≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 2つ目のエピソードは、支社開設で見せた橘の顧客重視の店作りだ。

 城北支店での営業活動が認められ、橘は麻布支社開設の責任者に任命された。店舗新設を、まだ係長の橘に託す異例の人事だった。橘33歳。

 生保業界で「支社」と言えば、大勢の部下と大勢の外務員を抱える拠点責任者で、支社長ともなれば地域でもステータスが高い存在である。黒塗りの車と運転手付き、会社によっては役員クラスもいる。

 損保の場合は、基幹店舗である「支店」の傘下に「支社」が置かれる営業組織(課と同じ位置付け)なのだ。だから役員や部長クラスでない係長の橘が支社長になれた。但し、係長の支社長就任は全く初めてという訳ではないものの、異例中の異例人事であることには違いない。

 店舗の物件探しから、必要備品の購入、人事部への女子社員異動候補者要請等など全て1人でやらざるを得なかった。テリトリー内の企業や商店との商談では、支社長の名刺を出すと、殆どの相手がもう一度彼の風体を確認するように眺めて感心してくれる。「その若さで支社長とは凄い」といった目で。

 社内や代理店には全く威力を発揮しない「支社長」という肩書きが、これほど一般社会で効果があるということを体験して、橘は、肩書きも店舗も、全ては顧客のためにあることを確信した。やはり支社にとって最も大事な対象は代理店や他の募集チャネルではなくその先にある保険の顧客や見込み客であることを再確認したのだった。

 最初の店は電気店の2階で、予算の関係から大人4人が席を並べると一杯という狭さだったから、他店から移管されて麻布支店所属になる代理店の来社時の机も置けなかった。だが、開設準備の最初の数ヶ月は仕方ないと橘は割り切った。

 この間、橘が最大エネルギーを費やしたのは、城北支店で経験した、代理店研修生の大量採用大量育成であった。橘の得意技だ。今度は一国一城の主として、麻布支社の強力な保険募集軍団の構築である。自ずと入れ込み方が違って来る。

 研修生候補者と頻繁に会い、橘の熱っぽさに感服して、大多数の者はその場で転職を決意したのだった。橘は多い時で1日に10名の候補者と会って説明・説得に当ったと言う。

 橘は、それこそ土日もなく昼夜の別なく、寝食を忘れてそれら諸々の準備作業を進めて半年後、広い店舗に移転した。橘は顧客第一主義の店作りを徹底するために、一階は営業店舗だが、二階は、地域に開かれた営業店舗を謳い文句に、会議室、兼、市民への開放スペースとしたのだった。

 そして、いよいよ正式に麻布支社としてのお披露目のパーティーを行うことになった。従来、お披露目には取引先代理店をご招待して、会社の役員が挨拶するのが東都損保の決まり相場だったが、代理店にも了解を取り付けて、お披露目は顧客向け講演会に変更した。当然ながら、講演会に客を集めることを代理店研修生の担当とし、テリトリー内飛び込み営業の実践研修の場としても仕掛けたのだった。

 おそらく、市民への開放スペースを設けたことと顧客向けセミナーを支社レベルで実施したのは、東都損保では勿論のこと、損保業界としても初めての試みではなかったか。どちらも今では当たり前になっているが、外務員や代理店の先にいる顧客への直接サービスの考え方は業界にはまだ存在しないと言って良かった。

 講師はNTTの的場英氏にお願いすることにした。彼はその後ある事件で失脚する運命を辿るが、当時はマスコミ等に引っ張りだこの、正に「時の人」であり、今日で言うところの「IT社会の生みの親」とも言える人物である。

 ある人脈を使い無理なスケジュールの中、何とかOKを貰ったまでは良かったが、何とお披露目パーティーの当日、大問題が出来した。東京に未曾有の大雪が降って、電車は止まる、車は走れず大渋滞、支社の玄関にも入れないほどの雪が積もってしまったのだ。午前中には本社から女子社員に帰宅命令が出される始末だ。講演会は中止にするか否か、みんなで雪かきをしながら思案を重ねた。

 講師に頼んだ的場氏は、前日大阪出張の筈であるが連絡が取れない。交通状況を確認すると新幹線も飛行機も止まっている。これでは的場氏も、講演会に間に合わないだろうと已む無く中止の判断をしようとしたその矢先、ご本人から連絡が入った。

「予定通りで宜しいですか?」

「え? 今大阪ではないんですか?」

「いえ、昨日から飛行機が飛ばず、大阪には行けませんでした。今、東京の自宅ですから、早めに出掛ければこちらは大丈夫なのですが」

「はっ、はい。予定通りやりたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します」

 橘は受話器を耳に当てながら、深々と一礼していた。よし!

 だが、今度は客足が心配になる。多分マスコミも取材に来るだろう。研修生達には再度自分の顧客に出席確認の電話をさせた。

 しかし案ずるより産むが易しであった。蓋を開けてみれば、会場は満員(と言っても支社の大会議室だから定員百名)となった。満員になったのは、何といっても彼が「時の人」だったからであろう。

 橘にしてみれば、この日は人生で最も長い1日となった。

 因みに、この日集ってくれた顧客は港区にある会社の社長、または、その代理人、商店会役員、ロータスクラブ会員等々、テリトリー内の有力者などが多かった。後々これらの人達や組織が、東都損保の団体保険の顧客になり、麻布支社の支援者になって行ってくれるのである。

 橘支社長のもと、顧客第一主義に染め抜かれた研修生達がこれら有力顧客の紹介等、大きな支援を得て、急速に戦力化して行ったこともあり、立ち上がったばかりの麻布支社は、2年で支店昇格を果たし、橘は東京のど真ん中で東都損保で最も若い支店長となった。これも過去に例のない早さだった。

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