早乙女恭子の方は、それまで野球部のファンクラブで活躍していたので、特に他の部活はやっていないようだ。

            *   *   *

 橘は野球部に退部届けを出して、暫くは自宅でギターを独習していたが、どこからかそのことを知った同じ小・中校出身の唐沢剛が、高2の秋口に橘をマンドリン・クラブに誘った。唐沢は高1の時からそのサークルに所属し、この秋からは指揮者に指名されたという。

 誘われて行ってみると、女子50~60人、男子も10人程度いる大所帯の楽団だ。女子は全員マンドリン担当で、男子は指揮者唐沢の他、マンドリン5人、ウッド・ベース1人、ギター3人といったところ。ギターは、云わば主役のマンドリン演奏を引き立てる伴奏役のようだ。

「僕が入ってギターは4人だが、幾ら引き立て役と言っても、人数が少ない分、寧ろ目立っちゃうんじゃないか?」

 そう橘は思ったが、唐沢初めギターの3人が、熱心に橘に一緒にやろうと勧誘してくれるので、不安ながら橘はその場で入部することを決めた。

 彼がマンドリン・クラブに入ったのは、毎年9月に行われる文化祭の後だった。文化祭の一環で、市民会館を借り切って音楽祭も並行して行われるのだが、例年、音楽祭を最後に3年生は退部して行くから、丁度、2年生が中心となって、来年の文化祭を目指してクラブ運営を始めたばかりの時期だった。そういう意味では、新入りとしては丁度キリが良かったと言えよう。

 橘のギター特訓が始まった。最初は2つの問題にぶち当たり、四苦八苦。1つは楽譜が分からないこと。もう1つは左手の指がサッサと動かないこと。野球で鍛えた握力があるのにコツが分からないので、左指の弦の押さえ方が不十分で良い音が出ないのだ。唐沢に聞いた。

「こんな調子で来年の音楽祭までにギターを弾けるようになるんだろうか?」
「平気平気! ギターの3人の内2人は去年から始めたんだよ。それまでギターなんて触ったこともないみたいだったから、初めは今の君より手が動かなかったよ」
「ホント? 3人とも上手そうだけどな」
「本当だよ。3か月で見違えるようになるから、俺を信じろよ」

 唐沢の励ましもあって、そして、彼が付きっ切りで面倒を見てくれたので、度々の挫折を何とか乗り越え、少しずつ上達して行った。

 実は橘と唐沢とは小学校時代、一緒に野球をやった仲だった。橘はその頃はショートをメインに投手・捕手・内野手など外野以外は何でもやったが、唐沢は専らピッチャーだった。身体も大きく、彼の投げる球が速くて、橘もそうそう打てなかった記憶がある。

 橘は、中学に行っても当然、唐沢とは一緒に野球をやるものと思っていた。だが、唐沢は野球部に入らなかった。彼が選んだのはバレーボール部だった。

「何故野球をやらないんだ?」

 大きな疑問と半分非難がましい気持ちを抱いて、橘は唐沢を問い詰めた。

「そりゃ俺だってやりたいよ。でもやれないんだ」
「なんで?」
「言えない理由があるんだ」
「言えよ。じゃなきゃ、納得出来ないよ」
「勘弁してくれ。やっと野球を諦めたんだから」

 遂に彼は理由を言わなかった。彼の深刻そうな表情を見て、橘はそこに深い訳があるらしいことを察してそれ以上の追及は出来なかったのだ。

 その後、人々の噂話が耳に入って来た。唐沢剛の父親と本家筋との間に金銭トラブルが生じて裁判沙汰になっているらしい。その本家筋は唐沢の父親を勘当し縁を切った。その本家筋の息子が同じ中学の野球部にいて2年生の有力選手になっているという噂話。

 橘は、野球部の2年生に「唐沢」姓はいないから、本家筋の苗字は違うのだろう、多分唐沢は、父親に本家筋の息子と一緒に野球をやるのを反対されたのではないか、と推測したのだった。

 高校3年生になり、マンドリン・クラブの練習もかなりサマになって来て、町のイベントや老人ホームなどの慰問コンサートなどをやるようになって行った。橘も、その頃になるとギターが似合うようになり、早乙女恭子にも褒められた。

「橘君は野球のイメージしかなかったから、どうなるかと思ってたけど、ギターを弾く橘君も素敵よ」
「からかうなよ。こっちは冷や汗もんなんだから」
「そこがいいのよ。大きい身体を小さくしてサ。とっても可愛いの」
「よせやい」

 7月からは9月の文化祭に向けた練習モードに突入して行った。この時、指揮者の唐沢剛から、ステージの途中で、ギター班だけの曲を1曲演奏して欲しいと言われた。ジャンルはクラシックでもポピュラーでもフォーク・ソングでも何でも良いから、と言われた。つまり、ギター班4人で何か1曲やれと言うのだ。

 相談した結果、ブラザーズ・フォーの「遥かなるアラモ」(The Green Leaves Of Summer)をギターを弾きながら歌うことにした。当時、正にヒットしていた曲だった。

 9月第2週の木曜日から土曜日までの3日間、高校の文化祭が開催された。文化祭では教師は殆ど見守る側で、全ては生徒会中心で、各サークルや各部が自主的に準備を進め、イベントのシナリオ・演出なども生徒が行う。マンドリン・クラブは土曜日の音楽祭で40分の時間を与えられた。

 7月からの猛練習で当日を迎えるのだが、8月の夏休み中も何日か集まって練習が行われた。これも部員が自主的に決めた夏合宿であった。

 いよいよ音楽祭当日。音楽祭は校内の音楽サークルが全部一堂に会して演奏会を行うものだ。室内楽部、吹奏楽部、軽音楽部、ハワイアン・サークル、それにマンドリン・クラブだ。

 市民会館を借り切って行うこの音楽祭は、他校にも結構人気が高く、毎年出演者の父兄・同校の生徒・他校の生徒などで千名規模の会場が満員になる。

 今年はマンドリン・クラブがトリを務めることになったが、彼等の前が吹奏楽部というのはあまり良い順番とは言えない。実は男女半々のこのブラスバンド、音楽祭の一番人気だからだ。それも彼等のステージ前半のマーチやクラシック音楽などの演奏に次いで行われる後半のフルバンドのジャズ演奏が音楽祭のハイライトなのだ。

 昨年の音楽祭を橘も見ているが、フルバンドが演奏したグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」には強烈な印象を受けた。橘はそれがキッカケで音楽もいいなと思い始めたのかも知れない。

 吹奏楽部フルバンドの今年の・ナンバーは、ジャズではなくラテンの曲だった。「ある恋の物語」と「闘牛士のマンボ」。フルバンドの指揮を執っているのも同級生なら、「闘牛士のマンボ」でサックス・ソロをやるのも同じクラスの仲間だったから、橘は無論応援しながらも、彼等の上手さに舌を巻く思いだった。

「まっ、仕方ない。自分達はベストを尽くすまでだ」

 いよいよマンドリン・クラブの演奏が始まった。クラシックの曲や民謡・童謡など全員で演奏した。さすがに猛練習の甲斐あって、マンドリン・パートはほぼ完璧な出来栄えだった。曲によって別々のマンドリン奏者による長いソロもあるのだが、みんな大したものだ。堂々と演奏する。ギター班の伴奏もほぼノーミスだった、と橘は思った。

 遂にギター4人組によるフォークソング演奏の時間が来た。司会者がその旨をアナウンスしている間に、4人以外は全員舞台から退席した。彼等は中央のマイクの前に立ってギターを抱えて唄い始めた。

 この1曲に賭ける。そんなつもりで毎日練習して来た曲、「遥かなるアラモ」。4人が別々のパートを歌う必要があり、ギターの伴奏よりも何よりも、そのコーラスの練習がきつかった。8月の合宿でもかなり大きな声で歌ったので、その後1週間程度みんな声が擦れて困った経験を共有している。

 1千人の前でたった4人で歌うのはさすがにビビるが、こんなに練習したんだ、絶対に成功させてやるという強い気持ちで唄い終わった。物凄い拍手。嬉しかった。

 再び全員による後半の演奏。ラテン風の曲も加わり、その時はギター班がパーカッションも担当して予定の曲を全部終えた。舞台袖に退いてみんなで握手。ハイタッチ。だが、会場の拍手が鳴り止まない。若しかしてアンコール?

 音楽祭に来てくれた人達からの儀礼的なアンコールなのか、本当にもう1曲所望されているのか? マンドリン・クラブがトリだから、音楽祭全体に対してのアンコールなのだろう。しかし、こんな状況は想定していなかったから、アンコール曲など全く用意してない。

 指揮者の唐沢剛が

「お礼の挨拶だけしてくるわ」

と言って舞台に出て行った。

「ありがとうございます。皆様のお蔭で、今日はとても楽しく演奏することが出来ました。心から御礼申し上げます。ただ、私達、アンコール曲を用意してありませんので、もう一度「遥かなるアラモ」をお送りして、アンコール曲に代えたいと思います」

 ギター班の四人は同時に「えっ!」と声を上げた。心臓が飛び出るほど驚きながらも橘は、マンドリンを主役としてその引き立て役のギター班に最後の花を持たせようという唐沢の気配りを感じたのであった。

 4人は万雷の拍手の中を再び舞台中央に進み出たのだった。橘は二人とも、今は野球ではなく同じサークルで音楽をやっていることに、不思議な連帯を感じながら歌い終わった。

 橘はお礼の気持ちもあって、楽屋裏で唐沢に言った。

「全然打ち合わせもなくアンコールの舞台に呼ばれたから、心臓に良くなかったよ」
「あぁ、そりゃ悪かったね」
「いや、正直言えばギター班にアンコールやらせて貰って嬉しかったのサ」
「中学の時、野球を辞めた俺を心配してくれたの、お前だけだったからな。少しはその時のお返し代わりにはなったかな?」

   *   *   *